2018/11/30

不要なLPを処分

断捨離第3弾として、不要なLPを処分することにした。いろんな理由により同じ音源のCDを入手したLPが少なからずあり、もう聴く機会はないものと判断した。今日、大阪に出かけたついでに梅田の某中古レコード店に立ち寄り、計25枚を売却してきた。

実は3月にもCDを数点売却していて、予想より良い値段がついていたのだが、さすがにLPは古いものが多く、ほとんどタダ同然というものも多かった。それでも、誰かにまた聴かれる機会が訪れれば浮かばれるというものだ。

それにしても、25枚のLPの重かったこと! 「断捨離して身軽になる」というのを、身をもって実感した。(苦笑)

11月29日 ジョグ10キロ
月間走行  166キロ

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2018/11/24

バイワイヤリングに変更

暫定的にシングルワイヤリング接続していたRUBICON6を、早速バイワイヤリング接続に変更することにした。

RUBICON6は高音域、低音域それぞれの接続端子を備えていて、本来は2本(4芯)のケーブルでアンプと接続するように設計されているが、簡便法でケーブル1本(2芯)でも接続できるように、ジャンパープレートが用意されている。当初はその方式で接続していた。1本のケーブルで上の高音域用端子に接続し、そこからジャンパープレートで下の低音域用端子にも信号が行くというわけだ。

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しかし、この方式だと低音域で発生した逆起電力というものが悪さをして、高音域の再生に歪を生じさせるため、2本のケーブルで別々に接続することでその悪影響を軽減しようというのがバイワイヤリング接続だ。

しかし、これはスピーカー側で分岐するか、アンプ側で分岐するかの違いでしかないとも言え、ただの迷信だとして退ける説もあるけれど、いずれにせよ本来の設計どおり2本のケーブルで別々に接続した方が望ましいのは確かだろう。

今回、4芯の導体を持ち、バイワイヤリングが1本で出来るZONOTONE社のケーブルを購入。1本で2本分とは言え、1m当たり3千円以上する。太い銅線の束と悪戦苦闘しながらようやく接続を完了。見えにくいが、低音域用端子には赤と黒の芯線が接続されている。当然、ジャンパープレートは取り外す。

Ts3r0010

ケーブルにもエージングが必要という説もあるが、とりあえず試聴してみると、既にハッキリと音の違いを実感している。高音域の伸び、透明感が向上すると同時に、音の見通しが更に良くなり、これまで一つの塊りで聴こえていた音がきちんと分離して聴こえる。特に、メロディの蔭に埋もれがちな、第2ヴァイオリンやヴィオラといった内声部の動きが聴き取れることで、音楽の構造がより明確に把握できる。

改めて、CDにはこれだけの情報量が刻み込まれていたのかと驚くと同時に、これまでの再生音は何だったのかという思いを禁じ得ない。大袈裟に言えば、家にある全てのディスクを聴き直してみたい衝動に駆られている。オーディオの世界の奥深さを改めて感じた次第だが、しかしそれ以上に欲を出すと無間地獄に陥りそうで怖くもある。

11月22、24日 ジョグ10キロ

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2018/11/21

終のスピーカー

長年愛聴してきたインフィニティのスピーカーから異音が発生するようになり、実に28年ぶりにスピーカーを買い替えた。事前にネットでいろいろリサーチして、イギリスのB&WかデンマークのDALIが良さそうだったので、この2社に絞り込んだうえで、大阪日本橋の某オーディオ専門店で試聴させてもらった。

当初はB&Wの702S2というモデルが有力とみていた。実際に聴いてみて、そのスッキリとして見通しの良い音は、さすがに世界中のスタジオで活躍するモニタースピーカーを作っているメーカーだけのことはあると感じた。

