2017/05/25

駿遠線廃線ラン(その3)

3日目の18日は午前9時過ぎ、浜岡のホテルを出発。国道150号が廃線跡に当たるが、その痕跡は全くなく、単調な行程が延々と続く。途中からは歩道もなくなり、大型車と対向する際は風で帽子が飛ばされそうになる。

風と言えば、この辺りは風の強い地形のようで、海岸沿いに巨大な風力発電設備がいくつも設置されていた。

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国道脇の何もない場所に、合戸(ごうど)駅跡を示す駅名標がポツンと立っていた。

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その先で掛川市に入り、菊川を渡ると、線路は右にカーブして内陸側に進路を変える。西千浜駅跡に駅名標が設置されているが、この先は市街地になっていて痕跡を留めない。

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新三俣駅のあった辺りからは、廃線跡を転用した道路がしばらく続く。野賀(のが)駅跡辺りで一時道に迷いそうになったが、とある住宅横に廃線跡を発見。ここからしばらくは雑草が生い茂る未舗装の道となり、一部区間では迂回を余儀なくされた。

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再び舗装路となり、ちょうど新茶の摘み取り時期となった茶畑の中を行く。小高い場所なので眺望が良い。

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野中駅のあった辺りから再び未舗装、というかほとんど藪漕ぎ状態となる。道はぬかるみ、藪蚊が容赦なく付きまとう。イノシシ対策だろうか、野獣捕獲用の檻が設置されている。地図にも載っておらず、まさに「けもの道」に近くなっている。わずか数百メートルの区間だったが、ちょっとした探検気分を味わえたし、藪を抜けた瞬間には解放感と達成感に包まれた。

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まもなく横須賀の町に入る。横須賀と言えば神奈川県と思っていたが、この掛川市の他にも、千葉県松戸市や愛知県東海市などにもある地名なのだ。昼時になったのでコンビニに立ち寄ってスタミナ&塩分補給。近くに飲食店が見当たらず、弁当などを買い求める客が多かった。

廃線ランを再開。町中では廃線跡は失われているが、町外れの七軒町駅跡付近から先、廃線跡は県道と並行する広い農道に転用され、格好の抜け道として利用されている。

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農道と別れてしばらく進んだ石津駅跡では、民家の庭先に当時のプラットフォームを残している。

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この先で袋井市に入る。新三輪駅跡付近から先は、遊歩道としてきれいに整備されている。

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五十岡(いごおか)駅跡にも当時のプラットフォームが残る。

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この先の遊歩道には車輪を模したモニュメントや、機関車を描いたレリーフ画などが設置されていた。これは浅名駅跡。

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諸井駅跡の先で県道41号に合流、柳原駅跡を過ぎると新幹線高架下を潜る。新幹線はあまりに速いので、車体がマンガみたいに後ろに傾いている。(笑)

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間もなく終点、袋井駅に到着。カーブしながら構内に入る線路の跡が残る。

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袋井駅跡に無事到着。左のガードの先に駿遠線新藤枝方を望む。

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さすがは日本最長の軽便鉄道だけあって、十分に走り応えがあった。さて、次はどこを走ろうか。

5月23、25日 ジョグ10キロ

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2017/05/22

駿遠線廃線ラン(その2)

2日目の17日は午前9時前に新藤枝駅跡から出発。しばらく東に進むと、かつての駿遠線は右にカーブして、東海道線を高架で越えていた。そのカーブの痕跡が、勤労者福祉センター「サンライフ藤枝」の駐車場に残っている。

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東海道線を越えると、線路は県道33号、通称田沼街道と並行して走り、新幹線の高架下を潜って、やがて県道に合流する。その合流地点に高洲駅があったが、その痕跡は全くない。県道をさらに南進すると大洲駅跡付近で東名高速の高架を潜り、焼津市に入る。

その先は田畑になっていて辿ることが出来ず、しばらく田んぼの中の道を迂回すると、大井川西小学校の南側で再び廃線跡が現れた。

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間もなく大井川を渡る。写真の国道150号の橋の右側に駿遠線橋梁が架かっていたが、何と橋脚部は木製だったという。その架け替え費用が工面できなかったことが、廃線を決定づけたとも言われている。前述のビデオによれば、昭和55年当時はまだその橋脚の残骸が残っていたが、今はもうなくなったようだ。

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大井川を越えると吉田町。しばらく県道79号と並行して進む。

