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2021/08/30

『罪の声』

Fossil2020年、製作委員会。土井裕泰監督、野木亜紀子脚本。KINENOTE の紹介文。

平成が終わろうとしている頃、大日新聞記者の阿久津英士(小栗旬)は既に時効となっている昭和最大の未解決事件を追う特別企画班に選ばれた。事件の真相を追い取材を重ねる中で、犯人グループが脅迫テープに3人の子どもの声を吹き込んだことが阿久津の心に引っかかる。
一方、京都で亡くなった父から受け継いだテーラーを営み家族3人で幸せに暮らす曽根俊也(星野源)は、ある日父の遺品の中から古いカセットテープを見つける。何となく気に掛かり再生すると、聞こえてきたのは確かに幼い頃の自分の声であるが、それはあの未解決事件で犯人グループが身代金の受け渡しに使用した脅迫テープと全く同じ声でもあった。
事件の真相を追う阿久津と、脅迫テープに声を使用され知らないうちに事件に関わってしまった俊也ら3人の子供たちの人生が、35年の時を経て激しく交錯する。(引用終わり)

昭和59年から60年にかけて発生したグリコ・森永事件をモチーフにした塩田武士の同名小説を映画化したもの。最初の事件発生から既に37年、時効が成立してからでも21年が経過するが、社会に大きな衝撃を与えた同事件のことはいまだに鮮やかに記憶に残っている。

犯人(グループ)が突如として犯行から手を引く形で終息し、最終的には迷宮入りしてしまったこの事件の犯人像や動機などについて、当時ありとあらゆる推測が飛び交ったけれども、いずれも決定的な説得力を持つものではなく、事件の真相はいまだに闇の中、「深淵の底」である。

本作はそうした経緯を踏まえたうえで、真犯人に関する一見地道ながら説得力ある推理を提示している。これが真実にかなり近いのではないかと思わせるリアリティがあり、映画全体を支える屋台骨となっている。

ただ、映画では尺の制約があるからだろう、様々なスジがあまりに都合よく次々と繋がっていくけれど、付いていくのに苦労するし、そもそも当時の警察が総力を挙げても解明できなかった謎を、新聞記者たちの特別企画班がそんな簡単に解きほぐしてしまうだろうかと思ってしまう。

それはともかく、何も知らずに自分の声が犯行に使われてしまった三人の子供たちのその後の人生に焦点を当てたところが本作のキモで、ただの犯人捜しにとどまらない、重層的なヒューマンドラマとしての厚みを生み出している。

大阪京都はもちろん英国も含めた多数のロケ撮影を敢行した映像は美しく、142分の長さを全く感じさせない、カチッと締まった完成度の高い作品に仕上がっている。

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2021/08/27

『古くて素敵なクラシック・レコードたち』

505360185村上春樹著。以前読んだ『小澤征爾さんと、音楽について話をする』が面白かったので、最新刊の本書も読んでみた。版元の素っ気ない紹介文。(笑)

クラシック音楽をこよなく愛し聴き巧者である村上春樹さんが、LPレコード486枚をカラーで紹介しながら、縦横無尽に論じるという待望の音楽エッセイです。(引用終わり)

曲目別の記事96本に加えて、巻末にトマス・ビーチャム、ジョン・オグドン、イゴール・マルケヴィッチ、そして小澤征爾という、著者の思い入れが特にアーティストの記事4本を配し、合計100本のショートエッセイからなる。

全体を通じて、クラシック・オタク同士の気の置けない雑談みたいな感じで気軽に読める。著者自身、まえがきに当たる「なぜアナログ・レコードなのか?」の中でこう書いている。

これはあくまで個人的な趣味・嗜好に偏した本であって、そこには系統的・実用的な目的はない。「これがこの曲のベスト盤だ!」みたいなガイドブック的意図も皆無だし、「私はこんな珍しいレコードを所有しています」とひけらかすことが目的でもない(中略)。たまたま買い込んだレコードの中で、個人的になかなか気に入っているものを棚から引っ張り出してきて、「ほら、こんなものもありますよ」とお見せするだけのものだ。

