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2022/02/26

ヘレヴェッヘ盤「マタイ受難曲」

Herrewegheリヒター盤を聴いた記事の最後に書いた「古楽器を使った演奏」の代表として、フィリップ・ヘレヴェッヘが手兵コレギウム・ヴォカーレほかを率いて1998年に再録音したCDを聴いた。「ヨハネ受難曲」との5枚組で3千円少々というおトクな値段に惹かれたせいもある。(笑)

一聴して感じたのは、息詰まるような緊張感に溢れたリヒター盤に比べて、何と穏やかで安らぎに満ちた音楽だろうということである。同じ楽曲が、演奏者によってこれほど違って聴こえるというのは、他の作曲家の作品でもほとんど経験がない。

もちろん、古楽器特有の響きの柔らかさもあるだろう。特に管楽器群の典雅な響きには心癒される。しかし、そこはやはりヘレヴェッヘの解釈と、それを余すところなく表現した楽員たちの実力が大きく寄与しているのは間違いない。

リヒター盤が、吉田秀和氏の言う「そう簡単にきく気にはなれない音楽」だとしたら、このヘレヴェッヘ盤は、心が病んだとき、安らぎを欲するとき、何度でも繰り返し聴ける音楽ではないかという気がする。やはりこの受難曲、ただものではない。

余談ながら、このCDのパッケージはデザインや配色が大変美しく、愛蔵盤とするのに相応しいクオリティを備えているのも特筆されるべきだろう。

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2022/02/23

終活を本格化

お気づきの方がおられるかもしれないが、年明けからいわゆる終活を本格化させている。バッハの宗教曲など、これまでなかなか鑑賞に踏み切れなかった音楽や映画にチャレンジし、持ち物の処分をさらに進めているのはその一環である。

しかし、それより実際に最も重要なのは、預金や年金、保険などの資産状況、葬儀をはじめとする諸手続きについて、予め家族に知っておいてもらうことである。エンディングノートというほどのものではないが、それらに関するメモを作成し、目下家内に順次説明しているところだ。

また、これは決して冗談ではなく、葬儀社との打ち合わせには自身で出向きたいと思っているし、これまでご交誼をいただいた人には、出来れば直接会って最後の挨拶をしておきたい。

この映画みたいに最後の贅沢を望む気持ちなど全くない。旅行は昨年の米国で打ち止めにしたし、食べ物や着るものにはほとんど執着しない性分である。強いて言えば、良い音楽を良い音で聴きながら、最後の日々を平穏に過ごしたいと思うぐらいだ。

このブログも近いうちに終了し、そんな生活に移行する時がやってくるだろう。それまでの間、もう暫くの間お付き合いをお願いしたい。

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2022/02/20

LP盤を一括処分

数年前から不要なCDやLPを少しずつ処分してきたが、今回LP盤をほぼ全部、一括して処分することにした。いずれホスピスに入所するまでにと思っていたが、まだ体力気力のあるうちに済ませておこうと思い立った。

処分先はこれまでと同じディスクユニオンである。以前25枚のLPを電車で運んで持ち込んだこともあるが、およそ150枚となれば出張買取も可能かもしれないと店のサイトを調べて見たら、10枚以上なら宅配買取という便利なシステムがあることが分かった。ちなみに出張買取は1000枚以上とのことである。

この宅配買取というのは以前はなかったような気がするが、予め梱包用の段ボールを送ってくれ、それに詰めておくと宅配業者が集荷に来てくれる。その全てが無料である。これは利用しない手はないと早速発注した。

届いた段ボールに一杯詰めると1箱大体60枚。これが2箱で約120枚。残る約30枚はやはり未練が残り、もう暫く手許に置いておくことにした。それぐらいの量なら、いざとなっても可燃ゴミに出すのもそう大変ではないだろう。

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オンラインで集荷依頼をしておけば、印刷済みの送り状持参で宅配業者が集荷に来てくれる。何とも便利なものである。肝心の査定価格は後日メールで通知されることになっていて、不満ならキャンセル可能である。

以前の経験から、LP盤は1枚数円がいいところなので、全部で数百円にしかならないと予想するが、それでもみすみすゴミで燃やしてしまうより、また誰かが引き取って一度でも聴いてくれれば、それに越したことはないだろう。

