« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »

2022/01/30

貝吹山城跡ハイキング

昨日はひょんなことからいつもの仲間と貝吹山城跡に出かけることになった。そのあと本来の用件があったのだが、折角近くまで行くのだからというHさんのたっての希望によるものだ。

貝吹山はうちの団地のすぐ裏手に当たり、数分も歩けば登山口に着くのだけれど、これまで一度も行ったことがなかった。しかし、標高210メートルのその山頂は、実は畝傍山を僅かに上回って市内最高地点であることが分かった。

これは行っておかねばならじと、狭く急な山道を登ること約30分。病に侵された体には少し応えたが、山頂からは南側を除いて展望が開け、疲れを癒してくれた。写真の右奥は畝傍山。

Kaibuki1

山頂には去年行った高取城と同じく越智氏の山城であった貝吹山城跡が残る。14世紀南北朝時代の築城とされ、永禄11年(1568)に織田方の松永氏との合戦に敗れ落城したとのことだ。

Kaibuki2

閑静を通り越して静寂が支配しているようなうちの団地のすぐ近くで、往時はそんな戦乱の歴史があったとは信じられない。まさにひょんなことから市内最高地点踏破と、ちょっとだけ歴史の勉強になった。

| | コメント (0)

2022/01/27

『マタイ受難曲』

Chikuma礒山雅(いそやま・ただし)著。1994年東京書籍より刊行、2019年筑摩書房より文庫化(ちくま学芸文庫)された。版元の紹介文。

荘厳な響きと、雄大な構想により、西洋音楽の歴史において圧倒的な存在感を誇ってきた“マタイ受難曲”。イエスの捕縛から十字架刑、そして復活までの物語を描いたこの作品には、罪を、死を、犠牲を、救済をめぐる人間のドラマがあり、音楽としての価値を超えて、存在そのものの深みに迫ってゆく力がある。いまなお演奏ごとに、そして鑑賞のごとに新たなメッセージが発見され続ける、すぐれて現代的なテーマを秘めている。
バッハ研究の第一人者が、バッハの手書き譜や所蔵していた神学書など膨大な資料を渉猟し、ひとつひとつの曲を緻密に分析して本国での演奏にまで影響を与えた古典的名著。(引用終わり)

たった一つの楽曲について1冊の本が出来るということ自体、ほとんど例を見ないと思うが、それが文庫判にして624頁もの大著であることは、取りも直さずこの曲が紛れもなく「西洋音楽史上最大の傑作」であることの証左であろう。

内容は、新約聖書の4つの福音書に記された受難記事の概要、バッハ以前の受難曲の系譜、バッハ楽曲の作曲経緯と歌詞の由来などを概説した「序論」(ここまでで143頁!)と、各曲ごとにその歌詞の内容や背景、それぞれの音楽の聴きどころを譜例を交えて紹介した「本論」からなり、巻末には参考文献リストやCD紹介、著者自身による全曲の歌詞対訳などを収める。

要するに「これ1冊あればこの曲の全てが分かる」というぐらいの守備範囲を持ち、しかもその内容は、著者がわざわざドイツに滞在して調べ上げたというバッハの神学蔵書を始めとする膨大な文献に基づき、音楽やキリスト教に関する著者の該博な見識をもとに記述された大変高度なものである。と同時に、著者自身の見解も躊躇なく開陳されていて、単なる平板な学術書の域を超えたチャレンジングな面も持っている。

特に「本論」における解説は、ただ対訳を見ながら聴いているだけでは絶対に分からない、歌詞が象徴するものとかその背景を細大漏らさず解説してくれていて興味が尽きない。ただ、これを片手に適宜中断しながらCDを聴いたりしたら、ただでさえ3時間かかる演奏時間が、3日あっても足りなくなること必至だ。(苦笑)

