2019/05/30

野上電鉄廃線ラン(後半)

この先の各駅跡はそれぞれ小公園として整備され、散歩する人の格好の休憩場所になっている。紀伊阪井駅跡。中央の植込みから左側がホーム跡と思われる。何とかいう郷土の偉い人の銅像が建っていたが、このあたりは棕櫚製品など地場産業が盛んな土地だったようだ。

Kimg0302

その証拠に、付近の民家の庭先に棕櫚の木を発見。しかし、残念ながら沿線で目撃したのはこの一本だけだった。

Kimg0303_1

この先で線路跡は左に90度カーブして南下し、今も現役で使われている跨線鉄橋の下を潜る。

Kimg0304

重根(しこね)駅跡。2面2線式のホームを有し、ほとんどの列車の交換を行っていたそうだ。

Kimg0305

すぐ西方に、勾配標の痕跡と思われる石柱が残る。

Kimg0307

この先数百メートルの区間は宅地化により廃線跡が完全に消失してしまっているが、国道重根南交差点付近で遊歩道が再び出現、やがて幡川(はたがわ)駅跡に至る。

Kimg0310

地元高校生の製作という壁画が展示されている。「野鉄」として地元の人々に親しまれていたことがよく分かる絵だ。

Kimg0311

阪和自動車道高架を潜った先の春日前駅跡。買い物帰りの女性と下校途中の高校生が、それぞれに憩いの時を過ごしていた。

Kimg0313

さらに進み、JR海南駅が正面に見えてきたところで遊歩道は終了。

Kimg0315

線路はここから右にカーブしてJR紀勢本線に合流するように北進し、日方駅に向かっていた。

Kimg0316

日方駅跡と思われる空き地。近々再開発が予定されているようだ。

Kimg0318

海南駅から帰路に就く前に、駅売店で特産品の棕櫚たわしを買い求めた。髙田耕造商店の手巻き手作りで、掌サイズの「特小」だけど税込み637円もした。値段なりのことはあって、手にしっくりなじむ文字通り「やさしいたわし」だ。毎朝、スキレットを洗うのに早くも重宝している。偶然、今週のNHK大阪「おはよう関西」で、ここの製品が紹介されていた。

Kimg0323_1

5月29日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/27

野上電鉄廃線ラン(前半)

23日、和歌山県の野上電気鉄道廃線跡を走ってきた。同電鉄は和歌山県海南市の日方駅から海草郡野上町(現紀美野町)登山口駅までの11.4キロを結んで昭和3年に全線開業した。官庁認可の正式名称は「のがみ」だが、地元では地名と同じ「のかみ」と発音する。沿線の特産品である棕櫚製品(たわし、ロープ等)などの輸送を担っていたが、例によって戦後のモータリゼーションの進展で輸送需要が低迷した。一旦出された一部区間の廃止申請が、直後の第一次石油ショックによる鉄道見直しで撤回されたりもしたが、平成6年3月末をもって全線廃止となったものである。

行程の都合でJR海南駅前から代替バスである大十オレンジバスで終点の登山口まで移動、そこから海南駅前まで引き返すことにした。終点から起点に向けて走るので、通常であれば「上り」となるはずだが、野上電鉄においてはこちらを「下り」と称していた。標高差からすると確かに「下り」ではあるが、監督官庁からは再三是正を求められていたらしい。

正午前、登山口駅跡を出発。現在は大十バスの本社事務所、車庫などに転用されている。なお、「登山口」とは高野山への登り口かと思っていたがそうではなく、ここから南南東に入った生石高原への登山口を意味するそうだ。鉄道の廃線跡は正面奥の道路ではなく、写真左の車庫裏を走る国道370号に転用されていて、当時の面影は全く残っていない。平成27年の和歌山国体開催に伴って一気に道路整備が進んだそうだ。

Kimg0289

Kimg0295

スタートして間もなくの「くすのき公園」にモハ30形の電車が1両、屋根付きで保存されている。説明板によれば、昭和9年日本車輛製で、阪神電鉄で約30年使ったのを譲り受け、さらに31年間使用したという。お疲れさま!(笑)

