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2021/12/31

2021年回顧

Suitner大晦日恒例の第九。今年はオトマール・スイトナー指揮シュターツカペレ・ベルリン、ベルリン放送合唱団の1982年録音盤である。独唱はマグダレーナ・ハヨショヴァー(S)、ウタ・プリーヴ(A)、エバーハルト・ビュヒナー(T)、マンフレート・シェンク(B)。素朴で古風とも言える木質系の音が耳に優しく、オーソドックスな解釈で安心して聴き通せるが、終楽章のコーダなどここぞという箇所では意外な熱さを見せる。

さて、ブログに書かなかったものも含めて、これも恒例の今年の回顧。

 1月 父逝去
 2月 光インターネット開通
 3月 ラパンを売却
    遺産分割協議、不動産所有権移転登記を完了
    ドラレコ内蔵カーナビを購入
 4月 抗癌剤の副作用のため5日間入院
 6月 クラリネットを売却
    バレンボイム・ピアノリサイタル 
    香川・徳島旅行
 8月 娘夫婦の新居訪問
10月 新しい抗癌剤に移行
11月 母が高齢者施設に入居
    米国旅行
12月 息子が二度目の転職

それでは皆様、良いお年を!

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2021/12/28

米国旅行記 その10

15日月曜日はクリーヴランドからニューヨークへ移動。JFK空港から市内への移動に意外に時間がかかったりで疲れてしまい、夕方にホテル近くの再開発エリアに出かける予定は取り止めて休養に努めることにした。

16日火曜日も午前中は体調が思わしくなく、昼過ぎまでホテルの部屋で休養。午後は市内の日系クリニックでPCR検査を受ける。雑居ビルのその階だけは日本にいるような不思議な感覚だった。検査はすぐに済み、翌日午後には厚労省所定書式の陰性証明書が発行される。料金は300ドル。日本国内ではそれよりも高いところが多く、まだ良心的な方だろう。

一旦ホテルに戻って休んでから、19時からのメトロポリタンオペラ公演に出かけた。入り口でコロナワクチンの接種証明書の提示を求められたが、見慣れないはずの日本政府書式にもかかわらず短時間のチェックでOKとなった。大丈夫かいな。

Met

演目は「トゥーランドット」。ゼフィレッリ演出の名舞台である。作品についてはこちら。当夜の指揮はマルコ・アルミリアート、トゥーランドットはアメリカのソプラノ、クリスティーン・ガーキー、カラフはアゼルバイジャン出身のテノール、ユシフ・エイヴァゾフ(ネトレプコの夫)である。

渡航前にMETライブビューイングの録画を再度観て予習していたが、絢爛豪華な舞台の迫力はやはりナマならでは。2次元の画面では分からない奥行きまで加わった舞台の立体感や、細部まで緻密に作り込まれた装置や衣裳の美しさに、ただただ圧倒された。

歌手陣では、タイトルロールのガーキー(Goerke というドイツ風の名字なので、実際の発音は「ゲルケ」に近いか)が若干軽量級で、ニーナ・ステンメのような鬼気迫る冷酷さを感じさせなかったのは残念。

一方、カラフのエイヴァゾフは伸びのある朗々とした声の持ち主で、第3幕冒頭の聴きどころ「誰も寝てはならぬ」では万雷の拍手喝采を浴びていた。

Turandot1_20211228082801

この名舞台を見るだけでも今回の旅行の価値は十分あったと思わせる、おそらく生涯最後の貴重な体験であった。

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2021/12/25

『ラブ・アクチュアリー』

Actually2003年、英、米。リチャード・カーティス脚本、監督。ヒュー・グラント、リーアム・ニーソン、エマ・トンプソン他。KINENOTE の紹介文。

12月のロンドン、人々は幸せなクリスマスを迎えようと、ささやかな夢を胸に毎日を過ごしていた。秘書に恋をした英国首相、義理の息子との関係に悩む父親、ポルトガル人のメイドと恋に落ちる小説家、夫の浮気に気付き、悶々とした日々を過ごす熟年の主婦、親友の恋人に思いをよせる新進画家、新曲のクリスマスソングに起死回生を賭ける元ロックスター——。クリスマスに人生のクライマックスを迎えることを、誰もが願っていた。そしてイブの夜、全てのドラマが、ハッピーエンドに向かって動き始めた。様々な人々の「愛」についての物語。(引用終わり)

映画ネタは久々だ。『ノッティング・ヒルの恋人』の脚本を書いたリチャード・カーティスの初監督作品である。初めてだけに撮影の勘所が十分掴み切れなかったのか、出来上がったフィルムは3時間半もあったそうで、これを80分もカットしないといけないのかと、監督自身頭を抱えたと特典映像で明かしている。(笑)

