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2022/04/30

『ブラックバード 家族が家族であるうちに』

Blackbird 2019年、米・英。『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッチェル監督。公式サイトの紹介文。

ある週末、医師のポール(サム・ニール)とその妻リリー(スーザン・サランドン)が暮らす瀟洒な海辺の家に娘たちが集まってくる。病が進行し、次第に体の自由が利かなくなっているリリーは安楽死する決意をしており、家族と最後の時間を一緒に過ごそうとしていた。
長女ジェニファー(ケイト・ウィンスレット)は母の決意を受け入れているものの、やはりどこか落ち着かず、夫マイケル(レイン・ウィルソン)の行動に苛立ちがち。家族だけで過ごすはずの週末にリリーの親友リズ(リンゼイ・ダンカン)がいることにも納得がいかない。詳しい事情を知らなかった15歳の息子ジョナサン(アンソン・ブーン)も、この訪問の意味を知ることに。
長らく連絡が取れなかった次女アナ(ミア・ワシコウスカ)も、くっついたり離れたりを繰り返している恋人クリス(ベックス・テイラー=クラウス)と共にやってくるが、姉と違い、母の決意を受け入れられておらず、ジェニファーと衝突を繰り返す。大きな秘密を共有する家族がともに週末を過ごすなか、それぞれが抱えていた秘密も浮かびあがりジェニファーとアンナの想いは揺れ動き、リリーの決意を覆そうと試みる…。(引用終わり)

安楽死を扱った作品は邦画『ドクター・デスの遺産』以来だが、本作では安楽死そのものの是非とか、実行に至るまでの経緯などより、本人と家族との関係性や、それとどう最終的に折り合いをつけて「その時」を迎えるかという、ヒューマンドラマとしての色彩が濃い。邦題に付された副題もその辺りを考慮したのだろう。

性格が対照的な二人の娘の間で、積年の確執と対立が表明化してハラハラさせられるが、それに加えて本人の親友リズが同席していることの意味が明らかになって、ストーリーはさらに込み入ってくる。

しかし、最後は収まるところに収まって、本人の希望どおりの結末を迎えることになるわけだが、安楽死を実行するだけでも容易でないところに、残された家族のことも考え、後顧の憂いなく旅立っていった主人公の勁さを思った。

8人の登場人物がアメリカのニューイングランド地方と思われる風光明媚な海辺の家に集まり、そして別れていくだけの単調な展開ではあるが、スーザン・サランドン、ケイト・ウィンスレット、2人のオスカー女優の共演などで最後まで飽きさせない。ただ、タイトルの「ブラックバード」が何を意味するのか、少し調べてみたけれど分からなかった。

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2022/04/27

クナッパーツブッシュ盤「パルジファル」全曲

Parsifal_20220427085001 先々月、このオペラを初めて鑑賞したときの記事で、「ほとんど動きのない映像はこの際抜きにして、様々な動機が複雑に絡み合う音楽だけを集中して聴けば、何とかとっかかりが得られるのかもしれないが、4時間半の長丁場に再挑戦する気力はすぐには出て来ないだろう」と書いたが、ようやくその気力が出てきたので、標記の全曲盤CDを聴いてみた。

1962年8月、バイロイト祝祭大劇場でのライヴ録音で、当時から名盤の誉れ高いものである。タイトルロールのジェス・トーマスをはじめ、グルネマンツのハンス・ホッター、アンフォルタスのジョージ・ロンドン、クンドリのアイリーン・ダリスなど、当時の名歌手を集めた声楽陣は豪華の一語に尽きる。

「音楽に集中して」と書いたけれども、やはりストーリーと歌詞が分からなければ、そこにワーグナーがつけた音楽の意味合いを本当に理解することは出来ないので、今回は図書館で借りた全曲対訳本を参照しながら聴いた。何度も聴き込めば「ああ、ここはこういう場面だ」と合点がいくようになるだろうが、さすがにその境地に達する時間はもう自分には残されていない。