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遠州神戸(かんど)駅跡。駅名標はむろん最近のものだが、これ以降も同様のモニュメントが設置されている駅跡が多かった。

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牧之原市に入り、榛原町駅跡付近の牛丼店でカロリー&塩分補給。駅跡は現在、同じ静岡鉄道系列のしずてつジャストラインのバスターミナルになっている。

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廃線ランを再開してすぐ、勝間田川を渡る箇所で、橋台の跡が残っていた。今回の廃線ランで初めて発見した、現役当時の遺構である。

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この後は国道150号と並行する歩行者、自転車専用道が延々と続く。海側にはイチゴなどのビニールハウスがずらりと並ぶ。自転車で下校途中の高校生を多く見かけた。駿遠線があれば彼らの通学もラクだったろうが、若いうちから足腰を鍛えておいた方が良いぞ。(笑)

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次第に海岸線が近づいて来たので、一旦コースアウトして海岸に出てみた。駿河湾西端の御前崎が遠くに見えている。

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海岸沿いの単調な行程がようやく終わり、相良(さがら)の町に入る。廃線跡は小中学校などに転用され、痕跡を留めない箇所が多い。新相良駅があった辺りは、ここでもバスの営業所になっている。小堤山公園の近くで廃線跡が復活。県道375号という表示は初めて見た気がする。

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間もなく、駿遠線唯一のトンネル、小堤山隧道が見えてきた。大正12年頃に建造されたとのことである。

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トンネルの特徴はご覧のとおりである。(笑)

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須々木駅跡、落居駅跡を経て、藤相鉄道時代の終点、地頭方駅跡に到着。その手前の小さな川を渡る橋台の跡らしきもの(パイプの向こう)と、構内信号機か何かの土台の跡を発見した。

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やがて線路跡は御前崎の付け根を横断して御前崎市に入り、今度は遠州灘に沿って西進する。V字の折り返し部分だ。浜岡付近で国道150号に合流、国道沿いのホテルに到着したところで2日目の行程を終了。周辺のアパート群は浜岡原発の従業員用と思われるが、長期運転停止の影響だろうか、ほとんど人気がなくて少し不気味だ。

5月21日 ジョグ10キロ

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2017/05/20

駿遠線廃線ラン(その1)

今週、駿遠線の廃線跡を走ってきた。東海道街道走りの準備で袋井近辺の地図を見ていて、廃線跡を転用したと思われる道路を発見。調べてみたら大変長い鉄道の痕跡の一部と判明したため、街道走りとは別の機会に踏破すべく計画していた。

静岡鉄道駿遠線は静岡県藤枝市から御前崎市を経由し、袋井市までをV字形に結んでいた軽便鉄道で、路線総延長64.6キロと日本一長い軽便鉄道であった。元々、藤枝側は藤相鉄道、袋井側は中遠鉄道と、別個の路線であったものが、戦時統合で静岡鉄道に一本化され、その後昭和23年に両線の終点を延伸、直結したものである。

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通勤・通学や夏の海水浴など、地元の人々の足として利用され、終戦直後は多くの買い出し客を乗せたが、ご多分に漏れず、モータリゼーションの進展等で経営が悪化。昭和39年以降段階的に廃止され、昭和45年7月末をもって全路線が廃止となった。

軌間762ミリのナローゲージ、単線・非電化の長閑な鉄道だったようで、乗客が多くて坂を上がれない時は乗客が降りて押したとか、ブタと衝突して脱線したという逸話も残っているそうだ。

廃線跡は、藤枝側の一部は県道375号静岡御前崎自転車道として、また袋井側の新岡崎-諸井間は遊歩道として整備されているが、農村部では雑草に覆われて通れなくなった箇所や、市街地では住宅や工場が建って全く痕跡を留めない箇所も多い。

16日午後に藤枝に到着、まずは藤枝市郷土博物館に向かう。入口にB15形機関車が展示されている。

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博物館では駿遠線に関するコーナーが設けられ、起点の大手駅の模型などが展示されていた。また、藤枝市が昭和55年に制作した駿遠線の記録ビデオが再生されていて、とても興味深かった。

博物館からほど近い大手駅跡から歩いて探索を開始。駅跡は現在は大型書店などが建っていて、全く面影を留めない。しばらくは何の変哲もない街路を進むと、藤枝本町駅のあった辺りから、明らかに線路跡と思われる遊歩道が現れた。

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瀬戸川を越える鉄橋は、現在は歩行者、自転車専用の橋となり、格好の通学路になっている。

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対岸に渡ると、ぐんと廃線ぽくなってきた。

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旧国道1号(現県道381号)のガードを潜る。

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志太駅跡か?

