伊勢街道を走る その4(松坂~伊勢)
阪内川を松阪大橋で渡ってすぐ、江戸期の紙問屋小津家住宅が「松阪商人の館」として公開されている。松坂御三家のひとつで、かつて大橋の東側一角は小津家で占められていたという。
松阪市街中心部に入ると、和歌山街道との交差点に「右わかやま道 左さんぐう道」と刻む大きな道標が立っている。
市街地の外れに「小津安二郎青春館」なる建物があった。日本映画界を代表する名監督は先述の小津家の傍系に当たり、幼少期を当地で過ごしたそうだ。
その先のコンビニのイートインで昼食を取り、その後は単調な旧道をひたすら前進する。JR徳和駅の踏切を渡って間もなく、沖玉の夫婦石というのがあった。禁酒の神様ということで、この石に酒をかけて酒を預かってくれるよう祈ると、酒を飲まなくなるのだという。
間もなく、「従是外宮四里」と刻む弘化3年の道標が立つ。西面は「玉造講」と読め、大坂玉造の有志が建立したものと思われる。まだ16キロか。ふう。
櫛田川を渡る手前にある文政2年の道標。「左さんくうみち 右けかうみち」と刻む。各種文献、ブログ等を検索しても確たる説明がないが、「けかうみち」とは「還向道(下向道とも)」のことで、伊勢神宮参拝後の帰路という意味であろう。
近鉄漕代駅近くを流れるこの川は祓川といい、斎王群行の際にここでお祓いをしてから斎宮に入ったという。話が前後してしまったが、斎王とは天皇に代わって伊勢神宮に仕えるため、天皇の代替りごとに皇族女性の中から選ばれ、都から伊勢に派遣さた女性のことである。斎王一行が都から伊勢に向かう旅程を斎王群行、伊勢での斎王の住まいを斎宮(さいくう、いつきのみや)という。
次の斎宮駅近くには斎宮に関する博物館、歴史体験館などがあり、屋外には斎宮を1/10サイズで再現した模型が展示されている。
さらにその先には「斎宮旧蹟蛭澤之花園」「斎王隆子女王御墓従是拾五丁」と刻む、いずれも斎宮関連の道標が並んで立つ。
ずっと近鉄山田線に沿って進んできた単調な街道は、しいの辻で右折して南に向きを変える。その先にへんば餅で有名なへんばやがある。創業安永4年。旅人がここで馬を返して休憩したのがその名の由来だ。自分も店内で餅を頂いてひと休み。地元の人がひっきりなしに来店しては買っていく。伊勢はもうすぐだ。
間もなく最後の宿場、小俣(おばた)宿に入る。ここも宿場の風情は残らないが、東外れに参宮人見附があったことを示す石碑が立っている。しかし、工事の都合なのか厚さが半分に截断されていて見るも哀れだ。
やがて宮川に突き当たる。往時はここから「桜の渡し」で対岸に渡っていた。渡しの跡が復元されている。
宮川橋を渡ってしばらく、文政5年の道標がある。「すぐ外宮江十三丁半 内宮江壱里三十三丁半」などと刻む。本来の位置から移設されたものらしく、「すぐ」(=直進)の方向が180度逆になっている。
やがて大坂からの伊勢本街道との合流点である筋向(すじかい)橋に到着。正面奥が伊勢街道、左が伊勢本街道、手前方向が外宮である。ここから先、内宮宇治橋までは既に平成25年遷宮の年に走った(歩いた)ので、今回の街道走りはここで終了。すぐ近くに郵便局と銭湯があって、街道走りのゴール地点として言うことなしだ。
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