2019/04/18

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲全集

Abq ピアノソナタ全集に続いて、ベートーヴェンの創作過程のもうひとつの柱である弦楽四重奏曲全曲を、初めて通して聴いた。こちらもかなり以前にアルバンベルク四重奏団による全集盤を買い求めていたが、ピアノソナタ全集と同様、「ラズモフスキー」や「セリオーソ」など、標題がついた作品を適当に摘み聴きしていた程度だった。特に後期のものは難解という先入観が強かった。

CDのライナーノートで、評論家の門馬直美氏が「ベートーヴェンにとって最も身近に感じられ、心情を吐露しやすい楽器はピアノだった。しかし、ベートーヴェンは、人生の微妙な問題となると、弦楽四重奏に頼ることが多かった。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、交響曲や協奏曲などでしばしばみられるような、外部を意識した点が少しもない。すべて、外面的効果よりも、ベートーヴェンの心の奥深くからの声をきかせる」(抄録)などと書いているが、まさにその通りだと思う。

とりわけ、後期あるいは晩年のベートーヴェンの音楽については、弦楽四重奏曲なしには知ることができないという指摘は重要だ。最後のピアノソナタよりさらに後の最晩年に書かれた、第12番から第16番にかけての弦楽四重奏曲は、同時期の第九交響曲に聴く理想主義の熱狂とは対照的な、静謐にして内面的ないし瞑想的、哲学的ともいえる音楽が展開されている。しかし、その両者が表裏一体となったものが、ベートーヴェンの音楽の総体なのだとすれば、弦楽四重奏曲を聴かずして彼の音楽は語れないということになる。

ピアノソナタを含めて、これまで食わず嫌いだった彼の後期の作品も、今後は折に触れじっくり聴いていくことにしよう。年齢を重ねることで分かるということもあるが、何よりそれら長大な作品を聴き通せるだけの時間が確保出来ていることに感謝しつつ。

4月17日 ジョグ10キロ

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2019/03/28

ベートーヴェン ピアノソナタ全集

4781821 1992年から96年にかけて録音された、アルフレッド・ブレンデルによるベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を初めて通して聴いた。だいぶ前に全集盤を買い求めていたが、3大ソナタなどを適当に摘み聴きしていた程度で、せっかく全集を買った意味がない状態が続いていた。迫力ある音響や多彩な音色の変化を楽しめる管弦楽曲に比べ、ピアノ1台による演奏では飽きるという先入観があり、なかなか手に取る機会がなかった。

今になって考えると、スピーカー買い替え以前の再生環境では、本来のピアノの音が鳴っていなかったという気がする。弦楽器や管楽器と違い、打鍵した瞬間から減衰するピアノの音の再生は特有の難しさがあるのだろう。さらに、同時に奏でられる複数の音が楽器の筐体内で相互に共鳴し、あるいは干渉して生まれる非常に複雑な音空間を再現するのは容易ではない。

しかし、それがきちんと再生されなければピアノ音楽を十分に楽しむことは出来ないし、ましてや作曲当時まさに発展途上にあったピアノという楽器の可能性を極限まで追求したベートーヴェンの意図を聴き取ることは難しかろう。

それが昨秋以降スピーカーを新調してアンプのメンテをして以来、再生音のクオリティが飛躍的に向上し、ピアノについてもこれまでとは次元の異なる音質で再生されるようになった。ピアノの音は決して平板なものではなく、艶と深みをもった音色は奏者のタッチによって千変万化し、立体感や奥行きのある残響となってホールを満たす。これまで聴いていたのは一体何だったのかという思いだ。

というわけで、もちろん一気にではないけれど、全32曲を通して聴いていて、全く飽きるということがなかった。まだハイドンやモーツァルトの影響を脱していない初期の作品から、次第に彼自身の語法を確立し、楽曲構成においても様々な革新的試みを続け、ついには後期のソナタにおける高みに到達した彼の創造の過程を、たいへん興味深く辿ることが出来た。

