2017/01/18

ウェストポーチを新調

これもビフォーアフターネタである。LSDや街道走りなどに欠かせないウェストポーチを買い替えた。これまで使っていたランナーズのポーチが随分くたびれてきて、ついにファスナーの一部が本体から剥がれてしまった。いつ購入したのか記録がないが、おそらく前世紀から使っていたものと思われる。(苦笑)

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まず、ランナーズの通販サイトを覗いてみたが、驚いたことにボトルを収納できる商品が全くないのだ。ランナーの意見を反映した商品というのがウリだったのに、これは一体どうしたわけだろう。

ということで、アマゾンのサイトで検索してみたら、安くて良さそうな商品が数多くヒットした。これならランナーズが撤退するのも無理ないかもしれない。評判などを参考にチョイスしたのが、アスフィニティーという聞いたこともないブランドの商品。お値段は1970円である。

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ファスナー付きのポケットが大小4つもあり、ボトルホルダーはベルトで固定できる。サイズは結構大きいけれど、素材のせいか意外に軽く感じる。先日のLSDで早速使ってみたところ、身体へのフィット感を含めて、なかなか使い心地は良かった。あとは耐久性が問題だが、以前のように頻繁に使わないので、当分の間はこれで足りるだろう。

1月17日 ジョグ10キロ

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2016/11/22

耶馬溪鉄道廃線ラン(後半)

耶馬トピアでの昼食休憩を終えて再び廃線跡に戻る途中、羅漢寺橋が見えた。先の耶馬溪橋に比べ、アーチが長くてゆったりしている。

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国道212号に戻り、先ほど一旦折り返した地点から廃線ランを再開。その付近の羅漢寺駅、その先で国道から分岐してしばらく行った冠石野(かぶしの)駅ともに、痕跡はほぼ何もない。やがて左手の山国川対岸に巨大な岩山が見えて来た。

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案内板によれば、「約200年前に一夜轟然と大音響を発して巌腹崩落して今日の景をなした」といい、道行く人々が自然と立ち止まって眺めるので、「立留りの景」というそうだ。

間もなく耶馬渓平田駅。ここはプラットフォームがそのまま残り、トイレも設置されていた。

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この近くに馬溪橋があるので、少しコースから外れて見に行く。先の2つと合わせて、耶馬三名橋というそうだ。

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再び廃線跡に戻り、しばらく単調な行程が続くが、途中紅葉がきれいな場所があった。

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その先の対岸の山頂に巨岩が聳え立っている。酔仙巌というそうだ。写真では分かりにくいが、今にも転がり落ちて来そうに見えた。

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津民(つたみ)駅の先で第二山国川橋梁を渡る。ここを1両のディーゼルカーがのんびりと渡っていた当時の様子が想像できる風景だ。

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やがて、耶鉄柿坂駅の手前、市役所支所の裏辺りに、また紅葉が大変見事な場所があった。折角だからやや大きめのサイズでアップロード。(笑)

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この先の第三橋梁は既に失われているが、対岸に渡った地点にご覧のようなモニュメントが置かれていた。昭和4年に1067ミリに改軌されるまでの762ミリゲージの線路をかたどってある。

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この先でトンネルが5つ連続するが、第二トンネル内に湧き水があった。飲んでみたらとてもまろやかな味で、自販機もない区間なので非常に助かった。

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次の下郷駅に到着。ここもホーム、駅舎が保存され、トイレもあった。ベンチでしばし休憩する。

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間もなく第四橋梁を渡る。橋の上から橋の写真は撮れない道理で、身体を乗り出して撮るのが精一杯だった。

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次の江渕駅を過ぎると、切通しになっている箇所があった。トンネルで抜くほどの高さではないためだろう。

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一ツ戸の景。独特な山容が目を惹く。逆光で見づらかったが、紅葉と緑の対比が美しい。

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中摩(なかま)駅を過ぎ、田畑の中の真直ぐな軌道跡をひたすら進むと、次の白地(しらじ)駅に到着。いかなる経緯によるものか、プラットフォーム上に住宅が建ち、人が住んでいる。

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次の宇曽(うそ)駅は全く痕跡がないが、ふと「真坂→宇曽」というキップがあったら面白いだろうなと思った。その先の左手にまた湧き水があり、続いて落差5、6メートルはあろうかという滝がひっそりと流れ落ちていた。

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ようやく終点守実温泉駅に近づいてきた。現在はコアやまくになる公共施設が建っていて、当時の面影は全く失われている。写真中央は展望タワーだそうだが、最初はゴミ焼却場か消防署かと思った。(笑)

