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2020/04/30

『しらふで生きる』

Sober町田康著。版元の紹介文。

痩せた! 眠れる! 仕事が捗る! 思いがけない禁酒の利得。些細なことにもよろこぶ自分が戻ってきた! 4年前の年末。「酒をやめよう」と突如、思い立ち、そこから一滴も飲んでいない作家の町田康さん。「名うての大酒飲み」として知られた町田さんが、なぜそのような決断をしたのかを振り返りながら、禁酒を実行するために取り組んだ認識の改造、禁酒によって生じた精神ならびに身体の変化、そして仕事への取り込み方の変わるようなど、経験したものにしかわからない苦悩と葛藤、その心境を微細に綴る。全編におかしみが溢れながらもしみじみと奥深い一冊。(引用終わり)

著者についてはこの映画の原作者という以外全く知らなかったが、どんな内容なのか興味があって読んでみた。自分自身、昨年の直腸癌手術以降、原則として禁酒生活を続けているからだ。唯一の「例外」を白状しておくと、今年の元日に缶ビール1本とワイン1杯を飲んだだけだ。

結論的に言えば、どんな酒飲みにも参考になるというような内容ではなかった。前後不覚になるまで酔い、平常では考えられない言動に及んだことを本人は全く覚えていない。そんな「大酒飲み」には有益な本ではないかと思う。

彼らは「前後不覚になる」ために酒を飲むのであって、それは浮世の憂さを晴らすためであるから、その浮世の憂さを元から絶つことが出来れば酒を絶つことができる。そのためには自己に対する認識改造という一種の発想の転換が必要だ。本書の主張はほぼそれに尽きる。

それが簡単に出来れば言うことなしだけど、著者は天の声にでも導かれたか、それを見事に成し遂げた。その体験談としては貴重であるが、それほどの「大酒飲み」ではない(と自覚する)自分などにとっては、やや縁遠い世界のようにも思える。

ただ、著者がそれが目的で禁酒したわけではないと断った上で紹介する禁酒の効用、即ち「痩せる」「眠れる」「お金が浮く」「仕事が捗る」といったことは、自分自身も感じているところで100%同意できる。ついでに言うなら、これらの効用の大半はランニングによっても実現できることを元ランナーとしては付言しておきたい。

くだけた口語体と対照的に小難しい漢語がアナーキーに同居する独特の文体に加え、何というフォントなのか少々読みづらい活字のせいで、「しらふ」の頭でもさらっと読み通せないのは残念だった。

ところで、本書を読んだことで、もう自分は死ぬまで酒を一滴も飲まないのか?

言わぬが花でしょう。(笑)

月間走行 18キロ

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2020/04/27

中街道(高野街道)を歩く

前回下街道を歩いたとき、JR北宇智駅付近で中街道との分岐点を通過した。今回はそこから橿原市見瀬町までの約16キロを歩いた。この街道は別名「高野街道」とも呼ばれていたようで、さらに遡れば古代官道の「紀路」(きじ)または「巨勢路」(こせじ)に相当するらしい。

街道歩きに先立ち、北宇智駅に2007年まであった関西唯一のスイッチバックの痕跡を確認した。詳細はこちら。現ホーム南端から五条方の西側に、旧1番2番ホームと線路の痕跡が窺える。

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踏切から吉野口方を見ると、9.0パーミルの勾配標の先に引上線の線路が今も残っている。

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駅近くにある今回の行程で唯一のコンビニに立ち寄ってからスタート。間もなく県道120号に合流し、五條工業団地テクノパークと木材団地の間を登っていくと、坂の頂上からお隣の御所市に入る。

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まもなく左手からJR和歌山線の線路が接近してきて、この先は何度も踏切を渡りながら線路と並行して進む。難読地名「重阪」(へいさか)集落内の風景。

 

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やがて大淀町のエリアに入り、薬水(くすりみず)の集落内を通過する。薬水という地名は、付近にある弘法大師ゆかりの「薬水の井戸」に由来する。行く先々で井戸掘りをした御仁だったようだ。

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右手から今度は近鉄吉野線が近づいてきて、小高い場所にある薬水駅の下を通過する。城の石垣のように見えるのは、旧吉野鉄道の変電所があった場所だそうである。

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御所市に入り、JRと近鉄の間を進んでいくと、またまた難読地名に出くわす。古くは「ぶぜん」だったといい、九州の豊前に由来すると推定されている。この先にも「薩摩」「吉備」「土佐」といった旧国名地名が残り、藤原京造営に徴用された彼の地の人々が定着したものと考えられている。