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2022/02/17

そして3人目は

ついでだから、私の人生を変えた3人目の人についても書いておこう。

名前はHさん。確か同い年で大学も同窓。世紀の変わり目で「ミレニアム」などという言葉が流行った頃、ある団体に出向していた時に、別の会社から来ていた。出向社員同士という関係である。

とにかく、それまで見たことがないようなタイプの会社員だった。仕事を全くしないわけではないが、徹頭徹尾マイペースで、毎日例外なく定時退社。「今日は異業種交流会があるから」とか言っていたが、後で聞くと単なる飲み会だったりする。出張は直行直帰が当たり前。もちろん有給休暇は毎年完全取得。

会社に縛られるなど真っ平ごめん。オフの時間を趣味や旅行などで精一杯楽しみたい。そう思っている人は多いだろうが、Hさんほど包み隠さず言動に出ているのは、呆れるのを通り越して、それはそれで立派だと思えるほどのレベルだった。

最初の頃は「何、この人。よくこんなので会社員が勤まっているものだ」と眉を潜めていたが、次第にその自由闊達な生き方に興味を抱くようになった。クビにはならずある程度の生活が出来ているなら、それはある意味で人生の達人なのかもしれないと。

その頃、自身のサラリーマン人生に限界を感じ始めていた自分は、会社の仕事に以前ほどのやり甲斐を感じなくなってきていた。そこに、まさに対極的な生き方をしている人物が目の前に出現したのだ。

もちろん、Hさんをそのまま模倣するようなマネは出来ないが、現実の事例として大いに参考になった。今では、あれが自分のサラリーマン人生の大きな転換点になったと確信している。もちろん、彼自身はそんなことを知る由もないが。

もうひとつ。彼の趣味のひとつはトライアスロンやマラソンなどのスポーツで、そこで会社員生活では味わえない(味わいたくない?)チャレンジ体験を満喫していて、大会に参加した話などをよく聞かせてもらった。

もうお分かりと思うが、それは自分がランニングに興味を持ち、やがてフルマラソンを完走するまでになるきっかけになった。不健康な生活で体重が増え、何とかしなければという思いが元々あったのは確かだが、Hさんとの出会いがなかったら、フルマラソンを走ろうなどという発想は出て来なかったに違いない。

今から思えば、私の人生を変えた3人の中で、最も影響力が大きかったのがHさんと言えるかもしれない。ただし、彼がある資産家の息子で、何なら一生働かなくても食べていける身分の人間だと知ったのは、ずいぶん後になってからである。(苦笑)

蛇足ながら、Hさんの名字の最初は「は」。2人目のFさんは「ふ」、最初の叔父は「ひ」である。私は「は」だから、「はひふ」の3人組が「は」の人生を変えたということになる。って、それが言いたかったわけではないけれど(笑)、今回この記事を書くまで自分自身その偶然に気がついていなかった。

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2022/02/14

身近にいる神様

「パルジファル」のコメントの続きのようなことを少し書いてみよう。だいぶ以前に、ラジオキットをプレゼントしてくれた従兄のほかに、「私の人生を大きく変えた人物が2人いる」と結んだ記事を書いた。そのうちのひとりのことである。

「Fさん」と、ここでは呼んでおこう。もう40年も前になるが、勤めていた会社の関係会社の社員で、年齢は自分よりひと回りほど上のベテランさんだった。他流試合というのか、自分のいた職場に研修目的で何か月か派遣されて来られていた。

常に物静かで冷静沈着。業務の関係でともすれば殺伐とした空気の漂う職場にあって、Fさんの周囲だけは穏やかさを失わない。そんな不思議な雰囲気をもった「大人」だった。

そんな彼が書いたある研修のレポートを目にする機会があって、その中のひとつの文章に自分は大きな衝撃を受けた。いや、「積年の蒙を突然に啓かれた」というのが正しいかもしれない。彼はこう書いていた。

「人間関係は悪いのが当たり前」。

「そうか、そうなのか。そう考えればいいのか」。レポートを前に、自分は心の中で何度も独り言ちていた。

お恥ずかしながら、自分は人付き合いというものが苦手で、友達と呼べる人は極端に少なく、たいていの人と良い人間関係が築けない。それは自分の性格的な欠陥から来るもので、何とか是正しようとはするものの果たせない。何か気まずいことが起こると、自分の態度がいけなかったからだと、いつまでも蒸し返したりする。

