2020/04/27

中街道(高野街道)を歩く

前回下街道を歩いたとき、JR北宇智駅付近で中街道との分岐点を通過した。今回はそこから橿原市見瀬町までの約16キロを歩いた。この街道は別名「高野街道」とも呼ばれていたようで、さらに遡れば古代官道の「紀路」(きじ)または「巨勢路」(こせじ)に相当するらしい。

街道歩きに先立ち、北宇智駅に2007年まであった関西唯一のスイッチバックの痕跡を確認した。詳細はこちら。現ホーム南端から五条方の西側に、旧1番2番ホームと線路の痕跡が窺える。

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踏切から吉野口方を見ると、9.0パーミルの勾配標の先に引上線の線路が今も残っている。

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駅近くにある今回の行程で唯一のコンビニに立ち寄ってからスタート。間もなく県道120号に合流し、五條工業団地テクノパークと木材団地の間を登っていくと、坂の頂上からお隣の御所市に入る。

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まもなく左手からJR和歌山線の線路が接近してきて、この先は何度も踏切を渡りながら線路と並行して進む。難読地名「重阪」(へいさか)集落内の風景。

 

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やがて大淀町のエリアに入り、薬水(くすりみず)の集落内を通過する。薬水という地名は、付近にある弘法大師ゆかりの「薬水の井戸」に由来する。行く先々で井戸掘りをした御仁だったようだ。

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右手から今度は近鉄吉野線が近づいてきて、小高い場所にある薬水駅の下を通過する。城の石垣のように見えるのは、旧吉野鉄道の変電所があった場所だそうである。

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御所市に入り、JRと近鉄の間を進んでいくと、またまた難読地名に出くわす。古くは「ぶぜん」だったといい、九州の豊前に由来すると推定されている。この先にも「薩摩」「吉備」「土佐」といった旧国名地名が残り、藤原京造営に徴用された彼の地の人々が定着したものと考えられている。

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奉膳は古くから交通の要衝であり、集落内の交差点には「右かうや」「左大峯」「右大坂」などと刻む道標が立っている。左が吉野、大峯山方面、右奥が五條、高野山方面である。

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国道309号の高架を潜った先、JRと近鉄が共用している吉野口駅の付近は「古瀬」という地名であるが、「古瀬」「巨勢」「御所」はいずれも元々「川瀬」という同じ地名の別表記と考えられるそうである。

近鉄の次の葛(くず)駅近くには息子が通っていた幼稚園があり、行ってみると今も当時と変わらぬ様子であった。その隣の中華料理店で昼食を予定していたが、新型コロナの影響で臨時休業中だったため、街道沿いの食料品店で巻き寿司などを買って昼食休憩する。

その先で高取町に入り、近鉄吉野線と並行して進んでいくと、龍神伝説のある楠の巨木が天満神社参道脇に聳え、正面の小高い丘の上には宮塚古墳があるらしいが、神社仏閣と同様、古墳にもさして興味はないのでパス。

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高取町役場の西、吉備集落外れの曲がり角にある可愛らしい道標は田んぼの畔の中に埋没している。「右 はせいセミち」とあるようだが、「は」の字は削れて消えかけている。

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小高い丘を越えていくと、やがてうちの前を流れる高取川に突き当たる。もう地元みたいなものでひと安心だ。その手前には壷阪寺に通じる土佐街道との分岐点がある。左が壷阪寺方面、右が五條方面である。

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明日香村に入る。何度も通っている蕎麦屋の前の川沿いの道は実は旧街道だったのだ。飛鳥駅近くにある2基の道標は以前にチェック済である。

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橿原市に入って岡寺駅前を通過、見瀬町の三叉路で今回の行程は無事終了である。そこから北の八木、奈良方面の中街道は、既に2014年に踏査済みである。今回も一緒に歩いた家内が、裏道を含めた近辺の地理に関して自分よりずっと明るいことを再認識した。

4月26日 ジョグ6キロ

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2020/04/06

下街道を歩く その3(御所~五條)

3日目は御所から五條までの約14キロプラスαである。近鉄御所駅前をスタートしてまもなくJR和歌山線の踏切を越えると、線路に沿った桜並木がほぼ満開となっていた。

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このあとは基本的に国道24号に沿って進み、所々で残っている旧道に分岐、合流を繰り返すという行程になる。途中こんな難読地名も。知らなければ絶対に読めない。