巻末の対訳は平易な口語体で読みやすいが、還暦過ぎの人間にはいかんせん文字が小さすぎる。CDリストは大変参考になる。なかでも著者の挙げるベスト3の一角にショルティ指揮シカゴ響盤が入っているのが意外だった(他はリヒターの旧盤とレオンハルト盤)。「あのショルティがアメリカのオケを振ったバッハなんて」という偏見や先入観をものともしない著者の曇りなき眼に敬意を覚えた。

なお、本文庫の刊行は2019年12月。著者はその前年2月に死去(享年71)しているので、文庫版の出来上がりは目にされなかったものと思われる。

| | コメント (0)

2022/01/24

古切手の一部を売ろうとしたが・・・

先日、収集していた切手を某ボランティア団体に寄附したとき、実は「希少価値のある」と思われる何枚かは残していて、機会があればどこかの店で、少なくとも額面以上で買い取ってもらえるかもしれないと淡い期待を持っていた。

切手収集が趣味の(or だった)人にはすぐ分かると思うが、切手趣味週間の「ビードロ」「写楽」、国際文通週間の「蒲原」「桑名」などで、切手通販サイトでは今でも良品だと千円単位の値段で売られているものだ。

Stamps_20220123182401

それで一昨日近所の百貨店に行った際、そこに出店している買取店に立ち寄って現物を見せてみた。しかし、やはりというか、現実は「希少価値云々」の部分を除いて前の記事に書いたとおりだった。若い男性店員が慇懃無礼なほど丁寧に説明してくれた内容は、要するに「(どんな切手であれ)額面の3割、シートは5割での買い取りとなる」ということで、ご親切にも「むしろネットオークションなどで売る方がいい値がつく」とのアドバイスまでくれた。

つまるところ、日焼けやキズ、シワ、細かな汚れ、果ては目打ち(周囲のギザギザ)の状態までが価格を左右する商品だけに、店頭で精密な鑑定をする体制が出来ないため、遺族等が何も知らずに持ち込んだ切手の中から偶然お値打ち品が見つかれば儲けもの。その他は別納郵便等に利用する、いわば実需筋に額面近くで売って利ザヤを稼ぐというスタンスなのだろう。その用途に便利なシートは、5割で仕入れてもバラより高く売れるのだろう。

ということで、店頭での深々としたお辞儀に見送られて(よく躾けられているのは確かだ)すごすごと退散したわけだが、さてこの切手をどうしたものか。今さら経験のないネットオークションで見ず知らずの人と取引するのは面倒だ。切手を貼って出す郵便物もたまにはあるので使ってしまってもいいのだが、できれば切手愛好家(現在過去を問わず)の方にお譲りしたいと思っている。

写真のほか「ビードロ」がもう1枚と、文通週間「箱根」を含む計6枚一括、無償でお譲りします。ずっとアルバムで眠っていたので、状態はわりと良い方だと思います。ご本人やご家族、知り合い等で希望される方がおられましたら、この記事へのコメントで申し出て下さい。ただし、このブログへの「一見さん」はご遠慮願います。さあ、早い者勝ちですよ!

| | コメント (4)

2022/01/21

「ロマンチック」第2楽章終結部のヴィオラにトリル!

16日に放映されたNHK「クラシック音楽館」は、ファビオ・ルイージが指揮したN響第1943回定期公演ほかで、メインはブルックナーの交響曲第4番「ロマンチック」であった。

弦は7—6—5—4—3プルト、管は標準2管にHnとTpを各1名補強しただけという、ブルックナーにしては比較的小さめの編成。そのせいもあってか、ダイナミックな音響で圧倒するというよりは、インタビューでマエストロが語っていたとおり、伸びやかな歌心を基本に、透明感のある響きが美しい、南欧風の色彩の濃い演奏だったと思う。

