2020/07/14

『ファーストラヴ』

Firstlove島本理生著。版元の紹介文。

夏の日の夕方、多摩川沿いを血まみれで歩いていた女子大生・聖山環菜が逮捕された。彼女は父親の勤務先である美術学校に立ち寄り、あらかじめ購入していた包丁で父親を刺殺した。環菜は就職活動の最中で、その面接の帰りに凶行に及んだのだった。環菜の美貌も相まって、この事件はマスコミで大きく取り上げられた。なぜ彼女は父親を殺さなければならなかったのか?
臨床心理士の真壁由紀は、この事件を題材としたノンフィクションの執筆を依頼され、環菜やその周辺の人々と面会を重ねることになる。そこから浮かび上がってくる、環菜の過去とは? 「家族」という名の迷宮を描く傑作長篇。第159回直木賞受賞作。(引用終わり)

この作家は初めて。タイトルから連想する青春恋愛ものでは全然ない。ひとことで言えば、DVなどで事件化するに至らない家庭内の性暴力やパワーハラスメントが、幼少期の女性に与える衝撃力の大きさと、その後の心身の成長過程に及ぼす悪影響といったことがメインテーマである。

父親殺しの事件はそうした背景のもとに起きた。その全体像が、環菜と由紀や弁護人との遣り取りの中で徐々に浮かび上がってくる。由紀もまた過去に父親のある行動に悩まされた経験を持つという複線的な構成になっているが、やや焦点が拡散してしまった感は否めない。

よく出来た由紀の夫の思いやりに救われる結末にもかかわらず、一人の男としてまた父親として考えさせられるテーマを提起され、読後感としては重いものが残った。

ところで、本作を読んだ動機は言うまでもなくこちらである。由紀役の北川景子が主演とあるけれど、複雑な過去を抱え多面性を有する環菜役の方も大変重要である。パブリシティ戦略のためかまだ主演以外のキャストは伏せられているが、環菜を一体誰が演じるのか気になって仕方ない。

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2020/04/30

『しらふで生きる』

Sober町田康著。版元の紹介文。

痩せた! 眠れる! 仕事が捗る! 思いがけない禁酒の利得。些細なことにもよろこぶ自分が戻ってきた! 4年前の年末。「酒をやめよう」と突如、思い立ち、そこから一滴も飲んでいない作家の町田康さん。「名うての大酒飲み」として知られた町田さんが、なぜそのような決断をしたのかを振り返りながら、禁酒を実行するために取り組んだ認識の改造、禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、そして仕事への取り込み方の変わるようなど、経験したものにしかわからない苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。全編におかしみが溢れながらもしみじみと奥深い一冊。(引用終わり)

著者についてはこの映画の原作者という以外全く知らなかったが、どんな内容なのか興味があって読んでみた。自分自身、昨年の直腸癌手術以降、原則として禁酒生活を続けているからだ。唯一の「例外」を白状しておくと、今年の元日に缶ビール1本とワイン1杯を飲んだだけだ。

結論的に言えば、どんな酒飲みにも参考になるというような内容ではなかった。前後不覚になるまで酔い、平常では考えられない言動に及んだことを本人は全く覚えていない。そんな「大酒飲み」には有益な本ではないかと思う。

彼らは「前後不覚になる」ために酒を飲むのであって、それは浮世の憂さを晴らすためであるから、その浮世の憂さを元から絶つことが出来れば酒を絶つことができる。そのためには自己に対する認識改造という一種の発想の転換が必要だ。本書の主張はほぼそれに尽きる。

それが簡単に出来れば言うことなしだけど、著者は天の声にでも導かれたか、それを見事に成し遂げた。その体験談としては貴重であるが、それほどの「大酒飲み」ではない(と自覚する)自分などにとっては、やや縁遠い世界のようにも思える。

ただ、著者がそれが目的で禁酒したわけではないと断った上で紹介する禁酒の効用、即ち「痩せる」「眠れる」「お金が浮く」「仕事が捗る」といったことは、自分自身も感じているところで100%同意できる。ついでに言うなら、これらの効用の大半はランニングによっても実現できることを元ランナーとしては付言しておきたい。

くだけた口語体と対照的に小難しい漢語がアナーキーに同居する独特の文体に加え、何というフォントなのか少々読みづらい活字のせいで、「しらふ」の頭でもさらっと読み通せないのは残念だった。

ところで、本書を読んだことで、もう自分は死ぬまで酒を一滴も飲まないのか?

