2022/03/31

10回目の桜に

6年前の記事で紹介した、かつての通勤ルートにある桜が今年も満開になった。退職した春から数えて10回目になる。来年はおそらく見ることはないので、今年で見納めということになる。

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また、このブログを始めてから17年になった。そうした節目を迎え、また自分の今後の体調を考慮して、当初は今月末で当ブログを終了しようと考えていた。

しかし、最近会う機会に恵まれた何人かの友人から、「毎回楽しみにしているので是非続けてほしい」という有難いお言葉を頂戴して、もう暫くは出来る範囲で続けてみようと思い直した。

ただし、今のような3日に一度の更新は厳しいと思うし、いずれ本当に終了せざるを得なくなる時が来ることは確かだ。人生の4分の1近くを共に過ごしてきた分身のような存在ではあるけれど、主がいなくなればこの世から消えてなくなるのは当然のことなのだ。

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2022/03/25

人形供養

娘が嫁いだ後もそのままになっていた雛人形を供養するため、和歌山市加太の淡嶋神社まで出向いて納めてきた。郵送や宅配では受け付けないため、直接持ち込む必要があるのだが、全国から約2万体にも及ぶという人形が納められ、毎年3月3日にはそれらを白木の舟に乗せて海に流す「雛流し」の神事が行われる。

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今年の神事が終わって1か月も経っていないが、本殿の内部には既に無数の人形が積み上げられ、壮観とも奇観とも独特な雰囲気を漂わせている。

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子供に代わる「形代(かたしろ)」として諸々の厄災を引き受けるとされる人形が、その役目を終えて持ち主の手を離れ、処分の時を待っている。きちんと供養されたとはいえ、人形に取り憑いた禍事(まがごと)どもの記憶が、まだそこここに漂っているような気がした。だからこそ、舟に乗せて海に流すのだろうけれど。

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2022/02/23

終活を本格化

お気づきの方がおられるかもしれないが、年明けからいわゆる終活を本格化させている。バッハの宗教曲など、これまでなかなか鑑賞に踏み切れなかった音楽や映画にチャレンジし、持ち物の処分をさらに進めているのはその一環である。

しかし、それより実際に最も重要なのは、預金や年金、保険などの資産状況、葬儀をはじめとする諸手続きについて、予め家族に知っておいてもらうことである。エンディングノートというほどのものではないが、それらに関するメモを作成し、目下家内に順次説明しているところだ。

また、これは決して冗談ではなく、葬儀社との打ち合わせには自身で出向きたいと思っているし、これまでご交誼をいただいた人には、出来れば直接会って最後の挨拶をしておきたい。

この映画みたいに最後の贅沢を望む気持ちなど全くない。旅行は昨年の米国で打ち止めにしたし、食べ物や着るものにはほとんど執着しない性分である。強いて言えば、良い音楽を良い音で聴きながら、最後の日々を平穏に過ごしたいと思うぐらいだ。

このブログも近いうちに終了し、そんな生活に移行する時がやってくるだろう。それまでの間、もう暫くの間お付き合いをお願いしたい。

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2022/02/17

そして3人目は

ついでだから、私の人生を変えた3人目の人についても書いておこう。

名前はHさん。確か同い年で大学も同窓。世紀の変わり目で「ミレニアム」などという言葉が流行った頃、ある団体に出向していた時に、別の会社から来ていた。出向社員同士という関係である。

とにかく、それまで見たことがないようなタイプの会社員だった。仕事を全くしないわけではないが、徹頭徹尾マイペースで、毎日例外なく定時退社。「今日は異業種交流会があるから」とか言っていたが、後で聞くと単なる飲み会だったりする。出張は直行直帰が当たり前。もちろん有給休暇は毎年完全取得。

会社に縛られるなど真っ平ごめん。オフの時間を趣味や旅行などで精一杯楽しみたい。そう思っている人は多いだろうが、Hさんほど包み隠さず言動に出ているのは、呆れるのを通り越して、それはそれで立派だと思えるほどのレベルだった。

最初の頃は「何、この人。よくこんなので会社員が勤まっているものだ」と眉を潜めていたが、次第にその自由闊達な生き方に興味を抱くようになった。クビにはならずある程度の生活が出来ているなら、それはある意味で人生の達人なのかもしれないと。

