『お葬式』
1984年、伊丹プロダクションほか。伊丹十三脚本、監督。山﨑務、宮本信子、菅井きんほか。Wikipedia の紹介文。
ある日、俳優の井上侘助と妻で女優の雨宮千鶴子は夫婦共演のCM撮影を行っていたが、そこに突然連絡が入る。千鶴子の父・真吉が亡くなったのだ。親族代表として葬式を出さなくてはならなくなった侘助はマネージャー里見の助けを借りつつも途方に暮れる。千鶴子の母・きく江や千鶴子の妹・綾子夫婦、そして真吉の兄・正吉とともに遺体を伊豆の別荘に運び、お通夜の準備に取り掛かる。葬儀屋・海老原とともに、お通夜当日の朝を迎える侘助達。付人も応援に駆け付けたが、そこには喪服を着た侘助の愛人・良子もいた。(引用終わり)
公開当時に一度観た記憶があるが、当時まだ26歳になったばかりで、親の葬儀を出すなんて想像すら出来なかった。それがいま、実際にそれを体験したあとで再び本作を観ているのが不思議な気がする。
本作が公開された昭和末期当時、今のような葬儀専用の会館とかホールはまだ多くなかったと思う。葬儀は町内の集会所とか、本作のように自宅で出すのが普通だった。祭壇や受付など会場のセットから始まり、通夜や葬儀のあとの振舞いまで、遺族親族はまさにテンテコ舞いだった。「お葬式」は、今とは比較にならないほどの一大行事だったのだ。
実はその感覚がなければ、基本的に「葬式あるある」である本作の面白さは十分に伝わらず、登場人物たちへの感情移入も中途半端に終わってしまうように思う。畳にじっと正座したまま長いお経を聞いている辛さは、経験した者にしか分からないだろう。
もっと後の世代になれば、「昔のお葬式はこんなだった」という史料的価値すら帯びる可能性があり、伊丹十三の残したこの映画の存在は不滅と言えるかもしれない。本作の後も『タンポポ』『マルサの女』など斬新な作品を連発しながら、唐突にして不可解な転落死を遂げた才人の早世が惜しまれてならない。
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