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2020/09/30

北海道の旅 その1

23日から3泊4日で北海道旅行に行ってきた。ストーマをした状態で飛行機に乗り、サイクリングや演奏会鑑賞を含む予定をこなせるか、少々不安を抱えながらの旅だったが、結果的には全く問題なかった。また、危惧された台風12号の影響は最小限にとどまり、25日の深夜を除いてほぼ好天に恵まれた。

23日夕方に新千歳に到着、札幌駅前のホテルに投宿した。旅の疲れもあり夕食は駅前ビル「エスタ」内の「ら~めん共和国」で簡単に済ませた。関西では「うどん食て寝る」と言うが、札幌ではそこはラーメンで決まりだろう。(笑)

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24日はJR千歳線旧線(北広島-東札幌間)廃線跡のサイクリングに出かけた。本来は自分の足で走りたいところだが今は到底無理なので、北広島駅でレンタサイクルを借りて往復することにした。詳細は稿を改める。

終了後はホテルに戻って一休み。夕方は札幌の夜景を一望できる藻岩山に出かけ、ロープウェイで登った山頂のレストランで夕食をとった。少しピントがボケているが、まあ雰囲気だけでも。(笑)

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25日の午前中は小樽市内観光。函館本線から分岐していた手宮線の廃線跡が遊歩道として整備されている。線路や色内駅が復元されていて、修学旅行生が賑やかに写真を撮っていたりと、いわゆる廃線らしい風情はあまり感じられない。

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小樽運河。向こう岸の倉庫群は現在ではレストランや駐車場となっている。

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市内をひと巡りするとちょうど昼時になったので、駅近くの寿司屋に寄ってから札幌に戻る。

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その2に続く。

9月30日 ジョグ4キロ
月間走行 22キロ

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2020/09/27

歌劇「エフゲニー・オネーギン」

Oneginチャイコフスキーの代表的なオペラ。2017年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。ライブビューイングの紹介文。

19世紀のロシア。田園地方の地主の娘タチヤーナは、読書好きのロマンティスト。活発な妹オリガには、レンスキーという婚約者がいた。レンスキーの友人で社交界の寵児オネーギンを紹介されたタチヤーナは一目で恋に落ち、夜を徹して恋文を書くが冷たくあしらわれる。田舎で疎外感を抱くオネーギンはレンスキーを挑発して決闘となり、彼を殺めてしまう。数年後、オネーギンはタチヤーナと再会。公爵に嫁いで社交界の華となった彼女に驚き、心を奪われるが…。(引用終わり)

原作となったプーシキンの同名小説は、悲劇の主人公を生み出す歴史的、社会的背景への批判や風刺を含むそうだが、オペラ化に際してそうしたリアリズムはほとんど割愛され、男女間の抒情的な恋愛ドラマの部分だけがクローズアップされている。プーシキンとチャイコフスキー、それぞれの生きた時代の違いもあるが、やはりチャイコフスキーという音楽家の特質によるところが大きいだろう。

彼の3大バレエ音楽がそうであるように、言い方は良くないかもしれないが、「劇伴音楽」を書かせたら彼の右に出る者はいない。半音階で下降する憂いを帯びた第1幕への導入曲を聴いただけで、登場人物たちの揺れる思いや、捌け口のない鬱屈した心理の一端が窺える。この動機は全曲を通じて重要な働きをする、一種のライトモティーフとなっている。

第1幕第2場「手紙の場」のタチヤーナの長大なアリア、第2幕第2場の決闘を前にしたレンスキーのアリアが大変感動的であるが、タイトルロールのオネーギンについては、第3幕最後の愁嘆場は別として、「ここが聴かせどころ」というアリアがないのが不思議である。

このオペラの実質的な主役はタチヤーナというべきで、本公演ではロシアが生んだ世界の歌姫アンナ・ネトレプコが、まさに役が憑依したような圧倒的な歌唱と演技を繰り広げる。また、レンスキーにアレクセイ・ドルゴフ、オルガにエレーナ・マキシモワなど、準主役級もロシア出身の実力者が固め、それぞれに好演している。

演出はオーソドックスで、華やかな舞踏会の場面など19世紀ロシアの貴族社会を再現する。また、幕が上がる前のスクリーンに、各場面に応じたロシアの美しい風景を映し出し、聴衆の想像力を掻き立てる趣向もグッド・アイデアだと思う。