次は弦楽四重奏曲全集に挑戦しようと思っている。どんな発見があるだろうか。

3月26、28日 ジョグ10キロ

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2019/03/16

シュミット=イッセルシュテットのベートーヴェン交響曲全集

Uccd7053昨年秋にドホナーニ指揮クリーヴランド管による全集を聴いたが、今度はさらに時代を遡って、1960年代後半に収録された、ハンス・シュミット=イッセルシュテット指揮ウィーンフィルによる全集を通して聴いてみた。このコンビの「田園」は、自分にとっての「刷り込み盤」というか、いまだこれ以上の演奏に接したことがないくらいの名演だが、それと第九以外の交響曲は聴いたことがなかったのだ。

ウィーンフィルが一人の指揮者とベートーヴェンの交響曲全曲の録音をしたのは、実はこのシュミット=イッセルシュテットが初めてだったそうだ。そう言えば、EMIから出ていたフルトヴェングラーの全集盤も、第8番はストックホルムフィル、第九はかのバイロイト祝祭管との録音であった。

総体的に言うと、独墺系の伝統に根差した、正統派で模範的なベートーヴェン演奏である。しかし、決して教科書どおり四角四面の演奏というのではなく、ここぞというメロディは弦を中心に思い切り歌わせ、またメロディよりもむしろ対旋律を引き立たせたりと、ハッとさせられるような箇所も多かった。

そうした演奏は、ウィーンフィル楽員たちの自発性あってこそだろう。指揮者の統率下、一糸乱れぬアンサンブルを聴かせるというより、指揮者と楽員間の丁々発止の遣り取りはスリリングであり、いかにも生身の人間がやっているという、生命力に溢れた演奏となっている。ベートーヴェンがよく用いる con brio (生き生きと)という曲想標語は、彼の音楽の本質を突いた言葉でもあると思うが、ここで展開されているのは、まさに「con brio の音楽」なのである。

また、特筆すべきは英デッカによる録音の優秀さで、とりわけ弦楽器の艶のある音色が生々しいくらいのクオリティで再現されている。第九の終楽章、歓喜の主題が提示されるところでは、チェロとベースがはっきり聞き分けられる。ただ、入手したCD固有の問題かもしれないが、最後に録音された第7番は低音がやたらと誇張され、また雑音も多くて、今日的レベルでは鑑賞に堪えない。カップリングされた第8番が、演奏録音とも最高の出来だけに残念なことだ。

3月14日 ジョグ8キロ

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2019/02/17

複数の作曲家の楽曲がカップリングされたCD

約30年ぶりにスピーカーを買い替え、アンプのメンテをしたことで音楽再生のクオリティが格段に向上し、手持ちのCDを聴き直す機会が増えている。通常は作曲家名アルファベット順、楽曲ジャンルごとに並べている中から探し出すのだが、それが簡単にいかない場合がある。

それがタイトルにあるようなCDである(何かひと言で表せる業界用語があるのかもしれないが)。クラシックのCDでは珍しくなく、例えばメンデルスゾーンとチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲がカップリングされ、俗に「メンチャイ」と称されるものとか、グリークとシューマンのピアノ協奏曲がカップリングされたCDは数多い。

そういう典型的な組み合わせならまだしも、時には想像もつかないようなカップリングのCDもあって、年々記憶力が低下している自分にはとても覚えきれない。手持ちの全てのCDのリストでも作れば良いのだろうが、そこまで手間をかけるのも面倒だ。

ということで実行したのが、当該CDのジャケットもしくは楽曲リストをコピーしてソフトケースに収め、CD本体とコピーに分けて、それぞれの作曲家の場所に収納しておくという方法である。探してみてコピーだった場合は、カップリングされた作曲家のところに本体があるというわけだ。

