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2021/09/29

『イエスタデイ』

Yesterday2019年、英。ダニー・ボイル監督、リチャード・カーティス脚本。WOWOWの紹介文。

売れないミュージシャンのジャックは、幼なじみでもあるマネジャー、エリーに励まされる毎日。世界規模で12秒間の大停電が起きた際、交通事故に遭ったジャックは意識を失うが、目覚めると世界の音楽の歴史にザ・ビートルズは存在しなかった。ザ・ビートルズの曲の数々を自作として歌い始めたジャックは、たちまち世間の注目を浴びるように。人気歌手エド・シーランから声が掛かるなど、ジャックは音楽界で大成功を収めるが……。(引用終わり)

中学時代からクラシック音楽ひと筋で来た自分だけれど、さすがにビートルズの名曲のいくつかは知っているし、DVDジャケットの写真がアルバム「アビイ・ロード」のパロディであることぐらいは分かる。

上の紹介文には「たちまち世間の注目を浴びるように」とあるが、そこは少し違っているように思う。ジャックは誰も聴いたことのないビートルズの曲を歌い始めるもなかなか芽が出ず、小さなスタジオで列車の騒音に悩まされながら録音したCDを、バイト先のスーパーで景品に配ったりといった苦労の末に、徐々に売れ出したというのが本当のところだ。

「本物」のビートルズだって、最初からいきなりスーパー・スターになったわけではなく、それ相応の下積み時代の苦労を経験しているはずで(よう知らんけど・笑)、本作は奇想天外なストーリーながらも、その辺りは意外にリアリティがあるなと思った。

お約束のハッピーエンドのラブストーリーに若干甘さを感じるものの、主演のヒメーシュ・パテル自身が歌ったビートルズの名曲の数々、本人役で出演したエド・シーランとのやり取り、また随所に散りばめられたユーモアなど、結構楽しめる1本だった。エンドロールの尺を「ヘイ・ジュード」のフルコーラスにピッタリ合わせたところは、ボイル監督のこだわりというか職人技を感じた。

ところで、このパラレルワールド(?)に存在しないのはビートルズだけでなく、他に少なくとも「コカ・コーラ」「煙草」「ハリー・ポッター」は存在しないことになっている。「煙草のない世の中だったら、たとえビートルズが聴けなくても行ってみたい」と真剣に思ってしまった。(苦笑)

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2021/09/26

ヴェーグのモーツァルト「セレナード&ディヴェルティメント集」

Vegh

これもアンドラーシュ・シフつながり。モーツァルトのピアノ協奏曲全集でシフと組んで素晴らしい演奏をしていたシャーンドル・ヴェーグとその手兵、カメラータ・アカデミカによるモーツァルトのセレナード、ディヴェルティメントなどを集めたアルバムである。

CD10枚からなるボックスセットで、全33タイトルに及ぶ曲目等の詳細はこちらを。それでもグラン・パルティータ・セレナード(13管楽器)や、ポストホルン・セレナードなど、結構有名な曲が収録されていないのは、ヴェーグの体力が続かなかったのか、それとも楽器や編成の特殊さゆえだろうか。

元々が貴族の娯楽のための音楽であり、高級BGMとして流し聴きするつもりだったけれど、どうしてどうして。いわゆる「機会音楽」ではあるものの、モーツァルトは決して手を抜いたり、書き飛ばしたりしていない。まさに「どこを切ってもモーツァルト」という音楽なのである。

何よりも、ヴェーグがその音楽と正面から向き合い、誠実かつ愛情を籠めて演奏しているのが如実に伝わってくる。興が乗ったのだろう、外したメガネを指揮棒代わりに振っている(?)ジャケット写真からもそのことが窺える。

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2021/09/23

『インセプション』

Inception2010年、米。クリストファー・ノーラン監督。レオナルド・ディカプリオ主演。公式サイトの紹介文。

ドム・コブ(レオナルド・ディカプリオ)は人の心が無防備な状態、つまり夢を見ている間に潜在意識から貴重な秘密を盗み出すスペシャリスト。その特異な才能は産業スパイが暗躍する世界で重宝される一方、そのために彼は最愛のものを奪われ、国際指名手配されてしまう。
そんな彼に失った人生を取り戻すチャンスが。そのためには「インセプション」と呼ばれる、アイデアを盗むのとは逆に相手の心に“植え付ける”、およそ不可能とされる任務を成功させる必要があった。もしコブと仲間たちが成し遂げたなら、それは完全犯罪を意味する。だがいかに綿密に計画し、様々な特殊能力があったとしても、行動がすべて相手に読まれていては太刀打ちできない。そんな強敵が現れる予感を、コブだけが感じ取っていた。(引用終わり)

