2018/02/08

『波止場』

Waterfront1954年、米。マーロン・ブランド主演、エリア・カザン監督。アマゾンの紹介文。

ボクサーくずれのテリー(マーロン・ブランド)は、兄チャーリー(ロッド・スタイガー)が波止場を仕切るボスのジョニー(リー・J・コッブ)の命令で仲間を殺す現場を目撃。その妹イディ(エヴァ・マリー・セイント)の嘆き悲しむ姿に心動かされ、バリー神父(カール・マルデン)に真相を告白するが、やがてチャーリーも殺害されるに及び、ついに法廷に立つ決意をする…。(引用終わり)

マーロン・ブランドの出世作とされ、アカデミー賞8部門を受賞した名作だが、わが国ではそれほど人気のある作品ではないようだ。自分自身、寡聞にしてタイトルすら聞いたことがなかった。

最後は正義が勝つという、古き良きアメリカ的価値観を具現化したストーリーのせいかもしれないが、どうもそれだけではないかもしれない。漠然とではあるけれど、そこにキリスト教精神の裏打ちがあるような気がするのだ。作中、バリー神父が大きな役割を演じるが、罵声を浴びせられ、生卵を投げつけられても、人としての正しい生き方を説く彼の姿は、日本人の目からするとほとんど理解不能だ。

さらには、チャーリーとテリー兄弟の対立や確執といったことも、本作の大きなテーマと言えるが、これももしかすると、カインとアベルの他にも聖書に何組か登場する兄弟たちの物語を下敷きにしているのかもしれない。やはり聖書の勉強は必要だと、改めて思う。

なお、音楽はレナード・バーンスタイン。『ウエスト・サイド物語』を彷彿とさせるような音楽作りで、ストーリー展開を巧みに盛り上げている。

2月6、8日 ジョグ10キロ

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2018/02/02

『アフリカの女王』

Africanqueen1951年、英。ハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘップバーン。アマゾンの紹介文。

ドイツ領の東アフリカで、兄を亡くした敬虔な女性宣教師ローズは、呑んだくれの船長チャーリーを雇い、彼のオンボロ蒸気船「アフリカの女王」に乗って、沿岸一帯を支配するドイツ軍の砲艦を撃沈する為に河をくだってゆく。はじめはいがみ合っていたものの、二人は様々なトラブルに遭遇しながら絆を深めて、力を合わせて砲艦に立ち向かってゆく。アフリカを舞台に凸凹カップルの冒険を痛快に描く、アクション、ロマンス、ユーモアが巧みにブレンドされたアドベンチャー映画の傑作。(引用終わり)

タイトルとジャケット写真から想像すると、白人のヒロインがアフリカ某国の女王に即位するまでの奇想天外なストーリー…かと思いきや、主人公たちがそういう名前の蒸気船に乗って川を下るというストーリーだった。(笑)

イギリス製作だが、まるでハリウッド映画のような単純明快な冒険映画である。チャーリーのことを途中まで「オールナットさん」と他人行儀に呼んでいたローズが、ある出来事を契機に「チャーリー」とファーストネームで呼び始めた瞬間、遅咲きの恋を知った女の顔になるところが面白かった。ただ、スリル満点のはずの急流下りのシーンは、合成したのが丸わかりのショボさだが、51年という時代を考えると仕方ないか。

ところで、音楽の演奏はノーマン・デル・マー指揮ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとある。どこかで聞いた名前だと思ったら、ベートーヴェン交響曲全曲のベーレンライター新版スコアの校訂を行ったジョナサン・デル・マーのお父さんだったのだ。歴としたクラシックの指揮者・音楽学者で、リヒャルト・シュトラウスに関する書物も著しているそうだ。

1月31日 ジョグ10キロ
月間走行 110キロ
2月 2日 ジョグ10キロ

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2018/01/30

『欲望という名の電車』

Desire1951年、米。ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド他。アマゾンの紹介文。テネシー・ウィリアムズの同名戯曲を原作者自ら脚本を書いて映画化したもの。

