そして3人目は
ついでだから、私の人生を変えた3人目の人についても書いておこう。
名前はHさん。確か同い年で大学も同窓。世紀の変わり目で「ミレニアム」などという言葉が流行った頃、ある団体に出向していた時に、別の会社から来ていた。出向社員同士という関係である。
とにかく、それまで見たことがないようなタイプの会社員だった。仕事を全くしないわけではないが、徹頭徹尾マイペースで、毎日例外なく定時退社。「今日は異業種交流会があるから」とか言っていたが、後で聞くと単なる飲み会だったりする。出張は直行直帰が当たり前。もちろん有給休暇は毎年完全取得。
会社に縛られるなど真っ平ごめん。オフの時間を趣味や旅行などで精一杯楽しみたい。そう思っている人は多いだろうが、Hさんほど包み隠さず言動に出ているのは、呆れるのを通り越して、それはそれで立派だと思えるほどのレベルだった。
最初の頃は「何、この人。よくこんなので会社員が勤まっているものだ」と眉を潜めていたが、次第にその自由闊達な生き方に興味を抱くようになった。クビにはならずある程度の生活が出来ているなら、それはある意味で人生の達人なのかもしれないと。
その頃、自身のサラリーマン人生に限界を感じ始めていた自分は、会社の仕事に以前ほどのやり甲斐を感じなくなってきていた。そこに、まさに対極的な生き方をしている人物が目の前に出現したのだ。
もちろん、Hさんをそのまま模倣するようなマネは出来ないが、現実の事例として大いに参考になった。今では、あれが自分のサラリーマン人生の大きな転換点になったと確信している。もちろん、彼自身はそんなことを知る由もないが。
もうひとつ。彼の趣味のひとつはトライアスロンやマラソンなどのスポーツで、そこで会社員生活では味わえない(味わいたくない?)チャレンジ体験を満喫していて、大会に参加した話などをよく聞かせてもらった。
もうお分かりと思うが、それは自分がランニングに興味を持ち、やがてフルマラソンを完走するまでになるきっかけになった。不健康な生活で体重が増え、何とかしなければという思いが元々あったのは確かだが、Hさんとの出会いがなかったら、フルマラソンを走ろうなどという発想は出て来なかったに違いない。
今から思えば、私の人生を変えた3人の中で、最も影響力が大きかったのがHさんと言えるかもしれない。ただし、彼がある資産家の息子で、何なら一生働かなくても食べていける身分の人間だと知ったのは、ずいぶん後になってからである。(苦笑)
蛇足ながら、Hさんの名字の最初は「は」。2人目のFさんは「ふ」、最初の叔父は「ひ」である。私は「は」だから、「はひふ」の3人組が「は」の人生を変えたということになる。って、それが言いたかったわけではないけれど(笑)、今回この記事を書くまで自分自身その偶然に気がついていなかった。
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