「夢のまた夢」という言葉がある。現実感に乏しい話の譬えに使われるが、本作はその逆というのか、3つの階層にわたって大変リアルな夢を「設計」し、無意識のうちにターゲットとなる人物の精神を操作しようという、とんでもない計画的犯罪をテーマにしたものだ。予めストーリーを読んでみたけれど、最初は何が何やらさっぱり分からなかった。

その計画が成功して、主人公は念願どおり自宅に帰ることが出来、長年会えなかった子供たちを抱き締めるところでエンディングとなる。しかし、それは本当に現実なのか、まだ夢の中なのか。最後の最後でその大切なヒントとなる映像が唐突にカットされていて、公開以来議論の的となっているが、答えは明らかではないかと思う。

ひとつは「自分がその場所までどうやって来たのか説明できるか」ということ。もうひとつは、それまで一度もこちらを振り返ることがなかった子供たちが、初めて主人公の方に顔を向けたことだ。

『すばらしき映画音楽たち』で紹介されたとおり、ハンス・ジマーが担当した音楽の演出効果たるや絶大なものであるが、それ以上に実写にこだわった映像の迫力に圧倒された。

どう見てもVFXを駆使した映像にしか思えないLA市内を爆走する機関車や、無重力状態で回転するホテルの廊下での格闘、雪山での雪崩など。そのどれもが紛れもない実写なのである。具体的な撮影方法は特典映像で紹介されている。

ところで、本作の主要部分であるターゲットとの壮絶な「戦い」は、実際にはシドニーからLAまでのフライトの間に完結している。手に汗握る攻防戦が終わり、登場人物たちはジャンボジェットの2階席で眠りから覚め、何食わぬ顔をして飛行機から降りていくのである。

東洋人の一人の感想としては、中国の故事「邯鄲の夢」を連想するし、また、時間の経過の違いですっかり老人になったサイトー(渡辺謙)は、浦島太郎そっくりではないかと思った。

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2021/09/20

ハンガーの謎

クリーニング店で貰うプラスチック製の黒いハンガーの話である。普段何気なく使っているもので、その詳細な形状など気にも留めていなかったが、最近溜まり過ぎてまとめてゴミに出す機会があり、よく見ると何種類か異なる形状のものがあるのが分かった。そのうちのひとつがこの写真のものだ。

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気になったのは、左側にある「ヘ」の字の形をしたパーツである。ネクタイなどを引っ掛けてぶら下げておくためのものだろうか。しかし、その形状がちょっと不思議だ。

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いい歳こいてヘンな想像をするようで気恥ずかしいが、見方によっては女性の脚のように見えないだろうか。もし、これをデザインした人がそういう意図をもっていたなら、なかなか遊び心のある洒落たことをするものだなと思う。

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加えて、上部のフック(?)の下にある釣鐘状のパーツとなると、一体何のためのものなのかさっぱり見当もつかない。これも装飾のひとつだとしたら、大量生産のハンガーに似つかわしくないデザイン性を付加したかったのだろうか。

ネットで「ハンガー」「脚」「脚線」「釣鐘」などと打ち込んで検索しても何も出て来ない。謎は深まるばかりである。

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2021/09/17

『すばらしき映画音楽たち』

Score2016年、米。KINENOTE の紹介文。

無声映画の時代から映像と切っても切れない関係にある映画音楽。1933年「キング・コング」では映画音楽に初めてオーケストラを起用。1960年代には独特なオーケストラ音楽に変容していき、現代では独創性が求められオーケストラと電子音が組み合わされてきた。本作では約40名の映画音楽作曲家にインタビュー。時代に合わせ進化を遂げ、名作映画を支えてきた映画音楽の創作秘話に迫る。(引用終わり)

映画音楽の歴史を振り返りつつ、作曲から編曲、演奏、そして映像に合わせた編集までの舞台裏を紹介した、大変興味深いドキュメンタリー作品である。

ロンドンのアビーロード・スタジオにおける録音風景も紹介されていて、初めて見るスタジオ内部の映像に、「これがあの多くの名録音を生んだ第1スタジオか」と目が釘付けになった。

紹介にあるように、映画音楽は映像と不可分の関係にある。『サイコ』のシャワーの場面や『ジョーズ』の水面下の映像は、あの音楽がなければ全く怖くないだろうし、『スター・ウォーズ』や『E.T.』は、例の有名なテーマ音楽抜きには映画自体が存立し得ないとさえ思える。

