2017/11/12

高砂線廃線ラン

旧国鉄高砂線(加古川~高砂港間約8.0キロ)は、もともと播州鉄道が高砂港からの物資輸送を目的に大正2年に開業した路線で、その後、播丹鉄道を経て昭和18年に国有化され、国鉄高砂線となったものである。しかし、旅客需要は山陽電鉄や神姫バスに奪われて低迷し、沿線にあった国鉄高砂工場の廃止と第二加古川橋梁の老朽化が決定打となり、昭和59年11月末をもって廃止となった。廃線跡は大部分が道路に転用されている。

起点の加古川駅からスタート。ただし、ここから南西に向かう路線であるにもかかわらず、北東方向へ向かう加古川線と一旦並走してから東に分岐、やがて山陽本線を南へオーバークロスしていた。これは、高砂線がもともと国鉄ではなく播州鉄道の路線で、同じ会社の加古川線と接続させたためであろう。

左が現在は高架化された加古川線谷川方、右は山陽本線神戸方である。

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加古川線から高砂線が分岐していたと思われる箇所、その方向にコンクリート橋梁の一部のようなものがあった。高砂線の遺構かもしれない。

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その先は真新しい住宅が建っているが、一部に空き地を残している。

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その先では線路のカーブに沿って新しい住宅が建ち並び、庭先の車はまるでゲートインした競走馬を連想させる(笑)。往時はこの付近から築堤となって、まだ高架化されていなかった山陽本線を越えていた。

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山陽本線を越えると道路転用された部分に入り、左手に加古川グリーンシティのマンション群を見ながら進む。

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間もなく野口駅跡に到着。駅名標のレプリカと台車が置かれている。加古川市役所のまん前にあり、それなりに旅客需要はあったのではないかと思われる。

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さらに進むと、国道250号と交差する手前の鶴林寺駅跡を経て、別府鉄道同様、山陽新幹線と山陽電鉄を連続してアンダークロスする。山陽電鉄尾上の松架道橋は、レンガ造りの当時の姿をとどめている。

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この先に尾上駅跡があり、駅名碑と車輪が置かれている。並行する山陽電鉄の尾上の松駅も、かつてはこの付近にあったそうだ。

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やがて廃線跡は未舗装のままとなり、一部は近隣住民が家庭菜園として利用しているようだ。

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小規模な川を渡る橋梁が3箇所ほど残っており、今回の廃線ランでは最も廃線らしい風景に出会った。

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折角なので築堤を下り、赤茶色の錆だらけの鉄橋をしばらく眺めた。

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残念ながら、山陽電鉄と並行して加古川を渡っていた第二加古川橋梁は既になく、泳いで渡るわけにもいかないので(笑)、約600メートル下流の県道相生橋まで迂回せざるを得ない。

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再び廃線跡に復帰、しばらくすると高砂北口駅跡である。現在は駐輪場として利用されているが、線路跡に沿って建ち並んだ建物が当時の風情を残している。

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その先に国鉄高砂工場などへの引込線との分岐点があり、転轍機と腕木式信号機が残されていた。

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間もなく高砂駅跡に到着。ここにも車輪が置かれている。

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時代に取り残されたような駅前商店街のアーケードが、何とも言えない哀愁を漂わせている。

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こちらはもっと凄い。梅ケ枝湯という銭湯だが、いまだに薪で焚いているそうで、ほとんど文化財的価値がある。経営者は…きっと湯婆婆に違いない。(笑)

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高砂神社付近をさらに高砂港駅跡に向けて進む。

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殺風景な工場地帯.の中を進むと、やがて高砂港岸壁に到達する。この付近に高砂港駅があったそうだが、現在は広大なセメント工場の一部となっている。

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廃線ランはここで終了。高砂神社前バス停まで戻り、加古川駅前行きバスを待っていたら、鳥居の下で七五三の晴れ着を着た子供が、家族とともに写真に納まっていた。

11月10、12日 ジョグ10キロ

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2017/11/09

別府鉄道廃線ラン

先日、兵庫県加古川市を走っていた別府(べふ)鉄道の廃線跡を走った。8月にラン友&飲み友の四代目さんに教えてもらった路線である。あわせて、別府鉄道と接続していた旧国鉄高砂線跡も走ったが、それは便宜上別の記事としたい。