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奉膳は古くから交通の要衝であり、集落内の交差点には「右かうや」「左大峯」「右大坂」などと刻む道標が立っている。左が吉野、大峯山方面、右奥が五條、高野山方面である。

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国道309号の高架を潜った先、JRと近鉄が共用している吉野口駅の付近は「古瀬」という地名であるが、「古瀬」「巨勢」「御所」はいずれも元々「川瀬」という同じ地名の別表記と考えられるそうである。

近鉄の次の葛(くず)駅近くには息子が通っていた幼稚園があり、行ってみると今も当時と変わらぬ様子であった。その隣の中華料理店で昼食を予定していたが、新型コロナの影響で臨時休業中だったため、街道沿いの食料品店で巻き寿司などを買って昼食休憩する。

その先で高取町に入り、近鉄吉野線と並行して進んでいくと、龍神伝説のある楠の巨木が天満神社参道脇に聳え、正面の小高い丘の上には宮塚古墳があるらしいが、神社仏閣と同様、古墳にもさして興味はないのでパス。

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高取町役場の西、吉備集落外れの曲がり角にある可愛らしい道標は田んぼの畔の中に埋没している。「右 はせいセミち」とあるようだが、「は」の字は削れて消えかけている。

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小高い丘を越えていくと、やがてうちの前を流れる高取川に突き当たる。もう地元みたいなものでひと安心だ。その手前には壷阪寺に通じる土佐街道との分岐点がある。左が壷阪寺方面、右が五條方面である。

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明日香村に入る。何度も通っている蕎麦屋の前の川沿いの道は実は旧街道だったのだ。飛鳥駅近くにある2基の道標は以前にチェック済である。

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橿原市に入って岡寺駅前を通過、見瀬町の三叉路で今回の行程は無事終了である。そこから北の八木、奈良方面の中街道は、既に2014年に踏査済みである。今回も一緒に歩いた家内が、裏道を含めた近辺の地理に関して自分よりずっと明るいことを再認識した。

4月26日 ジョグ6キロ

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2020/04/24

歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

Dongiovanni引き続いてダ・ポンテ台本、モーツァルト音楽による名作オペラ。2016年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

18世紀のスペイン、セヴィリャ。貴族のドン・ジョヴァンニ(サイモン・キーンリーサイド)は、2000人以上の女を陥落させた筋金入りの女たらし。今日も騎士長(クワンチュル・ユン)の娘ドンナ・アンナ(ヒブラ・ゲルツマーヴァ)に夜這いをかけるが、騒がれて逃げだしたところを騎士長に見つかり、殺してしまう。懲りないジョヴァンニは村娘ツェルリーナ(セレーナ・マルフィ)を口説こうとして、棄てた女のドンナ・エルヴィーラ(マリン・ビストラム)に邪魔される。何かがうまくいかないと首を傾げる不敵なドン・ジョヴァンニに、破滅の時が近づいていた…。(引用終わり)

分類としては一応オペラ・ブッファということになるけれど、いきなり只事ならぬ雰囲気で始まる序曲を聴けば分かるように、放蕩者ドン・ジョヴァンニ(ドン・ファン)の地獄落ちという悲劇を内包した、ある意味特異な構成を有する作品である。

ただ、第1幕の最初でドン・ジョヴァンニが刺し殺した騎士長の亡霊はその後全く登場せず、第2幕の最後になって石像姿で突然現れ、ドン・ジョヴァンニに「悔い改めよ」と迫る。その直前まで舞台ではドン・ジョヴァンニの放蕩ぶりがこれでもかと演じられているわけだが、騎士長はどこかでそれを見ていて遂に我慢ならなくなったというのだろうか。

その辺りがどうにも腑に落ちないため石像の登場がいかにも唐突に感じられ、肝心の地獄落ちの場面がそこだけ浮いてしまった印象が否めない。大詰めにきての喜劇と悲劇の対照は見事かもしれないが、そこに至るまでも楽しげな場面に忍び寄る不吉な影など、モーツァルトなら苦もなく音にできたのではないか。単に自分がそれを聴きとれていないだけだろうか。

そこはさておくとして、音楽的には大変完成度の高い作品で、有名な「お手をどうぞ」「ぶってよマゼット」など、優雅なメロディの中にエロスやコケットリーを包み込んだアリアは見事である。簡にして要を得た管弦楽法も円熟の極みで、第1幕の最後で舞台上の複数の楽隊がそれぞれの音楽を重ねて演奏する箇所は唖然としてしまう。