Kimg0292

なお、近隣の診療所の私有地内にもモハ20形1両が屋根付きで保存され、公道から見学することができる。こちらも阪神からの譲受車である。

Kimg0293

車両前方には2本のキロポストが打ち捨てられたように置かれていた。奥の「11.4」は終点登山口駅のもの。手前の「0.03」は起点日方駅構内にあったもので、開業当時は約30メートル先の野上電鉄本社前にホームがあったためだとか。

Kimg0294

この先は国道370号の歩道をひたすら走る。途中、下佐々、龍光寺前、動木(とどろき)、紀伊野上、八幡馬場、北山、野上中、沖野々とあった駅の痕跡は全くなく、場所を特定することすら出来なかった。沖野々の先で国道から右に分岐し、廃線跡を利用した遊歩道に入ると、ようやく廃線ランらしくなった。

Kimg0298

野上電鉄のものらしき枕木を発見。これも相当長い間使いこまれていた様子である。

Kimg0299

住宅街の間を縫うように遊歩道は続き、自転車に乗った地元の高校生たちが賑やかに談笑しながら追い抜いていく。本当は歩行者専用で自転車は通行不可なのだが、交通量の激しい国道を走らせるわけにはいかないだろう。

Kimg0300

後半に続く。

5月25日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/03/25

何を今さらフォームの修正

先々週から先週にかけて、いつもは公苑を4周、10キロ走るジョグが8キロになっていた。途中から右膝の腸脛靭帯辺りに違和感が出て、大事をとって3周目で切り上げていたのだ。今月上旬に久々の40キロLSDをやった後遺症かもしれないが、その直後のジョグでは何ともなかったというのに。

先週22日も「なぜだろう」と考えながら走っていて、ふとこの痛みは昔経験したのに似ていることに思い至った。このブログを始めた頃、ボストンマラソンの後遺症と思われる左膝の痛みが、実は間違ったランニングフォームが原因だったのを発見し、骨盤前傾を意識したフォームに修正したら痛みがなくなり、その後の自己記録更新に繋がった経験である。

もうレースから引退し、ペースがどうのタイムがどうのという走りをしなくなって、フォームを意識しなくなっていたのだろう。知らず知らず、ボストン以前のそっくり返ったような体勢に戻っていて、その結果また膝を痛めてしまったというわけだ。14年前のことを思い出し、ただちにフォームを修正したら、それ以降違和感は収まり、無事4周目も走り切れた。

本当にもう何を今さらだけれど、今後も街道走りや廃線ランを楽しむため、また健康維持のため走り続けるには、やはり正しいフォームで走り続けるに越したことはない。

(追記)
ココログリニューアルの不具合により、前の投稿では行間が空いてみっともなかったので新たに書き直し、前の記事は削除することにしました。頂いたコメントも同時に削除せざるを得ませんでしたのでご了承願います。

3月24日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/01/15

屋島縦走ラン

13日早朝、高松の屋島を縦走してきた。標高300メートル弱。文字通り屋根の形をした、もともとは島だったのが、江戸時代に干拓や塩田開発が進んで、四国本土と細い川を隔てるだけのほぼ地続きとなった。写真は屋島ナビによる。見るからに縦走してみたくなる地形である。(笑)

Yashima_2

まだ夜明け前に南端の登山道(遍路道)を登っていると、早くも下山してくる人たちがいる。毎日のように登っている常連さんに違いない。中腹では子狸2匹に遭遇したが、人を怖がることなく足元に纏わりついて来る。常連たちが餌づけしているのだろうか。

登り切ったところの屋島寺から駐車場を通り抜けたところに、談古嶺という絶景ポイントがあり、源平の古戦場檀ノ浦や五剣山の夜明けの景色が望めた。ちなみに、山口県にある古戦場は「つちへん」の壇ノ浦である。

Ts3r0026

ここから遊歩道が北嶺まで伸びている。屋島は下から眺めるとテーブル状の台地のようにも見えるが、実際は中ほどは両側が切り立った尾根となっていて、眺望もさることながら結構スリルがあった。

北端にある遊鶴亭からの絶景。ちょうど五剣山から朝日が昇る瞬間で、ラヴェル「ダフニスとクロエ」の「夜明け」が頭の中で鳴り始めた。(笑)

