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2021/07/31

『キネマの神様』

Kinekami原田マハ著。版元の紹介文。

39歳独身の歩(あゆみ)は、社内抗争に巻き込まれて会社を辞める。歩の父は趣味は映画とギャンブルという人で、借金を繰り返していた。ある日、歩が書いた映画に対する熱い思いを、父が映画専門誌「映友」のサイトに投稿したことから、歩は編集部にスカウトされる。だが実は、サイトの管理人が面白がっていたのは父自身の文章だったことが判明。「映友」は部数低迷を打開するために、また歩は父のギャンブル依存を断つために、父の映画ブログ「キネマの神様」をスタートさせた——。(引用終わり)

来月封切りの同名映画の原作ということで手に取った。この作家の作品は初めて読んだが、著者自身「導入部から三分の一はほぼ自分の体験に基づいて描いている」という物語にいきなり引き込まれた。六本木ヒルズを思わせる「アーバンピーク東京」のキャリアウーマンから一転、父が勤めるマンション管理人の仕事を手伝うことになった歩の境遇には同情を禁じ得ない。

物語の後半は、歩の父が「ゴウ」の名でブログに書いた映画評に対し、「ローズ・バッド」という謎の人物から的確かつ辛辣なレスポンスが投稿され、その遣り取りが評判となって「映友」も勢いを取り戻すが、実はその人物とは…という展開となる。著者が「残りの三分の二は完全なファンタジーだ。(中略)こんなあたたかい奇跡が起きればいい」と述べているとおり、もしこんなことが起きたら素晴らしいなという、美しき絵空事の世界だ。

登場人物がいずれも根は善人ばかりで、そのほとんどが映画好きという設定に少々甘さを感じたものの(渡米した歩の友人・清音が実は悪党かもしれないと最後まで期待していたが・笑)、映画好きという一点だけで人と人がこれだけ共感し、連帯できるのだというストレートな物語には、有無を言わせぬ迫力がある。普段あまり映画を観ないという著者が創作した、(少なくとも素人目には)玄人跣の映画評にも驚かされた。

ただ、この原作と映画の公式サイトで紹介されている「ストーリー」とはだいぶ異なる。映画のシナリオに沿った「ディレクターズ・カット」という「もうひとつの物語」も刊行されているようなので、そちらも読んでみたくなった。

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2021/07/28

『グレン・グールド 天才ピアニストの愛と孤独』

Gould2009年、カナダ。KINENOTE の紹介文(抜粋)。

グレン・グールドは、1955年のデビュー録音「ゴルトベルク変奏曲」が斬新な解釈と演奏でベストセラーとなり、一躍時代の寵児になった。真夏でも手袋とマフラーを手放さない。異様に低い椅子に座り、歌いながら演奏する。64年以降は一切のコンサート活動をやめ、レコードと放送だけの演奏活動を続けた。そうしたエキセントリックな言動ばかりが取りざたされる一方、並外れた演奏技術と高い芸術性を持つ演奏で人々を魅了した。本作はその才能とともに、グールドを愛した女性たちの証言など未公開の映像や写真、プライベートなホーム・レコーディングや日記の抜粋から、ひとりの人間としてのグレン・グールドの実像に焦点を当てる。(引用終わり)

バッハをはじめとするグレン・グールドの録音は何度も聴いて、その度に他のどんなピアニストとも異なる演奏に感嘆するばかりだが、グールド本人の人物像についてはご多分に洩れず、奇矯な言動とかコンサート活動の拒否といった事象から抱く「天才だけど一種の変人」というイメージしかなかった。

しかし、一見気難しくて取っつきにくい彼の素顔は実は意外に普通で、ただ人付き合いが苦手だったに過ぎないことが、本作を観てよく分かった。これまで公になることがなかった恋人との経緯が本人の口から語られていて、一時は真剣に結婚しようと考えていたものの、グールドの病気(心気症)のせいで実らなかったという。

これもまた意外だが剽軽な面も有していて、架空の人物に変装してみたり、動物園の象に向かってマーラー「子供の不思議な角笛」の「魚に説教するパドヴァのアントニウス」を歌って聞かせるといった映像が紹介されている。

