喜歌劇「メリー・ウィドウ」
フランツ・レハールの代表作。2015年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METでのオペレッタ上演は珍しい。METライブビューイングの紹介文。
20世紀初めのパリ。東欧の小国ポンテヴェドロの外交官ツェータ男爵は、亡夫から莫大な財産を受け継いだハンナが他国の男性と再婚すると国が破産しかねないと、書記官の伯爵ダニロにハンナに求婚するよう命じる。実はダニロはかつてハンナと恋仲で、身分違いゆえに結ばれなかったのだ。だが意地っ張りのダニロは頼みを断る。一方ハンナは、ツェータ男爵の妻ヴァランシエンヌの浮気をかばってダニロの誤解を招く。すれ違う恋のゆくえはいかに?(引用終わり)
「指環」を観たあとの箸休めというか、お気楽なオペレッタで気分転換でもと思っていたのだけれど、ごめんなさい。オペレッタ、完全に舐めていました(笑)。全体にとても品の良い、大人向けの極上のエンターテインメント作品だったのだ。
かつて恋仲だったハンナとダニロの間に再び恋愛騒ぎが持ち上がり、そこにツェータ男爵夫人の浮気が絡んで、一時は祖国の命運にかかわる事態に発展するが、最終的には誤解が解けてハッピーエンドを迎える。ストーリー自体は、例によって他愛もないお話である。
主人公の二人は本音では縒りを戻したいのに、過去の経緯と今の状況がそれを簡単に許さない。それでも互いの本心を探り合い、ついに幸福な結末を迎えるまでの過程が本作のキモである。それを象徴するのが有名な「メリー・ウィドウ・ワルツ」で、最初はハミングだったのが、最後に心温まる二重唱となって完成する構成は心憎いばかりだ。
一方、オペラにつきもののバレエは、ともすればそこだけ浮いた存在になりがちなところ、本作では祖国ポンテヴェドロへの愛国心や、ダニロの行動や心理を表現する重要な手段となっていて、オペレッタの不可欠の一部としてきちんと機能を果たしている。
このMET公演ではハンナ役のルネ・フレミング、ヴァランシエンヌ役のケリー・オハラとの豪華共演が話題となった。ケリー・オハラはブロードウェイのスターだが、学生時代はオペラを勉強していて、夜の女王を歌ったこともあるそうだ。確かにコロラトゥーラ系の軽い声質で、マイクなしでの声の通りは今一歩だったが、初オペレッタ初METとしては大健闘した部類だろう。
また、本作はこれもMETでは珍しい英語での上演だが(原語ドイツ語)、日本ではなぜかタイトル自体が英語表記のせいもあってかさほど違和感はなく、英語圏出身の歌手たちがセリフ部分を含めて伸び伸びと演じていたのが印象的だった。トニー賞受賞のストローマン演出も相俟って、特に第2幕の七重唱「女たちをどう扱う?」など、もうブロードウェイ・ミュージカルの一歩手前まで来ている感じだ。
ところで、ショスタコーヴィチの交響曲第7番の「戦争の主題」後半の下降音型は、本作でダニロが歌う「マキシムへ行こう」を引用したものとされる。その歌詞は何と、「彼女たち(酒場の女たち)は祖国を忘れさせてくれるのさ」というのだ。これを不真面目だと批判したバルトークは、「管弦楽のための協奏曲」第4楽章でこれをさらに引用して茶化すような音楽を書いた。
一方、未亡人殺人事件を題材にしたヒッチコックの名作「疑惑の影」で、本作のワルツが重要なカギとして登場するなど、後世の芸術作品への影響は少なからぬものがある。ヒトラーがこのオペレッタを好んだためナチスに庇護されたレハールは、のちに戦争協力者と目されたという話まであり、ただのお気楽なオペレッタと思ったら大間違いなのだ。
6月21日 ジョグ3キロ
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コメント
ルネ・フレミング、大好きです。
いつまでも若々しくて、チャーミングで、いいですね。
(僕たちと同世代だけど。汗)
いかにもアメリカの歌手っていう感じで、歳とともに声が出なくなっても(失礼!でも自然の摂理)オペレッタなら十分。演技力もあるし。
(ごめんなさい。オペレッタ舐めてます。笑)
2001年、METの「ばらの騎士」で来日したのに関西公演はなくて・・・
で、びわこホールには「リゴレット」が来て、ニューヨークに行くより安いとか嘯いて、大枚叩いて観たことを思い出します。
ライブビューイングなんて・・・いい時代になりました。
投稿: ケイタロー | 2020/06/23 13:15
ケイタローさん
ルネ・フレミング、いいですね。
彼女のようなベテランがハンナをやってこそ、
「上品な大人の娯楽」になるのだと思います。
「ばらの騎士」もMETの録画があって、
まだ観ていないので楽しみです。
投稿: まこてぃん | 2020/06/24 18:46