それぞれの事情を抱えた9組(片思い、三角関係を含む)が繰り広げる多彩なドラマが、クリスマスの5週前から同時進行する「グランドホテル形式」の作品。主要登場人物だけでも19名。冒頭に挙げた名優3人ですらとりわけて登場シーンが多いわけではないが、短時間のエピソードの中でもそれぞれに味のある演技を見せている(特に、我らがミスター・ビーンことローワン・アトキンソン!)。

事前にストーリーを読んだが、複雑な人間関係に頭がついていけず、ネットに出ていた人物相関図を参考に予習してから鑑賞したのは正解だった。結末については詳細に書けないけれど、どのカップルも概ねハッピーエンドでクリスマスを迎えることになるのは、ほぼ予想どおり。この季節にピッタリのハートウォーミングなラブコメディの佳作と言えよう。

ところで、『ノッティング…』で登場した日本ネタは本作でも健在で、ひとつはマークの画廊で開催された「ハダカのクリスマス」と題する個展の作者が Yushio Mahoto と日本風の名前(わざと間違えている?)になっている。もうひとつは英国首相がご機嫌で一人ダンスに興じているところをスタッフに見つかってしまった際に、「日本大使とのアポは4時に」と、さもどうでもよいことのように指示するシーンがある。監督自身の日本観の一端が窺えるようで興味深い。

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2021/12/22

ワルターのベートーヴェン交響曲全集

Walter_20211221095401ブルーノ・ワルターが晩年にCBSに残した録音のデジタルリマスターの一環として、ベートーヴェンの交響曲全集がリリースされていたので聴いてみた。

ワルターのベートーヴェンと言えば、「田園」「英雄」などが名盤とされ、LPやCDでそれらを聴く機会はあったものの、以前ブルックナーの交響曲の記事に書いたように、CBS特有のガサガサと乾いた音を我慢してまで何度も繰り返し聴くほどの愛着は湧いてこなかったのが正直なところだ。

ましてや、全曲を通して聴く気は起らなかったのだが、今回のリマスターでは見違えるほど(聴き違えるほど)美しい響きが甦っており、とりわけハリウッド・リージョンホールの豊かな残響が心地よい。チェロ、バスの低弦も驚くほどの鮮明さで録られており、よく言われがちな優美で柔和なベートーヴェン像とはかなり異なる、重厚で力強い演奏という印象を受けた。

曲目別に言うと決定的名盤であるはずの「田園」よりも、第5や第7といった奇数番曲の力強く伸びやかな演奏の方に心を奪われた。第4や第8といった偶数番曲でも、ただ優美なだけの演奏でなく、一本太い芯が通っているところが素晴らしい。

ところで、今回のリマスターの過程で、第9番の終楽章に関して大変興味深い事実が明らかになったという。従来、終楽章はニューヨークでの録音とされていたのが、実は前半の声楽が入る前の部分はハリウッドで録音され、後半のNY録音の部分と繋いだものであることが判明したというのだ。

確かに、208小節目のプレストか、その2小節前のテンポプリモの辺りから、全体の響きが急に変わっていることが分かる。それまで自然に広がっていた音場が狭くなり、残響音も後から人工的に付加したような不自然さを感じる。何より、合唱が加わって以降、ダイナミックレンジが極端に狭くなってしまっている。

終楽章のみNYで録音せざるを得なかったのは、4人の独唱者と合唱団をハリウッドまで移動させるのが難しかったからだと推測される。特に独唱者はいずれもメトロポリタンオペラの歌手で、非常に厳しいスケジュールの制約の中で録音を終えなければならず、オケだけで録音できる前半は別途ハリウッドで収録することにして、とにかく声楽入りの部分だけをNYで録音したのだろう。

一方、オーケストラは「コロンビア交響楽団」とだけ表記されているが、第4楽章前半までとは別のオケだったと思われる。ほとんど声楽の伴奏のような後半部の演奏のために、わざわざハリウッドのオケを楽器ともどもNYまで移動させたとは考えにくいからだ。

「コロンビア交響楽団」は、ワルターのために特別に編成されたハリウッドのオケ以外にも、契約の関係で名前を出せない場合のニューヨーク・フィルハーモニックやクリーヴランド管弦楽団の別名称でもあったのだ。

