2018/05/25

鍛冶屋線廃線ラン

昨年走った高砂線と同じく、加古川線の支線であった鍛冶屋線(野村(現西脇市)-鍛冶屋間、13.2キロ)の廃線跡を走った。「支線」と書いたが、沿革からすればむしろ鍛冶屋線の方が本線というべきかもしれない。

Kajiya

旧播州鉄道が大正2年に開通させた加古川-西脇間が、現在の加古川線の前身に当たり、大正12年には西脇から鍛冶屋まで延伸している。しかし、播州鉄道から事業継承した播丹鉄道が、その翌年に野村から谷川まで延伸して福知山線と接続、現在の加古川線が全通したため、野村-鍛冶屋間の方が支線となってしまった。

鍛冶屋線は地場産業である原糸、木材、酒米などの輸送を担ってきたが、戦後のモータリゼーションの進展により輸送需要が低迷。沿線では「カナソ・ハイニノ国」(鍛冶屋から順に駅名の頭文字を繋げたもの)の独立宣言を発するなど利用促進を図ったが、平成2年3月末をもって廃止となったものである。

快晴に恵まれた22日午後、野村(現西脇市)駅前からスタート。加古川線との分岐点となっていた駅であるが、現駅名にもかかわらず西脇市街中心部から離れており、駅舎も比較的小さい。ちなみに駅伝の名門、西脇工業高校はここからすぐ近くである。

Ts3r0001

野村駅を出ると間もなく、加古川線(右)と分岐する。直進する鍛冶屋線の方が本来の路線であったことがハッキリ分かる。

Ts3r0009

踏切跡には線路の痕跡が今も残る。

Ts3r0016

間もなく、西脇駅に到着。駅跡にはアピカという商業ビルやホテルが建っている。ここから先は道路転用され、鉄道の痕跡は全くないが、西脇市と姉妹都市関係にある米国レントン市にちなんで「レントン通り」と称されている。

Ts3r0018

加古川の支流、杉原川に沿ってしばらく行くと、市原駅の跡が記念館として整備され、キハ30形気動車2両が展示されている。管理人室に中年男性が2人いたが、案内してくれるでもなく、どこかのラーメン屋の評判話をしていた。

Ts3r0023

館内には当時使用されていた鉄道用品が多数展示されている。

Ts3r0025

これはタブレット閉塞機といい、単線の行き違いの際に使うタブレットを管理する装置だ。

Ts3r0029

この先で道路転用部分は一旦終わり、廃線跡を利用した遊歩道が田んぼの中をまっすぐ伸びている。一部に線路や枕木を模した舗装がなされている。

Ts3r0037

途中、文化財発掘工事が行われていて、回り道を余儀なくされた。大正年間の鉄道敷設時はともかく、平成に入った廃線時にも見つからず、今頃になって掘り返すとはちょっと妙な話だが。

Ts3r0039

羽安(はやす)駅跡にはおそらく当時のままの駅舎が残る。羽安という駅名は、この付近の羽山と安田の両集落がともに駅名にするよう主張して折り合わず、仕方なく両方から一文字ずつ取ったという。

Ts3r0041

この先で再び道路転用部分に入る。西脇市から多可町に入ってすぐ、曽我井という駅があったはずだが、その痕跡は残っていなかった。ただ、付近の歩道の柵には電車のイラストが入っている。鍛冶屋線は非電化だったが。(苦笑)

Ts3r0043

さらに進むと、中村町(なかむらまち)駅の跡が「あかね坂公園」として整備されている。この付近は町役場やベルディホールなどもある、多可町の中心部だ。

Ts3r0044

この先で再び遊歩道になり、多可赤十字病院手前で杉原川を渡る。鍛冶屋線最大の橋梁である。

Ts3r0048

終点の鍛冶屋駅手前には信号用器具箱が残されている。

Ts3r0051

鍛冶屋駅舎は鍛冶屋線記念館になっているが、施錠されていて中に入ることは出来なかった。覗いてみたけれど、展示物はあまりないようだった。

Ts3r0059

裏にはホームが残され、キハ30形気動車1両が保存されている。

Ts3r0056

鍛冶屋線は廃止されたのが平成2年と比較的最近で、廃線跡がよく残っている方ではないかと思う。西脇から鍛冶屋までの延伸に当たっては、地元の人々が用地や資金を提供したという経緯があるようで、そうした事情も反映しているのだろう。

