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2020/09/06

歌劇「青ひげ公の城」

Bluebeardバルトーク唯一のオペラ。1918年初演。ショルティ指揮ロンドンフィルによる1981年の映画版(写真)と、2015年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

架空の時代、青ひげ公の城。公に連れられて城に到着した新妻ユディットは、暗い城内に驚き、陽の光を入れようと提案。同時に鍵のかかる扉を見つけ、それを開けるよう青ひげ公に求める。拷問室、武器庫、宝物庫、花園、青ひげ公の領地・・・5つの扉の向こうの世界はすべて違うが、血や血の色に染まっていたことは同じだった。興奮したユディットは、残る2つの扉も開けるよう要求。残酷な結末を予見した青ひげ公はためらうが・・・。(引用終わり)

男女間の葛藤を象徴的に描いた深層心理劇とも言うべき内容に加え、暗い城内で青ひげとユディットが歌うだけの単調な舞台。ベルクも顔負けするような、観ていて気が滅入る「暗い」オペラである。これがペローやメーテルリンクの童話を素材にした作品というのが信じられない。

ただ、本作は確かに青ひげ伝説に基づいてはいるが、女性の持つ好奇心と不従順を戒める教訓を示した童話を離れて、男が抱える内面の闇と、そこに踏み込んでしまった女の悲劇というドラマへと換骨奪胎されたと言うべきだろう。

さて、映画版は指揮のショルティ、青ひげのコロシュ・コヴァーチュ、ユディットのシルヴィア・シャシュとハンガリー勢で固め、映画の利点を生かした巧みな場面転換を織り込んだ演出も相俟って、本作のスタンダードとも言える出来栄えを示している。欲を言えば、コヴァーチュの表情が終始一本調子なのが少し物足りないぐらいか。

一方のMETは、指揮のゲルギエフ、青ひげのミハイル・ペトレンコのロシア勢に、ユディットはドイツ出身のナディア・ミカエルという布陣。二人の声質の仄暗さもあって、音楽の陰惨さは映画版を上回っている。トレリンスキの演出はプロジェクションマッピングを駆使した斬新なものだが、象徴である扉が全く出て来なかったり、3人のはずの前妻が5人も登場するなど、かなり違和感が残った。

9月5日 ジョグ2キロ

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コメント

またまたダークな世界ですね(^^)
実はほとんど覚えてなくて・・・
なにか暗~いイメージだけが残っていて

調べてみたら
MET初演のチャイコフスキー「イオランタ」との2本立てでした。
で、思い出したのは
ネトレプコ&ベチャワの「イオランタ」で。(すみません)
バルトークの陰鬱なメロディより、アンデルセン童話のチャイコフスキーの方が・・・
(^^!

投稿: ケイタロー | 2020/09/08 13:05

ケイタローさん
ご指摘のとおり2本立て上演でした。
しかも、トレリンスキ独自の解釈で
両作品の筋が繋がっているような
演出がなされていたようですね。
「イオランタ」はまだ観てませんが、
その繋がりで「青ひげ」の解釈が通常と
違うものになったとすれば本末転倒かと…。

投稿: まこてぃん | 2020/09/08 21:01

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