2018/11/11

北陸本線旧線(杉津線)ラン その2

この後、第一観音寺、第二観音寺、曲谷、芦谷、伊良谷、山中と6つのトンネルが連続する区間になる。標高が上がるにつれて霧が濃くなってきて、敦賀湾の眺望も何もあったものではない。直前に分かったのだが、第二観音寺トンネルは平日は工事のため通行止めになっていて、知らずに平日に来ていたらここで引き返す破目になっていた。

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最後の山中トンネルは全長1170メートル。まさにラスボスにふさわしい長さだが、直線かつ平坦なためか信号が設置されていない。しかし、1キロ以上先の対向車が分かるのだろうか。走っている間中、中の暗さもさることながら、自動車が来ないか気が気でなかった。

国境の長いトンネルを抜けると雪国…ではなく、雨が上がっていた。山中峠は嶺南と嶺北の境なのである。康成の小説では続いて、「信号所に汽車が止まった」とあるが、ここにもかつて信号所があった。山中信号所といい、スイッチバックによる列車交換のための施設である。全体の構成は現地看板に解説されている。

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今庄方(A)から登ってきた上り列車は、一旦山中トンネル(D)左側の折り返し線(B)と、有効長延伸のためのトンネルに入る。

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延伸トンネルの中まで入ってみたが、長さはせいぜい数十メートルで、すぐ行きどまりになった。引き返して外を見ると、始まりかけた紅葉がきれいだった。雑誌『ノジュール』の表紙とかに使えそうだ。(笑)

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上り列車は次にバックで今庄方に戻り、高低差の少ない待避線(C)に入って、敦賀方からの下り列車の通過を待つ。右側の下り勾配の県道が本線(A)である。

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待避線の末端部には頑丈そうな雪除けが今も残る。今回では最も廃線らしい光景だ。

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下り列車が山中トンネルを抜けて左の本線(A)へと通過した後、右の待避線にいた上り列車は勢いをつけて山中トンネル(奥)へと向かっていく。

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同じ地点の当時の光景がこちら。ただし、これは下り列車が退避する場合のようである。手前に写る木の切り株らしきものは、現在と同じものだろうか。まさかね。

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単調な一本道を進み、再び北陸自動車道の高架を潜る前に、3番目の大桐駅跡がある。元々スイッチバックのための信号所だったが、地元民の要望を受けて停車場に昇格したものだ。プラットホームが今も残され、D51の動輪などが展示されているのは、それだけ地元に愛されていた証拠である。

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この先の上新道集落に山中峠越えと木ノ芽峠越え、2つの街道の追分(分岐点)があり、解説板が設置されている。ただ、実際の街道はこの廃線跡ではなく、右側の集落の中を通っている。

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やがて南今庄駅付近で北陸本線現在線と合流、一旦離れて県道を進むと、今度は北陸道と北国街道との追分に文政13年の道標が立っている。「右京 つるが王可佐道」「左京  いせ江戸道」などと刻む。「王可佐」は「わかさ」である。おっと、廃線ランだか街道ランだか分からなくなってきた。(笑)

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今庄駅近くで旧線の痕跡と思われる柵を発見。この辺りで現在線(奥に架線が見える)と重なっていたと思われる。

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予定より早く今庄駅前に到着。昼をかなり過ぎていたが、今庄名物の蕎麦で遅い昼食をとる。コリっとした麺が大変美味だった。

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敦賀に戻る電車の時間まで少しあったので、駅裏に展示されているD51機関車を見物。静態保存されている同型機関車の中では、保存状態が極めて良い部類に入るだろう。解説板によれば、かつての今庄は一軒にひとりは国鉄職員がいたという「国鉄ムラ」だったようで、その伝統が残っているのかもしれない。

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2両編成ワンマンカーの普通列車で敦賀まで戻る。北陸トンネル経由でたったの15分だった。隧道碑に記されていたとおり、北陸本線の輸送力を画期的に高めた北陸トンネルの威力を身をもって実感した。

