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2018/10/30

伊勢街道を走る その4(松坂~伊勢)

阪内川を松阪大橋で渡ってすぐ、江戸期の紙問屋小津家住宅が「松阪商人の館」として公開されている。松坂御三家のひとつで、かつて大橋の東側一角は小津家で占められていたという。

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その先に、松坂商人の代表格である三井家発祥の地がある。

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松阪市街中心部に入ると、和歌山街道との交差点に「右わかやま道 左さんぐう道」と刻む大きな道標が立っている。

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市街地の外れに「小津安二郎青春館」なる建物があった。日本映画界を代表する名監督は先述の小津家の傍系に当たり、幼少期を当地で過ごしたそうだ。

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その先のコンビニのイートインで昼食を取り、その後は単調な旧道をひたすら前進する。JR徳和駅の踏切を渡って間もなく、沖玉の夫婦石というのがあった。禁酒の神様ということで、この石に酒をかけて酒を預かってくれるよう祈ると、酒を飲まなくなるのだという。

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間もなく、「従是外宮四里」と刻む弘化3年の道標が立つ。西面は「玉造講」と読め、大坂玉造の有志が建立したものと思われる。まだ16キロか。ふう。

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櫛田川を渡る手前にある文政2年の道標。「左さんくうみち 右けかうみち」と刻む。各種文献、ブログ等を検索しても確たる説明がないが、「けかうみち」とは「還向道(下向道とも)」のことで、伊勢神宮参拝後の帰路という意味であろう。

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近鉄漕代駅近くを流れるこの川は祓川といい、斎王群行の際にここでお祓いをしてから斎宮に入ったという。話が前後してしまったが、斎王とは天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれ、都から伊勢に派遣さた女性のことである。斎王一行が都から伊勢に向かう旅程を斎王群行、伊勢での斎王の住まいを斎宮(さいくう、いつきのみや)という。

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次の斎宮駅近くには斎宮に関する博物館、歴史体験館などがあり、屋外には斎宮を1/10サイズで再現した模型が展示されている。

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さらにその先には「斎宮旧蹟蛭澤之花園」「斎王隆子女王御墓従是拾五丁」と刻む、いずれも斎宮関連の道標が並んで立つ。

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ずっと近鉄山田線に沿って進んできた単調な街道は、しいの辻で右折して南に向きを変える。その先にへんば餅で有名なへんばやがある。創業安永4年。旅人がここで馬を返して休憩したのがその名の由来だ。自分も店内で餅を頂いてひと休み。地元の人がひっきりなしに来店しては買っていく。伊勢はもうすぐだ。

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間もなく最後の宿場、小俣(おばた)宿に入る。ここも宿場の風情は残らないが、東外れに参宮人見附があったことを示す石碑が立っている。しかし、工事の都合なのか厚さが半分に截断されていて見るも哀れだ。

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やがて宮川に突き当たる。往時はここから「桜の渡し」で対岸に渡っていた。渡しの跡が復元されている。

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宮川橋を渡ってしばらく、文政5年の道標がある。「すぐ外宮江十三丁半 内宮江壱里三十三丁半」などと刻む。本来の位置から移設されたものらしく、「すぐ」(=直進)の方向が180度逆になっている。

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やがて大坂からの伊勢本街道との合流点である筋向(すじかい)橋に到着。正面奥が伊勢街道、左が伊勢本街道、手前方向が外宮である。ここから先、内宮宇治橋までは既に平成25年遷宮の年に走った(歩いた)ので、今回の街道走りはここで終了。すぐ近くに郵便局と銭湯があって、街道走りのゴール地点として言うことなしだ。

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10月29日 ジョグ10キロ

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2018/10/27

伊勢街道を走る その3(津~松坂)

3日目はJRで松阪駅から高茶屋駅まで戻ってから街道走りを再開。いつも思うことだが、電車で移動していると10キロほどの距離がとんでもなく遠く感じられ、これからその3倍の距離を走るのかと思うと少し気持が萎える。

JRの踏切を渡るといきなり田畑の中の一本道である。雲出(くもず)川を渡る手前が雲出宿のエリアであるが、ここも宿場の痕跡はほとんどない。僅かに「神明道」と刻まれた古い道標が打ち捨てられたように佇んでいる。

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雲出川を渡ってしばらく進むと、「北海道」の名付け親である松浦武四郎の生家が保存、公開されている。入場料を取るので当然パスだけれど(笑)、玄関先から少しだけ中を覗いてみた。

