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2018/04/28

東海道を走る その23(水口~草津)

2日目の20日午前8時半頃、甲西駅前をスタート。今日もよく晴れている。昨日以上に気温が上昇して、夏日になるとの予報が出ている。

次の石部宿に入る手前に、八嶋寺地蔵堂の道標がある。ここは道標だけだが、近江に入って以降だろうか、街道に沿って小さな地蔵堂を見かけることが多くなった気がする。

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石部宿に入ったところに、菜飯田楽(なめしでんがく)を供していた往時の田楽茶屋を模した休憩所がある。前述の滋賀LSDで何度か立ち寄ったことがあるが、この日はまだ開いていなかった。

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広重「石部」は、石部宿というより次の草津宿に近い、旧目川村にあった田楽茶屋「いせや」を描いている。ここはそれをモデルに作ったものらしい。屋根の感じなどそっくりだ。

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それ以外に宿場の痕跡はほとんど残っていない。西見附跡から少し行ったところに小さな公園があり、東海道や石部宿の歴史を説明した掲示があるが、ここは目見改場(めみえあらためば)の跡で、京方面からの大名行列は、ここで一旦衣服を整えてから石部宿に入ったそうだ。

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この先に小高い山があり、かつて銅を産出したため「金山」と呼ばれていた。融通の利かない堅物のことを「石部金吉」と言うのは、ここから来ているという説がある。石部宿が飯盛り女を置かない「お堅い」宿場だったことも関係しているとか。

それはともかく、この先の街道は、金山を左に見て野洲川沿いを行く下道と、金山の手前を左に回り込む上道に分かれる。初期の東海道は下道だったが、たびたび洪水に見舞われたため、天和3年に上道が作られた。下道はLSDで走ったことがあり、今回は上道を選択。国道1号バイパス、名神高速の高架を潜ると、前方に近江富士の三上山が見えてきた。

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この先で左折して下道と合流、しばらく進むと「新善光寺道 是より一町餘」と刻む道標がある。平重盛末裔の小松宗定が夢のお告げに従い、建長5年に善光寺如来の分身を安置したものだそうだ。

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旧六地蔵村に入ると、和中散本舗大角家住宅の立派な屋敷がある。和中散は腹痛や暑気あたりに効くと評判になった街道薬で、この薬を飲んで腹痛が快癒した家康が命名したのだとか。

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JR手原駅に近づいた辺りに、「肩かえの松」がある。旅人がこの松の下で休憩し、荷物を担ぐ肩を替えたという。

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この先にある行者堂は、里内九兵衛という人がお告げにより、文政3年に大和国から役行者像を持ち帰ったのが始まりという。役行者こと役小角(えんのおづぬ)は吉野や芋ケ峠でお馴染みだが、近江国にまで勢力を伸ばしていたとは知らなかった。

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旧目川村に入る。広重が「石部」で描いた元伊勢屋跡に「田楽発祥の地」の碑が立つが、街道の雰囲気は全く残っていない。

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この先で街道は旧草津川(天井川)の堤防に突き当たり、右折して草津の市街地を目指す。新幹線のガードを潜り、国道1号線を横断した先で堤防に上がり、旧草津川を渡ったところが草津宿江戸方口で、文化13年建立の火袋付道標がある。「右 金勝寺志がらき道」「左 東海道いせ道」とある。

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堤防を下りてだらだらと坂を下りて行くと、中山道との追分に至る。ここにも文化13年の追分道標があり、「右 東海道いせみち」「左 中仙道美のぢ」と刻んでいる。建立年や形状、字体から、先の道標とセットで建立されたものではなかろうか。

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T字路を左折した先に木屋本陣遺構(国指定史跡)が現存し、一般公開されているが、入場料を取るので門から少し覗くだけである。(笑)

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宿場の今の様子。今も車や人が頻繁に行き交い、賑わい続けている。

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宿場京方口の黒門近くに立木神社があり、その境内に元の中山道追分道標が移設されている。現在立っている文化13年の道標の先代に当たり、延宝8年(1680)と滋賀県下では最も古いものである。「みぎハたうかいとういせミち」「ひだりハ中せんたうをた加みち」と刻む。

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新たに開削された新草津川を渡ってしばらく進むと、瓢泉堂前の三叉路の角に「右 やばせ道 これより廿五丁 大津へ船わたし」と刻む寛政10年の道標がある。琵琶湖矢橋湊に通じる矢橋道との追分(分岐点)である。

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往時はここに名物姥ケ餅を商う姥ケ茶屋があり、広重「草津」はその風景を描く。店先の道標は今と同じ位置にあり、おそらく現存のものと同一であろう。広重の五十三次のうち、「戸塚」に描かれた道標も移設されて現存するが、元の場所に今も立つのはここだけではないだろうか。

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この追分で、旅人は「瀬田へ廻ろか矢橋へ出よか ここが思案の姥ケ餅」と迷ったそうで、また、「武士(もののふ)の 矢橋の舟は速くとも 急がば廻れ瀬田の長橋」という歌から「急がば回れ」という言葉が生まれた。

名物「うばがもち」は、近江源氏佐々木義賢が信長に滅ぼされ、その曽孫の後事を託された乳母が街道で餅を売って養育費に充てたのが発祥で、姥(乳母)の乳をかたどった小さなあんころ餅である。素朴な味わいが何だか懐かしい。

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昼時になったので、国道沿いのラーメン店で昼食休憩を取る。(続く)

4月27日 ジョグ10キロ

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