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新藤枝駅跡付近は再開発が進行中である。写真右手方向にJR藤枝駅がある。

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この日は、大手線とも呼ばれる、ここまで約4キロの区間のみで終了、藤枝駅前のホテルに投宿した。

5月17日 LSD33キロ
5月18日 LSD27キロ

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2016/11/22

耶馬溪鉄道廃線ラン(後半)

耶馬トピアでの昼食休憩を終えて再び廃線跡に戻る途中、羅漢寺橋が見えた。先の耶馬溪橋に比べ、アーチが長くてゆったりしている。

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国道212号に戻り、先ほど一旦折り返した地点から廃線ランを再開。その付近の羅漢寺駅、その先で国道から分岐してしばらく行った冠石野(かぶしの)駅ともに、痕跡はほぼ何もない。やがて左手の山国川対岸に巨大な岩山が見えて来た。

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案内板によれば、「約200年前に一夜轟然と大音響を発して巌腹崩落して今日の景をなした」といい、道行く人々が自然と立ち止まって眺めるので、「立留りの景」というそうだ。

間もなく耶馬渓平田駅。ここはプラットフォームがそのまま残り、トイレも設置されていた。

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この近くに馬溪橋があるので、少しコースから外れて見に行く。先の2つと合わせて、耶馬三名橋というそうだ。

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再び廃線跡に戻り、しばらく単調な行程が続くが、途中紅葉がきれいな場所があった。

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その先の対岸の山頂に巨岩が聳え立っている。酔仙巌というそうだ。写真では分かりにくいが、今にも転がり落ちて来そうに見えた。

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津民(つたみ)駅の先で第二山国川橋梁を渡る。ここを1両のディーゼルカーがのんびりと渡っていた当時の様子が想像できる風景だ。

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やがて、耶鉄柿坂駅の手前、市役所支所の裏辺りに、また紅葉が大変見事な場所があった。折角だからやや大きめのサイズでアップロード。(笑)

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この先の第三橋梁は既に失われているが、対岸に渡った地点にご覧のようなモニュメントが置かれていた。昭和4年に1067ミリに改軌されるまでの762ミリゲージの線路をかたどってある。

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この先でトンネルが5つ連続するが、第二トンネル内に湧き水があった。飲んでみたらとてもまろやかな味で、自販機もない区間なので非常に助かった。

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次の下郷駅に到着。ここもホーム、駅舎が保存され、トイレもあった。ベンチでしばし休憩する。

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間もなく第四橋梁を渡る。橋の上から橋の写真は撮れない道理で、身体を乗り出して撮るのが精一杯だった。

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次の江渕駅を過ぎると、切通しになっている箇所があった。トンネルで抜くほどの高さではないためだろう。

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一ツ戸の景。独特な山容が目を惹く。逆光で見づらかったが、紅葉と緑の対比が美しい。

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中摩(なかま)駅を過ぎ、田畑の中の真直ぐな軌道跡をひたすら進むと、次の白地(しらじ)駅に到着。いかなる経緯によるものか、プラットフォーム上に住宅が建ち、人が住んでいる。

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次の宇曽(うそ)駅は全く痕跡がないが、ふと「真坂→宇曽」というキップがあったら面白いだろうなと思った。その先の左手にまた湧き水があり、続いて落差5、6メートルはあろうかという滝がひっそりと流れ落ちていた。

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ようやく終点守実温泉駅に近づいてきた。現在はコアやまくになる公共施設が建っていて、当時の面影は全く失われている。写真中央は展望タワーだそうだが、最初はゴミ焼却場か消防署かと思った。(笑)

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コアやまくにで先に着いていた家内と合流する。その先の守実温泉駅があった辺りは現在、商工会館やバス停として利用されている。これで廃線ランは無事終了。途中まで貸切り状態の路線バスで中津駅前まで引き返した。

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11月22日 ジョグ10キロ

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2016/11/20

耶馬溪鉄道廃線ラン(前半)