4月23日 ジョグ6キロ

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2020/04/21

歌劇「コジ・ファン・トゥッテ」

Cosi「フィガロの結婚」「ドン・ジョヴァンニ」と並ぶ、ダ・ポンテ台本によるモーツァルトの名作オペラ。2014年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

18世紀のナポリ。フィオルディリージ(スザンナ・フィリップス)、ドラベッラ(イザベル・レナード)の美人姉妹と熱愛の真っただ中にある、青年士官のグリエルモ(ロディオン・ポゴソフ)とフェルランド(マシュー・ポレンザーニ)。愛情は永遠に続くと信じて疑わぬ彼らの前に、哲学者を名乗るドン・アルフォンソ(マウリツィオ・ムラーロ)が現れる。彼はグリエルモとフェルランドが変装し、お互いの恋人を口説き落とせるかという賭けを持ち掛ける。自分たちの恋人は絶対に心変わりしないと受けて立つ二人だが……。(引用終わり)

タイトルは「女はみんなこうしたもの」、要するに女性の貞節などアテにならないといった意味で、そこだけ捉えれば女性蔑視だセクハラだとなりかねないが、劇中では「男も適当に遊んでいるんだから、女が浮気したって構わないじゃない」と言い切る進歩的(?)な女中デスピーナに唆されてという形になっている。そこはまあお互い様というオトナのお話なのである。

しかし、いくら変装したって自分たちの恋人を見間違うはずがないだろうし、いきなり訪ねて来た異邦人とその日のうちに結婚するなんて不自然すぎる。台本としてはいかがなものかと思うけれども、もしそんなことが本当にあったらという前提で書かれたモーツァルトの音楽の素晴らしさが、全てを帳消しにして余りあるのだ。

とりわけ、全体の半分以上にもなる重唱曲がいずれも秀逸で、騙す側と騙される側など各人の心情を巧みに織り込んだ音楽こそが、このオペラを成り立たせていると言ってよいだろう。フィオルディリージの「風にも嵐にも」、フェルランドの「愛のそよ風は」といったアリアは、単独のコンサートアリアとしても十分聴かせる内容を持つ。

ところで、第1幕の最後の方で姉妹の気を引くため青年たちが自殺を図った(ふりをした)ところ、デスピーナが変装した怪しげな医者が現れ、「ドイツのメスメル氏が考案してフランスで普及した」という磁石のような器具で助ける場面がある。この「メスメル」なる人物、ダ・ポンテの創作かと思っていたのだが、当時ウィーンで開業していた実在の医師で、一時期はモーツァルトのパトロンだったという。「動物磁気」なるものに着目した治療法を提唱したそうで、このオペラでもそれを踏まえているのだ。

4月20日 ジョグ6キロ

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2020/04/18

『リトル・ミス・サンシャイン』

Sunshine2006年、米。監督はジョナサン・デイトン、ヴァレリー・ファリス夫妻。制作には何と5名が名を連ねる。アマゾンの紹介文。

田舎町アリゾナに住む少女オリーヴ。なんともブサイクでおデブちゃんな彼女が、全米美少女コンテストでひょんなことから地区代表に選ばれた。オリーヴ一家は黄色のオンボロ車に乗り、決戦の地カリフォルニアを目指すことに。人生の勝ち組になることだけに没頭する父親、ニーチェに倣って信念で沈黙を貫く兄、ゲイで自殺未遂をした叔父、ヘロイン吸引が原因で老人ホームを追い出された不良ジジイ、そしてバラバラ家族をまとめようと奮闘する母親。そんな落ちこぼれ家族の、奇妙でハートフルな旅が始まった…!(引用終わり)

一応はロードムービー仕立ての家族コメディドラマと言えるけれども、この家族というのが皆一風変わった個性派揃いで、普段の行動や嗜好もてんでバラバラといった有様。ひょんなことから始まった彼らの長旅は最初から不穏な空気が漂い、次から次へと不運な出来事に見舞われる破目になる。

よくまあこれだけ続くものだと感心しながら観ているうち、彼らが気の毒だとか可哀そうという感情よりも、もうここまで来たら笑い飛ばすしかないという心理状態になってくる。しかし、どうやらその辺りからがこの作品の本領発揮なのではないか。