この第9の時はNYフィルの楽員は入っていなかったというから、このオケは他の「コロンビア交響楽団」と比べると若干レベルが劣っていたかもしれない。時間的制約のみならず、必ずしもベストメンバーとは言えない臨時編成のオケを相手に、老巨匠も思うようにタクトを振れなかったのではないか。全集の掉尾を飾るべき終楽章が、万全の環境下で録音されなかったとすれば残念なことである。

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2021/12/19

米国旅行記 その9

14日日曜日。クリーヴランドは朝から曇り空で、時折小雪が舞っているのがホテルの部屋から見える。昨日出歩いた疲れと、久々に飲んだビールの酔いがまだ残っているのか、なかなか起き上がれない。

朝からTVをつけっぱなしにしていたが、ニュースよりも早く、クリーヴランド管弦楽団からのメールで、本日のコンサートは残念ながらキャンセルになったという連絡が入った。恐れていたことが現実になってしまった。

せめてオーケストラの本拠地、セヴェランスホールの外観だけでも見に行こうかとも思ったが、午後からは横殴りの雪となって、とても外出する気力が湧かない。ここで無理して出かけて体調を崩しては元も子もない。大人しくホテルの部屋でここまでの経過をメモしたり、ベッドでウトウトしながら過ごした。

もともと、この日のコンサートはセミヨン・ビシュコフを指揮者に招いて、チャイコフスキーの交響曲第1番「冬の日の幻想」などを演奏する予定だったのが、ビシュコフの出演がキャンセルとなり、代役にティエリー・フィッシャー(ユタ交響楽団音楽監督)を立てて、ムソルグスキー(ラヴェル編)の組曲「展覧会の絵」をメインにしたプログラムを演奏する予定であった。それもキャンセルになったということで、最初からそういう宿命にあったのかもしれない。

当初の旅程ではクリーヴランドだけ訪問して帰国する予定だったので、これではビールを1杯飲むだけのために来たようなものになるところだった(苦笑)。瓢箪から駒というか、帰国便とコロナ検査の関係で、このあとNYとボストンで追加の予定を組んでおいたのが、まだしも不幸中の幸いだったと思い直すことにした。

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2021/12/16

米国旅行記 その8

この日のお目当てのもう一つは、ホーフブロイハウス・クリーヴランドというビアホールである。旅行のプランを練っているとき、クリーヴランド市内の地図を何気なく眺めていて、Hofbräuhaus という文字が目に飛び込んできたときは驚いた。

ミュンヘンにある有名な醸造所直営ビアホールの支店が、まさかアメリカにあるとは思いもしなかった。調べてみると全米で6店ほどあるようだが、そのひとつがクリーヴランドのダウンタウンにあるのだ。

実は若い頃に一度ミュンヘンの本店に行って本場のビールを堪能したことがあって、それ以来の体験が出来ることに胸躍る思いがした。肝臓に転移した癌のため、今は年に一度だけ正月に飲む缶ビール1本で我慢しているが、この際そんなことは言っていられない。冥途の土産の一杯にと、店が混み始める前の明るいうちから店へ出向いた。

Hofbrau

濾過していないため少し濁った感じのラガービールだが、ホップがよく効いた深い味わいはまさに五臓六腑(とりわけ肝臓に・笑)に染み渡った。フライの盛り合わせをアテにチビチビ飲っていたら、店内がどんどん混んできて、最初は両隣空席だったバーカウンターがほぼ満席になった。

Beer

客同士、マスクなしでの賑やかな談笑が盛り上がるに及んで、これはマズいと予定どおり1杯だけで早々に退散することにした。写真は自分へのお土産に買ったビアグラス。そのうちこれでビールを味わえる日々がやって来るが、それはもう抗癌剤治療を断念したあとということになる。

Glass

ホテルに戻る途中、Playhouse Square という劇場街を通った。交差点の真ん中に吊り下がっているのは、GEシャンデリアと呼ばれる電飾である。いかにもアメリカ!という風景だ。

Ge

さて、ホテルに戻って部屋のTVでニュースを流していたら、今日予定されていたクリーヴランド管弦楽団のコンサートが、楽員がコロナに感染した可能性があるため、大事をとってキャンセルになったとの報道が飛び込んできた。自分が行く予定の翌日曜のコンサートは、コロナ検査の結果が陰性という条件付きで、現時点では予定通り開催されるとのことだった。

おいおい。まさにそのコンサートのために、これまで苦労してクリーヴランドまでやって来たというのに。しかし、今さらジタバタしてもどうしようもない。自らの運を信じて床に入ったが、時差ボケに加えて様々な思いが去来してなかなか眠りにつけなかった。

