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2018/05/31

フォノカートリッジを買い替え

アナログレコードプレーヤーのフォノカートリッジを買い替えた。最近でこそ見直されつつあるものの、アナログレコードがCDに主役の座を譲ってから30年近くは経つだろう。自分自身、そう多くはないLPレコードのコレクションを再生する機会は最近ほとんどなくなった。

それでも、ちょっと前にLPでしか持っていない曲を聴きたくなって針を落としたら(このフレーズ、懐かしい・笑)、中心に近い内周部で音がビリつく現象が出た。もう何年使ったか分からないオルトフォンのMCカートリッジの針先がさすがに摩耗していたようだ。

ちょっと専門的になるがMC、つまりムービング・コイル式のカートリッジは、音質が良い反面、針先だけの交換が不可能で、カートリッジ全体を取り替える必要がある。しかし、オルトフォンMC20という機種はもう生産中止になっていて、対応する現行機種はかなり高価だ。

そこで思い切って買い替えることにして、ネット等でいろいろとリサーチしてみたところ、オーディオテクニカのAT-F7という機種が、リーズナブルな価格の割に評価が高いことが分かった。驚いたことに、2010年になって発売された商品ということである。写真は出荷時のダミーシェルについたまま、上下逆の状態である。

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ヘッドシェルへの取り付けやリード線の結線など、デリケートな割に意外に力の要る作業は、手元が見づらくなった身には大変だったが、昔取ったなんとやらで何とか完了。オーバーハングや針圧、インサイドフォースキャンセラーの調整(この辺りの用語は昭和のオーディオマニアしか分からない・苦笑)も済ませた。

再生音はfレンジ、Dレンジともよく伸びて、定位感にも優れている。目の前で演奏しているかのような臨場感、音場感に関してはCDを凌駕するほどだ。これで今後も引き続きアナログレコードを楽しむことが出来そうだ。

5月30日 ジョグ10キロ
月間走行 173キロ

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2018/05/28

関西弦楽四重奏団コンサート

久々にコンサートに出かけた。といっても、NHK-FM「ベストオブクラシック」公開収録として行われた演奏会の観覧希望者に当選したものであり、早い話がロハというわけだ。(笑)

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会場は奈良県文化会館国際ホール。開館50周年記念ということで県も主催者に名を連ね、開演前には荒井知事の挨拶も行われた。出演は関西弦楽四重奏団。全員東京藝大出身で、関西で活躍する若手実力者たちである。

曲目はシュルホフ「5つの小品」、ラヴェルの弦楽四重奏曲ヘ長調、休憩後にベートーヴェンのラズモフスキー第3番ハ長調と、時代を遡っていく構成である。

シュルホフはプラハ出身の作曲家で20世紀初頭に数多くの作品を発表したが、ナチスドイツによって「退廃音楽」の烙印を押され、最後は強制収容所で死去。長く顧みられることがなかったが、最近になって見直しの機運が生じている。「5つの小品」はワルツやタンゴなど様々な民族舞曲をモチーフにした諧謔性に富む作品。もちろん初めて聴いたが、刺激的な不協和音がなぜか快感をもたらす不思議な作品だ。

このあと第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、2人の女性奏者がパートを交替した。このように曲によってパートを交代するのは、アメリカのエマーソン弦楽四重奏団などでも例があるが、楽曲の性格などに応じて柔軟に対応していくのが狙いだろうか。

続くラヴェルはこの日の出色。緩急や強弱、音色を、まるで万華鏡のように絶えず変化させつつ、まさにひとつの楽器のように4人が一体となった音楽が繰り広げられる。どちらかと言えば明るめの音色を持つ、このカルテットの特質も、曲調とよく合致していた。

休憩後のベートーヴェンもなかなかの力演だったが、急速なパッセージでの細かい音符がやや不鮮明に聴こえたのが残念だった。これは1300人収容の大ホールということも関係しているかもしれない。ラヴェルでは気にならなかったけれど、ベートーヴェンに関しては出来ればもう少しデッドな小ホールで聴きたかったところだ。

なお、アンコールとして、チェロ奏者の義父と紹介されたように記憶するが、福富秀夫という人が作曲した「関西ラプソディ」が演奏された。関西各地で親しまれる歌(最後の「琵琶湖周航の歌」しか分からなかったが)をモチーフにした小品である。