人間、どんな不幸に陥っても落ち着くところに落ち着くものだし、もしかしてそこに何らかの救いがあるかもしれない。そういう開き直ったような明るさ、大らかささえあれば、人生何とかなるものだというポジティブな気持ちにさせてくれる。一連の出来事を通じて家族がお互いを思いやり、団結を取り戻すといったありきたりのストーリーだけではアカデミー賞(脚本賞、助演男優賞)は貰えなかっただろう。

ところで、一家が乗ったフォルクスワーゲンのバンが途中で故障し、「押しがけ」でないとエンジンがかからなくなるというシーンがある。ほぼ全車がオートマチックの今の若い人は知らないだろうが、昔バッテリーが上がって困ったとき一か八かでやったら成功した経験を持つオジサンには懐かしい言葉なのだ。(笑)

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2020/04/15

歌劇「カルメン」

Carmenジョルジュ・ビゼー作曲。2014年、メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。ライブビューイングの紹介文。

19世紀のスペイン、セヴィリャ。連隊の伍長ドン・ホセは、いずれ故郷に帰って幼なじみのミカエラと結婚する日を夢見ている。そんな彼の前に、自由奔放なジプシー女のカルメンが現れた。カルメンの手管に魅入られたホセは、けんか騒ぎを起こして捕らえられたカルメンを逃がし、営倉送りに。出所したホセはカルメンを愛するあまり、彼女を取り巻くならず者の仲間に加わる。しかし間もなくカルメンの心は花形闘牛士に傾いてゆき…。(引用終わり)

古今の数あるオペラの中で最も広く親しまれていると言って過言でない作品だが、組曲やハイライト盤で聴いたことはあるものの、全曲を通して鑑賞したのは実は初めてである。

ファム・ファタールを代表する奔放なジプシー女カルメンと、彼女に魅入られた真面目な兵士ドン・ホセの悲劇を残酷なまでにリアルに描いた、フランス版ヴェリズモオペラとでも言うべきか。ただし、似たような設定のプッチーニ「マノン・レスコー」がパリを、こちらはセヴィリャをそれぞれ舞台にしているのが面白い。

スペインの眩しい陽光と、その分濃い影の対照は、生と死、愛と憎しみ、秩序と自由といったコントラストをより鮮明にする。闘牛士エスカミーリョもただスペイン名物だから登場するのではない。闘牛は観客の眼前で繰り広げられる生と死の儀式であり、幕切れでカルメンの死と闘牛場の内部を重ね合わせたリチャード・エアの演出が光る。

それにしても、タイトルロールのアニータ・ラチヴェリシュヴィリ(ジョージア)、ドン・ホセのアレクサンドルス・アントネンコ(ラトヴィア)、エスカミーリョのイルダール・アブドラザコフ(ロシア)、ミカエラのアニータ・ハーティッグ(ルーマニア)と、主な役の全てを旧ソ連、東欧圏の歌手が占めているのに驚かされる。WOWOWの解説を担当した奥田佳道氏は、「大地に根差したような深い声の魅力と、冷戦崩壊後に西側で研鑽を積んだ成果が相俟った」という趣旨のことを述べている。

なお、指揮はスペイン出身の気鋭のマエストロ、パブロ・エラス=カサド。指揮棒を持たず、ジェスチャーもさほど大きくないが、滾るような情念に満ちたビゼーの音楽をMETオケからよく引き出していた。

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2020/04/12

NHKプラス

NHKの地上波(総合、Eテレ)常時同時配信、見逃し番組配信サービス「NHKプラス」が4月から本格実施となったので、早速タブレットにアプリを入れ、利用登録手続きを済ませて視聴してみた。8インチのタブレットで見た感想としては、映画やドラマはともかくニュース番組などを見るには十分なクオリティである。

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これまで外出時にTVを見たいときはガラホのワンセグTVが頼りだったが、画面が小さいうえに屋内では電波が安定せず、全く映らなかったり固まったりする場合が多かった。NHKプラスだと携帯の電波が届く限りどこでも鮮明な映像が見られるから、この先また入院することになってもTVカードを買わなくて済む。ちゃんと受信料を払っている世帯は無料で利用できるのだ。

ローカルは南関東の番組のみとなっていたり、著作権の関係で番組の全部(または一部)が放送されない(または「ふたかぶせ」となる)などの制約があるものの、放送中番組の追いかけ再生や、過去1週間の番組がいつでも見られるなどメリットは大きい。当然ながらNHK地上波の番組に限られるわけだが、普段から民放の番組はほとんど見ないので全く問題ない。