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小殿(おどの)から五條市との境界辺りまではずっと旧道を進む。少し高い所を通る国道は何度も通ったことがあるが、そのすぐ横に鄙びた旧道があることは今回初めて知った。小殿集落の真ん中辺りにある洋館。おそらく元旅籠だった隣の建物と並んだ取り合わせが何とも言えない。

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ここからは風の森峠に向かう緩やかな登りとなる。

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風の森峠。右は国道24号、左が旧道である。まるでジブリのアニメ映画に出てきそうな名前だけど、古くからある由緒ある地名だそうで、付近には風の神である志那都比古神を祀った風の森神社がある。写真がピンボケなのは強風のせいではなく、降り続く小雨で携帯カメラのレンズが曇っていたためである。

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この先から再び国道と合流、分岐を繰り返す。京奈和自動車道の高架を潜るところに道標が2基、時代に取り残されたように佇んでいる。左側は天保9年の建立で「右御所八幡/左五条かうや道」、右側の愛らしい指差道標には「志こく道」とあるようだ。

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峠を迂回してきたJR和歌山線を再び越えてさらに下っていくと、JR北宇智駅近くに中街道(下ツ道)との追分がある。左奥の御所方面から来た下街道は手前五條方面へ伸び、中街道はここから右奥に進んで八木を経由して奈良に至る。近いうちにこの中街道も歩いてみるつもりである。

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さらに進んで、三在(さんざい)交差点の近くで今度は伊勢街道と分岐する。先と同じ構図で右が伊勢街道である。

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この先で一旦国道と合流するが、かつて吉野川ハーフマラソンの会場となっていた五條東中学前の今井交差点から再び旧道に入り、JR五条駅前を通過して本陣交差点に至る。下街道はここまでで、この先は紀州街道(大和街道)となる。

交差点には安政2年の道標が建ち、「右いせ/はせなら/大峯山上/よしの道 左かうや/わか山/四國/くまの道」と刻むが、後になって灯火用に穴を貫通させたようで、欠落した元の「左」に代えてその下にごく小さな「左」の文字を付け加えている。

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ブロック塀側は読みにくいが、携帯カメラを差し入れてみると「□□□平 国土安穏/□□□明 五穀成就」と読める。□の部分は穴のため欠落しているが、前者は「天下泰平」だろうか。

下街道歩きとしてはここで終了だが、折角の機会なのでもう少し足を延ばし、新町の古い街並みと五新線跡を見て来た。新町口交差点から一歩足を踏み入れると、突然江戸時代の紀州街道にタイムスリップする。

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旧家を改造した「まちなみ伝承館」という施設があって、入場無料というので入ってみた(笑)。いろいろと説明してもらったが、先ほどの道標はここで聞かなければ危うく見逃すところだった。

JR二見駅に向かってさらに進むと、五新線の高架線路跡が街道上を通っている。五新鉄道は正確には廃線ではなく、一度も鉄道として使われなかった未成線である。吉野川を渡った先の路盤跡は7年前に散策したことがあるが、五条駅側の遺構をじっくり見たのは初めてだ。

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なお、申し遅れたが今回の下街道は全行程を家内と一緒に歩いた。病気をしていなければ当然走り旅となり、こういうこともなかったわけで、一種のケガの功名と言えるかもしれない。偶然ながら家内が勤めていた職場の近くを通る、土地勘のある行程だったとはいえ、マニアックな街道歩きに3日間も付き合わせてちょっと申し訳なかった。

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2019/05/30

野上電鉄廃線ラン(後半)

この先の各駅跡はそれぞれ小公園として整備され、散歩する人の格好の休憩場所になっている。紀伊阪井駅跡。中央の植込みから左側がホーム跡と思われる。何とかいう郷土の偉い人の銅像が建っていたが、このあたりは棕櫚製品など地場産業が盛んな土地だったようだ。

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その証拠に、付近の民家の庭先に棕櫚の木を発見。しかし、残念ながら沿線で目撃したのはこの一本だけだった。

