『そこのみにて光輝く』
2014年、製作委員会。綾野剛、池脇千鶴、菅田将暉ほか。アマゾンの紹介文。
ある出来事がきっかけに仕事を辞め、目的もなく毎日を過ごしていた佐藤達夫(綾野剛)は、ある日パチンコ屋で使い捨てライターをあげたことをきっかけに、粗暴だが人なつこい青年・大城拓児(菅田将暉)と知り合う。拓児に誘われるままについていくと、そこは取り残されたように存在している一軒のバラックだった。そこで達夫は拓児の姉・千夏(池脇千鶴)と出会う。
互いに心惹かれ、二人は距離を縮めていくが、千夏は家族を支えるため、達夫の想像以上に過酷な日常を生きていた。それでも、千夏への一途な愛を貫こうとする達夫。達夫のまっすぐな想いに揺れ動かされる千夏。千夏の魂にふれたことから、達夫の現実が静かに色づきはじめ、達夫は失いかけていたこの世界への希求を取り戻していく。そんなとき、ある事件が起こる――。(引用終わり)
原作者の佐藤泰志は何度か芥川賞候補に上りながら、各賞に縁がないまま41歳で自殺した不遇の作家という。自身の出身地函館を舞台に、どん底の環境に生きる千夏と拓児の姉弟と、死亡事故の責任を感じて仕事を辞めた達夫との魂の触れ合いを描く。
全体にとても暗いストーリーに加えて、セリフが極端に少ない長回し、くすんだような色合いの映像(撮影近藤龍人)は、全く独特の作品世界を作り上げている。一時は三人で乾杯するほどに好転の兆しが見えるが、それは映画の中では実現しないままでエンドとなり、もうどこにも救いがないように思える。
達夫と千夏が海岸で見つめ合いながら、泣き笑いのような微笑を浮かべるラストシーンも、決して明るい希望を感じさせるものではない。しかし、開き直りというのか、人は自らの置かれた環境で何とかして生きていくしかない。その際、心から理解しあえる相手が近くにいれば、たとえそこ(底)であっても、むしろそこだからこそ光輝く、という象徴的なシーンであるのかもしれない。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント