2021/02/17

町の書店も捨てたものではない

97847584439204年前のスタート以来読み継いでいる『あきない世傳』シリーズの第10弾が発売された。毎回楽しく読ませてもらっているが、今回書きたいのはその内容ではなく、その入手方法についてである。

結果から先に言えば、今回初めて近所の小さな書店で購入することになった。実はこれまでの9巻は全て、発売前から図書館に予約しておき、入荷後比較的早い時期に読むことが出来ていた。

しかし、昨年12月から今年3月末まで、図書館が設備改修のため長期休館となっていて、貸出はおろか新刊の予約すら出来ない状況になっているのだ。このままだと、再開した4月早々に予約を入れたとしても、実際に読めるのは早くて6月以降、下手をすると第11弾の発売が予想される9月を過ぎてしまう恐れすらある。

そのため、今回に限っては自腹を切って(笑)1冊購入することにして、いつものようにアマゾンに発注した。当初は発売日ぐらいに到着する予定となっていたが、翌日になって「商品の発送に遅延が生じました」というメールが届いた。最長で3週間も後になるという。アマゾンと版元や取次との間で何かいざこざでも起こったのか、部外者には知る由もないけれど、一日も早く読みたい読者としてちょっと困る。

そこで、ダメで元々と近所の小さな書店を何年かぶりに訪れ、入荷の見通しを尋ねたら、発売日かその翌日ぐらいには入りますよと、あっさり言われてしまった。何となくだけどJ堂とかK屋などの大規模書店が優先で、町の小さな本屋は後回しというイメージがあっただけに意外だった。

早速その場で注文してアマゾンはキャンセル、無事発売日に入手することが出来た次第だが、ネットショッピング全盛の現在でも、従来どおりの取次ルートが健在であることが分かって、ちょっと心強い思いがした。

仕入れや在庫、物流など経営のあらゆる面を極限まで効率化したアマゾンのビジネスモデルに対抗して、今回は取次店を通じた従来のアナログ式の販売ルートが、ささやかな勝利を収めたと言えるかもしれない。

また、書店以外にも、スーパー、銀行、郵便局、コンビニ、定食屋、弁当屋、パン屋、医療モール、そのいずれもが徒歩圏内にある今の生活環境が、今後の加齢を考えるといかに恵まれたものであるかを再認識した。

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2021/01/21

“George Szell: A Life of Music”

Szell_20210119180201弟子 Michael Charry によるジョージ・セル伝。Kindle版の英書を何とか読破した。セルの生涯とその音楽に対する興味に加え、抗癌剤点滴の長い待ち時間がなければ、到底読み終えることは出来なかっただろう。

ジョージ・セルの生い立ちと天才少年ぶりから始まり、若き日の音楽修業を経て楽壇に華々しくデビューした後、様々な経緯を経てアメリカ・クリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任し、この楽団を世界有数の名門オーケストラに育て上げた過程を詳細に記述している。

紙の本で452頁に及ぶ内容を要約して紹介するのはとても手に余るので、自分として意外に感じたいくつかの点をメモしておくに止めたい。クリーヴランド管と数々の優れたレコーディングを残したセルだが、それ以外にも録音には残らなかった(一部音楽祭のライヴ録音を除き)多面的な活動を展開していたのだ。

  • セルはクリーヴランド管以外にも米国主要オーケストラとの関係を保ち続け、特にニューヨーク・フィルハーモニックには毎シーズンのように客演指揮に訪れていた
  • 毎年夏は必ずヨーロッパに滞在し、ザルツブルク、ルツェルン等の音楽祭に出演したり、夫人とともにスイスで静養したりという生活を繰り返していた
  • 古典派、ロマン派の作曲家の作品を主要レパートリーとしていたが、現代作品とりわけアメリカの作曲家の新作を積極的に取り上げ、その紹介に努めた

さて、セルと言えば、練習での厳しい指導ぶりや、楽員の大幅な入れ替えなどが取り沙汰されるが、それについてはさすがに「与党」である著者の立場から悪しざまなことは書けないようで、セルを擁護するような論調になっているのは致し方ないところか。