9月27日 ジョグ4キロ

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2020/09/23

Go To 北海道

今日から3泊4日で北海道に旅行する。8月初旬の診断で症状が落ち着いていることが判明してから計画してきた。その時に書いた「家族揃っての旅行」は11月の予定で、今回はそれとは別に家内と二人で出かけ、札幌、小樽の市内観光や、札幌交響楽団演奏会、千歳線旧線探訪などを予定している。

タイトルのとおり、「Go To トラベルキャンペーン」のおかげで大変お得な価格になり、何だか申し訳ないような気もするが、年金生活者には嬉しい限りだ(笑)。感染防止に最大限の注意を払いながら、せいぜい楽しんで来ることにしよう。

ブログの更新は暫しお待ちを。

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2020/09/21

歌劇「イオランタ」

Iolantaチャイコフスキー最後のオペラだが上演機会は少ないようで、今回鑑賞した2015年のメトロポリタンオペラ公演は何とMET初演だったという。所要時間が半端なことがネックになっていて、1892年の初演時はバレエ「くるみ割り人形」との2本立て、このMET公演も前に書いた「青ひげ公の城」との2本立てである。ライブビューイングの紹介文。

15世紀、南フランスの山中。プロヴァンスのレネ王は、王女イオランタが生まれながらの盲目であることを悲しみ、目が見えないことが彼女に分からないように山中の秘密の城で育てていた。頼みの医師は、イオランタ自ら盲目であることを理解しなければ治療は困難だという。イオランタの婚約者のブルゴーニュ公爵ロベルトと共に偶然城に入った騎士ヴォデモンは、イオランタの美しさに心を奪われるが、言葉を交わすうち彼女が盲目だと気づいてしまい・・・。(引用終わり)

原作はヘンリク・ヘルツが書いたデンマークの戯曲「ルネ王の娘」で、それをもとに作曲者の弟モデストが台本を書いた。ネットで検索すると「アンデルセンの童話に基づく」という記述もみられるが、それが正しいのかどうか現時点で確認できていない。原作戯曲に関するウィキペディア(英語版)の記事でも、アンデルセンとの関連は全く触れられていない。

それはともかく、目が見えない日々を送っていた王女が、ある日訪れた騎士と恋に落ちたことをきっかけに、医師の治療を受けて見えるようになり、二人は目出たく結ばれるというストーリーはまさに童話そのもので、同じ作曲者のバレエ「眠りの森の美女」を連想させる。そこにチャイコフスキーの甘美な音楽が流れるのだから、観客としてはひととき浮世ばなれしたお伽噺の世界に浸れるというわけだ。

タイトルロールのアンナ・ネトレプコ、指揮のヴァレリー・ゲルギエフという最強ロシアペアが、まさに水を得た魚のごとく実力を発揮。ヴォデモン役のピョートル・ベチャワも伸びのある美声を聴かせる(名前からしてロシア人かと思っていたが、ポーランド出身だそうだ。ただ、あの立派な顎と容貌からいつも辻本茂雄を連想してつい笑ってしまう)。

トレリンスキの演出も、変化球が多かった「青ひげ」に比べるとオーソドックスに纏めていて違和感が少ない。全員が神に感謝するクライマックスの合唱になぜか加わらなかったレネ王が、最後の最後で一人脚光を浴びる演出はなかなか秀逸である。

9月19日 ジョグ4キロ

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2020/09/18

国勢調査は正しく行われているのか?

5年に一度の国勢調査が行われている。うちの父は昨年初めから有料老人ホームに入居していて、「社会福祉施設(老人ホームなど)に入所している期間がすでに3か月以上経過している人」に該当するため、「調査する場所(調査票を記入するところ)」は「入所先」と定められている。つまり、父については自宅に届いた調査票ではなく、別途老人ホームに配布された調査票の方に記入すべきこととされているのである。

それで、先日老人ホームに出かけ、リモートながら父と久々に面会できたついでに、この件についてホームの職員に確認してみた。すると、一瞬キョトンとした表情を見せたあと、「国勢調査の依頼は来ていないし、5年前の調査でもなかった」という意外な返答があった。

