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2020/11/28

『リチャード・ジュエル』

Jewel2019年、米。クリント・イーストウッド監督。Wikipedia の紹介文。

1996年7月27日、警備員のリチャード・ジュエルはアトランタ五輪の会場近くの公園で爆発物を発見した。リチャードの通報のお陰で、多くの人たちが爆発前に避難できたが、それでも2人の死者と100人以上の負傷者を出す大惨事となった。
マスメディアは爆発物の第一発見者であるリチャードを英雄として持ち上げたが、数日後、地元紙が「FBIはリチャードが爆弾を仕掛けた可能性を疑っている」と報じた。それをきっかけに、マスメディアはリチャードを極悪人として糾弾するようになった。
FBIはリチャードの自宅に2回も家宅捜索に入り、彼の知人たちにも執拗な聞き込みをするなど常軌を逸した捜査を行った。ジュエルはかつての職場で知り合った弁護士ワトソン・ブライアントを呼び出し、彼と共にこの理不尽な状況と対峙していくことになる。(引用終わり)

リチャードは大変正義感が強く、一時は副保安官の職に就いていた。警備員の薄給で老母を養う今も、いずれは警官になりたいと願っているが、FBIはそうした彼の性向をある種の英雄願望と結び付けて嫌疑を強める一方、事情聴取での彼の協力を引き出す材料にしたりもする。

状況証拠だけで被疑者を拘束し、誘導尋問で自供を引き出そうとする杜撰な捜査を、あのFBIが本当に続けたとは信じがたいが、その情報がリークされてマスメディアの餌食になった瞬間から、リチャードは英雄から極悪犯罪人へと境遇が一変する。

もし同じような事件が、人々の情報網がSNSなどを含めて多様化する一方で、現職大統領がマスメディアを「フェイクニュース」と平気で断じる現在に起きていたらと思うと、真偽入り乱れた情報の混乱は想像すらつかない。

1996年に実際に起きた事件を題材に取りながら、イーストウッド監督が突き付けているのは、まさに現代に生きる我々が本当の意味での情報の取捨選択能力を持ち得ているのか、もしそうでないならどうすれば良いのかといった深刻な課題であると思う。

俳優陣では、主人公リチャードを演じたポール・ウォルター・ハウザーが本人にそっくりと話題になったそうだが、その母親ボビを演じたキャシー・ベイツがさすがの貫禄を見せていて、事件解決への分水嶺となった終盤の記者会見のシーンは圧巻だった。一匹狼の弁護士ワトソンを飄々と演じたサム・ロックウェルも好演、笑いをかみ殺しながらリチャードとともにFBIから揚々と立ち去るシーンが最高だった。

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2020/11/25

Go To 日光・中禅寺湖

先週、家族揃っての旅行で栃木の日光・中禅寺湖に行って来た。天候もまずまずで、紅葉シーズンが終わり、3連休の直前というタイミングで、観光地での「3密」は回避することが出来た。また、今後 Go To トラベルの運用が見直されることになったが、前回の北海道、そして今回と、何とかお得な時期に旅行することが出来たのも良かった。

うちの軽自動車に大人4人と荷物を載せて、果たして日光いろは坂を登り切れるのか不安があったが、上り側は2車線ということもあって特に問題なかった。最近の軽自動車の性能は大したものなのだ。

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写真は、日光いろは坂の途中からロープウェイで登った明智平展望台からの雄大な景観。奥に中禅寺湖、中央に華厳の滝を望む。

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2020/11/22

あるコンサートでのハプニング

新たにまたブラームスの交響曲を聴いて、ずいぶん昔に行ったコンサートでの思わぬハプニングを思い出した。

1974年10月2日、まだ高校生だった自分は、大阪・中之島のフェスティバルホールで開催された、バイエルン国立歌劇場管弦楽団の特別演奏会を聴いていた。指揮はヴォルフガング・サヴァリッシュで、メイン曲はブラームスの交響曲第1番。演奏そのものの記憶はもうほとんどないが、第2楽章の最後でコンサートマスターがソロを奏でる箇所でそれは起こった。

弦のピチカートで奏される3連符の上昇する分散和音を受けて、ソロ・ヴァイオリンがアルコ(弓で弾く)でその続きを情緒たっぷりに締め括るという聴かせどころである。音名で言うと、gis-h-e-gis-h-e-gis 、階名で言えばミソドミソドミというホ長調の主和音を、単純に上昇するだけの音型である。