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この先で線路跡は左に90度カーブして南下し、今も現役で使われている跨線鉄橋の下を潜る。

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重根(しこね)駅跡。2面2線式のホームを有し、ほとんどの列車の交換を行っていたそうだ。

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すぐ西方に、勾配標の痕跡と思われる石柱が残る。

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この先数百メートルの区間は宅地化により廃線跡が完全に消失してしまっているが、国道重根南交差点付近で遊歩道が再び出現、やがて幡川(はたがわ)駅跡に至る。

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地元高校生の製作という壁画が展示されている。「野鉄」として地元の人々に親しまれていたことがよく分かる絵だ。

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阪和自動車道高架を潜った先の春日前駅跡。買い物帰りの女性と下校途中の高校生が、それぞれに憩いの時を過ごしていた。

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さらに進み、JR海南駅が正面に見えてきたところで遊歩道は終了。

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線路はここから右にカーブしてJR紀勢本線に合流するように北進し、日方駅に向かっていた。

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日方駅跡と思われる空き地。近々再開発が予定されているようだ。

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海南駅から帰路に就く前に、駅売店で特産品の棕櫚たわしを買い求めた。髙田耕造商店の手巻き手作りで、掌サイズの「特小」だけど税込み637円もした。値段なりのことはあって、手にしっくりなじむ文字通り「やさしいたわし」だ。毎朝、スキレットを洗うのに早くも重宝している。偶然、今週のNHK大阪「おはよう関西」で、ここの製品が紹介されていた。

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5月29日 ジョグ10キロ

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2019/05/27

野上電鉄廃線ラン(前半)

23日、和歌山県の野上電気鉄道廃線跡を走ってきた。同電鉄は和歌山県海南市の日方駅から海草郡野上町(現紀美野町)登山口駅までの11.4キロを結んで昭和3年に全線開業した。官庁認可の正式名称は「のがみ」だが、地元では地名と同じ「のかみ」と発音する。沿線の特産品である棕櫚製品(たわし、ロープ等)などの輸送を担っていたが、例によって戦後のモータリゼーションの進展で輸送需要が低迷した。一旦出された一部区間の廃止申請が、直後の第一次石油ショックによる鉄道見直しで撤回されたりもしたが、平成6年3月末をもって全線廃止となったものである。

行程の都合でJR海南駅前から代替バスである大十オレンジバスで終点の登山口まで移動、そこから海南駅前まで引き返すことにした。終点から起点に向けて走るので、通常であれば「上り」となるはずだが、野上電鉄においてはこちらを「下り」と称していた。標高差からすると確かに「下り」ではあるが、監督官庁からは再三是正を求められていたらしい。

正午前、登山口駅跡を出発。現在は大十バスの本社事務所、車庫などに転用されている。なお、「登山口」とは高野山への登り口かと思っていたがそうではなく、ここから南南東に入った生石高原への登山口を意味するそうだ。鉄道の廃線跡は正面奥の道路ではなく、写真左の車庫裏を走る国道370号に転用されていて、当時の面影は全く残っていない。平成27年の和歌山国体開催に伴って一気に道路整備が進んだそうだ。

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スタートして間もなくの「くすのき公園」にモハ30形の電車が1両、屋根付きで保存されている。説明板によれば、昭和9年日本車輛製で、阪神電鉄で約30年使ったのを譲り受け、さらに31年間使用したという。お疲れさま!(笑)

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なお、近隣の診療所の私有地内にもモハ20形1両が屋根付きで保存され、公道から見学することができる。こちらも阪神からの譲受車である。

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車両前方には2本のキロポストが打ち捨てられたように置かれていた。奥の「11.4」は終点登山口駅のもの。手前の「0.03」は起点日方駅構内にあったもので、開業当時は約30メートル先の野上電鉄本社前にホームがあったためだとか。

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この先は国道370号の歩道をひたすら走る。途中、下佐々、龍光寺前、動木(とどろき)、紀伊野上、八幡馬場、北山、野上中、沖野々とあった駅の痕跡は全くなく、場所を特定することすら出来なかった。沖野々の先で国道から右に分岐し、廃線跡を利用した遊歩道に入ると、ようやく廃線ランらしくなった。

