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2020/03/31

下街道を歩く その1(大和郡山~箸尾)

ようやく暖かくなってきたので街道歩きを再開。新型コロナが猛威を振るっているけれど、ほとんど人気のない旧街道を黙々と歩く分には特に問題はないだろう。今回は大和郡山から大和高田を経て五條に至る下街道、約38キロを3日間に分けて歩いた。

1日目は大和郡山から箸尾(はしお)までの約11キロである。午前10時前に近鉄郡山駅前をスタート。JR郡山駅に至る東西の道は何度も通ったことがあるが、その途中で右折して柳町商店街をしばらく南下すると、竜田越え奈良街道との分岐点に至る。写真右側から来た奈良街道はここで手前側に左折、下街道はここを起点に左奥に南進する。地図では正面に旅館花内屋があるはずだったが、最近取り壊された模様で空き地になっていた。

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街道沿いには郡山名産の金魚を飼育する池を多数見かけたが、今はオフシーズンのようで水を張っていなかったり、何か保守作業のような工事をしている所もあった。ひたすら直進すると筒井の集落に入り、筒井順慶の居城だった筒井城跡近くを通過する。筒井順慶顕彰会による案内板があり、それによれば下街道は別名「吉野街道」とも呼ばれていたようだ。

国道25号を横断する交差点に道路元標があり、ここが旧筒井村の中心だったことが分かる。国道は何度も車で通っているけれど、それを横断する旧道を歩いていると、江戸時代にタイムスリップしたような感覚に包まれる。電車からも見える駅近くの大きな池を回り込んで高架線路を潜り、パナソニックの工場の横を通ってまたひたすら南進する。

西名阪の高架を潜ると街道は南西に向きを変えて蛇行を始め、いかにも旧道という雰囲気が濃くなる。やがて大和川の堤防に出て大和中央道を横断する。

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安堵町に入って間もなく、17世紀に創建された国指定重要文化財の中家住宅がある。二重の濠に囲まれた広大な屋敷で、もとは筒井一族の武家屋敷だったそうだ。今も中氏の末裔が住まわれ、事前に予約すれば内部を見せてもらうことも出来るが、有料なので外から眺めるだけで済ませる。

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大和川、寺川を渡って川西町に入ったところに、2基の常夜燈と安政2年建立の道標が並んで建ち、その側を通る細い道が旧街道のようである。道標の正面には「右郡山奈ら京 左法里うじ立田大坂道」、側面には「左たか多吉野道」と刻む。「立田」は竜田、「たか多」は高田である。位置関係から考えて、元は法隆寺から奈良に通じる東西方向の道に、正面を南に向けて建っていたと思われる。

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この先のコンビニで昼食休憩を取る。付近には飲食店も少なく、多くの来店客でごった返していた。現代の茶屋は街道を行く旅人以外にも重宝されているのだ。ここから一旦県道36号を通るが、すぐに外れて唐院の旧集落の中を進む。

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飛鳥川を渡ってしばらく南進すると三宅町に入る。曽我川の堤防下に「すぐ郡山奈良道」と刻む道標があるが、建立年代は不明である。何の目的なのか、上部に細い穴が貫通している。

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曽我川を渡ると今度は広陵町と、めまぐるしく行政区域が入れ替わる。平成の大合併をものともせず独立を貫いたのはそれだけ財政力がある、つまりは高額納税者が多いということなのだろう。

葛城川に沿って南進、近鉄田原本線の踏切を越え、枯木橋で葛城川を西に渡ると箸尾の旧集落に入る。この日の行程はここで終了である。集落外れの近鉄箸尾駅から帰途に就いたが、単線のワンマンカーが昼間は1時間に2本しか来ない無人駅である。奈良盆地のど真ん中にありながら、地方ローカル線のような風情が味わえた。

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その2に続く。

月間走行 27キロ(笑)

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2020/03/28

『グリーンブック』

Greenbook_202003271221012018年、米。ピーター・ファレリー監督。公式サイトの紹介文。

時は1962年、ニューヨークの一流ナイトクラブ、コパカバーナで用心棒を務めるトニー・リップは、ガサツで無学だが、腕っぷしとハッタリで家族や周囲に頼りにされていた。ある日、トニーは、黒人ピアニストの運転手としてスカウトされる。彼の名前はドクターことドン・シャーリー。カーネギーホールを住処とし、ホワイトハウスでも演奏したほどの天才は、なぜか差別の色濃い南部での演奏ツアーを目論んでいた。二人は、<黒人用旅行ガイド=グリーンブック>を頼りに、出発するのだが─―。(引用終わり、一部加筆)

