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2018/02/23

『三月』

March引き続き、大島真寿美著。アマゾンの紹介文。

短大を卒業してからおよそ20年。同窓会の案内を受けとって以来、ノンは学生時代に亡くなった男友達のことが気になりはじめる。彼は自殺ではなかったのではないか? ノンは仲のよかった友人に連絡を取ると―。仕事や家庭、それぞれの20年の時を歩んできた女性6人。学生時代の男友達の死を通じて明らかになる「過去」。その時、彼女たちが選ぶ道は―。未来に語り継ぎたい物語。(引用終わり)

本作もまたアラフォー女性たちを主人公(それも6人!)とし、2012年から翌年にかけて『小説宝石』に連載された連作短篇6篇からなる。

当時自殺として処理された男友達(森川雄士)の死を巡る驚愕の真相が最後に明かされる…といった展開を予想していたが違っていた。状況から考えてやはり自殺だったと思われるが、それが本作のテーマなのではない。

森川が夢に現れたというノンが領子にかけた1本の電話から始まるストーリーは、学生時代の女友達6人それぞれのその後の人生模様を次々と炙り出していく。ある者は子連れ男性と結婚したものの、「砂上の楼閣」のような家庭生活に不安を感じている。またある者は大きな災害で生活環境が一変、遠距離交際していた男性とも別れてしまう。

ほんのちょっとしたことで、人生って大きく変わってしまうものでしょう。これから先だって、ほんのちょっとしたことで大きく変わってしまうんだと思うのよ。(185-6頁)

1995年、2001年、2011年と、内外で続いた大きな災害、事件を背景としているけれども、彼女たちは過酷な状況にも絶望することなく、自分の人生に正面から向き合い、前に進んで行こうとしている。

三月。
別れの季節は、始まりの季節でもある。(191頁)
長い夜が明けたらまた朝になる。
また、朝になる。(232頁)

どこか清々しささえ感じる結末は、さすがにこの著者ならではの味わいである。

2月22、23日 ジョグ10キロ

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2018/02/20

『虹色天気雨』『ビターシュガー』

09408338_2大島真寿美著。後者は「虹色天気雨2」の副題があり、前者の続篇に当たる。アマゾンの紹介文。

早朝に電話で起こされ、幼なじみの奈津の一人娘・美月を理由もわからぬまま預かることになってしまった市子。家に連れてこられた美月から、奈津の夫・憲吾が行方不明となり、奈津が憲吾を捜しに出かけたことを知らされる。二日後、戻ってきた奈津は心当たりの場所をすべてまわったが憲吾を見つけられなかったと語る。憲吾の失踪には女性が関係しているとにらむ市子と奈津のまわりには続々と仲間が集まってきて…。女性たちの友情を描いた名作小説。(『虹色天気雨』)

前作『虹色天気雨』から数年後。市子、奈津、まりの三人は、中学、高校からの二十年来の付き合いを続けている。モデルをやめて専業主婦になった奈津は、失踪騒ぎを起こした夫・憲吾と別居、娘の美月と二人で暮らしている。キャリアウーマンのまりは年下のカメラマン・旭との恋愛に疲れ、別離を選んでいた。市子はあいかわらず執筆業を続けていたが、ひょんなことから、まりの恋人だった旭が彼女の家に転がり込んできたことから、市子、奈津、まりの三人の関係に微妙なほころびが生じることになる…。連続ドラマ化もされたアラフォー女性の恋愛&友情小説。(『ビターシュガー』)(引用終わり)

09408573_4何らかの関係性がある複数の女性が主人公、そのうちの誰かの夫(父)が突然失踪するという設定は、この著者お得意のパターンだが、本作では中学以来20年来の付き合いを続けるアラフォー女性3人を巡る「くっついたり離れたり」の人生模様を、淡々と、しかしいつもながらの温かい眼差しで描く。

作中では市子が語り手となって物語が進んでいくが、彼女や周囲の人の発言と彼女の内的な思考が混然一体となった、一種の饒舌体とでも言うべき特異な文体で、読者は常に彼女の主観を通して、様々な出来事を追体験していくことになる。

しかし、それが決して押し付けにならず、「うんうん、そうだねー」と同感できる箇所が多いのは、市子の(つまりは著者の)冷静な観察眼、大人の感覚によるのだろう。失踪や離婚といった人生の一大事を扱いながら、決してドロドロの愛憎劇に陥ることなく、爽やかな読後感を与えるのは、その語り口の巧さゆえなのだと思う。

2月18日 LSD20キロ
2月20日 ジョグ10キロ

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2018/02/17

プロコフィエフ交響曲全集

Prokofiev_3プロコフィエフの交響曲と言えば、これまで第1番「古典交響曲」と第5番しか聴いたことがなく、それもいまいちピンと来ていなかった。最近、自分の音楽理解がようやく20世紀に入り、少し前にショスタコーヴィチをまとめて聴いたので、今回はプロコフィエフにチャレンジしてみた。

