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2021/08/27

『古くて素敵なクラシック・レコードたち』

505360185村上春樹著。以前読んだ『小澤征爾さんと、音楽について話をする』が面白かったので、最新刊の本書も読んでみた。版元の素っ気ない紹介文。(笑)

クラシック音楽をこよなく愛し聴き巧者である村上春樹さんが、LPレコード486枚をカラーで紹介しながら、縦横無尽に論じるという待望の音楽エッセイです。(引用終わり)

曲目別の記事96本に加えて、巻末にトマス・ビーチャム、ジョン・オグドン、イゴール・マルケヴィッチ、そして小澤征爾という、著者の思い入れが特にアーティストの記事4本を配し、合計100本のショートエッセイからなる。

全体を通じて、クラシック・オタク同士の気の置けない雑談みたいな感じで気軽に読める。著者自身、まえがきに当たる「なぜアナログ・レコードなのか?」の中でこう書いている。

これはあくまで個人的な趣味・嗜好に偏した本であって、そこには系統的・実用的な目的はない。「これがこの曲のベスト盤だ!」みたいなガイドブック的意図も皆無だし、「私はこんな珍しいレコードを所有しています」とひけらかすことが目的でもない(中略)。たまたま買い込んだレコードの中で、個人的になかなか気に入っているものを棚から引っ張り出してきて、「ほら、こんなものもありますよ」とお見せするだけのものだ。

ジャケットが素敵なのでつい買ってしまったLPレコードを次々と手に取って眺めたり、匂いを嗅いでみるだけで安らかな気持ちになるという記述には、やはりアナログレコードでクラシック音楽に開眼したファンの一人として大いに頷いてしまう。

楽曲のデジタル録音データを収納した「容れ物」でしかないCDとは違い、黒く光る盤面の佇まいや、手に持ったときの重量感、さらには30センチ四方のアートとも言えるジャケットを含めて、確固たる存在感を示しているのがLPレコードなのである。

この本に触発されて、本書でも紹介されているパウル・クレツキー指揮ウィーン・フィルによるマーラーの交響曲第1番、イゴール・マルケヴィッチ指揮フィルハーモニア管によるストラヴィンスキー「春の祭典」のLPを久々に聴いてみた。

耳障りな針音ノイズやダイナミクスレンジの狭さはいかんともしがたいが、弦楽器高音部の生々しさや自然な音場感の広がりなどはCDを凌駕し、1960年前後の録音でも今日の鑑賞に十分堪える。むしろ、その後の60年間でレコード業界は一体どれだけ進歩したのだろうという思いを禁じ得ない。

ところで、人名表記でひとつ気になる点があった。それはセルゲイ・クーセヴィツキーの表記についてである。20世紀初頭にボストン交響楽団の音楽監督を務め、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」をはじめ、新曲委嘱による同時代の作曲家に対する支援を積極的に行ったロシア系ユダヤ人の音楽家である。

フランス語表記から「クセヴィツキー」とされることもあるけれど、我が国ではロシア風に「セルゲイ・クーセヴィツキー」と表記されるのが一般的である。しかるに、本書ではブラームスの交響曲第3番(108頁)、シベリウスの「ポヒョラの娘」(297頁)のレコードデータでは、フランス風に「セルジュ・クゼヴィツキー」と表記され、本文中もそれに従っているにもかかわらず、バルトークの「オケコン」成立事情についての文章(224頁)では「クーセヴィッツキー」と書いてあって統一を欠いている。

ボストンとは浅からぬ縁がある村上氏がまさか両者を同一人物と認識しないはずがなく、レコードデータを整理した編集者と作家との間で何らかの齟齬があったものと推察される。

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コメント

村上文学と音楽は不可分
ジャズだけでなくクラシックにも造詣が深いことは「小澤征爾さんと・・・」で知っていましたが、懐かしいというより僕の知らないLPばかり。(^^!
昭和の収集家の趣味本ですね。
ただ、ジャケットに関してはジャズの方がおしゃれな気がします。

最近の村上春樹は、プライベートな情報も公開するようになって、それはそれで嬉しいのですが、ハルキストなんて絶対に呼ばれたくない昭和のおじさんにとっては、昔の謎めいた雰囲気が懐かしいです。

投稿: ケイタロー | 2021/08/28 13:01

ケイタローさん
村上氏のレコードコレクションは7割がジャズ、
クラシックは2割程度だそうですが、
収集する姿勢は全く違っていて、ジャズの方は
「いちおうコレクターの端くれとして」、
初回プレス盤かどうかとか、盤質がどうかとか
そういう細部にこだわるけれども、
「クラシックに関してはそんなことはべつにどうでもいい」
のだそうです。(笑)
だから、どこが良いのかさっぱり分からないものとか、
昼寝にちょうど良いレコードなどというのも出てきて、
そのあたりがこの本の面白いところです。

投稿: まこてぃん | 2021/08/29 09:07

同じく、村上春樹氏がクラシックにも造詣が深いとは知りませんでした。

個人的には、コレクターの趣味は無くて、単にLPで音楽が聴ければ良いと言うだけだし、そもそも聴くのが50年代後半から60年代迄のJazzと言う狭い範囲なので、コレクターになれる筈が無いのですが(^^;)。

確かに、ジャケットデザインはクラシックよりJazzの方が洒落ているように思います。
クラシックは演奏家や指揮者の写真が多いけど、Jazzはそんな事無いですからね。
何しろ、ジャケット買いなんて言う言葉迄有る程です(笑)。

投稿: AKA | 2021/08/31 10:56

AKAさん
何かの偶然かもしれませんが、
クラシックでも50年代後半から60年代、
ステレオ録音が始まり、定着した頃のものに、
今なお聴き続けられる「名盤」が多いようです。

クラシックのジャケットは確かにダサいですが、
たまに名画とか斬新な現代アートもあって、
この本でも村上氏が「ジャケ買い」したLPが
紹介されています。

投稿: まこてぃん | 2021/09/01 20:41

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