言わぬが花でしょう。(笑)

月間走行 18キロ

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2020/02/17

『ドクター・デスの遺産』

321511000308中山七里著。版元の紹介文。

警視庁にひとりの少年から「悪いお医者さんがうちに来てお父さんを殺した」との通報が入る。当初はいたずら電話かと思われたが、捜査一課の高千穂明日香は少年の声からその真剣さを感じ取り、犬養隼人刑事とともに少年の自宅を訪ねる。すると、少年の父親の通夜が行われていた。少年に事情を聞くと、見知らぬ医者と思われる男がやってきて父親に注射を打ったという。日本では認められていない安楽死を請け負う医師の存在が浮上するが、少年の母親はそれを断固否定した。次第に少年と母親の発言の食い違いが明らかになる。そんななか、同じような第二の事件が起こる——。(引用終わり)

この作家のデビュー作で「このミステリーがすごい!」大賞を受賞した『さよならドビュッシー』の映画版や、『ヒポクラテスの誓い』のドラマ版は観たことがあるが、活字で読むのは初めて。他にも『おやすみラフマニノフ』や『どこかでベートーヴェン』など、クラシック音楽を織り込んだミステリーがいくつかあるようである。

さて、本作は安楽死の是非という重いテーマを主軸に据えながら、1件20万円で安楽死を請け負い「ドクター・デス」を名乗る謎の人物と、現行法上は殺人に当たるとしてその罪を追及する刑事の対決という、正統派ミステリー作品に仕上がっている。刑事自身、実の娘が難病と闘っていて、職業上の倫理観と個人的な感情が相反するという設定も、作品に重層的な深みを与えている。

「どんでん返しの帝王」と称される作家だけあって、ようやく犯人を確保したと思いきや、その足元を掬われるような仕掛けが待っていて、一瞬茫然としてしまうほどである。もちろん、最終的には全て辻褄があっているわけだけれど、そのための手がかりが最後になって出てくるのは、全体の構成上やむを得ないとはいえ少し残念である。

ところで、本作を読むことになった理由は単純で、既に映画化が決定していてこの人が明日香役を務めるからである(笑)。11月の公開が今から楽しみだ。

 

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2020/01/15

『オーガ(ニ)ズム』

Organism阿部和重著。版元の紹介文。

作家・阿部和重の東京の自宅に、ある夜、招かざる客が瀕死の状態で転がり込んできた。その男・ラリーの正体は、CIAケースオフィサー。目的は、地下爆発で国会議事堂が崩落したことにより首都機能が移転され、新都となった神町に古くから住まう菖蒲家の内偵。新都・神町にはまもなく、アメリカ大統領オバマが来訪することになっていた。迫りくる核テロの危機。新都・神町に向かったCIAケースオフィサーと、幼い息子を連れた作家は、世界を破滅させる陰謀を阻止できるのか。『シンセミア』『ピストルズ』からつづく神町トリロジー完結篇。作家、3歳児、CIAケースオフィサーによる破格のロードノベル!(引用終わり)

第一部『シンセミア』の連載開始が1999年だから(単行本は2003年刊行)、2010年刊行の第二部『ピストルズ』を経て、完結篇となる今回の第三部が昨年9月に刊行されるまで、ちょうど20年を要したことになる。タイトルの意味はそれぞれ、「種なし大麻(=男性器の比喩)」、「Pistils(雌しべ=女性器の比喩)」と来て、今回は「有機体(としての作品空間)」と「性器同士の合体による絶頂」、両方の意味を籠めたものだという。

作風はそれぞれ違っていて、戦後日本の縮図のような片田舎の町を舞台に裏社会の権力闘争を描いたノワール・ドキュメンタリー、神町に住まう菖蒲家一族に伝わる一子相伝の秘術「アヤメメソッド」を巡るファンタジーと来て、今回はCIAオフィサーと作家親子が菖蒲家の陰謀に立ち向かうバディものミステリー・エンターテインメントの趣である。