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野上電鉄のものらしき枕木を発見。これも相当長い間使いこまれていた様子である。

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住宅街の間を縫うように遊歩道は続き、自転車に乗った地元の高校生たちが賑やかに談笑しながら追い抜いていく。本当は歩行者専用で自転車は通行不可なのだが、交通量の激しい国道を走らせるわけにはいかないだろう。

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後半に続く。

5月25日 ジョグ10キロ

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2018/11/11

北陸本線旧線(杉津線)ラン その2

この後、第一観音寺、第二観音寺、曲谷、芦谷、伊良谷、山中と6つのトンネルが連続する区間になる。標高が上がるにつれて霧が濃くなってきて、敦賀湾の眺望も何もあったものではない。直前に分かったのだが、第二観音寺トンネルは平日は工事のため通行止めになっていて、知らずに平日に来ていたらここで引き返す破目になっていた。

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最後の山中トンネルは全長1170メートル。まさにラスボスにふさわしい長さだが、直線かつ平坦なためか信号が設置されていない。しかし、1キロ以上先の対向車が分かるのだろうか。走っている間中、中の暗さもさることながら、自動車が来ないか気が気でなかった。

国境の長いトンネルを抜けると雪国…ではなく、雨が上がっていた。山中峠は嶺南と嶺北の境なのである。康成の小説では続いて、「信号所に汽車が止まった」とあるが、ここにもかつて信号所があった。山中信号所といい、スイッチバックによる列車交換のための施設である。全体の構成は現地看板に解説されている。

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今庄方(A)から登ってきた上り列車は、一旦山中トンネル(D)左側の折り返し線(B)と、有効長延伸のためのトンネルに入る。

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延伸トンネルの中まで入ってみたが、長さはせいぜい数十メートルで、すぐ行きどまりになった。引き返して外を見ると、始まりかけた紅葉がきれいだった。雑誌『ノジュール』の表紙とかに使えそうだ。(笑)

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上り列車は次にバックで今庄方に戻り、高低差の少ない待避線(C)に入って、敦賀方からの下り列車の通過を待つ。右側の下り勾配の県道が本線(A)である。

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待避線の末端部には頑丈そうな雪除けが今も残る。今回では最も廃線らしい光景だ。

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下り列車が山中トンネルを抜けて左の本線(A)へと通過した後、右の待避線にいた上り列車は勢いをつけて山中トンネル(奥)へと向かっていく。

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同じ地点の当時の光景がこちら。ただし、これは下り列車が退避する場合のようである。手前に写る木の切り株らしきものは、現在と同じものだろうか。まさかね。

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単調な一本道を進み、再び北陸自動車道の高架を潜る前に、3番目の大桐駅跡がある。元々スイッチバックのための信号所だったが、地元民の要望を受けて停車場に昇格したものだ。プラットホームが今も残され、D51の動輪などが展示されているのは、それだけ地元に愛されていた証拠である。

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この先の上新道集落に山中峠越えと木ノ芽峠越え、2つの街道の追分(分岐点)があり、解説板が設置されている。ただ、実際の街道はこの廃線跡ではなく、右側の集落の中を通っている。

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やがて南今庄駅付近で北陸本線現在線と合流、一旦離れて県道を進むと、今度は北陸道と北国街道との追分に文政13年の道標が立っている。「右京 つるが王可佐道」「左京  いせ江戸道」などと刻む。「王可佐」は「わかさ」である。おっと、廃線ランだか街道ランだか分からなくなってきた。(笑)

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今庄駅近くで旧線の痕跡と思われる柵を発見。この辺りで現在線(奥に架線が見える)と重なっていたと思われる。

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予定より早く今庄駅前に到着。昼をかなり過ぎていたが、今庄名物の蕎麦で遅い昼食をとる。コリっとした麺が大変美味だった。

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敦賀に戻る電車の時間まで少しあったので、駅裏に展示されているD51機関車を見物。静態保存されている同型機関車の中では、保存状態が極めて良い部類に入るだろう。解説板によれば、かつての今庄は一軒にひとりは国鉄職員がいたという「国鉄ムラ」だったようで、その伝統が残っているのかもしれない。

