« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »

2019/05/30

野上電鉄廃線ラン(後半)

この先の各駅跡はそれぞれ小公園として整備され、散歩する人の格好の休憩場所になっている。紀伊阪井駅跡。中央の植込みから左側がホーム跡と思われる。何とかいう郷土の偉い人の銅像が建っていたが、このあたりは棕櫚製品など地場産業が盛んな土地だったようだ。

Kimg0302

その証拠に、付近の民家の庭先に棕櫚の木を発見。しかし、残念ながら沿線で目撃したのはこの一本だけだった。

Kimg0303_1

この先で線路跡は左に90度カーブして南下し、今も現役で使われている跨線鉄橋の下を潜る。

Kimg0304

重根(しこね)駅跡。2面2線式のホームを有し、ほとんどの列車の交換を行っていたそうだ。

Kimg0305

すぐ西方に、勾配標の痕跡と思われる石柱が残る。

Kimg0307

この先数百メートルの区間は宅地化により廃線跡が完全に消失してしまっているが、国道重根南交差点付近で遊歩道が再び出現、やがて幡川(はたがわ)駅跡に至る。

Kimg0310

地元高校生の製作という壁画が展示されている。「野鉄」として地元の人々に親しまれていたことがよく分かる絵だ。

Kimg0311

阪和自動車道高架を潜った先の春日前駅跡。買い物帰りの女性と下校途中の高校生が、それぞれに憩いの時を過ごしていた。

Kimg0313

さらに進み、JR海南駅が正面に見えてきたところで遊歩道は終了。

Kimg0315

線路はここから右にカーブしてJR紀勢本線に合流するように北進し、日方駅に向かっていた。

Kimg0316

日方駅跡と思われる空き地。近々再開発が予定されているようだ。

Kimg0318

海南駅から帰路に就く前に、駅売店で特産品の棕櫚たわしを買い求めた。髙田耕造商店の手巻き手作りで、掌サイズの「特小」だけど税込み637円もした。値段なりのことはあって、手にしっくりなじむ文字通り「やさしいたわし」だ。毎朝、スキレットを洗うのに早くも重宝している。偶然、今週のNHK大阪「おはよう関西」で、ここの製品が紹介されていた。

Kimg0323_1

5月29日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/27

野上電鉄廃線ラン(前半)

23日、和歌山県の野上電気鉄道廃線跡を走ってきた。同電鉄は和歌山県海南市の日方駅から海草郡野上町(現紀美野町)登山口駅までの11.4キロを結んで昭和3年に全線開業した。官庁認可の正式名称は「のがみ」だが、地元では地名と同じ「のかみ」と発音する。沿線の特産品である棕櫚製品(たわし、ロープ等)などの輸送を担っていたが、例によって戦後のモータリゼーションの進展で輸送需要が低迷した。一旦出された一部区間の廃止申請が、直後の第一次石油ショックによる鉄道見直しで撤回されたりもしたが、平成6年3月末をもって全線廃止となったものである。

行程の都合でJR海南駅前から代替バスである大十オレンジバスで終点の登山口まで移動、そこから海南駅前まで引き返すことにした。終点から起点に向けて走るので、通常であれば「上り」となるはずだが、野上電鉄においてはこちらを「下り」と称していた。標高差からすると確かに「下り」ではあるが、監督官庁からは再三是正を求められていたらしい。

正午前、登山口駅跡を出発。現在は大十バスの本社事務所、車庫などに転用されている。なお、「登山口」とは高野山への登り口かと思っていたがそうではなく、ここから南南東に入った生石高原への登山口を意味するそうだ。鉄道の廃線跡は正面奥の道路ではなく、写真左の車庫裏を走る国道370号に転用されていて、当時の面影は全く残っていない。平成27年の和歌山国体開催に伴って一気に道路整備が進んだそうだ。

Kimg0289

Kimg0295

スタートして間もなくの「くすのき公園」にモハ30形の電車が1両、屋根付きで保存されている。説明板によれば、昭和9年日本車輛製で、阪神電鉄で約30年使ったのを譲り受け、さらに31年間使用したという。お疲れさま!(笑)