ところで、彼独特の各音の粒立ちが良い演奏については、チリ出身のアルベルト・ゲレーロという教師から伝授された「フィンガー・タッピング」奏法によるという説明があった。簡単に言うと指を持ち上げることなく、指先だけで鍵盤を叩くような奏法らしい。詳しくは青柳いずみこ氏による解説を参照されたい。

しかし、この奏法ゆえにあの低い椅子と猫背の姿勢があり、またこの奏法によるレパートリーの制約ゆえにコンサート活動から引退したという青柳氏の解説には目から鱗の思いがした。ちなみに、演奏しながら歌う癖は、幼い頃に母(祖父がグリークの従弟に当たるらしい)からピアノを教わったときの習慣が抜けなかったからだという。

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2021/07/25

『キネマの天地』

Kinema1986年、松竹。山田洋次監督。渥美清、中井貴一、有森也実ほか。紹介文。

昭和8年(1933)の春、浅草の活動小屋で売り子をしていた田中小春は、松竹キネマの小倉監督に見出されて、蒲田撮影所の大部屋女優となった。さっそくエキストラ出演した現場で小倉監督から怒鳴られて自信喪失しながらも、助監督・島田の励ましもあって、着実に女優の道を歩み始めていく小春。やがて大作『浮草』に主演するはずだったトップスター川島澄江が恋人とともに失踪。彼女の代打として小春が大抜擢されるのだが……。(引用終わり)

これも、近日封切りの『キネマの神様』の予習を兼ねて観てみた。『…神様』は松竹映画100周年記念、こちらは大船撮影所50周年記念ということで、社史代わりみたいにまた映画を作ってしまうところが松竹らしい。

冒頭に挙げた以外にも、倍賞千恵子、前田吟、松本幸四郎(現白鸚)、岸部一徳、柄本明、桃井かおり、平田満ら、文字通りオールスターキャストを贅沢に起用、笠智衆や藤山寛美といった大御所までがチョイ役で駆り出されている。

小春役は当初予定されていた藤谷美和子が降板し、新人の有森也実が急遽抜擢されるという、映画のストーリーを地で行くような経緯があって、その面でも話題になった。当時19歳の有森の初々しい可憐さが、本作の人気の相当部分を占めているように思う。

内容的には、「映画好きによる、映画好きのための、映画の映画」といった作品で、楽屋オチみたいなシークエンスも多い。財津一郎扮する刑事がマルクス兄弟を知らずに頭を捻るシーンは笑える。

一見華やかに見える映画界だが、その舞台裏では多数の人間が日夜汗水垂らして奮闘していて、そこにまた人間臭いドラマがあったりするのだ。それをそのまま映画にしてしまったという意味では画期的な作品であろう。

さて、次の『キネマの神様』はどんな「シャシン」に仕上がっているだろう。今から楽しみだ。

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2021/07/22

『静寂から音楽が生まれる』

491548アンドラーシュ・シフ著。版元の紹介文。

今日世界でもっとも注目を集める音楽家の一人であり、日本における人気と注目度も極めて高いピアニスト、アンドラーシュ・シフのインタビュー&エッセイ集。第1部では、自身の芸術家としての基本姿勢、演奏技法と解釈の方法、そしてピアニストおよび指揮者としてのさまざまな経験について語り、第2部では、円熟した巨匠の素顔と音楽への深い洞察が、ユーモアやウィットに富んだ繊細な筆致で紡がれる。(引用終わり)

このところの「シフ三昧」の一環で、大変興味深く読むことができた。

第1部の冒頭、インタビュアーがいきなり「あなたにとって音楽とは」という紋切り型の質問をしたのに対し、シフがこう答えることによって本書はスタートする。

はじめに静寂があり、静寂から音楽が生まれます。そして、音響と構造からなる実にさまざまな現在進行形の奇跡が起こります。その後、ふたたび静寂が戻ってきます。つまり、音楽は静寂を前提としているのです。

一方、第2部の最後はコンサートにおけるアンコールについて書かれた「付言」となっているが、例えばベートーヴェン最後のピアノソナタ、ハ短調作品111にアンコールなど不要とし、「あるのは静寂だけでよいのです」と、巻頭との見事な照応を見せて本書を締め括っている。

実に深い含蓄をもった言葉だと思う。確かにシフの演奏を聴いていると、再弱音の奥に秘められた静謐さとか、休止符によってこそ表現される音楽内容といったことを意識させられることが多い。