11月10日 ジョグ10キロ

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2018/11/08

北陸本線旧線(杉津線)ラン その1

4日の日曜日、北陸本線敦賀・今庄間の旧線、通称杉津(すいづ)線を走った。この区間の旧線は当時の鉄道の限界と言われた25パーミル(1000分の25)という急勾配が連続し、また最小曲線半径360メートルという難所であった。そのため、米原・富山間の複線電化工事の一環として北陸トンネルが建設され、昭和37年6月の同トンネル開通をもって旧線は廃止となったものである。

旧線跡は国道、県道などに転用され、地元住民の生活道路として活用されている。10箇所のトンネルは当時のままの姿で残り、国の登録有形文化財に指定されている。また、山中信号所付近ではスイッチバックの痕跡を見ることができる。

午前10時前、敦賀駅前をスタート。北陸特有のどんよりした空が広がり、細かい霧雨が降っている。駅舎は以前はもっと寂れた感じだったと記憶するが、最近リニューアルされたようである。

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駅前の市街地を抜けたところで、道路を横切る線路の跡を発見。全くノーマークだったが、後で調べると旧敦賀港線の踏切跡であることが判明した。

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国道476号に入って北陸本線の現在線と並んで走ると、北陸トンネル入り口の近くに北陸隧道碑がある。碑に記された建設経緯の説明文は、淡々とした文体ながらも、鉄道史に残る大事業をやり遂げた誇りを感じさせる。

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旧線跡の国道はここで現在線と分岐し、高架の北陸自動車道を縫うようにして緩やかな登り坂を進んでいく。

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やがて最初のトンネル、樫曲(かしまがり)トンネルが見えてきた。国道が南側に迂回したあとも、古いトンネルが破壊されずに残っているのは喜ばしい。ただ、いかにも後から付けましたというランプ風の照明がやや興醒めではあるが。

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次の獺河内(うそごうち)トンネルは拡幅されて当時の姿をとどめない。国道にはほとんどの所で歩道がなく、この辺りから雨が次第に本降りになってきて、ちょっと辛いものがあった。やがて最初の駅、新保駅跡に到着。道路の向こう側で小高くなったところはスイッチバックの痕跡かもしれない。

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この先で国道から分岐、なおも北陸自動車道と並行する田舎道を行くと、葉原トンネルの入り口が見えてきた。ここにもスイッチバックがあったそうで、左側の小高くなったところがその痕跡かもしれない。

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トンネルは全長979メートル。片道交互通行のため信号が設置されている。当然、自動車の速度を前提に時間設定されているので、人間が走ったのでは間に合わないけれど、幸いこの後のトンネルも含めて、トンネル内で自動車と遭遇することは一度もなかった。

続いて鮒ケ谷トンネル、曽路地谷トンネルを通過。同じような外観なので写真は省略するが、後者はトンネル内に照明がなく、手持ちの小さなLEDライトだけを頼りに走るのはかなり怖かった。

曽路地谷トンネルを抜けるとすぐ、北陸自動車道杉津PAがあり、地道側からも入場することが出来る。地元の従業員のためだろうか。ここが2番目の杉津駅の跡で、眼下には敦賀湾の眺望を楽しむことができる…はずだったが、生憎の雨でまったく何も見えない(泣)。

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しかし、ここ以外にコンビニはおろか、自販機1台もないコースにあって、ほぼ中間点にあるこのSAは貴重なエイドステーションとなった。(続く)

11月6、8日 ジョグ10キロ

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2018/10/10

frun22周年記念飲み会

8日の体育の日はKさんが企画されたfrun22周年記念飲み会に参加した。当時まだパソコン通信だったfrunの発足から22年。私が加入したのは1999年1月の枚方ハーフマラソンだったから、それからでも20年近くが経過したわけである。

当初はタイトルどおり飲み会だけの企画だったのが、一応はランナーの集まりであるからには走らないとダメだと衆議一決。森ノ宮から天王寺まで上町台地周辺を巡り、大阪の歴史に思いを馳せる5キロほどのコースをのんびりと走った。