該当するCDは全部で50点弱にもなり、「こんな曲のCD、持ってたんや」という意外な発見もあった(笑)。今後、全部を聴くかどうかは分からないが、聴きたくなったときには辿り着け、手持ちのものを無駄にしない仕組みは出来たわけだ。ある意味、「断捨離の逆バージョン」と言えるかもしれない。

2月15日 ジョグ10キロ
2月17日 LSD20キロ

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2019/01/27

異次元の再生音

アンプの修理が終わって、心おきなく音楽を聴けるようになったが、どうもこれまでとは次元の異なる再生音であるという気がしている。RUBICON6の真価がようやく発揮されてきたということだろう。もちろんエージングの効果もあるだろうが、アンプの不具合が解消したことが大きいと思われる。

言葉にするのは難しいけれども、音がひと塊りとなって聴こえるのではなく、それぞれの楽器の音が見通し良く、きちんと判別できるというのだろうか。それにより、内声部を含めた楽曲の構造がまさに浮き彫りとなり、奥行きを伴って立体的に目の前に広がるのだ。

突飛な譬えだが、ちょっと前に流行ったステレオグラムが初めて「見えた」ときの驚きに似ている。普通に見れば平面に印刷された幾何学模様でしかないのに、突然奥行きが生まれ、立体的な図形が透明な水の中に浮かび上がるように見える、あの瞬間の驚きである。

2つのスピーカーから出る音というより、3次元の立体空間そのものが音場として鳴っているかのようである。目を閉じれば本当にそこでオーケストラが演奏しているような錯覚すら覚える。ダリ社が言うところの「スピーカーはその存在を消し」というのは、まさにこういう音を言うのだろう。

ステレオグラムが立体的に見えるのは、両目から入る視覚情報が脳の中でいわば編集されることによるらしい。してみると、2つのスピーカーという点から出る音が、立体空間が鳴っているように感じるのも、両耳から入る音声情報を脳が編集しているためだろうか。大変興味深いことである。

1月25日 ジョグ10キロ
1月27日 LSD40キロ

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2019/01/24

アンプが復活!

最近スピーカーを買い替えたばかりなのに、今度はプリメインアンプにトラブルが発生した。アキュフェーズのE-405という機種で、前のスピーカーと同じく平成の初めに購入したものである。もう30年近く使い続けているが、以前から左スピーカーの音声が途切れたり、カリカリといったノイズが発生することがあり、また、ノイズはなく正常に再生できているようでも、左右の音の定位感が曖昧なように感じられる場合があった。

試みにメインボリュームを左右に何度か回すと大抵ノイズが治まるので、ボリューム内部の接点にゴミでも付着したのかもしれない。いずれ修理か買い替えを迫られるだろうなと思っていたが、最近になってノイズの発生頻度が高まり、折角スピーカーを買い替えたばかりというのに音楽に集中できなくなったので、思い切ってメーカーに修理を依頼することにした。

点検の結果、原因はボリュームではなく、出力リレーという部品の接触不良が原因と判明した。幸いにも部品の在庫があったので交換することが出来た。それ以外はピークメーターのランプが劣化していたため交換したぐらいで、使用状態は全体に良好のようである。ボリューム、スイッチ類の接点もクリーニングしてもらい、30年選手もすっかり若返ったことだろう。

再生してみると、当然のことながらノイズは皆無となり、定位感の曖昧さが一掃されて個々の音像がビシッと決まる。それにより、残響も含めた音場全体の立体感が鮮やかで、音楽により深く没入することができるようになった。

買い替えの10分の1くらいの費用で済んだので、費用対効果は抜群である。あとは同じ時期に買ったソニーのCDプレーヤーが長持ちしてくれることを祈るばかりだ。まさか「30年タイマー」なんて仕込んでないよね。(苦笑)

