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2019/04/30

初めてのリコール

最近報道があったスズキのリコールに、うちのラパンも該当することが、このほど届いたDMで判明した。他のメーカーでも類似の事例があったが、資格のない検査補助者が完成検査を行ったことや、保安基準適合性の確認が適切に行われていなかったというものだ。クルマは最低10年は乗る主義なので、これまで所有したクルマは5台だけだが、リコールに遭遇したのは初めての経験だ。

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何の根拠もないけれど、もしそういうことがあれば、メーカーの担当者が菓子折りのひとつも提げてすっ飛んできて、丁重に頭を下げた上で「ご迷惑のかからぬよう、万事こちらで手配します」と代車を置いて引き取り、後日また対処済のクルマを届けに来てくれる・・・そんな対応を予想していた。

実際はそこまではしないのだろうけど、今回はメーカーも対応に大変苦慮している模様だ。曰く「本来であれば、速やかにリコール対応させていただくところですが、リコール作業の内容は法定2年点検相当の作業と自動車検査員による確認作業のため、誠に勝手ではございますが、お客様のご愛用車が車検または法定点検の到来時期にあらためてご案内させていただきますのでよろしくお願いします」という。

要するに、対象台数が膨大な上に時間のかかる作業内容で、一斉に対応することが物理的に不可能なため、車検または点検時期を迎えたクルマから順次対応するということのようだ。メーカーの事情も分からないではないが、もしその間に不具合や事故が起こった場合は、それなりに責任を負うことを覚悟してのことでなければなるまい。もちろん、そうならないことを祈るばかりだが。

さて、いよいよ平成最後の日を迎えたが、基本的に過去を振り返らない人間に特段の感想はない。ただ、とうとう天皇陛下まで年下になってしまうのかという感慨と、何かにつけ前の天皇と比較され大変ご苦労なさるのだろうなという懸念が浮かぶぐらいだ。

4月28日 LSD30キロ
4月30日 ジョグ10キロ
月間走行  208キロ

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2019/04/27

京街道を走る その3(八幡~牧野)

木津川を渡り京阪八幡市駅手前で右折、旧京阪国道沿いに進んでいくと、やがて旧街道との合流点となる。その付近には樹齢千年と言われる楠の巨木があったが、堤防強化工事に伴い昨年3月に背割堤の先端に移植されたそうである。その先、大谷川を渡ると文政2年の道標が建ち、「右 八まん宮山道これより十六丁」「左 津の国そうじ寺(摂津国総持寺)大坂下ㇼ船乗場道」などと刻む。

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この先の京阪橋本駅近くに、八幡宮を案内するもう一つの道標があったはずだが、残念ながら既に撤去されていた。しかし、その先、対岸山崎への渡し場跡付近に明治期の道標が残っている。「柳谷わたし場 山ざきあたごわたし場」などと刻む。

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橋本は遊郭として栄えた場所で、玄関に透かし彫りの彫刻が施された古い建物が残るが、取り壊されて空き地になった区画も目立つ。

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この先で枚方市に入り、淀川左岸堤防に上がると、対岸の高槻が意外なほど近くに見える。歩道がなかったが、旧国道だけあって幅員は十分あり、さほど危険は感じなかった。

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河川敷を降りて旧街道を進むと、やがて京阪樟葉(くずは)駅前に出る。町名は「楠葉」と表記するが、古事記や日本書紀にも登場する古い地名で、戦に敗れた兵の「屎袴(くそばかま)」に由来するそうである。再び河川敷に出て堤防上の単調な道を進むが、今度は歩道があるので助かる。樋ノ上交差点で府道と別れてしばらく進み、船橋川を渡ったところに安政3年の道標が建ち、「八幡宮 参詣道 橋本へ一里」などと刻む。

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その先、京阪線沿いの道を進み、穂谷川を渡ってすぐの京阪牧野駅で当日の行程を終了。追分からここまで6時間を要したが、京阪電車で三条まで戻るのは約30分だった。(笑)

4月25、26日 ジョグ10キロ

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2019/04/24

京街道を走る その2(伏見~八幡)

昼食後の腹ごなしを兼ねて、伏見宿内は歩いて見て回る。油掛通に「電気鉄道事業発祥の地」という碑が建つ。銘文によれば、「明治廿八年二月一日京都電気鉄道株式会社は京都市下京区東洞院通東塩小路踏切(旧東海道線)南側から伏見町油掛通まで電気鉄道を我国において初めて開業した」とある。