Rubicon6しかし、次に聴いたDALIのRUBICON6というモデルは、その上にプラスアルファというのか、音楽の香りや余韻のようなものまで感じられた。単に音をチェックするだけならB&Wの方が性能が上だけれど、家で音楽を楽しむのにはこちらの方が良いのではと、一目ならぬ一聴惚れ(?)で購入を決めた。28年前のインフィニティの時もそうだった。オーディオは迷い始めたらキリがないのだ。

現在、ホワイトノイズとピンクノイズを交互に流してエージングを行っているところだが、合間に音楽を再生してみると、その再生音の素晴らしさを早くも実感する。音がスピーカーという「点」から、あるいは左右のスピーカーを結ぶ「線」から出ているのではなく、リスナーの向こうにある「面」から、いやむしろリスニングルームの一部が3次元の「立体」として鳴っているという感じなのである。

DALIのカタログには、「リスナーの前からスピーカーはその存在を消し」という言葉が出てくるが、確かにそれが決して大袈裟な宣伝文句ではなく、メーカーが目指した再生機器の理想像が実際に音となって実現しているのが分かる。

当初は床を傷めないようスパイク受けを使用していたが、トゥイーターの位置が耳より若干低かったこともあって、厚さ60ミリのコンクリート板を敷き、その上に直接スパイクを乗せるようにしたら、一段と音の解像度が上がった。また、今のところケーブルはシングルでジャンパープレートを経由しているが、近いうちにバイワイヤ接続にすることを検討している。

ところで、DALIとはスペインが生んだシュルレアリスムの巨匠からとったのかと思っていたがそうではなく、Danish Audiophile Loudspeaker Industries の略だった。RUBICONはもちろん、カエサルが「賽は投げられた」と言って渡ったルビコン川に由来する。メーカーの不退転の決意を示したものだそうだ。

こちらだって、購入を決断する時はそれぐらいの覚悟だったのだからね(笑)。先代と同じように30年近く愛聴すれば、自分は90歳近くになる計算だ。故障さえなければ、これが多分、終(つい)のスピーカーとなるだろう。

11月20日 ジョグ10キロ

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2018/11/14

ドホナーニのベートーヴェン交響曲全集

80756_4以前にNHK-FMで第8番の演奏を聴いて興味を抱いた、ドホナーニ指揮によるベートーヴェンの交響曲。遠路はるばるロンドンから全集盤を入手し、通して聴いてみた。テラークの再発売廉価盤で、2枚組×3セット、EVERYBODY'S BEETHOVEN というタイトルが付されている。

管弦楽はクリーヴランド管弦楽団。第9の合唱は同合唱団(指揮ロバート・ペイジ)、独唱者はキャロル・ヴァネス(S)、ジャニス・テイラー(Ms)、ジークフリート・ジェルサレム(T)およびロバート・ロイド(B)である。1983年から1988年にかけて、クリーヴランド管弦楽団の新旧の本拠、セヴェランスホールおよびマソニック・オーディトリアムで収録されている。

演奏は基本的に速めのテンポで、前へ前へと力強い推進力をもって進行し、剛毅にして快活な、とても男性的な演奏と言って良かろう。それは、一般的には優美とされる偶数番の交響曲でも同様で、とりわけ第4番のこれほど力感に溢れた演奏はあまり経験がない。「2人の巨人に挟まれたギリシャの乙女」というシューマンの形容が的外れにすら思えるほどだ。

ただし、第6番「田園」だけは、そういった表現がそぐわず、特に第1楽章は最後までどこか落ち着きがない。田舎に着いた安らぎどころか、もう都会に帰りたいと言っているかのようだ(笑)。第2楽章以下はサラリとした味わいでそれなりに聴かせるだけに惜しい。

それ以外はどれも素晴らしい。とりわけ第1番や第2番といった初期の交響曲にも、後期のそれに劣らぬ深みとスケールが感じられ、なかなかの名盤であると思う。ブラームスの交響曲全集もそうだが、アメリカの楽団というだけであまり顧みられることがないのは残念だ。

テラークによる優秀な録音も魅力だ。比較的各楽器に近い位置で録っていると思われるが、その明瞭な音が全体として見事に調和しているところが素晴らしい。第8番第2楽章の例のバスの音型も、テラークでなければ十分聴き取れなかったのではないか。

ところで、その第8番のような「意外な発見」も期待しながら聴いたが、わずかに1つだけ、これまで知らなかった(気付かなかった)箇所を発見した。第5番第1楽章の473~475小節にかけてのホルンである。倍の四分音符ではあるが、見事に「運命の動機」になっていて、ドホナーニ盤ではこれが強調されて浮かび上がっている。

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421~423小節にも同じような音型があるが、こちらはやや控えめで、最初は気がつかなかった。

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例によって手持ちの他のLP、CDをチェックしてみたが、何とセル指揮クリーヴランド管の1963年の録音が、比較的明瞭にこれらの音型が分かる。これまでは漫然と聴き流していたのだ。またチコちゃんに叱られる(笑)。そう言えば、セルの全集でも「田園」だけは何度聴いてもピンと来ないが、クリーヴランドの伝統なのか、それともドホナーニがセルの影響を受けたのだろうか。

11月12、14日 ジョグ10キロ

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2018/09/28

NHK「おはよう関西」オープニング曲

NHK大阪放送局が平日朝に放送している「おはよう関西」という番組がある。7時45分から8時までで、つまり連続テレビ小説(いわゆる朝ドラ)の前番組だ。そのオープニングとエンディングに、ヴァイオリンとギターを中心とした軽快な音楽が流れる。

てっきりNHKのオリジナルと思い込んでいたのだが、ある時たまたまMBS毎日放送のラジオを聴いていたら、「市川紗椰のKYOTO NOTE」という番組のオープニングで、同じ曲が流れてきたので驚いた。

まさかMBSが他局の音楽を勝手にパクるとは思えず、そうするとこれはNHKオリジナルではなく、どこかのアーティストが作った同じ音楽を、たぶん偶然に両放送局が使用しているのだろう。

そう思って両番組の公式サイトなどを覗いてみたが、オープニング曲に関する情報は全く見当たらない。ちょっと手間がかかったが、ネットでいろいろと検索してみて、ようやく該当の情報に辿りついた。

ジュスカ・グランペールという、京都を拠点に活動しているヴァイオリンとギターのアコースティック・デュオが演奏する「めざめ~Reveil」という曲である。確かに、朝のニュース番組や京都の地域情報番組にふさわしい音楽というわけだ。

グループ名は「おじいさんになるまで」という意味のフランス語で、共におじいさんになるまで楽しく続けていきたいという願いをこめたものだそうだ。寡聞にしてグループ名も知らなかったが、結構いろんな番組やCMに楽曲を提供しており、そうと気づかぬうちに彼らの音楽に接しているかもしれない。

同曲のサンプル試聴はこちら

9月27日 LSD40キロ

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2018/09/19

奈良フィル定期演奏会

18091616日の日曜日、奈良フィルハーモニー管弦楽団第43回定期演奏会を聴いた。同楽団の存在は知っていたが、実際に聴いたのは初めてである。ラン仲間でクラリネットも嗜むRさんから、チケットが余っているので行かないかとお誘いがあった。

曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と交響曲第2番、その間にグリークのピアノ協奏曲というオール北欧プログラム。指揮は粟辻聡、ピアノ独奏は喜多野美宇子である。

1985年に結成された奈良県唯一のプロオケということで、正直なところそれほど演奏水準は高くないだろうと予想していたが、失礼ながら意外にもほとんど破綻のない、まとまった演奏を聴かせていた。特に最後の交響曲では、シベリウス特有の暗い音色に籠る情念のようなものを引き出していた。

ただ、第1ヴァイオリンが10名という比較的小編成の弦楽器群に比して、金管楽器の音量が大きく、直接音が前面に出過ぎる場合が多かった。全体のバランスや響かせ方という点で、もう少し改善の余地がありそうだ。朝比奈時代の大阪フィルもこんな感じで金管が目立っていたから、ひょっとすると関西楽壇のDNA(?)なのかもしれない。