ただ、内輪の人間しか知らない裏話がいくつか披露されているので、そのうち2つを紹介することにしよう。

ひとつは、1969年9月にオイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテル、カラヤン、ベルリン・フィルという組み合わせで実現したベートーヴェンの三重協奏曲の録音を巡る話である。実は同じ年の5月に、セルとクリーヴランド管はオイストラフ、ロストロポーヴィチとブラームスの二重協奏曲を録音していた。ベートーヴェンもセルが指揮して不思議はなかったのに、なぜカラヤンに話が行ったのか。

それは、ロシア人3人のソリストのスケジュールが厳しく、コンサートでの公開演奏を経ず僅か2回のセッションで録音するという条件を、たとえスケジュールが合ってもセルは承知しなかっただろうが、カラヤンはすぐに飛びついたからだというのだ。EMIのプロデューサー、ピーター・アンドリーがそのことについてセルに謝罪する一幕もあったようだ。

もうひとつは1970年の来日公演の際の札幌での逸話である。コンサート終了後、セルがホスト役となって、来日公演スポンサーを招待した宴席が札幌市内の高級料亭で開催された。出席者それぞれに着飾ったゲイシャがついていたが、セルについたのはその筆頭格だった。セルはもっと若くて魅力的なゲイシャに当たらなかったことで気分を害し、さらには宴席の請求額にショックを受けたそうである。(笑)

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2020/11/02

『恋』

Koi星野源ではない。松山千春でもない(笑)。小池真理子の長篇小説で1996年の直木賞受賞作である。この作家はこれまで名前ぐらいしか知らなかったが、朝日新聞に連載している「月夜の森の梟」というエッセイの文章に毎回感銘を受けていて興味をもった。版元の紹介文。

1972年冬。全国を震撼させた浅間山荘事件の蔭で、一人の女が引き起こした発砲事件。当時学生だった布美子は、大学助教授・片瀬と妻の雛子との奔放な結びつきに惹かれ、倒錯した関係に陥っていく。が、一人の青年の出現によって生じた軋みが三人の微妙な均衡に悲劇をもたらした……。全編を覆う官能と虚無感。その奥底に漂う静謐な熱情を綴り、小池文学の頂点を極めた直木賞受賞作。(引用終わり)

作品はいきなり主人公矢野布美子の葬儀の描写から始まる。享年45。殺人罪で10年間服役したことのある彼女の葬儀に参列したのは僅か12名。その様子を離れた席から見守っていたのがノンフィクション作家鳥飼三津彦で、この小説は死を目前にした布美子が、殺人事件の真相とそれに至る経緯を鳥飼に語った内容の記録という構成になっている。

学生運動に明け暮れる平凡な女子大生だった布美子は、生活費を稼ぐ必要から大学助教授片瀬信太郎の自宅で翻訳を手伝うアルバイトを始めるが、ルックスが魅力的な信太郎と、元子爵令嬢の妻雛子の夫妻に次第に惹きつけられていく。女中を雇い、軽井沢に別荘を持つ裕福な暮らしのみならず、性的にも開放的な夫妻のライフスタイルは、貧乏アパート暮らしの布美子にはまさに別世界であった。

夫妻と布美子の倒錯しながらも幸福な関係は、しかし長続きしなかった。彼らの前に突然現れた電機店の従業員大久保勝也に雛子が「恋」してしまったことで、夫婦の間に決定的な亀裂が生じ、そのことが引き金になって悲劇的な事件に至ってしまうのだ。

では、世間常識からはともかく、当人同士至って円満な関係に見えた夫婦の間に「恋」はなかったのかという疑問が湧く。その答は文庫本400頁になって初めて明かされる衝撃の事実にある。当初は夫妻二人だけの秘密であったのが、信太郎が布美子に告白し、布美子が鳥飼に語り、一方では雛子が大久保に語りと、夫妻以外の三人が知るところとなる。しかし、この秘密は裁判の過程でも一切秘匿され、この小説の結末時点では夫妻と鳥飼だけが知るところとなる。

その鳥飼は生前の布美子に、秘密は自分が引き受け、本にもせず、誰にも言わないと約束しているが、「にもかかわらず、この本は書かれ、公開され直木賞まで受けた」ことを、当時の直木賞選考委員で、文庫解説を担当した阿刀田高氏は「そりゃあんまりな」と書いている。

