2018/09/28

NHK「おはよう関西」オープニング曲

NHK大阪放送局が平日朝に放送している「おはよう関西」という番組がある。7時45分から8時までで、つまり連続テレビ小説(いわゆる朝ドラ)の前番組だ。そのオープニングとエンディングに、ヴァイオリンとギターを中心とした軽快な音楽が流れる。

てっきりNHKのオリジナルと思い込んでいたのだが、ある時たまたまMBS毎日放送のラジオを聴いていたら、「市川紗椰のKYOTO NOTE」という番組のオープニングで、同じ曲が流れてきたので驚いた。

まさかMBSが他局の音楽を勝手にパクるとは思えず、そうするとこれはNHKオリジナルではなく、どこかのアーティストが作った同じ音楽を、たぶん偶然に両放送局が使用しているのだろう。

そう思って両番組の公式サイトなどを覗いてみたが、オープニング曲に関する情報は全く見当たらない。ちょっと手間がかかったが、ネットでいろいろと検索してみて、ようやく該当の情報に辿りついた。

ジュスカ・グランペールという、京都を拠点に活動しているヴァイオリンとギターのアコースティック・デュオが演奏する「めざめ~Reveil」という曲である。確かに、朝のニュース番組や京都の地域情報番組にふさわしい音楽というわけだ。

グループ名は「おじいさんになるまで」という意味のフランス語で、共におじいさんになるまで楽しく続けていきたいという願いをこめたものだそうだ。寡聞にしてグループ名も知らなかったが、結構いろんな番組やCMに楽曲を提供しており、そうと気づかぬうちに彼らの音楽に接しているかもしれない。

同曲のサンプル試聴はこちら

9月27日 LSD40キロ

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2018/09/19

奈良フィル定期演奏会

18091616日の日曜日、奈良フィルハーモニー管弦楽団第43回定期演奏会を聴いた。同楽団の存在は知っていたが、実際に聴いたのは初めてである。ラン仲間でクラリネットも嗜むRさんから、チケットが余っているので行かないかとお誘いがあった。

曲目は、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と交響曲第2番、その間にグリークのピアノ協奏曲というオール北欧プログラム。指揮は粟辻聡、ピアノ独奏は喜多野美宇子である。

1985年に結成された奈良県唯一のプロオケということで、正直なところそれほど演奏水準は高くないだろうと予想していたが、失礼ながら意外にもほとんど破綻のない、まとまった演奏を聴かせていた。特に最後の交響曲では、シベリウス特有の暗い音色に籠る情念のようなものを引き出していた。

ただ、第1ヴァイオリンが10名という比較的小編成の弦楽器群に比して、金管楽器の音量が大きく、直接音が前面に出過ぎる場合が多かった。全体のバランスや響かせ方という点で、もう少し改善の余地がありそうだ。朝比奈時代の大阪フィルもこんな感じで金管が目立っていたから、ひょっとすると関西楽壇のDNA(?)なのかもしれない。

また、ピアノ独奏は速いパッセージになると端折るというか、弾き飛ばしてしまう傾向があり、肝心のメロディラインすら追えない箇所も散見された。ただし、カデンツァになると俄然張り切る人なのか、そこだけは大変迫力ある演奏をしていた。

なお、アンコールにシベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」という小曲が演奏された。曲名すら知らなかったが、弦5部の合奏に最後だけティンパニが加わり、祝祭という題名にもかかわらず、しっとりと落ち着いたいい音楽だった。

9月17日 LSD20キロ
9月19日 ジョグ10キロ

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2018/09/01

ブラヴォー、クリストフふたたび

先週、NHK-FMのクラシックカフェでクリストフ・フォン・ドホナーニ指揮クリーヴランド管弦楽団によるベートーヴェン交響曲第8番が放送された。昨日、今年2回目の献血に行った際、ウォークマンに転送しておいたその録音を聴いていて、思わずわが耳を疑う箇所があった。驚きのあまり、もう少しで血流が止まるところだった。(笑)