ただ、1箇所だけ「おや」と思ったところがあって、第2楽章の終結部、243小節から245小節にかけてヴィオラが長いホ音を奏する箇所に、何とトリルがついていたのだ。それも、協奏曲のソロパートみたいに、最初はゆっくりと、それから次第に細かな動きになって、いかにも「ここにトリルがありますよ」と主張するかのようだった。

音楽之友社刊のポケット版スコア(ノーヴァクによる第二稿1878/80)の該当箇所をみると、確かにトリルの記号があるものの、「ブルックナー自身による括弧」が添えられていて、実際にトリルで演奏するかどうかは指揮者の解釈次第ということのようである。

Romantische2satz

今までこの曲の演奏は数えきれないほど接してきたが、この箇所のトリルを意識したことはかつてなかった。そこで、例によってうちにあるCDとLP、合わせて9種類を片っ端から聴いてチェックしてみた。録音年代の古いものから順に次のとおりである。

ワルター/コロンビア響(1960)
カラヤン/ベルリンフィル(1970)
ベーム/ウィーンフィル(1973)
ケンペ/ミュンヘンフィル(1976)
ハイティンク/ウィーンフィル(1985)
チェリビダッケ/ミュンヘンフィル(1988)
バレンボイム/ベルリンフィル(1992)
ヴァント/ベルリンフィル(1998)
バレンボイム/シュターツカペレ・ベルリン(2008)

この中では唯一、ワルター盤がトリル付きで演奏しているが、なぜかそれは最初の1小節のみで、2小節目からはトリルなしで演奏している。楽譜では3小節目の四分音符までタイで結ばれているから、そこまでトリルを続けるのが普通だと思うのだが、そこはワルターなりの考えがあったのだろう。

| | コメント (6)

2022/01/18

バッハの宗教曲を聴き始める

Richter長年クラシック音楽に親しんできているのに、なかなか聴く機会が少なかった、というより何となく遠ざけてきたジャンルが2つある。それはオペラと宗教音楽である。

どちらも歌詞がつき、その内容が音楽と深い関りを有しているという共通点がある。前者はイタリア語やドイツ語、後者はラテン語やドイツ語が主流で、歌詞対訳を見なければ聴いても内容がほとんど分からないという面倒さがある。

オペラの方は2019年の手術後に集中的に聴き始め、主要な作品についてはひととおり鑑賞したと思うが、自分で勝手に「アーメンもの」と称している宗教曲については、苦手意識を払拭できないまま残ってしまっていた。

宗教曲を聴くに際しては、自分も含めて多くの日本人には縁遠いキリスト教や聖書についての理解が欠かせない。モーツァルトやベルリオーズ、ヴェルディのレクイエムなどは、まだしも声楽付きの管弦楽作品として鑑賞することも出来なくはないけれど、バッハの宗教曲となるともう完全にお手上げという状態だった。

しかし、「西洋音楽史上最大の傑作」と言われる「マタイ受難曲」をはじめ、バッハの宗教曲に一度も接しないままでいるのは悔しいという思いが募り、ついに高い敷居を跨いでみることになった。

カール・リヒター指揮によるCD10枚組のバッハ宗教曲集というボックスセットがうちにあって、一度も聴かないまま死蔵状態になっていたので、とりあえず「ロ短調ミサ」「ヨハネ受難曲」「マタイ受難曲」のいわゆる三大宗教曲をひと通り聴き終えたところだ。

まとまった感想を書けるまでまだ何度か聴き込む必要があると思うが、1日CD1枚にとどめたのが幸いしたのか、「絶対に居眠りするだろう」という予想は裏切られ、一応最後までちゃんと流れを追いながら聴けたのがまず意外だった。

仏教で言えば「抹香臭い」というのか、有難い説教を聞かされるような音楽を想像していたけれど、実際に聴いてみると、2つの受難曲はキリストの受難を巡る物語を音楽劇にしたような内容であり、主要登場人物や群衆それぞれの心理をリアルに描写した、たいへん変化に富む音楽に惹きつけられた。宗教的な理解にはまだほど遠いけれども、そうした音楽の魅力だけでも十分に「音楽史上の傑作」であることが分かった。