Ts3r0032

Ts3r0034

ここから県道まで下りる北嶺登山道は岩場続きで、ちょっとした登山気分も味わえる。瀬戸内海の素晴らしい景色に加えて、なかなか変化に富んだ面白いコースだった。

1月13日 ジョグ7キロ
1月14日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/11/11

北陸本線旧線(杉津線)ラン その2

この後、第一観音寺、第二観音寺、曲谷、芦谷、伊良谷、山中と6つのトンネルが連続する区間になる。標高が上がるにつれて霧が濃くなってきて、敦賀湾の眺望も何もあったものではない。直前に分かったのだが、第二観音寺トンネルは平日は工事のため通行止めになっていて、知らずに平日に来ていたらここで引き返す破目になっていた。

Ts3r0030_2

最後の山中トンネルは全長1170メートル。まさにラスボスにふさわしい長さだが、直線かつ平坦なためか信号が設置されていない。しかし、1キロ以上先の対向車が分かるのだろうか。走っている間中、中の暗さもさることながら、自動車が来ないか気が気でなかった。

国境の長いトンネルを抜けると雪国…ではなく、雨が上がっていた。山中峠は嶺南と嶺北の境なのである。康成の小説では続いて、「信号所に汽車が止まった」とあるが、ここにもかつて信号所があった。山中信号所といい、スイッチバックによる列車交換のための施設である。全体の構成は現地看板に解説されている。

Ts3r00441_2

今庄方(A)から登ってきた上り列車は、一旦山中トンネル(D)左側の折り返し線(B)と、有効長延伸のためのトンネルに入る。

Ts3r0036_2

延伸トンネルの中まで入ってみたが、長さはせいぜい数十メートルで、すぐ行きどまりになった。引き返して外を見ると、始まりかけた紅葉がきれいだった。雑誌『ノジュール』の表紙とかに使えそうだ。(笑)

Ts3r00341_2

上り列車は次にバックで今庄方に戻り、高低差の少ない待避線(C)に入って、敦賀方からの下り列車の通過を待つ。右側の下り勾配の県道が本線(A)である。

Ts3r0040_2

待避線の末端部には頑丈そうな雪除けが今も残る。今回では最も廃線らしい光景だ。

Ts3r0048_2

下り列車が山中トンネルを抜けて左の本線(A)へと通過した後、右の待避線にいた上り列車は勢いをつけて山中トンネル(奥)へと向かっていく。

Ts3r0051_2

同じ地点の当時の光景がこちら。ただし、これは下り列車が退避する場合のようである。手前に写る木の切り株らしきものは、現在と同じものだろうか。まさかね。

Ts3r00451_2

単調な一本道を進み、再び北陸自動車道の高架を潜る前に、3番目の大桐駅跡がある。元々スイッチバックのための信号所だったが、地元民の要望を受けて停車場に昇格したものだ。プラットホームが今も残され、D51の動輪などが展示されているのは、それだけ地元に愛されていた証拠である。

Ts3r0053_2

この先の上新道集落に山中峠越えと木ノ芽峠越え、2つの街道の追分(分岐点)があり、解説板が設置されている。ただ、実際の街道はこの廃線跡ではなく、右側の集落の中を通っている。

Ts3r0059_2

やがて南今庄駅付近で北陸本線現在線と合流、一旦離れて県道を進むと、今度は北陸道と北国街道との追分に文政13年の道標が立っている。「右京 つるが王可佐道」「左京  いせ江戸道」などと刻む。「王可佐」は「わかさ」である。おっと、廃線ランだか街道ランだか分からなくなってきた。(笑)

Ts3r0062

今庄駅近くで旧線の痕跡と思われる柵を発見。この辺りで現在線(奥に架線が見える)と重なっていたと思われる。

Ts3r0065

予定より早く今庄駅前に到着。昼をかなり過ぎていたが、今庄名物の蕎麦で遅い昼食をとる。コリっとした麺が大変美味だった。

Ts3r0067

敦賀に戻る電車の時間まで少しあったので、駅裏に展示されているD51機関車を見物。静態保存されている同型機関車の中では、保存状態が極めて良い部類に入るだろう。解説板によれば、かつての今庄は一軒にひとりは国鉄職員がいたという「国鉄ムラ」だったようで、その伝統が残っているのかもしれない。