5月24日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/05/16

サングラスを新調

長年使ってきたサングラス(写真後)の鼻当ての部分がボロボロになったので、ついに買い替えることにした。2005年ボストンマラソンの時にはもう使っていたから、おそらく15年近くは使用してきた。一度鼻当てを紛失して製造元本社まで駆け込んだが、それからでも既に10年以上。レンズ表面にも細かいキズがいくつかあって、さすがにもうお役御免にしてもよいだろう。

Ts3r0007

2代目(写真前)は何とユニクロである。別のものを買いに行った際に偶然店頭で見かけて即決したものだ。軽いのに顔面にしっかりホールドし、走っても揺れないところが気に入った。鼻当ては硬めの樹脂製で本体にネジ止めしてあるので、紛失や劣化の心配も少ない。何と言っても1500円というお値段が最大の魅力だ。ユニクロ依存は強まるばかりだ。(苦笑)

5月14、16日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/04/03

奈良お花見マラニック

この日曜日、ラン仲間のKさんHさんと奈良お花見マラニックに出かけた。以前は吉野山まで往復40キロ強を走ったりしたものだが、さすがにもうそんな元気はなく、奈良市内のほぼフラットな16キロほどのコースを、満開となった桜を愛でながら走るという、かつてなくユル~いマラニックとなった。

平城宮跡から鴻池運動公園、東大寺、春日大社、浮御堂などを回ったが、とりわけ桜が見事だったのが鴻池陸上競技場(ならでんフィールド)付近だった。競技場裏手の小高い丘の斜面に植わった桜がちょうど満開で、水平にも垂直にも連なった桜は、どこか吉野山のような風情である。

Ts3r0030

確かこの付近に奈良地方気象台があって、ソメイヨシノの標本木もこの辺りのどれかなのだと思っていたが、帰ってから調べてみると、昨年3月に気象台は西紀寺町に移転していて、現在の標本木もその付近にあるそうだ。開花、満開の時期が先代に近い木を選んだということである。

ところで、先月末から腰痛に見舞われていて、回復の兆しが見られない。しばらくは大人しくしていようかと思っている。

4月1日 LSD16キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018/03/25

風評被害?

昨日はおよそ4か月ぶりに吉野LSDに行って来た。左足指のケガで昨年12月から1か月半走れず、再開してからも調子をみながら徐々に距離を伸ばしていったためだ。おかげで降雪時期に峠道を走らずに済んだとも言えるが。

折り返し点の吉野駅前では、1年で最も賑わう花見シーズンを前に、準備に余念がない様子だった。いつも利用する近藤商店さんでも、沢山の土産物を仕入れて店先に並べている最中だった。

ところで、この吉野駅前から下千本へ登る吉野ロープウェイが、設備故障のためこの花見シーズンも営業再開できないことになった。そのため、観光客は代行バスを利用するか、「七曲がり」と呼ばれる坂道(舗装路)を徒歩で上がることになる。

Ts3r0021

しかし、世上このロープウェイに乗らないと花見に行けないかのような誤解があり、ニュース等で営業休止が報じられることにより、花見客が敬遠してしまう恐れがある。近藤商店の女将さんもそのことを心配していた。実際にはロープウェイは僅か3分ほど、徒歩でも15分程度の距離なので、これは一種の風評被害と言えるかもしれない。

もうひとつよくある誤解は、このロープウェイは近鉄の子会社か何かと思われていることだ。近鉄特急とよく似た車体塗装がなされているのも一因だが、実際には吉野大峰ケーブル自動車という地元資本の小さな会社が運営している。近鉄との資本関係はない。

3月24日 LSD40キロ

| | コメント (5) | トラックバック (0)

2018/01/18

ラン再開

約1か月半ぶりにランニングを再開した。左足指のケガが予想以上に長引き、年明けからの予定がずれ込んでしまった。まだ僅かに痛みが残るものの、ランニングにはさほど影響はなく、年明けから走っても問題なかったようだ。あくまで結果論だが。

天候の関係で月曜火曜と続けて10キロのジョグをしたのだが、どうしたことか結構ひどい筋肉痛になってしまった。以前、足底腱膜炎で2か月休んだ後はそんなことはなかったのに。家人は「翌日に筋肉痛ならまだ若い」と言ってくれたが、やはり全般的に体力が低下しているのは間違いないだろう。(泣)

1月16、18日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/11/30

祝、600回!