先週、耶馬溪鉄道の廃線跡を走って来た。かなり以前にその存在を知って以来、いつか紅葉の時期に合わせて走ろうと考えていたものだ。

大分県の中津-守実(もりざね)温泉間約36キロを結ぶ耶馬渓鉄道(耶鉄)は大正2年に部分開業、同13年に全線開通した。沿線に青の洞門、羅漢寺、守実温泉などの観光地を有し、また戦時中には軍需工場への引込線も敷かれて、昭和19年には300万人の乗客数を記録したという。

しかし、御多分に漏れず1970年代以降は沿線の過疎化、道路網の整備などにより利用客が減少。中津駅の高架化に伴う費用負担を求められたことから、バス転換の方針が打ち出され、昭和50年9月末をもって廃止となった。

廃線跡は県道411号中津山国自転車道線、通称メイプル耶馬渓サイクリングロードとして整備され、中津駅付近の一部を除いて、ほぼ当時の線路の痕跡を辿ることが可能である。

15日午前9時半に中津駅前をスタート。

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耶鉄の線路の痕跡は全く残っていないが、JR日豊本線とドラッグストアの間の細い道がそうかもしれない。

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国道213号と交差する地点から先は、県道675号の歩道部分として廃線跡が真っ直ぐに伸びている。

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最初の古城(こじょう)駅があった場所には記念碑が建てられている。

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古城駅は昭和19年に廃止され、代わって約500メートル先に八幡前(はちまんまえ)駅が開業した。現在は同名のバス停になっていて、ちょうど昨夜来の雨がまた一頻り降り始めたので臨時停車させてもらった。

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大貞(おおさだ)公園駅付近で一旦県道から別れるものの、駅の痕跡は全く見当たらない。国道10号中津バイパスを渡った先に上ノ原駅、東九州自動車道の高架手前に諫山(いさやま)駅があったが、これらもほとんど痕跡を残していない。

単調な道をひたすら進んでいると、家内から電話がかかってきた。申し遅れたが、今回は結婚30周年記念を兼ねて夫婦で旅行していて、家内は路線バスで先回りし、レンタサイクルで途中から合流する計画をしていたのだ。

しかし、聞けばサイクリングターミナルが定休日で、自転車を借りることが出来ないとのこと。想定外の出来事に頭が真っ白になりかけたが、仕方なく家内は徒歩で終点を目指し、そこで落ち合うことにした。気を取り直して再び走り始め、次の駅名がなんと真坂(まさか)駅というから、話が出来すぎている。(苦笑)

その先、国道212号(日田往還)を越える手前で県道から分岐して、ようやく鉄道廃線らしい光景が現れた。

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国道を越えたところに野路(のじ)駅がある。プラットフォームは物置にされてしまっているが、当時の駅付近の写真が掲示されていた(写真右下)。

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間もなく、最初のトンネルである厚ケ瀬トンネルに差し掛かる。補修工事が行なわれていて、粉塵が飛んでいるので立ち止まらないよう言われた。県が設置したサイクリングロードである以上、安全のためメンテナンスが欠かせないのだ。この先でも何箇所か工事が行なわれていた。

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いかにも山あいを縫うように進む鉄道らしい光景だ。

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トンネルを抜けると左側に用水路の痕跡のようなものがある。水の洞門といい、実際、昭和56年まで約300年に亘って農業用水として使われていたそうで、青の洞門を掘った禅海もこれを手本にしたという。

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その先で国道212号に合流し、洞門駅のあった辺りの集落を抜けると、鉄路は第一山国川橋梁を渡るが、少し下流側に別の橋を望むことが出来る。大正年間に造られた耶馬渓橋で、長崎県に多い石積方式によることから、オランダ橋とも呼ばれている。

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反対の上流側の右岸には青の洞門があり、折角なので是非見ておきたい。一旦橋を渡って左岸の国道に沿った廃線ルートを少し先まで進んでから引き返し、再び橋を渡って今度は洞門の中を通り抜けていくことにする。走行距離が約2キロ増えるが、線路跡を可能な限り辿るのが廃線ランというものだ。

左岸側から見た洞門の外観。

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洞門の内部。明治時代の拡幅工事で元の隧道はほとんど原形をとどめないが、一部に禅海の手掘りの跡が残っている。

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禅海の像。小説『恩讐の彼方に』は敵討を絡めた感動的な物語だが、それはあくまで菊池寛の創作であって、実際には第1期工事完成後は通行料を徴収して工事資金に充てるなど、結構ビジネスライクに事業が進んだようである。