別府鉄道は、親会社の多木製肥所(現多木化学)の肥料製品を積み出すための鉄道として、大正10年に野口線(野口~別府港間約3.7キロ、野口で旧国鉄高砂線と接続)、同12年に土山線(別府港~土山間約4.1キロ、土山でJR山陽本線と接続)が開業した。旅客輸送も行って地域住民の足として親しまれていたが、1980年代に入って旧国鉄の貨物営業縮小の影響を受け、主目的の貨物輸送が出来なくなったことから、昭和59年1月末をもって両路線とも廃止となった。廃線跡は大半が遊歩道に転用されている。自転車も通行可能だが、そもそも距離が短い上に随所にバリアが設けられ、サイクリングロードとしては適しない。

全体をなるべく「一筆書き」で走るため、両路線の起終点と逆順になるが、JR土山駅前からスタート。11月とは思えないたっぷりの陽射しが有難い。駅のすぐ北側から、廃線跡を利用した遊歩道「であいのみち」が始まっている。安心して歩けるせいか、子供連れや高齢者の姿が目立つ。

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やがて大中遺跡公園に入ると、播磨町郷土資料館の裏にディーゼル機関車DC302と客車ハフ5が静態保存されている。残念ながらこの日は資料館の休館日だったため、中に立ち入ることは出来なかった。

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公園を出ると道路転用部分に入る。川崎車輌工場前信号所があった辺りに、貨車ワ124が野ざらし状態で置かれている。ただ、塗装をやり直したのか、黒光りする車体は健在である。

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国道250号明姫幹線と交差する場所には中野駅があったが、今は何の痕跡もない。やがて山陽新幹線および山陽電鉄をアンダークロスする。山陽電鉄のガードは単線分の幅しかなく、車はお互いに道を譲り合って通行している。

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この先で線路は左にカーブして野口線跡と合流、しばらく南下すると別府港駅跡に到着する。今も不動産管理会社として存続する別府鉄道の本社があり、タクシー部門が独立した別府タクシーの営業所と車庫もあった。社章は親会社の多木グループ共通で、いかにも肥料会社らしく、鍬(すき)を交差させた形になっている。

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再び北上し、今度は野口線の廃線を走る。こちらはほぼ全線が「松風こみち」として整備されている。沿道には松が植えられ、100メートル毎に距離表示もなされている。高架の山陽電鉄別府駅ホームをアンダークロスした先が別府口駅跡である。

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坂井駅跡の手前、踏切があった場所にはレールの跡が残る。

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円長寺駅跡を過ぎたところにある公園に、昭和6年製のガソリン車キハ2が静態保存されている。前後に荷台を装備した車輌は全国的にも珍しいという。

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藤原製作所前駅跡を経て、別府川を渡る鉄橋が今なお現役として活躍している。

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間もなく野口駅跡に到着、これで別府鉄道全線踏破である。旧国鉄側のモニュメントがあったが、これは別記事で。一旦、最短距離で加古川駅まで走り、駅前で昼食をとる。

11月8日 ジョグ10キロ

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2017/10/18

くびき野レールパーク

翌14日は、上越市頚城区百間町にある「くびき野レールパーク」を訪れた。昭和46年に廃止された頚城鉄道(新黒井-浦川原間、約15キロの軽便鉄道)の機関庫跡地を利用して作られた施設であるが、年に数日の一般公開時以外は立ち入ることが出来ず、今回の旅行がそれに合わせたものであることは言うまでもない。(笑)

機関車コッペル2号、ディーゼル機関車DC92、内燃客車ホジ3など、往時の車両などが保存、展示されている。DC92とホジ3は動態保存されていて、一般公開時には実際に構内を走らせ、来訪者は体験乗車が出来る。乗車自体は無料だが、募金箱に若干の寄付をさせてもらった。

先頭のコッペル2号はいわば飾りで、運転士が乗っている2両目のDC92が実際の動力源である。前進後退を繰り返す大活躍だったが、出発早々いきなりエンストしたのはご愛嬌だった。

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こちらはホジ3。なんとものんびりした走りっぷりだ。乗客もさることながら、ボランティアで関わっている、おそらくは根っからの鉄道ファンのスタッフたちの嬉々とした表情が印象的だった。

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前回の駿遠線など、軽便鉄道の廃線は何度か走ったが、こうやって当時と同じ車両が実際に動いている様子は大変に興味深かった。