そんな彼だから、第2部の「聴衆のための十戒」というエッセイの中で、聴衆も沈黙を保つことを厳しく求め、とりわけ「拍手をするのが早すぎてはなりません」という10箇条目を最も強調している。それも詰まるところ「音楽が静寂に始まり静寂に終わる」からである。

実際、彼のCDはトラックの冒頭すぐに音楽が始まらない。ライヴ録音された「ゴールトベルク変奏曲」では何と11秒も経ってようやく第1音が聴こえる。また、演奏の後もかなりの秒数の余白が置かれていて、その部分も含めての音楽なのだということを如実に表している。

ほかにも、ハンガリー生まれのユダヤ人として、決して幸福ではなかった幼少期の記憶(「人生の中でハンガリーを故郷と思ったことは一度もない」という告白は胸を打つ)や、尊敬する作曲家や教師たち、名演奏家との思い出など、いずれも彼の血となり肉となった経験が率直に語られていて興味が尽きない。

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2021/07/19

シフのベートーヴェン・ピアノソナタ全集

Schiffアンドラーシュ・シフというピアニストについて、名前は知っていたものの、これまでほとんどその演奏を聴いたことはなく、言わばノーマーク状態だった。今そのことを大変後悔している。

先日のバレンボイムのリサイタルを前に、ベートーヴェンの最後の3つのソナタの聴き比べをしたのだが、ケンプやゼルキン、ポリーニよりも印象に残ったのが、ECMという聞きなれないレーベルから出ているシフのCDだった。

まずもってフォルティシモでも全く濁ることのない美しい音に魅了された。解釈は極めてオーソドックスながら、端正にして微細なニュアンスに富んだ演奏は、最後まで聴き手の心を捉えて離さない。音楽に内在する運動法則にピタリと寄り添い、寸分も外さない演奏とでも言うべきか。

最後の3つのソナタのみ客を入れないセッション録音であるが、それ以外は全てチューリヒ・トーンハレにおけるライヴ録音であることに更に驚かされる。会場の雑音はほとんどなく、もちろんフライング拍手など無縁で、スイスの聴衆のレベルの高さを窺わせる。そういう聴衆あってこそ、演奏家の集中力も高まるというものだろう。ドイツの新興レーベルECMの録音も極めて優秀である。

さて、シフはベートーヴェンのほか、バッハ、モーツァルト、シューベルトといった独墺系の作曲家を主要なレパートリーにしているようで、目下様々なCDを取寄せては聴いている。さしずめ「シフ三昧」の日々を過ごしているといったところだ。

残り少なくなった時間の中で、こうしたアーティストに出会えた(その価値を認識したと言うべきか)のは正に僥倖と言うべきだろう。ただ、他にもそんな演奏家が何人もいるかもしれないと考えると、ちょっと悩ましくなってくる。

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2021/07/16

『虹をつかむ男』

Odeon1996年、松竹。山田洋次監督。西田敏行、吉岡秀隆、田中裕子ほか。allcinema の紹介文。

職もなく、親とケンカして家を出た平山亮は、旅の末、徳島の小さな町に辿り着く。亮はそこで無類の映画好き白銀活男が経営する古ぼけたオデオン座という映画館でアルバイトとして働き始める。活男は幼馴染みの未亡人・八重子に惚れていたが、それを口にすることはなかった。そんな活男を亮は叱咤するのだったが……。(引用終わり)

自慢ではないが、『男はつらいよ』シリーズの寅さん映画は1本も観たことがない。「お前はそれでも日本人か!」と言われそうだが、多くの人が観るものは観ないという天邪鬼な性分ゆえのことで仕方ない。

それでも、渥美清の死去で打ち切りとなった同シリーズの後継作として製作された本作を観てみようと思い立った理由は、先日の旅行で訪れた徳島県美馬市の脇町劇場(オデオン座)でロケが行われたことを知ったからである。

現在では昔の芝居小屋に復元されたオデオン座は、かつては映画館(いわゆる名画座)として使用されていた。そこを舞台に繰り広げられる、映画愛に溢れた主人公活男と地元の人々の映画を通じた交流が、ちょっとほろ苦いロマンスを絡めて人情味たっぷりに描かれている。

中でも往年の名作映画の引用や、活男による身振り手振りの解説が出色で、それが本作のストーリー展開にもうまく絡んでいるところは、山田監督自身の映画愛のなせるわざであろう。