第2楽章アレグレット・スケルツァンド。当時まだ発明されたばかりのメトロノームを模したとされる木管の規則正しい刻みに乗って、弦楽器がいかにも楽しげなメロディを奏で、それが一段落したところで、F音(ヘ長調のド)の強烈なトレモロがユーモラスに締めくくる(23小節)。同じ音型は直後の25小節、さらに変ロ長調で56、58小節にも登場する。

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あえてヴァイオリンのパートだけ抜粋したが、以下ヴィオラ、チェロ、コントラバスまで全てFのトレモロと、これまでは思い込んでいた。

ところが・・・

8月30日 ジョグ10キロ
月間走行 164キロ

続きを読む "ブラヴォー、クリストフふたたび"

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2018/08/20

バルトーク弦楽四重奏曲全集

Emersonq_2ショスタコーヴィチ、プロコフィエフに続く、20世紀の音楽シリーズ(?)第3弾は、バルトークである。彼の作品中で人気、演奏頻度ともに最も高い「管弦楽のための協奏曲」(通称オケコン)だけは既に守備範囲に入っていたが、それ以外の作品はトンと馴染みがなかった。

とりわけ難解というか、とっつきにくかったのが弦楽四重奏曲である。だいぶ以前にエマーソン弦楽四重奏団による全集盤を買ってはいたのだが、ちょこっと聴いただけで「なんじゃこりゃ」と、匙を投げていたのだ。

最近になって、自分の音楽理解がようやく20世紀に入ったので、そろそろ挑戦しても良い頃合いかと再挑戦を思い立った。結論的に言えば、とても面白い音楽ばかりだった。どうしてこれまで食わず嫌いを続けてきたのか、自分でも不思議なくらいだ。

形式面では、古典的なソナタ形式や3部形式などの要素を残してはいるが、調性面では、第5番以降若干の揺り戻しがあるとはいえ、ほぼ無調音楽に近いと言える。ここまではショスタコーヴィチでも概ね同様だが、大きく異なるのは弦楽四重奏という表現媒体の多様性を極限まで追求している点である。

とりわけ奏法面での多様性は目を瞠るばかりだ。弦を弾いて指板に叩きつけるバルトーク・ピツィカートや、弓の木の部分で弦を弾く(叩く)コル・レーニョなどの打楽器的奏法をはじめ、重音、グリッサンド、スル・ポンティチェロ(駒に近いところを弾く)、スル・タスト(指板に近いところを弾く)など、特殊奏法のオンパレード状態である。

これらによって表現される音楽の内容は、まとまった主題の提示と反復、展開といった古典的、論理的なものというより、断片的な動機を感覚的、即興的に様々に変容させつつ、それが一旦落ち着くとまた次の動機が現れるといった印象が強い。あまり詳しくないので的外れかもしれないが、ジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)というのがこれに近いのではないか。

6曲のうちでは、1939年に作曲された最後の第6番がとりわけ印象に残った。第1楽章冒頭、Mesto という指示があり、ヴィオラだけで奏される「悲しみの主題」が、第2楽章冒頭では2声、第3楽章冒頭では3声と、次第に声部を増やし、最終楽章でようやく作品全体のテーマとして本格的に登場する。第二次世界大戦のさなか次第に悪化していく当時の世情や、作曲の翌年にはアメリカに移住することになる彼自身の心情を反映したものだろう。

オケコン以外の管弦楽曲、協奏曲なども、順次聴いていきたい。

8月18、20日 ジョグ10キロ

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2018/07/24

マーラー歌曲集

Toce59089後期交響曲に続いて、これまであまり聴く機会がなかった彼の歌曲集をまとめて聴いたのだ。

マーラーにとって、歌曲は交響曲と並ぶ創作活動の重要な柱で、時には交響曲と表裏一体のような関係にあることは知っているが、ドイツ語歌詞と対訳を見ながら聴くのが面倒なのと、長大な交響曲の2枚組CDの余白に入っていて、つい見過ごしてしまうのだ。(笑)

