歌劇「トゥーランドット」
プッチーニ最後にして遺作となったオペラ。2016年1月メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。
伝説の時代の古代中国、北京。皇帝の姫君トゥーランドット(ニーナ・ステンメ)は絶世の美女として知られているが、求婚者に謎をかけ、解けないと殺してしまう残酷な姫君でもあった。国が滅んで流浪していたダッタン国の王子カラフ(マルコ・ベルティ)は、辿り着いた北京の町で、生き別れになっていた父ティムール(アレクサンダー・ツィムバリュク)と再会する。喜びもつかの間、トゥーランドットを一目見て恋に落ちたカラフは、ティムールとお付きの女奴隷リュー(アニータ・ハーティッグ)の制止もきかずに謎に挑戦するが・・・。(引用終わり)
荒川静香選手がトリノ五輪で用いて以来、第3幕のアリア「誰も寝てはならぬ」が有名になり、誰しも一度は耳にしたことがあるはずだけれど、なぜ「寝てはならぬ」のか、その理由を知る人は少ないだろう。自分自身、本作を今回初めて鑑賞して、カラフの運命を決することになる一夜のことと、ようやく合点がいった次第だ。
それまでヴェリズモ路線を深化させてきたプッチーニが、最後に(と自覚していたかどうかは分からないが)選んだ素材は、異国中国を舞台に繰り広げられる寓話劇で、しかもハッピーエンドの大団円で幕となる。それまでの作品が、いかにも人間臭いドラマの末に、主人公らが悲惨な死を迎えて終わりとなるのと大違いである。
なかでも見所は、氷のような姫君トゥーランドットが、過去の怨念に囚われてそれまで封印してきた人間性を取り戻すところである。タイトルロールを演じたニーナ・ステンメも、幕間のインタビューで「生身の人間としての姫君」の表現に最も苦心したと答えていた。初めのうちは情熱的に迫ってくるカラフを退けながらも、一瞬視線が彼の方を向いた直後、「あ、いけない」とばかり目を伏せるといった細かい演技が、ライブビューイングではハッキリ確認できる。
また、慕い続けて来たカラフの愛を実らせようと自刃を選ぶ、リューの辞世のアリア「氷に包まれた姫君も」が胸に迫った。純真な乙女の自己犠牲というテーマは、ワーグナーの楽劇にも通じるところがある。ステンメもインタビューの中で、「『トリスタンとイゾルデ』と重ねたくなる。プッチーニも第3幕のスケッチでそれに触れている」と語っている。
ゼフィレッリ演出によるスペクタクルな舞台はまさに息を呑む迫力で、特に第3幕の途中で僅かな時間に場面転換し、百名はいようかという群衆があっという間に宮殿前に揃っているのには驚かされた。衣装や小道具も一切手抜きなしの豪華絢爛さである。かつてのアメリカ滞在中に実演を見逃したのが、今さらながら悔やまれる。
さて、これでヴェルディ、プッチーニの手元にある録画は全て鑑賞した。続いて、僅かしかないけれど、他のイタリアオペラに移ることにしよう。
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コメント
プッチーニの異国趣味ここに極まる、でしょうか。
ドラマティクな音楽はもちろん、絢爛豪華な舞台や場面転換も鮮やかなゼフィレッリの演出は素晴らしいです。
ただ片思いのリューが可哀想で・・・(涙)。
王子はその献身的な死を悼むでもなく(召使いだからいいのか)、あれほど冷酷だった姫は、ちょっとキスされただけで愛に目覚め(ファーストキスなのに)、2人はめでたく結ばれてハッピーエンド。
「彼の名は愛です!」皇帝万歳!
おいおいちょっと待てよ・・・ぶつぶつ。(すみません)
僕は、このオペラの主役はリューだと思っています。第3幕のアリアがいいです。
「誰も寝てはならぬ」を聴くとトリノ。荒川静香さんの金メダル、パヴァロッティの口パクを思い出します。
歌手によってVincerò!がビントロに聞こえるときが・・・
いつもながら好き勝手なコメントで。(^^!
投稿: ケイタロー | 2020/01/10 16:31
ケイタローさん
「主役はリュー」、全く同感ですね。
何でも、プッチーニが晩年交通事故か何かで
大怪我をした際、献身的に支えてくれた女性がいて、
その人のイメージが投影されているらしいですね。
一方、それに嫉妬した妻の方がトゥーランドット姫だとか…
投稿: まこてぃん | 2020/01/11 10:34