さて、会場を出て大宮通りを渡った登大路園地では、オクトーバーフェストが開催されていた。5月なのにオクトーバーとはこれいかにと思いながら立ち寄ってみたが、ビール300ccが何と千円というお値段だった。ノルウェーじゃあるまいし、いつも飲んでいる金麦が10本飲めるではないかと憤慨して、年金生活者はそそくさと会場を後にしたのだった。(笑)

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5月26、28日 ジョグ10キロ

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2018/05/25

鍛冶屋線廃線ラン

昨年走った高砂線と同じく、加古川線の支線であった鍛冶屋線(野村(現西脇市)-鍛冶屋間、13.2キロ)の廃線跡を走った。「支線」と書いたが、沿革からすればむしろ鍛冶屋線の方が本線というべきかもしれない。

Kajiya

旧播州鉄道が大正2年に開通させた加古川-西脇間が、現在の加古川線の前身に当たり、大正12年には西脇から鍛冶屋まで延伸している。しかし、播州鉄道から事業継承した播丹鉄道が、その翌年に野村から谷川まで延伸して福知山線と接続、現在の加古川線が全通したため、野村-鍛冶屋間の方が支線となってしまった。

鍛冶屋線は地場産業である原糸、木材、酒米などの輸送を担ってきたが、戦後のモータリゼーションの進展により輸送需要が低迷。沿線では「カナソ・ハイニノ国」(鍛冶屋から順に駅名の頭文字を繋げたもの)の独立宣言を発するなど利用促進を図ったが、平成2年3月末をもって廃止となったものである。

快晴に恵まれた22日午後、野村(現西脇市)駅前からスタート。加古川線との分岐点となっていた駅であるが、現駅名にもかかわらず西脇市街中心部から離れており、駅舎も比較的小さい。ちなみに駅伝の名門、西脇工業高校はここからすぐ近くである。

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野村駅を出ると間もなく、加古川線(右)と分岐する。直進する鍛冶屋線の方が本来の路線であったことがハッキリ分かる。

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踏切跡には線路の痕跡が今も残る。

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間もなく、西脇駅に到着。駅跡にはアピカという商業ビルやホテルが建っている。ここから先は道路転用され、鉄道の痕跡は全くないが、西脇市と姉妹都市関係にある米国レントン市にちなんで「レントン通り」と称されている。

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加古川の支流、杉原川に沿ってしばらく行くと、市原駅の跡が記念館として整備され、キハ30形気動車2両が展示されている。管理人室に中年男性が2人いたが、案内してくれるでもなく、どこかのラーメン屋の評判話をしていた。

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館内には当時使用されていた鉄道用品が多数展示されている。

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これはタブレット閉塞機といい、単線の行き違いの際に使うタブレットを管理する装置だ。

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この先で道路転用部分は一旦終わり、廃線跡を利用した遊歩道が田んぼの中をまっすぐ伸びている。一部に線路や枕木を模した舗装がなされている。

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途中、文化財発掘工事が行われていて、回り道を余儀なくされた。大正年間の鉄道敷設時はともかく、平成に入った廃線時にも見つからず、今頃になって掘り返すとはちょっと妙な話だが。

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羽安(はやす)駅跡にはおそらく当時のままの駅舎が残る。羽安という駅名は、この付近の羽山と安田の両集落がともに駅名にするよう主張して折り合わず、仕方なく両方から一文字ずつ取ったという。

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この先で再び道路転用部分に入る。西脇市から多可町に入ってすぐ、曽我井という駅があったはずだが、その痕跡は残っていなかった。ただ、付近の歩道の柵には電車のイラストが入っている。鍛冶屋線は非電化だったが。(苦笑)

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さらに進むと、中村町(なかむらまち)駅の跡が「あかね坂公園」として整備されている。この付近は町役場やベルディホールなどもある、多可町の中心部だ。

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この先で再び遊歩道になり、多可赤十字病院手前で杉原川を渡る。鍛冶屋線最大の橋梁である。