今回聴いたのは、「さすらう若人の歌」「亡き子をしのぶ歌」「リュッケルト歌曲集」「子供の不思議な角笛」の4作品。大体4、5曲セットで2~30分程度の長さだが、「角笛」だけは全12曲で50分ほどかかるため、コンサートでの実演機会は少ないようだ。

「若人」の旋律を引用した交響曲第1番、「角笛」の一部が移行した交響曲第2、第3、第4番。その本家(?)の歌曲集を聴くことで、交響曲の成立経緯にまで遡った楽曲理解に役立つことは確かだろう。

彼独特の絡みつくようなメロディの背後には常に「歌」があり、つまり「言葉」があるのだ。純粋器楽のはずの交響曲のスコアに、あれほど入念な演奏指示がなされているのも、そこに理由があるのだろう。

4つの作品の中では、実は一度も聴いたことがなかった「リュッケルト歌曲集」が最も興味深かった。今回はピアノ伴奏版だったので、オーケストラ版も聴いてみたいところだ。

7月23日 ジョグ10キロ

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2018/07/09

マーラー後期交響曲

Wpcs13350マーラーの交響曲では、第1番と第5番の演奏頻度が飛びぬけて高く、次いで第4番や第2番が時折取り上げられるが、第6番以降の後期の交響曲が演奏される機会はさほど多くないように思う。マーラーは「やがて私の時代が来る」と予言したそうだが、現時点では予言は前半だけ的中したといったところか。

ご多分に漏れず、私自身も彼の後期の交響曲は、実演では第6番と第9番をそれぞれ一度聴いただけで、それ以外はCD等でも全曲を通してちゃんと聴いた記憶があまりない。第10番に至っては1枚もディスクを持っていなかった。

最近、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの作品を続けて聴いたけれど、彼らに大きな影響を与えたはずのマーラーの交響曲をちゃんと聴いていないのでは具合が悪いと、第6番以降をまとめて聴いてみたのだ。お恥ずかしながら、未完に終わった第10番の第2楽章以降を補完した全曲版を聴いたのは初めてのことだ。

ひととおり聴いてみて、第6番と第7番はやはり内容的に難解というか、個人的な思い入れが強すぎて万人に受け入れられるとは言い難い。しかし、第8番になるとそこから突き抜けたというか、新たな境地が開けた感がある。第9番、第10番ではさらに達観した境地に入り、死の淵を覗き見るような深さがある。(※個人の感想です)

それぞれ1時間を超す大曲なので、そう頻繁に聴くわけにもいかないが、繰り返し聴けばまた新たな発見があるに違いない。そう言えば、歌曲集などもほとんど手つかずの状態だ。食わず嫌いは良くないし、残りの人生で音楽を聴ける時間も無限にあるわけではないのだ。

7月8日 ジョグ10キロ

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2018/06/30

1分23秒

先日、NHK-BSで放送された、アンドリス・ネルソンス指揮ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏会を視聴した。曲目はモーツァルトの交響曲第40番ト短調と、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」というもの。今年3月に本拠地ゲヴァントハウス大ホールにて行われた公演である。

このオケは以前、ブロムシュテットがブルックナーの交響曲第7番を振った来日公演をナマで聴いた記憶があるが、いかにもドイツの古い伝統を感じさせるものの、ベルリンやミュンヘンのオケに比べるとやや地味な印象は拭えない。今回の演奏も大変オーソドックスなものだった。

それよりも驚いたのが、聴衆のマナーの良さである。映像からするとほぼ満員と思われるが、楽章の合間も含めてそれこそ咳きひとつしない。何より、曲が終わってから拍手が起きるまでの時間がとても長い。最弱音で消え入るように終わる「悲愴」では、いつまで経っても場内は静まり返ったままだ。

指揮者が中空で止めていた腕を静かに下ろす。普通ならこれが合図だが、まだまだ。

……

顔を上げて、閉じていた目をおもむろに開ける。ステージ後方の客席からは見えるはずだが、なかなか。

……

指揮棒を譜面台にそっと置く。なんのなんの。

……

譜面台の上に置いていたポケット版スコアを閉じる。ここでようやく拍手が起きた。

その経過時間を計ってみた。音が消える瞬間は分かりづらいので、便宜上、最後から2小節目、コントラバスの最後のピチカート(pppp)からとした。実に、1分23秒である。音楽の余韻に浸る。そして、そこから現実に戻るまでに、ライプツィヒの聴衆にはそれだけの時間が必要なのだ。