10月17、18日 ジョグ10キロ

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2017/10/15

北陸本線旧線ラン

13日、北陸本線の直江津-浦本間の旧線跡を走った。明治時代に開通した北陸本線のこの区間では、特殊な地質条件から地滑り災害が多発したため、内陸側を長いトンネルで抜ける新ルートに変更されることになった。多くの破砕帯に遭遇するなど建設工事は難航したが、新線は昭和44年に開通、海岸沿いの旧線は廃線となった。

旧線跡の大部分は昭和52年に久比岐自転車道(正式名称「一般県道上越糸魚川自転車道線」、全長約32キロ)として整備され、日本海を一望する風光明媚な自転車歩行者専用道路となっている。今年は開通40周年ということで、先月には記念フェスティバルが開催されたようである。

朝方まで雨が降り続いていたが、直江津のホテルを出発する頃にはちょうど上がってくれた。自転車道の直江津側スタート地点、郷津(ごうづ)までは路線バスを利用。乗客は自分一人だった。日本海の荒波の音を聞きながら、午前9時前にスタート。

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間もなく、フィッシングセンター(左側の黄色い桟橋)があり、この付近に旧郷津駅があったと思われる。

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約2キロの地点で現行線と合流すると、まもなく谷浜駅である。歩道橋の左に構内跨線橋が見える。

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谷浜駅を過ぎて間もなく現行線と別れ、長浜トンネルに入る。

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桑取川を横断していたレンガの橋脚跡が残る。右奥は現行線のトンネル。

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再び現行線と合流、線路下ではレンガの小さな橋脚が今も現役で活躍中である。

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有間川駅の先で再び現行線と別れて海岸沿いを走り、いくつかのトンネルを潜る。不動滝など大小いくつもの滝や湧水が随所に見られ、付近の地盤が軟弱なのも頷ける。また、大きな波が打ち寄せる海岸近くでは、サーフィンに興じる人々の姿も見える。

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名立(なだち)の集落を過ぎてしばらくすると、上越市から糸魚川市に入る。次第に視界が開けてきて、水平線まではっきりと見えるようになった。天気が良ければ能登半島や佐渡島を望むことも出来るそうだ。

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筒石の集落に入ると、橋脚跡に何と保育園が建っている。

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能生(のう)集落に入る手前にトットコ岩がある。地元の言葉でニワトリを意味する「トットコ」が、餌を啄んでいるように見えるところから名づけられ、岩の上には祠が置かれている。

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ちょうど昼どきになったので、道の駅マリンドリーム能生で昼食休憩を取る。申し遅れたが、今回の旅行は家内と一緒で、後のバスでここまで来た家内と合流して、残り10キロ強は一緒に走ることにしていたのだ。

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能生の役場前に旧能生駅跡の記念碑、338キロポスト、「工」印の境界杭があった。

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木浦(このうら)川を渡ると、西性寺の大きな瓦屋根が見える。この辺りでは黒光りするような瓦を多く見かけたが、雪の多い気象条件と何か関係がありそうだ。

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海岸沿いに、いかにも廃線跡という光景が続く。

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浦本駅付近で現行線と再び合流する。旧線跡はここまでで、廃線ランとしては終了であるが、自転車道は海岸の堤防沿いにさらに2キロほど続く。帰りの列車の時刻までまだ時間があるので、のんびり歩いて時間調整することにした。15時半に無事ゴール。

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ここから、国道8号沿いに梶屋敷駅まで歩き、日本海ひすいラインで直江津まで引き返す。キハ122形ディーゼルカーがたった1両、長いホームの真ん中に発着、北陸本線の電化複線線路を行くありさまは一種異様である。

新幹線開通とともに並行在来線は第3セクターに移行する宿命だが、本数も少なく地元民の足としてはかなり不便になったのではないだろうか。ICカード対応するだけの余裕もないようで、車掌に整理券を渡して現金で支払うシステムだ。「車内補充券」を貰ったのはいったい何年ぶりだろうか。(苦笑)

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10月13日 LSD31キロ
10月15日 ジョグ10キロ

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2017/05/25

駿遠線廃線ラン(その3)

3日目の18日は午前9時過ぎ、浜岡のホテルを出発。国道150号が廃線跡に当たるが、その痕跡は全くなく、単調な行程が延々と続く。途中からは歩道もなくなり、大型車と対向する際は風で帽子が飛ばされそうになる。