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その先の競秀峰(きょうしゅうほう)。9つの岩峰が競い合っているように見えるのがその名の由来という。

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この辺りで正午を過ぎたので、近くの道の駅耶馬トピアで蕎麦を頂く。田舎風の少し太めの麺で素朴な味わいだった。

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後半に続く。

11月20日 ジョグ10キロ

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2016/10/18

清水港線廃線探訪

昨日、東海道街道走りから帰宅。詳細は改めて書くとして、その前に清水港線の廃線跡を走った(といっても自転車でだが)ので、まずはその報告から。顛末はこうである。

今回の東海道は興津宿が起点だが、現在は古い旅館が1軒あるのみで、前回は由比側に1キロほど行った温泉施設に泊まった。今回は興津から電車で1駅の清水駅前のホテルに投宿することにした。折角だから前日に世界文化遺産の三保の松原を見物しておこうという寸法である。

ちなみに、以前ボストンマラソンや神戸マラソンに参加した際、都心のホテルが満室かとても高額で泊まれず、電車で何駅かの郊外にホテルを取ったことがある。「ボストン・神戸方式」と呼ばれる(自分だけだが・笑)この方法を今回も採用したわけである。

清水駅前から三保の松原まで片道8キロ強なので、自分の足で走って走れないことはないが、次の2日間で合計80キロの行程を考えると無理は禁物だ。幸い泊まったホテルにレンタサイクルがあるので、自転車で行ってみようとネットで調べてみると、お誂え向きに国県道と並行してサイクリングロードが走っているではないか。

その地図を眺めていて、「これは廃線跡かも」と直感が働いた。果たして、清水-三保間8.3キロを結ぶ旧国鉄清水港線が昭和59年まで走っていた跡と判明した。街道走りの前日に計画した三保の松原観光で、廃線探訪まで出来るとは、一石三鳥の嬉しさだ。

清水に到着して早々にホテルで自転車を借りて出発。商店街を抜けて清水駅南方の狭い踏切を渡ると、東海道線本線から分岐した線路2本を発見したが、旧清水港線のものかどうかよく分からない。付近には清水港という貨物駅があったようだが、現在は公共施設などになっていて痕跡をとどめない。

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南に少し行くと、ご覧のような自転車道、遊歩道がスタートしていて、エスパルスドリームプラザという商業施設まで約1キロの区間は、ひとまず快適なサイクリングが楽しめる。

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大型商業施設の海側に巨大な構築物を発見。テルファークレーンといって、木材を船から貨車に直接積み込めるもので、従前のベルトコンベアーだと1日かかる作業が僅か48分と、とても効率が上がったそうである。平成12年に国の登録有形文化財に登録されている。

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この先は自転車道は途切れているが、工場や倉庫が建ち並ぶ中に廃線跡が今も残っている。雑草の生えた廃線跡で、近くの工場の従業員が休憩していた。こんな場所を自転車で通るなんで、どこの物好きだろうと思われたに違いない。

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巴川を渡る鉄橋の橋台が残っていた。さらに道路を横断する線路のようなものが見える。狭軌の軌間より広いので線路そのものではないが、鉄道施設の一部だったことは間違いない。この右手に巴川口駅があったが、現在は浄化センターになっていて立入り不可である。

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さらに進んで工場地帯を抜け、国道150号と合流する地点で再び自転車道が始まった。以前は写真にも写っている鈴与という会社の協力で、左側の空き地辺りに当時の電車1両が展示されていたようだが、もう既に撤去されていた。

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海岸沿いに回り込んで三保の半島側に入り、しばらく進むと折戸駅跡がある。現在は公園として整備されている。

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更に半島の先に向かって自転車を漕ぐ。自転車に乗った高校生や、下校途中の小学生を多く見かけた。車が通らないので格好の通学路になっているようだ。小学生の女の子は、姿格好が「ちびまる子ちゃん」そっくりだ。そう、清水は原作者さくらももこの出身地なのだ。

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終点、三保駅跡に到着。ホームがそのまま残り、なぜか野良猫が何匹もたむろしていた。

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ディーゼル機関車DB152とタンク車1両が静態保存されている。

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いささか主客転倒になったが(笑)、この後、本来の目的である三保の松原を見物した。御穂神社に来臨する神様が通るという「神の道」。自転車は降りて歩くのが決まりだ。

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羽衣伝説で名高い「羽衣の松」。

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名勝三保の松原。何とか富士山のシルエットを拝むことが出来て、今回の旅は幸先の良いスタートとなった。