1月23日 ジョグ10キロ

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2019/01/06

『玉木宏 音楽サスペンス紀行▽ショスタコーヴィチ 死の街を照らした交響曲第7番』

2日、NHKBSプレミアムで放映された標記番組を録画視聴した。NHK公式サイトの紹介文。

第二次世界大戦のさなか、ドイツ軍に包囲され過酷な状況にあったレニングラードで、ある演奏会が行われた。ショスタコーヴィチが故郷・レニングラードにささげた「交響曲第7番」。飢えや寒さと闘いながら、人々はどのようにして“奇跡のコンサート”を実現したのか? 一方、作品の楽譜は密かにマイクロフィルムにおさめられ、遠路アメリカまで運ばれた。ソビエトとアメリカの大国同士が音楽で手を結んだ、驚くべき政治的背景とは?(引用終わり)

作品の成立過程から各地での初演、内容の解釈や評価に至るまで、異例づくめで謎だらけのこの大作について、当時の世界情勢や政治的背景にまで踏み込んで取材したドキュメンタリーである。1941年9月の作曲者自身による有名なラジオ放送の実際の音源を聴くことも出来た。

ただ、全体的にはこの第7番がファシズムに対する抵抗の象徴として、ソ連のみならずアメリカでも政治利用されたという文脈だけで纏められている点がやや物足りなかった。もちろん、「第7番は、ファシズムはもちろん、私たち自身の社会システム、すなわち全体主義体制、全てを描いている」という、作曲者自身の注目すべき発言も紹介されているけれども、それ以上の掘り下げはない。例の戦争の主題がレハールの引用と思われることなど、音楽的な内容についての解説も欲しかったところだ。

それはともかく、駅伝とウィーンフィル以外およそ観たい番組がない正月のテレビにあって、今年は唯一この番組だけは大変見応えがあった。進行の玉木宏も終始沈痛な表情で冷静に語っていて好感がもてた。どこかで突如千秋真一に扮して指揮を始めないか心配していたが、さすがにそれはなかった。(笑)

1月5日 ジョグ10キロ

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2018/11/30

不要なLPを処分

断捨離第3弾として、不要なLPを処分することにした。いろんな理由により同じ音源のCDを入手したLPが少なからずあり、もう聴く機会はないものと判断した。今日、大阪に出かけたついでに梅田の某中古レコード店に立ち寄り、計25枚を売却してきた。

実は3月にもCDを数点売却していて、予想より良い値段がついていたのだが、さすがにLPは古いものが多く、ほとんどタダ同然というものも多かった。それでも、誰かにまた聴かれる機会が訪れれば浮かばれるというものだ。

それにしても、25枚のLPの重かったこと! 「断捨離して身軽になる」というのを、身をもって実感した。(苦笑)

11月29日 ジョグ10キロ
月間走行  166キロ

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2018/11/24

バイワイヤリングに変更

暫定的にシングルワイヤリング接続していたRUBICON6を、早速バイワイヤリング接続に変更することにした。

RUBICON6は高音域、低音域それぞれの接続端子を備えていて、本来は2本(4芯)のケーブルでアンプと接続するように設計されているが、簡便法でケーブル1本(2芯)でも接続できるように、ジャンパープレートが用意されている。当初はその方式で接続していた。1本のケーブルで上の高音域用端子に接続し、そこからジャンパープレートで下の低音域用端子にも信号が行くというわけだ。

Ts3r0002

しかし、この方式だと低音域で発生した逆起電力というものが悪さをして、高音域の再生に歪を生じさせるため、2本のケーブルで別々に接続することでその悪影響を軽減しようというのがバイワイヤリング接続だ。

しかし、これはスピーカー側で分岐するか、アンプ側で分岐するかの違いでしかないとも言え、ただの迷信だとして退ける説もあるけれど、いずれにせよ本来の設計どおり2本のケーブルで別々に接続した方が望ましいのは確かだろう。