風と言えば、この辺りは風の強い地形のようで、海岸沿いに巨大な風力発電設備がいくつも設置されていた。

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国道脇の何もない場所に、合戸(ごうど)駅跡を示す駅名標がポツンと立っていた。

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その先で掛川市に入り、菊川を渡ると、線路は右にカーブして内陸側に進路を変える。西千浜駅跡に駅名標が設置されているが、この先は市街地になっていて痕跡を留めない。

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新三俣駅のあった辺りからは、廃線跡を転用した道路がしばらく続く。野賀(のが)駅跡辺りで一時道に迷いそうになったが、とある住宅横に廃線跡を発見。ここからしばらくは雑草が生い茂る未舗装の道となり、一部区間では迂回を余儀なくされた。

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再び舗装路となり、ちょうど新茶の摘み取り時期となった茶畑の中を行く。小高い場所なので眺望が良い。

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野中駅のあった辺りから再び未舗装、というかほとんど藪漕ぎ状態となる。道はぬかるみ、藪蚊が容赦なく付きまとう。イノシシ対策だろうか、野獣捕獲用の檻が設置されている。地図にも載っておらず、まさに「けもの道」に近くなっている。わずか数百メートルの区間だったが、ちょっとした探検気分を味わえたし、藪を抜けた瞬間には解放感と達成感に包まれた。

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まもなく横須賀の町に入る。横須賀と言えば神奈川県と思っていたが、この掛川市の他にも、千葉県松戸市や愛知県東海市などにもある地名なのだ。昼時になったのでコンビニに立ち寄ってスタミナ&塩分補給。近くに飲食店が見当たらず、弁当などを買い求める客が多かった。

廃線ランを再開。町中では廃線跡は失われているが、町外れの七軒町駅跡付近から先、廃線跡は県道と並行する広い農道に転用され、格好の抜け道として利用されている。

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農道と別れてしばらく進んだ石津駅跡では、民家の庭先に当時のプラットフォームを残している。

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この先で袋井市に入る。新三輪駅跡付近から先は、遊歩道としてきれいに整備されている。

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五十岡(いごおか)駅跡にも当時のプラットフォームが残る。

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この先の遊歩道には車輪を模したモニュメントや、機関車を描いたレリーフ画などが設置されていた。これは浅名駅跡。

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諸井駅跡の先で県道41号に合流、柳原駅跡を過ぎると新幹線高架下を潜る。新幹線はあまりに速いので、車体がマンガみたいに後ろに傾いている。(笑)

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間もなく終点、袋井駅に到着。カーブしながら構内に入る線路の跡が残る。

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袋井駅跡に無事到着。左のガードの先に駿遠線新藤枝方を望む。

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さすがは日本最長の軽便鉄道だけあって、十分に走り応えがあった。さて、次はどこを走ろうか。

5月23、25日 ジョグ10キロ

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2017/05/22

駿遠線廃線ラン(その2)

2日目の17日は午前9時前に新藤枝駅跡から出発。しばらく東に進むと、かつての駿遠線は右にカーブして、東海道線を高架で越えていた。そのカーブの痕跡が、勤労者福祉センター「サンライフ藤枝」の駐車場に残っている。

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東海道線を越えると、線路は県道33号、通称田沼街道と並行して走り、新幹線の高架下を潜って、やがて県道に合流する。その合流地点に高洲駅があったが、その痕跡は全くない。県道をさらに南進すると大洲駅跡付近で東名高速の高架を潜り、焼津市に入る。

その先は田畑になっていて辿ることが出来ず、しばらく田んぼの中の道を迂回すると、大井川西小学校の南側で再び廃線跡が現れた。

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間もなく大井川を渡る。写真の国道150号の橋の右側に駿遠線橋梁が架かっていたが、何と橋脚部は木製だったという。その架け替え費用が工面できなかったことが、廃線を決定づけたとも言われている。前述のビデオによれば、昭和55年当時はまだその橋脚の残骸が残っていたが、今はもうなくなったようだ。

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大井川を越えると吉田町。しばらく県道79号と並行して進む。

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遠州神戸(かんど)駅跡。駅名標はむろん最近のものだが、これ以降も同様のモニュメントが設置されている駅跡が多かった。

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牧之原市に入り、榛原町駅跡付近の牛丼店でカロリー&塩分補給。駅跡は現在、同じ静岡鉄道系列のしずてつジャストラインのバスターミナルになっている。