その頃、自身のサラリーマン人生に限界を感じ始めていた自分は、会社の仕事に以前ほどのやり甲斐を感じなくなってきていた。そこに、まさに対極的な生き方をしている人物が目の前に出現したのだ。

もちろん、Hさんをそのまま模倣するようなマネは出来ないが、現実の事例として大いに参考になった。今では、あれが自分のサラリーマン人生の大きな転換点になったと確信している。もちろん、彼自身はそんなことを知る由もないが。

もうひとつ。彼の趣味のひとつはトライアスロンやマラソンなどのスポーツで、そこで会社員生活では味わえない(味わいたくない?)チャレンジ体験を満喫していて、大会に参加した話などをよく聞かせてもらった。

もうお分かりと思うが、それは自分がランニングに興味を持ち、やがてフルマラソンを完走するまでになるきっかけになった。不健康な生活で体重が増え、何とかしなければという思いが元々あったのは確かだが、Hさんとの出会いがなかったら、フルマラソンを走ろうなどという発想は出て来なかったに違いない。

今から思えば、私の人生を変えた3人の中で、最も影響力が大きかったのがHさんと言えるかもしれない。ただし、彼がある資産家の息子で、何なら一生働かなくても食べていける身分の人間だと知ったのは、ずいぶん後になってからである。(苦笑)

蛇足ながら、Hさんの名字の最初は「は」。2人目のFさんは「ふ」、最初の叔父は「ひ」である。私は「は」だから、「はひふ」の3人組が「は」の人生を変えたということになる。って、それが言いたかったわけではないけれど(笑)、今回この記事を書くまで自分自身その偶然に気がついていなかった。

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2022/02/14

身近にいる神様

「パルジファル」のコメントの続きのようなことを少し書いてみよう。だいぶ以前に、ラジオキットをプレゼントしてくれた従兄のほかに、「私の人生を大きく変えた人物が2人いる」と結んだ記事を書いた。そのうちのひとりのことである。

「Fさん」と、ここでは呼んでおこう。もう40年も前になるが、勤めていた会社の関係会社の社員で、年齢は自分よりひと回りほど上のベテランさんだった。他流試合というのか、自分のいた職場に研修目的で何か月か派遣されて来られていた。

常に物静かで冷静沈着。業務の関係でともすれば殺伐とした空気の漂う職場にあって、Fさんの周囲だけは穏やかさを失わない。そんな不思議な雰囲気をもった「大人」だった。

そんな彼が書いたある研修のレポートを目にする機会があって、その中のひとつの文章に自分は大きな衝撃を受けた。いや、「積年の蒙を突然に啓かれた」というのが正しいかもしれない。彼はこう書いていた。

「人間関係は悪いのが当たり前」。

「そうか、そうなのか。そう考えればいいのか」。レポートを前に、自分は心の中で何度も独り言ちていた。

お恥ずかしながら、自分は人付き合いというものが苦手で、友達と呼べる人は極端に少なく、たいていの人と良い人間関係が築けない。それは自分の性格的な欠陥から来るもので、何とか是正しようとはするものの果たせない。何か気まずいことが起こると、自分の態度がいけなかったからだと、いつまでも蒸し返したりする。

それがずっと自分の悩みであった(今でもそうである)のだけれど、その一文を読んで、気持ちの持ちよう次第なのだということが初めて分かって、何だか「救われた」のだ。

そう。Fさんは当時の自分にとっての「救いをもたらす者」、一種の「神様」であったと言って過言ではない。それからというもの、他者との人間関係が気まずくなったとき、以前のように一方的に自分が悪いと考える癖は修正され、まずは「それは当たり前のことなのだ」と考えることができ、むろん反省すべき点は反省しながらも、そのことが長く尾を引くようなことは少なくなった。

Fさん自身、自分が書いた文章が若造社員の悩みを救ったなどとは全く意識しなかっただろう。宗教の教祖様のような存在でなくても、神様は至るところに出現しうるのだ。

それは生身の人間である必要もない。過去の人が書いたり発言したりしたことでも良い。愛して止まない飼い犬、飼い猫に心を癒されるなら、ペットたちは飼い主にとっての神様と言っても良いのではないか。

いや、もはや生物である必要すらないかもしれない。懐かしい故郷の風景。美しい絵画。心を震わせる音楽。そういうものに救いを感じるなら、それはその人にとっての神様なのではないだろうか。