8月に高橋さんと走った際は、天王寺七坂のうち北側の二つを残していたが、それも今回で完全にカバーできた。写真は源聖寺坂を下っていくところ。先頭集団がいる辺りは往時はもう海だった。

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天王寺駅まで走ってから、銭湯で汗を流し、宴会に突入。阿倍野はいわば地元でありながら、「湯処あべの橋」の存在も知らなければ、宴会場所のハルカスの建物に入ったのも実は初めてという有様である。

まあ、飲めればどこでも同じ。顔なじみのメンバーと大いに飲みかつ語らい、二次会にも繰り出したが、だんだん同じ話の繰り返しと、健康や病気の話題が多くなってきたように思う。それだけメンバーが高齢化したということだろう。大会や記録などの話題で盛り上がっていた頃が懐かしい。

10月8日 ジョグ5キロ
10月9日 ジョグ10キロ

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2018/09/04

ビアガーデンLSD

毎年恒例のビアガーデンLSDは、今年は9月に入ってからの開催となった。一旦7月下旬に決まっていたものの、台風12号の接近などで延期となり、その後も異常な猛暑が続いたことなどから、とうとう9月にズレ込んだものだ。

ランの部は久々に芋っ子メンバー4人揃って、例年どおり若草山周回コースを走ったが、今回は周辺の鹿、特に子鹿の数が異様に多いように思った。「奈良の鹿愛護会」の頭数調査によれば、2013年に148頭だった子鹿の数はその後一貫して増加し、昨年調査では234頭となった。今年の調査結果はまだ出ていないが、更に増えている可能性がある。もしかして、急増する外国人観光客がこぞって鹿せんべいを与えているのも一因だろうか。

ランの後は橿原に移動してBちゃん、Kさんと合流、近鉄百貨店屋上のビアガーデンで冷えたビールを堪能した。昨年の屋内ビアホールもそれはそれで良かったけれど、涼しい風が吹き渡るビアガーデンで、二上山の夕焼けを眺めながら飲むのは最高だ。週明けは台風21号が接近するきわどいタイミングだったが、なんとか開催できて良かった。

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9月2日 LSD15キロ
9月3日 ジョグ10キロ

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2018/08/05

高橋さん迎撃天王寺ラン

昨日は大阪に出張で来られたFRUN高橋さんをお迎えし、KさんAさんの常連2人とともに天王寺界隈を走った。天王寺公園内に「てんしば」という新しい観光スポットがオープンしていて、その中にあるフットサルコートの更衣室がランニングステーションを兼ねているので、そこを拠点として利用した。

16時過ぎスタートとはいえ最高気温37度の猛暑日ということで、メンバーの体調も考慮して、茶臼山から天王寺七坂の口縄坂で折り返す、約4キロの短めのコースを設定した。石段の細い坂道は、まるで京都の東山辺りのような光景で、とても大阪市内とは思えない。付近に数多い寺で修行している僧侶だろうか、和装した背の高い外人男性とすれ違った。

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終了後は阿倍野の明治屋で打ち上げ。以前の迎撃ランでも行ったことがある店で、再開発による立ち退きで一旦閉店したが、新たな場所で営業再開していたのだ。外観のみならず撮影禁止の店内も含めて、古き良き昭和の居酒屋の雰囲気は健在で、昭和のオジサンたちは心ゆくまで飲みかつ語らい、平成最後の夏を満喫したのだった。

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8月4日 ジョグ4キロ

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2018/05/25

鍛冶屋線廃線ラン

昨年走った高砂線と同じく、加古川線の支線であった鍛冶屋線(野村(現西脇市)-鍛冶屋間、13.2キロ)の廃線跡を走った。「支線」と書いたが、沿革からすればむしろ鍛冶屋線の方が本線というべきかもしれない。