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さらに南下すると、「右からすみち」などと刻む文政4年の道標がある。海岸近くにある香良洲神社への参詣道を案内している。この先にも香良洲道道標はいくつかあり、伊勢街道からの分岐点が複数あったようだ。

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すぐ先の月本追分には、「右いかこ江なら道」「右さんくうみち」などと骨太の書体で刻む、天保13年建立の大きな道標が立つ。伊賀越え奈良街道との分岐点に当たる。

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中道公会所の前にある道標は、上部に丸い穴が開けられた珍しい形状をしている。

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JR六軒駅前を通過して、三渡川を渡る。ここも橋の架け替え工事をしていて、南詰めにあるはずの初瀬街道との分岐点を示す道標は見当たらなかった。どこかに移設されているのだろう。この辺りにも趣のある旧家が並ぶ。

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市場庄にある宝暦元年の古い道標。「忘井之道」とあり、天永元年の斎王群行に同行した官女甲斐が詠んだ和歌

  別れゆく 都の方の恋しきに いざ結びみむ忘井の水

に詠まれた井戸への道を示す。ただし、この井戸はもう埋まったようである。

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かと思うと、こんなひどい仕打ちに遭っている道標も。行政当局がこんなことをするとは…。お天道様に罰せられますぞ。(怒)

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南北朝時代から続く名家、舟木家の長屋門。海鼠壁が特徴的だ。平成も終わろうかという現在まで残り、今なお末裔が住まわれているらしい。

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その先の曲がり角にある「山神(やまのかみ)」。伊勢地方特有のもので、春になると山から里に下りてきて田の神となって農作物の実りをもたらし、秋になると山に戻るのだという。

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まもなく街道は松坂宿エリアに入る。その手前、阪内川手前にある須川屋金物店。相当年季が入っているが、今なお現役で営業中だ。

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10月25、27日 ジョグ10キロ

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2018/10/24

伊勢街道を走る その2(白子~津)

白子宿を出ると堀切川に突き当たる。付近では釣り人が何人も釣り糸を垂れていた。平日の昼間から結構なご身分だ。って、自分もやん(笑)。

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道標のとおり街道は橋の手前を右折する。堀切川に沿って内陸側に移り、川を渡った先に磯山の街並みがまっすぐ伸びている。またもや新日本紀行のテーマ音楽が頭の中に流れる。

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次の千里(ちさと)駅の先で上野宿に入る。昼時になったので、国道沿いのラーメン店で昼食をとる。普段昼は食べないが、終日走る日はエネルギーと塩分の補給が欠かせない。

この先が上野宿のエリアになるが、ところどころ道がカギの手に曲がる「桝形」がある以外、宿場の風情は全く残っていない。宿場を出てしばらく、こんな案内が出ていたが、自分は今のところ痔には無縁なのでスルー。(笑)

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三重大学キャンパスの近く、栗真(くりま)という所に、別街道の巡礼道との追分(分岐点)がある。左が伊勢街道四日市方面、右が巡礼道、手前が津の方向だ。名残りの松もあって、久々に見る街道らしい風景だ。

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この先、旧街道は志登茂川を江戸橋で渡るはずだが、現在は橋の架け替え工事中で、国道の新江戸橋に迂回せざるを得ない。新しい江戸橋は以前よりも若干上流側に移されるようだ。

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江戸橋追分の様子。左奥が前日に走った伊勢別街道、右が江戸橋、手前が津宿である。

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街道沿いにある阿部喜兵衛商店。醤油や味噌の醸造業を営み、現当主阿部喜兵衛は10代目に当たるとか。

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この先、津駅前にかけては最近再開発されたようで、道幅が広がって新しい家が建ち並んでいた。安濃川を塔世橋で渡ったところで地図を読み間違い、これを次の岩田川と勘違いしてしまった。数百メートル行き過ぎてから気が付き、引き返す破目になった。やれやれ。

街道に戻って観音寺近くの商店街を通る。確かアーケードが架かっているはずだが、全く見当たらない。また道を間違えたかと不安になり、通りかかった人に尋ねてみたら、アーケードは老朽化のため今年6月に撤去されたとのこと。商店街の角には「右さんぐう道 左こうのあみだ」などと刻む明治25年建立の道標が立つ。

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今度は間違いなく岩田川を渡って国道から分岐、閻魔堂という怖そうな別名のある真教寺の前を通る。