1日1幕で3日がかりの鑑賞になったが、意外にそれほど間延びすることなく長丁場を乗り切ることが出来た。クナッパーツブッシュと言えば、これまで残響が極端に少ない貧弱な録音しか聴いたことがなかったが、ここでは独特な構造をしたバイロイト祝祭大劇場の音響を、フィリップスの技術陣が見事に捉えていて、客席のノイズを我慢しさえすれば十分に鑑賞に堪える。

ところで、このCDはタワーレコード限定盤として復刻発売されたもので、ブックレットの裏表紙(クリックで拡大表示)には初出時のLP盤の帯まで再現されている。昔懐かしい字体に加え、作品に冠された名称がただの「楽劇」だったり、指揮者名が「クナッペルツブッシュ」だったりするところに時代を感じる。

それより、LP5枚組で9千円という値段は、当時の物価を考えれば相当高価に違いなく、オペラ全曲盤というのはある種の贅沢品だったのだ。なにせ、ちょうど同じ頃に放送を開始したNHKFMの「オペラ・アワー」という番組は、「オペラのステレオ全曲録音」がタダで(笑)聴けるのがウリだったのだから(現在の「オペラ・ファンタスティカ」は海外放送局提供の最新ライヴ録音が中心である)。

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2022/04/24

当面は今の薬を継続

前回の記事では、今月から次の、そして最後の抗癌剤治療に移行する予定と書いたけれども、しばらくは今の治療を継続することになった。ひとつには、肝機能の検査数値は相変わらず悪化の一途を辿っているものの、そのスピードが加速しているというほどではないこと。もうひとつは、やはり次の抗癌剤がもたらす、劇症肝炎を含む重篤な副作用への懸念である。

主治医としても難しい判断を迫られているようで、相当迷っておられたような様子だったが、さほど強い副作用が出ていない今の治療法が、現時点では最良の対処法であるという結論に達したようである。

一方、肝臓癌の末期には白目が黄色くなるなどの黄疸症状が現れ、そうなるともう治療不可能となって、1、2か月で最期を迎えることになるらしいが、その指標である血液中の総ビリルビンの濃度がむしろ低下(改善)傾向にあり、正常値の範囲まであと一歩というところまで下がっているという嬉しい指摘があった。意外としぶといぞ、俺!(笑)

ただ、これが肝臓癌と直接の関連があるのかどうか不明だが、浮腫(むくみ)の症状が出ていて、両足がパンパンに膨れているため、靴の脱ぎ履きにも一苦労する有様なのと、二度目の手術の際の縫合部から腸が腹膜外に出るヘルニア(脱腸)が起きていて、そのせいでストーマ(人工肛門)の皮膚との接合部が引っ張られ、時に悲鳴を上げたくなるほどの痛みを発生させている。

前者については経口栄養剤の処方を受けて対処中であるが、後者は今さら開腹手術による復旧は不可能で、基本的に我慢するしかないと言われている。癌そのものの進行はある程度抑えられ、食事や日常生活に重大な支障が出ているわけではないが、新たな事態への対応に悩む日々が続きそうだ。

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2022/04/20

ショルティ盤「ロ短調ミサ」

Hmollマタイ受難曲に続いて、ショルティが1990年に録音したCDを聴いた。

予想どおり、マタイ受難曲と同じく、楽譜に忠実で真摯な、正統派の演奏である。教会の中にいるような雰囲気に浸れるヘレヴェッヘ盤もいいけれど、楽曲の構成や各声部の動きが手に取るように分かるショルティの演奏は、この曲が宗教から離れても、純粋音楽として十分鑑賞に値する楽曲であることを示している。

ショルティならではの鋭い分析力と、高い統率力の賜物だろう。この曲の演奏に携わる人々や学習者にとって、打ってつけの模範的な演奏ではないかと思う。

名手揃いのオーケストラ(第11曲のホルンソロはクレヴェンジャーか?)、フォン・オッター(A)、ブロホヴィッツ(T)らの独唱陣もさることながら、マーガレット・ヒリス率いるシカゴ交響合唱団が、単なるオケ付属の合唱団とは思えない高度なレヴェルの合唱能力を発揮していて、とりわけppでの息を呑むような絶妙のアンサンブルは大変素晴らしい。