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廃線ランを再開してすぐ、勝間田川を渡る箇所で、橋台の跡が残っていた。今回の廃線ランで初めて発見した、現役当時の遺構である。

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この後は国道150号と並行する歩行者、自転車専用道が延々と続く。海側にはイチゴなどのビニールハウスがずらりと並ぶ。自転車で下校途中の高校生を多く見かけた。駿遠線があれば彼らの通学もラクだったろうが、若いうちから足腰を鍛えておいた方が良いぞ。(笑)

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次第に海岸線が近づいて来たので、一旦コースアウトして海岸に出てみた。駿河湾西端の御前崎が遠くに見えている。

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海岸沿いの単調な行程がようやく終わり、相良(さがら)の町に入る。廃線跡は小中学校などに転用され、痕跡を留めない箇所が多い。新相良駅があった辺りは、ここでもバスの営業所になっている。小堤山公園の近くで廃線跡が復活。県道375号という表示は初めて見た気がする。

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間もなく、駿遠線唯一のトンネル、小堤山隧道が見えてきた。大正12年頃に建造されたとのことである。

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トンネルの特徴はご覧のとおりである。(笑)

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須々木駅跡、落居駅跡を経て、藤相鉄道時代の終点、地頭方駅跡に到着。その手前の小さな川を渡る橋台の跡らしきもの(パイプの向こう)と、構内信号機か何かの土台の跡を発見した。

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やがて線路跡は御前崎の付け根を横断して御前崎市に入り、今度は遠州灘に沿って西進する。V字の折り返し部分だ。浜岡付近で国道150号に合流、国道沿いのホテルに到着したところで2日目の行程を終了。周辺のアパート群は浜岡原発の従業員用と思われるが、長期運転停止の影響だろうか、ほとんど人気がなくて少し不気味だ。

5月21日 ジョグ10キロ

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2017/05/20

駿遠線廃線ラン(その1)

今週、駿遠線の廃線跡を走ってきた。東海道街道走りの準備で袋井近辺の地図を見ていて、廃線跡を転用したと思われる道路を発見。調べてみたら大変長い鉄道の痕跡の一部と判明したため、街道走りとは別の機会に踏破すべく計画していた。

静岡鉄道駿遠線は静岡県藤枝市から御前崎市を経由し、袋井市までをV字形に結んでいた軽便鉄道で、路線総延長64.6キロと日本一長い軽便鉄道であった。元々、藤枝側は藤相鉄道、袋井側は中遠鉄道と、別個の路線であったものが、戦時統合で静岡鉄道に一本化され、その後昭和23年に両線の終点を延伸、直結したものである。

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通勤・通学や夏の海水浴など、地元の人々の足として利用され、終戦直後は多くの買い出し客を乗せたが、ご多分に漏れず、モータリゼーションの進展等で経営が悪化。昭和39年以降段階的に廃止され、昭和45年7月末をもって全路線が廃止となった。

軌間762ミリのナローゲージ、単線・非電化の長閑な鉄道だったようで、乗客が多くて坂を上がれない時は乗客が降りて押したとか、ブタと衝突して脱線したという逸話も残っているそうだ。

廃線跡は、藤枝側の一部は県道375号静岡御前崎自転車道として、また袋井側の新岡崎-諸井間は遊歩道として整備されているが、農村部では雑草に覆われて通れなくなった箇所や、市街地では住宅や工場が建って全く痕跡を留めない箇所も多い。

16日午後に藤枝に到着、まずは藤枝市郷土博物館に向かう。入口にB15形機関車が展示されている。

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博物館では駿遠線に関するコーナーが設けられ、起点の大手駅の模型などが展示されていた。また、藤枝市が昭和55年に制作した駿遠線の記録ビデオが再生されていて、とても興味深かった。

博物館からほど近い大手駅跡から歩いて探索を開始。駅跡は現在は大型書店などが建っていて、全く面影を留めない。しばらくは何の変哲もない街路を進むと、藤枝本町駅のあった辺りから、明らかに線路跡と思われる遊歩道が現れた。

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瀬戸川を越える鉄橋は、現在は歩行者、自転車専用の橋となり、格好の通学路になっている。

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対岸に渡ると、ぐんと廃線ぽくなってきた。

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旧国道1号(現県道381号)のガードを潜る。

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志太駅跡か?