映画を観終わっての感想を口々に語る人々の上気したような表情。「これから飲みに行こう!」などという声も聞こえるが、映画にまつわるそんな風景はもう過去のものとなった。ネット配信や何とかプライムの普及で過去の名画が家で簡単に観られる今日、名画座などという「コヤ」はもはや絶滅危惧種のような存在だろう。

ところで、本作を観たもう一つの動機は、この作品の関連でもある(結局そこかい・笑)。

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2021/07/13

『ライオンのおやつ』

Lion_20210709210401小川糸著。タイトルとポプラ社刊ということから、子供向け絵本かその原作と誤解してしまいそうだがそうではない。瀬戸内海に浮かぶ風光明媚な通称「レモン島」にある緩和ケア施設(ホスピス)「ライオンの家」にやって来た、末期癌患者の33歳女性を主人公とする、かなりシリアスな内容の小説である。版元紹介文。

男手ひとつで育ててくれた父のもとを離れ、ひとりで暮らしていた雫は病と闘っていたが、ある日医師から余命を告げられる。最後の日々を過ごす場所として、瀬戸内の島にあるホスピスを選んだ雫は、穏やかな島の景色の中で本当にしたかったことを考える。ホスピスでは、毎週日曜日、入居者が生きている間にもう一度食べたい思い出のおやつをリクエストできる「おやつの時間」があるのだが、雫は選べずにいた。(引用終わり)

当初は同居者の死に立ち会ってショックを受けるなど、雫はいずれ自分も死を迎えることを受け入れられずにいた。しかし、島の美しい自然環境に癒される一方で、代表者のマドンナをはじめとするスタッフやボランティアの心温かいケア、偶然に知り合った島の青年田陽地(タヒチ)との出会いなどを通じ、次第に心の整理がついてくる。

いくらジタバタしても、自分で命のありようを決めることはできない。結局、なるようにしかならないのだ。そのことをただただ体全部で受け入れて命が尽きるその瞬間まで精一杯生きる。一日、一日を、ちゃんと生ききること。ちょうど端から端までクリームがぎっしり詰まったチョココロネみたいに、ちゃんと最後まで人生を味わい尽くすこと。これが彼女の目標となる。

モルヒネの服用や夜間セデーション(鎮静剤)といった処置で苦痛をコントロールしながら、充実した最後の日々を過ごした彼女のもとを、会いたくても会えなかった大事な人たちが訪ねてきて、念願の「おやつ」を振舞うことも出来た。

その後、奇跡的にその次のおやつの時間にも参加した雫はついに最期を迎える。臨終の言葉は「ごちそうさまでした」。最後まで人生を味わい尽くした彼女に相応しい言葉だ。

ところで、『ライオンのおやつ』というタイトルの意味だが、ライオンは百獣の王で、敵に襲われる心配なく、安心して食べたり寝たりすればよい。入居者はみな百獣の王であり、彼らの思い出の「おやつ」は、心の栄養、人生へのご褒美というわけだ。

含蓄のあるタイトルだけど、さて自分にとってのそれは一体何だろう。甘党ではないのでお菓子は思い当たらない。強いていえば王将の餃子だろうか。(笑)

ところで、現在NHK-BSでドラマ版『ライオンのおやつ』が放送されている。ロケ地はどうやら八丈島らしいが、美しい風景に癒されながら毎回楽しみに観ている。

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2021/07/10

『楽園』

Rakuen1_202107060845012019年、製作委員会。瀬々敬久脚本監督。KINENOTE の紹介文。

ある地方都市で起きた幼女失踪事件は、家族と周辺住民に深い影を落とした。それをきっかけに、知り合った孤独な青年・豪士(綾野剛)と、失踪した少女の親友だった紡(杉咲花)は、不幸な生い立ち、過去に受けた心の傷、それぞれの不遇に共感し合う。だが、事件から12年後に再び同じY字路で少女が姿を消す。一方、その場所に程近い集落で暮らす善次郎(佐藤浩市)は、亡くした妻の忘れ形見である愛犬と穏やかな日々を過ごしていたが、ある行き違いから周辺住民といさかいとなり、孤立を深める。次第に正気を失い、誰もが想像もつかなかった事件を引き起こす。(引用終わり)