「それに比べて日本の聴衆は」などと言うも憚られる。かつてメンデルスゾーンがカペルマイスターを務めたライプツィヒ・ゲヴァントハウスの、そしてドイツの音楽文化の伝統というものをまざまざと見せつけられた思いである。

6月29日 ジョグ10キロ
月間走行 190キロ

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2018/06/06

カラヤン最高の名録音

Swanlake_3音楽ネタをもうひとつ。先日、フォノカートリッジを買い替えて試聴した際、カラヤンがベルリンフィルを指揮した、チャイコフスキーのバレエ組曲「白鳥の湖」を聴いた。LPとCD、同じ音源のディスクで比較してみたというわけなのだが、改めてこの録音の凄さに気づかされた。

中でも1曲目の「情景」は、これまで自分が聴いたカラヤンの録音の中で、最も素晴らしいというか、最もカラヤンらしい名録音だと思う。オペラの序曲や間奏曲など、小品でも全く手を抜かないどころか、小品になるとその芸が一層冴える、カラヤンの面目躍如といったところだろう。

「バレエ」というと必ず登場する、あまりにも有名なメロディで始まる、僅か3分ほどの短い曲。「何をいまさら。こんなの誰が振っても同じ」と、並みの指揮者なら思いかねないところ、カラヤンは違う。最初から最後まで気迫に満ちた真剣勝負を繰り広げるのだ。

まず、「つかみ」が見事だ。ヴァイオリンとヴィオラのトレモロ、それにハープのアルペジオ。冒頭わずか1小節だけで室温が4、5度下がり、霧の立ち籠める北国の湖の風景が現れる。そこに浮かび上がるように、オーボエソロが白鳥のテーマを切々と奏でる。5、6小節目のハープの細かい音型は湖面を吹き渡る冷たい風のようだ。

ところで、このオーボエソロはローター・コッホの演奏だとずっと思い込んでいたが、ネットで調べてみるとカール・シュタインスとする記事があり、その可能性もありそうだ。いずれも名人というにふさわしい奏者であることは間違いない。特に、10小節目アウフタクトからの後半では、クレシェンド、デクレシェンドに応じて微妙にテンポを揺らし、緊迫感をさらに強めている。

19小節目からはトゥッティ(総奏)でテーマを繰り返す。前半は荘厳なホルンの響きが、鬱蒼とした北国の森林風景を思わせる。後半は木管の3連符に乗って、ヴァイオリンとヴィオラが情熱的に、うねるような節回しで歌い、聴く者の心を鷲掴みにする。一歩間違えると低俗趣味に陥りかねない、そのギリギリ手前で踏みとどまるのがカラヤンの「芸」である。

テーマの終わりから3連符による経過的な部分に入り、次第に高潮していく。ff の42小節からの金管楽器群の掛け合い(特に3連符!)は、まるでブルックナーの交響曲のような迫力である。52小節目以降、fff  で白鳥のテーマが再現されクライマックスを迎えるが、その轟然たる音響は聴く者を圧倒する。60小節目で再び冒頭の霧の湖畔の風景に戻り、余韻を残して曲は終わる。

一篇の壮大な音楽ドラマを聴き終えたような感覚になり、これ1曲でお腹いっぱいになるのだが、演奏時間は僅か2分43秒でしかない。自分はこの演奏を聴くたびに、「邯鄲の夢」という中国の故事を思い出すのである。

6月5日 ジョグ10キロ

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2018/06/03

1台のラジオキットから

フォノカートリッジの話題が出たついでに、オーディオに興味を持ったきっかけと、その後のことについて書いてみたい。

タイトルのとおり、それは1台のトランジスタラジオキットから始まった。キットというのは、必要な部品が全てセットされていて、説明書に従って組み立てれば完成するというものだ。小学校高学年のとき、電気工事店の跡取り息子である従兄からプレゼントされたものだ。従弟の私にも電気に興味を持たせようとしたのかもしれない。