リヒターの録音は歴史的な名盤とされているが、解釈は他に類をみないほど独自のものらしい。他にも古楽器を使った演奏など多くのCDが出ているので、これからいろいろと聴いていきたいと思っている。

| | コメント (2)

2022/01/15

米国旅行記 その13

11月19日金曜日。朝早い便で発つため早起きしてTVをつけたら、「今日からいよいよホリデーシーズンが始まり、各地の空港では混雑が予想されます」と言っていた。ホテルの朝食提供開始を待っていたら間に合わないので、朝食抜きでチェックアウトしてローガン国際空港に向かう。

空港では手荷物検査待ちの長い行列が出来ていたものの、これまでの経験どおり米国出国は入国に比べると拍子抜けするほど簡単で、出国審査そのものがもはや省略されているようだった。

出発までの時間を利用してサンドイッチを買って食べ、日本入国に際して求められる質問事項をアプリ上で回答する。ボストン発デトロイト行きのデルタ便はほぼ定刻どおり発着。デトロイトでの乗り継ぎもスムーズだった。

デトロイト発名古屋行きは乗客の大半が日本人、CAの何人かは日本語を話すので、もう日本に帰ったような気分だ。この便ではビジネスクラスではなく、なぜか普通のエコノミーより安かったプレミアムエコノミーの座席を買っていたが、隣は空席だったので大変快適に過ごすことが出来た。

翌20日土曜日。セントレア中部国際空港に定刻よりかなり早く到着。コロナ関係の審査だけで2、3時間かかると言われていたが、この日は乗客が少なかったせいか、通常の出国手続きを含めてレンタカーで空港を出発するまでに要した時間は2時間半ほどだった。途中、高速のSAで一度トイレ休憩しただけで、21時までには自宅に到着した(帰国時の行動制約についてはその2を参照)。

しかし、これで今回の旅行が全て終わったわけではない。

この頃はまだオミクロン株が出現する前で、むしろ帰国者の行動制限が緩和されつつあった時期だったが、それでも帰国の翌日から14日間は自宅やホテル等での待機が求められていた。そのため「MySOS」なるアプリをスマホやタブレットにダウンロードして、日に複数回届く居場所確認やビデオ通話に対応しなければならない。

「敵もさるもの」で、これらがいつ来るのか予測がつかず、昼寝の最中にビデオ通話を求められて慌てふためくこともしばしば。こちらの方は電話の呼び出し音みたいなアラームが何度も鳴るのでまだ分かるが、居場所通知の方は「ポロン」とかいう小さい音が1回鳴るだけで、それから3分以内に確認ボタンを押さないといけないので油断も隙もあったものではない。

ただ、この時期の行動制限緩和の一環で、10日目にコロナ検査を受けて陰性が証明されれば、その日をもって待機終了となる措置が取られていた。調べてみたら伊丹空港の検査センターで抗原検査を受ければ2千円ほどで済むことが分かったので、わざわざ伊丹までマイカーで行って検査を受けてきた。結果はもちろん陰性で、11日目に当たる12月1日から晴れて自由の身となった。

準備も含めていろいろと大変な今回の米国旅行だった。体調も万全ではなく、肝心のクリーヴランド管のコンサートには行けずじまいだったが、それも含めていい思い出になった。オミクロン株の出現でコロナを巡る状況は日に日に悪化し、海外渡航などとんでもないという事態になってしまった。自分の体調のことも含めて、まだしも11月に行っておいたのは正解だったと思いたい。

おわり

| | コメント (4)

2022/01/12

古切手を寄附する

小学生の頃は切手収集が趣味だった。通常切手とは大違いの美しい図柄の記念切手を、どこかで見かけたか、誰かからもらったりしたかで興味を持ったのがきっかけだったと思う。