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終点の鍛冶屋駅手前には信号用器具箱が残されている。

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鍛冶屋駅舎は鍛冶屋線記念館になっているが、施錠されていて中に入ることは出来なかった。覗いてみたけれど、展示物はあまりないようだった。

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裏にはホームが残され、キハ30形気動車1両が保存されている。

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鍛冶屋線は廃止されたのが平成2年と比較的最近で、廃線跡がよく残っている方ではないかと思う。西脇から鍛冶屋までの延伸に当たっては、地元の人々が用地や資金を提供したという経緯があるようで、そうした事情も反映しているのだろう。

5月24日 ジョグ10キロ

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2018/05/22

『フェリーニのアマルコルド』

Amarcord1974年、伊仏。WOWOWの紹介文。

1930年代のある年の春、イタリア北部の港町リミニ。チッタ少年は友人たちといたずらに明け暮れる毎日だが、思春期の自分にとって興味津々な大人の美女グラディスカを追い回すものの、彼女はチッタのことを子ども扱いする。それからの1年間、チッタの父親がファシズムに反対したせいで拷問を受けたり、母親が亡くなったり、グラディスカが町一番のハンサムである軍人と結婚したりといった出来事が次々とチッタの周囲で起きる。(引用終わり)

フェリーニの映画は何本か観たものの、『道』以外は難解というか、自分にはさっぱり分からない作品ばかりだったが、本作は比較的平易な内容である。というより、全体的なストーリーは存在せず、1年間の色々な出来ごとを寄せ集めただけの特異な構成である。

しかし、美しい映像表現とあわせて、個々の出来ごとの描き方がとても巧く、「ああ、確かにこういうことってあるな」と思わせる。それらを連続して観ることによって、観客は登場人物たちと同じように1年を過ごした感覚に陥る。

精神病院に入院している叔父を連れ出したものの、目を離した隙に彼が高い木に登ってしまい、「女が欲しい!」と叫び続けるシーンが有名だが、記録的な大雪で町中にうず高く積った雪の塊りの周りで、チッタとグラディスカがすれ違うシーンも大変印象的だった。

5月20日 ジョグ10キロ
5月22日 ジョグ13キロ

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2018/05/19

大発見?

久々に音楽ネタ。先日観た映画『アイ'ム ホーム』に、シューベルトの即興曲変ト長調が登場していた。私自身も大好きな曲で、さざ波のようなアルペジオに乗って、抒情的なメロディが控えめに、しかし心をこめて歌われる。

適当な詩をつけて歌えば、彼の数多い歌曲のひとつとして何ら違和感はなく、実際によく似た歌曲をどこかで聴いた気がすると以前から思っていたが、ハッキリしないままになっていた。

そのモヤモヤが遂に解消した。部分的ながら、これにそっくりな歌曲がやはり存在したのだ。シューマンの歌曲集「詩人の恋」第1曲「美しい五月に」の一節である。両者の該当箇所の譜面を示す。偶然かどうか、いずれも第9-12小節である。

シューベルト 「4つの即興曲」D899 第3番変ト長調

Impromptu

シューマン 歌曲集「詩人の恋」 第1曲「美しい五月に」

Dichterliebe

「レミソファ」「ファソシbラ」と、全く同じ音階を動いている。特にシの半音下がりが印象的で、そこが決定的な手掛かりとなった。

シューマンはシューベルトの音楽を好んでいたそうで、自分自身でもよく弾いていたに違いない。意図的な盗作とは思いたくないが、その記憶が頭のどこかに刷り込まれていたのかもしれない。

この類似はとっくの昔に誰かが指摘しているはずと思ったけれど、ネットで検索してみた限りではヒットしなかった。仁鶴師匠ではないが、もしかすると「大発見やァ!」かも?