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ここから少し南下すると京橋だが、その手前を東に入ったところで寺田屋旅館が今も営業中である。京三条通の金蔵寺で内祝言を挙げた龍馬とお龍は、ここで大変な災難に見舞われたわけだ。

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京橋の袂には船着き場を復元した小公園があり、伏見観光の目玉となっているようだが、なぜか野良猫が数匹たむろしていた。

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ここから川べりの遊歩道を西に進むと、三方からの歩道が川の上で出会う珍しい形の橋が架かっている。その名も「伏見であい橋」といい、映画『君の膵臓をたべたい』でロケに使われた場所である。映画では桜が満開だったが、すでにほとんど散っていた。

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この下を流れる濠川(ほりかわ)に沿って下流に向かうと、宇治川との合流地点手前、伏見港公園付近で屋形船に遭遇した。観光客向けに定期運航している十石船と思われる。

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まもなく、宇治川の広い河川敷に突き当たり、ここから淀までは土手上の単調な道のりが続く。

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この先、現在の宇治川は京都競馬場の南側を流れるが、明治期の付け替え以前はその北側を流れ、納所(のうそ)交差点の先で桂川に合流していた。今の京阪電車、府道124号はその右岸に相当する。地図は宇治市歴史資料館編『巨椋池』による。

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府道と並行して小高くなった別の道が残るのはその名残か。付近には「淀小橋跡」や「唐人雁木旧跡」といった、ここを旧宇治川が流れていたことを示す遺跡が残る。この付近からが淀宿のエリアとなるが、その風情を窺わせるものは何も残っていない。ただ、旧街道と競馬場という取り合わせは、東海道品川宿付近の大井競馬場、鳴海宿付近の中京競馬場でもあった。街道と馬というのは、やはり何かしらご縁があるのだろう。(笑)

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淀宿を出ると府道15号を横断するが、これは付け替え前の旧木津川の右岸にあたり、川はこれに沿って北西に流れて桂川に合流していた。少し進んで、もと左岸の辺りから振り返ってみると、確かにそれらしき高低差がある。前方の住宅街は明治以前は河川敷だったわけだ。この付近は現在でも市区境界が変則的に入り組み、八幡市飛地があったりするのはその名残だろう。

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この先で八幡市に入る。往時の街道は旧木津川を渡ったあと、今の京阪橋本駅付近までまっすぐ続いていたと思われるが、現在は付け替え後の宇治川、木津川にかかる御幸橋を続けて渡る。その合流地点にある背割堤は見事な桜並木が有名で、そこに平成29年春、「淀川三川合流域さくらであい館」が完成した。

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地上25メートルの展望塔があり、背割堤を眼下に一望することが出来る。お花見の時期は有料だが、この日はもう無料になっていたので上がってみた。木津川(左)と宇治川(中央)の間にあるのが背割堤で、右奥に見えるのが桂川の左岸堤防である。窓ガラスに内部が映り込んでいるけれど、一部は吹き抜けになっていて、ランニングの格好では長く居られなかった。

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その3に続く。

4月23日 ジョグ10キロ

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2019/04/21

京街道を走る その1(追分~伏見)

19日、東海道から分岐して大坂に向かう京街道の走り旅前半、髭茶屋追分から京阪牧野駅付近までの28キロ強を走った。京街道は元々、大坂と伏見に城を構えた豊臣秀吉が、両者を最短距離で結ぶため、文禄3年に毛利一族に命じて作らせた淀川左岸の堤防(文禄堤)が起源で、その後、徳川家康が五街道の整備に続いて、東海道に京街道を取り込んで天下の台所大坂まで延伸し、途中の伏見、淀、枚方、守口の4か所に宿駅を設けたものである。これにより東海道は五十七次にまで拡大したわけである。京を経由しないルートにしたのは、大名が公家と接触しないようにしたからとされる。

午前10時、髭茶屋追分を出発。東海道のときは右、今回は左を行くが、どちらも下り坂となっている。

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間もなく、民家の庭先に由緒ありげな道標を発見。「右伏見 左宇治」と刻み、この先の奈良街道との分岐点から移設したものと思われる。一体どういうお宅なのだろう。