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この付近には風情のある旧家が残っている。庇の下にあるのは雨除けのための「幕板」といい、街道沿いの古い民家の多くで見かけた。

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さらに進んで街道近くのJR高茶屋駅でこの日の行程を終了、松阪駅まで移動して駅前のホテルに投宿した。松阪と言えば、夕食はもちろんコレ。絶品の味わいだった。

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10月23日 ジョグ10キロ

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2018/10/21

伊勢街道を走る その1(日永追分~白子)

2日目はまず四日市からあすなろう鉄道に乗って日永追分まで移動する。この路線はもとは近鉄の支線だったため、プラットホームには9番線10番線と、本線からの続き番号が振られている。軌間762ミリ、軽便規格の可愛い電車だ。

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追分駅で下車してすぐの日永追分。東海道のときは右へ行ったが、今回は鳥居を潜って直進、弥次さん喜多さんと同じく一路伊勢を目指す。

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県道を南下し始めて間もなく、道路左側に4基の道標が並んでいる。「子安地蔵密蔵院」などとあり、近くにある蟹築山密蔵院を案内している。

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やがて県道から旧道に分岐し、内部(うつべ)川に続いて鈴鹿川を渡ったところに、文化4年に建立された階段付の常夜燈がある。

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田畑の中の縄手道(縄を張ったようなまっすぐな道)を進んだ先に、神戸(かんべ)宿の北端にあった見附の跡が残っている。旅人を監視する番所が置かれ、夜間は木戸を閉じて通行を禁じたそうだ。木戸の柵を支えた溝が石垣に残っているという解説があったが、目を凝らして見てもよく分からなかった。

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近鉄鈴鹿線の踏切を渡った先、油伊旅館の前が札の辻で、この辺りが神戸宿の中心だろう。

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神戸宿を抜けて伊勢鉄道線の高架を潜ると、やがて国道23号に突き当たる。現在の伊勢街道は交通量の多い国道で、11月の全日本大学駅伝のコースにもなっている。この先、旧街道は国道と並行するように進んでいくが、あちこちで右左折するのが旧街道の常で、旅人が迷わないよう随所に「さんぐう道」を示す道標が置かれている。

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伊勢湾の海岸線が近くなってきて、近鉄名古屋線の踏切を渡ると、左手に大きな地蔵堂があり、道路を挟んだ南東側には役行者神変大菩薩が祀られている。小角さん、随分あちこちで手広く活躍されていたんだ。(笑)

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近鉄白子(しろこ)駅付近を通過、白子宿に入った辺りに、昭和12年の比較的新しい指差し道標がある。背後の家の主人が建立したものだとか。

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次の鼓ケ浦駅近く、子安観音寺前を通過したところに道標が2基残っている。ひとつは金属板で補修され、もうひとつは頭部が摩耗して哀れを止める。後者はこの地の型紙彫刻職人が砥石をならすのに使ったためだという。ひどいことをするものだ。「くわんおん」とは子安観音寺を指す。

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10月19、21日 ジョグ10キロ

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2018/10/18

伊勢別街道を走る

Isekaidomap2_415日から17日にかけて、伊勢街道および伊勢別街道を走って来た。いずれも東海道の途中から分岐して伊勢神宮に向かう街道である。位置関係はご覧のとおりで、江戸方面から四日市の先、日永の追分で分岐するのが伊勢街道、京方面から関宿の東追分で分岐するのが伊勢別街道である。両者は津宿手前の江戸橋追分で合流する(地図はいつも参考にしている五街道ウォークのサイトから)。

まずは距離の短い別街道から走ることにして、15日の昼過ぎにJR関駅に到着した。いきなりだが、駅前の「道の駅関宿」に立ち寄って休憩する。走る前から休憩を取るのにはワケがあって、今年4月に東海道を走って関宿を通過した際、銘菓「志ら玉」を食べそびれていて、いつかその仇を取ろうと思っていた。この道の駅で販売していると聞いて立ち寄ったのだ。

めでたく志ら玉にありついて本懐をとげた。アンコの素朴な味がなんとも昔懐かしい。ついでに、同じく関銘菓「関の戸」も購入して自宅に配送してもらうことにした。こちらは1個2個では売ってくれないし、箱を持って走るわけにもいかないからだ。

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さて、これでこの日最大の懸案が解決した(笑)。というか、別街道にはそれほど名所が多いわけでもなく、東海道と伊勢を結ぶミッシングリンクを残さないため、というのが最大の目的だったりする。

関宿の東追分まで移動してスタート。勧進橋で鈴鹿川を渡った先に鈴鹿駅跡があり、そこにあった巨大な松の根株が保存されている。駅とはもちろん鉄道駅ではなく、旅人のために馬や人夫を備えていた駅(うまや)のことである。

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名阪国道の高架を潜り、石山観音への道と分岐、庚申坂を登っていくと最初の楠原宿に入る。何とも鄙びた佇まいで、宿場だったことを窺わせるものは残っていない。楠原宿を出て、人気のない急な坂道を登った先の集落の中ほど、蛭谷街道と分岐する場所に旧明村役場庁舎がある。大正5年築、国の登録有形文化財とのことである。

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集落を抜けるところに安永5年建立の道標を兼ねた常夜燈があり、「右さんぐう道」「左り京道」と刻む。以降、伊勢街道ともあわせ、無数の常夜燈を目にすることになる。「おかげ参り」などで、昼夜兼行で伊勢を目指した旅人が多かったということだ。

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やがて前方の視界を遮る堤防が現れる。横山池という人造池で、地元の篤志家駒越五良八なる人物が慶応2年に私財を擲って築造したそうだ。旧街道はこの池を突っ切るような形で通っていたと思われる。

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次の椋本宿に到着。集落にある巨大な椋の木がその名の由来だ。宿場中心付近にある道路里程標(右、復元)と、江戸後期建立と推定される道標(左)。「左さんくう道」「右榊原道」と刻む。

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その先の曲がり角に、その名も角屋という旅館がある。江戸時代から続いた旅館で(現在は廃業)、これも国の登録有形文化財。軒下には参宮講札が多数掲示されている。今で言えば、「○○旅行社ご指定旅館」といったところか。ちなみに「笑門」と記された注連縄は当地の風習なのか、普通の民家でもよく見かけた。

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この先は県道と合流、分岐を繰り返す単調な行程となる。伊勢自動車道インターチェンジ近くのコンビニでコーヒー休憩。現代のお茶屋、コンビニには今回もずいぶんお世話になった。

次の窪田宿寄りの場所に、文政2年(たぶん)建立の「ぜに可け松」の碑がある。昔、病気で参宮を断念した旅人がこの松に銭を結んで引き返した。別の人がその銭を盗もうとしたら、銭が蛇に化けて襲ってきたことから、この松に銭を掛けると参宮と同じくらいご利益があるという伝承が生まれたそうだ。(諸説あり)

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窪田宿の辺りまで来ると人家も建て込んできて、往時の雰囲気は全くないものの、JR紀勢本線一身田駅近くに巨大な常夜燈がある。文化14年建立、高さは8.6メートルもある。蝋燭を灯すために背後に階段が設けられているが、現在は電線を引き込んでLEDライトが点灯している。

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紀勢本線、伊勢鉄道線、近鉄名古屋線と順に越えていくと、伊勢別街道の終点、伊勢街道との分岐点である江戸橋追分に至る。残念ながら江戸橋は現在架け替え工事中で、追分にある常夜燈や道標の周囲も大変殺風景だ。(泣)

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すぐ近くの近鉄江戸橋駅から電車で四日市へ移動、駅前のホテルに投宿した。

10月15日 LSD19キロ
10月16日 LSD37キロ
10月17日 LSD32キロ

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2018/10/13

『光をくれた人』

Light2016年、米豪ニュージーランド。マイケル・ファスベンダー、アリシア・ヴィキャンデル他。アマゾンの紹介文。

心を閉ざし孤独だけを求め、オーストラリアの孤島で灯台守となったトム。しかし、美しく快活なイザベルが彼に再び生きる力を与えてくれた。彼らは結ばれ、孤島で幸福に暮らすが、度重なる流産はイザベルの心を傷つける。
ある日、島にボートが流れ着く。乗っていたのは見知らぬ男の死体と泣き叫ぶ女の子の赤ん坊。赤ん坊を娘として育てたいと願うイザベル。それが過ちと知りつつ願いを受け入れるトム。4年後、愛らしく育った娘と幸せの絶頂にいた2人は、偶然にも娘の生みの母親ハナと出遇ってしまう――。(引用終わり)

舞台はオーストラリア西部沖の孤島。赤ん坊と既に死んだその父親がボートに乗って流れ着くことから物語が展開していくが、これと似たような設定で、お隣ニュージーランドの海岸に母子とピアノを乗せた舟が着くところから始まる『ピアノ・レッスン』を思い出した。