阿刀田氏は続けて「願わくは布美子の最後の言葉として『いつか、それがよろしいと思われたら、書いてください。美しく伝えてください』とあったほうがずっとよかったのではあるまいか」としている。フィクションの世界と現実の出版物は別物だということは当然踏まえた上での指摘だろうが、読者の素直な気持ちとしては全く同感である。

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2020/07/14

『ファーストラヴ』

Firstlove島本理生著。版元の紹介文。

夏の日の夕方、多摩川沿いを血まみれで歩いていた女子大生・聖山環菜が逮捕された。彼女は父親の勤務先である美術学校に立ち寄り、あらかじめ購入していた包丁で父親を刺殺した。環菜は就職活動の最中で、その面接の帰りに凶行に及んだのだった。環菜の美貌も相まって、この事件はマスコミで大きく取り上げられた。なぜ彼女は父親を殺さなければならなかったのか?
臨床心理士の真壁由紀は、この事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼され、環菜やその周辺の人々と面会を重ねることになる。そこから浮かび上がってくる、環菜の過去とは? 「家族」という名の迷宮を描く傑作長篇。第159回直木賞受賞作。(引用終わり)

この作家は初めて。タイトルから連想する青春恋愛ものでは全然ない。ひとことで言えば、DVなどで事件化するに至らない家庭内の性暴力やパワーハラスメントが、幼少期の女性に与える衝撃力の大きさと、その後の心身の成長過程に及ぼす悪影響といったことがメインテーマである。

父親殺しの事件はそうした背景のもとに起きた。その全体像が、環菜と由紀や弁護人との遣り取りの中で徐々に浮かび上がってくる。由紀もまた過去に父親のある行動に悩まされた経験を持つという複線的な構成になっているが、やや焦点が拡散してしまった感は否めない。

よく出来た由紀の夫の思いやりに救われる結末にもかかわらず、一人の男としてまた父親として考えさせられるテーマを提起され、読後感としては重いものが残った。

ところで、本作を読んだ動機は言うまでもなくこちらである。由紀役の北川景子が主演とあるけれど、複雑な過去を抱え多面性を有する環菜役の方も大変重要である。パブリシティ戦略のためかまだ主演以外のキャストは伏せられているが、環菜を一体誰が演じるのか気になって仕方ない。

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2020/04/30

『しらふで生きる』

Sober町田康著。版元の紹介文。

痩せた! 眠れる! 仕事が捗る! 思いがけない禁酒の利得。些細なことにもよろこぶ自分が戻ってきた! 4年前の年末。「酒をやめよう」と突如、思い立ち、そこから一滴も飲んでいない作家の町田康さん。「名うての大酒飲み」として知られた町田さんが、なぜそのような決断をしたのかを振り返りながら、禁酒を実行するために取り組んだ認識の改造、禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、そして仕事への取り込み方の変わるようなど、経験したものにしかわからない苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。全編におかしみが溢れながらもしみじみと奥深い一冊。(引用終わり)

著者についてはこの映画の原作者という以外全く知らなかったが、どんな内容なのか興味があって読んでみた。自分自身、昨年の直腸癌手術以降、原則として禁酒生活を続けているからだ。唯一の「例外」を白状しておくと、今年の元日に缶ビール1本とワイン1杯を飲んだだけだ。

結論的に言えば、どんな酒飲みにも参考になるというような内容ではなかった。前後不覚になるまで酔い、平常では考えられない言動に及んだことを本人は全く覚えていない。そんな「大酒飲み」には有益な本ではないかと思う。

彼らは「前後不覚になる」ために酒を飲むのであって、それは浮世の憂さを晴らすためであるから、その浮世の憂さを元から絶つことが出来れば酒を絶つことができる。そのためには自己に対する認識改造という一種の発想の転換が必要だ。本書の主張はほぼそれに尽きる。

それが簡単に出来れば言うことなしだけど、著者は天の声にでも導かれたか、それを見事に成し遂げた。その体験談としては貴重であるが、それほどの「大酒飲み」ではない(と自覚する)自分などにとっては、やや縁遠い世界のようにも思える。

ただ、著者がそれが目的で禁酒したわけではないと断った上で紹介する禁酒の効用、即ち「痩せる」「眠れる」「お金が浮く」「仕事が捗る」といったことは、自分自身も感じているところで100%同意できる。ついでに言うなら、これらの効用の大半はランニングによっても実現できることを元ランナーとしては付言しておきたい。

くだけた口語体と対照的に小難しい漢語がアナーキーに同居する独特の文体に加え、何というフォントなのか少々読みづらい活字のせいで、「しらふ」の頭でもさらっと読み通せないのは残念だった。

ところで、本書を読んだことで、もう自分は死ぬまで酒を一滴も飲まないのか?