5月18日 ジョグ10キロ

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2018/05/16

サングラスを新調

長年使ってきたサングラス(写真後)の鼻当ての部分がボロボロになったので、ついに買い替えることにした。2005年ボストンマラソンの時にはもう使っていたから、おそらく15年近くは使用してきた。一度鼻当てを紛失して製造元本社まで駆け込んだが、それからでも既に10年以上。レンズ表面にも細かいキズがいくつかあって、さすがにもうお役御免にしてもよいだろう。

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2代目(写真前)は何とユニクロである。別のものを買いに行った際に偶然店頭で見かけて即決したものだ。軽いのに顔面にしっかりホールドし、走っても揺れないところが気に入った。鼻当ては硬めの樹脂製で本体にネジ止めしてあるので、紛失や劣化の心配も少ない。何と言っても1500円というお値段が最大の魅力だ。ユニクロ依存は強まるばかりだ。(苦笑)

5月14、16日 ジョグ10キロ

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2018/05/13

『アイ'ム ホーム 覗く男』

Wakefield2016年、米。日本では劇場未公開。ブライアン・クランストン、ジェニファー・ガーナー他。WOWOWの紹介文。

弁護士ハワードはニューヨーク郊外の自宅に戻る途中、電車が停電で止まり、帰宅が遅れる。偶然、ガレージの屋根裏部屋に入り込んだ彼はそこで眠ってしまうが、翌朝目を覚まし、最近仲が悪かった妻ダイアナが、自分が浮気をしていると誤解することを恐れて家に戻れなくなる。さらに、そのまま屋根裏部屋から家族を観察することが楽しみになった彼は、近所で残飯を探してはそれを食べ、ずっと屋根裏部屋で暮らし続けるようになり…。(引用終わり)

春先からクリスマスまで、およそ1年弱に及ぶ主人公の異常な隠遁生活の顛末を描く。変態、悪趣味、性格異常…。普通の常識からすれば彼の行動はそう形容するしかなく、特に女性から不評を買うことは間違いないが、「もし…だったら」という設定の面白さは秀逸で、極論すれば本作の価値はそこだけにある。

最初のうちはすっかり取り乱し、時にはひとり涙を浮かべる妻の姿に、主人公はあるいは留飲を下げ、あるいは慙愧の念を覚えたりするが、夫の不在が長引くにつれ妻は次第にその生活にも慣れ、例年どおり夏のバケーションに出かけたり、ハロウィーンやクリスマスなど年中行事を楽しんでいる。

以下、若干ネタバレ

5月12日 LSD20キロ

続きを読む "『アイ'ム ホーム 覗く男』"

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2018/05/10

『闇の叫び』

Sakebi堂場瞬一著。「アナザーフェイス」シリーズ最終の第9作。カバーの紹介文。

息子のかつての同級生の母親から連絡を受けた大友鉄。娘が通う中学の保護者が何者かに襲われたと言う。やがて別の父兄も被害に遭い、捜査に加わるも容疑者は二転三転。はたして犯人の動機は――。最愛の妻を亡くし、捜査一課から刑事総務課に異動して息子の優斗を育てるイクメン刑事シリーズ、ついに完結!(引用終わり)

通勤というものがなくなって読書量はガタンと落ちたが、このシリーズは継続して読んできた。「バリバリの事件に立ち向かうより、もう少し生活者としての刑事を描きたかった」という著者のコメントどおり、刑事ものとしては特異な「イクメン」キャラクターである大友鉄も、ついに最後の事件を迎えた。

前半で容疑者が二転三転するところはやや冗長な感じを受けたが、ある偶然から捜査線上に浮かびあがった真犯人との対決が始まってからは、俄然緊迫感を増していく。犯人が育ってきた環境と、自らの家族の状況を重ね合わせる大友には、今回の事件はとても他人事と思えず、「らしくない」ほど捜査にのめり込んでいく。

そのことを通じて、再び「刑事の血」が蘇えった大友の心境の変化、近い将来の捜査一課への復帰を予感させたところで、本シリーズは一応の終結をみている。続篇はもうないだろうが、他のシリーズに別シリーズのキャラクターをちょこっと登場させる、著者お得意の手法でもよいので、彼のその後の活躍を垣間見てみたいものだ。

それにしても、帯の部分はどうせ隠れるからと、そこだけ白紙にしたカバーデザインはいかがなものか。(苦笑)

5月8、10日 ジョグ10キロ

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2018/05/07

「地続き」その2

もうひとつは、時間的・歴史的な意味においての「地続き」である。東海道、中山道などいわゆる五街道は、慶長年間に入って徳川家康によって整備されたもので、それまで自然発生的に形成された古道をベースに、宿場や一里塚、松並木などを設け、いわば当時の幹線国道として再整備したものだ。