昨日、芋ケ峠頂上までの往復コースを走った。これで、1999年に初めて走って以来、600回目の節目となった。実際には、吉野まで往復したときなど1日に2回通過することもあったが、それは1回とカウントしているので、正確には600日目ということになろうか。

年ごとの回数は次のとおり。ここ最近で回数が増えたのは、過去の記録を整理したことで、600回到達が視野に入ってきたためだ(笑)。さて、年20回ペースであと20年走ると1000回到達となるが、さすがにちょっと厳しいだろう。

Photo_5
11月29日 LSD20キロ
月間走行  200キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/11/12

高砂線廃線ラン

旧国鉄高砂線(加古川~高砂港間約8.0キロ)は、もともと播州鉄道が高砂港からの物資輸送を目的に大正2年に開業した路線で、その後、播丹鉄道を経て昭和18年に国有化され、国鉄高砂線となったものである。しかし、旅客需要は山陽電鉄や神姫バスに奪われて低迷し、沿線にあった国鉄高砂工場の廃止と第二加古川橋梁の老朽化が決定打となり、昭和59年11月末をもって廃止となった。廃線跡は大部分が道路に転用されている。

起点の加古川駅からスタート。ただし、ここから南西に向かう路線であるにもかかわらず、北東方向へ向かう加古川線と一旦並走してから東に分岐、やがて山陽本線を南へオーバークロスしていた。これは、高砂線がもともと国鉄ではなく播州鉄道の路線で、同じ会社の加古川線と接続させたためであろう。

左が現在は高架化された加古川線谷川方、右は山陽本線神戸方である。

Ts3r0039

加古川線から高砂線が分岐していたと思われる箇所、その方向にコンクリート橋梁の一部のようなものがあった。高砂線の遺構かもしれない。

Ts3r0040

その先は真新しい住宅が建っているが、一部に空き地を残している。

Ts3r0042

その先では線路のカーブに沿って新しい住宅が建ち並び、庭先の車はまるでゲートインした競走馬を連想させる(笑)。往時はこの付近から築堤となって、まだ高架化されていなかった山陽本線を越えていた。

Ts3r0043

山陽本線を越えると道路転用された部分に入り、左手に加古川グリーンシティのマンション群を見ながら進む。

Ts3r0044

間もなく野口駅跡に到着。駅名標のレプリカと台車が置かれている。加古川市役所のまん前にあり、それなりに旅客需要はあったのではないかと思われる。

Ts3r0036

さらに進むと、国道250号と交差する手前の鶴林寺駅跡を経て、別府鉄道同様、山陽新幹線と山陽電鉄を連続してアンダークロスする。山陽電鉄尾上の松架道橋は、レンガ造りの当時の姿をとどめている。

Ts3r0046

この先に尾上駅跡があり、駅名碑と車輪が置かれている。並行する山陽電鉄の尾上の松駅も、かつてはこの付近にあったそうだ。

Ts3r0051

やがて廃線跡は未舗装のままとなり、一部は近隣住民が家庭菜園として利用しているようだ。

Ts3r0055

小規模な川を渡る橋梁が3箇所ほど残っており、今回の廃線ランでは最も廃線らしい風景に出会った。

Ts3r0057

折角なので築堤を下り、赤茶色の錆だらけの鉄橋をしばらく眺めた。

Ts3r0059

残念ながら、山陽電鉄と並行して加古川を渡っていた第二加古川橋梁は既になく、泳いで渡るわけにもいかないので(笑)、約600メートル下流の県道相生橋まで迂回せざるを得ない。

Ts3r0063

再び廃線跡に復帰、しばらくすると高砂北口駅跡である。現在は駐輪場として利用されているが、線路跡に沿って建ち並んだ建物が当時の風情を残している。

Ts3r0067

その先に国鉄高砂工場などへの引込線との分岐点があり、転轍機と腕木式信号機が残されていた。

Ts3r0071_4

Ts3r0073_2

間もなく高砂駅跡に到着。ここにも車輪が置かれている。

Ts3r0083

時代に取り残されたような駅前商店街のアーケードが、何とも言えない哀愁を漂わせている。

Ts3r0081_2

こちらはもっと凄い。梅ケ枝湯という銭湯だが、いまだに薪で焚いているそうで、ほとんど文化財的価値がある。経営者は…きっと湯婆婆に違いない。(笑)

Ts3r0074

高砂神社付近をさらに高砂港駅跡に向けて進む。

Ts3r0086

殺風景な工場地帯.の中を進むと、やがて高砂港岸壁に到達する。この付近に高砂港駅があったそうだが、現在は広大なセメント工場の一部となっている。

Ts3r0089

廃線ランはここで終了。高砂神社前バス停まで戻り、加古川駅前行きバスを待っていたら、鳥居の下で七五三の晴れ着を着た子供が、家族とともに写真に納まっていた。

11月10、12日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/11/09

別府鉄道廃線ラン

先日、兵庫県加古川市を走っていた別府(べふ)鉄道の廃線跡を走った。8月にラン友&飲み友の四代目さんに教えてもらった路線である。あわせて、別府鉄道と接続していた旧国鉄高砂線跡も走ったが、それは便宜上別の記事としたい。