著者自身の分身のような主人公とその家族、著者の出身地で山形県東根市に実在する神町(じんまち)や若木山(おさなぎやま)といった地名、オバマ大統領の来日など現実世界の事物を援用しつつ、壮大かつ緻密に構成された虚実綯交ぜのフィクションが進行する、全く独自の物語世界に引き込まれてしまった。四六判864ページ、厚みにして約4センチという大部に当初はひるんでしまったが、読み始めると案外スラスラと読み通すことができた。

しかし、本作は単なるエンターテインメントではない。戦後日本の縮図としての神町を舞台に、日米関係の変遷と将来像を主要テーマに、天皇制の在り方にまで敷衍しつつ、戦後70年を経た今なお米国の強い影響下にある日本社会のありようを活写しようとした意欲作である。その深い意図は巧みに背景に後退させつつ、読み物としての面白さも追求したところが、他に類を見ない本作並びに本シリーズの魅力なのだと思う。

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2019/12/16

『患者よ、医者から逃げろ』

9784334044381夏井睦著。副題に「その手術、本当に必要ですか?」とある。版元のやや長めの紹介文。

著者はキズや熱傷(ヤケド)の湿潤療法の創始者である。植皮手術が必要とされる熱傷の患者でも、ほぼその必要はなく、傷跡や痛みも少なくキレイに治療できることはもはや疑いのない事実だ。だが大学病院や総合病院の形成外科や皮膚科では今も変わらず酷い治療が行なわれている。それは骨髄炎の治療も同じで、手足の切断が必要とされたが実は骨髄炎ではない患者も多くみてきた。
なぜ医者は、我が子には絶対できない手術を患者に勧めるのか。なぜ古い治療に固執し、新しい治療を行なえないのか。自分の頭で考え、逃げてきた患者らの治癒過程も写真や証言を交え紹介。また湿潤療法の誕生秘話、痛みと全身性合併症をめぐる新発見、創感染の本質や骨髄炎、院内感染や合成界面活性剤の闇に切り込むとともに、それらの考察から見えてくる生物・人体の進化史の新説を、独創的に語り尽くす。(引用終わり)

光文社新書から出ている著者の本はこれが4冊目。全て読んできたが、今回は熱傷治療に関する記述が大半を占め、著者のこれまでの取組みの集大成とも言える内容となっている。こと熱傷に関する限り、タイトルの「医者から逃げろ」は、「従来の治療法に固執する医者から逃げろ」という意味において、熱傷患者を救う道に繋がることは疑いない。また、前著までに詳しいが、糖尿病治療においても同じことが言える。カロリー制限、バランスの良い食事という名の下に糖質の多い食事を強要される限り、血糖値の急上昇は収まらず、糖尿病は決して良くならないのである。

個人的には、本書の最後に方に出てくる合成界面活性剤の弊害に関する部分が大変興味深かった。これまで著者の流儀を取り入れ、シャンプーやボディソープを使わず、お湯だけで洗い流す入浴法に切り替えていたが、入浴後は医師から処方されたヒルドイド(または同種の商品)を手足に塗布して保湿に努めていた。ところが、これがとんでもない間違いで、クリームを基剤として作られた保湿薬や化粧品は、実は肌を乾燥させるだけのものであることが分かった。これまでのところヒルドイドによる弊害は生じていなかったが、即刻廃棄したことは言うまでもない。

ところで、自分は基本的に本を読む際にはカバーを付けない。何の本を読んでいるのか他人に知られたくないなどというのは、読書人として潔くない態度だと思うのである。しかるに、本書だけは例外とせざるを得なかった。医大病院での待ち時間を利用して読むことが多く、さすがにこの書名はまずいと思ったからだ。(笑)

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2019/10/26

『地図帳の深読み』

Fukayomi 今尾恵介著。版元、帝国書院の紹介文。

学生時代に誰もが手にした懐かしの学校地図帳には、こんな楽しみ方があった! 100年以上にわたり地図帳を出版し続けてきた帝国書院と地図研究家の今尾恵介氏がタッグを組み、海面下の土地、中央分水界、飛び地、地名や国名、経緯度や主題図など「地図帳」ならでは情報を、スマホ地図ではできない「深読み」する! 家の奥に眠るあの地図帳、今もう一度繙いてみませんか。(引用終わり)