それ以降だけでも400年の歴史をもつ街道は、今もかなりの部分が国道や府県道として現役であり、道路自体が慶長の昔から「地続き」で現代に至っている。部分的に失われた箇所はあるものの、基本的に当時の旅人と全く同じルートを辿って、江戸から京まで歩く体験を共有できるのである。街道の脇に立つ道標は建立当時の姿を今にとどめる。鉄板に青や白のペンキを塗った現代の道路標識が果たして100年もつだろうか。

歴史小説や時代劇などでは、登場人物が東海道を行き来する場面がよく登場する。しかし、例えば「江戸から10日の強行軍で上京した」とあったとしても、途中の経過は省かれるのが普通だが、実際にその行程をたどった人間なら、その人物がその過程でどういう体験をしているか、おおよその想像がつく。

つまり、前回書いた空間的な「地続き」と合わせて、当時の人々と距離感覚、時間感覚を共有することができるわけで、大袈裟に言えば自分の中の一部に江戸時代の感覚が生まれることになり、江戸時代が現代まで「地続き」の存在であることを、自身の感覚として理解することが出来る。

一般的に江戸時代は文明開化前の暗黒の時代と言われ、またその反動か「当時の江戸は世界に冠たる先進都市だった」と言われることもあるが、そんな一面的な見方ではない、いわば等身大の江戸時代像を理解することが重要だろう。「歴史に学ぶ」とは、つまりはそういうことではないか。

5月5、6日 ジョグ10キロ

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2018/05/04

「地続き」その1

旧東海道の走り旅を終えての感想めいたことを少し書いておきたい。それは別に東海道に限らず、伊勢本街道や紀州街道など、他の街道を走ったときにも感じたことだが、「キング・オブ・街道」である東海道を完踏して、その思いはより一層強まった。

それは、旧街道が2つの意味において「地続き」だということだ。そのひとつは、空間的・地理的な意味において。もちろん、江戸(東京)と京(京都)が地続きであることは当たり前で、それは新幹線で行こうが車で行こうが変わらないのだが、ここで言いたいのは、人間の身体による距離感覚においての「地続き」ということだ。

人間の身体感覚、即ち歩く、走るときの距離感覚と、電車や自動車でのそれとは全く別物だ。電車や車に乗り込んで動き出した瞬間から、その距離感覚は人間の身体性を離れ、目的地まで地続きという体感はなくなってしまう。文明開化の頃、汽車の乗客が脱いだ履物がホームに残されていたという逸話は、ただの笑い話以上の含蓄があるように思う。

しかし、近代人にとってはその別物の感覚の方が日常となった。都市以上にクルマ社会である地方において、それはより顕著と言えるだろう。某地方都市郊外のコンビニの若い店員に、目的地までの大体の距離を尋ねたところ、とんでもない距離を言われた経験がある。車で何分ぐらいとは分かっていても、それが何キロの距離に相当するのか見当がつかないのである。

まして、朝から晩まで歩くとどのぐらいの距離を進めるのかなど、現代人の感覚からは既に失われてしまった。昔の旅人は1日に10里(40キロ)近く歩いたが、その距離を身体で実感する機会はほぼ皆無である。だから、江戸から平均14日間歩き通してようやく到達できる場所が京だということを、頭では分かっても身体で理解することは不可能である。

今回の街道走りは、まさにそれを自分自身の身体で理解する旅であったとも言える。江戸から京までを実際に走って(歩いて)、その距離を身体で実感する。言い換えれば、江戸と京が間違いなく地続きであることを、身体感覚において理解したということだ。

長くなりそうなので、もう一つの「地続き」については稿を改める。

5月3日 ジョグ10キロ

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2018/05/01

東海道を走る その24(草津~京三条大橋)

国道1号を横断した先に、江戸から119里の一里塚跡がある。ここから暫く、街道特有のうねるような道が続くが、南笠東に入って弁天池に突き当たるところは、左にカクンと折れる。池の中の弁天島には弁財天神社があり、橋で渡れるようになっている。

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江戸から120里の一里塚があった一里山付近を過ぎて旧大江村に入り、街道から左に少し入ったところに野神社舊跡がある。大江千里の住居跡と言われ、大江村の地名の由来となっている。平安時代の歌人「おおえのちさと」であって、「おおえせんり」ではないので念のため。(笑)

