クラシック音楽を聴き始めて半世紀近く、ようやく「指環」全4作を初めて鑑賞したのだ。
ワーグナー畢生の大作である。上演時間は全体で16時間にも及び、4日に亘って上演される。順に、初夜いや(笑)序夜「ラインの黄金」、第1日「ヴァルキューレ」、第2日「ジークフリート」、第3日「神々の黄昏」の楽劇四部作からなる。その総称が「ニーベルングの指環」で、作曲者は「舞台祝祭劇」という呼称を付している。
オペラ史上希にみる長大さに加え、世界支配を可能にする黄金の指環を巡る争奪戦、それによる神々の終末と愛による救済を描いた壮大な叙事詩的内容とあって、とにかく敷居の高い作品である。あらすじですら長文たらざるを得ず、それを一読したところで皆目見当がつかない。
自分の場合、里中満智子によるマンガを読んで、ようやくビジュアル的に概略を把握することが出来たのが大きい。それがなければいまだに鑑賞を躊躇していたに違いない。
しかし、「案ずるより産むが易し」とはよく言ったもので、一旦観始めてその独特の世界観に馴染んでくると、意外にすんなりと最後まで通して鑑賞することが出来た。最初は途中でイヤになって投げ出すかもしれないと思っていたのだ。
劇中の人物や概念、小道具等を短い音型で表したライトモティーフ(示導動機)の主なものを予習しておいたことと、無理せず1日1幕か2幕にしておいたのが良かった。結局、4日どころか半月ほどかかってしまったけれど。(苦笑)
また最初から観直して詳細な感想を書く機会が訪れることを願うが、とりあえずの雑駁な印象を言えば、里中版もまさにそうであるように、これは今で言うSFアニメやゲームの先駆的作品であるように感じた。いや、むしろ現代のそれらこそ、本作から多くのヒントを得ているという方が正しいのだろう。
天上の神々、ラインの乙女、地底の小人族、巨人族、人間界の英雄といった多彩なキャラクター、「黄金の指環」「ノートゥングの剣」「隠れ頭巾」といったアイテム、激しい闘争や陰謀、復讐といったスケールの大きな物語展開は、そのままゲームやアニメにしても全く違和感がなさそうだ。
正統派のワグネリアンからは「何をふざけたことを」とお叱りを受けるかもしれないが、ワグナー当人は当時の上演内容には満足しておらず、もしかすると今のアニメを見て膝を打ったりするかもしれないではないか。
今回鑑賞したメトロポリタンオペラ公演でも、会場にはヴァルキューレの兜を模したような帽子を被って嬉しそうに着席しているファンの姿もあった。バイロイトだったら摘み出されかねないが、それでいいのではないかと思う。
そのMETでは、ワグナー生誕200年に当たる2013年に向けて、ルパージュ演出による新たなプロダクションを敢行、今回はその新演出による公演全体の録画に加え、メイキング映像もたっぷりと観ることが出来た。
写真にあるように、舞台中央に長方形をした24枚の巨大な板が据え付けられ、これが自由に回転して様々な形を作り出すことが出来る。自分は南京玉すだれのバケモノを連想してしまったが(笑)、そこに場面や歌手の動作に合わせて、川や森、小鳥、岩山、火炎などの映像が投影されるという仕掛けである。
総重量40トンにも及び、舞台の補強工事まで行われたそうだが、一旦これを据え付ければ他の大道具は一切不要、場面転換も板を動かして映像を切り替えれば済むので、ワーグナーが19世紀当時の舞台を前提に書いた場面転換の音楽が間延びして聴こえたほどである。
もうひとつ、ある歌手がインタビューで言っていたが、舞台中央に大きな板が立っているため、これが格好の反響板となって、自分の声が普段より劇場全体に届く実感があるそうだ。
新演出の評価がどのようなものかよく分からないが、装置はともかく演出自体はオーソドックスなもので安心して観ることが出来た。少なくとも、今後の「指環」上演の方向性を示すものと言えるが、バイロイトを含むヨーロッパの古い劇場では、同じスケールでの導入は無理かもしれない。
6月7日 ジョグ4キロ
最近のコメント