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2021/12/13

米国旅行記 その7

13日土曜日。クリーヴランドの気温は4、5度といったところか。外出が億劫になる寒さである。さらには前日の疲れで寝坊してしまい、朝食会場に終了時刻ギリギリに駆け込む始末だったので、午後からゆっくり外出することにする。

この日のお目当ての一つは、クリーヴランド管弦楽団を世界有数の楽団に育て上げた名指揮者、ジョージ・セルが当時住んでいた家を訪ねる(といっても、現在も人が住んでいるので外から眺めるだけだが)ことである。

グリーン・ラインという路面電車で約20分、最寄りの停留所から歩くこと数分。Larchmere Boulevard という美しい通りに面した高級住宅街の一角にその家はあった。

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以前読んだ A Life of Music (by Michael Charry)にこんな記述が出てくる。

(1951年)5月末、セル夫妻は彼らのクリーヴランド時代の終わりまで住み続けることになる家を購入した。シェーカー・ハイツのラーチミア通りに面した、レンガと石造りのイングランド様式による14室の家だった。寝室4つ、バスルーム2つ、書斎と2台用の車庫を備えたこの家にセル夫妻が支払った金額は、3万6千ドルから4万2千ドルの間であった。(まこてぃん試訳)

その家は70年以上を経た今も健在で、暖かそうな部屋には感謝祭の飾りつけらしいものが窺えた。

近所の別の家の庭先に鹿の姿を見かけた。てっきり飾り物かと思って近づいてみたら何と本物だった。近隣には荒らされる畑もなく、芝刈りをしてくれる鹿と住民とは、ある種の共存共栄関係なのかもしれない。

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2021/12/10

米国旅行記 その6

シカゴからクリーヴランドへの乗り継ぎ時間は2時間15分。搭乗終了が15分前だとしても2時間ある。その間に入国審査と検疫、手荷物の預け替えを行なわなければならないのだが、まだホリデーシーズンが始まる前だし、たぶん大丈夫だろうと思っていた。

甘かった。

11月8日以降の入国条件の変更は、日本人にとってはワクチン接種証明書の追加で一層厳しくなった反面、ヨーロッパなど他の国々にとっては、それまで原則入国禁止になっていたものが条件付き解除となったのだ。

それからまだ1週間経たないというタイミングだったから、シカゴ・オヘア国際空港の入国審査は文字通り長蛇の列をなし、通常の待機場所を溢れた人々が通路にはみ出し、長い長い行列をなす始末だった。

それでも列は少しずつ動いているので、もしかしたらOKかと思っていたが、入国審査と検疫を通過した時点でクリーヴランド行きの出発まで35分という時刻だった。ターミナル間の移動を考慮してギリギリ間に合うかと期待したが、手荷物のタグをスキャンしてもらった瞬間に係員の端末の画面が赤くなり、ビーという警報音が出た。アウト!

すぐ横にあったユナイテッドのカウンターで後続便への変更が行われ、何とかその日のうちにクリーヴランドに到着できることにはなったが、後続便の出発までムダに時間があるのに、ホテル到着は深夜という事態に陥ったのだ。おまけに後続便の機材は一体いつから飛んでいるのかという古い737で、最初からトイレの水が出ないという有様だった。

いきなり前途多難の行程が予告されたようで気持ちが落ち込んだまま、ようやく到着したクリーヴランドのホテルで、恐ろしく愛想の悪いフロント係にチェックインを告げたのであった。

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2021/12/07

米国旅行記 その5

11月12日、ようやく出発の日がやって来た。PCR検査の陰性証明書は前日に入手済み、ワクチン接種証明書や米国滞在中の連絡先メモ(ホテルの名称、所在地)と合わせて、予備にコピーを取ってある。本来は搭乗券も前日にウェブサイトから印刷出来るはずだが、コロナ関係の証明書を確認できるまで発券できない。またビザなしの「ESTA」による渡米のため、帰りの航空券を購入済みであることを示す書面も必要となる。

以上の手続きを最初の出発地の伊丹空港で行う必要があり、相当の時間的余裕を見て出発したが、さすがにこの時期の国際線利用者は少ないようで、国際線カウンターはガラガラだった。しかし、これが実質的な米国への入国審査となるため、航空会社に課せられた責任は重い。その内容がコロコロ変わるのでこちらも大変ですと、応対してくれたANAの職員が言っていた。

無事に審査が終わってクリーヴランドまでの搭乗券を受取り、ひとまずANA便で羽田へ向かう。天候は快晴で上空から富士山や房総半島がきれいに見える。羽田に着くとユナイテッド航空のカウンターでまた必要書類のチェックを受ける。羽田の国際線ターミナルも嘘のように人気がなく静まり返っている。