別府鉄道は、親会社の多木製肥所(現多木化学)の肥料製品を積み出すための鉄道として、大正10年に野口線(野口~別府港間約3.7キロ、野口で旧国鉄高砂線と接続)、同12年に土山線(別府港~土山間約4.1キロ、土山でJR山陽本線と接続)が開業した。旅客輸送も行って地域住民の足として親しまれていたが、1980年代に入って旧国鉄の貨物営業縮小の影響を受け、主目的の貨物輸送が出来なくなったことから、昭和59年1月末をもって両路線とも廃止となった。廃線跡は大半が遊歩道に転用されている。自転車も通行可能だが、そもそも距離が短い上に随所にバリアが設けられ、サイクリングロードとしては適しない。

全体をなるべく「一筆書き」で走るため、両路線の起終点と逆順になるが、JR土山駅前からスタート。11月とは思えないたっぷりの陽射しが有難い。駅のすぐ北側から、廃線跡を利用した遊歩道「であいのみち」が始まっている。安心して歩けるせいか、子供連れや高齢者の姿が目立つ。

Ts3r0004

やがて大中遺跡公園に入ると、播磨町郷土資料館の裏にディーゼル機関車DC302と客車ハフ5が静態保存されている。残念ながらこの日は資料館の休館日だったため、中に立ち入ることは出来なかった。

Ts3r0007

公園を出ると道路転用部分に入る。川崎車輌工場前信号所があった辺りに、貨車ワ124が野ざらし状態で置かれている。ただ、塗装をやり直したのか、黒光りする車体は健在である。

Ts3r0011

国道250号明姫幹線と交差する場所には中野駅があったが、今は何の痕跡もない。やがて山陽新幹線および山陽電鉄をアンダークロスする。山陽電鉄のガードは単線分の幅しかなく、車はお互いに道を譲り合って通行している。

Ts3r0014

この先で線路は左にカーブして野口線跡と合流、しばらく南下すると別府港駅跡に到着する。今も不動産管理会社として存続する別府鉄道の本社があり、タクシー部門が独立した別府タクシーの営業所と車庫もあった。社章は親会社の多木グループ共通で、いかにも肥料会社らしく、鍬(すき)を交差させた形になっている。

Ts3r0015

再び北上し、今度は野口線の廃線を走る。こちらはほぼ全線が「松風こみち」として整備されている。沿道には松が植えられ、100メートル毎に距離表示もなされている。高架の山陽電鉄別府駅ホームをアンダークロスした先が別府口駅跡である。

Ts3r0018

坂井駅跡の手前、踏切があった場所にはレールの跡が残る。

Ts3r0023

円長寺駅跡を過ぎたところにある公園に、昭和6年製のガソリン車キハ2が静態保存されている。前後に荷台を装備した車輌は全国的にも珍しいという。

Ts3r0026

藤原製作所前駅跡を経て、別府川を渡る鉄橋が今なお現役として活躍している。

Ts3r0032

間もなく野口駅跡に到着、これで別府鉄道全線踏破である。旧国鉄側のモニュメントがあったが、これは別記事で。一旦、最短距離で加古川駅まで走り、駅前で昼食をとる。

11月8日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/15

北陸本線旧線ラン

13日、北陸本線の直江津-浦本間の旧線跡を走った。明治時代に開通した北陸本線のこの区間では、特殊な地質条件から地滑り災害が多発したため、内陸側を長いトンネルで抜ける新ルートに変更されることになった。多くの破砕帯に遭遇するなど建設工事は難航したが、新線は昭和44年に開通、海岸沿いの旧線は廃線となった。

旧線跡の大部分は昭和52年に久比岐自転車道(正式名称「一般県道上越糸魚川自転車道線」、全長約32キロ)として整備され、日本海を一望する風光明媚な自転車歩行者専用道路となっている。今年は開通40周年ということで、先月には記念フェスティバルが開催されたようである。

朝方まで雨が降り続いていたが、直江津のホテルを出発する頃にはちょうど上がってくれた。自転車道の直江津側スタート地点、郷津(ごうづ)までは路線バスを利用。乗客は自分一人だった。日本海の荒波の音を聞きながら、午前9時前にスタート。