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コアやまくにで先に着いていた家内と合流する。その先の守実温泉駅があった辺りは現在、商工会館やバス停として利用されている。これで廃線ランは無事終了。途中まで貸切り状態の路線バスで中津駅前まで引き返した。

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11月22日 ジョグ10キロ

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2016/11/20

耶馬溪鉄道廃線ラン(前半)

先週、耶馬溪鉄道の廃線跡を走って来た。かなり以前にその存在を知って以来、いつか紅葉の時期に合わせて走ろうと考えていたものだ。

大分県の中津-守実(もりざね)温泉間約36キロを結ぶ耶馬渓鉄道(耶鉄)は大正2年に部分開業、同13年に全線開通した。沿線に青の洞門、羅漢寺、守実温泉などの観光地を有し、また戦時中には軍需工場への引込線も敷かれて、昭和19年には300万人の乗客数を記録したという。

しかし、御多分に漏れず1970年代以降は沿線の過疎化、道路網の整備などにより利用客が減少。中津駅の高架化に伴う費用負担を求められたことから、バス転換の方針が打ち出され、昭和50年9月末をもって廃止となった。

廃線跡は県道411号中津山国自転車道線、通称メイプル耶馬渓サイクリングロードとして整備され、中津駅付近の一部を除いて、ほぼ当時の線路の痕跡を辿ることが可能である。

15日午前9時半に中津駅前をスタート。

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耶鉄の線路の痕跡は全く残っていないが、JR日豊本線とドラッグストアの間の細い道がそうかもしれない。

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国道213号と交差する地点から先は、県道675号の歩道部分として廃線跡が真っ直ぐに伸びている。

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最初の古城(こじょう)駅があった場所には記念碑が建てられている。

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古城駅は昭和19年に廃止され、代わって約500メートル先に八幡前(はちまんまえ)駅が開業した。現在は同名のバス停になっていて、ちょうど昨夜来の雨がまた一頻り降り始めたので臨時停車させてもらった。

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大貞(おおさだ)公園駅付近で一旦県道から別れるものの、駅の痕跡は全く見当たらない。国道10号中津バイパスを渡った先に上ノ原駅、東九州自動車道の高架手前に諫山(いさやま)駅があったが、これらもほとんど痕跡を残していない。

単調な道をひたすら進んでいると、家内から電話がかかってきた。申し遅れたが、今回は結婚30周年記念を兼ねて夫婦で旅行していて、家内は路線バスで先回りし、レンタサイクルで途中から合流する計画をしていたのだ。

しかし、聞けばサイクリングターミナルが定休日で、自転車を借りることが出来ないとのこと。想定外の出来事に頭が真っ白になりかけたが、仕方なく家内は徒歩で終点を目指し、そこで落ち合うことにした。気を取り直して再び走り始め、次の駅名がなんと真坂(まさか)駅というから、話が出来すぎている。(苦笑)

その先、国道212号(日田往還)を越える手前で県道から分岐して、ようやく鉄道廃線らしい光景が現れた。

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国道を越えたところに野路(のじ)駅がある。プラットフォームは物置にされてしまっているが、当時の駅付近の写真が掲示されていた(写真右下)。

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間もなく、最初のトンネルである厚ケ瀬トンネルに差し掛かる。補修工事が行なわれていて、粉塵が飛んでいるので立ち止まらないよう言われた。県が設置したサイクリングロードである以上、安全のためメンテナンスが欠かせないのだ。この先でも何箇所か工事が行なわれていた。

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いかにも山あいを縫うように進む鉄道らしい光景だ。

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トンネルを抜けると左側に用水路の痕跡のようなものがある。水の洞門といい、実際、昭和56年まで約300年に亘って農業用水として使われていたそうで、青の洞門を掘った禅海もこれを手本にしたという。

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その先で国道212号に合流し、洞門駅のあった辺りの集落を抜けると、鉄路は第一山国川橋梁を渡るが、少し下流側に別の橋を望むことが出来る。大正年間に造られた耶馬渓橋で、長崎県に多い石積方式によることから、オランダ橋とも呼ばれている。

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反対の上流側の右岸には青の洞門があり、折角なので是非見ておきたい。一旦橋を渡って左岸の国道に沿った廃線ルートを少し先まで進んでから引き返し、再び橋を渡って今度は洞門の中を通り抜けていくことにする。走行距離が約2キロ増えるが、線路跡を可能な限り辿るのが廃線ランというものだ。