初めて聴いた中でも第3番、第7番とやはり奇数番号の曲がなかなか面白かった。特に第7番は、第1楽章に出てくるオモチャ時計のような主題が最終楽章でも再現されて、静かなエンディングに繋がるところが印象的だった。

ちょうど、ショスタコーヴィチの最後の交響曲第15番が、同じように子供時代を回想するような感じの終わり方であるのと似ている。もしかすると人間が死ぬ時に聞こえてくるのは、そういう音楽なのだろうか。

ただ、両者の音楽を比較すると、モダニズムや多彩な管弦楽法など共通する部分も数多いけれど、プロコフィエフは少し早く19世紀に生まれただけあって、ショスタコーヴィチに比べるとまだまだ調性音楽に軸足を残しているように思われる。

いわゆる社会主義リアリズムの要請に応えたものだろうが、風刺や皮肉を隠したショスタコーヴィチの音楽に比べれば、より直截的というか素直な音楽で、一般大衆にも受け入れやすいことは確かだろう。

いずれにしても、聴いて面白い音楽であることは良いことだ。管弦楽曲や協奏曲など、まだ聴いていない彼の作品は数多い。今後の楽しみがまた増えた。

2月16日 ジョグ10キロ

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2018/02/14

『誰もが聖書を読むために』

4106004909鹿嶋春平太著。1995年12月発行の新潮選書。李隆氏によるカバーの推薦文。

この百年の間、われわれの先達は西洋近代に果敢に挑戦してきた。その結果、手にした今日の富は、渾身の背伸びに対する報酬として評価すべきなのだろうが、(中略)東洋と西洋の絶対的な隔たりは、精神世界あるいは形而上の話になると、どこまで埋まったのか。
著者は、この日本近代の古典的な課題に対して、聖書解釈という行為によって再挑戦しているように見えるのだが、方法はオーソドックス。(中略)一見矛盾することの多い聖句をそのまま厳格に理解するという立場から、三位一体論、超越者と被造物の関係、原罪の意味などを深く平易に解説する。
だが、本書は、浅薄な入門書でも安直な啓蒙書でもない。世俗の物語で完結する人本主義に陥りやすい日本流の聖書理解からわれわれを解放し、聖書本来の神本主義に立ち返らせようとする野心作なのである。(引用終わり)

著者の本職は経済学者で、ペンネームの「春平太」はかの著名な経済学者から取ったものだろう。1995年と言えば、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起きた年で、本書もそれを踏まえて書かれており、新興宗教が若者を惹きつける理由や、その危険性について警鐘を鳴らしている箇所がある。

曰く、日本人の形而上理論(簡単に言えば、宗教的な理屈のこと)の欠如が新興宗教の温床となり、ひいてはサリン事件を生んだというのだが、ではナチスによるユダヤ人虐殺や、最近のイスラム過激派のテロは、宗教と無縁なのかという疑問が生じる。

しかし、そうした部分を別にすれば、本書が格好の聖書入門書であることは間違いない。とりわけ、聖書全体に通底しながら必ずしも明示されてはいない、幾つかの原理原則を明快に解説しており、聖書理解において大いに助けになると思われる。

例えば、霊としてのイエスは、父なる神と同じ創造主であり、宇宙とその万物の創造者であるという点。すなわち、ヨハネ福音書の有名な一節、「初めにことばがあった」の「ことば」が実はイエスを指すことを知らなければ、この一節の意味するところは理解できない。

逆に、それが分かれば、これに続く「ことばは神とともにあった。ことばは神であった。この方は初めに神とともにおられた」「すべてのものは、この方によって造られた」という文章もすんなりと理解できる。

神の子であるイエスは神であり、絶対者である。聖書はその前提に立って記されている。聖書においてはイエスは「神の子」というのが正解で、ローマ帝国に処刑された歴史上の人物、日常常識としてのイエス像は誤解ということになる。

つまり、聖書とは徹頭徹尾、神が中心の「神本主義」の物語なのであって、キリスト教は決して、人間中心の世界観に立って愛の在り方を説く「人本主義」の宗教ではない。わが国キリスト教界の現状は、人本主義の教義観が濃厚であるが、聖書とはそういうものだという印象を持たず、聖書そのものに当たることが必要である。

以上、自分なりに本書のキモと思われる箇所を抜き書きしてみたが、これ以外にも聖書読解に役立つと思われる原理原則がいくつかある。もちろん、著者の見解が絶対というわけではなく、特に「わが国キリスト教界」からは異端者との批判が出ているかもしれないが、ひとつの見識として決して等閑視しえないだろう。他にもこうした解説本があるのなら、著者流に言えば「ハシゴ」して、さらに勉強してみたいと思う。

2月12、14日 ジョグ10キロ

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2018/02/11

平昌冬季五輪開幕

今般、オリンピックの政治利用としか言いようのない動きに対して、IOCが全く異議を唱えようとしないばかりか、むしろそれに乗せられているかのような態なのは、全く理解に苦しむところであるが、まあそういうおカタい話はさておき、わが国代表のこの選手の顔、どこかで見た覚えがあると思ったら…