それがずっと自分の悩みであった(今でもそうである)のだけれど、その一文を読んで、気持ちの持ちよう次第なのだということが初めて分かって、何だか「救われた」のだ。

そう。Fさんは当時の自分にとっての「救いをもたらす者」、一種の「神様」であったと言って過言ではない。それからというもの、他者との人間関係が気まずくなったとき、以前のように一方的に自分が悪いと考える癖は修正され、まずは「それは当たり前のことなのだ」と考えることができ、むろん反省すべき点は反省しながらも、そのことが長く尾を引くようなことは少なくなった。

Fさん自身、自分が書いた文章が若造社員の悩みを救ったなどとは全く意識しなかっただろう。宗教の教祖様のような存在でなくても、神様は至るところに出現しうるのだ。

それは生身の人間である必要もない。過去の人が書いたり発言したりしたことでも良い。愛して止まない飼い犬、飼い猫に心を癒されるなら、ペットたちは飼い主にとっての神様と言っても良いのではないか。

いや、もはや生物である必要すらないかもしれない。懐かしい故郷の風景。美しい絵画。心を震わせる音楽。そういうものに救いを感じるなら、それはその人にとっての神様なのではないだろうか。

と、ここまで書いてきて、日本人独特の思想である「八百万の神々」とは、この延長線上にあるのかもしれないと思ってしまった。ワーグナーの「救いをもたらす者」からは遠いところにあるのだろうが、もしかすると彼が関心を持った仏教思想の一部として、僅かに重なり合うところがあるのかもしれない。

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2022/02/11

舞台神聖祝典劇「パルジファル」

Parsifalワーグナー最後の作品。2013年メトロポリタンオペラ公演のライブビューイングを録画で鑑賞。指揮ダニエレ・ガッティ、演出フランソワ・ジラール。出演はヨナス・カウフマン(パルジファル)、カタリーナ・ダライマン(クンドリ)、ペーター・マッテイ(アンフォルタス)、ルネ・パーペ(グルネマンツ)、エフゲニー・ニキティン(クリングゾル)など。ライブビューイングの紹介文。

伝説の中世スペイン。キリストを刺した聖槍とその血を受けた聖杯を守る騎士団を率いるアンフォルタス王は、魔法使いクリングゾルに操られた魔性の女クンドリに誘惑され、聖槍を奪われた上に怪我を負い苦しんでいた。王を救う「聖なる愚か者」が現れるのを待つ臣下のグルネマンツは、無垢な青年パルジファルと出会う。だがグルネマンツの期待に反し、聖杯の儀式にも王の苦しみにも無反応だったパルジファルに、クンドリの誘惑の手が伸びる・・・。(引用終わり)

「受難曲」「黙示録」と来て、今度は「聖杯伝説」である。しかも、所要時間は約3時間、3時間半、4時間半とどんどん長くなっている(苦笑)。前二者と同様、長大さに加えて内容的に大変に重いものがあり、これまでなかなか鑑賞に踏み切れずにいたものだ。

まさに「『パルジファル』のことはまだとても書けないけれど」で、映像と字幕のおかげでやっと何とか最後まで居眠りせずに鑑賞出来たというのが正直なところだ。

内容はとても難解で、これまで数え切れないほど多くの論文、評論が出されてきたらしいが、それらを読んでからでは一生かかっても鑑賞出来まい。以下は、熱心なワグネリアンではない人間が、先人の論考を読みもしないで書いた「愚か者」の感想であることをお断りしておく。

この作品の主要テーマは、基本的にはキリスト教に立脚しながらもその限界を踏まえ、新たな人類の救済を摸作しようとした点にあるように思える。それは当然、作曲当時の時代背景やニーチェなど思想界の潮流を色濃く反映したものであろう。

初期の「タンホイザー」でも、贖罪と救済を求めてわざわざローマまで巡礼に行った主人公は結局その目的を果たせず、最終的にはエリーザベトという純粋な乙女の自己犠牲によってそれを得ていた。そうした物語の究極の到達点が、この作品にあるように思えてならない。

聖杯、聖槍を守る使命を果たせず、キリストと同様脇腹を槍で刺された自らの傷も治すことができないアンフォルタスは、儀式や修行ばかりに囚われ、世の人々を救済するという本来の役目を果たせていないキリスト教の限界を象徴しているかのようだ。

一方、安易な快楽に溺れ堕落したクリングゾルの城(「タンホイザー」におけるヴェヌスベルクに相当)は、「聖なるもの」の対極に位置する邪悪な精神を表し、その両者の間を彷徨うクンドリは、聖俗いずれからも真の救済を得られない普通の人々の苦悩や誘惑を代弁しているのではないだろうか。これは現代に生きる我々も同様に直面する課題に他ならない。