吉田修一の短篇集『犯罪小説集』の2篇を原作とする作品。ひとつは幼女失踪事件を扱った『青田Y字路』、もうひとつは限界集落で起きた連続殺人事件を描く『万屋善次郎』である。

両者はそれぞれ栃木と山口で実際に起きた事件を題材にしたとされるが、地方の閉鎖的なコミュニティにおける事件の顛末をリアルに描いたという共通項があり、瀬々監督が原作者の了解のもとに両者を合体させた脚本を書いたという。

外国人差別や限界集落といった問題は、今や全国至るところにある問題であり、こうした事件はそれこそどこでも起こりうる。本作では描かれていないが、ネットでの誹謗中傷があっという間に拡散される昨今、特定の個人を集中攻撃して追い詰めるといった事態は頻繁に発生している。

その恐ろしさと対極にある「楽園」というタイトルはある種の皮肉だろうか。日本という「楽園」を目指した外国人労働者は、そこが決して楽園などでないことを思い知る。一方で、失踪事件を巡る自責の念に苛まれていた紡は、幼なじみの青年から「紡は、俺たちのために楽園つくれ」と励まされたことで心境が変化する。救いのない陰惨な内容のこの映画にあって、そこに唯一の微かな希望の光を見出すことが出来るだろう。

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2021/07/07

大島康徳氏最後のメッセージ

先月30日に大腸癌のため死去した元日本ハムファイターズ監督の大島康徳氏が、公式ブログ「この道」に残した最後のメッセージに心打たれた。野球人としての人生に満足している旨を述べた前半に続いて、彼はこう述べている。(原文の行間と写真は割愛)

これ以上何を望む?
もう何もないよ。
幸せな人生だった
命には
必ず終わりがある
自分にもいつか
その時は訪れる
その時が
俺の寿命
それが
俺に与えらえた運命
病気に負けたんじゃない
俺の寿命を
生ききったということだ
その時が来るまで
俺はいつも通りに
普通に生きて
自分の人生を、命を
しっかり生ききるよ
大島康徳
(引用終わり)

同じ病気を抱える者として、まさにかくあるべしと見習いたくなる、見事な辞世である。そう、人は誰でもいつかは死ぬ。その時、彼のように満足して逝けるかどうかこそが重要なのだ。遺産や勲章、葬儀の規模などどうでもいいことだ。

余命何か月と告げられて、この映画のようにそれまで果たせなかった願望を実現させるのも良いかもしれない(カネが許せばだけど・笑)。しかし、死の直前になってジタバタすることなく、彼のように「いつも通りに普通に生き」るのも清々しくて良いではないか。

現役選手としては83年に本塁打王を獲得、90年には2千本安打を放って名球会入りを果たした。引退後は日本ハムの監督やWBC日本代表の打撃コーチを務め、死の直前まで野球解説者として野球の仕事に携わり続けた。最後まで自分のポリシーを貫いた、天晴れな生涯だったのではないか。改めてご冥福を祈る。

9日追記
氏のブログが奥様によって更新され、自宅ではなく病院(緩和ケア病棟)で眠るように亡くなられたこと、家族がそこでの最期を「静かに、穏やかに、笑顔で」見送ったことが、淡々と、しかし万感の思いを籠めて書かれている。まさに「かくあるべし」である。

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2021/07/04

香川・徳島の旅 その3 徳島

讃岐山脈越えの国道193号は意外にアップダウンが少なく、トンネルはひとつもない。山脈と言っても、山が壁のように連なっているのではなく、浸食が進んで山と谷が入り組んだ地形になっているためだろう。古くは塩江街道と呼ばれ、昔から人や耕作牛の往来が盛んだったようだ。

四国三郎こと吉野川に向かって下っていく風景に既視感がある。和歌山県北部を流れる紀ノ川流域と地形が瓜二つなのだ。それもそのはず、吉野川と紀ノ川は、紀伊水道を渡って連続する中央構造線に沿った谷あいを、東西逆向きながら紀伊水道に向かってほぼ直線的に流れているのだ。紀ノ川が上流の奈良県内では吉野川と呼ばれるのも、こうしてみると単なる偶然とは思えない。

ブラタモリ的な感想はこれぐらいにして(笑)、塩江から半時間ほどで徳島県美馬市脇町に到着。「うだつの町並み」として整備された地区は、国の重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)に指定されている。