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新藤枝駅跡付近は再開発が進行中である。写真右手方向にJR藤枝駅がある。

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この日は、大手線とも呼ばれる、ここまで約4キロの区間のみで終了、藤枝駅前のホテルに投宿した。

5月17日 LSD33キロ
5月18日 LSD27キロ

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2016/11/22

耶馬溪鉄道廃線ラン(後半)

耶馬トピアでの昼食休憩を終えて再び廃線跡に戻る途中、羅漢寺橋が見えた。先の耶馬溪橋に比べ、アーチが長くてゆったりしている。

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国道212号に戻り、先ほど一旦折り返した地点から廃線ランを再開。その付近の羅漢寺駅、その先で国道から分岐してしばらく行った冠石野(かぶしの)駅ともに、痕跡はほぼ何もない。やがて左手の山国川対岸に巨大な岩山が見えて来た。

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案内板によれば、「約200年前に一夜轟然と大音響を発して巌腹崩落して今日の景をなした」といい、道行く人々が自然と立ち止まって眺めるので、「立留りの景」というそうだ。

間もなく耶馬渓平田駅。ここはプラットフォームがそのまま残り、トイレも設置されていた。

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この近くに馬溪橋があるので、少しコースから外れて見に行く。先の2つと合わせて、耶馬三名橋というそうだ。

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再び廃線跡に戻り、しばらく単調な行程が続くが、途中紅葉がきれいな場所があった。

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その先の対岸の山頂に巨岩が聳え立っている。酔仙巌というそうだ。写真では分かりにくいが、今にも転がり落ちて来そうに見えた。

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津民(つたみ)駅の先で第二山国川橋梁を渡る。ここを1両のディーゼルカーがのんびりと渡っていた当時の様子が想像できる風景だ。

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やがて、耶鉄柿坂駅の手前、市役所支所の裏辺りに、また紅葉が大変見事な場所があった。折角だからやや大きめのサイズでアップロード。(笑)

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この先の第三橋梁は既に失われているが、対岸に渡った地点にご覧のようなモニュメントが置かれていた。昭和4年に1067ミリに改軌されるまでの762ミリゲージの線路をかたどってある。

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この先でトンネルが5つ連続するが、第二トンネル内に湧き水があった。飲んでみたらとてもまろやかな味で、自販機もない区間なので非常に助かった。

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次の下郷駅に到着。ここもホーム、駅舎が保存され、トイレもあった。ベンチでしばし休憩する。

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間もなく第四橋梁を渡る。橋の上から橋の写真は撮れない道理で、身体を乗り出して撮るのが精一杯だった。

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次の江渕駅を過ぎると、切通しになっている箇所があった。トンネルで抜くほどの高さではないためだろう。

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一ツ戸の景。独特な山容が目を惹く。逆光で見づらかったが、紅葉と緑の対比が美しい。

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中摩(なかま)駅を過ぎ、田畑の中の真直ぐな軌道跡をひたすら進むと、次の白地(しらじ)駅に到着。いかなる経緯によるものか、プラットフォーム上に住宅が建ち、人が住んでいる。

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次の宇曽(うそ)駅は全く痕跡がないが、ふと「真坂→宇曽」というキップがあったら面白いだろうなと思った。その先の左手にまた湧き水があり、続いて落差5、6メートルはあろうかという滝がひっそりと流れ落ちていた。

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ようやく終点守実温泉駅に近づいてきた。現在はコアやまくになる公共施設が建っていて、当時の面影は全く失われている。写真中央は展望タワーだそうだが、最初はゴミ焼却場か消防署かと思った。(笑)

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コアやまくにで先に着いていた家内と合流する。その先の守実温泉駅があった辺りは現在、商工会館やバス停として利用されている。これで廃線ランは無事終了。途中まで貸切り状態の路線バスで中津駅前まで引き返した。

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11月22日 ジョグ10キロ

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2016/11/20

耶馬溪鉄道廃線ラン(前半)

先週、耶馬溪鉄道の廃線跡を走って来た。かなり以前にその存在を知って以来、いつか紅葉の時期に合わせて走ろうと考えていたものだ。

大分県の中津-守実(もりざね)温泉間約36キロを結ぶ耶馬渓鉄道(耶鉄)は大正2年に部分開業、同13年に全線開通した。沿線に青の洞門、羅漢寺、守実温泉などの観光地を有し、また戦時中には軍需工場への引込線も敷かれて、昭和19年には300万人の乗客数を記録したという。