それに対してワーグナーが出した回答は、「共に苦しみ知恵を得る、聖なる愚か者」が、キリスト教の限界を突破する新たな救済者として現れる、または現れるのを待望するというものである。

そこには晩年のワーグナーが強い関心を持った仏教など、キリスト教圏外の思想の影響も見て取れる。何より「パルジファル」という名前自体、彼の父が死ぬ間際に、息子をアラビア語の「ファル・パルジ」(聖なる愚か者)と名付けたというクンドリのセリフがあるのだ。

では、「愚か者」とは一体何者なのか。また、最後に合唱が歌う「救いをもたらす者に救いを!」とはどういうことなのか。その肝心のところが非常に分かりにくい。

この公演で演出を担当したジラールは、ライブビューイングのインタビューに答えて次のように言っている。

「演出家や歌手が台本で悩んだら、つまり言葉が曖昧で多彩な解釈ができるなど判断に迷った時は楽譜に戻ることです。答えは楽譜にはっきり書かれています」

まるで「答えは風の中」みたいであるが、音楽がカギを握るというのは大変示唆に富む。ほとんど動きのない映像はこの際抜きにして、様々な動機が複雑に絡み合う音楽だけを集中して聴けば、何とかとっかかりが得られるのかもしれないが、4時間半の長丁場に再挑戦する気力はすぐには出て来ないだろう。(苦笑)

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2022/02/08

『地獄の黙示録』特別完全版

Apocalypse1979年米。フランシス・コッポラ監督。マーロン・ブランド、マーティン・シーンほか。アマゾンの紹介文。

1960年代末、ベトナム戦争が激化するサイゴン。アメリカ陸軍情報省のウィラード大尉は、特別任務を命ぜられる。
それは、カンボジア奥地のジャングルで軍規を逸脱して“王国"を築いているカーツ大佐という人物を抹殺せよというものだった。4人の部下と巡視艇に乗り込んだウィラードは、カーツを求めてナン川をさかのぼり始める…。(引用終わり)

53分の当初未公開映像を加え、202分にも及ぶこの「特別完全版」は2001年に、さらには、これより20分短いデジタル修復版「ファイナル・カット」が2019年に製作されている。一粒で二度三度美味しいというのか、それだけコッポラ監督の思い入れに強い作品なのだろう。

軍用ヘリからワーグナー「ワルキューレの騎行」(ショルティ指揮・ウィーンフィル)を大音量で流しながらベトナムの村を焼き払うシーンがあまりに有名であるが、時間的な長さもさることながら、人間性を失わしめる戦争の狂気をリアルに描いたという内容に腰が引けていたが、一度は観ておかないとという気持ちで200分の長丁場に臨んだ。

意外なことにウィラードがカーツと直接対面することになるのは、冒頭約38分の「ワルキューレ」のシーンから延々約2時間、映画もほぼ終盤になってからである。どちらかというと、そこまでに積み重ねられる数々のエピソードの方が興味深かった。

とりわけ「特別完全版」で復元された、仏領インドシナ入植者のフランス人農場主一家のもとを訪れるシーンで、ベトコンは実はアメリカがこの地方からフランスを駆逐しようとして創設した組織だったという話は衝撃的だった。

そこへいくと、最後のカーツとの対決はあっけないというか、儀礼用の牛が登場した辺りからもう結末が見えてしまって興醒めだった。ウィラードの取り得た行動は、前任者のようにミイラ取りがミイラになるか、冷徹にミッションを完遂するか、ふたつにひとつだからだ。

しかし、全体的には200分の長さを感じさせない映画づくりはさすがに監督の手腕であろう。かつてカリフォルニアを訪れた時、コッポラが設立したワイナリーのメルローがとても美味しかったのを思い出すが、そうしたビジネス感覚にも恵まれた一種の才人なのであろう。

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2022/02/05

「『マタイ受難曲』のことはまだとても書けないけれど」

吉田秀和氏が『レコード芸術』誌1969年3月号に寄稿した標題のエッセイを読んだ(白水社刊『吉田秀和全集5』所収)。その年にカール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団と同合唱団が来日するのに合わせ、彼らによる「マタイ受難曲」のレコードについての論評を求められたようである。