言わぬが花でしょう。(笑)

月間走行 18キロ

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2020/02/17

『ドクター・デスの遺産』

321511000308中山七里著。版元の紹介文。

警視庁にひとりの少年から「悪いお医者さんがうちに来てお父さんを殺した」との通報が入る。当初はいたずら電話かと思われたが、捜査一課の高千穂明日香は少年の声からその真剣さを感じ取り、犬養隼人刑事とともに少年の自宅を訪ねる。すると、少年の父親の通夜が行われていた。少年に事情を聞くと、見知らぬ医者と思われる男がやってきて父親に注射を打ったという。日本では認められていない安楽死を請け負う医師の存在が浮上するが、少年の母親はそれを断固否定した。次第に少年と母親の発言の食い違いが明らかになる。そんななか、同じような第二の事件が起こる——。(引用終わり)

この作家のデビュー作で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した『さよならドビュッシー』の映画版や、『ヒポクラテスの誓い』のドラマ版は観たことがあるが、活字で読むのは初めて。他にも『おやすみラフマニノフ』や『どこかでベートーヴェン』など、クラシック音楽を織り込んだミステリーがいくつかあるようである。

さて、本作は安楽死の是非という重いテーマを主軸に据えながら、1件20万円で安楽死を請け負い「ドクター・デス」を名乗る謎の人物と、現行法上は殺人に当たるとしてその罪を追及する刑事の対決という、正統派ミステリー作品に仕上がっている。刑事自身、実の娘が難病と闘っていて、職業上の倫理観と個人的な感情が相反するという設定も、作品に重層的な深みを与えている。

「どんでん返しの帝王」と称される作家だけあって、ようやく犯人を確保したと思いきや、その足元を掬われるような仕掛けが待っていて、一瞬茫然としてしまうほどである。もちろん、最終的には全て辻褄があっているわけだけれど、そのための手がかりが最後になって出てくるのは、全体の構成上やむを得ないとはいえ少し残念である。

ところで、本作を読むことになった理由は単純で、既に映画化が決定していてこの人が明日香役を務めるからである(笑)。11月の公開が今から楽しみだ。

 

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2020/01/15

『オーガ(ニ)ズム』

Organism阿部和重著。版元の紹介文。

作家・阿部和重の東京の自宅に、ある夜、招かざる客が瀕死の状態で転がり込んできた。その男・ラリーの正体は、CIAケースオフィサー。目的は、地下爆発で国会議事堂が崩落したことにより首都機能が移転され、新都となった神町に古くから住まう菖蒲家の内偵。新都・神町にはまもなく、アメリカ大統領オバマが来訪することになっていた。迫りくる核テロの危機。新都・神町に向かったCIAケースオフィサーと、幼い息子を連れた作家は、世界を破滅させる陰謀を阻止できるのか。『シンセミア』『ピストルズ』からつづく神町トリロジー完結篇。作家、3歳児、CIAケースオフィサーによる破格のロードノベル!(引用終わり)

第一部『シンセミア』の連載開始が1999年だから(単行本は2003年刊行)、2010年刊行の第二部『ピストルズ』を経て、完結篇となる今回の第三部が昨年9月に刊行されるまで、ちょうど20年を要したことになる。タイトルの意味はそれぞれ、「種なし大麻(=男性器の比喩)」、「Pistils(雌しべ=女性器の比喩)」と来て、今回は「有機体(としての作品空間)」と「性器同士の合体による絶頂」、両方の意味を籠めたものだという。

作風はそれぞれ違っていて、戦後日本の縮図のような片田舎の町を舞台に裏社会の権力闘争を描いたノワール・ドキュメンタリー、神町に住まう菖蒲家一族に伝わる一子相伝の秘術「アヤメメソッド」を巡るファンタジーと来て、今回はCIAオフィサーと作家親子が菖蒲家の陰謀に立ち向かうバディものミステリー・エンターテインメントの趣である。