しかし、御多分に漏れず1970年代以降は沿線の過疎化、道路網の整備などにより利用客が減少。中津駅の高架化に伴う費用負担を求められたことから、バス転換の方針が打ち出され、昭和50年9月末をもって廃止となった。

廃線跡は県道411号中津山国自転車道線、通称メイプル耶馬渓サイクリングロードとして整備され、中津駅付近の一部を除いて、ほぼ当時の線路の痕跡を辿ることが可能である。

15日午前9時半に中津駅前をスタート。

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耶鉄の線路の痕跡は全く残っていないが、JR日豊本線とドラッグストアの間の細い道がそうかもしれない。

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国道213号と交差する地点から先は、県道675号の歩道部分として廃線跡が真っ直ぐに伸びている。

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最初の古城(こじょう)駅があった場所には記念碑が建てられている。

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古城駅は昭和19年に廃止され、代わって約500メートル先に八幡前(はちまんまえ)駅が開業した。現在は同名のバス停になっていて、ちょうど昨夜来の雨がまた一頻り降り始めたので臨時停車させてもらった。

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大貞(おおさだ)公園駅付近で一旦県道から別れるものの、駅の痕跡は全く見当たらない。国道10号中津バイパスを渡った先に上ノ原駅、東九州自動車道の高架手前に諫山(いさやま)駅があったが、これらもほとんど痕跡を残していない。

単調な道をひたすら進んでいると、家内から電話がかかってきた。申し遅れたが、今回は結婚30周年記念を兼ねて夫婦で旅行していて、家内は路線バスで先回りし、レンタサイクルで途中から合流する計画をしていたのだ。

しかし、聞けばサイクリングターミナルが定休日で、自転車を借りることが出来ないとのこと。想定外の出来事に頭が真っ白になりかけたが、仕方なく家内は徒歩で終点を目指し、そこで落ち合うことにした。気を取り直して再び走り始め、次の駅名がなんと真坂(まさか)駅というから、話が出来すぎている。(苦笑)

その先、国道212号(日田往還)を越える手前で県道から分岐して、ようやく鉄道廃線らしい光景が現れた。

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国道を越えたところに野路(のじ)駅がある。プラットフォームは物置にされてしまっているが、当時の駅付近の写真が掲示されていた(写真右下)。

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間もなく、最初のトンネルである厚ケ瀬トンネルに差し掛かる。補修工事が行なわれていて、粉塵が飛んでいるので立ち止まらないよう言われた。県が設置したサイクリングロードである以上、安全のためメンテナンスが欠かせないのだ。この先でも何箇所か工事が行なわれていた。

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いかにも山あいを縫うように進む鉄道らしい光景だ。

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トンネルを抜けると左側に用水路の痕跡のようなものがある。水の洞門といい、実際、昭和56年まで約300年に亘って農業用水として使われていたそうで、青の洞門を掘った禅海もこれを手本にしたという。

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その先で国道212号に合流し、洞門駅のあった辺りの集落を抜けると、鉄路は第一山国川橋梁を渡るが、少し下流側に別の橋を望むことが出来る。大正年間に造られた耶馬渓橋で、長崎県に多い石積方式によることから、オランダ橋とも呼ばれている。

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反対の上流側の右岸には青の洞門があり、折角なので是非見ておきたい。一旦橋を渡って左岸の国道に沿った廃線ルートを少し先まで進んでから引き返し、再び橋を渡って今度は洞門の中を通り抜けていくことにする。走行距離が約2キロ増えるが、線路跡を可能な限り辿るのが廃線ランというものだ。

左岸側から見た洞門の外観。

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洞門の内部。明治時代の拡幅工事で元の隧道はほとんど原形をとどめないが、一部に禅海の手掘りの跡が残っている。

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禅海の像。小説『恩讐の彼方に』は敵討を絡めた感動的な物語だが、それはあくまで菊池寛の創作であって、実際には第1期工事完成後は通行料を徴収して工事資金に充てるなど、結構ビジネスライクに事業が進んだようである。

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その先の競秀峰(きょうしゅうほう)。9つの岩峰が競い合っているように見えるのがその名の由来という。

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この辺りで正午を過ぎたので、近くの道の駅耶馬トピアで蕎麦を頂く。田舎風の少し太めの麺で素朴な味わいだった。

