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2019/04/21

京街道を走る その1(追分~伏見)

19日、東海道から分岐して大坂に向かう京街道の走り旅前半、髭茶屋追分から京阪牧野駅付近までの28キロ強を走った。京街道は元々、大坂と伏見に城を構えた豊臣秀吉が、両者を最短距離で結ぶため、文禄3年に毛利一族に命じて作らせた淀川左岸の堤防(文禄堤)が起源で、その後、徳川家康が五街道の整備に続いて、東海道に京街道を取り込んで天下の台所大坂まで延伸し、途中の伏見、淀、枚方、守口の4か所に宿駅を設けたものである。これにより東海道は五十七次にまで拡大したわけである。京を経由しないルートにしたのは、大名が公家と接触しないようにしたからとされる。

午前10時、髭茶屋追分を出発。東海道のときは右、今回は左を行くが、どちらも下り坂となっている。

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間もなく、民家の庭先に由緒ありげな道標を発見。「右伏見 左宇治」と刻み、この先の奈良街道との分岐点から移設したものと思われる。一体どういうお宅なのだろう。

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名神高速京都東ICの高架を潜り、国道1号を渡った先に「牛尾山道」と刻む道標があったが、文字がほとんど潰れている。道標の横では不動産屋らしい女が、老人相手に土地を売ってくれとしつこく食い下がっている。「土地買うオンナ」か(笑)。山科大塚で再び国道1号を越えた先に、「みぎうじみち ひだりおゝつみち」と刻む道標がある。路線バスを含め頻繁に通る車両から守るためとはいえ、トラ柄のポールはいかにも殺風景だ。

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大塚から大宅(おおやけ)に入り、名神高速の高架手前に大宅一里塚跡がある。京都市内に現存する貴重な遺構として市史跡に指定されている。説明板には何も記載がないが、位置から考えて江戸から124里の一里塚と思われる。

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山科警察署を右に見ながら下っていくと、先にふれた奈良街道との分岐点があり、そこを右折すると地下鉄小野駅に付近に出る。小野氏が栄えた土地とされ、小野小町ゆかりの場所らしい(諸説あり)。その先の勧修寺入り口に文化元年の道標が建ち、「南 右大津 左京道」「北 すぐふしみ道」などと刻む。

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この先は名神高速に沿う単調な道のりになり、その途中で京都市山科区から伏見区に入る。JR藤森駅付近、京阪墨染駅付近を通り、伏見宿のエリアに入っていく。宿場の北外れ撞木町(しゅもくちょう)には遊郭があり、その入り口を示す石柱一対が残っている。赤穂浪士大石内蔵助が敵の目を欺くため遊興したのは、仮名手本忠臣蔵にある祇園一力茶屋ではなく、実際はこちらの遊郭だったと言われる。

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ちょうど昼時になったので、塩分補給を主目的に、伏見区役所南の「玄屋」で「酒粕らーめん」なるものを頂いた。伏見名物清酒の副産物を生かした、粕汁のような味わいの一品だった。

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その2に続く。

4月19日 LSD28キロ
4月21日 ジョグ10キロ

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