伊勢街道を走る その2(白子~津)
白子宿を出ると堀切川に突き当たる。付近では釣り人が何人も釣り糸を垂れていた。平日の昼間から結構なご身分だ。って、自分もやん(笑)。
道標のとおり街道は橋の手前を右折する。堀切川に沿って内陸側に移り、川を渡った先に磯山の街並みがまっすぐ伸びている。またもや新日本紀行のテーマ音楽が頭の中に流れる。
次の千里(ちさと)駅の先で上野宿に入る。昼時になったので、国道沿いのラーメン店で昼食をとる。普段昼は食べないが、終日走る日はエネルギーと塩分の補給が欠かせない。
この先が上野宿のエリアになるが、ところどころ道がカギの手に曲がる「桝形」がある以外、宿場の風情は全く残っていない。宿場を出てしばらく、こんな案内が出ていたが、自分は今のところ痔には無縁なのでスルー。(笑)
三重大学キャンパスの近く、栗真(くりま)という所に、別街道の巡礼道との追分(分岐点)がある。左が伊勢街道四日市方面、右が巡礼道、手前が津の方向だ。名残りの松もあって、久々に見る街道らしい風景だ。
この先、旧街道は志登茂川を江戸橋で渡るはずだが、現在は橋の架け替え工事中で、国道の新江戸橋に迂回せざるを得ない。新しい江戸橋は以前よりも若干上流側に移されるようだ。
江戸橋追分の様子。左奥が前日に走った伊勢別街道、右が江戸橋、手前が津宿である。
街道沿いにある阿部喜兵衛商店。醤油や味噌の醸造業を営み、現当主阿部喜兵衛は10代目に当たるとか。
この先、津駅前にかけては最近再開発されたようで、道幅が広がって新しい家が建ち並んでいた。安濃川を塔世橋で渡ったところで地図を読み間違い、これを次の岩田川と勘違いしてしまった。数百メートル行き過ぎてから気が付き、引き返す破目になった。やれやれ。
街道に戻って観音寺近くの商店街を通る。確かアーケードが架かっているはずだが、全く見当たらない。また道を間違えたかと不安になり、通りかかった人に尋ねてみたら、アーケードは老朽化のため今年6月に撤去されたとのこと。商店街の角には「右さんぐう道 左こうのあみだ」などと刻む明治25年建立の道標が立つ。
今度は間違いなく岩田川を渡って国道から分岐、閻魔堂という怖そうな別名のある真教寺の前を通る。
この付近には風情のある旧家が残っている。庇の下にあるのは雨除けのための「幕板」といい、街道沿いの古い民家の多くで見かけた。
さらに進んで街道近くのJR高茶屋駅でこの日の行程を終了、松阪駅まで移動して駅前のホテルに投宿した。松阪と言えば、夕食はもちろんコレ。絶品の味わいだった。
10月23日 ジョグ10キロ
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