『欲望という名の電車』
1951年、米。ヴィヴィアン・リー、マーロン・ブランド他。アマゾンの紹介文。テネシー・ウィリアムズの同名戯曲を原作者自ら脚本を書いて映画化したもの。
父の死と共に南部の家を失ったブランシュ・デュボアはアルコールに身を持ち崩して、妹ステラが結婚しているニューオリンズのフランス街の家を訪れた。妹の夫スタンリー・コワルスキーは暴力的な男で、カードと酒に狂ってはステラを打つのであったが、彼女はこの男に全身を捧げて悔いなかった。そのような妹夫婦の日常を見るにつけ、ブランシュはスタンリーのカード仲間ミッチに次第に関心を持つようになった。母と2人暮らしの純情な独身者で、真面目にブランシュとの結婚を考えはじめ、彼女も彼に、年若の夫を失った暗い過去を打ち明けて、将来への希望を語った。しかしスタンリーは街の仲間から、ブランシュが実は大変な莫連で、17歳の少年を銜え込んだというので故郷を追われてきた女だということを聞き出して、ミッチにぶちまけた。ブランシュの誕生日に、むろんミッチは出て来ず、しかもスタンリーは彼女に贈り物として故郷へ帰る片道切符を渡した。そして、その夜…(引用終わり)
「莫連」などという言葉を初めて知った。(笑)
南部の豪農の家に生まれたものの家屋敷全てを失ってしまい、身を持ち崩した未亡人ブランシュが、妹ステラを頼ってニューオリンズにやって来て、タイトルどおり「欲望」という名の路面電車(ニューオーリンズに実在する Desire Street 行き電車とのこと)に乗るところから始まるが、その後はほぼ全篇に亘りステラが夫スタンリーと住む貧しいアパートでのシーンが続く。主要登場人物も4人だけで、いかにも戯曲という感じだ。
かつての華やかな生活が忘れられず「お高くとまっている」ブランシュと、無教養の上に短気で粗暴なスタンリーはまさに水と油。間に立つステラが懸命にとりなすものの、両者の衝突は不可避と思われ、ラスト近くの決定的な対決シーンに向けて、ぞわぞわするような緊張感が高まっていく。
なかでも、次第に精神の異常を来たしていくブランシュを演じたヴィヴィアン・リーは、まさに鬼気迫る迫真の演技で、1939年の『風と共に去りぬ』以来自身2度目のアカデミー主演女優賞を獲得したが、私生活でも精神的に不安定だったそうで、それを知って観ると何だかいたたまれない。
1月29日 ジョグ10キロ
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