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2022/04/18

吉野山奥千本

吉野山の桜は下千本から上千本までは何度も見に行ったけれども、奥千本は何時のことだったか忘れたが、一度行ったきりになっていた。既に満開を過ぎているとの情報に接し、吉野の桜の見納めにと出かけてきた。もちろん今となっては自分の脚で「走って」ではなく、車で行って最も近い駐車場を目指した。

止められる台数が限られているというので、早朝6時に自宅を出発、現地に7時過ぎに到着したが、先客はたった1台のみ。帰るときにはうちの1台だけの貸し切り状態だった。散策中も絵を描いている人が一人いただけで、他には全く人気がなく、西行法師とともに静かな花見を楽しむことが出来た。

Saigyo

ただ、肝心の桜は一部を除いて植え替えが行なわれていて、西行庵の向かいの斜面はまだ若い木が僅かに花をつけているだけの状態だった。これでは花見客が少ないのも致し方ないところだ。

Oku2

Oku1

ところで、同行した家内が、奥千本に行くという話が出て以来、郷ひろみの「あの歌」の一節が耳から離れないとボヤいていたが、実は自分もそうだったのだ。(笑)

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2022/04/13

ハイレゾ音源を試してみた

ハイレゾリューション(高解像度)オーディオ、いわゆるハイレゾについて、正直これまであまり興味はなかった。今のCDプレーヤーに買い替えたときの記事にも、そんなことはどうでもいいと書いた。

その理由としては、いくら録音再生のデジタル処理が高度化しようと、人間の耳が聴くのはデジタルの「データ」ではなく、それをアナログに変換した「音」である以上、その音質はデジタル・アナログ変換回路(DAC)や、変換後のアナログアンプの性能に依存するからである。

ただ闇雲にサンプリング周波数や量子化ビット数を増やせば良いというものではないはずなのに、やれ何kHzだ何ビットだというスペックのみを強調して、小さなイヤホンで再生する音がさぞ素晴らしいかのように宣伝するのは、苦境にあるオーディオメーカーの起死回生策ではないかと疑ってしまう。かつての4チャンネルステレオがそうであったように。

しかし、実際に体験もせずにそんなことを言っていても始まらないし、自分に残された時間も限られている。新たに対応機器を購入するまでもなく、今のCDプレーヤーに内蔵されたDACでハイレゾ再生が可能であることは分かっていたので、配信サイトを通じていくつかの音源を購入して試してみた。

これまでに数種類の音源を聴いた感想としては、CDと雲泥の差があるというほどではないというのが正直なところだ。ただし、高音部の歪感の少なさはハッキリ感じることが出来る。

CDのフォーマットはサンプリング周波数が44.1kHzで、22.05kHzの音まで記録可能だというけれども、そのぐらいの音域では1つの波形を約2回サンプルしただけの直線的な波形にしかならないから、いかに優秀なDACでも歪が生じてしまうし、それより高い音域はカットされてしまう。

それが192kHzのハイレゾの場合、22kHzの音なら約9回サンプルするから、少しは滑らかな波形に近づく。人間の可聴音域を遥かに超えるとは言え、96kHzの高音まで一応記録することが可能だ。

そうした高音域の記録精度の向上が、聴感上の歪感の減少をもたらしていると思われる。実際、オーケストラの第1ヴァイオリンが高い音をフォルテで演奏する際、CDではキンキンとした刺激的な音が気になる場合があるが、ハイレゾではその点はかなり改善されている。

高音域の改善とおそらく無関係ではないだろう。音の定位感、音場の広がりもCDよりも相当良いことは確かだ。突飛な連想だけれど、人間の可聴音域を上回る超音波を使って自らの位置を認識し、暗闇でも飛び回ることができるコウモリの習性を思い出した。

しかし・・・。

メリットを感じるのはそれぐらいで、ダイナミックレンジに関しては普通の住宅の一室で聴く限りはCDで十分であるし、パソコンを持ち込んで接続したり、マウスで選曲や再生を指示したりするのが面倒だ。