全集本にして12頁の比較的短めのエッセイは、標題そのままの「お断わり」的な導入に続いて、まずリヒターが「中庸の音楽家だろう」と喝破するところから説き起こす。ここでいう「中庸」とは、バッハ音楽の宗教的で理性的な面と、現世的で不合理な面との間で、時に応じてどちらかに傾くことはあっても、決して全体の均衡を破ることがないという意味である。

これに続いて、まず「この劇の主人公は群衆」であるとして、第73番の合唱「本当に、あの男は神の息子だったのだ」に、リヒターの演奏の最も大きなアクセントがおかれていることを指摘している。

さらに、「劇のアクセントの、もう一つの重点は、ペテロの裏切りにある」として、エルンスト・ヘフリガーによる第46番の福音史家のレチタティーヴォ「ペテロは外に出て、さめざめと泣いた」に胸をつかれないとすれば、「その人はもう音楽をきく必要などまったくない人である」とまで言い切っている。

また、管弦楽とともに合唱がこの演奏の基礎をつくっているとし、特にこの受難曲全体を貫き、作品の調性的構成の「とめがね」でもあれば、精神的絆の役もつとめている第63番のコラールの演奏を称賛している。

こうした指摘はまさに正鵠を射たものに違いなく、前に読んだ礒山雅氏の著作でもこのエッセイに言及されていた。既に手許にないので不確かだが、とくに最後のコラールについての記述を礒山氏も高く評価されていたように記憶する。

さて、これだけのことを書いておいてなお、「まだとても書けない」とは一体どういう言い草だろう(笑)。エッセイ冒頭の部分で吉田氏はこんなふうに書いている。

私にはまだ、この曲については書く力がない。(中略)むずかしい。第一、『マタイ受難曲』などという音楽は、レコードが手もとに置かれたからといったって、そう簡単にきく気にはなれない音楽である。私は、これから何年生きられるか知らないが、その残された一生の間に、果たして、何回きけるだろう? すでに(実演を)三回きいたことがあるというだけで、もう幸運だといってもよいし、何十回きいたからといって、よりよくわかるようになるときまったものでもない。『マタイ受難曲』というのは、そういう曲なのである。

氏の言わんとするところは何となく分かる。「汲めども尽きせぬ」という言葉があるが、どこまで掘っても底のない深い泉、あるいは、どこまで登っても頂きが見えない巨峰。そんな音楽については、ある種の割り切りがなければとても書けたものではないのは確かだ。

このエッセイの発表当時、吉田秀和氏は55歳。その後、彼が再び『マタイ受難曲』について書いたかどうかは知らない。齢六十三にしてようやくこの曲に初めて接した自分が『マタイ受難曲』のマの字を口にするのも恥ずかしいながら、ただの一度でもCDを聴けただけで「もう幸運だといってもよい」のかもしれない。

併録された「ミュンヒェン・バッハの残したもの」という短いエッセイでは、来日時に著者が間近に接したリヒターの人となりと、そこから生まれる音楽の特質について書かれていて、こちらも大変興味深かった。

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2022/02/02

税務署初見参

昨日、税務署という場所に初めて入った。これまで玄関先で申告書を手渡したことはあるが、中に入って職員と直接話をしたというのは初めてである。

現役サラリーマンの間は年末調整で全てが完結していたけれど、退職してからはなけなしの年金から有無を言わさず天引きされる源泉所得税を取り返すため、毎年この時期になると還付申告書をパソコンで作成して郵送してきた。

Lineところが、今年に限ってはこれまで経験のない贈与税申告の必要があり、不明な点を尋ねるために税務署に赴いたというわけだ。まず電話で問い合わせたところ、国税庁のLINEで相談予約するのが望ましいとのことで、昨日午後に30分の予約枠を取得しておいた。

行ってみると玄関で多くの人が順番を待っていたようだが、そこは予約優先でスルーして相談会場の前まで案内してくれた。しかし、そこで待たされること約30分。ようやく相談に応じてもらうことが出来た。

担当の若い女性職員は大変親切に説明してくれ、疑問点が全て解消したのみならず、結果的に大変な節税となる特別措置の適用が可能なことが判明し、相談に行った甲斐は大いにあった。

それにしても、税務署というお堅い役所がスマホ申告を盛んに推奨し、LINEまで使って予約の受付をするご時世になったのだ。国税庁を「お友だち」に追加するときはさすがに抵抗があったけれど。(苦笑)

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