職員がウソを言うはずはないのでそれが事実なのだろう。そうすると、少なくとも5年前の調査では間違いなく、そして今回もこのまま調査依頼が来なければ、入所者の最悪全員が国勢調査からすっぽり漏れてしまうことになる。一部は家族が誤って自宅に住んでいるものとして回答するかもしれないが、それも調査の趣旨に反する回答を混入させ、統計調査上好ましくない結果を招く。

この老人ホームに限って調査依頼が漏れているのならまだしも、もし同様の事例が他でもあるとしたら、「国の最も重要な統計調査」である国勢調査の信頼性に関わる重大な事態ではないかと思う。

9月16日 ジョグ4キロ

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2020/09/15

『よこがお』

Yokogao 2018年、日仏。深田晃司脚本・監督。筒井真理子、市川実日子、池松壮亮ほか。公式サイトの紹介文。

初めて訪れた美容院で、リサは「和道」という美容師を指名した。数日後、和道の自宅付近で待ち伏せ、偶然会ったふりをするリサ。近所だからと連絡先を交換し、和道を見送った彼女が戻ったのは、窓から向かいの彼の部屋が見える安アパートの一室だった――。リサは偽名で、彼女の本当の名前は市子。半年前までは訪問看護師として、その献身的な仕事ぶりで周囲から厚く信頼されていた。なかでも訪問先の大石家の長女・基子には、介護福祉士になるための勉強を見てやっていた。基子が市子に対して、憧れ以上の感情を抱いていたとは思いもせず――
ある日、基子の妹・サキが行方不明になる。すぐに無事保護されるが、逮捕された犯人は意外な人物だった。この事件との関与を疑われた市子は、ねじまげられた真実と予期せぬ裏切りにより、築き上げた生活のすべてを失ってゆく。自らの運命に復讐するように、市子は“リサ”へと姿を変え、和道に近づいたのだった。果たして彼女が心に誓った復讐とは何なのか――。(引用終わり)

サキの誘拐事件を契機として、市子と基子の間の感情のすれ違いから、本人たちも予想もつかない事態に発展し、ついには泥沼のような非難と復讐の応酬に至ってしまう。

ストーリーそのものにさほど新鮮味はないけれども、主人公たちの感情が揺れ動く様子が、たとえセリフなしでも克明に描写されている。何と言っても、主役二人の演技力の高さによるところが大きいだろう。

もうひとつは、映像作品としての構成の巧みさである。市子が訪問看護師をしていた当時と、彼女がリサに名前を変えてからと、2つの時期の話が交互に出てくる展開は、そうと知らなければ混乱してしまうが、冒頭の美容院のシーンで市子が髪を染めるのがヒントになる。

それが分かった上で観れば、両方の時期のエピソードを相互に連関させながら、大変緻密に構成された作品であることが理解できる。ラスト近くのクラクションなど、巧みな音声効果も印象的だった。

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2020/09/12

歌劇「後宮からの逃走」

Serailモーツァルト26歳の1782年に初演されたジングシュピール・オペラ。1987年のショルティ指揮コヴェント・ガーデン王立歌劇場公演の録画を鑑賞。

18世紀トルコ。スペイン貴族ベルモンテの恋人コンスタンツェは航海中に海賊に襲われ、従僕ペドリッロ、侍女ブロンデともども、トルコの太守セリムに売られて海辺の後宮(ハーレム)に囚われている。コンスタンツェはセリムからの執拗な求愛にも応じず、ベルモンテへの愛を貫いていた。ペドリッロと恋仲にあるブロンデも、後宮の番人オスミンに言い寄られるが相手にしない。
ペドリッロから連絡を受けたベルモンテは後宮に乗り込み、コンスタンツェらを脱出させるために奮闘する。深夜の脱出計画は成功するかに見えたものの、再びオスミンに捕えられ、さらにベルモンテの父がセリムの宿敵だったこと判明する。絶体絶命の二人を待ち受けていた結末とは…。

トルコ軍楽隊の響きを取り入れた序曲は何度も聴いて親しんでいるものの、モーツァルトのオペラでは比較的若い時期の作品で、異国趣味の一風変わった作品ぐらいにしか思っていなかったが、なかなかどうして。