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10月15日 LSD44キロ
10月16日 LSD41キロ
10月18日 ジョグ10キロ

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2016/07/19

湧網線(東線)廃線ラン

今回の北海道旅行の主たる目的は湧網線(東線)の廃線ランである。以前、サロマ湖ウルトラマラソンからの帰り道にその存在を知って以来、いつかは走ってみたいと思っていたのだ。

中湧別-網走間を結ぶ湧網線は昭和28年に全線開通した。昭和7年の着工から数えて、太平洋戦争による中断を挟んで実に21年もかかっている。ブラームスの第1交響曲にも匹敵する(?)長年に亘る努力の成果なのだ。

それにもかかわらず、御多分にもれず沿線の過疎化とモータリゼーションの進展により利用客が減少し、国鉄民営化直前の昭和62年3月19日をもって全線廃止となったものである。

そのうち常呂-網走間約31キロの湧網東線は、大部分がオホーツクサイクリングロードとして整備されていて、私が走った前の週末には、ここをコースの一部とするサイクリング大会が開催されたそうだ。ただ、この日は雨のせいもあって、網走付近でディスタンスチャレンジのランナー数人に出会った以外、コース上で1台の自転車も1人のランナーも見かけなかった。

常呂町内、ウルトラマラソンのフィニッシュ地点近くの道路脇から網走に向けてスタート。ここから画面手前の中湧別方は既に廃線跡は失われ、途中何箇所かで駅舎などの遺構を残すのみとなっているようだ。

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間もなく常呂駅跡の常呂交通ターミナルに到着。現在は鉄道代替のバス路線が運行され、その停留所として利用されている。以前は船のような形をしていたと思うが、建て替えられたのだろう。清潔なトイレや飲料自販機があって助かった。

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この先、サイクリングロードは一旦国道238号に合流する設定となっているが、自分は常呂漁港のある海岸沿いの集落内を走る。こちらが本来の廃線跡に近いからで、高台を走る国道まで上がるのがイヤだったからではない。(笑)

集落を出たところでようやく本来の廃線跡に入る。「天に続く道」同様、はるか彼方まで直線道路が伸びていて、一瞬気が遠くなる。(苦笑)

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いかにも北海道という風景の中をひたすら走り続ける。

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やがて、次の能取(のとろ)駅跡に到着。ホーム跡が残っているのは、ここと卯原内(うばらない)の2駅のみで、それ以外は駅の位置すら確認できなかった。

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この先、左手に能取湖を望む区間に入るが、単調な景色が続く上に、次第に雨が激しくなり、やや辛いものがあった。遠くて写真は撮れなかったが、サギの仲間と思われる水鳥が干潟で羽を休めているのが見えた。

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能取湖を西岸沿いに約半周して、ようやく卯原内駅跡に到着。付近は鉄道記念公園として整備され、9600形蒸気機関車とオハ47形客車1両が静態保存されていた。

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ただ、鉄道記念館の建物内は無人で、2階の展示スペースにも鍵がかかっていた。来訪者があまりに少なく、実質的に閉鎖されているのだろう。

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やがて能取湖に別れを告げ、二見ケ岡という低い峠を越えると、今後は右手に網走湖が見えてくる。国道238号を越える湖眺橋(こちょうばし)の上から網走湖を望む。

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間もなく網走川を渡って網走市街に入る。レンガ風の欄干は多分刑務所をイメージしたものだろう。この橋を渡ったところ大曲駐輪場があり、自転車専用道としてはそこまでだが、廃鉄ファンとしては更に網走方に進む。

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石北本線との合流点付近。優雅にカーブする道が明らかに廃線跡と分かる。写真右手から左奥にかけての山裾を石北本線が走っていて、湧網線はこれに合流する形で網走に向かっていた。合流点には大曲仮乗降場があったそうだが、その痕跡は全くない。

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この後は国道39号の歩道を走って終点網走駅に到着。レンガの壁といい「網走駅」の字体といい、まるで刑務所である。(苦笑)

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あいにく雨に祟られたが、念願の廃線ランを果たすことができ、今回の旅行のハイライトが無事終了した。

7月17、19日 ジョグ10キロ

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2016/05/07

蛇松線廃線探訪

沼津に予定より早く着いたので、一旦ホテルにチェックインしてシャワーを浴びてから、蛇松線(じゃまつせん)廃線跡の探訪に徒歩で出かけた。箱根を越えて走ってきた後で、明日の行程もあるので、廃線「走り」とはいかなかったが、そもそも緑道として整備された道を走るのはあまり適当でないだろう。