左岸側から見た洞門の外観。

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洞門の内部。明治時代の拡幅工事で元の隧道はほとんど原形をとどめないが、一部に禅海の手掘りの跡が残っている。

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禅海の像。小説『恩讐の彼方に』は敵討を絡めた感動的な物語だが、それはあくまで菊池寛の創作であって、実際には第1期工事完成後は通行料を徴収して工事資金に充てるなど、結構ビジネスライクに事業が進んだようである。

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その先の競秀峰(きょうしゅうほう)。9つの岩峰が競い合っているように見えるのがその名の由来という。

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この辺りで正午を過ぎたので、近くの道の駅耶馬トピアで蕎麦を頂く。田舎風の少し太めの麺で素朴な味わいだった。

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後半に続く。

11月20日 ジョグ10キロ

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2016/10/09

何をいまさら五本指

先日、ユニクロのバーゲン品で五本指ソックスを買った。2足セットで税別790円。昔はランナーズの通販で買ったのをレース用に使ったものだが、確か1足2000円弱だった。ユニクロなら優に4足は買える計算になる。まさにユニクロ万歳!である。

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何をいまさらの五本指だが、同じユニクロのショートソックスはあまりに短く、踵がシューズと擦れて出血することがあったので、代わりを探していたのだ。これなら大丈夫だろう。早速、一昨日久々に吉野LSDに行った際に使ったが、足指部分の脱ぎ着がやや面倒な以外、使用感は良好である。

それにしても、以前は午前中だけでサクっと行っていた吉野がはるか遠くなってしまった。昼前に家を出て、帰るともう日が暮れている。復路では何度も休憩を入れないと、股関節が固まって動かなくなる始末だ。身体への負担を考えて夏場は避けていたツケかもしれないが、改めて体力の衰えを痛感した。

10月7日 LSD40キロ
10月9日 ジョグ10キロ

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2016/07/19

湧網線(東線)廃線ラン

今回の北海道旅行の主たる目的は湧網線(東線)の廃線ランである。以前、サロマ湖ウルトラマラソンからの帰り道にその存在を知って以来、いつかは走ってみたいと思っていたのだ。

中湧別-網走間を結ぶ湧網線は昭和28年に全線開通した。昭和7年の着工から数えて、太平洋戦争による中断を挟んで実に21年もかかっている。ブラームスの第1交響曲にも匹敵する(?)長年に亘る努力の成果なのだ。

それにもかかわらず、御多分にもれず沿線の過疎化とモータリゼーションの進展により利用客が減少し、国鉄民営化直前の昭和62年3月19日をもって全線廃止となったものである。

そのうち常呂-網走間約31キロの湧網東線は、大部分がオホーツクサイクリングロードとして整備されていて、私が走った前の週末には、ここをコースの一部とするサイクリング大会が開催されたそうだ。ただ、この日は雨のせいもあって、網走付近でディスタンスチャレンジのランナー数人に出会った以外、コース上で1台の自転車も1人のランナーも見かけなかった。

常呂町内、ウルトラマラソンのフィニッシュ地点近くの道路脇から網走に向けてスタート。ここから画面手前の中湧別方は既に廃線跡は失われ、途中何箇所かで駅舎などの遺構を残すのみとなっているようだ。

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間もなく常呂駅跡の常呂交通ターミナルに到着。現在は鉄道代替のバス路線が運行され、その停留所として利用されている。以前は船のような形をしていたと思うが、建て替えられたのだろう。清潔なトイレや飲料自販機があって助かった。

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この先、サイクリングロードは一旦国道238号に合流する設定となっているが、自分は常呂漁港のある海岸沿いの集落内を走る。こちらが本来の廃線跡に近いからで、高台を走る国道まで上がるのがイヤだったからではない。(笑)

集落を出たところでようやく本来の廃線跡に入る。「天に続く道」同様、はるか彼方まで直線道路が伸びていて、一瞬気が遠くなる。(苦笑)

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いかにも北海道という風景の中をひたすら走り続ける。

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やがて、次の能取(のとろ)駅跡に到着。ホーム跡が残っているのは、ここと卯原内(うばらない)の2駅のみで、それ以外は駅の位置すら確認できなかった。

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この先、左手に能取湖を望む区間に入るが、単調な景色が続く上に、次第に雨が激しくなり、やや辛いものがあった。遠くて写真は撮れなかったが、サギの仲間と思われる水鳥が干潟で羽を休めているのが見えた。

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能取湖を西岸沿いに約半周して、ようやく卯原内駅跡に到着。付近は鉄道記念公園として整備され、9600形蒸気機関車とオハ47形客車1両が静態保存されていた。

