マーラー後期交響曲
マーラーの交響曲では、第1番と第5番の演奏頻度が飛びぬけて高く、次いで第4番や第2番が時折取り上げられるが、第6番以降の後期の交響曲が演奏される機会はさほど多くないように思う。マーラーは「やがて私の時代が来る」と予言したそうだが、現時点では予言は前半だけ的中したといったところか。
ご多分に漏れず、私自身も彼の後期の交響曲は、実演では第6番と第9番をそれぞれ一度聴いただけで、それ以外はCD等でも全曲を通してちゃんと聴いた記憶があまりない。第10番に至っては1枚もディスクを持っていなかった。
最近、ショスタコーヴィチやプロコフィエフの作品を続けて聴いたけれど、彼らに大きな影響を与えたはずのマーラーの交響曲をちゃんと聴いていないのでは具合が悪いと、第6番以降をまとめて聴いてみたのだ。お恥ずかしながら、未完に終わった第10番の第2楽章以降を補完した全曲版を聴いたのは初めてのことだ。
ひととおり聴いてみて、第6番と第7番はやはり内容的に難解というか、個人的な思い入れが強すぎて万人に受け入れられるとは言い難い。しかし、第8番になるとそこから突き抜けたというか、新たな境地が開けた感がある。第9番、第10番ではさらに達観した境地に入り、死の淵を覗き見るような深さがある。(※個人の感想です)
それぞれ1時間を超す大曲なので、そう頻繁に聴くわけにもいかないが、繰り返し聴けばまた新たな発見があるに違いない。そう言えば、歌曲集などもほとんど手つかずの状態だ。食わず嫌いは良くないし、残りの人生で音楽を聴ける時間も無限にあるわけではないのだ。
7月8日 ジョグ10キロ
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