直前に二度目の流産を経験し、悲嘆にくれていた灯台守夫妻の子供として、赤ん坊は育てられていくのだが、実は本土にその母親が生存していて、一連の真相が明らかとなり、娘は実の母の家に引き取られていくのだが…というストーリー。

夫婦間の愛情、子供への愛情、人として守るべき道、罪と赦し。主人公夫妻も実の母も、互いに矛盾する大変難しい選択を迫られる。その息詰まるような心理ドラマが、抑制の効いたセリフによって展開し、美しい映像と音楽がそれに静かに寄り添う。

なお、主演の二人はもともと交際中で、本作製作の翌年に実際に結婚したそうである。どうりで迫真の演技だったわけだ。(笑)

月曜から伊勢街道の走り旅に出かけるので、次回更新までしばしご猶予を。

10月11、13日 ジョグ10キロ

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2018/10/10

frun22周年記念飲み会

8日の体育の日はKさんが企画されたfrun22周年記念飲み会に参加した。当時まだパソコン通信だったfrunの発足から22年。私が加入したのは1999年1月の枚方ハーフマラソンだったから、それからでも20年近くが経過したわけである。

当初はタイトルどおり飲み会だけの企画だったのが、一応はランナーの集まりであるからには走らないとダメだと衆議一決。森ノ宮から天王寺まで上町台地周辺を巡り、大阪の歴史に思いを馳せる5キロほどのコースをのんびりと走った。

8月に高橋さんと走った際は、天王寺七坂のうち北側の二つを残していたが、それも今回で完全にカバーできた。写真は源聖寺坂を下っていくところ。先頭集団がいる辺りは往時はもう海だった。

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天王寺駅まで走ってから、銭湯で汗を流し、宴会に突入。阿倍野はいわば地元でありながら、「湯処あべの橋」の存在も知らなければ、宴会場所のハルカスの建物に入ったのも実は初めてという有様である。

まあ、飲めればどこでも同じ。顔なじみのメンバーと大いに飲みかつ語らい、二次会にも繰り出したが、だんだん同じ話の繰り返しと、健康や病気の話題が多くなってきたように思う。それだけメンバーが高齢化したということだろう。大会や記録などの話題で盛り上がっていた頃が懐かしい。

10月8日 ジョグ5キロ
10月9日 ジョグ10キロ

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2018/10/07

LED付大型ルーペを購入

白内障手術の際、新聞や本、パソコン画面を見る距離にピントを合わせてもらったので、普段の生活では近視遠視含めてメガネは一切不要となったが、それでも辞書や契約約款などの小さな文字はお手上げ状態である。

そろそろルーペを買わないといけないと思っていたが、必要となる頻度は高くないので、派手にTVCMを打っている○○○ルーペのようなメガネ型のルーペは必要ない。むしろ、LEDで手元を明るく照らす機能がついた手持ちルーペの方が重宝しそうだ。

ということで選んだのがコレ。ご覧のようにかなりの大きさであるが、レンズはプラスチック製なのでそれほど重くない。お値段は○○○の9分の1程度である。おそらく日本製ではないと思われるが、構造が単純なので尻に敷いても全然OKである。(笑)

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実際の見え方はガラケーではとても撮れないので、商品紹介の写真で見てもらうしかないが、ほぼ写真どおりレンズの端までほとんど歪むことなく、くっきりはっきりと見える。LEDライトも強力だ。5倍の部分が小さいのが難点だが、ほとんど使わないと思われるので問題ない。

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10月5、7日 ジョグ10キロ

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2018/10/04

『恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ』

Bakerboys1989年、米。シドニー・ポラック製作総指揮。ミシェル・ファイファー、ジェフ・ブリッジズ、ボー・ブリッジズ他。アマゾンの紹介文。

なかなか人気が出ず、お呼びのかかるラウンジも格の低いところが増えてきたジャズ・ピアニスト兄弟「ザ・ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」(ジェフ&ボー・ブリッジズ)。この状況を打破するべく美人ヴォーカリスト、スージー(ミシェル・ファイファー)を雇い、トリオとして再出発した。彼女の人気でトリオは次第に人気を博していくが…。(引用終わり、一部加筆。)