男の子の常で、一旦モノを集め始めるとそれ自体が目的になり、気がつくと記念切手の発売のたび近所の郵便局に買いに行ったり、切手ショップや通信販売でコレクションを補ったりしていた。

おかげで、浮世絵や日本画、国宝や文化財、国立公園や国定公園など、様々な雑学知識を得ることも出来た。学校の勉強には全く役に立たなかったけれども。(笑)

その後、オーディオから音楽へと関心が移って、収集した切手は死蔵状態となっていたが、身辺整理の一環で処分する必要に迫られた。新聞広告などで不要品買取業者が「切手や古銭も高価で買い取る」と謳っているけれど、一部希少価値のあるものを除けば、額面の何割かにしかならないケースがほとんどらしい。

面倒なのでいっそ捨ててしまおうかとも思ったが、何年か前まで所属していた某ボランティア団体の会報に、「誰誰さんから切手の寄附を頂きました」という記事が載っていたのを思い出した。久々に連絡を取ってみたら、今でも切手の寄附は歓迎ということだった。別納郵便などで料金を納める際に使うのかもしれない。

古い切手アルバムから取り出し、額面ごとに整理して袋詰めしたところ、全部で362枚あった。額面は小さいので金額にすれば数千円でしかないが、業者に買い叩かれたり捨てたりするより、額面どおり使ってもらえればそれに越したことはないだろう。

Stamps

| | コメント (0)

2022/01/09

米国旅行記 その12

11月18日木曜日。63歳の誕生日はNYで迎えることになった。

まずはホテル近くの再開発エリア「ハドソン・ヤーズ」内にある地下鉄駅から日系クリニックに向かい、PCR検査の陰性証明書を受領することにする。

ちょうど通勤ラッシュの時間帯だったが、こちらは逆の都心方向なので混雑とは無縁だった。正面奥に見える蜂の巣の化け物みたいな建物は「ヴェッセル」という16階建てのアトラクションで、階段で上がることもできるそうだが、この時はコロナの影響で閉鎖されていた。

Hudsonyards

午後の早い便でボストンに移動する。ボストンはこれで3度目になるが、2005年にボストンマラソンを走り、その報告のためにこのブログを始めてから、もう17年近く経つわけだ。

市内観光はもう必要なく、ボストン交響楽団の演奏会を聴くことだけが目的なので、空港近くで都心への移動に便利なホテルにチェックインした。郊外で人通りは少ないが、ホテルの隣はFBI支部のビルなので治安は完璧だ。(笑)

近くのスーパーで買ったクラムチャウダーとパスタで軽く腹拵えしてから、バスと地下鉄を乗り継いでシンフォニーホールに向かう。ここも3度目になるが、毎回どちらの方角を向いているのか掴めない不思議な場所である。今回はさらにコロナ対策だろうか、ホール正面ではなく側面の通用口(?)から出入りするようになっていたので尚更だった。

Bso

プログラムは、イェルク・ヴィトマンという現代作曲家のトランペット協奏曲「天国に向かって(迷宮Ⅵ)」(アメリカ初演、ボストン響・ゲヴァントハウス管共同委嘱作品)と、マーラーの交響曲第1番である。独奏はホーカン・ハーデンベルガー、指揮は音楽監督のアンドリス・ネルソンスである。

協奏曲は独奏者が曲の途中で演奏しながら入場し、ステージ上を動き回ったり、客席に背を向けて演奏したりと、視覚にも訴える趣向を凝らした曲だったが、内容はいまひとつ理解できなかった。

こういう「尖った」曲の後では、マーラーの交響曲が古典音楽のように聴こえる。歌曲集「さすらう若人の歌」と同時並行で作曲され、青春の明暗両面をときに美しく、またときに残酷に抉り出したこの交響曲独特の魅力を、ネルソンスとボストン響は余すところなく表現していた。