ジャケットが素敵なのでつい買ってしまったLPレコードを次々と手に取って眺めたり、匂いを嗅いでみるだけで安らかな気持ちになるという記述には、やはりアナログレコードでクラシック音楽に開眼したファンの一人として大いに頷いてしまう。

楽曲のデジタル録音データを収納した「容れ物」でしかないCDとは違い、黒く光る盤面の佇まいや、手に持ったときの重量感、さらには30センチ四方のアートとも言えるジャケットを含めて、確固たる存在感を示しているのがLPレコードなのである。

この本に触発されて、本書でも紹介されているパウル・クレツキー指揮ウィーン・フィルによるマーラーの交響曲第1番、イゴール・マルケヴィッチ指揮フィルハーモニア管によるストラヴィンスキー「春の祭典」のLPを久々に聴いてみた。

耳障りな針音ノイズやダイナミクスレンジの狭さはいかんともしがたいが、弦楽器高音部の生々しさや自然な音場感の広がりなどはCDを凌駕し、1960年前後の録音でも今日の鑑賞に十分堪える。むしろ、その後の60年間でレコード業界は一体どれだけ進歩したのだろうという思いを禁じ得ない。

ところで、人名表記でひとつ気になる点があった。それはセルゲイ・クーセヴィツキーの表記についてである。20世紀初頭にボストン交響楽団の音楽監督を務め、バルトークの「管弦楽のための協奏曲」をはじめ、新曲委嘱による同時代の作曲家に対する支援を積極的に行ったロシア系ユダヤ人の音楽家である。

フランス語表記から「クセヴィツキー」とされることもあるけれど、我が国ではロシア風に「セルゲイ・クーセヴィツキー」と表記されるのが一般的である。しかるに、本書ではブラームスの交響曲第3番(108頁)、シベリウスの「ポヒョラの娘」(297頁)のレコードデータでは、フランス風に「セルジュ・クゼヴィツキー」と表記され、本文中もそれに従っているにもかかわらず、バルトークの「オケコン」成立事情についての文章(224頁)では「クーセヴィッツキー」と書いてあって統一を欠いている。

ボストンとは浅からぬ縁がある村上氏がまさか両者を同一人物と認識しないはずがなく、レコードデータを整理した編集者と作家との間で何らかの齟齬があったものと推察される。

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2021/08/24

Karari

「珪藻土スチームマジック」、愛称「Karari」なる商品を購入した。パッケージによれば「スチームマジックを流水にサッとくぐらせてパンと一緒に焼くだけ。スチームマジックから放出される蒸気がパンを包み込み、外はカリっ!と中はふんわり♪ パンを美味しく焼き上げます」との触れ込みである。

朝食にはフランスパンを一切れ食べるのだけれど、日数が経つと乾燥して風味が失われていくのは仕方ないと思っていた。パン屋で貰う保存袋には霧吹きでパンの表面に水分を与えてから焼くと良いと書いてあるものの、霧吹きに入れた水は毎回取り替えたいし、そのために洗って乾かしてとなるとかなり面倒だ。濡らしたキッチンペーパーで軽く包んでから焼いたこともあるが、表面に粘りが出ていまひとつだった。

そこでいろいろ検索してみて辿り着いたのがこの商品だ。何より使用法や使用後のメンテが簡単で、価格も499円というのが気に入った(笑)。ダメもとで使ってみて効果がなければ他を当たればよいぐらいの気持ちで購入した。左が当該商品で、小さなフランスパンの形をしている。下部に穴が空いていて中は空洞である。

Steamer

まだ二三度使ってみただけだが、キッチンペーパーを使った場合と比べて明らかに表面のカリっと感が向上している。水分を液体のまま塗ってしまうより、微細な蒸気にして包み込んだ方が良いのは何となく分かるような気がする。

ところで、本品の発売元はアスベスト含有の珪藻土を使った商品を発売して問題になった、例の「お、ねだん以上。」の会社だが、その後十分な対策が取られているものと信じて購入した。製造元が公表している分析報告書には「石綿の有無 無し」との結果が書かれている。「分析責任者」の名前になぜかモザイクがかかっているのが少し不安ではあるけれど。