トニーとドンは実在の人物で、彼らの実体験がベースになっているそうだが、無教養でマッチョで下品なのが白人、知的な芸術家で上品なのが黒人と、普通とは逆の設定になっているところがミソである。

境遇も性格も正反対、最初はお互いへの嫌悪感も露わに険悪な雰囲気だった二人が、ツアーを続けるうち様々な出来事を通じて徐々にお互いを認め合うようになる。それはやがて周囲の人間にも良い影響を及ぼすようになる。ロードムービー仕立ての心温まるヒューマンドラマである。

音楽が持つ力も映画の主要テーマになっていて、ドンのピアノを中心にチェロ、ベースを加えたトリオの演奏はもちろん、旅先の黒人バーで弾いたショパンの練習曲「木枯らし」と、その後の地元メンバーとの即興セッションでバー全体が盛り上がる場面は感動的だった。

音楽ネタでもうひとつ。ドンがトニーに手紙の書き方を伝授する場面で、ドンが教えた詩的な文章の最後に、トニーが自分流に「追伸 子供にキスを」と書き添えたいと言うと、ドンは「交響曲の最後にブリキの太鼓を?」(字幕)とからかう。ここは実際は「ショスタコーヴィチの(交響曲)第7番の最後にカウベルを鳴らすようなものだ」となっていて、意味が分からないト二―が「“いい”ってことか?」と訊くと、ドンが「完璧だ」と返す。

ショスタコ7番のあの賑やかな終楽章の最後で「カランコロン」とカウベルが鳴れば噴き出すこと必至だが、一見堅物に見えるドンがなかなかシャレの分かる人物であることが分かる粋なシーンだ。彼がモスクワ音楽院で勉強した経歴を話す前半の場面が伏線になっている。

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2020/03/25

未聴だった曲を聴く

Uccd2199食わず嫌いというのか、曲名は知っていてFM放送などで「ながら聴き」したことはあっても、ちゃんと構えて聴いたことのない曲が結構ある。特にフランス、イギリス、ロシアなどドイツ・オーストリア圏以外の作曲家や、後期ロマン派以降の調性を有しなくなった音楽は進んで聴こうとしてこなかった。

しかし、歴史のフィルターを通って生き残り、名曲名盤を解説した本やサイトに掲載されている曲はそれなりの魅力があるはずで、それをきちんと聴かないままで終わるのもどうかと思い、適当に取捨選択してCDをレンタルし、順次聴いてみることにしたのだ。これまでに聴いたのは次のような楽曲だ(順不同)。

リスト「ファウスト交響曲」
ドビュッシー「前奏曲集」「映像」
ショーソン「詩曲」「交響曲変ロ長調」
ストラヴィンスキー「3楽章の交響曲」「交響曲ハ調」
スクリャービン「交響曲第4番『法悦の詩』」
ヤナーチェク「シンフォニエッタ」
ヒンデミット「交響曲『画家マティス』」
ツェムリンスキー「抒情交響曲」

結論的に言えば、やはり「それなりに」聴ける曲が多かったが、また何度か聴いてみたいと思ったのはリストの「ファウスト交響曲」だけだった。違う演奏だとまた印象が変わってくるかもしれないけれど、同曲異演盤を試す時間があるなら、もう少し他の曲も物色してみようかと思う。

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2020/03/22

畝傍山登山道再開

2月17日から3月末にかけて畝傍山登山道の一部が補修工事のため通行止めになると予告されていたが、事前準備まで含めての期間だったようで、実際に通行止めになったのはせいぜい1週間から10日程度だったと思われる。昨日登ったときには既に工事は完了していて、通常ルートでの通行が可能だった。

麓に積まれていた資材から考えて、それほど大規模な工事ではないと予想していたとおり、写真のようなチェーンの柵が2箇所、合計でも20mから30m程度を設置したに過ぎなかった。狭い遊歩道が広がったわけでもなく、柵のない場所は相変わらず急峻な崖のままである。一体何のための工事なのかよく分からず、時期的にみて年度末までに余った予算を消化するためとしか考えられない。