帝国書院刊ということで、半分は自社刊行物のPRみたいなものかと思っていたが、意外に客観的な視点から地図帳の面白さを縦横に論じている(もちろん、版元をヨイショした箇所もなくはない・笑)。ひとえに著者の長年にわたる地図帳愛のなせるわざであるが、題材が「地図」(国土地理院の地形図など)ではなく、「地図帳」だというところがミソだろう。

地形図では等高線だけのところ、地図帳ではそれに段彩が施されて、地形が直感的に把握できるようになっているし、また地域ごとの名産品がイラストで紹介されたり、巻末には各種統計が掲載されたりと、学習者の便宜を図る工夫がなされている。それを「深く読み込む」ことで貴重な情報が得られることを、著者は多くの具体的事例を挙げて力説している。

地図帳に親しむことは、自国や世界の本当の姿を知ることであり、ひいては世界平和の礎ともなる。「あとがき」で著者は次のように述べている。

世界はあまりに広く、人はその大半を知らずに一生を終えるのだが、地図帳があれば、少なくとも知らない場所へ空想旅行することはできるだろう。昨今「多様性」が叫ばれるのは、世界を均一化の方向へ誘うグローバル化への警戒感のゆえだろうか。紛争の多くはお互いの無理解に起因するのだろうが、異文化を認め合うことが広義の安全保障につながるとすれば、炎上するセンセーショナルな報道ではなく、地道に地図帳に親しむことこそが平和への王道かもしれない。

ところで、本書カバーは地図帳の切り抜きを貼り合わせたようなデザインになっているが、裏側の一枚は奈良盆地付近の地図である。思わず見入ってしまったが、1か所だけ不思議な記載がある。それは高松塚古墳の南方、高取町役場の東側に卍マークとともに記された「子嶋寺」である。

長いこと隣の橿原市に住んでいるが、寡聞にしてその名すら知らなかった。調べてみるとそれなりに由緒ある寺のようだけれど、この場所に記載するなら「キトラ古墳」の方が昨今はるかに有名だし、近隣の寺では飛鳥観光の名所である「岡寺」や「飛鳥寺」の記載がないのが不思議である。

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2019/09/14

マンガ名作オペラ「ニーベルングの指環」上下

Niebelungen_20190913092701里中満智子著。ワーグナー畢生の超大作「ニーベルングの指環」をマンガ本2冊に纏めたもの。版元の紹介文。

(上)神話世界を描いた壮大な作品、ニーベルング。世界を滅ぼすとの呪いをかけられた黄金の指環。欲望渦巻く神々の世界を描く前編。(下)ジークムントの忘れ形見ジークフリートとブリュンヒルデの全てを焼き尽くす愛の行方は? 世界に破滅をもたらすニーベルングの指環は誰の手に渡るのか?(引用終わり)

ワーグナーのオペラをこともあろうにマンガにするなんてと、最初はとても違和感があったけれど、結果的には読んでみて正解だった。これまで「指環」の概略を把握しようと、(文字で書かれた)あらすじを読んだことは何度かあるが、人間関係が複雑なうえに飛躍の多いストーリーがほとんど頭に入って来なかった。かと言って、予備知識なしに観て分かるような代物でないことは明らかで、作品のあまりの長大さと並んで、なかなか実際の鑑賞に至らない原因になっていた。

それが、このマンガ本上下2冊を読んで、ストーリー全体の骨格というか、大まかな流れがすんなりと把握できたのだ。主要登場人物のキャラクターや相互の人間関係を、ビジュアルを通じて具体的に理解することが出来る。「アルベリヒ」と文字で見るより、あのイボだらけでヒキガエルみたいな顔の小男かと直感的に掴める。

もちろん、これがワーグナーの意図を寸分の狂いなく表現したものとは言えないだろう。今後、オペラそのものを鑑賞してみた後で感想が変わる可能性はある。それでもなお、長年の「食わず嫌い」というか、「とっかかりのなさ」に風穴をあけてくれたことは間違いない。マンガを読んだあとでは、文字で読むあらすじも以前より格段に頭に入ってくる。この調子で予習を続けて、いずれは本編オペラに挑戦してみたいと思っている。

 