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2021/08/21

奥歯を抜歯

左上一番奥の歯の辺りが痛み始め、ついには指で触るとグラグラ揺れるまでになったので、かかりつけの歯科医に見せたところ、「これは抜かないといけませんね」とあっさり言われてしまった。

抗癌剤投与中で出血を伴う治療には注意が必要なため、主治医から診療情報提供書(紹介状)を出してもらった上で先日抜歯してもらった。抜歯そのものはあっという間に終わり、出血も全く問題ない程度で済んだのだけれど、驚いたはそのあとのことである。

これまでの経験から、歯を抜いた後は何らかの方法でそれを人工的に復元する処置(補綴というらしい)がなされると思い込んでいたのだが、一番奥の歯に限っては特に何も処置せず、放置するのが一般的だというのだ。

考えてみると、これまでは親知らずを除いて最も奥の歯を抜いた経験はなく、初めて遭遇する事態だったのだ。確かに、その奥には歯がないのだから、ブリッジや義歯は不可能ないし困難で、考えられるのはインプラントぐらいだが、この先長くない人間が数十万円もかけて造設するのは愚の骨頂というものだろう。

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2021/08/18

イタリアQのベートーヴェン弦楽四重奏曲全集

Italianoイタリア弦楽四重奏団が1967年から75年にかけて録音したベートーヴェンの弦楽四重奏曲全曲を聴いた。これまでアルバン・ベルクQ、ベルリン・ズスケQ、ブタペストQと聴いてきたが、いずれも一長一短というか、安心して身を(耳を)委ねられる全集に巡り合えずにいた。

以前に書いたように、この中ではズスケQが最もしっくり来るのだが、残念ながらおそらくズスケのものと思われる、拍子に合わせて足を踏み鳴らす音が入っていて集中を殺ぐのだ(小鳥の鳴き声はご愛嬌だけど・笑)。

その後、ブタペストQの全集を聴いたが、あまりの完成度の高さにかえって疲れるというのか、楽曲の構造は明瞭に把握できるとしても、音楽として楽しめるかというとそれは別問題という気がする。

そこで、かつて英グラモフォン誌が高く評価していたイタリア弦楽四重奏団の全集を聴いてみた。結論から言えば、大変素晴らしい演奏、そして録音で、これまで聴かなかったことを後悔している。

さすがにイタリアの団体だけあって音色はどこまでも明るく、各楽器が実に伸び伸びと歌っている。トスカニーニのベートーヴェン交響曲全集で感じた、音楽の基本はカンタービレという原理は、このカルテットにも通用するのである。難解とされる後期の楽曲でもそれは全く変わらい。

それでいて、アンサンブルの精度や求心力といった点で劣るのかというとそんなことはなく、美しいフレージングを支えているのは、各人の卓越した技量と完璧な合奏能力なのである。ちょうど、装飾の見事さに目を奪われがちな古代ローマの彫刻が、実は精緻な数学的バランスに基づいて制作されているように(よう知らんけど・笑)。

発売当初それほど評価されることがなかったこの全集盤だけれど、その後CD化で音質が改善したのか徐々に人気が高まったそうだ。時を経て熟成する弦楽器の名器のようなものだろうか。

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2021/08/15

『キネマの神様』

Kinekami_202108132136012020年、製作委員会。山田洋次監督。松竹映画100周年記念作品。KINENOTE の紹介文。

ゴウ(沢田研二)はギャンブル漬けで借金まみれ。妻の淑子(宮本信子)や娘の歩(寺島しのぶ)からも見放されたダメ親父である彼が、たった一つ愛してやまないのは映画だった。ゴウ(菅田将暉)は若い頃助監督として撮影に明け暮れ、食堂の娘・淑子(永野芽郁)に恋をし、映写技師・テラシン(野田洋次郎)とともに夢を語らう、そんな青春の日々を駆け抜けた。ついに「キネマの神様」という作品で初監督を務めることになるが、撮影初日に転落事故により大怪我をし、作品は幻となってしまう。それから半世紀が経った2020年、「キネマの神様」の脚本が出てきたことから、沈みかけていたゴウとその家族は再び動き始める。(引用終わり)