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次第に賑やかな市街地に入り、いよいよ瀬田の唐橋を渡るが、その手前に寛政12年建立の「太神山(たなかみやま)不動寺 是より二里半」と刻む道標がある。

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唐橋東詰には文化14年建立の道標があり、「跋難陀龍王宮 是より」「俵藤太秀郷社 川ばた半丁」と刻む。瀬田川の龍神の依頼により三上山の大ムカデを退治した、俵藤太こと藤原秀郷の伝説に基づき、龍神と秀郷を祀ってあるそうだ。

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瀬田の唐橋。古代より「唐橋を制するものは天下を制す」と称された名勝で、以前はびわ湖毎日マラソンのコースになっていた(現在は唐橋は渡らず、下流の南郷洗堰を渡るコースに変更されている)。

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大小2つの橋を渡り切って、京阪石山坂本線(以下「石坂線」)の踏切を越え(1回目)、街道は右折して北方向に転じる。国道1号、石坂線(2回目)、JR東海道線を越えた先は、かつて近江八景粟津の晴嵐と呼ばれた景勝地で、その松並木の一部が今も残る。

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この先は膳所城の城下町に入り、何度も折れ曲がる城下町特有の道筋を進む。古い民家の軒先には「ばったん」と呼ばれる折り畳み式の床几がある。

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石坂線踏切をさらに2回渡りながら琵琶湖岸に近づくと、今度は大きく西に向きを変えて、石坂線石場駅付近で5度目の踏切を渡る。その先が大津宿江戸方口である。滋賀県庁を左に見ながら進むと、「此附近露國皇太子遭難之地」の碑がある。明治24年、巡査津田三蔵がロシア皇太子ニコライに切りつけた「大津事件」が起きた場所である。

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この先、高札場があった札の辻(京町1丁目交差点)で左折すると大津宿の中心部になる。現在ではその面影は全くないが、僅かに延享3年建立の道標が残る。「蓮如上人近松御舊跡 是より半町 京大坂 江戸大津 講中」とあり、近松別院顕証寺への道筋を示している。

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この先は緩やかな上りとなり逢坂越えとなる。国道1号に合流する手前で京阪京津線の踏切(京阪線通算6度目)を渡るが、その手前左手の駐車場の基礎の一部が、何かの橋梁の跡のようである。これは事前にAさんに教えてもらっていたので気がついたが、実は東海道線旧線の橋台痕跡なのである。街道走りの途中で、ちょこっと廃線探訪。(笑)

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この先にある旧逢坂山隧道を出た線路は、国道を跨ぐ橋梁を渡って旧大津駅(現膳所駅)に向かっていたのだ。トンネル出口を背にして眺めると、その延長線上に先の橋台跡があることが分かる。

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隧道の坑門上部には太政大臣三条実美の揮毫になる「楽成頼功」の扁額がある。「落成」は落盤に通じるとして、あえて「楽成」としたそうだ。

逢坂越えの国道1号は事故のせいで大渋滞していた。昔も今も交通の難所なのだ。逢坂山関址の碑を目印に旧大谷村に入ると、国道の喧騒がウソのような静けさである。

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再び国道1号の歩道に戻り、だらだらと下っていくと、左手に月心寺がある。境内に走井と呼ばれる掘り抜き井戸があるそうだ。

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広重「大津」は左下に走井を配し、名物走井餅を商う走井茶屋の前を行く牛車を描いている。茶屋の痕跡はさすがにないが、昔も今も物流の大動脈であることに変わりはない。

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この先、名神高速京都東IC付近にある売店で、本家走り井餅を試食させてもらった。黄粉をまぶしていないのがオリジナルだそうだが、あいにく品切れだった。

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相前後するが、街道は名神高速の高架を潜った先で伏見道との分岐点、髭茶屋追分に至る。「みきハ京ミち ひたりハふしミみち」と刻む道標(昭和29年再建)があるが、左の蓮如上人御塚道標(明和3年)とともに、鉄板か何かで補修してあるのが痛々しい。