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2019/09/05

方丈記を読む

<ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとゞまりたる例なし。世中にある人と栖(すみか)と、またかくのごとし。>

あまりにも有名な文章で始まる鴨長明『方丈記』の全文を初めて読んでみた。高校の古文で抜粋版を学習したはずだが、この冒頭以外全く記憶になく、ただ、世の無常を悟った長明が山中にひと間だけの庵を構え、孤独な隠遁生活に安住の世界を見出すまでを記した随筆文学、という程度の理解で過ごしてきた。

そこまでは別に間違ってはいない。平凡社「世界大百科事典」の説明を引用する。

人と住家の無常を述べた序章に続き、その例証として長明が体験した災厄、すなわち安元3年(1177)の大火、治承4年(1180)の嶋風(竜巻)、同年の福原遷都、養和年間(1181‐82)の飢饉、元暦2年(1185)の大地震を挙げる。さらに俗世の居住は他を顧慮しなければならず心の休まることのないものであるといい、零落一方の自分の境涯を回顧して、遁世の後に仮のものとして構えた日野の外山の草庵で、かえって心の赴くままにすごせる現在の閑居のさまをよしとするが、

問題はこの後である。

末尾では一転して、その閑居に執着すること自体が往生のさまたげではないかと、みずからの遁世の実質を問いつめたまま、それに答えることなく〈不請(ふしよう)の阿弥陀仏〉を二、三遍となえるというかたちで全編の叙述を終える。

ここは全く予想外だった。彼は決して遁世すなわち隠遁生活を全面的に肯定しているわけではなかったのだ。この箇所を岩波書店「日本古典文学大系」の注釈を元に意訳してみる。

私の一生も終わりに近づき余命が少なくなっている。すぐに三途の闇という暗黒世界が待っている。今さら何を嘆こうというのか。仏の教えは「何事にも囚われるな」である。(仏の道から言えば)この草庵を愛するのも罪なら、閑寂に囚われるのも障害だろう。何で役にも立たない楽しみを述べ立てて、大切な時間をむだにしようぞ。

どんでん返しというのか、最近の推理小説ばりに「ラスト1頁で衝撃の事実が明らかに!」というのか。長年の試行錯誤を経て辿り着いた隠遁生活に一旦は満足し、それを賛美しておきながら、今度はそれに執着している自己を客観視、疑問視しているのである。

そして、その執着の原因はどこにあるのか自分自身に問いかけたが、心は何も答えることなく、ただ、心の要求からではない念仏を二三回唱えるだけだったとして、この随筆を終えている。

この箇所の解釈については、閑居賛美のための周到な韜晦とする説、「維摩一黙」を踏まえたものとする説など諸説あるそうだが、いずれにしても透徹した自己観照ないし自己批判がそこにあることだけは間違いないだろう。

翻って、最悪のケースを覚悟しつつ、今はオペラなどの音楽鑑賞やブログ執筆に多くの時間を費やしている自分であるが、それはそれで一つの執着ではないのか。それだけに囚われるのは良いことなのか。仏の道に帰依するつもりなどサラサラないけれど、大先輩に見習って自分を客観視し、自己批判することを忘れてはならないと思う。

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2018/11/05

『コンビニ人間』

Conveni村田沙耶香著。第155回芥川賞受賞作。版元の紹介文。

36歳未婚、彼氏なし。コンビニのバイト歴18年目の古倉恵子。日々コンビニ食を食べ、夢の中でもレジを打ち、「店員」でいるときのみ世界の歯車になれる――。「いらっしゃいませー!!」 お客様がたてる音に負けじと、今日も声を張り上げる。ある日、婚活目的の新入り男性・白羽がやってきて、そんなコンビニ的生き方は恥ずかしい、と突きつけられるが……。
現代の実存を問い、正常と異常の境目がゆらぐ衝撃のリアリズム小説。(引用終わり)

あるインタビューで著者は「この本はうっかり読んでみてほしい」という趣旨の発言をしている。タイトルに惹かれて読んでみたら意外な内容に驚くに違いないという自負だろう。自分の場合がまさにそうで、主人公の働きぶりが描かれた冒頭をざっと立ち読みして、これはいわゆる「お仕事小説」のひとつなのだろうと思って読み始めた。