クラシック音楽ファンとして嬉しかったのは、映画音楽の世界ではオーケストラの力がいまだ健在であるという点だ。もちろん、1970年代後半以降、シンセサイザーなど電子音楽の登場による変化はあるものの、いまも大編成の管弦楽によるナマの音響が大きな効果を上げているのだ。

アカデミー賞受賞作曲家であるハンス・ジマーは、「映画音楽の担い手は、日常的にオーケストラを使っている最後の人種だ。オーケストラが消滅すれば、文化に大きな亀裂が入ることになるだろう。人類にとって大きな損失だと思う」と語っている。

「日常的にオーケストラ音楽を聴いている最後の人種」(笑)の一人かもしれない自分としては、大いに納得のいく言葉である。

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2021/09/14

『ソフィーの選択』

Sophie1982年、米。アラン・J・パクラ監督。メリル・ストリープ、ケヴィン・クライン、ピーター・マクニコル他。WOWOWの紹介文。

米南部の地方からNYに上京した作家志望の青年スティンゴは、下宿先で深い愛情で結ばれた1組の男女と知り合う。ハーバード大卒の生物学者ネイサン。反ナチスの信念を貫いて戦時中に殺されたという大学教授を父に持ち、自らも強制収容所での過酷な生活を生き延びた経験を持つポーランド人女性ソフィーだ。魅力的な人柄の2人に魅せられたスティンゴは彼らと親交を結ぶが、実は2人にはそれぞれ、思いがけない秘密が隠されていた。(引用終わり)

反ナチスをテーマとした作品はハリウッド映画の定番のひとつであるが、『シンドラーのリスト』などとは異なり、本作では残虐なシーンはほとんど登場しない。それよりも、強制収容所で筆舌に尽くせぬ悲惨な体験をしたソフィーという女性の、その後の人生に焦点を合わせた作品と言える。

ポーランド訛りの英語でのソフィーの長回しのモノローグが本作最大の見せ場で、それに加えて強制収容所シーンでの極端に痩せた役作りといい、プロの役者根性を発揮したメリル・ストリープは本作でアカデミー主演女優賞を受賞、彼女の決定的な出世作となった。

ひとつ誤解していた点があって、紹介文にあるようにソフィーの父は前半では「反ナチス」とされていて、ついユダヤ人だろうと思い込んでいたのだ。娘のソフィーも当然ユダヤ人で、それゆえに強烈な反ナチス感情を抱くユダヤ人のネイサンに助けられたのをきっかけに、二人は同棲することになったのだろうと思って観ていたのだが、真相はそんな単純なものではなかった。

それでは、実は非ユダヤ人でカトリックだったソフィーがなぜ強制収容所に連行されたのか。よく分からないまま観終えたのだが、後で調べてみたら、アウシュヴィッツに収容されたのはユダヤ人が90%で、それ以外にも政治犯、ロマ(ジプシー)、障害者、聖職者といった人々も収容されていたそうだ。

そして、彼らの間にはドイツ人を頂点として、西・北ヨーロッパ人、スラブ人、最下層にユダヤ人などといったヒエラルキー(序列)が形成されていたというのである。

その辺りの複雑な事情を知った上で観れば、ソフィーとネイサンの関係なども別の視点から見られたかもしれない。しかし、2時間半の本作ともう一度最初から向き合う気力は、もう今の自分にはないというのが正直なところで、それほど重い内容の作品だということは間違いない。

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2021/09/11

アマデウスQのベートーヴェン弦楽四重奏曲全集

AmadeusイタリアQによる全集盤に続き、イギリスの名門アマデウスQによる全集盤を聴いた。

アマデウス弦楽四重奏団は、第二次大戦中ナチスの迫害から英国に逃れたユダヤ人音楽家であるヴァイオリンのブレイニン、ニッセル、ヴィオラのシドロフ、それに英国人チェリストのロヴェットの4人で結成され、1948年にロンドンでデビュー。その後、1987年にシドロフの死去により解散するまで、一度もメンバーを変えずに活動を続けたという稀有の経歴を有するカルテットである。

ドイツ・グラモフォンにいくつもの録音を残し、団体名の由来となったモーツァルトの弦楽四重奏曲は言うまでもなく、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲もまた、彼らのもっとも得意とするレパートリーとして高い評価を得てきたが、団体名による先入観が強すぎたのか、これまでモーツァルトのカルテット、クインテットのみに止まり、ベートーヴェンは1曲も聴かずにいた。

