『怒りの葡萄』
1940年、米。ジョン・スタインベックの同名小説の映画化。ジョン・フォード監督。ヘンリー・フォンダ主演。allcinema の紹介文。
殺人容疑で入獄していた主人公トム・ジョードは仮釈放で4年ぶりに故郷オクラホマの農場に戻るが、小作人として働いていた一家は既に凶作の土地を逃れさったあとだった。叔父の家で家族と再会した彼は、みなで遥かカリフォルニアに行き、職を求める。そして、桃もぎで雇われた農場で賃金カットに反対したストが起き、首謀者ケイシーを殺した男をトムは殴り殺してしまう。一家で国営キャンプに潜んだが、彼を追う保安官が姿を現わし、トムはまた一人逃亡の旅に出る……。再会を信じ、彼を送り出す母の逞しい言葉で映画は締めくくられ、やるせない余韻を残す。(引用終わり)
世界で最も豊かな経済大国アメリカにも、こんな悲惨な時代があったのかとまず驚く。家財道具一式を積んだオンボロトラックで遥かカリフォルニアを目指す一家の姿は、現在のシリアやロヒンギャなどの難民と重なって映る。
しかも、「乳と蜜の天地」のはずだったカリフォルニアに着いてみたら、難民キャンプのような所しか行き場所がなく、一家は道中で聞かされた過酷な現実を目の当たりにすることになる。そのシーンでは音声はほとんどなく、キャンプの人々の茫然とした表情を次々に映すだけだが、それがどんな言葉にも勝る説得力をもって迫ってくる。
ちなみに、「乳と蜜…」という言葉は、聖書の「出エジプト記」を踏まえたものである。そもそもタイトルの「怒りの葡萄」からして、ヨハネ黙示録の「神の怒りで踏み潰される人間」から来ており、スタインベック文学の背景には聖書やキリスト教信仰があると言われる。
資本家による土地収奪や搾取、それに対する労働者の抵抗やストライキなど、社会主義の側に立った映画と捉えられかねない内容で、当時のハリウッドでは相当な勇気が必要だったと思うが、本作は単なるイデオロギー映画ではなく、逆境を生き抜く民衆の逞しさや家族の絆といった、普遍的な価値を謳い上げている点に価値があるだろう。
主人公トムが「俺は闇のどこにでもいる。母さんの見える所にいる」などと語って母親との別れを告げるシーンが有名だが、それよりもラストの場面で、元の家に戻りたいと嘆く父親を励ます母親のセリフが素晴らしい。さしずめ、アメリカ版「肝っ玉母さん」と言ったところか。
女は男より変わり身が早い/男は不器用でいちいち止まる/ところが女は流れる川でね/渦や滝があっても止まらずに流れる/それで強くなる
金持ちはダメ/子供が弱いと死に絶える/でも私たち民衆は違う/死なない/しぶとく生きていく/永遠に生きるのよ/民衆だから
他にも要所要所でキーパーソンとなるこの母親役を演じたジェーン・ダーウェルは、ノミネートどまりだった主演男優ヘンリー・フォンダを差し置いて(笑)、アカデミー賞助演女優賞を獲得している。巨匠ジョン・フォードが同監督賞を受賞したのは言うまでもない。
6月7、9日 ジョグ10キロ
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