Ts3r0005

間もなく、フィッシングセンター(左側の黄色い桟橋)があり、この付近に旧郷津駅があったと思われる。

Ts3r0006

約2キロの地点で現行線と合流すると、まもなく谷浜駅である。歩道橋の左に構内跨線橋が見える。

Ts3r0007

谷浜駅を過ぎて間もなく現行線と別れ、長浜トンネルに入る。

Ts3r0009

桑取川を横断していたレンガの橋脚跡が残る。右奥は現行線のトンネル。

Ts3r0010

再び現行線と合流、線路下ではレンガの小さな橋脚が今も現役で活躍中である。

Ts3r0012

有間川駅の先で再び現行線と別れて海岸沿いを走り、いくつかのトンネルを潜る。不動滝など大小いくつもの滝や湧水が随所に見られ、付近の地盤が軟弱なのも頷ける。また、大きな波が打ち寄せる海岸近くでは、サーフィンに興じる人々の姿も見える。

Ts3r0016

名立(なだち)の集落を過ぎてしばらくすると、上越市から糸魚川市に入る。次第に視界が開けてきて、水平線まではっきりと見えるようになった。天気が良ければ能登半島や佐渡島を望むことも出来るそうだ。

Ts3r0023

筒石の集落に入ると、橋脚跡に何と保育園が建っている。

Ts3r0026

能生(のう)集落に入る手前にトットコ岩がある。地元の言葉でニワトリを意味する「トットコ」が、餌を啄んでいるように見えるところから名づけられ、岩の上には祠が置かれている。

Ts3r0033

ちょうど昼どきになったので、道の駅マリンドリーム能生で昼食休憩を取る。申し遅れたが、今回の旅行は家内と一緒で、後のバスでここまで来た家内と合流して、残り10キロ強は一緒に走ることにしていたのだ。

Ts3r0036

能生の役場前に旧能生駅跡の記念碑、338キロポスト、「工」印の境界杭があった。

Ts3r0038

木浦(このうら)川を渡ると、西性寺の大きな瓦屋根が見える。この辺りでは黒光りするような瓦を多く見かけたが、雪の多い気象条件と何か関係がありそうだ。

Ts3r0039

海岸沿いに、いかにも廃線跡という光景が続く。

Ts3r0040

浦本駅付近で現行線と再び合流する。旧線跡はここまでで、廃線ランとしては終了であるが、自転車道は海岸の堤防沿いにさらに2キロほど続く。帰りの列車の時刻までまだ時間があるので、のんびり歩いて時間調整することにした。15時半に無事ゴール。

Ts3r0044

ここから、国道8号沿いに梶屋敷駅まで歩き、日本海ひすいラインで直江津まで引き返す。キハ122形ディーゼルカーがたった1両、長いホームの真ん中に発着、北陸本線の電化複線線路を行くありさまは一種異様である。

新幹線開通とともに並行在来線は第3セクターに移行する宿命だが、本数も少なく地元民の足としてはかなり不便になったのではないだろうか。ICカード対応するだけの余裕もないようで、車掌に整理券を渡して現金で支払うシステムだ。「車内補充券」を貰ったのはいったい何年ぶりだろうか。(苦笑)

Ts3r0048

10月13日 LSD31キロ
10月15日 ジョグ10キロ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/09/22

奥明日香天空展望台

なるものが最近出来ていて、芋ケ峠の手前にも案内が出ている。以前から気になっていたが、ついに昨日、現地まで走って行ってみた。栢森集落から東へ。急な山道を喘ぎなら登って行くと、入谷(にゅうだに)という集落があり、その外れの大仁保神社の境内にそれはあった。

Ts3r0033_2

標高450メートル。芋ケ峠の頂上が大体500メートルだから(年々高くなっているという説もあるが・笑)、それよりは若干低いけれども、金剛、葛城方面を一望する眺めは抜群である。無料の望遠鏡を覗いてみたら、二上山の向こうに大阪平野や六甲の山並みが望め、あべのハルカスと思われるビルがぼんやりと見えていた。

Ts3r0031

なお、手前に駐車場はあるが、そこから750メートルほどの急坂を徒歩で上がることになるので、訪れる人は少ないと思われる。また、入口には獣対策のフェンスが張られている。最初は「ここまで走ってきたのに閉鎖なのか」と落胆しかけたが、施錠はされておらず、各自でチェーンを外して入ることが出来る。

入谷から栢森に下りて来ると、秋分の日を予告するように彼岸花が咲き始めていた。

Ts3r0035

9月21日 LSD20キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

より以前の記事一覧