歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」
「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」と並ぶ、ダ・ポンテ台本によるモーツァルトの名作オペラ。2014年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。
18世紀のナポリ。フィオルディリージ(スザンナ・フィリップス)、ドラベッラ(イザベル・レナード)の美人姉妹と熱愛の真っただ中にある、青年士官のグリエルモ(ロディオン・ポゴソフ)とフェルランド(マシュー・ポレンザーニ)。愛情は永遠に続くと信じて疑わぬ彼らの前に、哲学者を名乗るドン・アルフォンソ(マウリツィオ・ムラーロ)が現れる。彼はグリエルモとフェルランドが変装し、お互いの恋人を口説き落とせるかという賭けを持ち掛ける。自分たちの恋人は絶対に心変わりしないと受けて立つ二人だが……。(引用終わり)
タイトルは「女はみんなこうしたもの」、要するに女性の貞節などアテにならないといった意味で、そこだけ捉えれば女性蔑視だセクハラだとなりかねないが、劇中では「男も適当に遊んでいるんだから、女が浮気したって構わないじゃない」と言い切る進歩的(?)な女中デスピーナに唆されてという形になっている。そこはまあお互い様というオトナのお話なのである。
しかし、いくら変装したって自分たちの恋人を見間違うはずがないだろうし、いきなり訪ねて来た異邦人とその日のうちに結婚するなんて不自然すぎる。台本としてはいかがなものかと思うけれども、もしそんなことが本当にあったらという前提で書かれたモーツァルトの音楽の素晴らしさが、全てを帳消しにして余りあるのだ。
とりわけ、全体の半分以上にもなる重唱曲がいずれも秀逸で、騙す側と騙される側など各人の心情を巧みに織り込んだ音楽こそが、このオペラを成り立たせていると言ってよいだろう。フィオルディリージの「風にも嵐にも」、フェルランドの「愛のそよ風は」といったアリアは、単独のコンサートアリアとしても十分聴かせる内容を持つ。
ところで、第1幕の最後の方で姉妹の気を引くため青年たちが自殺を図った(ふりをした)ところ、デスピーナが変装した怪しげな医者が現れ、「ドイツのメスメル氏が考案してフランスで普及した」という磁石のような器具で助ける場面がある。この「メスメル」なる人物、ダ・ポンテの創作かと思っていたのだが、当時ウィーンで開業していた実在の医師で、一時期はモーツァルトのパトロンだったという。「動物磁気」なるものに着目した治療法を提唱したそうで、このオペラでもそれを踏まえているのだ。
4月20日 ジョグ6キロ
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コメント
ドイツ・オーストリアの作曲家は、オペラを一段低く見て、内省的な器楽曲を書いたと言われていますが、そもそも書けなかった?かのベートーヴェンでさえ1曲が精いっぱい。ブラームスもシューベルトもだめ。
後になれば、ワーグナーやリヒャルト・シュトラウスがいますが、こちらは長大なシンフォニーを書かない。書けない?
一方、プッチーニもヴェルディもロッシーニも交響曲を書かない?いや書けない。
というわけで、オペラと交響曲両方に傑作を残したモーツァルトは、やはり天才!!
分かりきった話ですみません。(^^)
話は不道徳でも不自然でもどうでもよくて、結局は音楽なんですよね。とくにオペラ・ブッファは。
投稿: ケイタロー | 2020/04/21 21:48
ケイタローさん
仰るとおりです。
シューベルト、シューマン、ブラームスは
歌曲や合唱曲ならかなりの数を書いていて、
一方のロッシーニやヴェルディ、プッチーニも
少数ながら器楽曲は書いてはいるのですけどね。
本人の個性とか性格によるのもしれませんね。
投稿: まこてぃん | 2020/04/22 21:30