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まあ、それでもより安全に山登りが出来ることになったのは喜ぶべきだろう。先月から久々に走り始めたが、鈍った脚に負担がかかったのか、左ふくらはぎを痛めてしまったので、当面は山登りで体力維持を図るしかない。今月末か来月にもまた手術の予定が入りそうなだけに、登れる時に登っておきたい。

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2020/03/19

歌劇「セヴィリャの理髪師」

Barbiereロッシーニの代表作にして、オペラ・ブッファの最高傑作とされる作品。メトロポリタンオペラ2014年公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

18世紀のスペイン、セヴィリャ。プラドで見初めた町娘ロジーナを追ってやってきたアルマヴィーヴァ伯爵は、彼女が後見人のバルトロの家で籠の鳥状態になっていることを知る。町の名物男で理髪師をやっている旧知のフィガロと再会した伯爵は、フィガロを相棒にロジーナを助け出そうと決心。フィガロのアドヴァイスに従い、伯爵は酔っぱらいの兵隊や音楽教師に変装してバルトロ家に潜り込むが…。(引用終わり)

同じボーマルシェ原作のモーツァルト「フィガロの結婚」は本作の続篇に当たるが、作曲年代からすると順序が逆になっている。WOWOWで司会役を務める八嶋智人が、「スターウォーズ」のエピソード1が後から製作、上映されたみたいなものと解説していたが、なかなかうまいことを言うものだ。

「フィガロ…」は何度か観たことがあるので、その「エピソード1」は大変興味深かった。これだけの騒動の末に結ばれた伯爵夫妻が、「フィガロ…」ではとっくに倦怠期を迎え、伯爵は下女のスザンナに手を出そうとする始末で、男というのは本当に仕様のない生き物だ。(笑)

ストーリーは最初から最後までハチャメチャ、登場人物はいずれも一癖も二癖もあるキャラが揃い、真面目に演じれば演じるほど笑えてしまうドタバタぶりは、まるで吉本新喜劇のようである。バルトロの召使アンブロージョは始終居眠りしていて、井上竜夫が演じていても全く違和感がなさそうだ。

ロッシーニの音楽は、わずか2週間で書き上げたというのが信じられないほどの内容を持ち、場面ごとに、否、セリフの一行一行ごとに、曲想から音色まで絶妙な変化を見せながら舞台を盛り上げる。超絶技巧のアリアもさることながら、最大6重唱で各人がそれぞれの思いを物凄い早口でまくしたてる場面は圧巻だった。

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2020/03/16

『イングリッシュ・ペイシェント』

Englishpatient1996年、米。アンソニー・ミンゲラ監督。レイフ・ファインズ、ジュリエット・ビノシュ他。WOWOWの紹介文。

第2次世界大戦中だった1944年、イタリア。飛行機事故で全身にやけどを負い、記憶を失った男性アルマシーが野戦病院に運び込まれてくる。アルマシーが献身的な看護婦ハナに語りだす、彼が体験してきた愛と冒険の思い出とは…。アルマシーはハンガリーの伯爵家に生まれた冒険家で、かつてはアフリカの砂漠で地図作りに没頭していて、1938年、アフリカの地で人妻キャサリンと出会い、彼らは熱愛の仲に落ちたというが…。(引用終わり)

第2次大戦さなかの不倫愛とその悲劇的な結末までの顛末を、火傷で顔も爛れ瀕死状態に陥った主人公が回想するという形式で進行する。その数奇な物語もさることながら、アフリカの砂漠の圧倒的なスケールと、それに対する小さくとも愛しい人間の生の対比が鮮やかな、映像による叙事詩である。

イタリアの廃墟となった修道院で奇妙な共同生活を始めた男女4人の人間関係も興味深い。生と死、出会いと別れ、怨念と復讐、そして赦し。大戦前後に世界各地で生起したであろう夥しい数の悲喜劇の縮図が、そこに凝縮されているように感じた。

アフリカの砂漠を舞台とした英国の軍事諜報作戦が主要なテーマのひとつになっていて、その点『アラビアのロレンス』と通じるものがある。もしかして、英国人の心象風景のどこかに、砂漠に対する憧れのようなものがあるのだろうか。ケテルビー「ペルシャの市場にて」もまた然り。