と、ここまで書いてきて、日本人独特の思想である「八百万の神々」とは、この延長線上にあるのかもしれないと思ってしまった。ワーグナーの「救いをもたらす者」からは遠いところにあるのだろうが、もしかすると彼が関心を持った仏教思想の一部として、僅かに重なり合うところがあるのかもしれない。

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2022/02/02

税務署初見参

昨日、税務署という場所に初めて入った。これまで玄関先で申告書を手渡したことはあるが、中に入って職員と直接話をしたというのは初めてである。

現役サラリーマンの間は年末調整で全てが完結していたけれど、退職してからはなけなしの年金から有無を言わさず天引きされる源泉所得税を取り返すため、毎年この時期になると還付申告書をパソコンで作成して郵送してきた。

Lineところが、今年に限ってはこれまで経験のない贈与税申告の必要があり、不明な点を尋ねるために税務署に赴いたというわけだ。まず電話で問い合わせたところ、国税庁のLINEで相談予約するのが望ましいとのことで、昨日午後に30分の予約枠を取得しておいた。

行ってみると玄関で多くの人が順番を待っていたようだが、そこは予約優先でスルーして相談会場の前まで案内してくれた。しかし、そこで待たされること約30分。ようやく相談に応じてもらうことが出来た。

担当の若い女性職員は大変親切に説明してくれ、疑問点が全て解消したのみならず、結果的に大変な節税となる特別措置の適用が可能なことが判明し、相談に行った甲斐は大いにあった。

それにしても、税務署というお堅い役所がスマホ申告を盛んに推奨し、LINEまで使って予約の受付をするご時世になったのだ。国税庁を「お友だち」に追加するときはさすがに抵抗があったけれど。(苦笑)

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2022/01/30

貝吹山城跡ハイキング

昨日はひょんなことからいつもの仲間と貝吹山城跡に出かけることになった。そのあと本来の用件があったのだが、折角近くまで行くのだからというHさんのたっての希望によるものだ。

貝吹山はうちの団地のすぐ裏手に当たり、数分も歩けば登山口に着くのだけれど、これまで一度も行ったことがなかった。しかし、標高210メートルのその山頂は、実は畝傍山を僅かに上回って市内最高地点であることが分かった。

これは行っておかねばならじと、狭く急な山道を登ること約30分。病に侵された体には少し応えたが、山頂からは南側を除いて展望が開け、疲れを癒してくれた。写真の右奥は畝傍山。

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山頂には去年行った高取城と同じく越智氏の山城であった貝吹山城跡が残る。14世紀南北朝時代の築城とされ、永禄11年(1568)に織田方の松永氏との合戦に敗れ落城したとのことだ。

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閑静を通り越して静寂が支配しているようなうちの団地のすぐ近くで、往時はそんな戦乱の歴史があったとは信じられない。まさにひょんなことから市内最高地点踏破と、ちょっとだけ歴史の勉強になった。

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2022/01/24

古切手の一部を売ろうとしたが・・・

先日、収集していた切手を某ボランティア団体に寄附したとき、実は「希少価値のある」と思われる何枚かは残していて、機会があればどこかの店で、少なくとも額面以上で買い取ってもらえるかもしれないと淡い期待を持っていた。

切手収集が趣味の(or だった)人にはすぐ分かると思うが、切手趣味週間の「ビードロ」「写楽」、国際文通週間の「蒲原」「桑名」などで、切手通販サイトでは今でも良品だと千円単位の値段で売られているものだ。

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それで一昨日近所の百貨店に行った際、そこに出店している買取店に立ち寄って現物を見せてみた。しかし、やはりというか、現実は「希少価値云々」の部分を除いて前の記事に書いたとおりだった。若い男性店員が慇懃無礼なほど丁寧に説明してくれた内容は、要するに「(どんな切手であれ)額面の3割、シートは5割での買い取りとなる」ということで、ご親切にも「むしろネットオークションなどで売る方がいい値がつく」とのアドバイスまでくれた。