ところが、当夜のコンサートマスター氏は何をどう勘違いしたのか、最初を三度低い e(ド)から始めてしまったのだ。そのままドミソドと続けていけば最後がドで終わり、ミが1音足りないことになる。さすがにすぐに気が付いたのだろう、それはもう見ていて気の毒なほど顔が真っ赤になり、内心では必死に対処方法を考えているに違いないのに、表面的には美しいソロを続けている振りをしている。

途中の1音を飛ばしたりしてもさほど不自然には感じられなかっただろう。しかし、そこはいかにもドイツ人の真面目さというか、融通の利かなさというか。そのまま弾き続けて、最後はやはりドで一旦落ち着いてしまったが、少し後からさりげなくミを追加して何とか辻褄を合わせる形で終わった。

もちろん気が付いた聴衆も多かったに違いないが、遠路来日したバイエルン歌劇場のオケに敬意を表してか、場内がざわついたりすることはなかった。天下の名門楽団でもこんなハプニングはあるのだとその時は思ったものだが、その後の数多の演奏会でもこれに匹敵する出来事に遭遇したことはない。

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2020/11/17

『ドクター・デスの遺産 BLACK FILE』

Drdeath2020年、製作委員会。綾野剛、北川景子ほか。公式サイトの紹介文。

「苦しむことなく殺してさしあげます。」ある闇サイトで依頼を受け、人を安楽死させる連続殺人犯ドクター・デス。その人物の存在が明らかになったのは、「お父さんが殺された。」という少年からの通報がきっかけだった。警視庁捜査一課のNo.1コンビ犬養(綾野剛)と高千穂(北川景子)は、さっそく捜査を開始。すると似たような事件が次々と浮上する。捜査チームのリーダー麻生(石黒賢)、新米刑事の沢田(岡田健史)、室岡(前野朋哉)、青木(青山美郷)と共に事件の解明を急ぐが、被害者遺族たちの証言は、どれも犯人を擁護するものばかりだった。ドクター・デスは本当に猟奇殺人犯なのか? それとも救いの神なのか? そして、驚愕の事実と更なる悲劇が犬養と高千穂に降りかかる。(引用終わり)

つい最近、京都でALS(筋萎縮性側索硬化症)の患者を安楽死させたとして医師2人が逮捕される事件が起きた。亡くなられた患者や家族への配慮からだろう、この映画の公開に合わせて事件が言及されることはないようだけれど、あまりの偶然に驚かざるをえない。

中山七里の原作は既に読んでいたので、真犯人や事件の全容を把握した上での鑑賞となったが、スピード感溢れるクライム・サスペンス映画として、最後まで飽きさせない作品に仕上がっていると思う。男女の変則的バディものという原作の設定をうまく利用していて、綾野剛と北川景子が息のあった共演ぶりを見せていた。

ただ、原作では安楽死問題の本質的な部分について、より掘り下げた記述があったと記憶するが、さすがに映像作品でそこにどこまで踏み込むかは難しく、本作ではその部分に関しては不十分と言えば言える。しかし、それはあくまで原作との対比においてであり、中途半端な問題提起に止まるぐらいなら、映画としては基本的にサスペンスものとして割り切ってしまった方が良いとの判断があったのではないか。

さて、明日から日光・中禅寺湖方面に Go To してくるので、次回更新までしばしお待ちを。

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2020/11/14

アーノンクールのブラームス交響曲全集

Harnoncourt先日観た歌劇『フィデリオ』の演奏が大変素晴らしかったので、このところアーノンクールのCDを各種取寄せて聴いている。アーノンクールと言えば、バロックから古典派にかけての音楽を、古楽器を用いて当時の姿に復元した演奏を行なう、古楽復興の旗手という印象が強かった。大変な研究熱心で知られ、またマッド・サイエンティストみたいな風貌から(失礼!)、何となく取っつきにくい印象を持っていたのは事実だ。

しかし、彼は1980年代からはモダン・オーケストラも指揮するようになり、ブラームスやメンデルスゾーン、ブルックナーなどロマン派作品にまでレパートリーを広げるようになった。ウィーンフィルやベルリンフィル、コンセルトヘボウ管など超一流の楽団が彼を招いているところを見ても、その実力のほどが知られるというもの。

