ブルーノ・ワルターが晩年にCBSに残した録音のデジタルリマスターの一環として、ベートーヴェンの交響曲全集がリリースされていたので聴いてみた。
ワルターのベートーヴェンと言えば、「田園」「英雄」などが名盤とされ、LPやCDでそれらを聴く機会はあったものの、以前ブルックナーの交響曲の記事に書いたように、CBS特有のガサガサと乾いた音を我慢してまで何度も繰り返し聴くほどの愛着は湧いてこなかったのが正直なところだ。
ましてや、全曲を通して聴く気は起らなかったのだが、今回のリマスターでは見違えるほど(聴き違えるほど)美しい響きが甦っており、とりわけハリウッド・リージョンホールの豊かな残響が心地よい。チェロ、バスの低弦も驚くほどの鮮明さで録られており、よく言われがちな優美で柔和なベートーヴェン像とはかなり異なる、重厚で力強い演奏という印象を受けた。
曲目別に言うと決定的名盤であるはずの「田園」よりも、第5や第7といった奇数番曲の力強く伸びやかな演奏の方に心を奪われた。第4や第8といった偶数番曲でも、ただ優美なだけの演奏でなく、一本太い芯が通っているところが素晴らしい。
ところで、今回のリマスターの過程で、第9番の終楽章に関して大変興味深い事実が明らかになったという。従来、終楽章はニューヨークでの録音とされていたのが、実は前半の声楽が入る前の部分はハリウッドで録音され、後半のNY録音の部分と繋いだものであることが判明したというのだ。
確かに、208小節目のプレストか、その2小節前のテンポプリモの辺りから、全体の響きが急に変わっていることが分かる。それまで自然に広がっていた音場が狭くなり、残響音も後から人工的に付加したような不自然さを感じる。何より、合唱が加わって以降、ダイナミックレンジが極端に狭くなってしまっている。
終楽章のみNYで録音せざるを得なかったのは、4人の独唱者と合唱団をハリウッドまで移動させるのが難しかったからだと推測される。特に独唱者はいずれもメトロポリタンオペラの歌手で、非常に厳しいスケジュールの制約の中で録音を終えなければならず、オケだけで録音できる前半は別途ハリウッドで収録することにして、とにかく声楽入りの部分だけをNYで録音したのだろう。
一方、オーケストラは「コロンビア交響楽団」とだけ表記されているが、第4楽章前半までとは別のオケだったと思われる。ほとんど声楽の伴奏のような後半部の演奏のために、わざわざハリウッドのオケを楽器ともどもNYまで移動させたとは考えにくいからだ。
「コロンビア交響楽団」は、ワルターのために特別に編成されたハリウッドのオケ以外にも、契約の関係で名前を出せない場合のニューヨーク・フィルハーモニックやクリーヴランド管弦楽団の別名称でもあったのだ。
この第9の時はNYフィルの楽員は入っていなかったというから、このオケは他の「コロンビア交響楽団」と比べると若干レベルが劣っていたかもしれない。時間的制約のみならず、必ずしもベストメンバーとは言えない臨時編成のオケを相手に、老巨匠も思うようにタクトを振れなかったのではないか。全集の掉尾を飾るべき終楽章が、万全の環境下で録音されなかったとすれば残念なことである。
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