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2020/05/27

御所街道を歩く

少し前に奈良県内の道標や街道の情報が詳細に記されたサイトを発見した。最近の「身近にある道標」もそのおかげであるが、今回橿原から御所に至る「御所街道」の存在が新たに分かったので、早速探索してみることにした。

行程の都合で御所側からスタート。御所駅付近は前回下街道を歩いたときのルートより一本東側のこちらが本来の街道のようだ。確かに街道特有のクランクや高札場跡が残っている。

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近くにある文久3年の指差道標は「むろ大師道是ヨリ十八丁」とあり、御所市室にある寳國寺(室大師)への道順を示す。

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御所旧市街地(御所まち)には往時そのままの狭い道路と古い建物が残る。空き地のおかげでよく分かるが、写真奥から手前にクランク状に進むのが御所街道である。

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御所市街を出て東進、京奈和自動車道御所インターチェンジを越えて一旦橿原市に入るとすぐの観音寺集落内に、文化11年の地蔵像と明治7年の道標が建っていた。

お地蔵さんの前掛けの下辺りの右に「右 金剛山」、左に「左り よしの つ本さ可(つぼさか)」と刻まれている。側面には「左北 ならはせ道」とあるが、いずれの文字も風化が激しい。

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道標の方は比較的新しいので文字は明瞭である。「左 はせいせ/今井なら」「右 御せ金剛山/左 よしの山上」などと刻む。

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南面には「右 神武天皇道」とあるが、神武天皇陵なら「右」ではなく「すぐ」(直進)とあるはずだ。神武東征伝承で吉野から宇陀に入ったという話が出てくるので、もしかするとそれを踏まえたものかもしれない。

京奈和道の高架を潜ってしばらく北進すると大和高田市に入る。「根成柿」(ねなりがき)という珍しい地名の集落を抜け、普段車でよく通る道路に突き当たる。東にしばらく進んだ大きな交差点に側道のような細い道が合流していて、以前から不思議に思っていたが、これが御所街道であることが今回初めて判明した。

そこから橿原市となり、東坊城の集落に入った三叉路に天保4年の道標が建っていた。ここも車で何度も通った道だが、狭い道の交互通行に気を取られて道標の存在自体気づいていなかった。

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「北 京い勢は川(つ)瀬寺/立田法里うじ奈ら道」「西 金かう山御所/すぐ 大峯山与し野道」「南 高野山五条上市/北 初瀬寺ミ王(わ)今井道」「于時天保四癸巳年八月建之」などと刻む。なお、年号の前の「于時」は「ときに」と読む。年号「令和」の出典である万葉集にも「于時初春月気淑風」とあるそうだ。

石の写真ばかりで相済まないが(笑)、東坊城町の外れにも1基、嘉永5年の道標が建つが、下部は埋没している。「右 金かう山高野ミ(「ち」が埋没?)」「左 初瀬奈良(「道」が埋没?」などと刻む。

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ここを右折して葛城川に沿って進み、大和高田バイパスの高架を潜ると雲梯の集落に入る。これまた難読地名で「うなて」と読む。葛城川を渡って東進、五井交差点で国道を横断すると今井町に入っていく。コロナの影響か古い街並みは一層静まり返っていて、アテにしていた蕎麦屋が営業していたのが奇跡に思えた。

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5月25日 ジョグ4キロ

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