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名神高速京都東ICの高架を潜り、国道1号を渡った先に「牛尾山道」と刻む道標があったが、文字がほとんど潰れている。道標の横では不動産屋らしい女が、老人相手に土地を売ってくれとしつこく食い下がっている。「土地買うオンナ」か(笑)。山科大塚で再び国道1号を越えた先に、「みぎうじみち ひだりおゝつみち」と刻む道標がある。路線バスを含め頻繁に通る車両から守るためとはいえ、トラ柄のポールはいかにも殺風景だ。

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大塚から大宅(おおやけ)に入り、名神高速の高架手前に大宅一里塚跡がある。京都市内に現存する貴重な遺構として市史跡に指定されている。説明板には何も記載がないが、位置から考えて江戸から124里の一里塚と思われる。

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山科警察署を右に見ながら下っていくと、先にふれた奈良街道との分岐点があり、そこを右折すると地下鉄小野駅に付近に出る。小野氏が栄えた土地とされ、小野小町ゆかりの場所らしい(諸説あり)。その先の勧修寺入り口に文化元年の道標が建ち、「南 右大津 左京道」「北 すぐふしみ道」などと刻む。

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この先は名神高速に沿う単調な道のりになり、その途中で京都市山科区から伏見区に入る。JR藤森駅付近、京阪墨染駅付近を通り、伏見宿のエリアに入っていく。宿場の北外れ撞木町(しゅもくちょう)には遊郭があり、その入り口を示す石柱一対が残っている。赤穂浪士大石内蔵助が敵の目を欺くため遊興したのは、仮名手本忠臣蔵にある祇園一力茶屋ではなく、実際はこちらの遊郭だったと言われる。

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ちょうど昼時になったので、塩分補給を主目的に、伏見区役所南の「玄屋」で「酒粕らーめん」なるものを頂いた。伏見名物清酒の副産物を生かした、粕汁のような味わいの一品だった。

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その2に続く。

4月19日 LSD28キロ
4月21日 ジョグ10キロ

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2019/04/18

ベートーヴェン 弦楽四重奏曲全集

Abq ピアノソナタ全集に続いて、ベートーヴェンの創作過程のもうひとつの柱である弦楽四重奏曲全曲を、初めて通して聴いた。こちらもかなり以前にアルバンベルク四重奏団による全集盤を買い求めていたが、ピアノソナタ全集と同様、「ラズモフスキー」や「セリオーソ」など、標題がついた作品を適当に摘み聴きしていた程度だった。特に後期のものは難解という先入観が強かった。

CDのライナーノートで、評論家の門馬直美氏が「ベートーヴェンにとって最も身近に感じられ、心情を吐露しやすい楽器はピアノだった。しかし、ベートーヴェンは、人生の微妙な問題となると、弦楽四重奏に頼ることが多かった。ベートーヴェンの弦楽四重奏曲は、交響曲や協奏曲などでしばしばみられるような、外部を意識した点が少しもない。すべて、外面的効果よりも、ベートーヴェンの心の奥深くからの声をきかせる」(抄録)などと書いているが、まさにその通りだと思う。

とりわけ、後期あるいは晩年のベートーヴェンの音楽については、弦楽四重奏曲なしには知ることができないという指摘は重要だ。最後のピアノソナタよりさらに後の最晩年に書かれた、第12番から第16番にかけての弦楽四重奏曲は、同時期の第九交響曲に聴く理想主義の熱狂とは対照的な、静謐にして内面的ないし瞑想的、哲学的ともいえる音楽が展開されている。しかし、その両者が表裏一体となったものが、ベートーヴェンの音楽の総体なのだとすれば、弦楽四重奏曲を聴かずして彼の音楽は語れないということになる。

ピアノソナタを含めて、これまで食わず嫌いだった彼の後期の作品も、今後は折に触れじっくり聴いていくことにしよう。年齢を重ねることで分かるということもあるが、何よりそれら長大な作品を聴き通せるだけの時間が確保出来ていることに感謝しつつ。

4月17日 ジョグ10キロ

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2019/04/15

『ダウンサイズ』

Downsizing 2017年、米。マット・デイモン主演。アマゾンの紹介文。

人口が増え続け、住みづらくなってしまった地球。科学の進化によって、なんと人間を1/14に縮小する技術が発見された。ネブラスカ州オマハに住む、いたって平凡な夫婦、ポール(マット・デイモン)と妻オードリー(クリステン・ウィグ)。低収入でストレスの多い日々を送る二人は、大金持ちで、大豪邸に住めるダウンサイズされた世界に希望を抱き、13cmになる決意をする。しかし、ミニチュア化したポールに待ち受けるのは予想外の人生だった・・・。(引用終わり)

