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2022/03/31

10回目の桜に

6年前の記事で紹介した、かつての通勤ルートにある桜が今年も満開になった。退職した春から数えて10回目になる。来年はおそらく見ることはないので、今年で見納めということになる。

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また、このブログを始めてから17年になった。そうした節目を迎え、また自分の今後の体調を考慮して、当初は今月末で当ブログを終了しようと考えていた。

しかし、最近会う機会に恵まれた何人かの友人から、「毎回楽しみにしているので是非続けてほしい」という有難いお言葉を頂戴して、もう暫くは出来る範囲で続けてみようと思い直した。

ただし、今のような3日に一度の更新は厳しいと思うし、いずれ本当に終了せざるを得なくなる時が来ることは確かだ。人生の4分の1近くを共に過ごしてきた分身のような存在ではあるけれど、主がいなくなればこの世から消えてなくなるのは当然のことなのだ。

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2022/03/28

ヘレヴェッヘ盤「ロ短調ミサ」

H_mollヘレヴェッヘは同曲を三度録音しているが、これは二度目の1996年に録音されたCDである。録音の日付や場所はブックレットにも記載がなく不明であるが、とても長く豊かな残響音から判断すると、どこかの教会での録音ではないかと思われる。

そのことと全く無関係ではあるまい。信仰心などかけらもない自分でさえ、天井が高くステンドグラスの美しい教会の椅子に座って、しばし神の栄光を讃える音楽に浸っている。そんなひと時を過ごすことが出来るような演奏である。

全体的には、以前聴いた「マタイ受難曲」と同様、穏やかで安らぎに満ちた音楽である。リヒター盤が冒頭の「キリエ」からして聴く者の肺腑を抉る強烈なメッセージ性を帯びているのに対し、ヘレヴェッヘの音楽はどこまでも温かく、聴く者を包み込んでくれる。「北風と太陽」とでも言えばよいのだろうか。

カウンター・テノールのアンドレアス・ショル、テノールのクリストフ・プレガルディエンの二人の歌唱が出色で、特にショルが歌う第26曲「アニュス・デイ」のアリアが胸を打った。女声陣も健闘しているが、ソプラノのヨハネッテ・ゾマーの声が、一部で割れたように聴こえるのが残念だ。録音のせいかもしれないけれど。

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2022/03/25

人形供養

娘が嫁いだ後もそのままになっていた雛人形を供養するため、和歌山市加太の淡嶋神社まで出向いて納めてきた。郵送や宅配では受け付けないため、直接持ち込む必要があるのだが、全国から約2万体にも及ぶという人形が納められ、毎年3月3日にはそれらを白木の舟に乗せて海に流す「雛流し」の神事が行われる。

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今年の神事が終わって1か月も経っていないが、本殿の内部には既に無数の人形が積み上げられ、壮観とも奇観とも独特な雰囲気を漂わせている。

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子供に代わる「形代(かたしろ)」として諸々の厄災を引き受けるとされる人形が、その役目を終えて持ち主の手を離れ、処分の時を待っている。きちんと供養されたとはいえ、人形に取り憑いた禍事(まがごと)どもの記憶が、まだそこここに漂っているような気がした。だからこそ、舟に乗せて海に流すのだろうけれど。

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2022/03/22

リヒター盤「ロ短調ミサ」を再聴

年明けから聴き始めたバッハの宗教曲で一番最初に聴いたのが、「ロ短調ミサ」BWV232だった。解説書によれば「バッハの教会音楽家としての創作活動の総決算」であり、「中世以来の宗教音楽の発展が到達した1つの頂点を形成する傑作」ということで、「マタイ受難曲」と双璧をなすバッハの宗教音楽の二大傑作と言えるようだ。

キリストの受難の物語を音楽劇にした受難曲と違い、ミサ曲は神やキリストを賛美し、信仰を誓うといった定型的な典礼文に曲をつけただけのもので、テキストを読みながら聴いても、キリスト教や聖書に縁のない東洋人にとってはピンと来ない。

しかし、逆に言えば純粋に音楽だけを聴いていれば良いとも言え、本作はそういう鑑賞態度にも十分に応えてくれる。トランペットが活躍する華やかな曲があるかと思えば、アルトがしみじみとした独唱を聴かせるアリアもありといった具合に、曲想や編成は変化に富み、飽きることがない。

リヒターの演奏はここでも鋭角的で、生々しい迫力に満ちている。何度も繰り返し聴くには向いていないかもしれないが、一つの規範としての地位を有していることは間違いない。

ちなみに、手元にある10枚組BOXに収められているのは、1969年5月に東京文化会館で行われた伝説的な名演奏のライヴ録音で、その演奏に接した人々の体験談は枚挙に遑がないほどである。

今回改めて聴いてみて、さらに大きな感銘を受けた気がするのは、マタイ受難曲のCDを何種類か聴いて、バッハの宗教曲の音楽語法にある程度慣れたということもあるが、自分自身に残された時間がさらに少なくなってきたという自覚によるところも大きいという気がする。

同曲のCDを他に2種類入手したので、そちらも楽しみだ。

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2022/03/19

来月には次の抗癌剤へ

闘病日記は久々である。

昨年10月から始まった現在の抗癌剤治療も半年を経過した。薬の効果が次第に弱くなる一方で、副作用の方は相変わらずという状況である。昨日の診察の結果、現在の治療は今日からの6回目のサイクルをもって打ち切り、来月中旬からは次の、そして最後の抗癌剤治療に移行することとなった。

主治医の話では、次の薬は副作用が相当強いらしく、手足症候群、高血圧、疲労、下痢、発疹などが主な症状とされ、肝機能障害をもたらすこともあるという。肝臓に転移した癌の治療で肝臓がやられるというのは理不尽に思えるが、癌細胞だけをやっつける薬というものがない以上、それは仕方ないのだろう。

とりわけ、最初1か月ぐらいまでが危ないそうで、出来れば経過観察のために入院するのが望ましいというのだが、あの不自由な生活と食事内容を思い出すと、とても気分が落ち込む。

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2022/03/16

ショルティ盤「マタイ受難曲」

Solti_202203160908011987年3月、ゲオルク・ショルティが74歳にして初めて録音したバッハであるが、礒山雅氏が絶賛されていなければ、およそ聴いてみようという気にならなかっただろう。氏はCD解説書にこう書いている。

「ショルティの《マタイ》」はさぞ・・・・・・と思ってこの演奏に接する人は、苛烈なデュナーミクに代わる淡々たる運びに、むしろとまどいを覚えるであろう」

まさにその通りで、リヒター盤や(ブログには書かなかったが)クレンペラー盤など、指揮者の個性的な解釈が前面に押し出された往年の名演奏以上に、そのことが十分に予想されるショルティ晩年の録音が、その真逆の、楽譜に忠実で模範的とも言える演奏であるのに驚いた。

主観を排してこの巨大な作品と真摯に向き合い、シカゴ響の名手たちの力量に支えられた精確なアンサンブルで再現される音楽ドラマは、日本語で言えば楷書体とか教科書体で書かれた、由緒正しい「定本」を読んでいるかのようだ。

それでいて、無味乾燥に陥ることは決してなく、前半は淡々と進められた物語が、ペトロの3度の否認からイエスの死に至るヤマ場に向けて、じわじわと確実に緊迫度を増していく。

歌手陣では福音史家のハンス・ペーター・ブロッホヴィッツ、イエスのオラフ・ベーアもさることながら、キリ・テ・カナワとアンネ・ソフィー・フォン・オッターの女声二人が素晴らしく、全体に調和のとれた声楽アンサンブルを形成、唯一気がかりだったシカゴ交響合唱団のコーラスも、よく統率されていて大変迫力のある歌唱を聴かせている。

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2022/03/13

ブラームス交響曲第3番冒頭のティンパニ

が、ほとんどの場合楽譜どおりに演奏されていないとだいぶ以前に書いた。自分自身、ドホナーニがクリーヴランド管を振ったCDで初めて気づかされたことなのだが、今回それ以上に完璧に楽譜どおりの演奏に出くわした。

それは、今年1月下旬に開催されたNHK交響楽団第1949回定期公演で、先月13日に「クラシック音楽館」で放送されたものを視聴した。指揮はジョン・アクセルロッドという米国人である。

コロナの水際対策で外国人アーティストが来日不能になる中、それ以前から日本に滞在していた彼はそれを奇貨とし、ビザが切れるまでの間を活用して、5つの楽団の計21公演を指揮したとのことである。ちなみに「アクセルロッド」って、何だか自動車部品みたいな名前だなと思って検索してみたら、実際にそういう名前の部品があったので驚いた。

ちょっと話が逸れたが(笑)、その彼が指揮したブラームスの交響曲第3番第1楽章冒頭のティンパニが、完全に楽譜どおりの演奏だったのである。今回の演奏ではこれも楽譜どおり提示部が繰り返されていて、繰り返し後の映像においては3小節目から6小節目の頭にかけて、何とカメラがティンパニの久保晶一氏をアップで、それこそ「これ見よがし」に映しているのだ。

事情を知らないとなぜここでティンパニがアップになるのか理解に苦しむところだが、譜面ではトレモロとなっていない四分音符がきちんと叩き分けられているのが一目瞭然なのである。製作サイドとしてはそこに気づいて欲しかったという意図があったのかもしれないが、本稿執筆時点でネット検索しても何もヒットしなかった。

ドホナーニですら、4小節目と6小節目の四分音符は若干明瞭さを欠いているけれど、今回はそこも大変ハッキリしている。その結果として、トレモロで続けてしまう一般的な演奏では味わえない、6(3×2)拍子独特のリズミックな躍動感が生じて、音楽が一層生き生きとしたものに感じられるのだ。

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2022/03/10

アーノンクール盤「マタイ受難曲」

Harnoncourt_20220309185701バッハ歿後250年の2000年に、アーノンクールが手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス(CMW)と30年ぶりに再録音したCDを聴いた。