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2両編成ワンマンカーの普通列車で敦賀まで戻る。北陸トンネル経由でたったの15分だった。隧道碑に記されていたとおり、北陸本線の輸送力を画期的に高めた北陸トンネルの威力を身をもって実感した。

11月10日 ジョグ10キロ

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2018/11/08

北陸本線旧線(杉津線)ラン その1

4日の日曜日、北陸本線敦賀・今庄間の旧線、通称杉津(すいづ)線を走った。この区間の旧線は当時の鉄道の限界と言われた25パーミル(1000分の25)という急勾配が連続し、また最小曲線半径360メートルという難所であった。そのため、米原・富山間の複線電化工事の一環として北陸トンネルが建設され、昭和37年6月の同トンネル開通をもって旧線は廃止となったものである。

旧線跡は国道、県道などに転用され、地元住民の生活道路として活用されている。10箇所のトンネルは当時のままの姿で残り、国の登録有形文化財に指定されている。また、山中信号所付近ではスイッチバックの痕跡を見ることができる。

午前10時前、敦賀駅前をスタート。北陸特有のどんよりした空が広がり、細かい霧雨が降っている。駅舎は以前はもっと寂れた感じだったと記憶するが、最近リニューアルされたようである。

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駅前の市街地を抜けたところで、道路を横切る線路の跡を発見。全くノーマークだったが、後で調べると旧敦賀港線の踏切跡であることが判明した。

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国道476号に入って北陸本線の現在線と並んで走ると、北陸トンネル入り口の近くに北陸隧道碑がある。碑に記された建設経緯の説明文は、淡々とした文体ながらも、鉄道史に残る大事業をやり遂げた誇りを感じさせる。

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旧線跡の国道はここで現在線と分岐し、高架の北陸自動車道を縫うようにして緩やかな登り坂を進んでいく。

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やがて最初のトンネル、樫曲(かしまがり)トンネルが見えてきた。国道が南側に迂回したあとも、古いトンネルが破壊されずに残っているのは喜ばしい。ただ、いかにも後から付けましたというランプ風の照明がやや興醒めではあるが。

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次の獺河内(うそごうち)トンネルは拡幅されて当時の姿をとどめない。国道にはほとんどの所で歩道がなく、この辺りから雨が次第に本降りになってきて、ちょっと辛いものがあった。やがて最初の駅、新保駅跡に到着。道路の向こう側で小高くなったところはスイッチバックの痕跡かもしれない。

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この先で国道から分岐、なおも北陸自動車道と並行する田舎道を行くと、葉原トンネルの入り口が見えてきた。ここにもスイッチバックがあったそうで、左側の小高くなったところがその痕跡かもしれない。

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トンネルは全長979メートル。片道交互通行のため信号が設置されている。当然、自動車の速度を前提に時間設定されているので、人間が走ったのでは間に合わないけれど、幸いこの後のトンネルも含めて、トンネル内で自動車と遭遇することは一度もなかった。

続いて鮒ケ谷トンネル、曽路地谷トンネルを通過。同じような外観なので写真は省略するが、後者はトンネル内に照明がなく、手持ちの小さなLEDライトだけを頼りに走るのはかなり怖かった。

曽路地谷トンネルを抜けるとすぐ、北陸自動車道杉津PAがあり、地道側からも入場することが出来る。地元の従業員のためだろうか。ここが2番目の杉津駅の跡で、眼下には敦賀湾の眺望を楽しむことができる…はずだったが、生憎の雨でまったく何も見えない(泣)。

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しかし、ここ以外にコンビニはおろか、自販機1台もないコースにあって、ほぼ中間点にあるこのPAは貴重なエイドステーションとなった。(続く)

11月6、8日 ジョグ10キロ

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2018/08/11

「青の交響曲」に初乗り

2016年9月に近鉄南大阪線・吉野線で運行開始した16200系観光特急列車、愛称「青の交響曲」(あおのシンフォニー)に初めて乗る機会を得た。いわゆる豪華列車というものにほとんど関心がないが(というか、バカ高い料金を払うゆとりがない・笑)、先日大阪に出る用事があって、ちょうど良い時間帯の列車がたまたまそれだったのだ。