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2018/02/08

『波止場』

Waterfront1954年、米。マーロン・ブランド主演、エリア・カザン監督。アマゾンの紹介文。

ボクサーくずれのテリー(マーロン・ブランド)は、兄チャーリー(ロッド・スタイガー)が波止場を仕切るボスのジョニー(リー・J・コッブ)の命令で仲間を殺す現場を目撃。その妹イディ(エヴァ・マリー・セイント)の嘆き悲しむ姿に心動かされ、バリー神父(カール・マルデン)に真相を告白するが、やがてチャーリーも殺害されるに及び、ついに法廷に立つ決意をする…。(引用終わり)

マーロン・ブランドの出世作とされ、アカデミー賞8部門を受賞した名作だが、わが国ではそれほど人気のある作品ではないようだ。自分自身、寡聞にしてタイトルすら聞いたことがなかった。

最後は正義が勝つという、古き良きアメリカ的価値観を具現化したストーリーのせいかもしれないが、どうもそれだけではないかもしれない。漠然とではあるけれど、そこにキリスト教精神の裏打ちがあるような気がするのだ。作中、バリー神父が大きな役割を演じるが、罵声を浴びせられ、生卵を投げつけられても、人としての正しい生き方を説く彼の姿は、日本人の目からするとほとんど理解不能だ。

さらには、チャーリーとテリー兄弟の対立や確執といったことも、本作の大きなテーマと言えるが、これももしかすると、カインとアベルの他にも聖書に何組か登場する兄弟たちの物語を下敷きにしているのかもしれない。やはり聖書の勉強は必要だと、改めて思う。

なお、音楽はレナード・バーンスタイン。『ウエスト・サイド物語』を彷彿とさせるような音楽作りで、ストーリー展開を巧みに盛り上げている。

2月6、8日 ジョグ10キロ

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2018/02/05

接点復活スプレー

65_250自転車ツーキニスト疋田氏のメルマガで知った。読んで字の如し。各種電気製品の接点部に付着したカーボンや汚れなどを除去し、接点を復活させるというものだ。

「FOR-PRO」とあるとおり、電気製品のメンテなどを行う技術者が使うことを想定しているようだが、使用法に注意を払えば一般家庭用としても十分使える。

特に有効なのが、乾電池で動作する器具の不具合に対してで、その原因は電池ケースの端子に錆や汚れが付着して接触不良になっている場合が多いからだ。

うちでもこの2、3か月の間に、CDのリモコン、レターオープナー、灯油ポンプ、ラジカセと相次いで動作しなくなったが、いずれもこのスプレーでたちどころに解決した。

使い方は特に書かれていないが、私の場合は綿棒の先に吹き付けて、接点を何度かゴシゴシと擦ってやる。錆や汚れがひどい場合は、少し時間をおいて何度かやると良いようだ。

効果は覿面。ズバリ、お勧めの品である。ホームセンターなどで入手可能だ。詳しくはここ。ただし、私は決して同社の回し者ではないので、念のため。(笑)

2月4日 ジョグ10キロ

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2018/02/02

『アフリカの女王』

Africanqueen1951年、英。ハンフリー・ボガート、キャサリン・ヘップバーン。アマゾンの紹介文。

ドイツ領の東アフリカで、兄を亡くした敬虔な女性宣教師ローズは、呑んだくれの船長チャーリーを雇い、彼のオンボロ蒸気船「アフリカの女王」に乗って、沿岸一帯を支配するドイツ軍の砲艦を撃沈する為に河をくだってゆく。はじめはいがみ合っていたものの、二人は様々なトラブルに遭遇しながら絆を深めて、力を合わせて砲艦に立ち向かってゆく。アフリカを舞台に凸凹カップルの冒険を痛快に描く、アクション、ロマンス、ユーモアが巧みにブレンドされたアドベンチャー映画の傑作。(引用終わり)

タイトルとジャケット写真から想像すると、白人のヒロインがアフリカ某国の女王に即位するまでの奇想天外なストーリー…かと思いきや、主人公たちがそういう名前の蒸気船に乗って川を下るというストーリーだった。(笑)

イギリス製作だが、まるでハリウッド映画のような単純明快な冒険映画である。チャーリーのことを途中まで「オールナットさん」と他人行儀に呼んでいたローズが、ある出来事を契機に「チャーリー」とファーストネームで呼び始めた瞬間、遅咲きの恋を知った女の顔になるところが面白かった。ただ、スリル満点のはずの急流下りのシーンは、合成したのが丸わかりのショボさだが、51年という時代を考えると仕方ないか。

ところで、音楽の演奏はノーマン・デル・マー指揮ロイヤル・フィルハーモニック・オーケストラとある。どこかで聞いた名前だと思ったら、ベートーヴェン交響曲全曲のベーレンライター新版スコアの校訂を行ったジョナサン・デル・マーのお父さんだったのだ。歴としたクラシックの指揮者・音楽学者で、リヒャルト・シュトラウスに関する書物も著しているそうだ。

1月31日 ジョグ10キロ
月間走行 110キロ
2月 2日 ジョグ10キロ

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