父の死と共に南部の家を失ったブランシュ・デュボアはアルコールに身を持ち崩して、妹ステラが結婚しているニューオリンズのフランス街の家を訪れた。妹の夫スタンリー・コワルスキーは暴力的な男で、カードと酒に狂ってはステラを打つのであったが、彼女はこの男に全身を捧げて悔いなかった。そのような妹夫婦の日常を見るにつけ、ブランシュはスタンリーのカード仲間ミッチに次第に関心を持つようになった。母と2人暮らしの純情な独身者で、真面目にブランシュとの結婚を考えはじめ、彼女も彼に、年若の夫を失った暗い過去を打ち明けて、将来への希望を語った。しかしスタンリーは街の仲間から、ブランシュが実は大変な莫連で、17歳の少年を銜え込んだというので故郷を追われてきた女だということを聞き出して、ミッチにぶちまけた。ブランシュの誕生日に、むろんミッチは出て来ず、しかもスタンリーは彼女に贈り物として故郷へ帰る片道切符を渡した。そして、その夜…(引用終わり)

「莫連」などという言葉を初めて知った。(笑)

南部の豪農の家に生まれたものの家屋敷全てを失ってしまい、身を持ち崩した未亡人ブランシュが、妹ステラを頼ってニューオリンズにやって来て、タイトルどおり「欲望」という名の路面電車(ニューオーリンズに実在する Desire Street 行き電車とのこと)に乗るところから始まるが、その後はほぼ全篇に亘りステラが夫スタンリーと住む貧しいアパートでのシーンが続く。主要登場人物も4人だけで、いかにも戯曲という感じだ。

かつての華やかな生活が忘れられず「お高くとまっている」ブランシュと、無教養の上に短気で粗暴なスタンリーはまさに水と油。間に立つステラが懸命にとりなすものの、両者の衝突は不可避と思われ、ラスト近くの決定的な対決シーンに向けて、ぞわぞわするような緊張感が高まっていく。

なかでも、次第に精神の異常を来たしていくブランシュを演じたヴィヴィアン・リーは、まさに鬼気迫る迫真の演技で、1939年の『風と共に去りぬ』以来自身2度目のアカデミー主演女優賞を獲得したが、私生活でも精神的に不安定だったそうで、それを知って観ると何だかいたたまれない。

1月29日 ジョグ10キロ

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2018/01/27

『ジャッカルの日』

Jackal1973年、米。エドワード・フォックス他。アマゾンの紹介文。

1960年代のフランス。ド・ゴール政権に不満を持つ秘密軍事組織OASは、大統領暗殺を目論むが、ことごとく失敗に終わってしまう。そこで、OASは最後の手段として、凄腕の殺し屋ジャッカルにド・ゴール暗殺を依頼する。この計画をいち早く察知したフランス警察のルベル警視はジャッカルの暗殺計画に立ち向かうが、ジャッカルの照準は着実にド・ゴールを追いつめていく・・・。(引用終わり)

フレデリック・フォーサイスの同名小説の映画化。暗殺計画そのものはもちろん、武器や変装の小道具といったディテールに至るまで大変リアルであり、実際に起きた事件のドキュメンタリーと錯覚しそうになるほどである。

ジャッカルの正体は結局最後まで分からないままであるが、その得体の知れない雰囲気や冷徹非情な仕事ぶりは、正にプロの殺し屋である。一方、ルベル警視の捜査は愚直なまでに正攻法ながら、水も漏らさぬほど徹底したもので、この両者の対決が同時並行で進行し、手に汗握るような緊張感を高めていく。

クライマックスの対決シーンそのものは僅か数秒でしかないが、そこに至るまでのジャッカルの綿密な準備ぶりと、それを嗅ぎ出す地道な捜査との対決、駆け引きそのものが、本作の見どころと言えるだろう。