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後半に続く。

11月20日 ジョグ10キロ

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2016/10/18

清水港線廃線探訪

昨日、東海道街道走りから帰宅。詳細は改めて書くとして、その前に清水港線の廃線跡を走った(といっても自転車でだが)ので、まずはその報告から。顛末はこうである。

今回の東海道は興津宿が起点だが、現在は古い旅館が1軒あるのみで、前回は由比側に1キロほど行った温泉施設に泊まった。今回は興津から電車で1駅の清水駅前のホテルに投宿することにした。折角だから前日に世界文化遺産の三保の松原を見物しておこうという寸法である。

ちなみに、以前ボストンマラソンや神戸マラソンに参加した際、都心のホテルが満室かとても高額で泊まれず、電車で何駅かの郊外にホテルを取ったことがある。「ボストン・神戸方式」と呼ばれる(自分だけだが・笑)この方法を今回も採用したわけである。

清水駅前から三保の松原まで片道8キロ強なので、自分の足で走って走れないことはないが、次の2日間で合計80キロの行程を考えると無理は禁物だ。幸い泊まったホテルにレンタサイクルがあるので、自転車で行ってみようとネットで調べてみると、お誂え向きに国県道と並行してサイクリングロードが走っているではないか。

その地図を眺めていて、「これは廃線跡かも」と直感が働いた。果たして、清水-三保間8.3キロを結ぶ旧国鉄清水港線が昭和59年まで走っていた跡と判明した。街道走りの前日に計画した三保の松原観光で、廃線探訪まで出来るとは、一石三鳥の嬉しさだ。

清水に到着して早々にホテルで自転車を借りて出発。商店街を抜けて清水駅南方の狭い踏切を渡ると、東海道線本線から分岐した線路2本を発見したが、旧清水港線のものかどうかよく分からない。付近には清水港という貨物駅があったようだが、現在は公共施設などになっていて痕跡をとどめない。

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南に少し行くと、ご覧のような自転車道、遊歩道がスタートしていて、エスパルスドリームプラザという商業施設まで約1キロの区間は、ひとまず快適なサイクリングが楽しめる。

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大型商業施設の海側に巨大な構築物を発見。テルファークレーンといって、木材を船から貨車に直接積み込めるもので、従前のベルトコンベアーだと1日かかる作業が僅か48分と、とても効率が上がったそうである。平成12年に国の登録有形文化財に登録されている。

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この先は自転車道は途切れているが、工場や倉庫が建ち並ぶ中に廃線跡が今も残っている。雑草の生えた廃線跡で、近くの工場の従業員が休憩していた。こんな場所を自転車で通るなんで、どこの物好きだろうと思われたに違いない。

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巴川を渡る鉄橋の橋台が残っていた。さらに道路を横断する線路のようなものが見える。狭軌の軌間より広いので線路そのものではないが、鉄道施設の一部だったことは間違いない。この右手に巴川口駅があったが、現在は浄化センターになっていて立入り不可である。

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さらに進んで工場地帯を抜け、国道150号と合流する地点で再び自転車道が始まった。以前は写真にも写っている鈴与という会社の協力で、左側の空き地辺りに当時の電車1両が展示されていたようだが、もう既に撤去されていた。

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海岸沿いに回り込んで三保の半島側に入り、しばらく進むと折戸駅跡がある。現在は公園として整備されている。

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更に半島の先に向かって自転車を漕ぐ。自転車に乗った高校生や、下校途中の小学生を多く見かけた。車が通らないので格好の通学路になっているようだ。小学生の女の子は、姿格好が「ちびまる子ちゃん」そっくりだ。そう、清水は原作者さくらももこの出身地なのだ。

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終点、三保駅跡に到着。ホームがそのまま残り、なぜか野良猫が何匹もたむろしていた。

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ディーゼル機関車DB152とタンク車1両が静態保存されている。

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いささか主客転倒になったが(笑)、この後、本来の目的である三保の松原を見物した。御穂神社に来臨する神様が通るという「神の道」。自転車は降りて歩くのが決まりだ。

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羽衣伝説で名高い「羽衣の松」。

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名勝三保の松原。何とか富士山のシルエットを拝むことが出来て、今回の旅は幸先の良いスタートとなった。

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10月15日 LSD44キロ
10月16日 LSD41キロ
10月18日 ジョグ10キロ

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