3月16日 ジョグ5キロ

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2020/03/13

歌劇「アドリアーナ・ルクヴルール」

Adreana1902年に初演されたフランチェスコ・チレアの代表作。18世紀フランスに実在した大女優アドリアーナ(アドリエンヌ)・ルクヴルールの熱烈な恋と非業の死を描いたヴェリズモ・オペラの傑作。2019年メトロポリタンオペラ(MET)公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

18世紀前半のパリ。有名な劇場コメディ・フランセーズの大人気女優アドリアーナ・ルクヴルールは、ザクセン伯爵の旗手マウリツィオと愛し合っている。マウリツィオは実は伯爵本人で、職務で大貴族のブイヨン公妃と会わなければならなかったが、公妃はマウリツィオに恋心を抱いていた。ある事件をきっかけに恋敵だと知ったアドリアーナとブイヨン公妃は火花を散らし、夜会の席で朗読を所望されたアドリアーナは、暗に公妃の不義をなじる内容の詩を読み上げる。激怒した公妃は、毒を仕込んだスミレの花束をアドリアーナに送りつけるのだった。(引用終わり)

男女の三角関係が煮詰まって主人公の死で終わるという、オペラの定番とも言うべきストーリーながら、同じ男を巡って争う二人の女性の激しい嫉妬と鞘当てに焦点を当て、それが毒殺事件にまで発展する過程をつぶさに描いているのが本作最大の特徴である。

アドリアーナとブイヨン公妃がともに主役とも言うべき作品で、力量あるソプラノとメゾが揃わないとこのオペラはサマにならない。とりわけアドリアーナ役には並外れた歌唱力に加え、大女優に相応しい容姿風格や演技力が求められるため、なかなか上演される機会に恵まれず、METで過去にアドリアーナを演じたのは、テバルディ、スコット、カバリエ、フレーニといった大御所たちに限られる。

今回の上演ではアドリアーナにアンナ・ネトレプコ、ブイヨン公妃にアニータ・ラチヴェリシュヴィリのロシア・ジョージア(グルジア)コンビを起用、ともに持ち味のやや暗い声質を生かした、女同士の火花が散るような怨念の対決を迫力たっぷりに演じている。一方、マウリツィオを演じたピョートル・ベチャワは誠実純朴な印象で、終始女性二人の間で板挟みになったままで終わってしまった感じである。

有名な「私は創造の神の卑しいしもべです」をはじめとするドラマティックなアリアや二重唱もさることながら、管弦楽の繊細な音色は他のイタリアオペラにあまり見られないほどの見事さで、本作を演奏する機会の少ないMETオケからチレア独特の甘くて激しい音楽の奔流を引き出したのはジャナンドレア・ノセダの手腕だろう。

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2020/03/10

歌劇「アンドレア・シェニエ」

Andreachenierジョルダーノの代表作で、ヴェリズモ・オペラの傑作。1896年の初演と同じミラノ・スカラ座における1985年公演の録画を鑑賞。タイトルロールは若き日のホセ・カレーラス、指揮はリッカルド・シャイーである。

フランス革命時代の大きく揺れ動く社会情勢を背景に、革命の理想を追い求め最後は断頭台で処刑された実在の詩人アンドレア・シェニエをモデルに、貴族の令嬢マッダレーナとの純愛、元貴族の召使で革命後は政府高官となったジェラールとの三角関係を軸に、数々の劇的なアリアとそれを彩る重厚な管弦楽で構成された娯楽大作である。

革命前夜の貴族社会を風刺たっぷりに描く第1幕は、バレエやダンスが挿入されてやや冗長に感じたが、ここで旧体制に対する詩人シェニエと召使ジェラールの反発が明らかとなる。革命から数年を経た第2幕以降はリアリズムに満ちたドラマが展開し、最後まで目が離せなくなった。

貴族の身分のみならず人間としての尊厳まで失ったマッダレーナの悲運。彼女に思いを寄せながらも、マッダレーナのシェニエに対する深い愛情に打たれるジェラールの男気。同じイッリカの脚本になるプッチーニ「トスカ」と登場人物の相似関係が指摘される本作だが、ドラマとしての厚みは「トスカ」に勝るとも劣らない。

第3幕のマッダレーナの有名なアリア「母が死んで」は、1993年の映画『フィラデルフィア』の中で、トム・ハンクス演じる主人公の弁護士が愛聴するという設定のマリア・カラスの歌唱で登場する。