著者自身の分身のような主人公とその家族、著者の出身地で山形県東根市に実在する神町(じんまち)や若木山(おさなぎやま)といった地名、オバマ大統領の来日など現実世界の事物を援用しつつ、壮大かつ緻密に構成された虚実綯交ぜのフィクションが進行する、全く独自の物語世界に引き込まれてしまった。四六判864ページ、厚みにして約4センチという大部に当初はひるんでしまったが、読み始めると案外スラスラと読み通すことができた。

しかし、本作は単なるエンターテインメントではない。戦後日本の縮図としての神町を舞台に、日米関係の変遷と将来像を主要テーマに、天皇制の在り方にまで敷衍しつつ、戦後70年を経た今なお米国の強い影響下にある日本社会のありようを活写しようとした意欲作である。その深い意図は巧みに背景に後退させつつ、読み物としての面白さも追求したところが、他に類を見ない本作並びに本シリーズの魅力なのだと思う。

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2019/12/16

『患者よ、医者から逃げろ』

9784334044381夏井睦著。副題に「その手術、本当に必要ですか?」とある。版元のやや長めの紹介文。

著者はキズや熱傷(ヤケド)の湿潤療法の創始者である。植皮手術が必要とされる熱傷の患者でも、ほぼその必要はなく、傷跡や痛みも少なくキレイに治療できることはもはや疑いのない事実だ。だが大学病院や総合病院の形成外科や皮膚科では今も変わらず酷い治療が行なわれている。それは骨髄炎の治療も同じで、手足の切断が必要とされたが実は骨髄炎ではない患者も多くみてきた。
なぜ医者は、我が子には絶対できない手術を患者に勧めるのか。なぜ古い治療に固執し、新しい治療を行なえないのか。自分の頭で考え、逃げてきた患者らの治癒過程も写真や証言を交え紹介。また湿潤療法の誕生秘話、痛みと全身性合併症をめぐる新発見、創感染の本質や骨髄炎、院内感染や合成界面活性剤の闇に切り込むとともに、それらの考察から見えてくる生物・人体の進化史の新説を、独創的に語り尽くす。(引用終わり)

光文社新書から出ている著者の本はこれが4冊目。全て読んできたが、今回は熱傷治療に関する記述が大半を占め、著者のこれまでの取組みの集大成とも言える内容となっている。こと熱傷に関する限り、タイトルの「医者から逃げろ」は、「従来の治療法に固執する医者から逃げろ」という意味において、熱傷患者を救う道に繋がることは疑いない。また、前著までに詳しいが、糖尿病治療においても同じことが言える。カロリー制限、バランスの良い食事という名の下に糖質の多い食事を強要される限り、血糖値の急上昇は収まらず、糖尿病は決して良くならないのである。

個人的には、本書の最後に方に出てくる合成界面活性剤の弊害に関する部分が大変興味深かった。これまで著者の流儀を取り入れ、シャンプーやボディソープを使わず、お湯だけで洗い流す入浴法に切り替えていたが、入浴後は医師から処方されたヒルドイド(または同種の商品)を手足に塗布して保湿に努めていた。ところが、これがとんでもない間違いで、クリームを基剤として作られた保湿薬や化粧品は、実は肌を乾燥させるだけのものであることが分かった。これまでのところヒルドイドによる弊害は生じていなかったが、即刻廃棄したことは言うまでもない。

ところで、自分は基本的に本を読む際にはカバーを付けない。何の本を読んでいるのか他人に知られたくないなどというのは、読書人として潔くない態度だと思うのである。しかるに、本書だけは例外とせざるを得なかった。医大病院での待ち時間を利用して読むことが多く、さすがにこの書名はまずいと思ったからだ。(笑)

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2019/10/26

『地図帳の深読み』

Fukayomi 今尾恵介著。版元、帝国書院の紹介文。

学生時代に誰もが手にした懐かしの学校地図帳には、こんな楽しみ方があった! 100年以上にわたり地図帳を出版し続けてきた帝国書院と地図研究家の今尾恵介氏がタッグを組み、海面下の土地、中央分水界、飛び地、地名や国名、経緯度や主題図など「地図帳」ならでは情報を、スマホ地図ではできない「深読み」する! 家の奥に眠るあの地図帳、今もう一度繙いてみませんか。(引用終わり)