さて、沼津-沼津港間の約3キロを結んでいた東海道本線貨物支線、通称沼津港線または蛇松線は、東海道本線の建設資材を沼津港に陸揚げして輸送するため、明治20年に開業した。その後は海産物、漁船燃料や木材などを運んでいたが、例によってトラックへの代替により輸送量が減少、昭和49年に廃止となった。

沼津駅近くの沼津通運倉庫の構内にゆるやかなカーブを描く通路が残っており、位置から考えて明らかに廃線跡と分かる。

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まもなく廃線跡は蛇松緑道という名の遊歩道となり、近所の人が犬を連れて散歩する姿が見受けられた。ところどころ、ベンチや水道が設置されている。

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こうした緑道が延々と続くので、適当なところで引き返そうかと思いながら沼津港に近づいていくと、何と線路がそのまま残されている場所があった。

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沼津港の様子。折角港まで来たので、近くの「浜焼きしんちゃん」という店で夕食をとる。

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ホテルまで歩いて帰る途中、夕暮れの空に富士山がシルエットとなって浮かび上がっていた。思わず手を合わせたくなるような神々しさだった。

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5月5、7日 ジョグ10キロ

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2015/10/30

下津井電鉄廃線ラン

一昨日、岡山県の下津井電鉄の廃線跡を走った。同県内の廃線跡は片上鉄道に続いて2箇所目の訪問となるが、ここも片上と同様サイクリングロードとして整備されている。県民に鉄ちゃんが多いのだろうか。(笑)

下津井電鉄は岡山県倉敷市茶屋町から同下津井までの21キロを結んで大正3年に全線開業した。昔から金比羅参りの参詣客などが下津井から船で丸亀に渡っていたが、明治の末に国鉄宇野線が全通、宇野―高松間で連絡船の運航が始まると、下津井―丸亀航路の利用客は激減した。そのため、下津井ルートの旅行客を取り戻すべく、地元の有力者らが発起人となって、下津井から宇野線に接続する軽便鉄道路線を建設したのである。

戦後は電化され、昭和30年代には全盛期を迎えたが、その後はバス路線との競合などで利用者は減少し、昭和47年に茶屋町―児島間が廃止となった。さらに、瀬戸大橋線の開通が決定打となって、平成2年末をもって残る児島―下津井間も廃止された。

快晴に恵まれた10月28日正午過ぎにJR茶屋町駅付近からスタート。下津井電鉄の駅跡は全く痕跡をとどめていない。

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自転車道の起点。軌間762ミリのナローゲージだったせいか、自転車道としてはやや狭く感じる。起点からの距離が500メートルおきに表示されていたが、なぜか7.5キロ辺りから先は表示がなくなった。設置が面倒くさくなったのだろう。(苦笑)

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最初の天城駅も痕跡をとどめないが、2番目の藤戸駅跡はホームが残る。

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やがて広い県道21号と合流し、瀬戸中央自動車道の水島ICの下を潜る。交通機関の勝者が、敗者を文字通り見下ろしている構図である。

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稗田駅跡。駅舎跡は公園として整備され、近所の老夫婦がのんびり散歩していた。この先には両側が桜並木になっている箇所があり、花見シーズンには賑わうのだろう。役目を終えた鉄路が地元民の憩いの場になっているのは何よりだ。

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まもなく児島駅跡に到着。中に入れるのは週末のみとのことで、入り口のシャッターは閉まっていた。

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ガラス窓から中を覗いてみた。プラットフォームなどの遺構があるようだが、よく分からない。

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実は、茶屋町から電車で先乗りしていた家内とここで待ち合わせていて、この先約6.5キロの区間は二人でのんびりと景色を眺めながら走った。未舗装の箇所が多く、昭和の匂いがしている。2両編成ぐらいの愛らしい電車が踏切を横切る光景が目に浮かぶ。

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阿津駅跡付近では地元の人が両側に花壇を作ってくれている。

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倉敷シティ病院の前も桜並木になっている。入院患者の目の慰めになっていることだろう。

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瀬戸大橋線を潜ると眼下に海が見えてきた。児島競艇の先の琴海(きんかい)駅は、ホームから瀬戸内海を望める絶景の駅だったのだ。