その成果のひとつが、このベルリンフィルを振ったブラームスの交響曲全集で、1996年から97年にかけてベルリン・フィルハーモニーでライヴ録音された。ルドルフ・ブッフビンダーとの共演でコンセルトヘボウ管を振ったピアノ協奏曲2曲他と合わせ5枚組のCDに収録されているが、どういう訳か千円ちょっとで販売されていたので、ダメ元で購入してみた。

ダメ元というと聞こえは悪いが、手兵ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスと録音したモーツァルトやベートーヴェンの交響曲と同様、きっと随所に仕掛けを凝らした「奇矯な」演奏に違いないという先入観の混じった、半ば興味本位で聴いてみたというのが正直なところだった。

ところが、豈図らんや。通例の演奏とは異なるアーティキュレーションや音価にハッとする箇所はあるものの、意外にも正統的というか大変「真っ当な」演奏であるのにまず驚いた。しかし、アーノンクールの演奏は明らかにどこかが違う。それも本質的な部分において。何度か聴き直すうちに分かってくる部分があるかもしれないが、まずは響きの透明感というか見通しの良さが第一印象に強く残った。

ブラームスの管弦楽法は良く言えば重厚で複層的、しかしともすれば不透明で厚ぼったい響きになりがちだ。特にヴィオラ以下の低弦群の響きが混濁したようになる憾みがある。ところが、この演奏ではそこも含めて全体の音がよく「見える」。テルデック(旧テレフンケン)の録音の素晴らしさもさることながら、ヒントになるのはブックレットに引用されているアーノンクールの発言だ。

それによれば、彼は作曲者の自筆譜のみならず、作曲者の手書き修正の入った初期印刷譜、ウィーンフィルやベルリンフィルに保存されているパート譜まで渉猟し、ニキシュなど往年の指揮者がどんな指示を与えていたかを研究した。

その結果、今なら1回の弓で弾く音符の3倍を昔は1回で弾いていたそうである。弦楽器のことはよく分からないが、単純に考えて一度の弓で3倍の音を出そうと思えば弓の速度は3分の1に落ちる。それを補うためには弓を持つ右腕に力を入れて(?)弦をよく鳴らさないといけないだろう。

それによって豊かな音を生み出すボウイングはかつて最重要のテクニックとされ、彼自身チェロ奏者として1日最低30分は練習したものだが、左手の運指が重視される今では、その技術は数十年前に比べて衰退しているのだという。この演奏でそうしたボウイング法が実際に使われたかどうか定かでないが、弦楽器群の音の見通しの良さに、その研究成果の一端が現れていることは間違いないだろう。

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2020/11/11

『炎上』

Enjo1958年、大映。市川崑監督。市川雷蔵、中村鴈治郎、仲代達矢ほか。実際の放火事件に題材を取った三島由紀夫の名作『金閣寺』を映画化したもので、金閣(寺の猛反発を受けて映画では驟閣(しゅうかく)に変えている)の美に憑かれた挙句、これに放火焼失させた学僧の生い立ちから最期までを描く。アマゾンの紹介文。

昭和19年春、溝口吾一は田山道詮老師が住職を務める京都の驟閣寺に、徒弟として住み込むようになった。吾一にとって驟閣はこの世で最も美しいものであり、信仰に近いまでの憧憬の念を抱いていた。だが戦後、観光地と化した寺の経済は潤い、老師の生活も一変する。吾一の違和感は絶望へと変わり、やがて破局を迎える——。(引用終わり)

今年は三島の歿後50年に当たる。また、小池真理子がエッセイの中で三島文学のことを何度となく書いていたのに感化されて、これまで読んだことがなかった彼の小説から、代表作『金閣寺』を読んでみたのだけれど、正直言って読み通すだけで大変骨が折れた。

風景描写などでの文章の美しさ、巧みさを感じさせる箇所は少なくないものの、主人公の屈折した心理を、凝ったレトリックと比喩、逆説的な表現で描写している部分は、あまりに凝り過ぎて何を言っているのかよく分からない。

それならばと、別の角度からこの小説を味わうべく、三島本人も「手ばなしで褒めた」という本作を観てみることにした。結論的に言えば、現実の放火事件と、それを題材にした小説、それらを下敷きにした本作映画と、虚実3通りの世界が存在しているように感じた。