Kimg0292

なお、近隣の診療所の私有地内にもモハ20形1両が屋根付きで保存され、公道から見学することができる。こちらも阪神からの譲受車である。

Kimg0293

車両前方には2本のキロポストが打ち捨てられたように置かれていた。奥の「11.4」は終点登山口駅のもの。手前の「0.03」は起点日方駅構内にあったもので、開業当時は約30メートル先の野上電鉄本社前にホームがあったためだとか。

Kimg0294

この先は国道370号の歩道をひたすら走る。途中、下佐々、龍光寺前、動木(とどろき)、紀伊野上、八幡馬場、北山、野上中、沖野々とあった駅の痕跡は全くなく、場所を特定することすら出来なかった。沖野々の先で国道から右に分岐し、廃線跡を利用した遊歩道に入ると、ようやく廃線ランらしくなった。

Kimg0298

野上電鉄のものらしき枕木を発見。これも相当長い間使いこまれていた様子である。

Kimg0299

住宅街の間を縫うように遊歩道は続き、自転車に乗った地元の高校生たちが賑やかに談笑しながら追い抜いていく。本当は歩行者専用で自転車は通行不可なのだが、交通量の激しい国道を走らせるわけにはいかないだろう。

Kimg0300

後半に続く。

5月25日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/24

ズスケQのベートーヴェン弦楽四重奏曲全集

Kicc1334_2 先日、アルバンベルク四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を聴き終えたあと、彼のカルテットでなぜかうちに1枚だけあった第15番のLP盤を引っ張り出して聴いてみた。演奏は Suske-Quartett, Berlin 。ズスケ四重奏団ともベルリン四重奏団とも表記されるが、正確にはベルリン・ズスケ四重奏団と言うべきだろう。

それはともかく、改めて聴いてみて、アルバンベルクQの演奏とは全然違うのに驚いた。まず、音色的な面から言えば、華やかで艶のあるベルクQの音とは対照的に、ズスケQは燻し銀のような落ち着いた味わいである。器に例えれば、前者が光沢のある漆塗りの椀だとすれば、後者は木目を生かした白木の椀とでも言おうか。もちろん、工芸品としての素晴らしさは甲乙つけがたい。

それ以上に興味深いのが、演奏のスタイルというかアプローチの仕方の違いである。ベルクQが4人のソリストが時には丁々発止と繰り広げる「掛け合い」であるのに対して、ズスケQはもっと精緻で求心力の強いアプローチであり、あらかじめ曲の全体像を4人が完全に理解し共有した上で、各奏者はそれを構成するパーツとなって参加しているのである。

リーダー役の第1ヴァイオリンですら例外ではなく、ベルクQのギュンター・ピヒラーが、時にソリストのようにメリハリをつけた演奏をしてメンバーを引っ張るのに対し、カール・ズスケは他の奏者と同様、あくまでひとつのパートを担っているに過ぎないというスタンスを貫き、出過ぎることも埋もれることもない絶妙のバランスを保つ。

好みもあるだろうが、繰り返し聴いて飽きないのはズスケ盤の方ではないかと思う。それで、第15番も含め全曲のCDを入手して聴いてみた。前述のアプローチは全曲を通して共通で、とりわけ後期の曲ではそれが非常に有効に作用しているのを感じた。録音も極めて優秀で、どうやらこちらの方が今後の愛聴盤になりそうである。

なお、このカルテットは1965年、当時シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)の首席コンサートマスターであり、すでにカルテットの経験もあったカール・ズスケが、同楽団の首席たちであるクラウス・ペータース、カール=ハインツ・ドムス、マティアス・プフェンダーの3人と組んで結成され、67年にはベートーヴェンの弦楽四重奏曲の録音を開始した。その後、リーダーのズスケがベルリンからライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にコンサート・マスターとして移ることになり、カルテットの日常的な活動は困難になったが、ベートーヴェンの録音は特別に同じ顔ぶれによって継続され、80年に至ってついに全曲の録音が完了した。

実に14年の歳月をかけて録音されたことになるが、すべてドレスデン・聖ルカ教会で収録され、ドイツ・シャルプラッテンレーベルから発売された。余談ながら、ラズモフスキー第3番の冒頭、ルカ教会の近くで囀る小鳥の声が僅かに混入してしまっている。最初は我が家の外の鳥かと思ったが、何度聴いても同じタイミングで入るので間違いない。録音技師は気がつかなかったのだろうか。まあ、鑑賞の邪魔になるほどではないけれど。(笑)