なお、アメリカ映画にもかかわらず、仏伊英3か国でロケを行い、ヨーロッパの俳優陣も起用するなど、渋いヨーロッパ映画のようなテイストを漂わせているのも特筆される。

1月25、27日 ジョグ10キロ

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2018/01/24

『真昼の決闘』

Highnoon1952年、米。ゲイリー・クーパー、グレイス・ケリー他。アマゾンの紹介文。

1870年、舞台はのどかな町・ハドリービル。その町の保安官ウィルがエミーという美しい女性と結婚式を挙げる。ところが、喜ばしい雰囲気もつかの間、なんとウィルがかつて逮捕した無法者達がこの町にやってくるとの知らせが入る。ウィルは様々な思いを交錯させた末、彼らとの対決を決意する! だが、戦いに否定的な新妻エミーは一人町を去ろうと駅へ向かう。ウィルは猛暑の町を歩き回り協力者を求めるが、臆病で利己的な住民たちはその門を閉ざす。決闘の時間の正午は刻一刻と近づき、ついに駅に列車が到着、町を去るエミーが列車に乗り込むと同時に、ウィルへの復讐に燃える無法者達が降り立った!!誰の助けも得られなかったウィルは、一人で無法者達との決闘の場に立つ…(引用終わり)

西部劇としては異色の作品である。主人公の保安官ウィルは決して無敵のヒーローではなく、悪漢達との対決を決意しながらも、一旦は馬を借りて逃走しようかと迷う、弱さを持った普通の人間である。協力者を探し求めて、額に汗を滲ませ町を彷徨う表情はどこか虚ろですらある。

さらに、彼に対する町の人々の態度が冷淡というか、大変現実的である。保安官が厳しくて商売の邪魔だったと言い放つ人間もいて、いろいろと口実を並べては協力することを拒み、その挙句に出した結論が、彼に一刻も早く町から逃げろというものだった。

新婚の妻にまで町を去られ、結局一人で4人を相手にすることになり、クライマックスの対決の場面に向けて緊張感が一気に高まる。結末は大体予想どおりのものだが、しかしそれは決して高揚感やカタルシスを味わえるものではなく、むしろどこか後味の悪い、重い課題を突き付けるかのような静かな幕切れである。

1月23日 ジョグ10キロ

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2017/12/21

『サバイバルファミリー』

Survival2017年、アルタミラピクチャーズ他。東宝配給。矢口史靖脚本、監督。小日向文世、深津絵里他。KINENOTEの紹介文。

東京に暮らす鈴木家では、お母さん(深津絵里)が話しかけてもお父さん(小日向文世)はテレビに見入り、無口な息子(泉澤祐希)はヘッドホンをつけ音楽に夢中、娘(葵わかな)はスマートフォンを手放せず、一緒にいてもどこかバラバラだった。ある朝、テレビや冷蔵庫の電化製品、スマートフォンにパソコンといった通信機器、さらに電車や自動車、ガス、水道など、乾電池を使うものも含め電気を使うあらゆるものが突如動かなくなってしまう。単なる停電とは言えないこの異常事態は、一週間経っても続いたまま。情報も絶たれ、不自由な生活に困り果てる人々。ついに父は東京脱出を決断。生き残りを賭けたサバイバルライフがはじまる。(引用終わり)

単なる停電ではなく、バッテリー、乾電池から車の点火プラグに至るまで、およそ「電気」を使うもの全てが突然使えなくなるという設定がミソだ。停電だけなら、ガソリンがなくなるまでは車で移動し、車の中で暖を取って生活することも可能だからだ。最近では家に電気を供給できる車だってある

あらゆるライフラインがストップし、使えるものと言えば自転車、蒸気機関車、井戸水、薪燃料など。100年以上前のライフスタイルへの回帰を余儀なくされることになるが、本作のテーマは反原発でも文明批判でもないだろう。矢口監督自身が公式サイトで述べているとおり、「本筋は家族再生の物語」なのだ。

鈴木一家は、このパニックを通じて否応なしにお互いと真剣に向かい合い、そこからやがて本当の家族の絆が生まれる…。というお話だとすれば、事象発生前の「どこかバラバラだった」家族とは一体何なのか。この一見面白おかしい映画が発する問いかけは、意外に深いものがあると思う。