何より、配信されているハイレゾ音源の数が限られているうえに、価格がCDの倍以上もするとあっては、おいそれとCDから移行するというわけにはいかない。アナログ時代の特別に思い入れのある音源(ブルーノ・ワルターやジョージ・セルの名盤など)をより良い音質で楽しむぐらいのことになるのではないかと思う。

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2022/04/10

『すばらしき世界』

Opensky2021年、製作委員会。西川美和監督。役所広司、仲野太賀ほか。公式サイトの紹介文。

13年ぶりに出所した三上が見る新たな世界とは―。
私たち観客はテレビマン、津乃田の覗き見るかのような視点によって、主人公三上の一挙一動を目の当たりにしていく。一度ぶち切れると手がつけられないトラブルメーカーである半面、他人の苦境を見過ごせない真っ直ぐな正義感の持ち主。
はたして、私たちの身近にいてもおかしくない三上という男の本当の顔はどれなのか。そして、人間がまっとうに生きるとはどういうことか、社会のルールとは何なのか、私たちが生きる今の時代は“すばらしき世界”なのか。
幾多の根源的なテーマを問いかけ、また、社会のレールを外れた三上と接する市井の人々の姿にも目を向けた本作は、決して特殊なケースを扱った作品ではない。殺人という大きな事件に関わらなくとも、日常の小さなきっかけで意図せず社会から排除されてしまうことは、誰の身にも起こりうる。そんな今の社会の問題点を鋭くえぐり、観客それぞれの胸に突きつけてくるのだ。(引用終わり)

原案は佐木隆三の小説『身分帳』。公式サイトによれば、身分帳とは刑務所の受刑者の経歴を事細かに記した個人台帳のようなもので、三上が自分の身分帳を書き写したそのノートには、彼の生い立ちや犯罪歴などが几帳面な文字でびっしりと綴られていた。

映画ではその三上の生い立ちや犯罪歴を振り返りつつ、出所したその日に「今度こそは堅気になる」と決心した彼が、社会の現実との度重なる衝突を経て、やがて何とか適応していく過程をリアルに描く。

中でも、いわゆる反社会的勢力に一度でも身を置いた人間に対する社会の厳しい目に耐えて、自らの生活を成り立たせていかなければならない彼の苦悩が、役所広司の演技と表情を通じてひしひしと伝わってきた。

もちろん、暴力を肯定したり正当化するつもりは全くない。他人の弱みにつけ込んだり、危害を加えることを示唆して金銭を要求するなど、非合法行為を生業にする連中は社会から排除されなければならない。

しかし、一旦組織に入ってしまった人間の社会的更生、生活の再建といった深刻な課題を掘り下げたのが本作であり、そうしたテーマに無関心な観客にとっては、どうしようもない人間の自業自得、全くの他人事としか思えず、生理的な拒否反応すら示すだろう。そのことを的確に表現しているのが、TVプロデューサー吉澤(長澤まさみ)の次のような発言である。

「社会のレールから外れた人が今ほど生きづらい世の中ってないと思うんです。一度間違ったら死ねと言わんばかりの不寛容がはびこって。だけど、レールの上を歩いてる私たちもちっとも幸福なんて感じてないから、はみ出た人を許せない。本当は思うことは三上さんと一緒なんです。だけど排除されるのが怖いから大きな声は出さないんです」

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2022/04/05

「藤村実穂子さんがグラミー賞獲得」

以前、内田光子がピアノ伴奏を務めたドロテア・レシュマンのCDが、グラミー賞「最優秀クラシック・ヴォーカル・アルバム部門」を受賞した際のことについて書いたが、日本人の身内贔屓、島国根性ぶりは今年さらにエスカレートしている。

日本人メゾソプラノの藤村実穂子が独唱者の一人として参加したCDが、グラミー賞「最優秀合唱演奏賞」を獲得したことに関する報道である。「藤村実穂子さん参加のアルバムにグラミー賞」という見出しの讀賣新聞などはまだしも、共同通信中日新聞の見出しは明らかにミスリーディングだ。

事実関係を正確に書くとこうなる。

日本人メゾソプラノ歌手の藤村実穂子さんが<8人の独唱者の一人、第1アルト歌手として>参加した<グスターボ・ドゥダメル指揮ロサンゼルス・フィルハーモニック、ロサンゼルス・マスター・コラール(合唱指揮:グラント・ガーション)、パシフィック・コラーレ(合唱指揮:ロバート・イスタッド)、ロサンゼルス児童合唱団(合唱指揮:フェルナンド・マルヴァー=ルイス)、ナショナル児童合唱団(合唱指揮:ルーク・マッケンダー)による>アルバム「マーラー交響曲第8番『千人の交響曲』」が、今年のグラミー賞最優秀合唱演奏賞を獲得した。

ここから< >の中を省略した次のような記述が、日本メディアの記事となっているのだ。

「日本人メゾソプラノ歌手の藤村実穂子さんが参加したアルバム「マーラー交響曲第8番『千人の交響曲』」が、今年のグラミー賞最優秀合唱演奏賞を獲得した」 → 「藤村実穂子さんがグラミー賞を獲得した」

受賞対象となった「合唱」について全く記述がないこと自体がそもそも問題である。藤村実穂子が演奏者の一人として参加しているのは事実だが、それを言うならロサンゼルス・フィルハーモニックの楽員の中にも日本人奏者がいた可能性が大きいのだ。

楽団の名簿によれば、アキコ・タルモト(アシスタント・コンサートマスター)という日本人ないし日系人と思われる名前が見え、もし彼女も加わっていたとしたら、「日本人(日系人)ヴァイオリニストが参加したCDがグラミー賞を受賞!」という記事があっても不思議ではないことになる。

日本人アーティストの活躍は歓迎すべきことではあるけれども、それを過大に伝えがちなメディアの偏向ぶりには常に注意が必要だ。さもなければ、国営メディアの支配下にあるロシア国民を嗤うことなど出来はしないのだ。

(下線部いずれも筆者)

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2022/04/04

『ひまわり』

Girasoli

1970年、伊。ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニほか。アマゾンの紹介文。

ナポリで幸せな結婚式を挙げたジョヴァンナ(ソフィア・ローレン)とアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)。だがアントニオは厳冬のソ連戦線に送られ、行方不明になってしまう。戦後、復員兵から夫の情報を集め、ひとりモスクワを訪ねるジョヴァンナ。だが、そこで見たものは、アントニオの新しい妻と可愛い娘の姿だった……!(引用終わり)

映画ネタは久々だ。映画史に残る名作とされ、有名なひまわり畑のシーンがウクライナ南部で撮影されたとあって、最近またリバイバル上映されるなど話題になっているので観てみた。

戦争によって引き裂かれた夫婦の運命を描き、ヘンリー・マンシーニの切ないテーマ曲が全篇を彩るが、ストーリー展開にやや無理があるのが気になった。

駅で偶然会った復員兵がアントニオと同じ部隊に所属していたり、ツテもなくモスクワを訪れたジョヴァンナがソ連政府の役人の案内でウクライナを訪れたり、行き当たりばったりでアントニオたちの暮らす家に行きついたり。脚本構成上必要な設定であるとはいえ、偶然にしては出来過ぎの感が強い。

ただ、鉄道ファンの一人としては、列車や駅がこの映画で重要な役割を担っているところが興味深かった。アントニオの出征シーン。ウクライナを訪れたジョヴァンナが列車の車窓から見る広大なひまわり畑。モスクワでついにアントニオに再会したものの耐えきれず、動き出した列車に飛び乗るジョヴァンナ。遠路イタリアまでジョヴァンナに会いに行ったアントニオが、諦めてソ連に帰ろうとしたら鉄道ストで足止めを食ったことから変わる展開。そして、出征時と同じ駅でのラストの別離シーンと、本作の要所要所で鉄道や駅が絡んでいるのだ。

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