郷里の官能的で美しい娘・有為子に軽蔑された記憶や、学友・柏木に紹介された女性たちとの気まずい体験といった、小説世界では主人公の人生(女性)体験の重要な鍵となるエピソードが映画ではバッサリ省かれ、逆に小説では書かれなかった逮捕後の顛末について、映画では冒頭と最後で詳しく描写している。より現実の出来事に近づけた構成というべきだろうか。

大覚寺の境内に金閣に似せて建築した驟閣を、実際に炎上させて撮影したクライマックスは、60年以上も前のモノクロ映像とは思えないほどの迫力がある。それ以外でも、たとえセリフがなくても、陰影に富んだ美しい映像が語りかけてくるものは言葉以上に雄弁だ。

本作でトップスターとしての地位を確立した市川雷蔵は、以降も立て続けに名作映画を残したが、転移性肝癌のため昭和44年に37歳の若さで急逝した。

あの壮絶な三島割腹自殺事件は、その翌年のことである。

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2020/11/08

喜歌劇「こうもり」

Fledermaus「ワルツ王」ヨハン・シュトラウスⅡ世が作曲したウィンナ・オペレッタの代表作。1983年大晦日のコヴェント・ガーデンの公演録画を鑑賞。指揮はプラシド・ドミンゴ。舞台上の成り行きから、ピットの指揮者が「清きアイーダ」の一節を朗々と歌う場面もある。

資産家アイゼンシュタインは役人に暴行した廉で禁固刑に服する予定だが、尋ねてきた友人ファルケにオルロフスキー公爵邸の舞踏会に妻ロザリンデともども、ただしお互いに内緒で誘われる。ファルケは「こうもり」の仮装のまま放置された仕返しに、愉快な復讐劇を仕組んでいたのだ。夫を送り出したロザリンデの前に、かつての恋人の声楽教師アルフレードが現われ、愛をささやいている間にアイゼンシュタイン当人と間違われ連行されてしまう。
華やかな舞踏会会場。フランス貴族に成りすましたアイゼンシュタインは、仮面をつけたハンガリー公爵夫人を妻と気づかず、懐中時計を使って口説こうとするが時計を巻き上げられる。歌・踊り・シャンパンに溢れた舞踏会が最高潮に達し、新年を迎える。翌朝、刑務所に出頭したアイゼンシュタインは、自分の名で投獄されているアルフレードと、駆けつけてきたロザリンデの関係を疑い、妻の浮気を責め立てる。しかし、ロザリンデはアイゼンシュタインから奪った時計を取り出し、逆にやり込めてしまう。そこへ、この茶番劇の仕掛人ファルケとオルロフスキーが現われ、「悪いのはみんなシャンパンの泡のせい」と大団円を迎える。

あらすじが少し長くなってしまったが、要するに倦怠期の夫婦の浮気合戦、変装大会がひとしきり盛り上がったところで種明かしとなり、「目出度し目出度し」で幕を閉じるという、例によって何とも他愛のない筋書きである。アイゼンシュタインが刑務所に入る件はどうなったのかと思ってしまうが、それを言うのはヤボというものか。

初演された1874年当時のウィーンは、前年のウィーン万国博で頂点を極めたバブルが崩壊、株式市場が大暴落して自殺者が続出するなど、重苦しい空気に包まれていたという。そんな状況から一時的にでも逃避するためか、人々はこのお気楽なオペレッタに熱中した。第1幕でアルフレードが歌う。「ままならないことは忘れよう! 忘れることは幸せだ」と。

本作は劇中の設定と同じ大晦日に上演される機会が多いそうで、ジルベスターコンサートのオペラ版というのか、華やかな趣向が凝らされるのが通例となっている。この公演でもヘルマン・プライ、キリ・テ・カナワの豪華コンビに加えて、第2幕の舞踏会の余興(?)では、英国の人気芸人やシャンソンの大御所アズナヴール、ロイヤルバレエのスターが登場して喝采を浴びている。

