『Fukushima50』
2020年、製作委員会。佐藤浩市、渡辺謙ほか。公式サイトの紹介文。
マグニチュード9.0、最大震度7という巨大地震が起こした想定外の大津波が、福島第一原子力発電所(イチエフ)を襲う。浸水により全電源を喪失したイチエフは、原子炉を冷やせない状況に陥った。このままではメルトダウンにより想像を絶する被害をもたらす。1・2号機当直長の伊崎ら現場作業員は、原発内に残り原子炉の制御に奔走する。全体指揮を執る吉田所長は部下たちを鼓舞しながらも、状況を把握しきれていない本店や官邸からの指示に怒りをあらわにする。しかし、現場の奮闘もむなしく事態は悪化の一途をたどり、近隣の人々は避難を余儀なくされてしまう。
官邸は、最悪の場合、被害範囲は東京を含む半径250㎞、その対象人口は約5,000万人にのぼると試算。それは東日本の壊滅を意味していた。残された方法は“ベント”。いまだ世界で実施されたことのないこの手段は、作業員たちが体一つで原子炉内に突入し行う手作業。外部と遮断され何の情報もない中、ついに作戦は始まった。皆、避難所に残した家族を心配しながら―(引用終わり)
大震災と原発事故から10年ということでWOWOWで放映されていたので観てみた(昨日地上波でも放映された)。オープニングの字幕に「事実にもとづく物語」とあって、確かにその通りの作品である。「事実」100%だけで作られたのではなく、そこに何がしかの「物語」が織り交ぜられている。
ただ、その辺りが何となく中途半端な感じを与えるのは否めない。NHKなどが作るドキュメンタリー番組ではなく、あくまで劇場公開の商業作品なので仕方がないとはいえ、それが本作のドキュメンタリーとしての水準の高さゆえのことだとしたら残念なことだ。「事実」だけをもって語らせる、という手法もありえたと思う。
そこは措くとしても、発電所内部をほぼ忠実に再現したセットを使った映像はリアリティに溢れ、混乱を極めた現場の雰囲気がひしひしと伝わる。ほとんど知られることのなかった事故直後の現場の実態を再現し、記録しようとしたところにこそ、本作の意義があるのだと思う。
佐藤浩市、渡辺謙の主役二人がさすがの貫禄を見せ、名前を挙げるとキリがないほど豪華な脇役陣も健闘している。「イラ菅」と呼ばれた当時の総理を佐野史郎が熱演すれば、吉岡秀隆がひとり号泣するシーンだけで存在感を示す。東電本店・小野寺常務役の篠井英介は、お約束の憎まれ役が板に付きすぎて笑ってしまったが。
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コメント
ノンフィクション作家門田隆将著「市の淵を見た男」、この映画の原作ですが吉田所長をはじめ最後まで残った人々に直接取材し生の声を集めたドキュメンタリは強烈な使命感と家族への思いを含み相当の迫力で迫ってきます。映画「Fukushima50」はややドラマ仕立てになり評論家の評価は厳しいですが劇場映画では致し方ないところ。格納容器破壊という最悪の事態を覚悟し最期まで所内に残り奮闘する人々の姿は胸が締め付けられました。
しかし感情とは切り離して真実を知る事は大切です。この物語の結論を知るのにはまだまだ時間がかかりそうです。
投稿: ブッちゃん | 2021/03/21 11:48
ブッちゃん
広く一般の人々に観てもらうためには、
「物語」の要素も止むを得ないかと思います。
現実に起きた放射能汚染は確かに深刻ですが、
「現実には起きなかった」格納容器破壊という
事態の恐ろしさを改めて認識する意義もあります。
投稿: まこてぃん | 2021/03/22 18:28