ダウンサイズされた人間と元サイズの人間との生存競争がテーマかと思いきや、途中からは縮小された人間のコミュニティ内での出来事だけが続き、ちょっと肩透かしを喰らった。現代社会への風刺や、地球規模の危機への対応などが主要テーマで、そこにラブロマンスも絡んでという展開なのだが、いかんせん焦点がボヤけてしまい、中途半端な印象は否めない。前半の人間縮小のプロセスがとてもリアルで面白かっただけに残念だ。

しかし、「ジェイソン・ボーン」シリーズでの不死身ぶりから打って変わった、マット・デイモンのダメ男ぶりがまた板についていて、随所で笑いを誘う。ベトナム人女性に振り回された挙句、彼女と同じユニフォームに身を包んだシーンは噴き出してしまった。また、帰宅したポールに向かって彼の母が、「人を縮めたり 火星に行けるくせに 私の病気は治せない」と愚痴をこぼしているが、これは『オデッセイ』を踏まえたセリフだろう。

4月13日 LSD20キロ
4月15日 ジョグ10キロ

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2019/04/12

『羊と鋼の森』

Hituji 2018年、製作委員会。東宝配給。KINENOTE の紹介文。

北海道の田舎で育った外村直樹(山﨑賢人)は、高校でピアノの調律師・板鳥宗一郎(三浦友和)と出会う。彼の調律したピアノの音に生まれ故郷と同じ“森の匂い”を感じた外村は、調律の仕事に魅せられ、その世界で生きていこうと決意。専門学校に通ったのち、板鳥のいる楽器店で調律師として働き始める。いちばん年齢が近く兄のような存在である先輩・柳(鈴木亮平)に付きながら、調律師としての道を歩み始めた外村は、ある日、高校生姉妹、和音(上白石萌音)と由仁(上白石萌歌)に出会う。柳の調律したピアノを二人が弾くと、和音の音は端正で艶やかな音を奏で、由仁は明るく弾むような音色になるのだった。ときに迷い、悩みながらも、ピアノに関わる多くの人に支えられ、外村は調律師として人として逞しく成長していく……。(引用終わり)

本屋大賞を受賞した宮下奈都の同名小説を映画化。三浦しをん原作の『舟を編む』と同様、一般にはあまり知られていない職業に着目し、その仕事内容と苦労、やりがいなどを丁寧に描いた作品だけれど、どうしても地味な内容にならざるを得ないし、ストーリー的にも大きな盛り上がりはない。しかし、北海道の自然の美しい映像に加え、ピアノと自然音をうまくミックスした音声との相乗効果で、一篇の叙事詩を読むような美しく音楽的な作品に仕上がっている。

弦楽器であればボウイング、管楽器であればアンブシュアやリードなど、奏者自らの修練や工夫次第で楽器の音色はいくらでも変化するけれど、考えてみればピアノなど鍵盤楽器においては、奏者のタッチによる強弱やアタック(音の出だし)の変化はあるにせよ、楽器の音色そのものや響き方まではコントロールできないのだ。

その重要な部分を担っているのがピアノ調律師なのだ。長年クラシック音楽を聴いてきた自分だが、お恥ずかしながらピアノの調律師とは、楽器の音程のチューニングをする人のことだと思っていた。それももちろんあるが、打鍵メカニズムを調整する「整調」や、音色を調整する「整音」も、その仕事の重要な一部なのだ。

オーディオのグレードアップでピアノの音もより深く味わえるようになり、このところピアノ音楽への関心がにわかに強まっているが、そのウラには目に見えない調律師の仕事があるわけだ。映像での表現には限界があるけれど、本作を通じてその苦労の一端を窺い知ることは出来た。

4月11日 ジョグ10キロ

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2019/04/09

『ヴィジット』

Visit 2015年、米。M.ナイト・シャマラン監督。アマゾンの紹介文。

休暇を利用して祖父母の待つペンシルバニア州メイソンビルへと出発した姉弟。都会の喧騒から離れて、田舎での楽しい一週間を過ごす予定だった――その時までは。優しい祖父と、料理上手な祖母。しかし出会えた喜びも束の間、就寝時、完璧な時間を過ごすためと、奇妙な「3つの約束」“楽しい時間を過ごすこと” “好きなものは遠慮なく食べること” “夜9時半以降は部屋から絶対に出ないこと” が伝えられる。
この家は、何かがおかしい。夜9時半を過ぎ、異様な気配で目が覚める二人。部屋の外から聞こえるただ事ではない物音に恐怖を覚えた彼らは、絶対に開けてはいけないと言われた部屋のドアを開けてしまう。そこで二人が目にしたものとは――?(引用終わり)