橿原神宮前駅構内に入線してくるところ。新造車両ではなく、外観から分かるとおり、実は通勤形電車6200系を改造したものである。コストが抑えられているため、通常の特急料金に加えて210円の特別車両料金を払うだけで乗れるというのがミソだ。

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ハイドンの「時計」交響曲第2楽章のテーマが流れる中を乗車。緑が基調のゆったりしたシートに、木材を多用した内装で、車内は落ち着いた雰囲気である。最近、映画『オリエント急行殺人事件』を観たが、ああいうヨーロッパの豪華列車を真似たものだろう。

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3両編成の真ん中2号車はラウンジ車両となっていて、外を眺めながら飲食を楽しめるという寸法だ。何も頼まずタダで座るわけにもいかないので、吉野梨ジェラートなるものを注文した。オリエント急行とは違ってセルフサービスだが。(笑)

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結論的に言うと、通常の特急との差額210円の価値は十分にある。かなりお古の通勤電車を改造したため、乗り心地はあまり良くないという噂を聞いていたが、それほどでもなかった。運行開始から2年近く経っても結構満席が続いているのもむべなるかな。「あまり豪華過ぎない豪華列車」。これはアリかもしれない。

8月10日 ジョグ10キロ

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2018/05/25

鍛冶屋線廃線ラン

昨年走った高砂線と同じく、加古川線の支線であった鍛冶屋線(野村(現西脇市)-鍛冶屋間、13.2キロ)の廃線跡を走った。「支線」と書いたが、沿革からすればむしろ鍛冶屋線の方が本線というべきかもしれない。

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旧播州鉄道が大正2年に開通させた加古川-西脇間が、現在の加古川線の前身に当たり、大正12年には西脇から鍛冶屋まで延伸している。しかし、播州鉄道から事業継承した播丹鉄道が、その翌年に野村から谷川まで延伸して福知山線と接続、現在の加古川線が全通したため、野村-鍛冶屋間の方が支線となってしまった。

鍛冶屋線は地場産業である原糸、木材、酒米などの輸送を担ってきたが、戦後のモータリゼーションの進展により輸送需要が低迷。沿線では「カナソ・ハイニノ国」(鍛冶屋から順に駅名の頭文字を繋げたもの)の独立宣言を発するなど利用促進を図ったが、平成2年3月末をもって廃止となったものである。

快晴に恵まれた22日午後、野村(現西脇市)駅前からスタート。加古川線との分岐点となっていた駅であるが、現駅名にもかかわらず西脇市街中心部から離れており、駅舎も比較的小さい。ちなみに駅伝の名門、西脇工業高校はここからすぐ近くである。

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野村駅を出ると間もなく、加古川線(右)と分岐する。直進する鍛冶屋線の方が本来の路線であったことがハッキリ分かる。

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踏切跡には線路の痕跡が今も残る。

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間もなく、西脇駅に到着。駅跡にはアピカという商業ビルやホテルが建っている。ここから先は道路転用され、鉄道の痕跡は全くないが、西脇市と姉妹都市関係にある米国レントン市にちなんで「レントン通り」と称されている。

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加古川の支流、杉原川に沿ってしばらく行くと、市原駅の跡が記念館として整備され、キハ30形気動車2両が展示されている。管理人室に中年男性が2人いたが、案内してくれるでもなく、どこかのラーメン屋の評判話をしていた。

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館内には当時使用されていた鉄道用品が多数展示されている。

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これはタブレット閉塞機といい、単線の行き違いの際に使うタブレットを管理する装置だ。

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この先で道路転用部分は一旦終わり、廃線跡を利用した遊歩道が田んぼの中をまっすぐ伸びている。一部に線路や枕木を模した舗装がなされている。

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途中、文化財発掘工事が行われていて、回り道を余儀なくされた。大正年間の鉄道敷設時はともかく、平成に入った廃線時にも見つからず、今頃になって掘り返すとはちょっと妙な話だが。

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羽安(はやす)駅跡にはおそらく当時のままの駅舎が残る。羽安という駅名は、この付近の羽山と安田の両集落がともに駅名にするよう主張して折り合わず、仕方なく両方から一文字ずつ取ったという。

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この先で再び道路転用部分に入る。西脇市から多可町に入ってすぐ、曽我井という駅があったはずだが、その痕跡は残っていなかった。ただ、付近の歩道の柵には電車のイラストが入っている。鍛冶屋線は非電化だったが。(苦笑)