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2017/12/15

『探偵はBARにいる3』

Postera2017年、製作委員会。東映配給。大泉洋、松田龍平、北川景子ほか。公式サイトの紹介文。

「恋人の麗子が失踪した」。高田の後輩からのありふれた依頼を安易に引き受けた探偵。早速調査に乗り出すと、探偵は麗子がアルバイトをしていたモデル事務所のオーナー・マリと出会い、かすかな既視感を覚える。しかし周囲を嗅ぎまわる探偵はマリの手下に襲われ、これまで無敗を誇った高田も倒されてしまう。
次第に麗子の失踪の陰に、裏社会で暗躍する札幌経済界のホープ・北城グループの殺人事件が見え隠れする。マリはグループの代表・北城の愛人だった。そんな中、何かを思い出す探偵。なじみの元娼婦・モンローがかわいがっていた、今にも死にそうに震えていた女――「あれか…?あれがマリか…?」
緊張が走る裏社会、巨額の薬物取引、2つの殺人事件――。すべてはマリによる、北城をも欺く作戦であった。そしてマリは、探偵に最後の依頼を託す。その時、探偵と高田の別れへのカウントダウンが始まっていた。(引用終わり)

第1作の小雪、第2作の尾野真千子に続き、本作では北川景子がヒロインを務める。彼女にとって初めての悪女役となったが、凄みを感じさせるほどの迫力はなかった。ファンとしてそれを喜んでいいのかどうかは分からないが、それよりは回想シーンに登場する、ほとんどスッピンの血の気の失せたような表情の方が印象的だった。

ストーリーは前作までと同様、札幌の裏社会を背景とした事件に果敢に切り込む、探偵と高田コンビの冒険活劇である。第1作で指摘したようなエロ・グロ趣味は影を潜め(本作はPG指定なし)、ブラックを含めてユーモラスな場面も多く、安心して観ていられる作品に仕上がっている。

事件の結末はほぼ予想できる範囲内である。詳しくは観てのお楽しみとしか言えないが、ひとつだけ、エンドロールの最後まで席を立たないことをお勧めする。

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2017/12/09

『アラバマ物語』

Mockingbird_2映画ネタはちょっと久しぶり。1962年、米。グレゴリー・ペック主演。「午前十時の映画祭」の紹介文。

世界恐慌の波が襲った1932年、アメリカ南部のアラバマ州。妻を亡くした弁護士、アティカス・フィンチ(G・ペック)は、幼い息子ジェムと娘のスカウトと共に、静かだが幸福な日々を送っていた。そんなアティカスに地方判事から、白人女性への暴行事件で訴えられた黒人青年・トムの弁護を依頼される。人種偏見が根強い町の人々は、黒人側に付くというアティカスや子供たちに冷たく当たるようになる。だが彼は不正と偏見を嫌い、何よりも正義を重んじ、トムの弁護を引き受ける。(引用終わり)

名作である。物語の主軸となるのは黒人青年トムの裁判であるが、当時の南部に根強かった人種偏見に対して、あくまで公正公平な態度を貫くアティカスの生き方や、子供に対する深い愛情がひしひしと感じられ、大変に感銘深かった。米映画協会が選んだ米映画のヒーロー100人の第1位がアティカスだったというのも頷ける。

グレゴリー・ペック自身、「好きな役柄は?」と問われて、「アティカスだ」と即答する場面が、特典映像の「グレゴリー・ペックとの対話」に収録されている。関係者のインタビューによれば、ペック自身アティカスを地で行くような公明正大な人物だったようで、中でも娘のセシリアのスピーチは父への深い尊敬を窺わせ、大変に感動的だった。

ところで、本作は“To Kill a Mockingbird” という原題で、ハーパー・リーによる同名小説を映画化したものだが、これにはネタバラシを含む説明が必要だ。