Ts3r0069

2両編成ワンマンカーの普通列車で敦賀まで戻る。北陸トンネル経由でたったの15分だった。隧道碑に記されていたとおり、北陸本線の輸送力を画期的に高めた北陸トンネルの威力を身をもって実感した。

11月10日 ジョグ10キロ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018/11/08

北陸本線旧線(杉津線)ラン その1

4日の日曜日、北陸本線敦賀・今庄間の旧線、通称杉津(すいづ)線を走った。この区間の旧線は当時の鉄道の限界と言われた25パーミル(1000分の25)という急勾配が連続し、また最小曲線半径360メートルという難所であった。そのため、米原・富山間の複線電化工事の一環として北陸トンネルが建設され、昭和37年6月の同トンネル開通をもって旧線は廃止となったものである。

旧線跡は国道、県道などに転用され、地元住民の生活道路として活用されている。10箇所のトンネルは当時のままの姿で残り、国の登録有形文化財に指定されている。また、山中信号所付近ではスイッチバックの痕跡を見ることができる。

午前10時前、敦賀駅前をスタート。北陸特有のどんよりした空が広がり、細かい霧雨が降っている。駅舎は以前はもっと寂れた感じだったと記憶するが、最近リニューアルされたようである。

Ts3r0001

駅前の市街地を抜けたところで、道路を横切る線路の跡を発見。全くノーマークだったが、後で調べると旧敦賀港線の踏切跡であることが判明した。

Ts3r0002

国道476号に入って北陸本線の現在線と並んで走ると、北陸トンネル入り口の近くに北陸隧道碑がある。碑に記された建設経緯の説明文は、淡々とした文体ながらも、鉄道史に残る大事業をやり遂げた誇りを感じさせる。

Ts3r0008_2

Ts3r0003

旧線跡の国道はここで現在線と分岐し、高架の北陸自動車道を縫うようにして緩やかな登り坂を進んでいく。

Ts3r0009

やがて最初のトンネル、樫曲(かしまがり)トンネルが見えてきた。国道が南側に迂回したあとも、古いトンネルが破壊されずに残っているのは喜ばしい。ただ、いかにも後から付けましたというランプ風の照明がやや興醒めではあるが。

Ts3r0012

次の獺河内(うそごうち)トンネルは拡幅されて当時の姿をとどめない。国道にはほとんどの所で歩道がなく、この辺りから雨が次第に本降りになってきて、ちょっと辛いものがあった。やがて最初の駅、新保駅跡に到着。道路の向こう側で小高くなったところはスイッチバックの痕跡かもしれない。

Ts3r0021

この先で国道から分岐、なおも北陸自動車道と並行する田舎道を行くと、葉原トンネルの入り口が見えてきた。ここにもスイッチバックがあったそうで、左側の小高くなったところがその痕跡かもしれない。

Ts3r0023

トンネルは全長979メートル。片道交互通行のため信号が設置されている。当然、自動車の速度を前提に時間設定されているので、人間が走ったのでは間に合わないけれど、幸いこの後のトンネルも含めて、トンネル内で自動車と遭遇することは一度もなかった。

続いて鮒ケ谷トンネル、曽路地谷トンネルを通過。同じような外観なので写真は省略するが、後者はトンネル内に照明がなく、手持ちの小さなLEDライトだけを頼りに走るのはかなり怖かった。

曽路地谷トンネルを抜けるとすぐ、北陸自動車道杉津PAがあり、地道側からも入場することが出来る。地元の従業員のためだろうか。ここが2番目の杉津駅の跡で、眼下には敦賀湾の眺望を楽しむことができる…はずだったが、生憎の雨でまったく何も見えない(泣)。

Ts3r0028

しかし、ここ以外にコンビニはおろか、自販機1台もないコースにあって、ほぼ中間点にあるこのPAは貴重なエイドステーションとなった。(続く)