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この先、鷲羽山駅跡付近はかなりの勾配である。戦時中、燃料が不足していた頃は、乗客が降りて押していたそうだ。

鷲羽山駅跡から瀬戸大橋を望む。下電を廃止に追いやり、地域にはほとんど恩恵がないであろうこの巨大な構造物を、地元の人はどんな思いで眺めているだろう。

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16時半前に下津井駅跡に到着。ナローゲージの線路が2本残されている。

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ホーム横の空き地には使用されていた電車が何両か保存されているが、普段は立ち入り禁止のようで近づくことは出来ない。車庫(?)は巨大な温室のような作りだが、屋根が破れてしまって何とも寂しい風景だ。

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廃線ランはここで終わり。この後の行程については稿を改める。

10月26日 ジョグ10キロ
10月28日 LSD21キロ

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2015/06/22

大仏鉄道廃線ラン

昨日、旧関西鉄道の加茂-大仏(奈良市法蓮町付近)-奈良間(通称大仏線、大仏鉄道)跡を走った。このところのゲリラ豪雨が心配されたが、走り終えるまで何とかもってくれた。その代わり大変に蒸し暑かったが。

大仏鉄道は名阪間を結ぶ関西鉄道の乗客を奈良に運ぶ支線として、明治31年に加茂-大仏間で開業、翌年奈良まで延伸したが、その後、奈良鉄道との合併により路線が重複したことと、急勾配の難所をかかえていたことから、開業から僅か9年後の明治40年に廃止となった。

私同様、地図大好き人間のKさんと一緒に起点の加茂駅からスタート。ここから約2キロは現関西本線と並行して走っていたが、大仏線の遺構はほとんど見当たらない。加茂小学校のグラウンド横に、関西鉄道を走っていた昭和12年製の「貴婦人」ことC57機関車が展示されていた。

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この先は線路から離れ、田んぼ道を辿って行くと、観音寺橋台が見えてきた。大仏線が奥の関西本線と並行して走っていた様子がよく分かる。偶然、JRの快速電車が通過したのに、シャッターチャンスを逃してしまった。

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竹林のなかの未舗装路を進むと美加ノ原カンツリークラブに突き当たる。アウト4番ホール(多分・笑)のティーグラウンドの横を回り込むと、鹿背山(かせやま)橋台があった。現在はここから200Mほど北を走る関西本線も、かつてはこの付近まで大仏線と並行していたはずだが、その痕跡は見当たらなかった。

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ゴルフ場の入口を過ぎてすぐの梶ヶ谷隧道(かじがたにずいどう)。レンガを積んだアーチが美しい。これは地元の人が通行するためのものであり、鉄道は今では道路となっている隧道の上を走っていた。これ以降の隧道も全て人や用水を通すためのものであり、大仏線唯一の鉄道トンネルだった黒髪山トンネルは既に取り壊されている。

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赤橋。橋桁の一部は木材が使用されている。コンクリートは後で道路転用する際に補強したものだろうか。

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この辺りから右手には城山台という新しい住宅地が広がり、モダンな新築住宅がポツポツと点在している。100年以上前の鉄道遺構と好対照だ。梅谷交差点に下りていく箇所はかなりの急勾配で、ここは橋梁で道路を越えていたようだが、その痕跡はなかった。梅見台を通り、州見(くにみ)台住宅地の外れに松谷川(まつたにがわ)隧道がひっそりと残る。

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ここからまた急勾配の登りとなり、京都と奈良の府県境を越える。梅谷口交差点の先の鹿川(しかがわ)隧道。用水を通すためのもので、今も現役だそうだ。

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この先、急な坂を登りきったところに黒髪山トンネルがあったが、昭和40年代の道路拡張で山を開削したため姿を消した。上空を横切る橋がかつての山の高さを示す。奈良マラソン発着点の鴻ノ池陸上競技場を過ぎて、左にカーブする道路と別れて大仏線は直進していたはずだが、その痕跡はどこにもない。大仏駅があったと思われる場所から少し南に記念公園があり、わずかに痕跡をとどめるのみである。

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ここから自宅に戻るKさんと別れ、船橋商店街をダラダラ下っていると雨が降り出した。幸い、雨脚が強くなる前に奈良駅に到着したが、Kさんは自宅直前でずぶ濡れになったそうだ。嗚呼。

6月21日 LSD13キロ
6月22日 休養

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