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2019/11/22

ハイティンク&ウィーンフィルのブルックナー交響曲集

Haitink最近やたらとブルックナーばかり聴いている(笑)。先日はバレンボイム&ベルリンフィルの全集を聴いたが、今度はハイティンクがウィーンフィルを指揮したCDをまとめて聴いた。ただ、「全集」とはなっていないのが残念な限りで、録音順に第4番、第5番、第3番、第8番まで終えたところで打ち切りとなってしまった。

ハイティンクは他にもベルリンフィルとマーラーの交響曲の録音をスタートさせたものの、これまた第8番、第9番を残したところで打ち切りの憂き目に遭っている。発売元のフィリップスや楽団等とどのような問題が生じたのかは不明であるが、ブルックナー、マーラーともに、ハイティンクはコンセルトヘボウとは既に全集盤を完成させていたことから、フィリップスとしては他国のオケと全集盤同士の競合になるのを避けたかったのかもしれない。

そんな邪推はともかく、ハイティンクは芸風自体が実直そのものであるし、人相容貌もどこかセントバーナード(Bernard はマエストロのファーストネームと同じ・笑)とかレトリーバーなど性格の温和な大型犬を連想させる(笑)。フィリップスや楽団を相手に、ハッタリや駆け引きも厭わず、上手く立ち回ることが出来なかったのだろうと推察される。

そうした経緯はさておき、残された4曲の演奏はいずれも中庸に徹したオーソドックスなもので、ブルックナー演奏のリファレンスとでも言うべき存在となっている。かつて「なにも足さない。なにも引かない。」というウイスキーのCMがあったが、ちょうどそんな感じだ。テンポ設定やダイナミクス、フレージング、全体のバランス、どれを取ってもびくともしない抜群の安定感を示し、安心してブルックナーの世界に浸ることが出来る。

ブルックナーの交響曲の多くを初演し、「本家」意識が強いに違いないウィーンフィルの自主性を尊重し、任せるべきところは任せた演奏なのだろう。ベルリンフィルの重厚な音と比べると、南欧的な明るさのある音が伸び伸びと広がり、とりわけスケルツォのトリオなどに出る舞曲風のメロディの歌わせ方は他の追随を許さない。

ウィーンフィルのブルックナーと言えば、古くはシューリヒト、クナッパーツブッシュ、時代が下ってベームやカラヤン、ジュリーニといった名指揮者の録音が数多く残されているが、録音が古かったり、解釈が個性的だったりと一長一短がある。そんな中にあって、まるでお手本のような演奏に加え、残響まで美しい優秀な録音のこれらCDは貴重な存在と言える。

なお、ハイティンクは90歳を超えた今年6月に引退を表明、9月のルツェルン音楽祭での公演が最後のコンサートとなった。ちなみにその演奏会で指揮したのは、コンセルトヘボウではなくウィーンフィル、プログラムの最後はブルックナーの交響曲第7番であった。

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