エイズに感染して解雇された彼が、自分の弁護を引き受けてくれたデンゼル・ワシントン演じるもう一人の弁護士にこのアリアを聴かせ、その内容説明に重ね合わせて自らの心境を理解してもらうという重要な場面だ。今回初めてオペラ全体を通して観て、ようやくこのアリアの内容とともに、映画で使われた意図がよく理解できた。

3月9日 ジョグ6キロ

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2020/03/07

シャイー&ゲヴァントハウスのベートーヴェン交響曲全集

Uccd1307 ブラームスに続いて、ベートーヴェンの交響曲全集も入手して試聴してみた。発売元の紹介文。

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のカペルマイスターに就任以来、メンデルスゾーン、シューマン、バッハなどのディスクをリリースしてきたリッカルド・シャイー。長いキャリアの中で、まだ録音のなかったベートーヴェンも2007年から2009年にかけて取り組み、ついに交響曲全集を完成させました。今回の全集は9曲の交響曲に加え、8曲の序曲も収録。早めのテンポながらメロディを美しく歌わせ、第9番には児童合唱を参加させるなど、新たな試みも随所に取り入れています。ベートーヴェンを知り尽くしたオーケストラと21世紀の巨匠シャイーによる、デッカ久々のベートーヴェン全集です!(引用終わり)

曲と楽章によって差はあるけれど、紹介文にあるとおりテンポは確かに速い。「田園」第1楽章や第8番終楽章など、あっと驚くほどだ。しかし、ただ速いだけのアクロバット演奏ではなく、十分に練り上げられた合奏として完成の域に達している。さすがは伝統ある楽団と感心しているうちに、最初に感じた驚きや違和感は次第に薄れ、あたかもこれが本来のテンポだったのではないかと感じてしまう。

結局のところ、この演奏が目指しているのはただ速いのではなく、それによって楽曲の新たな側面に光を当て、初演当時の聴衆が感じたであろうような、新鮮な驚きと刺激をもたらすことではないか。以前聴いたバレンボイム盤でも同じねらいを感じたが、そこでは響きの粗削りさや、合奏の反求心性とでも言うのか、予定調和的な均衡にこだわらない演奏となっていた。

シャイーの場合は、まずはテンポ設定を抜本的に見直すことから始めたのだろう。その手法はかなりの成功を収めたと言える。過去どれだけ演奏され、録音されたか分からないベートーヴェンの交響曲だが、古楽器を使用した学究的アプローチ、モダン楽器とピリオド奏法の折衷といった変遷を経た今日でもなお、まだ気づかない魅力があることを再認識させてくれる。

さらに、スコアの細部にわたって入念な検討を行い、慣例的なスタイルにこだわらない演奏をしている箇所がかなりあるようだ。まだ一部しか気づいていないけれど、例えば「英雄」で発見したのは次の3箇所である。

・第2楽章207、208小節 第3ホルンの音型(運命の動機)を強調
2nd
・第4楽章20~27小節 弦楽器はピツィカートでなくアルコ

・同407小節 クラリネット、ファゴットのEs-F-Esの音型2回目が欠落
4th

また、第5番では以前ドホナーニ盤で気づかされた、第1楽章のホルンによる「運命の動機」2箇所についても、より鮮明に聴こえる。

快速テンポのおかげで、9曲の交響曲に加えて、8曲の序曲も含めて5枚のCDに収まったお得な全集盤である。「エグモント」は大変重厚な演奏で感心したけれど、初めて聴いた「アテネの廃墟」「命名祝日」「シュテファン王」は楽曲自体いかにも凡庸で、演奏機会が少ないのも頷ける。それも全て含めて、今年生誕250年を迎えたベートーヴェンの音楽を改めて堪能した。