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2017/11/16

『夜の大捜査線』

Heat1967年、米。シドニー・ポワチエ、ロッド・スタイガー他。ウィキペディアの紹介文。

アメリカ南部の小さな駅に夜行列車からひとりの黒人(シドニー・ポワチエ)が降り立った。町では折しも有力者の殺人事件が発生。パトカーの警官がうだるような熱帯夜のなかを巡回していた。人種偏見の強い地方であるために、駅の待合室にいた「よそ者」の黒人は、巡回中の警官によって容疑者として連行され、署長(ロッド・スタイガー)の前に突き出されてしまう。しかし、あからさまな侮蔑と嫌悪にさらされているこの黒人の男は、フィラデルフィア警察の殺人課、敏腕刑事ヴァージル・ティッブスだった。
滅多にない殺人事件に手を焼く田舎町の警察は、地元市長からの圧力もあって、屈辱感を覚えつつも都会のベテラン刑事ティッブスに捜査協力を依頼する。白人署長はもともと頑固な差別主義であったが、次第にティッブスの刑事としての能力に一目置くようになる。ただし、人種偏見が根強い町であるために、捜査には困難が常につきまとう。
事件はようやく解決し、ティッブスと署長との間には奇妙な友情のようなものが生まれていた。ティッブスが町を去る日、駅には彼を晴れやかな表情で見送る署長の姿があった。(引用終わり)

「夜の大捜査線」という邦題から、夜の大都会を舞台に多数の警察官とパトカーが登場する派手なアクションものを想像していたが、全く違っていた。舞台はミシシッピの片田舎で、捜査に当たるのはティッブスと白人署長、それにサム巡査の3人だけ。殺人事件そのものも、犯人、動機、殺害方法、いずれをとっても月並みな、まことにショボい事件としか言いようがない。

しかし、この映画の価値は殺人事件の捜査そのものより、当時の黒人差別の現実、それを跳ね返すティッブスの名推理、次第に彼の真価を認めざるを得なくなる署長の心理などが、説明は最小限ながら実に巧みに描かれているところにあるだろう。

何と言ってもポワチエのクールな表情がハードボイルトそのものであるし、クインシー・ジョーンズの音楽がそれにぴったり合う。ただ、それ以上に白人署長を演じたロッド・スタイガーが大変いい味を出していて、台詞なしでも署長の内面心理が十分に伝わる名演技である。

11月15日 ジョグ10キロ

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2017/10/07

『ブレードランナー』

Blade_runner1982年、米。リドリー・スコット監督。ハリソン・フォード主演。映画ドットコムの紹介文。

2019年、惑星移住が可能になった未来。レプリカントと呼ばれる人造人間が謀反を起こし、地球に侵入。レプリカント専門の捜査官“ブレードランナー”のデッカードは追跡を開始する。一方、彼は製造元のタイレル社でレイチェルというレプリカントに会い、心を通わせていくが……。熱心なファンによって支持され、カルト化したSFハードボイルド・アクション。(引用終わり)

2019年、近未来のロサンゼルスが舞台というけれど、もう再来年のことになってしまった(笑)。惑星移住も、空飛ぶ乗用車も、酸性雨による都市の荒廃も、まだ現実のものとなっていないが、妙な日本語や中国語の看板が氾濫する、薄暗いロサンゼルスの街並みは独特な世界観を表している。

1982年公開というから、まだCG、VFXの技術はなかったはずだが、特殊撮影でここまでの映像が作られたことは驚嘆に値する。また、文明の進歩で生まれた人造人間の宿命と悲哀を考えさせる内容は、単なるSFアクションの枠を超えた深みをもっている。ラスト近く、ビルの屋上で「TDK」のネオンをバックに、ロイが辞世の詩を語る場面は感動的だ。

当初公開版ではレプリカントの人数に誤りがあったことなどから、「デッカード自身もレプリカントではないのか」という見方が生まれた。スコット監督自身もそのアイデアが気に入っていたそうで、後にそれを示唆するシーンを追加するなど再編集が行われた。今回観た2007年の「ファイナル・カット」版でも当然それらが含まれ、音声解説の中で監督自身が説明を加えている。

さて、そうなると逃走したデッカードとレイチェルのその後が気にかかるが、実は本作を観終わって、この記事を書くためにネットで検索していたら、何と今月末に続篇『ブレードランナー2049』が公開されることを知った。偶然にしても出来過ぎた話である。

10月5、7日 ジョグ10キロ

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