自分には珍しく、あらかじめ原作を読んだうえ、さらには本作脚本のノベライズ版まで読んでいたので、筋や展開は分かったうえで、それがどう映像化されるか、各俳優の演技にどう具体化されるかという点に絞って鑑賞することが出来た。

原作からかなりストーリーを変更し、大船撮影所を舞台にした50年前のエピソードと絡めた山田監督の意図が、実際の映像を観ることで確かによく分かる。半世紀の時の経過を示すモノクロとカラーの使い分けも巧みである。

ベテランから若手実力派まで揃った俳優陣の演技は安心して観ていられたが、なかでも菅田将暉&永野芽郁コンビが演じた初々しさは、50年後の彼らの姿と対比されることで一層輝いて見えた。

原節子がモデルと思われる大女優・桂園子役を演じた北川景子は、役どころに相応しい気品と風格まで漂わせ、これまでにない新境地を開いたと言える。予想していたより出番が多かったこともあり、ファンとしては大満足の一作となった。(笑)

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2021/08/12

戸塚再訪

娘夫婦が最近新居を購入して引っ越しを済ませたので、この三連休にお邪魔してお披露目をしてもらった。中古マンションだけれど、ほぼ丸ごとリフォームしたため、実質的には新築物件と同様である。

間取りをはじめ、壁紙や調度類に至るまで、自分たちの考え方や趣味を貫いた新居に当人たちも満足しているようで安心した。あとはローン返済を頑張ってもらうしかないが、残念ながら年金生活者の我々に経済的支援は出来ないので悪しからず。(苦笑)

付近は閑静な住宅地で古い料理旅館が一軒あるだけなので、今回は移動の便を考えてJR戸塚駅前のホテルに宿を取った。2015年10月、東海道走り旅の第1日目に宿泊したのと同じホテルで勝手が分かっているということもある。

約6年前の当時の自分に、将来この近辺に娘が嫁いでいて、その新居を訪問するため再び同じホテルに泊まることになるとは予想も出来なかった。ましてや、その日東京から戸塚まで1日で走った自分が、6年後には癌を患って余命いくばくもない状況に置かれていようとは、想像すら出来なかった。

ホテルの部屋から駅前の風景を眺めていると、行き交う人々が皆マスクをしていたり、飲食店が早くに閉まってしまうという変化はあるものの、それ以外は当時と同じような日常が繰り返されている。大きく変わったのは自分の方だ。

写真は6年前に行きそびれた箱根駅伝の戸塚中継所。ランナーが入ってきて出て行くコースが、普段でもはっきり分かる形に保たれているのが面白い。

Relay

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2021/08/09

『キネマの神様 ディレクターズ・カット』

Director原田マハ著。版元の紹介文。

『キネマの神様』映画化に際し山田洋次監督は自身の若き日を重ねて脚色。そのシナリオから著者が新たに生み出すもうひとつの物語。(引用終わり)

原田マハ著の小説『キネマの神様』を原作とした映画『キネマの神様』の脚本を原作とした小説である。映画やドラマの脚本がノベライズされることはよくあるけれども、その元となった作品の作者自身がノベライズを手掛けたというのは珍しいだろう。

本作の意義について、著者は「まえがき『歓び』」の中で次のように述べている。

脚本は原作から大幅に変更されていた。まったく別物といっていいくらいである。けれど、だからこそ、私は嬉しかった。原作をただなぞらえて映像化するのではなく、原作で最も重要なふたつのエッセンス、映画愛と家族愛が抽出されて深められている。その上で、(山田洋次)監督が完璧に自分自身のものにしている。原作に対する深い読解と敬意、真の創造力がなければ決してかなわないことだ。

「まったく別物」とあるけれども、主要登場人物やその役回りはほぼ原作を踏襲した上で、それぞれの過去にも焦点を当てることで各人物像に深みを生み出している。

ただ、原作でプロット上のキーとなっているブログでの遣り取りは映像化には不向きで、その代わり山田監督自家薬籠中の映画製作ネタを持って来て、「見せる」作品に仕立て直している。