5月23日 ジョグ11キロ

| | コメント (0)

2019/05/21

『星めぐりの町』

Hoshimeguri_1 2018年、実行委員会。黒土三男監督、小林稔侍主演。KINENOTE の紹介文。

妻を早くに亡くし、一人娘の志保(壇蜜)と二人暮らしの島田勇作(小林稔侍)。京都で豆腐作りの修業を積んだ勇作は、毎朝じっくりと手間と時間をかけて美味しい豆腐を作り、町の主婦や料理屋に届ける生活を続けていた。そんなある日、勇作の元に、警察官に付き添われ、東日本大震災による津波で家族全員を一瞬で失った少年・政美(荒井陽太・新人)がやって来る。政美は、勇作の亡き妻の遠縁にあたるという。突然の不幸によって心に傷を抱える政美を、ただ静かに見守り続ける勇作。やがて自然に根差した自給自足の勇作との暮らしの中、薄皮が一枚、また一枚とはがれるように政美は少しずつ心を再生させていく。だが勇作が配達に出ている最中、町が大きな揺れに襲われ、一人で留守番をしていた政美は震災の恐怖がよみがえり、姿を消してしまう…。(引用終わり)

小林稔侍76歳にして初めての主演作品。豊田市郊外の山間部で豆腐屋を営む主人公は、薪の竈でご飯を炊き、囲炉裏で暖を取り、薪で焚く風呂に入るという昔気質、職人気質の人間である(台所に一応電子レンジらしきものはあるが)。

そこに東日本大震災で天涯孤独となった遠縁の少年がやって来るところから物語が始まる。閉ざされていた彼の心が次第に開かれ、再生へと繋がっていく過程を、あくまで淡々と、美しい自然と人々の素朴な暮らしの中に置きながら描いている。

豆腐づくりのノウハウとか、娘志保を巡る人間関係とか、本筋から離れたディテールに尺を割いている印象を受けるが、そういったもろもろの事象を含んだ、豊田での地に足がついた生活そのもの、質素ながら心のこもった食事などの一切合切が、実は少年の心の再生への重要な基盤となっていくのだ。

なお、タイトルの「星めぐり」もまた本編ストーリーとは無関係に思えるが、ラストで重要な役割を果たす「雨ニモマケズ」の宮澤賢治が作った「星めぐりの歌」から取ったものだろう。映画『あなたへ』で使われていたから、小林稔侍が恩人と仰ぐ高倉健へのオマージュを籠めたタイトルなのだろう。

5月19、21日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/18

なんで「乳牛石鹸」って言わないの?

以前から不思議に思っていたのだが、世間一般に「牛乳石鹸」と称されている石鹸のパッケージには、赤箱だと「COW Beauty Soap [赤箱]」と記されていて、成分や製造元などの記載のあるところには、商品名として「化粧石鹸カウブランド赤箱」と書かれている。「カウブランド」は、直訳すれば「乳牛印」とかになるはずである。

Cowred
では、なぜ「乳牛石鹸」と言わないのか? そんなことも知らないで、やれ「赤箱はしっとりタイプで関西人好みなんや」だの、「その昔は現在のライオンの商品だったんだよね」だのと、知ったかぶりを言っている日本人の何と多いことか。

というわけで、今こそ全ての日本国民を代表して、製造販売元の牛乳石鹸共進社に問い合わせてみたところ(相当なヒマ人である・笑)、概略次のような回答があった。

牛のデザインに関しては、「商いは牛の歩みのごとく」の格言どおり、粘り強く堅実な経営のシンボルとして選ばれている。
当社は昭和3年に佐藤貞次商店から「牛乳石鹸」の商標を譲り受け、以後自社ブランドとして「カウブランド赤箱」を製造販売することになった。牛のデザインのある赤い箱の石鹸を「赤箱」ではなく「牛乳石鹸」と呼び、親しまれていたようだ。
「牛乳石鹸」はあくまで社名であり、牛のデザインの入った石鹸という意味で「カウブランド」が用いられているものと思われる。