リヒター盤の峻烈さ、ヘレヴェッヘ盤の柔和さとはまた次元が異なり、仮に受難の物語を度外視しても純粋音楽として大変完成度の高い、どこを取っても美しい演奏に驚いた。

CMWの演奏は、音色やピッチが不安定とされがちな古楽器を用いたものとはとても思えなし、アルノルト・シェーンベルク合唱団、ウィーン少年合唱団のコーラスもこれ以上望めないほど素晴らしい。

そのうえで、福音史家のクリストフ・プレガルディエン、イエスのマティアス・ゲルネ、女声陣ではクリスティーネ・シェーファー、ベルナルダ・フィンク、ドロテア・レシュマンといった豪華歌手陣が起用され、それぞれが存分に実力を発揮しながらも、全体としてはアーノンクールの音楽世界にきっちり収まっている。

総体的にテンポがやや速く、リヒター盤等に馴染んだ人には若干物足りない部分もあるようだが、これだけ美しい演奏というのはそうないだろう。アーノンクールの円熟した手腕の賜物であるのはもちろんだけど、この受難曲の奥行きの深さというのを改めて感じさせる演奏である。

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2022/03/07

終のヘッドホン

Sennheiser2018年に購入した「終のスピーカー」に続いて、「終のヘッドホン」を購入した。この先、緩和ケアに移行してホスピスに転院したら、当然ながら大きなスピーカーを病室に持ち込むわけにはいかず、せいぜい小型コンポで室内楽曲や器楽曲を小音量で聴く程度になると考えていた。

ヘッドホンを使うという手もなくはないが、それはあくまで代用品というか、スピーカーで聴く音とは全く別物という固定観念があり、大編成オーケストラの迫力ある音響は諦めざるを得ないと覚悟していたのだ。

しかし、念のためというか、なかなか諦めきれず、いくつかの高級ヘッドホンのユーザーレビューを読んでいたら、低音域から高音域まで優れた音質であるのみならず、広大な音場感を実現していて、まるでコンサートホールでオーケストラを聴いているような体験が出来るものがあることが分かった。

俄かには信じ難かったが、先日大阪へ出かける用件があり、日本橋のヘッドホン・イヤホン専門店に立ち寄って試聴させてもらった。雑音の多い店頭の一角で、ノートPCに小さなDACを繋いだだけという貧弱な再生環境にもかかわらず、音場感の広がりはただものではないことが直ちに実感できた。掛け心地も良く、長時間の鑑賞も問題なさそうだ。

ということで、思い切って購入したのがドイツ・ゼンハイザー社の製品である。今聴いているスピーカー1台の半分近い値段だったが、それだけの価値は十分にあった。

店頭試聴では分からなかった音楽の細部の表現力、特に音の分離の良さは現有スピーカーを上回るほどで、前述のレビューにあった「スピーカーでは聴こえなかった音が聴こえる」という感想が決して誇張ではないことが分かった。

オープンエア(開放)型ゆえ、音漏れの大きさはハンパないけれど、入所予定のホスピスは全て個室なのでまず心配ない。これで安心してというか、心置きなく最後まで良い音で音楽が聴けることに、いま大きな喜びと感謝を感じている。

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2022/03/04

CDインデックスプレート

なるものを買った。CDショップなどの棚で見かける、アーティスト名などが書かれた札である。本来はCDラックの付属品なのだが、別売で10枚千円ほどで売られているのだ。

スペース節約のため、1枚ものや2枚組のCDはプラスチックケースを捨てて、タワレコなどのスリムケースに移している。そのため、本の背表紙に当たる部分が見づらく、以前から目的のCDを取り出すのに苦労することがあった。

最近、リスニングルームの模様替えを行なった仕上げに、この点も改善しようと検索してみたら、AUX(オークス)という会社のサイトでこれを発見したので注文してみた。

作曲家やアーティストの名前を書くためのシールも附属しているが、そこはやはり手書きでは面白くないので、ワードでCDショップに似たフォントを探して作成し、ラベル用紙に印刷したものを使用した。

Index

これでCDを探す手間がだいぶ省けるようになったし、写真にあるように1枚「NOW PLAYING」のインデックスを作っておけば、聴いた後に戻す場所も一目瞭然だ。

ただ、一点だけ不満なのはプレートの厚みが結構あって、それだけでまたスペースを取ってしまうことだ。おそらく店頭での業務用に耐える仕様なのだろうが、家庭用にもう少しスリムな商品があっても良いのに。

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2022/03/01

LP盤の査定価格

先日宅配便で送ったLP盤の査定価格の連絡があった。結論から言うと、クラシックのLPは「1枚数円」どころか「値段がつかない」部類で、103枚合計で121円という有様だった。

仮にこれだけだったら送料着払いで送り返されていたところだが、ほかにポピュラーのLPが十数枚あって、そちらの方は結構いい値段がついていた。中には1枚千円以上というものもあり、合計では5千円強という査定金額となった。

クラシックファンとしては憤懣やる方ないところだが、これが畢竟、需要と供給の関係で価格が決まる資本主義経済なのだと思い知った。(苦笑)

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