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さらに進むと、中村町(なかむらまち)駅の跡が「あかね坂公園」として整備されている。この付近は町役場やベルディホールなどもある、多可町の中心部だ。

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この先で再び遊歩道になり、多可赤十字病院手前で杉原川を渡る。鍛冶屋線最大の橋梁である。

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終点の鍛冶屋駅手前には信号用器具箱が残されている。

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鍛冶屋駅舎は鍛冶屋線記念館になっているが、施錠されていて中に入ることは出来なかった。覗いてみたけれど、展示物はあまりないようだった。

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裏にはホームが残され、キハ30形気動車1両が保存されている。

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鍛冶屋線は廃止されたのが平成2年と比較的最近で、廃線跡がよく残っている方ではないかと思う。西脇から鍛冶屋までの延伸に当たっては、地元の人々が用地や資金を提供したという経緯があるようで、そうした事情も反映しているのだろう。

5月24日 ジョグ10キロ

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2017/11/12

高砂線廃線ラン

旧国鉄高砂線(加古川~高砂港間約8.0キロ)は、もともと播州鉄道が高砂港からの物資輸送を目的に大正2年に開業した路線で、その後、播丹鉄道を経て昭和18年に国有化され、国鉄高砂線となったものである。しかし、旅客需要は山陽電鉄や神姫バスに奪われて低迷し、沿線にあった国鉄高砂工場の廃止と第二加古川橋梁の老朽化が決定打となり、昭和59年11月末をもって廃止となった。廃線跡は大部分が道路に転用されている。

起点の加古川駅からスタート。ただし、ここから南西に向かう路線であるにもかかわらず、北東方向へ向かう加古川線と一旦並走してから東に分岐、やがて山陽本線を南へオーバークロスしていた。これは、高砂線がもともと国鉄ではなく播州鉄道の路線で、同じ会社の加古川線と接続させたためであろう。

左が現在は高架化された加古川線谷川方、右は山陽本線神戸方である。

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加古川線から高砂線が分岐していたと思われる箇所、その方向にコンクリート橋梁の一部のようなものがあった。高砂線の遺構かもしれない。

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その先は真新しい住宅が建っているが、一部に空き地を残している。

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その先では線路のカーブに沿って新しい住宅が建ち並び、庭先の車はまるでゲートインした競走馬を連想させる(笑)。往時はこの付近から築堤となって、まだ高架化されていなかった山陽本線を越えていた。

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山陽本線を越えると道路転用された部分に入り、左手に加古川グリーンシティのマンション群を見ながら進む。

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間もなく野口駅跡に到着。駅名標のレプリカと台車が置かれている。加古川市役所のまん前にあり、それなりに旅客需要はあったのではないかと思われる。

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さらに進むと、国道250号と交差する手前の鶴林寺駅跡を経て、別府鉄道同様、山陽新幹線と山陽電鉄を連続してアンダークロスする。山陽電鉄尾上の松架道橋は、レンガ造りの当時の姿をとどめている。

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この先に尾上駅跡があり、駅名碑と車輪が置かれている。並行する山陽電鉄の尾上の松駅も、かつてはこの付近にあったそうだ。

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やがて廃線跡は未舗装のままとなり、一部は近隣住民が家庭菜園として利用しているようだ。

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小規模な川を渡る橋梁が3箇所ほど残っており、今回の廃線ランでは最も廃線らしい風景に出会った。

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折角なので築堤を下り、赤茶色の錆だらけの鉄橋をしばらく眺めた。

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残念ながら、山陽電鉄と並行して加古川を渡っていた第二加古川橋梁は既になく、泳いで渡るわけにもいかないので(笑)、約600メートル下流の県道相生橋まで迂回せざるを得ない。

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再び廃線跡に復帰、しばらくすると高砂北口駅跡である。現在は駐輪場として利用されているが、線路跡に沿って建ち並んだ建物が当時の風情を残している。

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その先に国鉄高砂工場などへの引込線との分岐点があり、転轍機と腕木式信号機が残されていた。