あらすじ自体は例によって他愛のないものだが、このオペラの作曲された年代が、故郷ザルツブルクと決別してウィーンに移住した、モーツァルトの人生の一大転機に当たることを考え合わせると、まことに興味深いものがある。

後宮に幽閉されていたコンスタンツェ(モーツァルトの妻と同じ名前なのは偶然らしい)は、父や大司教によってザルツブルクに閉じ込められていたモーツァルト自身。そこから脱出させてくれたベルモンテは、さしずめ彼の音楽を評価してくれた皇帝ヨーゼフ2世といったところか。あるいは、彼が持っていた音楽の才能そのものかもしれない。太守セリムの高い徳によってコンスタンツェが解放されるオペラのように、モーツァルトも父や大司教からの赦しと和解を願っていたに違いない。

そうした連想はともかく、音楽の素晴らしさは後の「フィガロ」他の傑作オペラにも決して見劣りしない。登場人物ごとの特色がよく表れたアリアや重唱の数々は、意表を突く転調や半音進行を交えた多彩なニュアンスを聴かせる。

ショルティはウィーンフィルを振ったCDが名盤の誉れ高いようだが、このコヴェントガーデン盤でも円熟した音楽づくりを見せている。歌手陣ではオスミン役のクルト・モルが圧倒的な存在感を示していて、ジャケット写真でも主役を差し置いて堂々と一人で写っている。(笑)

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2020/09/09

『パリ、テキサス』

Paris1984年、仏・西独。ヴィム・ヴェンダース監督。ハリー・ディーン・スタントン、ナスターシャ・キンスキー他。

テキサスの砂漠をさまよい歩く男トラヴィス。倒れて口もきかない彼を、連絡を受けて駆けつけた弟ウォルトがロサンゼルスの自宅に引き取る。そこには、トラヴィスと別れた妻ジェーンの間に生まれた息子ハンターがいた。4年前に置き去りにされたハンターは、ウォルトとその妻アンに育てられていたのだ。やがて、ようやく自分に心を開いたハンターを連れて、トラヴィスはジェーンを探すため再びテキサスへと旅立つ…。

1985年の劇場公開時に一度観たことがある。しかし、冒頭トラヴィスが砂漠の中を黙々と歩くシーンと、ラスト近くでジェーンが長い告白をする中の “Every man has your voice.”(どの男の声もあなたなの)というセリフだけは覚えていたものの、主人公が最後に取った行動がいまひとつ理解できないでいた。

今回改めて観て、ようやく何となく分かった気がした。俗っぽい言い方で気恥ずかしいが、多分これは「男のけじめ」なのだろうと。

トラヴィスは家族の修復を願ってジェーンに会いに行ったけれど、ようやく見つけた彼女と実際に話してみてやはりそれは無理だと、どこかの時点で悟ったに違いない。ジェーンは4年前のままのジェーンだった。仮に縒りを戻して一緒に暮らしても、また同じことの繰り返しになるだけだと。

そうである以上、自分はもう身を引く以外にない。そして、ハンターには何の罪もない。弟夫婦には悪いけれど、実の母ともども自由に暮らして幸せになってほしい。万感の思いを呑み込んで、トラヴィスは黙ってヒューストンを後にするのである。そこに流れるライ・クーダーの Dark Was the Night …。

大変切ないエンディングだが、彼に出来ることはそれしかなかった。そして、それが一番良かったのだ。

9月9日 ジョグ2キロ

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2020/09/06

歌劇「青ひげ公の城」

Bluebeardバルトーク唯一のオペラ。1918年初演。ショルティ指揮ロンドンフィルによる1981年の映画版(写真)と、2015年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

架空の時代、青ひげ公の城。公に連れられて城に到着した新妻ユディットは、暗い城内に驚き、陽の光を入れようと提案。同時に鍵のかかる扉を見つけ、それを開けるよう青ひげ公に求める。拷問室、武器庫、宝物庫、花園、青ひげ公の領地・・・5つの扉の向こうの世界はすべて違うが、血や血の色に染まっていたことは同じだった。興奮したユディットは、残る2つの扉も開けるよう要求。残酷な結末を予見した青ひげ公はためらうが・・・。(引用終わり)