あるサイトで「邦題以外はすべていい。音楽もカメラも役者も。」と紹介されていたが、本当にそのとおりで、小難しい文芸映画を観た後、理屈抜きに楽しめる1本だった。

とりわけ、全篇に亘って流れるジャズナンバーの数々が、洗練された都会の気怠さ…みたいな雰囲気を醸し出している。ミシェル・ファイファーの歌はほとんど玄人はだしで、サウンドトラックがグラミー賞を受賞したそうだ。

その歌もさることながら、彼女の何とも言えない妖艶さ、それと同居する可愛らしさやふてぶてしさなど、大人の女の色香を全て体現したような演技が、本作最大の魅力だろう。グランドピアノの上で身をくねらせて歌うシーンは、上質なエロティシズムを強烈に感じさせる。

ベイカー兄弟を演じたジェフとボーは本物の兄弟なのだが、そう言われないと気付かないほど容貌は似ていない。しかし、実はこの映画の役柄的にはそれが功を奏していて、兄は律義で実務に通じた常識人、弟は才能はあるが人間的には未熟という、対照的な兄弟像を作り上げるのに寄与している。

メインは一応ラブストーリーだが、そこに兄弟の対立や和解、エンタメ業界の現実などが絡んで、独特の作品世界を作り出している。弟が飼っている黒のレトリーバーとか、アパートの上階に住む少女も、意外なほどストーリー展開に絡む名脇役となっている。一見唐突で、余韻を残したエンディングも味わいがある。

10月3日 ジョグ10キロ

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2018/10/01

『めぐりあう時間たち』

Thehours2002年、米。スティーヴン・ダルドリー監督。メリル・ストリープ、ジュリアン・ムーア、ニコール・キッドマン他。アマゾンの紹介文。

誰の人生にもやってくる普通の朝が、また始まろうとしていた。1923年ロンドン郊外、作家ヴァージニア・ウルフは「ダロウェイ夫人」を執筆している。1951年ロサンゼルス、妊娠中の主婦ローラ・ブラウンは、夫のために息子とバースデイ・ケーキをつくり始める。2001年ニューヨーク、編集者クラリッサ・ヴォーンは、エイズに冒された友人の作家の受賞パーティ準備に奔走する。3つの時代の、3人の女たちの一日は、それぞれの終わりへと向っていた…。(引用終わり)

原題 The Hours 。ピュリツァー賞を受賞したマイケル・カニンガムの同名小説を映画化。紹介文にあるとおり、ヴァージニア・ウルフの小説『ダロウェイ夫人』を縦糸に、時代も境遇も異なる3人の女性の物語を横糸に織りなされる、複層的かつ緻密なストーリー構成。難解さで有名なウルフの小説が下敷きになっているだけあって、映画の内容もかなり複雑で奥が深く、一度観ただけでは理解が難しい。監督自身、「これは繰り返し観て、新たな絆や共感を見出せる作品にしたかった」と語っている。

花を買ってきて飾る。パーティの準備と料理。親しい人間の訪問による心境の変化。女性同士のキス。自殺行為。いくつかの暗示的なモチーフが共通して用いられるが、それよりも重要なのは、彼女たちがいずれも「誰かのために」生きているという点にある。

ヴァージニアは、彼女の精神病の治療のためだとして、夫がロンドンから離れた田舎町での生活を決め、当時の女性の社会的地位から不本意ながらそれに従っているが、創作に不可欠な刺激のない田舎生活に不満を抱いている。

ローラは内気でいつも一人でいるタイプだったが、彼女に今のような人生を送らせたかったと言う夫の幸せの理想像に合わせて、理想的な妻と母を演じ続けている。しかし、『ダロウェイ夫人』を愛読し、そのヒロインに心が満たされない自分自身を投影している。

『ダロウェイ夫人』と同じ名前を持つクラリッサは、詩人で作家のチャーリーにかつて好意を寄せながら拒否され、その後はエイズに侵された彼の世話を献身的にしている。チャーリーもまたクラリッサのために生きてきたが、そのことをずっと重荷に感じている。

彼女たちの抱えるジレンマ、その解決への過程、苦悩に満ちた選択、その結果払うことになる犠牲といったものを、3人の女優たちが繊細にして説得力ある演技で表現しきっている。本作の価値は彼女たちの演技に尽きると言って過言ではないが、美しい映像表現、心に沁みるようなフィリップ・グラスの音楽も素晴らしい。

少々とっつきにくいが、またいつか観てみたいと思わせる秀作映画だ。

9月28日 ジョグ10キロ
月間走行 195キロ
10月1日 ジョグ10キロ

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