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2020/11/05

TVドラマ版『恋』

Tbs原作に続いて、2013年12月にTBS系列で放送されたTVドラマ版を観てみた。ドラマの出来については小池氏も太鼓判を押したそうで、確かに原作にほぼ忠実に映像化されていて、109分の尺の中に小説のエッセンスがうまく収まっている。勝也との最初の出会いや、最後のマルメロのエピソードについては若干設定を変えているものの、「こういうのもアリかな」と思わせる巧みな改変だ。

俳優陣では雛子役の田中麗奈がピッタリで、気怠さを漂わせながら自由奔放に生きる元子爵令嬢を完璧に演じていた。信太郎役の井浦新、勝也役の斎藤工も文句ないところだが、主役布美子の石原さとみが表情、セリフともやや単調な演技に終始していたのは残念である。

ところで、本ドラマはDVD化されておらず、TBSオンデマンドからレンタルして観るという形になった。オンデマンド配信は初めての体験で手探り状態だったが、TVにLANケーブルを繋いでインターネット接続が出来ること、PCを介さず直接TVで動画配信が受けられること、ADSL回線でも安定したHD映像が観られること。そうしたことを今回初めて知って良い勉強になった。

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2020/11/02

『恋』

Koi星野源ではない。松山千春でもない(笑)。小池真理子の長篇小説で1996年の直木賞受賞作である。この作家はこれまで名前ぐらいしか知らなかったが、朝日新聞に連載している「月夜の森の梟」というエッセイの文章に毎回感銘を受けていて興味をもった。版元の紹介文。

1972年冬。全国を震撼させた浅間山荘事件の蔭で、一人の女が引き起こした発砲事件。当時学生だった布美子は、大学助教授・片瀬と妻の雛子との奔放な結びつきに惹かれ、倒錯した関係に陥っていく。が、一人の青年の出現によって生じた軋みが三人の微妙な均衡に悲劇をもたらした……。全編を覆う官能と虚無感。その奥底に漂う静謐な熱情を綴り、小池文学の頂点を極めた直木賞受賞作。(引用終わり)

作品はいきなり主人公矢野布美子の葬儀の描写から始まる。享年45。殺人罪で10年間服役したことのある彼女の葬儀に参列したのは僅か12名。その様子を離れた席から見守っていたのがノンフィクション作家鳥飼三津彦で、この小説は死を目前にした布美子が、殺人事件の真相とそれに至る経緯を鳥飼に語った内容の記録という構成になっている。

学生運動に明け暮れる平凡な女子大生だった布美子は、生活費を稼ぐ必要から大学助教授片瀬信太郎の自宅で翻訳を手伝うアルバイトを始めるが、ルックスが魅力的な信太郎と、元子爵令嬢の妻雛子の夫妻に次第に惹きつけられていく。女中を雇い、軽井沢に別荘を持つ裕福な暮らしのみならず、性的にも開放的な夫妻のライフスタイルは、貧乏アパート暮らしの布美子にはまさに別世界であった。

夫妻と布美子の倒錯しながらも幸福な関係は、しかし長続きしなかった。彼らの前に突然現れた電機店の従業員大久保勝也に雛子が「恋」してしまったことで、夫婦の間に決定的な亀裂が生じ、そのことが引き金になって悲劇的な事件に至ってしまうのだ。

では、世間常識からはともかく、当人同士至って円満な関係に見えた夫婦の間に「恋」はなかったのかという疑問が湧く。その答は文庫本400頁になって初めて明かされる衝撃の事実にある。当初は夫妻二人だけの秘密であったのが、信太郎が布美子に告白し、布美子が鳥飼に語り、一方では雛子が大久保に語りと、夫妻以外の三人が知るところとなる。しかし、この秘密は裁判の過程でも一切秘匿され、この小説の結末時点では夫妻と鳥飼だけが知るところとなる。

その鳥飼は生前の布美子に、秘密は自分が引き受け、本にもせず、誰にも言わないと約束しているが、「にもかかわらず、この本は書かれ、公開され直木賞まで受けた」ことを、当時の直木賞選考委員で、文庫解説を担当した阿刀田高氏は「そりゃあんまりな」と書いている。

阿刀田氏は続けて「願わくは布美子の最後の言葉として『いつか、それがよろしいと思われたら、書いてください。美しく伝えてください』とあったほうがずっとよかったのではあるまいか」としている。フィクションの世界と現実の出版物は別物だということは当然踏まえた上での指摘だろうが、読者の素直な気持ちとしては全く同感である。

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