3月6日 ジョグ8キロ

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2020/03/04

『スマホを落としただけなのに 囚われの殺人鬼』

Toraware2020年、製作委員会。公式サイトの紹介文。

長い黒髪の女性ばかりを狙った、連続殺人事件。事件を追っていた刑事の加賀谷(千葉雄大)が、連続殺人鬼の浦野(成田凌)を捕まえて事件は幕を閉じた。と、誰もが思っていた――。犯人を捕まえたにも関わらず、同じ殺人現場から次々と発見される、若い女性の遺体。捜査が混迷を極める中、加賀谷は最後の手段として、囚われの殺人鬼·浦野への面会を申し込む。「お前が、殺したのか……?」
刑務所で自由を奪われた浦野は、かつて自分にネット犯罪の全てを教えた、人物「M」の存在を明かし、自分ならMに近づくことができると加賀谷にささやく。仕方なく浦野と手を組むことにした加賀谷だったが、恋人美乃里(白石麻衣)が謎の男に狙われていることに気が付く。なぜ犯人は美乃里を狙うのか。これは模倣犯の仕業? それとも浦野の犯行? やがて事件は誰もが予想しない急展開を見せ、加賀谷は愛する者の命だけでなく、自分が抱えるヒミツまでもが危険に晒されてしまう。(引用終わり)

北川景子が主演を務めた2018年作品の続篇ということで、久々に劇場に足を運んだ。新型コロナの影響で閑古鳥が鳴いているかと思いきや、突然春休みが早く始まってしまった高校生と思しきグループが続々と詰めかけていた。彼らはまいやんがお目当てなのだろうが、当方のお目当ては残念ながら最初の結婚式シーンのみの登場で終わってしまった。

ストーリーについて詳細に書くわけにはいかないが、前作と同様、いやそれ以上に別の人間を真犯人と誤認させるシーンが何度も登場するし、元々は別のスジの2つの事件を混ぜこぜにして攪乱しようというのは、ちょっとどうかなと思う。ものの見事に騙された負け惜しみかもしれないが。(笑)

スマホを落として良いこともあるというエンディングはベタだけど、残酷なシーンも多い作品を締めくくる中和剤としては許されるだろう。なお、エンドロールの最後でさらなる続篇の製作が仄めかされているが、次はもう北川景子の出番はないだろうな。

3月3日 ジョグ8キロ

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2020/03/01

『アンタッチャブル』

Untouchables1987年、米。ブライアン・デ・パルマ監督。ケヴィン・コスナー、ショーン・コネリー、ロバート・デ・ニーロほか。映画ドットコムの紹介文。

1930年、禁酒法下のシカゴ。財務省から派遣された特別捜査官エリオット・ネスは街を牛耳るギャングのボス、アル・カポネに敢然と戦いを挑む。ベテラン警官のマローンを始め、射撃の名手ストーン、税理士のウォレスといったメンバーに支えられ、ネスの捜査が始まる。しかし巨悪カポネの差し向けた殺し屋によって、ひとり、またひとりと犠牲者が……。かつてテレビドラマでも人気を博したアクション・ロマンを映画化。(引用終わり)

歌劇「道化師」の名アリア「衣裳をつけろ」が使われたシーンがあるというので観てみたが、それは予想していたような終盤の重要シーンではなく、途中のエピソードのひとつに過ぎなかった。使われた音源はこの道化師カニオが当たり役と言われた名テノール、マリオ・デル・モナコの歌唱である。実際はどうだったか分からないが、デ・ニーロ演じるカポネはアリアを聴いて涙を流している。考えてみれば監督のデ・パルマ、音楽のモリコーネも含めてイタリア系ばかりで、彼らの心の琴線に触れる音楽なのは間違いない。

それはともかくとして、観て決して損はない作品だった。暗黒社会のボス、アル・カポネに戦いを挑んだ、財務省特別捜査官と地元警察からなる4人のチーム「アンタッチャブルズ」(「絶対買収できない者たち」の意で、原題は複数形)の命がけの格闘を描く。ギャング映画につきものの陰惨なシーンもあるが抑制が効いているし、4人の男たちの連帯を描いたバディものや家族ドラマの要素、馬に乗って敵を襲撃する西部劇のようなシーン、駅の階段や裁判所屋上での迫力あるアクションに加え、最終的にカポネを追い詰める場面では法廷サスペンスの色彩まで加わり、一級の娯楽作品として完成度の高い作品となっている。

ところで、Capone は日本語では「カポネ」だが、映画の登場人物は一人残らず「カポーン」(「ポ」にアクセント)と発音していた。「カポネ」はイタリア式に近い発音のようである。日本で「ゲオルク・ショルティ」と表記される指揮者 Georg Solti が、英米では「ジョージ・ソルティ」と呼ばれるのと同じようなものか。

2月29日 ジョグ8キロ
月間走行  32キロ(笑)

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