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だらだらと坂を下って、国道1号を歩道橋で越えた先に、大津宿札の辻からの別ルートである小関越えとの分岐点がある。逢坂越えを相撲の大関に見立て、それに対して小関と称した脇街道である。「三井寺観音道」「小關越」と刻んだ文政5年の道標が立つ。

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この先で、ついに近江(滋賀県)から山城(京都府)に入る。京津線四宮駅の先に「伏見六ぢざう(以下不明)」「南無地蔵菩(薩)」と刻む元禄16年の道標がある。ここにある山科六地蔵から伏見六地蔵への道を示す。

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山科駅前の繁華街を通り過ぎると間もなく、宝永4年に沢村道範なる人物が建立した五条別れ道標がある。「右ハ 三条通り」「左ハ五条橋 ひがしにし六条大佛 今ぐまきよ水 道」とある。「ひがしにし六条」は東西本願寺、「大佛」は方広寺、「今ぐま」は今熊野観音、「きよ水」は清水寺である。

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道標どおり右の道を進むと、間もなく府道143号、通称三条通りに突き当たるので右折。東海道本線ガードを潜った先に冠木門があり、てっきりここが旧東海道と思いきや、これは地下鉄東西線開通で廃止された京阪京津線の廃線跡なのである。ここでもちょこっと廃線ラン。

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この先で三条通りを左折、東海道最後の難所、日ノ岡峠越えとなる。結構な急坂で、2日間で80キロ以上走ってきた脚には堪える。昔の人も難儀したようで、多数の地蔵尊が安置され、旅人の道中安全を見守っている。

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峠越えを終えて再び三条通りに合流するところに、広重「大津」から抜け出たかのような大八車を復元したモニュメントがある。敷石には轍に合わせた溝が刻まれ、「車石」と呼ばれる。

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蹴上浄水場を経て都ホテルが見えてくると、街道走りもいよいよ最後の直線に入る。というか、もうかつての生活圏なので、「とうとう帰って来たなあ」という感覚が込み上げるが、当時は知らなかった史跡もいくつかある。

平安神宮に通じる神宮道交差点の先に、坂本龍馬お龍「結婚式場」跡という標石がある。神奈川宿で働いていたお龍と知り合った龍馬は、ここで内祝言を挙げ、新婚旅行で高千穂峰に登ったというわけだ。もう他人という気がしない。(笑)

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その先、白川に架かる白川橋東詰に、三条通白川橋道標があり、「是よりひだり ち於んゐん ぎおん きよ水みち」「京都為無案内旅人立之」と刻む。「京都に不案内な旅人のために立てた」もので、建立は延宝6年(1678)、京都に現存する最古の道標とのことである。

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また、ここから白川を少し下ったところに、弘化2年建立の「東梅宮並明智光秀墳」「あけちみつひて」と刻む道標がある。山崎の戦いで秀吉に敗れた光秀の首を埋めた場所らしい。

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東大路を越えて間もなく、京阪三条駅前にある高山彦九郎像に挨拶。「土下座像」と言われることもあるがそうではなく、勤皇の士である彼は御所を向いて望拝しているのである。京阪本線が地上を走っていた頃は、この像は確か三条大橋東詰にあった。

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16時半前、その三条大橋の擬宝珠にタッチして、旧東海道約489キロ、12日間の走り旅を完踏した。橋を渡ったところで、日永追分で別れて伊勢参りに行っていた弥次さん喜多さんと再会。二人とも何だかホッとした表情だ。

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広重「京師」も当然、この三条大橋を描くが、奥に見える高い山は比叡山と言われている。

Keisi

そうだとすると、この構図はおかしい。絵では鴨川が右から左に流れているが、比叡山は左岸側にあるからだ。本当は下のような絵柄になるべきところ、写真を裏焼きしたようになっているのだ。ブログもインスタもない時代、既存の名所図会と記憶を頼りに描く以上、こういう誤りは仕方ないだろうが。

Ts3r0186

広重の絵で、橋の中ほどで菅笠を被って川面を眺めている男は、広重自身の姿だとも言われている。それに倣って、私も缶ビールを片手に川面を眺め、しばし旅の思い出に浸ったのだった。(完)

4月29日 LSD20キロ
月間走行 190キロ
5月 1日 ジョグ10キロ

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