また、ピアノ独奏は速いパッセージになると端折るというか、弾き飛ばしてしまう傾向があり、肝心のメロディラインすら追えない箇所も散見された。ただし、カデンツァになると俄然張り切る人なのか、そこだけは大変迫力ある演奏をしていた。

なお、アンコールにシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」という小曲が演奏された。曲名すら知らなかったが、弦5部の合奏に最後だけティンパニが加わり、祝祭という題名にもかかわらず、しっとりと落ち着いたいい音楽だった。

9月17日 LSD20キロ
9月19日 ジョグ10キロ

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2018/09/01

ブラヴォー、クリストフふたたび

先週、NHK-FMのクラシックカフェでクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン交響曲第8番が放送された。昨日、今年2回目の献血に行った際、ウォークマンに転送しておいたその録音を聴いていて、思わずわが耳を疑う箇所があった。驚きのあまり、もう少しで血流が止まるところだった。(笑)

第2楽章アレグレット・スケルツァンド。当時まだ発明されたばかりのメトロノームを模したとされる木管の規則正しい刻みに乗って、弦楽器がいかにも楽しげなメロディを奏で、それが一段落したところで、F音(ヘ長調のド)の強烈なトレモロがユーモラスに締めくくる(23小節)。同じ音型は直後の25小節、さらに変ロ長調で56、58小節にも登場する。

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あえてヴァイオリンのパートだけ抜粋したが、以下ヴィオラ、チェロ、コントラバスまで全てFのトレモロと、これまでは思い込んでいた。

ところが・・・

8月30日 ジョグ10キロ
月間走行 164キロ

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2018/08/20

バルトーク弦楽四重奏曲全集

Emersonq_2ショスタコーヴィチ、プロコフィエフに続く、20世紀の音楽シリーズ(?)第3弾は、バルトークである。彼の作品中で人気、演奏頻度ともに最も高い「管弦楽のための協奏曲」(通称オケコン)だけは既に守備範囲に入っていたが、それ以外の作品はトンと馴染みがなかった。

とりわけ難解というか、とっつきにくかったのが弦楽四重奏曲である。だいぶ以前にエマーソン弦楽四重奏団による全集盤を買ってはいたのだが、ちょこっと聴いただけで「なんじゃこりゃ」と、匙を投げていたのだ。

最近になって、自分の音楽理解がようやく20世紀に入ったので、そろそろ挑戦しても良い頃合いかと再挑戦を思い立った。結論的に言えば、とても面白い音楽ばかりだった。どうしてこれまで食わず嫌いを続けてきたのか、自分でも不思議なくらいだ。

形式面では、古典的なソナタ形式や3部形式などの要素を残してはいるが、調性面では、第5番以降若干の揺り戻しがあるとはいえ、ほぼ無調音楽に近いと言える。ここまではショスタコーヴィチでも概ね同様だが、大きく異なるのは弦楽四重奏という表現媒体の多様性を極限まで追求している点である。

とりわけ奏法面での多様性は目を瞠るばかりだ。弦を弾いて指板に叩きつけるバルトーク・ピツィカートや、弓の木の部分で弦を弾く(叩く)コル・レーニョなどの打楽器的奏法をはじめ、重音、グリッサンド、スル・ポンティチェロ(駒に近いところを弾く)、スル・タスト(指板に近いところを弾く)など、特殊奏法のオンパレード状態である。

これらによって表現される音楽の内容は、まとまった主題の提示と反復、展開といった古典的、論理的なものというより、断片的な動機を感覚的、即興的に様々に変容させつつ、それが一旦落ち着くとまた次の動機が現れるといった印象が強い。あまり詳しくないので的外れかもしれないが、ジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)というのがこれに近いのではないか。