今回、4芯の導体を持ち、バイワイヤリングが1本で出来るZONOTONE社のケーブルを購入。1本で2本分とは言え、1m当たり3千円以上する。太い銅線の束と悪戦苦闘しながらようやく接続を完了。見えにくいが、低音域用端子には赤と黒の芯線が接続されている。当然、ジャンパープレートは取り外す。

Ts3r0010

ケーブルにもエージングが必要という説もあるが、とりあえず試聴してみると、既にハッキリと音の違いを実感している。高音域の伸び、透明感が向上すると同時に、音の見通しが更に良くなり、これまで一つの塊りで聴こえていた音がきちんと分離して聴こえる。特に、メロディの蔭に埋もれがちな、第2ヴァイオリンやヴィオラといった内声部の動きが聴き取れることで、音楽の構造がより明確に把握できる。

改めて、CDにはこれだけの情報量が刻み込まれていたのかと驚くと同時に、これまでの再生音は何だったのかという思いを禁じ得ない。大袈裟に言えば、家にある全てのディスクを聴き直してみたい衝動に駆られている。オーディオの世界の奥深さを改めて感じた次第だが、しかしそれ以上に欲を出すと無間地獄に陥りそうで怖くもある。

11月22、24日 ジョグ10キロ

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2018/11/21

終のスピーカー

長年愛聴してきたインフィニティのスピーカーから異音が発生するようになり、実に28年ぶりにスピーカーを買い替えた。事前にネットでいろいろリサーチして、イギリスのB&WかデンマークのDALIが良さそうだったので、この2社に絞り込んだうえで、大阪日本橋の某オーディオ専門店で試聴させてもらった。

当初はB&Wの702S2というモデルが有力とみていた。実際に聴いてみて、そのスッキリとして見通しの良い音は、さすがに世界中のスタジオで活躍するモニタースピーカーを作っているメーカーだけのことはあると感じた。

Rubicon6しかし、次に聴いたDALIのRUBICON6というモデルは、その上にプラスアルファというのか、音楽の香りや余韻のようなものまで感じられた。単に音をチェックするだけならB&Wの方が性能が上だけれど、家で音楽を楽しむのにはこちらの方が良いのではと、一目ならぬ一聴惚れ(?)で購入を決めた。28年前のインフィニティの時もそうだった。オーディオは迷い始めたらキリがないのだ。

現在、ホワイトノイズとピンクノイズを交互に流してエージングを行っているところだが、合間に音楽を再生してみると、その再生音の素晴らしさを早くも実感する。音がスピーカーという「点」から、あるいは左右のスピーカーを結ぶ「線」から出ているのではなく、リスナーの向こうにある「面」から、いやむしろリスニングルームの一部が3次元の「立体」として鳴っているという感じなのである。

DALIのカタログには、「リスナーの前からスピーカーはその存在を消し」という言葉が出てくるが、確かにそれが決して大袈裟な宣伝文句ではなく、メーカーが目指した再生機器の理想像が実際に音となって実現しているのが分かる。

当初は床を傷めないようスパイク受けを使用していたが、トゥイーターの位置が耳より若干低かったこともあって、厚さ60ミリのコンクリート板を敷き、その上に直接スパイクを乗せるようにしたら、一段と音の解像度が上がった。また、今のところケーブルはシングルでジャンパープレートを経由しているが、近いうちにバイワイヤ接続にすることを検討している。

ところで、DALIとはスペインが生んだシュルレアリスムの巨匠からとったのかと思っていたがそうではなく、Danish Audiophile Loudspeaker Industries の略だった。RUBICONはもちろん、カエサルが「賽は投げられた」と言って渡ったルビコン川に由来する。メーカーの不退転の決意を示したものだそうだ。

こちらだって、購入を決断する時はそれぐらいの覚悟だったのだからね(笑)。先代と同じように30年近く愛聴すれば、自分は90歳近くになる計算だ。故障さえなければ、これが多分、終(つい)のスピーカーとなるだろう。

11月20日 ジョグ10キロ

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