出世できずパッとしない人のことを「うだつが上がらない」と言うことがあるが、「うだつ(卯建)」とは隣家との境界に取り付けられた土造りの防火壁のことで、これを造るには相当の費用がかかったため、裕福な家しか設けることができなかったことに由来する。かつて藍の取引で栄えた脇町は、「うだつが上がった」家がズラリと並んでいるというわけである。

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街並みの一角に脇町劇場(オデオン座)が鎮座している。昭和9年に芝居小屋として開業、戦後は映画館として地域住民に親しまれたが、映画の斜陽化と建物の老朽化のため平成7年に閉鎖、取り壊される予定だったところ、翌平成8年公開の松竹映画『虹をつかむ男』のロケ地となったことで脚光を浴び、創建当初の姿に修復されたという。

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外見は古びているが、平成になって修復された内部はよくメンテされていて、連続テレビ小説「おちょやん」さながらの芝居小屋の風情を今に伝えている。今はコロナのため採算が取れる客数を入れられず(定員250名)、公演が打てないのが残念だと、芝居への熱い情熱が感じられる係員が嘆いていた。

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古い町屋を改造したカフェで一休みして、徳島自動車道経由で徳島市内に向かう。ホテルにチェックインするにはまだ時間があったので、徳島の代名詞のような眉山(びざん)に上がってみた。徳島市を東西に横切る四国三郎の雄大な流れが見える。

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ホテルに着くと駐車場に横浜F・マリノスの専用バスが止まっていた。翌日の徳島ヴォルティスとの試合を控え、チーム一行が同じホテルに投宿していたのだ。ロビーやエレベーターで選手らしき人たちをまぢかに見たが、サッカーファンではないので誰が誰やらさっぱり分からない。(苦笑)

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翌日は「とくしま動物園」に出かけた。旅先でわざわざ動物園を訪れたのは、他に行きたい場所がなかったこともあるが、この子たちに会いたかったからだ。

Capibara

飼育されているカピバラの数は94匹(昨年末時点)と日本で一番多い。2位の伊豆シャボテン動物公園(27匹)の実に3倍以上である。のんびり餌を食み、悠然と歩き泳ぐ彼らの姿に旅の疲れを癒し、和歌山行きの南海フェリーに乗り込んで帰路に就いた。

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2021/07/01

香川・徳島の旅 その2 香川

高松市内のアパートで息子と合流し、夕闇が迫る中を三豊市の父母(ちちぶ)が浜に急ぐ。ガラガラの高速道路を飛ばして、何とか日没時刻までに現地に到着した。その理由は、こういう写真を撮りたかったからだ。

Uyuni

そう、「日本のウユニ塩湖」として、何とか映えすることで有名になった浜である。干潮、日没に加えて晴天無風という条件が揃わないと本当にいい写真は撮れないが、晴天以外の条件は揃っていたので、何とかそれらしい画になったのではないか。モデルは家内であるが、薄暗い上にマスクなので修整不要だ。(笑)

高松市内に戻ってホテル近くの居酒屋で遅い夕食をとる。1日のコロナ感染者がひと桁台の香川では、飲食店は全く普通に営業している。ホテルのベッドにもぐりこんだのは日付が変わる直前だった。

翌日は「高松の奥座敷」と呼ばれた温泉保養地の塩江(しおのえ)を経由し、さらに讃岐山脈を越えて一路徳島を目指す。

当然ながら温泉に入るのが目的ではない。昭和16年に廃線となった琴平電鉄塩江線の廃線跡を探訪するためである。以前なら起点の仏生山(ぶっしょうざん)駅から全行程を走っていたところだが、今はもうそんな体力はない。遺構が残る一部箇所だけを車で訪れるのが精一杯だ。

中村駅のホーム跡はお墓になっている。

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中村トンネル。今も生活道路の一部として使われている。

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トンネル東側に残る橋脚跡。線路は香東川に迫り出すような形で通っていたようだ。

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塩江美術館脇の遊歩道は、もしかすると塩江線の廃線跡かもしれない。

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道の駅「しおのえ」隣、「行基の湯」の屋外に無料の足の湯があったので、浸からせてもらった。行基が発見したという開湯伝説が残る温泉は全国に数多いが、ここもそのうちのひとつである。

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「その3」に続く。

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