しかし、先日読んだ村上春樹の本でお勧めのLP盤として紹介されていて興味を持ったので、全集盤を取寄せて聴いてみた。その感想を単純化して言えば、これまで聴いた全集盤の演奏傾向を、ハード系からソフト系まで独断により並べてみるなら、最もハードなブダペストQと最もソフトなイタリアQを両極端として、その中間ややハード側にズスケQ、そしてこのアマデウスQはややソフト側に位置すると感じた。

メンバーの出身地または活動の中心地を適宜並べると、ハンガリー(ロシア)、旧東ドイツ、イギリス、イタリアと、なぜか地図上で反時計回りにハードからソフトまで位置しているのも面白い。

アマデウスQの演奏表現の特徴を、これまた独断によって単純化して言うなら、極端な精神主義にも、また過度の楽天主義にも傾くことなく、イギリスらしい中庸の美とでも言おうか、全体にバランスが取れた立ち位置をキープしている。聴いていて感じる安心感、安定感は抜群で、家に帰ってきて好みの銘柄のウイスキーのグラスを傾けている、というような気分が味わえる。(今は飲めないけれど・苦笑)

以上はあくまで演奏傾向だけの話で、演奏技術の完成度やアンサンブルの精度については、どの団体も飛び抜けた一級品だけに比較の意味はない。ただ録音については、さすがに後の時代ほど良いに決まっているので、ブダペスト盤がやや古びて聴こえてしまうのは仕方ない。他は似たり寄ったりだが、グラモフォンのスタジオでの録音と思われるアマデウス盤が最も綺麗に録れていると思った。

さて、またまた愛聴盤が増えてしまった。もう時間がいくらあっても足りない。(泣笑)

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2021/09/08

『シャイン』

Shine1995年、豪。スコット・ヒックス監督。ジェフリー・ラッシュ主演。アマゾンの紹介文。

デヴィッドは、幼いころからの父親の過剰な愛情と厳格なレッスンのもと、ピアノに打ち込んでいた。しかし父親の過剰な愛情に耐え切れず、デヴィッドはついに勘当同然のかたちで家を出てしまう。イギリスの音楽学校に留学したデヴィッドは、コンクールでラフマニノフの「ピアノ協奏曲第3番」に挑戦することを決意する。この曲は難関中の難関。と同時に父親との思い出の曲でもあった。日夜練習に励んだ結果、デヴィッドは決勝で見事に弾きこなす。しかし、拍手をあびながら倒れ、以後精神に異常をきたしてしまう・・・。(引用終わり)

タイトルは『シャイニング』(1980年)に、DVDジャケットの写真は『ショーシャンクの空に』(1994年)に酷似しているが、悪質なパクリ作品などではなく(笑)、内容はこれらと全く無関係な音楽映画である。

実在するデヴィッド・ヘルフゴットなるピアニストについて、その名前すら知らなかったが(実名で登場する彼のライバル、ロジャー・ウッドワードは辛うじて名前だけ知っていた)、1947年生まれのオーストラリアの現役ピアニストで、91年には来日もしたそうである。

本作はその半生を部分的に脚色を加えながら映画化したもので、精神病と闘いながら見事にピアニストとして現役復帰を果たすまでの過程を描いている。著名なコンクールで優勝し、世界を舞台に活躍するようなレベルのピアニストは、毎日数時間の猛練習が欠かせないと聞いたことがあるが、それに加えて多くの聴衆を前にステージで演奏する緊張感に耐える精神力、集中力が求められるだろう。

彼の場合は、さらに父親からの過剰な期待に応えようとするプレッシャーまで加わり、遂に精神の異常を来してしまったわけである。そこからの回復過程では、ギリアンという女性と出会って結婚したことが大きく寄与したものと思われるが、映画中ではその辺りの詳細が明らかでないのが残念だ。

ただ、ひとつ思ったのは、デヴィッドがやたらに水に浸かったり浴びたりするのが好きなことで、バスタブに全身を浸したり、プールや海で戯れる姿が何度も登場する。これは一種の胎内回帰願望のように思われ、15歳も年上のギリアンに母性を感じていたのではないかと推察される。

父親の異常な愛情が主人公の人生に与えた影響が大きいのは確かであるが、その裏返しとして母性愛に飢えていたという側面もあるのではないだろうか。実の母親が夫の言いなりで、何となく冷淡な女性のように描かれているのも偶然ではないように思う。

ラフマニノフの協奏曲第3番(作中では「ラック・スリー」と略されていた)をはじめ、様々なピアノ曲がBGMに使用されて効果を上げているが、その音源の大半はヘルフゴット本人の演奏が使用されているそうだ。