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間もなく高砂駅跡に到着。ここにも車輪が置かれている。

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時代に取り残されたような駅前商店街のアーケードが、何とも言えない哀愁を漂わせている。

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こちらはもっと凄い。梅ケ枝湯という銭湯だが、いまだに薪で焚いているそうで、ほとんど文化財的価値がある。経営者は…きっと湯婆婆に違いない。(笑)

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高砂神社付近をさらに高砂港駅跡に向けて進む。

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殺風景な工場地帯.の中を進むと、やがて高砂港岸壁に到達する。この付近に高砂港駅があったそうだが、現在は広大なセメント工場の一部となっている。

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廃線ランはここで終了。高砂神社前バス停まで戻り、加古川駅前行きバスを待っていたら、鳥居の下で七五三の晴れ着を着た子供が、家族とともに写真に納まっていた。

11月10、12日 ジョグ10キロ

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2017/11/09

別府鉄道廃線ラン

先日、兵庫県加古川市を走っていた別府(べふ)鉄道の廃線跡を走った。8月にラン友&飲み友の四代目さんに教えてもらった路線である。あわせて、別府鉄道と接続していた旧国鉄高砂線跡も走ったが、それは便宜上別の記事としたい。

別府鉄道は、親会社の多木製肥所(現多木化学)の肥料製品を積み出すための鉄道として、大正10年に野口線(野口~別府港間約3.7キロ、野口で旧国鉄高砂線と接続)、同12年に土山線(別府港~土山間約4.1キロ、土山でJR山陽本線と接続)が開業した。旅客輸送も行って地域住民の足として親しまれていたが、1980年代に入って旧国鉄の貨物営業縮小の影響を受け、主目的の貨物輸送が出来なくなったことから、昭和59年1月末をもって両路線とも廃止となった。廃線跡は大半が遊歩道に転用されている。自転車も通行可能だが、そもそも距離が短い上に随所にバリアが設けられ、サイクリングロードとしては適しない。

全体をなるべく「一筆書き」で走るため、両路線の起終点と逆順になるが、JR土山駅前からスタート。11月とは思えないたっぷりの陽射しが有難い。駅のすぐ北側から、廃線跡を利用した遊歩道「であいのみち」が始まっている。安心して歩けるせいか、子供連れや高齢者の姿が目立つ。

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やがて大中遺跡公園に入ると、播磨町郷土資料館の裏にディーゼル機関車DC302と客車ハフ5が静態保存されている。残念ながらこの日は資料館の休館日だったため、中に立ち入ることは出来なかった。

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公園を出ると道路転用部分に入る。川崎車輌工場前信号所があった辺りに、貨車ワ124が野ざらし状態で置かれている。ただ、塗装をやり直したのか、黒光りする車体は健在である。

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国道250号明姫幹線と交差する場所には中野駅があったが、今は何の痕跡もない。やがて山陽新幹線および山陽電鉄をアンダークロスする。山陽電鉄のガードは単線分の幅しかなく、車はお互いに道を譲り合って通行している。

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この先で線路は左にカーブして野口線跡と合流、しばらく南下すると別府港駅跡に到着する。今も不動産管理会社として存続する別府鉄道の本社があり、タクシー部門が独立した別府タクシーの営業所と車庫もあった。社章は親会社の多木グループ共通で、いかにも肥料会社らしく、鍬(すき)を交差させた形になっている。

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再び北上し、今度は野口線の廃線を走る。こちらはほぼ全線が「松風こみち」として整備されている。沿道には松が植えられ、100メートル毎に距離表示もなされている。高架の山陽電鉄別府駅ホームをアンダークロスした先が別府口駅跡である。

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坂井駅跡の手前、踏切があった場所にはレールの跡が残る。

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円長寺駅跡を過ぎたところにある公園に、昭和6年製のガソリン車キハ2が静態保存されている。前後に荷台を装備した車輌は全国的にも珍しいという。

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藤原製作所前駅跡を経て、別府川を渡る鉄橋が今なお現役として活躍している。

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間もなく野口駅跡に到着、これで別府鉄道全線踏破である。旧国鉄側のモニュメントがあったが、これは別記事で。一旦、最短距離で加古川駅まで走り、駅前で昼食をとる。

11月8日 ジョグ10キロ

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