何だか奥歯に物が挟まったような文章で分かりにくいが、実際のところは、たぶんこうだったんじゃないか。

(社長)当社の長年の念願がついに叶い、佐藤貞次商店に納めていた牛乳石鹸の商標権を譲り受けることになった。今後は自社ブランドで売り出そうと思うのだが、ついては堅実な経営のシンボルとして牛のマークを使い、「カウブランド赤箱」として売り出そうではないか!
・・・
(部下)商品の売れ行きは問題ありませんが、「カウブランド」は全く浸透せず、人々は相変わらず「牛乳石鹸」と呼んでいます。
(上司)もう今さら「うちの石鹸は牛乳石鹸ではありません。カウブランドと呼んで下さい」と言い張るわけにはいかないな。しかし、社長の顔を潰すわけにもいかないし。・・・そうだ、いっそのこと社名の方を「牛乳石鹸」にしてしまえ!

パッケージの他のところにある「牛乳石鹸の[赤箱]」というのは「牛乳石鹸という会社が作った赤箱」という意味なのだろう。「牛乳石鹸」よりも「[赤箱]のフォントが異様に大きいのは、そういう建前を表したものと思われる。

というわけで、「カウ」ブランドなのに「乳牛」石鹸と言わないのは~? ドドン、「新しいブランドが浸透しなかったから~!」でした。たぶん。(笑)

5月17日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/15

タブレット譜面によるコンサート

というのを実際に初めて見た。といっても、テレビの録画放送なのだが、遂にそういう時代が本当にやって来たのかと感慨深かった。12日放送のNHKEテレ「クラシック音楽館」の最後「コンサートα」で取り上げていた、今年2月に紀尾井ホールで行われたベルチャ四重奏団のコンサートである。団体名は第1ヴァイオリン奏者の名前からとったもので、4人とも英国王立音楽大学で学んだ仲間だけれど、全員国籍が異なるそうだ。アルバン・ベルク四重奏団に師事したということで、若いメンバーながら実力は十分あるようだ。

彼らはタブレットの譜面で演奏するスタイルらしく、4人それぞれの前には10インチはあろうかという大きなタブレットが据え付けられ、メンバーは着席すると、持参したコントローラー(正確な名前は分からない)を足元に置いた。目を凝らすと「+」「-」という文字が見える。そこを足で踏むとページが進む、戻るという仕組みのようだ。本体とは Bluetooth で通信しているのだろうか。

弦楽器奏者は右手で弓を持つので、紙の譜面をめくるためには一旦弓を膝の上などに置くか、大切な弓を持ったままページを繰るという器用な動作を強いられる。オケでは2人でひとつの譜面台なので、相方がめくってくれるけれど、カルテットではそういうわけにいかない。だから足でめくれると便利だということは分かるが、パート譜は譜めくりのことを考えて製版してあるので、どうしてもタブレットでないとダメというわけではない。

そう思ってネットを検索してみて、実は彼らが見ているのはパート譜ではなくスコアだということが分かり、ようやく得心がいった。なるほど、楽曲の全体構成を皆が常時把握しながら演奏できるというメリットがあるわけだ。これを紙の譜面でやろうとしたら大変なことになるが、それを可能にしたのがタブレットという文明の利器なのだ。彼らも伊達や酔狂で新しがって使っているわけではないのだ。

もうひとつのメリットとして、ステージの照明を落とせるということがあるかもしれない。それによって奏者の集中力は高まり、また夏場でも暑くならないので汗かきの奏者は助かる。自ら発光するタブレットの譜面を使えば、ほとんど真っ暗な中でさえ演奏できるというわけで、この日の紀尾井ホールのステージ上はかなり薄暗い様子であった。

デメリットは・・・。うーむ、今のところ特に思いつかない。バッテリーが切れたり、コントローラーの動作不良など、あり得ないことではないけれど、おそらく対策は講じてあるだろう。あるとすれば、新奇なガジェットに関心がいくあまり、肝心の演奏をじっくり鑑賞するのを忘れてしまったということぐらいだ。(苦笑)