11月6、8日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/10/10

frun22周年記念飲み会

8日の体育の日はKさんが企画されたfrun22周年記念飲み会に参加した。当時まだパソコン通信だったfrunの発足から22年。私が加入したのは1999年1月の枚方ハーフマラソンだったから、それからでも20年近くが経過したわけである。

当初はタイトルどおり飲み会だけの企画だったのが、一応はランナーの集まりであるからには走らないとダメだと衆議一決。森ノ宮から天王寺まで上町台地周辺を巡り、大阪の歴史に思いを馳せる5キロほどのコースをのんびりと走った。

8月に高橋さんと走った際は、天王寺七坂のうち北側の二つを残していたが、それも今回で完全にカバーできた。写真は源聖寺坂を下っていくところ。先頭集団がいる辺りは往時はもう海だった。

Ts3r0013

天王寺駅まで走ってから、銭湯で汗を流し、宴会に突入。阿倍野はいわば地元でありながら、「湯処あべの橋」の存在も知らなければ、宴会場所のハルカスの建物に入ったのも実は初めてという有様である。

まあ、飲めればどこでも同じ。顔なじみのメンバーと大いに飲みかつ語らい、二次会にも繰り出したが、だんだん同じ話の繰り返しと、健康や病気の話題が多くなってきたように思う。それだけメンバーが高齢化したということだろう。大会や記録などの話題で盛り上がっていた頃が懐かしい。

10月8日 ジョグ5キロ
10月9日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/09/04

ビアガーデンLSD

毎年恒例のビアガーデンLSDは、今年は9月に入ってからの開催となった。一旦7月下旬に決まっていたものの、台風12号の接近などで延期となり、その後も異常な猛暑が続いたことなどから、とうとう9月にズレ込んだものだ。

ランの部は久々に芋っ子メンバー4人揃って、例年どおり若草山周回コースを走ったが、今回は周辺の鹿、特に子鹿の数が異様に多いように思った。「奈良の鹿愛護会」の頭数調査によれば、2013年に148頭だった子鹿の数はその後一貫して増加し、昨年調査では234頭となった。今年の調査結果はまだ出ていないが、更に増えている可能性がある。もしかして、急増する外国人観光客がこぞって鹿せんべいを与えているのも一因だろうか。

ランの後は橿原に移動してBちゃん、Kさんと合流、近鉄百貨店屋上のビアガーデンで冷えたビールを堪能した。昨年の屋内ビアホールもそれはそれで良かったけれど、涼しい風が吹き渡るビアガーデンで、二上山の夕焼けを眺めながら飲むのは最高だ。週明けは台風21号が接近するきわどいタイミングだったが、なんとか開催できて良かった。

Ts3r0005_3

9月2日 LSD15キロ
9月3日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/08/05

高橋さん迎撃天王寺ラン

昨日は大阪に出張で来られたFRUN高橋さんをお迎えし、KさんAさんの常連2人とともに天王寺界隈を走った。天王寺公園内に「てんしば」という新しい観光スポットがオープンしていて、その中にあるフットサルコートの更衣室がランニングステーションを兼ねているので、そこを拠点として利用した。

16時過ぎスタートとはいえ最高気温37度の猛暑日ということで、メンバーの体調も考慮して、茶臼山から天王寺七坂の口縄坂で折り返す、約4キロの短めのコースを設定した。石段の細い坂道は、まるで京都の東山辺りのような光景で、とても大阪市内とは思えない。付近に数多い寺で修行している僧侶だろうか、和装した背の高い外人男性とすれ違った。

Ts3r0006

終了後は阿倍野の明治屋で打ち上げ。以前の迎撃ランでも行ったことがある店で、再開発による立ち退きで一旦閉店したが、新たな場所で営業再開していたのだ。外観のみならず撮影禁止の店内も含めて、古き良き昭和の居酒屋の雰囲気は健在で、昭和のオジサンたちは心ゆくまで飲みかつ語らい、平成最後の夏を満喫したのだった。

Ts3r0007

8月4日 ジョグ4キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/05/25

鍛冶屋線廃線ラン

昨年走った高砂線と同じく、加古川線の支線であった鍛冶屋線(野村(現西脇市)-鍛冶屋間、13.2キロ)の廃線跡を走った。「支線」と書いたが、沿革からすればむしろ鍛冶屋線の方が本線というべきかもしれない。