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ただ、鉄道記念館の建物内は無人で、2階の展示スペースにも鍵がかかっていた。来訪者があまりに少なく、実質的に閉鎖されているのだろう。

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やがて能取湖に別れを告げ、二見ケ岡という低い峠を越えると、今後は右手に網走湖が見えてくる。国道238号を越える湖眺橋(こちょうばし)の上から網走湖を望む。

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間もなく網走川を渡って網走市街に入る。レンガ風の欄干は多分刑務所をイメージしたものだろう。この橋を渡ったところ大曲駐輪場があり、自転車専用道としてはそこまでだが、廃鉄ファンとしては更に網走方に進む。

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石北本線との合流点付近。優雅にカーブする道が明らかに廃線跡と分かる。写真右手から左奥にかけての山裾を石北本線が走っていて、湧網線はこれに合流する形で網走に向かっていた。合流点には大曲仮乗降場があったそうだが、その痕跡は全くない。

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この後は国道39号の歩道を走って終点網走駅に到着。レンガの壁といい「網走駅」の字体といい、まるで刑務所である。(苦笑)

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あいにく雨に祟られたが、念願の廃線ランを果たすことができ、今回の旅行のハイライトが無事終了した。

7月17、19日 ジョグ10キロ

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2016/04/12

吉野お花見LSD

この記事を書く前に数えてみたら、吉野お花見LSDは今年で15回目となるのだった。以前は最大20名の参加者を引率して混雑した吉野山を巡り、麓の温泉まで案内して一服してもらい、事前に予約した近鉄特急に間に合わせるという、今から思えば危ない橋を次々に渡るような企画を実行したものだが、さすがに近年は小人数で行くことが多くなった。

今年もいつものメンバー3人とこぢんまり楽しんできた。下千本、中千本が散り始め、上千本が満開というタイミングだったが、最高の見頃は少し過ぎていたのだろうか。お気に入りの絶景ポイントの桜も、心なしか色褪せて感じられた。年々、樹の勢いが弱くなっているのかもしれない。

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ただ、お花見もさることながら、LSDとしての練習効果は抜群だった。なにせ同行者はこの先、萩往還や富士登山に参加するツワモノたち。往復の峠道で俄然スイッチが入った彼らについていくのに必死だった。おかげで久々に心拍数を上げた練習ができたが、単に自分の走力が落ちただけなのかもしれない。(苦笑)

4月10日 LSD45キロ
4月12日 ジョグ10キロ

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2016/01/02

箱根駅伝

往路の実況中継を最初から最後までちゃんと観たのは実は初めてだった。動機はやや不純で(笑)、昨年秋に走った旧東海道の風景を再確認したかったからだ。一部、別ルートを通る箇所はあるものの、大半は旧東海道に沿ってランナーたちが駆け抜ける。

確かにその通りなのだが、よく考えると画面は当然ランナーたちの正面アップが中心で、カメラは進行方向の後方に向けられている。自分の覚えている風景とは逆方向になるのだ。明日の復路ではそれは解消されるが、今度は巻き戻し再生状態になる。

走者を追走するバイクなどから前方を撮影すれば、実際に走っているランナーの気分が味わえていいと思うのだが、そういうアングルの映像は少なかった。

1月2日 ジョグ10キロ

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2015/12/31

走り納め

今日は大晦日恒例の走り納めで、芋ケ峠まで往復のLSD。BGMは1986年録音のヴァント指揮NDR響の第九である。終楽章の歓喜の主題の裏で吹くファゴットはソロのはずだが、第2ファゴットも重なっていたので驚いた。調べてみたら、コントラバスのパートを吹くよう、ベートーヴェンの自筆譜には書いてあったらしい。びっくりぽんや。(笑)

これまた恒例の今年の回顧で締める。今年も何だかんだあったのだなあ。

 3月 篠山マラソンDNS、前年の大阪マラソンが最後のレースとなる
     筑波鉄道廃線跡を走る
     ブログ開設10周年
 4月 息子社会人となる
     タブレットを購入、ガラケーとの2台持ちとなる
 5月 西国街道を走る
     片上鉄道廃線跡を走る
 6月 大仏鉄道廃線跡を走る
 7月 足底腱膜炎発症のため2か月間休養
 8月 昼食抜き1日2食生活を開始
10月 東海道を走る(第1回日本橋―小田原)
     下津井電鉄廃線跡を走る
11月 車を買い替え

皆様、よいお年を!

