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2018/08/20

バルトーク弦楽四重奏曲全集

Emersonq_2ショスタコーヴィチ、プロコフィエフに続く、20世紀の音楽シリーズ(?)第3弾は、バルトークである。彼の作品中で人気、演奏頻度ともに最も高い「管弦楽のための協奏曲」(通称オケコン)だけは既に守備範囲に入っていたが、それ以外の作品はトンと馴染みがなかった。

とりわけ難解というか、とっつきにくかったのが弦楽四重奏曲である。だいぶ以前にエマーソン弦楽四重奏団による全集盤を買ってはいたのだが、ちょこっと聴いただけで「なんじゃこりゃ」と、匙を投げていたのだ。

最近になって、自分の音楽理解がようやく20世紀に入ったので、そろそろ挑戦しても良い頃合いかと再挑戦を思い立った。結論的に言えば、とても面白い音楽ばかりだった。どうしてこれまで食わず嫌いを続けてきたのか、自分でも不思議なくらいだ。

形式面では、古典的なソナタ形式や3部形式などの要素を残してはいるが、調性面では、第5番以降若干の揺り戻しがあるとはいえ、ほぼ無調音楽に近いと言える。ここまではショスタコーヴィチでも概ね同様だが、大きく異なるのは弦楽四重奏という表現媒体の多様性を極限まで追求している点である。

とりわけ奏法面での多様性は目を瞠るばかりだ。弦を弾いて指板に叩きつけるバルトーク・ピツィカートや、弓の木の部分で弦を弾く(叩く)コル・レーニョなどの打楽器的奏法をはじめ、重音、グリッサンド、スル・ポンティチェロ(駒に近いところを弾く)、スル・タスト(指板に近いところを弾く)など、特殊奏法のオンパレード状態である。

これらによって表現される音楽の内容は、まとまった主題の提示と反復、展開といった古典的、論理的なものというより、断片的な動機を感覚的、即興的に様々に変容させつつ、それが一旦落ち着くとまた次の動機が現れるといった印象が強い。あまり詳しくないので的外れかもしれないが、ジャズのインプロヴィゼーション(即興演奏)というのがこれに近いのではないか。

6曲のうちでは、1939年に作曲された最後の第6番がとりわけ印象に残った。第1楽章冒頭、Mesto という指示があり、ヴィオラだけで奏される「悲しみの主題」が、第2楽章冒頭では2声、第3楽章冒頭では3声と、次第に声部を増やし、最終楽章でようやく作品全体のテーマとして本格的に登場する。第二次世界大戦のさなか次第に悪化していく当時の世情や、作曲の翌年にはアメリカに移住することになる彼自身の心情を反映したものだろう。

オケコン以外の管弦楽曲、協奏曲なども、順次聴いていきたい。

8月18、20日 ジョグ10キロ

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