歌劇「エフゲニー・オネーギン」
チャイコフスキーの代表的なオペラ。2017年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。ライブビューイングの紹介文。
19世紀のロシア。田園地方の地主の娘タチヤーナは、読書好きのロマンティスト。活発な妹オリガには、レンスキーという婚約者がいた。レンスキーの友人で社交界の寵児オネーギンを紹介されたタチヤーナは一目で恋に落ち、夜を徹して恋文を書くが冷たくあしらわれる。田舎で疎外感を抱くオネーギンはレンスキーを挑発して決闘となり、彼を殺めてしまう。数年後、オネーギンはタチヤーナと再会。公爵に嫁いで社交界の華となった彼女に驚き、心を奪われるが…。(引用終わり)
原作となったプーシキンの同名小説は、悲劇の主人公を生み出す歴史的、社会的背景への批判や風刺を含むそうだが、オペラ化に際してそうしたリアリズムはほとんど割愛され、男女間の抒情的な恋愛ドラマの部分だけがクローズアップされている。プーシキンとチャイコフスキー、それぞれの生きた時代の違いもあるが、やはりチャイコフスキーという音楽家の特質によるところが大きいだろう。
彼の3大バレエ音楽がそうであるように、言い方は良くないかもしれないが、「劇伴音楽」を書かせたら彼の右に出る者はいない。半音階で下降する憂いを帯びた第1幕への導入曲を聴いただけで、登場人物たちの揺れる思いや、捌け口のない鬱屈した心理の一端が窺える。この動機は全曲を通じて重要な働きをする、一種のライトモティーフとなっている。
第1幕第2場「手紙の場」のタチヤーナの長大なアリア、第2幕第2場の決闘を前にしたレンスキーのアリアが大変感動的であるが、タイトルロールのオネーギンについては、第3幕最後の愁嘆場は別として、「ここが聴かせどころ」というアリアがないのが不思議である。
このオペラの実質的な主役はタチヤーナというべきで、本公演ではロシアが生んだ世界の歌姫アンナ・ネトレプコが、まさに役が憑依したような圧倒的な歌唱と演技を繰り広げる。また、レンスキーにアレクセイ・ドルゴフ、オルガにエレーナ・マキシモワなど、準主役級もロシア出身の実力者が固め、それぞれに好演している。
演出はオーソドックスで、華やかな舞踏会の場面など19世紀ロシアの貴族社会を再現する。また、幕が上がる前のスクリーンに、各場面に応じたロシアの美しい風景を映し出し、聴衆の想像力を掻き立てる趣向もグッド・アイデアだと思う。
9月27日 ジョグ4キロ
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コメント
かつて愛を告白されたのに拒絶した女性が、美しい人妻となって目の前に現われる。
男はよりを戻そうとする。
オネーギンさん、そりゃ都合良すぎるよ。
あまりに勝手な言い分に、タチヤーナは怒って決然と別れたんです。
チャイコフスキーは、そんな男にまともなアリアを歌わせたくなかったはずです。
たぶん。(^^)
投稿: ケイタロー | 2020/09/28 11:15
ケイタローさん
手元の解説書によれば、オネーギンという人物像は
19世紀ロシア文学にしばしば登場する「余計者」
(または「無用人」)のはしりで、プーシキンの
分身のような存在でもあったのだとか。
原作では作者の感情移入があったオネーギンだけれど、
チャイコフスキーの心には響かなかったのでしょうね。
投稿: まこてぃん | 2020/09/29 10:17