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2021/09/05

アニー・フィッシャー The Complete London Studio Recordings

Fischer女流ピアニストのアニー・フィッシャーについては、廉価盤LPでシューマン「子供の情景」を聴いたことがあるぐらいで、ほぼノーマーク状態だったが、最近読んだアンドラーシュ・シフ『静寂から音楽が生まれる』の中で、「彼女に習ったことはな」いが、「およそ三五年間にわたって彼女の演奏活動を追いかけ、いくつもの忘れ難いコンサートに居合わせ」「個人的にこれほど頻繁に聴いた女性ピアニストはほかにい」ない、などと書かれていたので、改めてその演奏に耳を傾けてみた。

取りあえずLP盤の「子供情景」に久々に針を落としてみたら、全体に控えめな中に無限のニュアンスの変化を籠めた、とても中身の濃い演奏に驚嘆した。若い頃に聴いてもその良さが分からなかったのか、再生装置が貧弱だったせいなのか。終曲「詩人は語る」が深淵な余韻を残して消えていっても、しばらくは音盤が回転したまま放心したようになってしまった。

俄然他の演奏も聴きたくなってCDを物色してみたけれど意外にその数は多くなく、彼女が英EMIのアビーロード・スタジオで録音した音源を集めたボックスセットが、ほぼ唯一の個人全集盤に近い存在だ。

彼女はレコード録音を忌み嫌っていたそうで、シフの前掲書でも、アビーロード・スタジオで録音している最中にスピーカーから「ティー・タイム」と声がして中断させられたので、すぐさま荷物を纏めて家に帰ったという逸話が紹介されている。

CD8枚に収録された曲目等はこちらを参照してもらうとして、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンといった彼女のレパートリーの中核をなす作曲家に加え、リストとバルトークの協奏曲も含んでいて、彼女の芸術を俯瞰できる貴重なセットとなっている。

最も印象に残ったのはシューマンである。再びシフの言葉を借りるなら、「良いテクニックを持っているピアニストは、生き生きとしたファンタジーを意のままに操り」「音のフォルム、音色の階調、良く訓練されたタッチ」で「それを演奏に置き換える術を知っています」。そうした並外れたテクニックを持っていた彼女が「もっとも完璧に演奏した作曲家を一人挙げるとするなら、それは間違いなくローベルト・シューマンです」と。

それ以外ではモーツァルトの協奏曲第20番、ベートーヴェンのソナタ第30、32番などに感銘を受けたが、逆に前者の第24、27番や後者の第18番は、何だか弾き飛ばしているような素っ気なさを感じた。前出のエピソードほどではないにしても、彼女の虫の居所が悪くなるようなことがあって、早くセッションを終えたかったのかもしれない。(笑)

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2021/09/02

『おらおらでひとりいぐも』

Oraora2020年、製作委員会。沖田修一監督。田中裕子主演。公式サイトの紹介文。

1964年、日本中に響き渡るファンファーレに押し出されるように故郷を飛び出し、上京した桃子さん。あれから55年。結婚し子供を育て、夫と2人の平穏な日常になると思っていた矢先…突然夫に先立たれ、ひとり孤独な日々を送ることに。図書館で本を借り、病院へ行き、46億年の歴史ノートを作る毎日。しかし、ある時、桃子さんの“心の声=寂しさたち”が、音楽に乗せて内から外から湧き上がってきた! 孤独の先で新しい世界を見つけた桃子さんの、ささやかで壮大な1年の物語。(引用終わり)

芥川賞を受賞した若竹千佐子の同名小説を映画化。タイトルは東北弁で「おら(私は)おらで(私で)ひとりいぐも(一人で生きる)」といった意味である。「いぐ」は「生きる」でもあれば、「行く」でもあるし、「逝く」かもしれない。

全篇にわたって、現在と過去を自由に行き来する形で、いくつものエピソードが淡々と描かれていく。いずれも他愛のないものであるが、それらの積み重ねによって、桃子の人生を俯瞰的に把握することが出来る仕掛けになっている。

桃子の内面でせめぎあう様々な思いや自問自答を、三人の「寂しさ」(濱田岳、青木崇高、宮藤官九郎)が「心の声」として代弁するのは原作にない設定だそうだが、視覚的にも分かりやすく、映画ならではのアイデアだ。

桃子を演じたのは実年齢65歳の田中裕子で、役の設定である75歳より若く見えてしまうきらいはあるものの、健気に生きる桃子の日常を飄々と、しかし内面の葛藤を交えてうまく演じている。桃子の若い頃を演じた蒼井優も、まるで新人のような初々しさで好演していた。

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