Kajiya

旧播州鉄道が大正2年に開通させた加古川-西脇間が、現在の加古川線の前身に当たり、大正12年には西脇から鍛冶屋まで延伸している。しかし、播州鉄道から事業継承した播丹鉄道が、その翌年に野村から谷川まで延伸して福知山線と接続、現在の加古川線が全通したため、野村-鍛冶屋間の方が支線となってしまった。

鍛冶屋線は地場産業である原糸、木材、酒米などの輸送を担ってきたが、戦後のモータリゼーションの進展により輸送需要が低迷。沿線では「カナソ・ハイニノ国」(鍛冶屋から順に駅名の頭文字を繋げたもの)の独立宣言を発するなど利用促進を図ったが、平成2年3月末をもって廃止となったものである。

快晴に恵まれた22日午後、野村(現西脇市)駅前からスタート。加古川線との分岐点となっていた駅であるが、現駅名にもかかわらず西脇市街中心部から離れており、駅舎も比較的小さい。ちなみに駅伝の名門、西脇工業高校はここからすぐ近くである。

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野村駅を出ると間もなく、加古川線(右)と分岐する。直進する鍛冶屋線の方が本来の路線であったことがハッキリ分かる。

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踏切跡には線路の痕跡が今も残る。

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間もなく、西脇駅に到着。駅跡にはアピカという商業ビルやホテルが建っている。ここから先は道路転用され、鉄道の痕跡は全くないが、西脇市と姉妹都市関係にある米国レントン市にちなんで「レントン通り」と称されている。

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加古川の支流、杉原川に沿ってしばらく行くと、市原駅の跡が記念館として整備され、キハ30形気動車2両が展示されている。管理人室に中年男性が2人いたが、案内してくれるでもなく、どこかのラーメン屋の評判話をしていた。

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館内には当時使用されていた鉄道用品が多数展示されている。

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これはタブレット閉塞機といい、単線の行き違いの際に使うタブレットを管理する装置だ。

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この先で道路転用部分は一旦終わり、廃線跡を利用した遊歩道が田んぼの中をまっすぐ伸びている。一部に線路や枕木を模した舗装がなされている。

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途中、文化財発掘工事が行われていて、回り道を余儀なくされた。大正年間の鉄道敷設時はともかく、平成に入った廃線時にも見つからず、今頃になって掘り返すとはちょっと妙な話だが。

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羽安(はやす)駅跡にはおそらく当時のままの駅舎が残る。羽安という駅名は、この付近の羽山と安田の両集落がともに駅名にするよう主張して折り合わず、仕方なく両方から一文字ずつ取ったという。

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この先で再び道路転用部分に入る。西脇市から多可町に入ってすぐ、曽我井という駅があったはずだが、その痕跡は残っていなかった。ただ、付近の歩道の柵には電車のイラストが入っている。鍛冶屋線は非電化だったが。(苦笑)

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さらに進むと、中村町(なかむらまち)駅の跡が「あかね坂公園」として整備されている。この付近は町役場やベルディホールなどもある、多可町の中心部だ。

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この先で再び遊歩道になり、多可赤十字病院手前で杉原川を渡る。鍛冶屋線最大の橋梁である。

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終点の鍛冶屋駅手前には信号用器具箱が残されている。

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鍛冶屋駅舎は鍛冶屋線記念館になっているが、施錠されていて中に入ることは出来なかった。覗いてみたけれど、展示物はあまりないようだった。

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裏にはホームが残され、キハ30形気動車1両が保存されている。

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鍛冶屋線は廃止されたのが平成2年と比較的最近で、廃線跡がよく残っている方ではないかと思う。西脇から鍛冶屋までの延伸に当たっては、地元の人々が用地や資金を提供したという経緯があるようで、そうした事情も反映しているのだろう。

5月24日 ジョグ10キロ

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2018/05/16

サングラスを新調

長年使ってきたサングラス(写真後)の鼻当ての部分がボロボロになったので、ついに買い替えることにした。2005年ボストンマラソンの時にはもう使っていたから、おそらく15年近くは使用してきた。一度鼻当てを紛失して製造元本社まで駆け込んだが、それからでも既に10年以上。レンズ表面にも細かいキズがいくつかあって、さすがにもうお役御免にしてもよいだろう。