それまでプラモデルには親しんでいたけれど、ちゃんと音が出るラジオを自分で組み立てた感激は比較にならないほどで、中学時代には電子工作に熱中するようになった。「子供の科学」という雑誌に掲載された様々なガジェットを拵えた。当時は大阪市内に住んでいて、週末はほぼ日本橋の電気街で過ごす少年だったのだ。(笑)

それがさらにエスカレートして、アンプやスピーカーなどの自作に取り組むようになる。ラックスやケンクラフトなどのアンプキット、オール自作の真空管アンプ、16センチフルレンジを自作ボックスに納めたスピーカーなど、小遣いはほとんど全てオーディオに費やした。

さらに、オーディオと並行して、音楽の方にものめり込んでいく。折角ステレオを自作したのだから、本格的な音楽を聴かないともったいないと、ワケも分からないくせにクラシックのレコードを買い始めた。最初はオーケストラの迫力ある音に満足するだけだったのが、繰り返し聴くうち音楽そのものに心奪われるようになっていく。

オーケストラの編成とか各楽器の音にも興味が湧いて、ポケット版のスコアを買ったりしていたが、そのうち何を思ったか自分でも演奏してみたくなった。とりあえず簡単に音が出そうで、楽器も比較的安価なクラリネットを買ってもらい、教則本を見ながら自己流で練習を始めた。

中学、高校時代は弱小ブラスバンドの一員として活動するだけだったが、高校時代に聴いた某大学オーケストラのブラームスに衝撃を受け、何が何でもこのオケに入るんだという一念で受験勉強に励んだ結果、無事合格したことはだいぶ以前にも書いた。

今から思えば、プレゼントした従兄本人は全く意図しなかっただろうが、1台のトランジスタラジオキットが、その後の私の人生を大きく変えたのだ。他にもそういう人物が2人いるのだが、いずれも本人は全く与り知らないはずだ。

6月1日 LSD40キロ
6月3日 ジョグ10キロ

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2018/05/31

フォノカートリッジを買い替え

アナログレコードプレーヤーのフォノカートリッジを買い替えた。最近でこそ見直されつつあるものの、アナログレコードがCDに主役の座を譲ってから30年近くは経つだろう。自分自身、そう多くはないLPレコードのコレクションを再生する機会は最近ほとんどなくなった。

それでも、ちょっと前にLPでしか持っていない曲を聴きたくなって針を落としたら(このフレーズ、懐かしい・笑)、中心に近い内周部で音がビリつく現象が出た。もう何年使ったか分からないオルトフォンのMCカートリッジの針先がさすがに摩耗していたようだ。

ちょっと専門的になるがMC、つまりムービング・コイル式のカートリッジは、音質が良い反面、針先だけの交換が不可能で、カートリッジ全体を取り替える必要がある。しかし、オルトフォンMC20という機種はもう生産中止になっていて、対応する現行機種はかなり高価だ。

そこで思い切って買い替えることにして、ネット等でいろいろとリサーチしてみたところ、オーディオテクニカのAT-F7という機種が、リーズナブルな価格の割に評価が高いことが分かった。驚いたことに、2010年になって発売された商品ということである。写真は出荷時のダミーシェルについたまま、上下逆の状態である。

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ヘッドシェルへの取り付けやリード線の結線など、デリケートな割に意外に力の要る作業は、手元が見づらくなった身には大変だったが、昔取ったなんとやらで何とか完了。オーバーハングや針圧、インサイドフォースキャンセラーの調整(この辺りの用語は昭和のオーディオマニアしか分からない・苦笑)も済ませた。

再生音はfレンジ、Dレンジともよく伸びて、定位感にも優れている。目の前で演奏しているかのような臨場感、音場感に関してはCDを凌駕するほどだ。これで今後も引き続きアナログレコードを楽しむことが出来そうだ。

5月30日 ジョグ10キロ
月間走行 173キロ

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