6曲のうちでは、1939年に作曲された最後の第6番がとりわけ印象に残った。第1楽章冒頭、Mesto という指示があり、ヴィオラだけで奏される「悲しみの主題」が、第2楽章冒頭では2声、第3楽章冒頭では3声と、次第に声部を増やし、最終楽章でようやく作品全体のテーマとして本格的に登場する。第二次世界大戦のさなか次第に悪化していく当時の世情や、作曲の翌年にはアメリカに移住することになる彼自身の心情を反映したものだろう。

オケコン以外の管弦楽曲、協奏曲なども、順次聴いていきたい。

8月18、20日 ジョグ10キロ

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2018/07/24

マーラー歌曲集

Toce59089後期交響曲に続いて、これまであまり聴く機会がなかった彼の歌曲集をまとめて聴いたのだ。

マーラーにとって、歌曲は交響曲と並ぶ創作活動の重要な柱で、時には交響曲と表裏一体のような関係にあることは知っているが、ドイツ語歌詞と対訳を見ながら聴くのが面倒なのと、長大な交響曲の2枚組CDの余白に入っていて、つい見過ごしてしまうのだ。(笑)

今回聴いたのは、「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」「リュッケルト歌曲集」「子供の不思議な角笛」の4作品。大体4、5曲セットで2~30分程度の長さだが、「角笛」だけは全12曲で50分ほどかかるため、コンサートでの実演機会は少ないようだ。

「若人」の旋律を引用した交響曲第1番、「角笛」の一部が移行した交響曲第2、第3、第4番。その本家(?)の歌曲集を聴くことで、交響曲の成立経緯にまで遡った楽曲理解に役立つことは確かだろう。

彼独特の絡みつくようなメロディの背後には常に「歌」があり、つまり「言葉」があるのだ。純粋器楽のはずの交響曲のスコアに、あれほど入念な演奏指示がなされているのも、そこに理由があるのだろう。

4つの作品の中では、実は一度も聴いたことがなかった「リュッケルト歌曲集」が最も興味深かった。今回はピアノ伴奏版だったので、オーケストラ版も聴いてみたいところだ。

7月23日 ジョグ10キロ

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2018/07/09

マーラー後期交響曲

Wpcs13350マーラーの交響曲では、第1番と第5番の演奏頻度が飛びぬけて高く、次いで第4番や第2番が時折取り上げられるが、第6番以降の後期の交響曲が演奏される機会はさほど多くないように思う。マーラーは「やがて私の時代が来る」と予言したそうだが、現時点では予言は前半だけ的中したといったところか。

ご多分に漏れず、私自身も彼の後期の交響曲は、実演では第6番と第9番をそれぞれ一度聴いただけで、それ以外はCD等でも全曲を通してちゃんと聴いた記憶があまりない。第10番に至っては1枚もディスクを持っていなかった。

最近、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの作品を続けて聴いたけれど、彼らに大きな影響を与えたはずのマーラーの交響曲をちゃんと聴いていないのでは具合が悪いと、第6番以降をまとめて聴いてみたのだ。お恥ずかしながら、未完に終わった第10番の第2楽章以降を補完した全曲版を聴いたのは初めてのことだ。

ひととおり聴いてみて、第6番と第7番はやはり内容的に難解というか、個人的な思い入れが強すぎて万人に受け入れられるとは言い難い。しかし、第8番になるとそこから突き抜けたというか、新たな境地が開けた感がある。第9番、第10番ではさらに達観した境地に入り、死の淵を覗き見るような深さがある。(※個人の感想です)

それぞれ1時間を超す大曲なので、そう頻繁に聴くわけにもいかないが、繰り返し聴けばまた新たな発見があるに違いない。そう言えば、歌曲集などもほとんど手つかずの状態だ。食わず嫌いは良くないし、残りの人生で音楽を聴ける時間も無限にあるわけではないのだ。

7月8日 ジョグ10キロ

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