5月14、15日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/12

『トレイン・ミッション』

Mission 2018年、英・米。リーアム・ニーソン主演。公式サイトの紹介文。

10年間勤めてきた保険会社を、60歳で突如リストラされた会社員のマイケル。いつもの通勤電車で帰路につき、常連客に挨拶しながらも、頭の中は住宅ローンと息子の学費のことでいっぱいだ。そんな彼の前に見知らぬ女が座り、「乗客の中から、ある重要な荷物を持った人物を捜して欲しい」と持ちかける。ヒントは3つ。常連客ではなく、終着駅で降りる、プリンと名乗る乗客。高額な報酬に抗えず、元警官の経験を生かし捜し始めるが、駅の数だけ仕掛けられた罠に深まる謎、さらには、妻と息子が人質に取られたことを知る。やがてプリンが、国家をも揺るがす重大事件の目撃者であることを突き止め、ようやく6人にまで絞り込んだ時、巧妙に仕組まれていた恐るべき陰謀が明かされる。(引用終わり)

映画ネタは久しぶりだ(笑)。原題は The Commuter (通勤客)で、元警察官ではあるが、主人公マイケルが一人の通勤客として乗り合わせた通勤電車で、思いも寄らぬ陰謀に巻き込まれる。その顛末を、疾走する列車とともに描くサスペンス作品である。

列車という一種の密室を舞台に繰り広げられるサスペンスは、アガサ・クリスティー原作の『オリエント急行殺人事件』や、ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』などの先例があるけれど、実年齢60代半ばのリーアム・ニーソンが体を張ったアクションや、終盤の列車暴走シーンではパニックものの要素もあり、そのあたりがこの作品の見所となっている。

ただ、設定そのものやストーリー展開に若干強引というか、説明不足ないし不能という箇所が散見され、その部分は割り引いて観なければならない。ちなみに、舞台として設定されたニューヨークの鉄道では撮影許可が下りず、イギリス郊外で列車1両半のセットを組んで撮影されたそうだが、そう言われても分からないほど良く出来ている。

5月10、12日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/09

両親のPCを無線LAN接続にする

父が施設に入ったのを契機に、不用品の整理や生活費の見直しなど、親世帯では「断捨離」が進んでいる。その一環で、デスクトップパソコンをどうするか相談に与った。もともと父はほとんど触らず、母がときどきインターネットで情報検索するぐらいで、メールすら使わないのだけれど、プロバイダー・通信費が負担になっているのと、OSがWindows7 のため来年1月のサポート終了までに更新が必要だ。

前者について検討していて、ふと我々世帯で使っている Wi-Fi が使えるかもしれないと思いついた。デスクトップに無線LANという組み合わせは、これまで全く頭になかったのだが、調べてみると今ではUSBに差す超小型の無線LAN受信機が2千円ほどで入手できる。問題は2階から1階まで飛ばしたときの電波強度だったが、子供のノートパソコンで試したところ全く問題ないことが分かった。

早速、受信機を入手してセットしてみたところ、ソフトウェアのインストールに意外に時間を要したものの、無事に接続に成功した。プロバイダーは直ちに解約、これで月数千円の節約になる。また、思わぬ副産物として、Wi-Fi のセキュリティが脆弱だったことが発覚、とりあえず一段階レベルアップさせた。親世帯はネット通販などしないので、そもそもカード情報などを入力することはないし、自分たちのメイン機は有線接続にしているのでさほど心配ないが、少しでも強化しておくに越したことはないだろう。

後者のパソコン本体の更新についてはまだ時間があり、この先どんな環境変化があるかも分からないので、年末ぐらいまでに結論を出すことにしよう。

5月8日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/06

京街道を走る その5(守口~高麗橋)

守口宿に入る直前に一里塚の跡がある。痕跡をとどめる一里塚は山科大宅以来である。江戸日本橋から135里のものと思われる。

Kimg0239

守口宿本陣跡近くの難宗寺前の辻に、年代不明の古い道標(左端)が佇む。「左京(みち?)右大(坂?)」などと刻むが、半分ほど地中に埋まってしまっている。

Kimg0241

この先、八島交差点から京阪守口市駅付近にかけて、秀吉の文禄堤跡が今も道路として利用されている。その下を抜ける現代の道路と立体交差している様子に、まるでエッシャーの騙し絵のような不思議さを覚える。

Kimg0252

ここより少し手前になるが、奈良街道に分岐して来迎坂を下っていく箇所に、見逃してしまいそうな小さな道標が残り、「右ならのざきみち」と刻む。「のざき」とは野崎観音のことである。