つまるところ、日焼けやキズ、シワ、細かな汚れ、果ては目打ち(周囲のギザギザ)の状態までが価格を左右する商品だけに、店頭で精密な鑑定をする体制が出来ないため、遺族等が何も知らずに持ち込んだ切手の中から偶然お値打ち品が見つかれば儲けもの。その他は別納郵便等に利用する、いわば実需筋に額面近くで売って利ザヤを稼ぐというスタンスなのだろう。その用途に便利なシートは、5割で仕入れてもバラより高く売れるのだろう。

ということで、店頭での深々としたお辞儀に見送られて(よく躾けられているのは確かだ)すごすごと退散したわけだが、さてこの切手をどうしたものか。今さら経験のないネットオークションで見ず知らずの人と取引するのは面倒だ。切手を貼って出す郵便物もたまにはあるので使ってしまってもいいのだが、できれば切手愛好家(現在過去を問わず)の方にお譲りしたいと思っている。

写真のほか「ビードロ」がもう1枚と、文通週間「箱根」を含む計6枚一括、無償でお譲りします。ずっとアルバムで眠っていたので、状態はわりと良い方だと思います。ご本人やご家族、知り合い等で希望される方がおられましたら、この記事へのコメントで申し出て下さい。ただし、このブログへの「一見さん」はご遠慮願います。さあ、早い者勝ちですよ!

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2022/01/12

古切手を寄附する

小学生の頃は切手収集が趣味だった。通常切手とは大違いの美しい図柄の記念切手を、どこかで見かけたか、誰かからもらったりしたかで興味を持ったのがきっかけだったと思う。

男の子の常で、一旦モノを集め始めるとそれ自体が目的になり、気がつくと記念切手の発売のたび近所の郵便局に買いに行ったり、切手ショップや通信販売でコレクションを補ったりしていた。

おかげで、浮世絵や日本画、国宝や文化財、国立公園や国定公園など、様々な雑学知識を得ることも出来た。学校の勉強には全く役に立たなかったけれども。(笑)

その後、オーディオから音楽へと関心が移って、収集した切手は死蔵状態となっていたが、身辺整理の一環で処分する必要に迫られた。新聞広告などで不要品買取業者が「切手や古銭も高価で買い取る」と謳っているけれど、一部希少価値のあるものを除けば、額面の何割かにしかならないケースがほとんどらしい。

面倒なのでいっそ捨ててしまおうかとも思ったが、何年か前まで所属していた某ボランティア団体の会報に、「誰誰さんから切手の寄附を頂きました」という記事が載っていたのを思い出した。久々に連絡を取ってみたら、今でも切手の寄附は歓迎ということだった。別納郵便などで料金を納める際に使うのかもしれない。

古い切手アルバムから取り出し、額面ごとに整理して袋詰めしたところ、全部で362枚あった。額面は小さいので金額にすれば数千円でしかないが、業者に買い叩かれたり捨てたりするより、額面どおり使ってもらえればそれに越したことはないだろう。

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2022/01/06

電子メモパッド

Memopadなるものを購入した。4.5インチの小型液晶画面にスタイラスペンで文字や図を書けるというもので、メモが用済みになれば画面横のボタンで一気に消去できる。また、誤って消去しないためのロックボタンが側面についている。

私の主な用途は、ミニコンポで音楽を聴いていて、やむを得ず途中で打ち切る場合、どこまで聴いたかをメモするためである。

これまではホワイトボードを小さく切ったものを使っていたが、他のものと擦れて文字が消えかかったり、マーカーペンのインクカスが散ったりして不快だった。

これだとそういう心配はない。以前から気になっていた商品で、8インチほどの大きさのものが百均ショップで売られているのを見たことがあるが、大きすぎて用途に向かないので半ば諦めていた。

今回、アマゾンでちょうどいいサイズのものが千円しない値段で出ていたのを発見して、自分自身へのお年玉にと(いったい何歳?笑)購入した。今日アマゾンを覗いたら「在庫切れ」になっていたので、ちょうど良いタイミングだったようだ。

実際に使ってみたところ、確かに小型軽量で扱いやすいけれども、商品紹介の写真ほど文字は鮮明に映らない。バックライトなしの液晶なので当然なのだが、実用上は特に問題ない。なお、パッケージには「指でも書ける」とあるが、オジサンの指ではほとんど反応しなかった。(苦笑)

あとは耐久性や電池寿命が気になるが、それまでにこちらの方が電池切れになってしまうかもしれない。

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