手荷物を預けてセキュリティ、出国審査を通過。ANAのラウンジで一休みして、いよいよシカゴ行きユナイテッド882便に搭乗する。おそらく最後の外国旅行ということもあるが、自分の体調を考慮して、この後の飛行機は全てビジネスか、それに準ずるクラスの座席を購入してある。

写真はユナイテッドのビジネスクラス、その名も「ポラリス」の座席(というより個室に近い)である。写真では隠れているが、ちゃんと脚を伸ばしてフルフラットの姿勢で休むことが可能だ。

Polaris

ただ、設備はともかくCAのサービスや食事に関してはエコノミーと大差ないように感じた。乗ったことがないので分からないが(笑)、ANAやJALのビジネスクラスなら、もっと丁重にもてなしてくれそうな気がする。

シカゴにはほぼ定刻の15時半頃到着。しかし、ここで最初のハプニングが起きたのだ。

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2021/12/04

米国旅行記 その4

やはり羽田か成田経由で行くしかないかと思ったものの、クリーヴランドで厚労省書式の陰性証明書が入手できるかどうかという不安に加えて、東京から車を運転して帰らなければならないという点がネックになって、一時は旅行そのものを諦めざるを得ないかとも思いかけていた。

ところが、どういう拍子だったか、中部国際空港とデトロイトを結ぶデルタ航空の直行便が、週末に1往復だけ運航されていることが分かった。金曜午後にデトロイトを発ち、土曜夕方に名古屋着。翌日曜に名古屋を発って同日午前中にデトロイトに着く。

日曜のデトロイト行きではクリーヴランドでの演奏会に間に合わないが、帰路の名古屋行きに乗れば、常滑から約3時間運転すればその日のうちに自宅まで帰れる。往路は国内線との乗り継ぎは何ら問題ないので、東京から米国本土直行便に乗れば最短時間でクリーヴランドに入ることが出来る。

問題は日曜の演奏会の後、名古屋便が出る金曜までどう過ごすかであるが、そこは発想を転換して、折角の機会だからニューヨークとボストンにも立ち寄ることにした。その週に魅力的なコンサートとオペラがあったのもひとつだが(笑)、ニューヨークの日系クリニックで厚労省書式の陰性証明書を出してもらえるので安心だ。まさに一石二鳥である。

ようやく決まった旅程は次のとおりである。金曜午後に伊丹から羽田へ飛び、ユナイテッド航空のシカゴ便から乗り継いで、同日深夜にクリーヴランド着。月曜にNYに移動。滞在中にPCR検査を受けて陰性証明書を受領した上で、木曜午後に最終目的地ボストンに移動。金曜朝のデトロイト便から乗り継いで土曜夕方に名古屋着。検疫でOKが出れば、レンタカーでその日のうちに帰宅できるという寸法である。

ようやく旅立てることになったが、旅先では何が起こるか分かったものではない。(笑)

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2021/12/01

米国旅行記 その3

当初の旅程はこうだ、まず関空からホノルルに飛ぶ。ハワイ州に入るには州指定の医療機関で発行されたコロナの陰性証明書が必要だが、日本にもそうした医療機関がいくつかあり、我が家から車で数分のところにもある。ホノルルで一旦入国するものの、その日のうちに夜行便を乗り継いで、翌日にクリーヴランドに到着する。

今回の旅行の最大の目的であるクリーヴランド管弦楽団の演奏会を鑑賞。チケットは予め入手済みである。さらに2、3日滞在して適当に市内観光などして、クリーヴランドからまたハワイに戻る。ホノルルで用もないのに(笑)1泊して、日系クリニックがコロナ陰性証明書を発行してくれるのを待ち、翌日関空まで帰路のフライトに乗り、関空からはマイカーまたはレンタカーで自宅まで戻る、と。

ところが、大きな落とし穴があったのだ。クリーヴランドのあるオハイオ州からハワイ州に入るためには、同じ米国領土内というのにハワイ州の厳しい規制のせいで、ここでも州指定医療機関の陰性証明書が必要なのだ。さもなくば、「米国内」で受けたワクチンの接種済みを示す所定の証明書(QRコード?)を提示しなければならない。

後者は日本に住む者にとって不可能な話だし、前者もざっと見た限りクリーヴランド近辺には指定の医療機関は見つからなかった。つまり、陰性証明書のためにまたどこかの都市を経由してから、ホノルルに向かう必要がある可能性がある。後で述べるが、実はクリーヴランドで思わぬハプニングがあり、これではまるで陰性証明書入手のための旅行になるところだった。

結局、このプランは断念して、別の方法を考えなければならなくなった。

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