Kimg0245

守口宿を抜けると、大阪市旭区に入る。千林商店街を突っ切る格好の府道161号が旧京街道で、今も近隣住民の生活道路として現役である。

Kimg0253

城東区、さらに都島区へと市街地を走ると、京橋駅前に続く商店街のアーケードに入る。京橋側の入口になぜかローマの「真実の口」を模したモニュメントが飾られているが、あんな高い所に手を突っ込むのは無理だ。(笑)

Kimg0255

京橋駅前に建つ文政9年の道標。「左京み(ち)」「右大和な(ら)の(ざき)」などと刻む。繁華街のど真ん中にあるこの道標に、これまで気づいてなかったように思う。

Kimg0259

京阪電車の線路沿いを西進すると、「のだばし跡」の碑があった。この付近を流れていた鯰江川に架かる橋だったという。

Kimg0260

その先の京橋を渡ったところが大坂城京橋口で、慶長年間の三の丸石垣がドーンセンター敷地内に復元されている。

Kimg0266

土佐堀通りを進み、天満橋、天神橋それぞれの南詰を過ぎ、東横堀川に沿って少し南に入ると高麗橋東詰に至る。東海道五十七次の終点であり、起点の江戸日本橋同様、道路元標が置かれている。高速道路の高架下となり、視界を遮られる今の残念な風景まで同じである。

Kimg0273

京都大阪間は、学生時代から何度も電車で行き来してきたが、実際に自分の足で走ってみると結構な距離であること、それに意外にも旧街道の風情が今も残っていることを実感した。さて、次はどこを走ろうか。

5月4、6日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

2019/05/03

京街道を走る その4(牧野~枚方)

4月28日、京街道の後半、京阪牧野駅から大坂高麗橋までの28キロ弱を走った。午前10時過ぎに牧野駅前を出発。住宅街の狭い道路を進んで京阪電車の踏切を渡り、三栗(めぐり)交差点で一旦横断した府道13号にすぐ合流する。京阪御殿山駅を過ぎ、磯島交差点で府道から分かれて旧道を進むと天野川に突き当たる。往時は川越え人足が常駐していたが、現在は下流側の府道に架かる鵲橋(かささぎばし)を渡り、再び街道筋に戻ったところが枚方宿の東見附に当たる(写真奥の堤防下)。近くの旧家からご当主夫妻と思しき男女がちょうど外出されるところだった。

Kimg0217

ここからが枚方宿エリアとなり、京阪枚方市駅近くの「宗佐(そうざ)の辻」に文政9年の道標が残る。「右大坂ミち」「右くらじたき(倉治滝) 左京やわた」などと刻むが、裏側の願主4名の名前の上に、一般には明治以降の表記である「大阪」とあるのは珍しい。

Kimg0220

賑やかな駅前を過ぎると、旧街道の雰囲気が多少残っている。写真では分かりにくいが、沿道の家よりも街道が数センチ高くなっているのは、大名行列が通るたびに砂を撒いて道を整備した名残だという。大名が泊まった本陣の跡は、今は何の変哲もない公園になってしまっている。

Kimg0225

さらに進むと、船宿「鍵屋」の建物が現存し、資料館として公開されている。入館料を取るので当然パスしたが(笑)、外観からでも「鍵屋浦には錨が要らぬ 三味や太鼓で船止める」と謳われた当時の賑わいを窺うことが出来た。

Kimg0228

この先が枚方宿西見附で、遠方にひらかたパークの観覧車を望みながら西に向かうと、街道から少し外れたところに「水面廻廊(みなもかいろう」と称する河川公園が整備され、三十石船のミニチュアが浮かんでいた。

Kimg0232

この先、京阪の駅名にもなっている光善寺の門前を通り、やがて淀川左岸の堤防に上がる。この下に秀吉の文禄堤が埋まっているのだろうか。右下の河川敷の道路は、その昔に出場した「ひらかたハーフマラソン」のコースになっていた。

Kimg0236

この後は単調な堤防道が続き、レースでなくとも結構辛いものがある。寝屋川市に入って淀川新橋、さらに鳥飼仁和寺大橋を潜った後、一旦京阪国道に出てラーメン屋で塩分補給する。再び堤防道に戻り、守口市に入って鳥飼大橋を潜った先でようやく堤防から降りて市街地に入ると、間もなく守口宿エリアとなる。

その5に続く。

5月2日 ジョグ10キロ

| | コメント (0)

« 2019年4月 | トップページ | 2019年6月 »