帝国書院刊ということで、半分は自社刊行物のPRみたいなものかと思っていたが、意外に客観的な視点から地図帳の面白さを縦横に論じている(もちろん、版元をヨイショした箇所もなくはない・笑)。ひとえに著者の長年にわたる地図帳愛のなせるわざであるが、題材が「地図」(国土地理院の地形図など)ではなく、「地図帳」だというところがミソだろう。

地形図では等高線だけのところ、地図帳ではそれに段彩が施されて、地形が直感的に把握できるようになっているし、また地域ごとの名産品がイラストで紹介されたり、巻末には各種統計が掲載されたりと、学習者の便宜を図る工夫がなされている。それを「深く読み込む」ことで貴重な情報が得られることを、著者は多くの具体的事例を挙げて力説している。

地図帳に親しむことは、自国や世界の本当の姿を知ることであり、ひいては世界平和の礎ともなる。「あとがき」で著者は次のように述べている。

世界はあまりに広く、人はその大半を知らずに一生を終えるのだが、地図帳があれば、少なくとも知らない場所へ空想旅行することはできるだろう。昨今「多様性」が叫ばれるのは、世界を均一化の方向へ誘うグローバル化への警戒感のゆえだろうか。紛争の多くはお互いの無理解に起因するのだろうが、異文化を認め合うことが広義の安全保障につながるとすれば、炎上するセンセーショナルな報道ではなく、地道に地図帳に親しむことこそが平和への王道かもしれない。

ところで、本書カバーは地図帳の切り抜きを貼り合わせたようなデザインになっているが、裏側の一枚は奈良盆地付近の地図である。思わず見入ってしまったが、1か所だけ不思議な記載がある。それは高松塚古墳の南方、高取町役場の東側に卍マークとともに記された「子嶋寺」である。

長いこと隣の橿原市に住んでいるが、寡聞にしてその名すら知らなかった。調べてみるとそれなりに由緒ある寺のようだけれど、この場所に記載するなら「キトラ古墳」の方が昨今はるかに有名だし、近隣の寺では飛鳥観光の名所である「岡寺」や「飛鳥寺」の記載がないのが不思議である。

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2019/09/14

マンガ名作オペラ「ニーベルングの指環」上下

Niebelungen_20190913092701里中満智子著。ワーグナー畢生の超大作「ニーベルングの指環」をマンガ本2冊に纏めたもの。版元の紹介文。

(上)神話世界を描いた壮大な作品、ニーベルング。世界を滅ぼすとの呪いをかけられた黄金の指環。欲望渦巻く神々の世界を描く前編。(下)ジークムントの忘れ形見ジークフリートとブリュンヒルデの全てを焼き尽くす愛の行方は? 世界に破滅をもたらすニーベルングの指環は誰の手に渡るのか?(引用終わり)

ワーグナーのオペラをこともあろうにマンガにするなんてと、最初はとても違和感があったけれど、結果的には読んでみて正解だった。これまで「指環」の概略を把握しようと、(文字で書かれた)あらすじを読んだことは何度かあるが、人間関係が複雑なうえに飛躍の多いストーリーがほとんど頭に入って来なかった。かと言って、予備知識なしに観て分かるような代物でないことは明らかで、作品のあまりの長大さと並んで、なかなか実際の鑑賞に至らない原因になっていた。

それが、このマンガ本上下2冊を読んで、ストーリー全体の骨格というか、大まかな流れがすんなりと把握できたのだ。主要登場人物のキャラクターや相互の人間関係を、ビジュアルを通じて具体的に理解することが出来る。「アルベリヒ」と文字で見るより、あのイボだらけでヒキガエルみたいな顔の小男かと直感的に掴める。

もちろん、これがワーグナーの意図を寸分の狂いなく表現したものとは言えないだろう。今後、オペラそのものを鑑賞してみた後で感想が変わる可能性はある。それでもなお、長年の「食わず嫌い」というか、「とっかかりのなさ」に風穴をあけてくれたことは間違いない。マンガを読んだあとでは、文字で読むあらすじも以前より格段に頭に入ってくる。この調子で予習を続けて、いずれは本編オペラに挑戦してみたいと思っている。

 

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