Kajiya

旧播州鉄道が大正2年に開通させた加古川-西脇間が、現在の加古川線の前身に当たり、大正12年には西脇から鍛冶屋まで延伸している。しかし、播州鉄道から事業継承した播丹鉄道が、その翌年に野村から谷川まで延伸して福知山線と接続、現在の加古川線が全通したため、野村-鍛冶屋間の方が支線となってしまった。

鍛冶屋線は地場産業である原糸、木材、酒米などの輸送を担ってきたが、戦後のモータリゼーションの進展により輸送需要が低迷。沿線では「カナソ・ハイニノ国」(鍛冶屋から順に駅名の頭文字を繋げたもの)の独立宣言を発するなど利用促進を図ったが、平成2年3月末をもって廃止となったものである。

快晴に恵まれた22日午後、野村(現西脇市)駅前からスタート。加古川線との分岐点となっていた駅であるが、現駅名にもかかわらず西脇市街中心部から離れており、駅舎も比較的小さい。ちなみに駅伝の名門、西脇工業高校はここからすぐ近くである。

Ts3r0001

野村駅を出ると間もなく、加古川線(右)と分岐する。直進する鍛冶屋線の方が本来の路線であったことがハッキリ分かる。

Ts3r0009

踏切跡には線路の痕跡が今も残る。

Ts3r0016

間もなく、西脇駅に到着。駅跡にはアピカという商業ビルやホテルが建っている。ここから先は道路転用され、鉄道の痕跡は全くないが、西脇市と姉妹都市関係にある米国レントン市にちなんで「レントン通り」と称されている。

Ts3r0018

加古川の支流、杉原川に沿ってしばらく行くと、市原駅の跡が記念館として整備され、キハ30形気動車2両が展示されている。管理人室に中年男性が2人いたが、案内してくれるでもなく、どこかのラーメン屋の評判話をしていた。

Ts3r0023

館内には当時使用されていた鉄道用品が多数展示されている。

Ts3r0025

これはタブレット閉塞機といい、単線の行き違いの際に使うタブレットを管理する装置だ。

Ts3r0029

この先で道路転用部分は一旦終わり、廃線跡を利用した遊歩道が田んぼの中をまっすぐ伸びている。一部に線路や枕木を模した舗装がなされている。

Ts3r0037

途中、文化財発掘工事が行われていて、回り道を余儀なくされた。大正年間の鉄道敷設時はともかく、平成に入った廃線時にも見つからず、今頃になって掘り返すとはちょっと妙な話だが。

Ts3r0039

羽安(はやす)駅跡にはおそらく当時のままの駅舎が残る。羽安という駅名は、この付近の羽山と安田の両集落がともに駅名にするよう主張して折り合わず、仕方なく両方から一文字ずつ取ったという。

Ts3r0041

この先で再び道路転用部分に入る。西脇市から多可町に入ってすぐ、曽我井という駅があったはずだが、その痕跡は残っていなかった。ただ、付近の歩道の柵には電車のイラストが入っている。鍛冶屋線は非電化だったが。(苦笑)

Ts3r0043

さらに進むと、中村町(なかむらまち)駅の跡が「あかね坂公園」として整備されている。この付近は町役場やベルディホールなどもある、多可町の中心部だ。

Ts3r0044

この先で再び遊歩道になり、多可赤十字病院手前で杉原川を渡る。鍛冶屋線最大の橋梁である。

Ts3r0048

終点の鍛冶屋駅手前には信号用器具箱が残されている。

Ts3r0051

鍛冶屋駅舎は鍛冶屋線記念館になっているが、施錠されていて中に入ることは出来なかった。覗いてみたけれど、展示物はあまりないようだった。

Ts3r0059

裏にはホームが残され、キハ30形気動車1両が保存されている。

Ts3r0056

鍛冶屋線は廃止されたのが平成2年と比較的最近で、廃線跡がよく残っている方ではないかと思う。西脇から鍛冶屋までの延伸に当たっては、地元の人々が用地や資金を提供したという経緯があるようで、そうした事情も反映しているのだろう。

5月24日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