ところで、「NHKプラス」という名称から、総合テレビのコント番組「LIFE!」の「プラス車掌」を連想してしまったが、もしかしてネーミングのヒントになったりしたのだろうか。(笑)

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2020/04/09

歌劇「セミラーミデ」

Semiramide2ロッシーニのオペラ・セリアの最高傑作とされる作品。アンジェラ・ミード主演による2018年メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

古代バビロニア。女王セミラーミデは、アッシリアの王子アッスールにそそのかされ、夫である国王ニーノを殺した過去を持っていた。ニーノとの間に生まれた息子のニニアは、ニーノの殺害後、行方不明になっている。 ニーノが亡くなって15年がたち、セミラーミデは後継者を選ぶ必要に迫られていた。若い武将アルサーチェに惹かれているセミラーミデは、彼を夫に迎えて王位を継がせようと考えている。だがそのアルサーチェこそ、行方不明となった息子のニニアだった。それとは知らないセミラーミデは…。(引用終わり)

劇的な序曲は大変有名で演奏機会も多いけれど、本篇は3時間を超える長尺に加え、タイトルロール他のアリアにはハイトーンやアジリタ(細かく速いパッセージ)が続く超絶技巧が要求され、実際に上演される機会はそれほど多くない。20世紀に入ってからは1962年のミラノ・スカラ座まで上演されず、ノーカット全曲校訂版での世界初演を1990年に果たしたMETでも、本公演は実に25年ぶりのことという。

ロッシーニと言えば、「セヴィリャの理髪師」に代表されるようなオペラ・ブッファの作曲家というイメージが強く、オペラ・セリアにも多くの作品を残していることはこれまで知らなかった。ただ、台本の内容が悲劇というのは確かだけれど、音楽はいつものロッシーニ節というのか、長調で軽快な音楽が多く、陰惨なストーリーとの違和感が若干ある。

行方不明になっていた身内との因縁の再会というテーマは、「イル・トロヴァトーレ」(弟)、「シモン・ボッカネグラ」(娘)を想起させるし、男女の三角関係を巡るドロドロの愛憎劇、最後に主人公が死んで(殺されて)終わるところなど、オペラの定番とも言える筋書きはロッシーニの時代でも変わらない。

さて、これで手許にあるイタリアオペラの録画は全部観終えた。「チェネレントラ」「ランメルモールのルチア」「運命の力」「ファルスタッフ」等、これまで観る機会がなかった名作オペラも、今後入手できれば是非観てみたい。

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2020/04/06

下街道を歩く その3(御所~五條)

3日目は御所から五條までの約14キロプラスαである。近鉄御所駅前をスタートしてまもなくJR和歌山線の踏切を越えると、線路に沿った桜並木がほぼ満開となっていた。

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このあとは基本的に国道24号に沿って進み、所々で残っている旧道に分岐、合流を繰り返すという行程になる。途中こんな難読地名も。知らなければ絶対に読めない。

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小殿(おどの)から五條市との境界辺りまではずっと旧道を進む。少し高い所を通る国道は何度も通ったことがあるが、そのすぐ横に鄙びた旧道があることは今回初めて知った。小殿集落の真ん中辺りにある洋館。おそらく元旅籠だった隣の建物と並んだ取り合わせが何とも言えない。

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ここからは風の森峠に向かう緩やかな登りとなる。

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風の森峠。右は国道24号、左が旧道である。まるでジブリのアニメ映画に出てきそうな名前だけど、古くからある由緒ある地名だそうで、付近には風の神である志那都比古神を祀った風の森神社がある。写真がピンボケなのは強風のせいではなく、降り続く小雨で携帯カメラのレンズが曇っていたためである。

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この先から再び国道と合流、分岐を繰り返す。京奈和自動車道の高架を潜るところに道標が2基、時代に取り残されたように佇んでいる。左側は天保9年の建立で「右御所八幡/左五条かうや道」、右側の愛らしい指差道標には「志こく道」とあるようだ。

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峠を迂回してきたJR和歌山線を再び越えてさらに下っていくと、JR北宇智駅近くに中街道(下ツ道)との追分がある。左奥の御所方面から来た下街道は手前五條方面へ伸び、中街道はここから右奥に進んで八木を経由して奈良に至る。近いうちにこの中街道も歩いてみるつもりである。