男女間の葛藤を象徴的に描いた深層心理劇とも言うべき内容に加え、暗い城内で青ひげとユディットが歌うだけの単調な舞台。ベルクも顔負けするような、観ていて気が滅入る「暗い」オペラである。これがペローやメーテルリンクの童話を素材にした作品というのが信じられない。

ただ、本作は確かに青ひげ伝説に基づいてはいるが、女性の持つ好奇心と不従順を戒める教訓を示した童話を離れて、男が抱える内面の闇と、そこに踏み込んでしまった女の悲劇というドラマへと換骨奪胎されたと言うべきだろう。

さて、映画版は指揮のショルティ、青ひげのコロシュ・コヴァーチュ、ユディットのシルヴィア・シャシュとハンガリー勢で固め、映画の利点を生かした巧みな場面転換を織り込んだ演出も相俟って、本作のスタンダードとも言える出来栄えを示している。欲を言えば、コヴァーチュの表情が終始一本調子なのが少し物足りないぐらいか。

一方のMETは、指揮のゲルギエフ、青ひげのミハイル・ペトレンコのロシア勢に、ユディットはドイツ出身のナディア・ミカエルという布陣。二人の声質の仄暗さもあって、音楽の陰惨さは映画版を上回っている。トレリンスキの演出はプロジェクションマッピングを駆使した斬新なものだが、象徴である扉が全く出て来なかったり、3人のはずの前妻が5人も登場するなど、かなり違和感が残った。

9月5日 ジョグ2キロ

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2020/09/03

最近の「クラシック音楽館」から

日曜夜にNHK・Eテレで「クラシック音楽館」という番組が放送されている。以前は「N響アワー」というタイトルだったと記憶するが、今もNHK交響楽団の定期公演を中心にしたクラシック番組である。最近はコロナのためN響定演が中止になっている関係で、過去のアーカイブ映像が放映されることが多いようだ。

最近では、8月16日に放送された「いまよみがえる伝説の名演奏・名舞台」と、同23日の「追悼レオン・フライシャー」の2本が大変興味深かった。

前者は、今は亡き巨匠指揮者たちの演奏会の記録映像を紹介したもので、そのうちカルロス・クライバーがウィーンフィルを振ったブラームスの交響曲第2番の演奏に惹きつけられた。少し前に観た「ばらの騎士」でも彼の指揮ぶりの片鱗を窺えたが、今回は1曲まるまる通して見ることが出来たのだ。

「ばらの騎士」の記事でも書いたが、まさに音楽を形にしたような流麗な動きは見飽きることがなく、手と指の繊細な動き以外にも、顔の表情や視線の動かし方ひとつで音楽の流れをコントロールしていて、最初から最後まで目が離せない。

また、弦楽器のボウイング(弓使い)は通常、アップ(上向き)とダウン(下向き)をパート内で統一するものだけれど、この演奏では一部奏者が逆に弾いているのが映像で確認できる。これは、第1楽章など3拍子の曲でボウイングを統一すると、小節ごとにアンバランスを生じることから、あえてクライバーの指示で「逆弓」にしているのだろうと、ゲスト解説者の高関健が説明していた。なるほど。

後者は8月2日に死去したピアニスト、レオン・フライシャーの追悼で、2009年10月の来日公演の模様が放送された。全てバッハの曲で、「羊は安らかに草をはみ」「旅立つ最愛の兄に思いを寄せる奇想曲」「半音階的幻想曲とフーガ」「シャコンヌ(ブラームス編曲)」の4曲である。バッハの音楽に真摯に向き合った演奏はいずれも素晴らしく、特に最後のシャコンヌは左手だけでこれだけ深い音楽が出来るものかと感嘆させられた。

フライシャーの手の動きもアップでよく見ることができる。本人も言っていたとおり、復活したあとでもなお、右手の薬指と小指が自然に内側に曲がってしまう様子や、小指の付け根辺りに外科手術の跡と思われる膨らみがあることが分かる。そういう障害を乗り越えた演奏であることが、映像を通して改めて分かるのである。また、理由は不明だが、ピアノに置かれていたのは通常の印刷譜ではなく、五線紙ノートに自ら手書きしたような譜面が用いられていた。

オペラはともかく、音楽は音だけに集中して聴くものと思っているが、こうやって映像と一緒になると、音だけでは分からない意外な情報が得られることもあるのだ。

9月2日 ジョグ2キロ

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