予告篇の最後でシャマラン監督が「あなたは既にダマされている」と挑発しているが、上記紹介文からして既に観客を騙していると言わざるを得ない。まず、「3つの約束」の前2つは映画には登場しない。そちらは大して意味がないが、もうひとつ、もっと重要なことを敢えて伏せて書かれているのだ。

途中、そのことに気づかされるヒントは与えられているが、自分の場合は見逃してしまい、結果見事に騙されてしまった。種明かしをすればまあ納得のゆくストーリーだけれど、「ね、驚いたでしょ」と得意げに話を締めくくるいたずらっ子が、そのまま成人したようなシャマラン節は相変わらずだ。

全体は映画好きの姉が手持ちカメラで記録映画を製作する過程を追う「劇中劇」の構造になっている。両親の離婚のせいでそれぞれ心に傷を負った姉弟が、今回の事件の記録を通じてそれを克服し、前向きに生きていけるようになる今後が暗示されている。

また、結婚に反対されて実家を飛び出して以来、一切連絡を絶っていた彼らの母も、ついに「許し」を得ることが出来た。本物の「万能薬」を得ることになる「もうひとつのエンディング」の方が、ベタながら説得力があったような気がする。

4月7、9日 ジョグ10キロ

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2019/04/06

とりあえずバナナをやめる

なるべく糖質を摂らない食生活を心がけているけれど、最近になって果物もよろしくないらしいことが分かった。いつも参考にさせてもらっている、京都高尾病院江部康二先生のサイトによると、果物に含まれる果糖は脂肪合成を誘導しやすいうえ、健康に有害なAGEs(終末糖化産物)をブドウ糖よりも約100倍生じやすい。加えて、今日の果物は品種改良によりブドウ糖やショ糖も多く含まれていることから、糖質制限にとってはNG食材であるという。

ただ、上記事実は確実に言えるものの、果糖が生体内に入ってからの動態の詳細はほとんど解明されていないそうだから、今後の研究によってさらに新しい事実が判明する可能性がある。また、果物に含まれるビタミン類などを他の食材から摂取する必要があるけれども、基本的に果物はNGという前提で考えておかないといけないだろう。

そこで、とりあえずバナナをやめることにした。ランナーの補給食として定番のバナナだが、既にレースから引退してジョグかLSDしか走らない状態では、走る前後の糖質補給などさして必要がない。現役時代からの惰性で食べ続けてきたけれど、ひと房買ってもなかなか減らず、最後は変色する直前のものを食べる始末だったのだ。

あとは朝食時のリンゴ、キウィ、イチゴなどをどうするか。おいおい見直していこうと思っている。

4月5日 ジョグ10キロ

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2019/04/03

『デビル』

Devil 2010年、米。M.ナイト・シャマラン原案、製作。ジョン・エリック・ドゥードル監督。シネマトゥデイの紹介文。

高層ビルで男が墜落死し、現場に急行した刑事ボーデン(クリス・メッシーナ)は、ロザリオを握りしめた死体に違和感を感じつつも、状況から自殺と判断する。ちょうどそのころ、同じビルのエレベーターが突然停止し、閉じ込められた5人の男女が、照明が消えるごとに1人ずつ無残な死を遂げるという奇怪な事態が起きていた。(引用終わり)

ナイト・シャマランの原案を有望な若手が映画化する「ザ・ナイト・クロニクルズ・プロジェクト」の第1弾だそうだ。特典映像に顔を出している監督はかなり若いが、シャマランの支援はあるにせよ相当な腕の持ち主と思われる。

内容はエレベーターという密室を舞台に進行するホラーサスペンスであり、最後は宗教的ないしオカルト的要素を強くしつつ、想像もつかない結末が用意されている。若手にメガホンを持たせても、そこはさすがにシャマラン映画ならではである。

冒頭に聖書の引用があり、また結末もキリスト教に馴染みのない人間にはスンナリ腑に落ちないけれど、純粋にホラーサスペンスものとして楽しめる作品だ。80分の短い尺に纏めたのも良かったのだろう。「プロジェクト」はこれまた3部作らしいので続篇に期待したい。

4月1、3日 ジョグ10キロ

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