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さらに進んで、三在(さんざい)交差点の近くで今度は伊勢街道と分岐する。先と同じ構図で右が伊勢街道である。

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この先で一旦国道と合流するが、かつて吉野川ハーフマラソンの会場となっていた五條東中学前の今井交差点から再び旧道に入り、JR五条駅前を通過して本陣交差点に至る。下街道はここまでで、この先は紀州街道(大和街道)となる。

交差点には安政2年の道標が建ち、「右いせ/はせなら/大峯山上/よしの道 左かうや/わか山/四國/くまの道」と刻むが、後になって灯火用に穴を貫通させたようで、欠落した元の「左」に代えてその下にごく小さな「左」の文字を付け加えている。

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ブロック塀側は読みにくいが、携帯カメラを差し入れてみると「□□□平 国土安穏/□□□明 五穀成就」と読める。□の部分は穴のため欠落しているが、前者は「天下泰平」だろうか。

下街道歩きとしてはここで終了だが、折角の機会なのでもう少し足を延ばし、新町の古い街並みと五新線跡を見て来た。新町口交差点から一歩足を踏み入れると、突然江戸時代の紀州街道にタイムスリップする。

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旧家を改造した「まちなみ伝承館」という施設があって、入場無料というので入ってみた(笑)。いろいろと説明してもらったが、先ほどの道標はここで聞かなければ危うく見逃すところだった。

JR二見駅に向かってさらに進むと、五新線の高架線路跡が街道上を通っている。五新鉄道は正確には廃線ではなく、一度も鉄道として使われなかった未成線である。吉野川を渡った先の路盤跡は7年前に散策したことがあるが、五条駅側の遺構をじっくり見たのは初めてだ。

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なお、申し遅れたが今回の下街道は全行程を家内と一緒に歩いた。病気をしていなければ当然走り旅となり、こういうこともなかったわけで、一種のケガの功名と言えるかもしれない。偶然ながら家内が勤めていた職場の近くを通る、土地勘のある行程だったとはいえ、マニアックな街道歩きに3日間も付き合わせてちょっと申し訳なかった。

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2020/04/03

下街道を歩く その2(箸尾~御所)

2日目は箸尾から御所までの約13キロ。葛城川を渡ってしばらく西進した街道が、箸尾の集落内で左折し再び南進する地点。その角に建つ古い建物は、2階の外観からして多分昔は旅籠だったと思われる。

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ひたすら南進して広陵町役場前を通過すると、南郷の環濠集落に入る。中世に防御を目的とした濠を周囲に巡らせて作られた集落である。濠は近世以降は農業用水にも利用されているが、生活排水の滞留による環境悪化が問題となっていた。最近では公共下水道が整備されて水質が改善し、一部は公園として開放されお花見などが出来るようになっている。

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まもなく大和高田市に入り中和幹線を横断すると、昨年6月に手術入院したD病院の横を通過する。病院から国道に出る交差点にもう1本斜めの道があって、入院した頃からこれは旧街道に違いないと睨んでいた。とにかくまだ生きていて、街道歩きが出来る状態にあることの幸せを感じながら歩いた。

大和高田の市街地に入り、JR高田駅近くの踏切を渡ると商店街のアーケードに入る。県道を横切り、アーケードが途切れたところで左折すると本町通りである。これが本来のメインストリートであって、並行して不自然に蛇行する県道はのちの時代に、おそらくは用地買収に苦労しながら作られた新道なのである。

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まもなく竹内街道との交差点に差し掛かる。竹内街道を走ったときにはこれが下街道だとは知らなかった。右手前から左奥方向が下街道、左右に交差する道が竹内街道である。

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国道166号に合流して近鉄高田市駅前を通過すると一旦国道から西に逸れ、再び国道に合流する地点からは大和高田市と葛城市の境界線上を行くことになる。大和高田バイパスとの交差点付近は、普段から車で食事や買い物に来ることが多く、そこを歩いて通過するのは不思議な気分である。その先で国道から分岐して旧道に入ると葛城市のエリアとなり、旧街道の風情がよく残されている。

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忍海辻堂。石梯子付の常夜燈の礎石には「邨内安寧」の文字が刻まれている。なお、忍海は「おしみ」と読む。その南は薑(はじかみ)、そして御所市(ごせし)と、難読地名が続く。

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御所駅付近にはお地蔵さんが8体、ひとつは双子だったので9体というべきか、並んで祀られていた。京都伏見に六地蔵というのがあったが、これはちょっと字余り?

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その3に続く。

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