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2021/06/12

ダニエル・バレンボイム ピアノリサイタル

7日、フェスティバルホール。緊急事態宣言下の大阪でよく開催できたものだ。満席でも2700席なので「上限5000人」の基準はクリアするが、「収容定員の50%」の方はどう見ても超えていた。

しかし、演奏中は誰も喋らない(物音を立てただけで睨まれる)クラシックのコンサートを、野球やサッカーと同じ基準で律すること自体が不合理と言うべきだろう。

演奏曲目(Bプロ)はベートーヴェンのピアノソナタの最後の3曲、すなわち第30番ホ長調作品109、第31番変イ長調作品110、そして第32番ハ短調作品111である。

今回の来日公演は「ベートーヴェン ピアノ・ソナタの系譜」という副題が掲げられ、東京公演初日はAプロとして最初の4つのソナタが演奏される予定だったが、いかなる理由か当日は最後の3つのソナタが演奏されるハプニングがあったそうだ。また、当初Bプロの予定だった名古屋公演は、第9番から第12番のCプロに変更されたという。

それはともかく、バレンボイムにとってベートーヴェンのソナタはライフワークであり、映像を含めこれまで実に5種類のピアノソナタ全集を録音しているほどである。80年代初頭にパリで録音されたDGの旧全集は、私の現在の愛聴盤となっている。

コロナの前はベルリンのピエール・ブーレーズ・ザールでソナタ連続演奏会を開いていたことは知っていて(これが最新の全集盤に結実したようだ)、現地に行って聴ければどれだけいいかと夢想していたが、まさか本人が緊急来日してリサイタルを開いてくれるとは思わなかった。

さて、肝心の演奏内容は、ひとことで言えば「円熟の芸」と呼ぶに相応しいものだった。80年代の全集盤ではダイナミクスの幅が大きく、スケール感豊かな表現で聴く者を圧倒するような演奏を繰り広げていたが、今回聴いたのは、別人とは言わないまでも、かなり趣きを異にする演奏内容だった。どちらが良い悪いという問題ではない。どちらもアリで、どちらもバレンボイムなのだ。

具体的に言えば、 にもう以前のような轟音の迫力はないけれども、同じpp の中でのタッチや表情が無限に変化することで、単なるダイナミクスの変化とは次元を異にする表現の多様性を生み出している。ハ短調ソナタ終楽章の最後、弱音のトリルがさらにディミニュエンドして、アリエッタの主題が還ってくるところは思わず息を呑んだ。

突飛な譬えを許していただくならば、若い頃は剛速球で鳴らし、打者の胸元を突く直球でのけ反らせるかと思えば、同じ腕の振りでフォークを投じて打者をきりきり舞いさせていた投手が、年齢を重ねて球威の衰えは隠せなくなったものの、ストライクゾーンの中でのボール半個分の出し入れといった精密なコントロールで勝負するようになった、とでも言うのだろうか。

フェスティバルホールの大きな空間の中で、こうした微細なニュアンスを表現できるのは驚異的ですらある。ベートーヴェンのソナタを知り尽くし、長年に亘り世界各地のホールで演奏活動を続けてきたバレンボイムならではの至芸と言うしかないだろう。

鳴りやまぬ拍手に何度も丁寧なお辞儀で応える巨匠。しかし、「ブラヴォー」の声が多いとみるや唇に指を当てて制止したり、最後は「今日はこれでお終い」とばかり鍵盤の蓋を閉めてステージから去るなど、ちょっとお茶目なところも見せて人間味を感じさせてくれた。

コンサートに足を運ぶのはもしかするとこれが最後になるかもしれないが、それに値するだけの一期一会の素晴らしいコンサートだった。

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