聴衆の熱狂的な拍手喝采に応えて再度登場したマエストロが指揮台に立とうとしたとき、楽団員がやおら楽器を構えて指揮者なしの演奏を始めた。「ハッピー・バースデイ」のメロディが流れたのだ。聴衆も唱和する。

「え、何で俺の誕生日を?」と一瞬だけ思ったが、そんな訳があるはずはなく(笑)、この日は何とネルソンスの誕生日でもあったのだ。

偶然の一致とはいえ、おそらく生涯最後の誕生日にボストン響から思わぬプレゼントをもらったと、勝手な勘違いを許すことにした。予想外の事態が続いた旅の最後にようやく良いことがあったなと、感謝しながら会場を後にした。

| | コメント (0)

2022/01/06

電子メモパッド

Memopadなるものを購入した。4.5インチの小型液晶画面にスタイラスペンで文字や図を書けるというもので、メモが用済みになれば画面横のボタンで一気に消去できる。また、誤って消去しないためのロックボタンが側面についている。

私の主な用途は、ミニコンポで音楽を聴いていて、やむを得ず途中で打ち切る場合、どこまで聴いたかをメモするためである。

これまではホワイトボードを小さく切ったものを使っていたが、他のものと擦れて文字が消えかかったり、マーカーペンのインクカスが散ったりして不快だった。

これだとそういう心配はない。以前から気になっていた商品で、8インチほどの大きさのものが百均ショップで売られているのを見たことがあるが、大きすぎて用途に向かないので半ば諦めていた。

今回、アマゾンでちょうどいいサイズのものが千円しない値段で出ていたのを発見して、自分自身へのお年玉にと(いったい何歳?笑)購入した。今日アマゾンを覗いたら「在庫切れ」になっていたので、ちょうど良いタイミングだったようだ。

実際に使ってみたところ、確かに小型軽量で扱いやすいけれども、商品紹介の写真ほど文字は鮮明に映らない。バックライトなしの液晶なので当然なのだが、実用上は特に問題ない。なお、パッケージには「指でも書ける」とあるが、オジサンの指ではほとんど反応しなかった。(苦笑)

あとは耐久性や電池寿命が気になるが、それまでにこちらの方が電池切れになってしまうかもしれない。

| | コメント (0)

2022/01/03

米国旅行記 その11

11月17日水曜日。この日はニューヨークから電車で約1時間のニュージャージー州プリンストンを訪れた。もう30年近く前になるが、そこの大学院に約1年間社会人留学した思い出の場所である。

11年ぶりの訪問になるが、かつて住んでいたアパートや最寄りの鉄道駅などは最近建て替えられ、すっかり様子が変わっているのに驚いた。しかし、母校の建物は学校の名称が変わってもそのままの姿を見せていた。ただし、正面の池の水は抜かれ、噴水のモニュメントも沈黙したままだった。

Wws

娘、息子が通っていた小学校、幼稚園も当時のまま残っていたが、時間帯のせいか子供たちの声は聞こえてこなかった。

小学校の近くにあり、当時よく利用していたスーパーマーケットが、そのままの名前と建物で営業中で、入ってみると店内の売り場の配置も全く変わっていなかった。

Macaffreys

昨年ノーベル物理学賞を受賞した眞鍋淑郎博士の自宅はここから車で数分の場所にあり、博士夫妻が普段この店に買い物に来ているのはほぼ間違いないところだ。

ニューヨークに戻るともう17時を回っていた。本来はこのあと、カーネギーホールでダニール・トリフォノフのピアノリサイタルを聴く予定だったが、本人が肘を痛めたとかでキャンセルとなった旨の通知を旅行前に受け取っていた。

自分自身の体調や当日の疲れを考えると、かなりハードなスケジュールだったと思われ、これに関してはキャンセルはむしろ有難かった。翌日のボストンへの移動に備えて早めに休むことにする。

| | コメント (0)

« 2021年12月 | トップページ | 2022年2月 »