ところが、数ページ進んだところで、主人公の子供時代の2つの異様なエピソードが紹介される辺りから物語の様相は一変する。結婚も就職もせずといった外見だけでなく、ものの見方や考え方も世間一般の「普通」ではない主人公は、唯一コンビニの店員でいる間だけ「世界の正常な部品」になることができるというのだ。

そこに、また別の意味で「普通でない」男性白羽が登場して、さらに「普通でない」突飛なストーリーが展開していくけれども、結末だけはある意味で予定調和的というのか、やっぱりそうなるしかないと思わせる結び方となっている。

個性重視と言いながらも、「普通でない」ものに対しては無遠慮な非難が浴びせられる現代社会。画一性の象徴、マニュアルの塊りのようなコンビニの中でしか生きる意味が見いだせない主人公の物語は、そうした社会の同調圧力に対する、アイロニーを含んだ静かな異議申し立てのように感じられた。「へんてこな」物語のようで内容はかなり深い。

実際にコンビニで働く著者の実体験に基づいて、コンビニの舞台裏でのオペレーションがつぶさに描かれており、その点でも大変に興味深かった。

11月4日 LSD26キロ

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2018/06/27

『利己的な遺伝子』

Selfishgene_2リチャード・ドーキンス著。1976年初版刊行。版元の紹介文。

私たちはなぜ、生き延びようと必死になり、恋をし、争うのか? 本書で著者は、動物や人間の社会で見られる、親子間の対立や保護行為、夫婦間の争い、攻撃やなわばり行動などがなぜ進化したかを、遺伝子の視点から解き明かす。自らのコピーを増やすことを最優先にする遺伝子は、いかに生物を操るのか? 生物観を根底から揺るがし、科学の世界に地殻変動をもたらした本書は、1976年の初版刊行以来、分野を超えて多大な影響を及ぼし続けている古典的名著である。(引用終わり)

「利己的な遺伝子」の概念について、断片的には聞きかじっていたものの、ドーキンス自身の著書を手にしたのは初めてである。決して読みやすい本ではない。本文だけで416頁もあるうえに、文章は独特のレトリックに満ちていて、ともすれば途中でついて行けなくなりそうになる。池上彰氏あたりに分かりやすいダイジェストを作ってほしいと真剣に思った。(苦笑)

しかし、とにかく全体を読み通してみて、やはり一度は読むべき名著であることを実感した。コペルニクスの地動説、ダーウィンの進化論にも匹敵しうる科学革命であるのみならず、社会や宗教、倫理など広汎な分野に大きな影響を及ぼしているに違いない。

本書の要点をうまく纏めることは私の手に余るが、要するに生命というものの本質は、自分のコピーを作る「自己複製子」であるということ。その進化したものがDNAで、生物の身体とは畢竟DNAが生き延びるための乗り物(ヴィークル)に過ぎない。生物が子孫を残すためにDNAが存在するのではない。逆なのだ。

親子間の対立や夫婦間の争い、一見利他的に見える行動に隠された遺伝子の利己性。いずれも「目から鱗」の鮮やかな解明に驚くばかりである。

実は本書を読んでみようと思ったのは、最近東京で起きた幼児虐待事件がきっかけで、その原因は遺伝子レベルで解釈できるのではないかと思ったからだ。この種の事件では、ほとんどの場合、母親と前の夫との間の幼い子が新しい夫に暴行されるというパターンである。血の繋がりのない夫はともかく、母親までが自分の腹を痛めた子への暴力を黙認、場合によっては加担までするのはなぜなのか。

本書にその直接の解答はない。しかし、ヒントとなる記述はあった。あえて擬人的表現を使えば、新しい夫が前の夫より優れた遺伝子を持つと考えた母親の遺伝子は、新しい夫との子作り、子育てを優先するため、まだ手のかかる前夫との子に労力を使うのは避けようとする傾向があるのではないか。それが高じることで、連れ子に対する暴力という悲しい事態(遺伝子にとっては合理的な選択)を招くのだろう。

再婚した母親に連れ子がいる場合、潜在的には常にその危険性があると考えられるので、児童相談所などの関係機関が定期的にチェックするなど、よりキメ細かく対応することが必要ではないか。

6月25、27日 ジョグ10キロ

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