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2代目(写真前)は何とユニクロである。別のものを買いに行った際に偶然店頭で見かけて即決したものだ。軽いのに顔面にしっかりホールドし、走っても揺れないところが気に入った。鼻当ては硬めの樹脂製で本体にネジ止めしてあるので、紛失や劣化の心配も少ない。何と言っても1500円というお値段が最大の魅力だ。ユニクロ依存は強まるばかりだ。(苦笑)

5月14、16日 ジョグ10キロ

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2018/04/03

奈良お花見マラニック

この日曜日、ラン仲間のKさんHさんと奈良お花見マラニックに出かけた。以前は吉野山まで往復40キロ強を走ったりしたものだが、さすがにもうそんな元気はなく、奈良市内のほぼフラットな16キロほどのコースを、満開となった桜を愛でながら走るという、かつてなくユル~いマラニックとなった。

平城宮跡から鴻池運動公園、東大寺、春日大社、浮御堂などを回ったが、とりわけ桜が見事だったのが鴻池陸上競技場(ならでんフィールド)付近だった。競技場裏手の小高い丘の斜面に植わった桜がちょうど満開で、水平にも垂直にも連なった桜は、どこか吉野山のような風情である。

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確かこの付近に奈良地方気象台があって、ソメイヨシノの標本木もこの辺りのどれかなのだと思っていたが、帰ってから調べてみると、昨年3月に気象台は西紀寺町に移転していて、現在の標本木もその付近にあるそうだ。開花、満開の時期が先代に近い木を選んだということである。

ところで、先月末から腰痛に見舞われていて、回復の兆しが見られない。しばらくは大人しくしていようかと思っている。

4月1日 LSD16キロ

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2018/03/25

風評被害?

昨日はおよそ4か月ぶりに吉野LSDに行って来た。左足指のケガで昨年12月から1か月半走れず、再開してからも調子をみながら徐々に距離を伸ばしていったためだ。おかげで降雪時期に峠道を走らずに済んだとも言えるが。

折り返し点の吉野駅前では、1年で最も賑わう花見シーズンを前に、準備に余念がない様子だった。いつも利用する近藤商店さんでも、沢山の土産物を仕入れて店先に並べている最中だった。

ところで、この吉野駅前から下千本へ登る吉野ロープウェイが、設備故障のためこの花見シーズンも営業再開できないことになった。そのため、観光客は代行バスを利用するか、「七曲がり」と呼ばれる坂道(舗装路)を徒歩で上がることになる。

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しかし、世上このロープウェイに乗らないと花見に行けないかのような誤解があり、ニュース等で営業休止が報じられることにより、花見客が敬遠してしまう恐れがある。近藤商店の女将さんもそのことを心配していた。実際にはロープウェイは僅か3分ほど、徒歩でも15分程度の距離なので、これは一種の風評被害と言えるかもしれない。

もうひとつよくある誤解は、このロープウェイは近鉄の子会社か何かと思われていることだ。近鉄特急とよく似た車体塗装がなされているのも一因だが、実際には吉野大峰ケーブル自動車という地元資本の小さな会社が運営している。近鉄との資本関係はない。

3月24日 LSD40キロ

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2018/01/18

ラン再開

約1か月半ぶりにランニングを再開した。左足指のケガが予想以上に長引き、年明けからの予定がずれ込んでしまった。まだ僅かに痛みが残るものの、ランニングにはさほど影響はなく、年明けから走っても問題なかったようだ。あくまで結果論だが。

天候の関係で月曜火曜と続けて10キロのジョグをしたのだが、どうしたことか結構ひどい筋肉痛になってしまった。以前、足底腱膜炎で2か月休んだ後はそんなことはなかったのに。家人は「翌日に筋肉痛ならまだ若い」と言ってくれたが、やはり全般的に体力が低下しているのは間違いないだろう。(泣)

1月16、18日 ジョグ10キロ

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