これで原作、脚本ともに読み終え、あとは公開が始まった映画を観に行くばかりになった。原節子がモデルと思われる女優園子役の北川景子の活躍ともども楽しみである。

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2021/08/06

シフのモーツァルト・ピアノ協奏曲全集

Concertos_20210803085801アンドラーシュ・シフが、尊敬する師匠のシャーンドル・ヴェーグ指揮するザルツブルク・モーツァルテウム・カメラータ・アカデミカを相方に指名して録音した全集盤を聴いた。ただし、他の作曲家の作品を編曲した「パスティーシュ」である第1番から第4番までと、3台、2台ピアノのための第7番、第10番は含まれない。

録音は1984年から93年にかけて行われ、当時シフは30歳台、ヴェーグは70歳代と、親子ほども年が離れたコンビだが相性はぴったりである。どの曲も端正、典雅にして愉悦感に溢れた演奏が貫かれていて、清澄にして深遠な最後の第27番でもどこか人間的な温もりを感じさせ、またやや通俗的な匂いのする第21番や第26番でも気品を失わないところが素晴らしい。

第25番、第26番のカデンツァはシフ自作のものだが、歌劇「フィガロの結婚」の音楽(序曲やアリア「もう飛べまいぞこの蝶々」)を引用する部分がある。モーツァルト自身もそんな遊びをしていた可能性が高いと思われ、「モーツァルトのピアノ協奏曲の演奏には彼のオペラに関する知識が不可欠だ」というシフの持論を実践している。

なお、カメラータ・アカデミカという楽団は、パウムガルトナーやハーガーらが首席指揮者を務めたザルツブルク・モーツァルテウム管弦楽団とは別の団体である。この楽団についてシフは先日読んだ『静寂から音楽が生まれる』の中で、「彼(ヴェーグ)自身の楽器」「彼の四重奏団の延長のようなもの」であり、「ヴェーグの教え子たちによって演奏されるヴァイオリン・セクションは魔法のように均質に響」いたと書いている。

それに加えて管楽器もやたらに巧いので驚いていたら、同書の中でシフが種明かしをしてくれている。「このオーケストラは弦楽合奏団だったから」「最上の管楽器奏者の補強が必要」だったので、親友のハインツ・ホリガー(注・世界的なオーボエ奏者)に助けを借りたら、フルートのオーレル・ニコレ、クラリネットのエルマー・シュミット、ファゴットのクラウス・トゥーネマン、ホルンのラドヴァン・ヴラトコヴィチなどを連れてきてくれたというのだ。そりゃ、巧いはずだわ!

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2021/08/03

病気の現状

今年3月に抗癌剤が変わって、最初は重い副作用で入院騒ぎになってしまったが、その後は副作用も徐々に軽くなり、肝臓癌の進行をある程度は抑えられている。

ただ、今の薬の効力がいつまでも続くわけではなく、そうなるとまた別の薬を試すことになるけれども、いずれは抗癌剤治療の限界がやってきて、いったん黄疸症状が出始めるともう投薬は不可能になり、緩和ケアに移行することになる。

それは大体いつごろになるのか、先日の診察で主治医に目安を尋ねたところ、「もう年の単位ではなく、月単位で考えて下さい」とのことだった。簡単に言えば「余命1年以内」ということである。問題はあくまで肝臓の癌だけれど、肺にもまだ小さいながら転移が出始めているという。

おおかた覚悟していたとおりで、この期に及んでジタバタするつもりはない。夏の暑さに我慢するのもこれがたぶん最後かと思うと、汗かきで暑がりの自分には有難いぐらいだ。コロナの災禍と五輪の狂騒が同時進行する、異常な最後の夏をせいぜい楽しみたい。

また、1日にはコロナワクチン1回目の接種を受けた。当市では準備に相当手間取っていて、「基礎疾患あり」の優先予約でもようやくこの時期になったのだが、受付や問診で「疾患」についての詳しい確認は求められなかった。自称「基礎疾患あり」でもスルーできてしまうのではないか。

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