12月28、29日 ジョグ10キロ
12月31日    LSD20キロ
月間走行     210キロ
年間走行     1755キロ

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2015/11/24

私家版ランナーズ・ダイアリー

これまでずっと雑誌『ランナーズ』付録のランナーズ・ダイアリーを使ってきたが、最近では練習内容といってもジョグかLSDのみ。あとは日々の体重を記録するだけになってしまった。それぐらいなら、わざわざ付録目当てに新年号だけ買って、本誌は読まずに捨てるというのはいかにももったいない。

ということで一念発起(というほどのものではないが)、私家版ダイアリーをエクセルで自作してみた。

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月間走行距離は都度自動計算され、体重もグラフ表示されるので大変分かりやすい。もっと早くやっておくべきだった。(笑)

11月24日 ジョグ10キロ

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2015/10/30

下津井電鉄廃線ラン

一昨日、岡山県の下津井電鉄の廃線跡を走った。同県内の廃線跡は片上鉄道に続いて2箇所目の訪問となるが、ここも片上と同様サイクリングロードとして整備されている。県民に鉄ちゃんが多いのだろうか。(笑)

下津井電鉄は岡山県倉敷市茶屋町から同下津井までの21キロを結んで大正3年に全線開業した。昔から金比羅参りの参詣客などが下津井から船で丸亀に渡っていたが、明治の末に国鉄宇野線が全通、宇野―高松間で連絡船の運航が始まると、下津井―丸亀航路の利用客は激減した。そのため、下津井ルートの旅行客を取り戻すべく、地元の有力者らが発起人となって、下津井から宇野線に接続する軽便鉄道路線を建設したのである。

戦後は電化され、昭和30年代には全盛期を迎えたが、その後はバス路線との競合などで利用者は減少し、昭和47年に茶屋町―児島間が廃止となった。さらに、瀬戸大橋線の開通が決定打となって、平成2年末をもって残る児島―下津井間も廃止された。

快晴に恵まれた10月28日正午過ぎにJR茶屋町駅付近からスタート。下津井電鉄の駅跡は全く痕跡をとどめていない。

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自転車道の起点。軌間762ミリのナローゲージだったせいか、自転車道としてはやや狭く感じる。起点からの距離が500メートルおきに表示されていたが、なぜか7.5キロ辺りから先は表示がなくなった。設置が面倒くさくなったのだろう。(苦笑)

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最初の天城駅も痕跡をとどめないが、2番目の藤戸駅跡はホームが残る。

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やがて広い県道21号と合流し、瀬戸中央自動車道の水島ICの下を潜る。交通機関の勝者が、敗者を文字通り見下ろしている構図である。

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稗田駅跡。駅舎跡は公園として整備され、近所の老夫婦がのんびり散歩していた。この先には両側が桜並木になっている箇所があり、花見シーズンには賑わうのだろう。役目を終えた鉄路が地元民の憩いの場になっているのは何よりだ。

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まもなく児島駅跡に到着。中に入れるのは週末のみとのことで、入り口のシャッターは閉まっていた。

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ガラス窓から中を覗いてみた。プラットフォームなどの遺構があるようだが、よく分からない。

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実は、茶屋町から電車で先乗りしていた家内とここで待ち合わせていて、この先約6.5キロの区間は二人でのんびりと景色を眺めながら走った。未舗装の箇所が多く、昭和の匂いがしている。2両編成ぐらいの愛らしい電車が踏切を横切る光景が目に浮かぶ。

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阿津駅跡付近では地元の人が両側に花壇を作ってくれている。

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倉敷シティ病院の前も桜並木になっている。入院患者の目の慰めになっていることだろう。

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瀬戸大橋線を潜ると眼下に海が見えてきた。児島競艇の先の琴海(きんかい)駅は、ホームから瀬戸内海を望める絶景の駅だったのだ。

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この先、鷲羽山駅跡付近はかなりの勾配である。戦時中、燃料が不足していた頃は、乗客が降りて押していたそうだ。

鷲羽山駅跡から瀬戸大橋を望む。下電を廃止に追いやり、地域にはほとんど恩恵がないであろうこの巨大な構造物を、地元の人はどんな思いで眺めているだろう。

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16時半前に下津井駅跡に到着。ナローゲージの線路が2本残されている。

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ホーム横の空き地には使用されていた電車が何両か保存されているが、普段は立ち入り禁止のようで近づくことは出来ない。車庫(?)は巨大な温室のような作りだが、屋根が破れてしまって何とも寂しい風景だ。

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廃線ランはここで終わり。この後の行程については稿を改める。

10月26日 ジョグ10キロ
10月28日 LSD21キロ

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