北陸本線旧線ラン
13日、北陸本線の直江津-浦本間の旧線跡を走った。明治時代に開通した北陸本線のこの区間では、特殊な地質条件から地滑り災害が多発したため、内陸側を長いトンネルで抜ける新ルートに変更されることになった。多くの破砕帯に遭遇するなど建設工事は難航したが、新線は昭和44年に開通、海岸沿いの旧線は廃線となった。
旧線跡の大部分は昭和52年に久比岐自転車道(正式名称「一般県道上越糸魚川自転車道線」、全長約32キロ)として整備され、日本海を一望する風光明媚な自転車歩行者専用道路となっている。今年は開通40周年ということで、先月には記念フェスティバルが開催されたようである。
朝方まで雨が降り続いていたが、直江津のホテルを出発する頃にはちょうど上がってくれた。自転車道の直江津側スタート地点、郷津(ごうづ)までは路線バスを利用。乗客は自分一人だった。日本海の荒波の音を聞きながら、午前9時前にスタート。
間もなく、フィッシングセンター(左側の黄色い桟橋)があり、この付近に旧郷津駅があったと思われる。
約2キロの地点で現行線と合流すると、まもなく谷浜駅である。歩道橋の左に構内跨線橋が見える。
桑取川を横断していたレンガの橋脚跡が残る。右奥は現行線のトンネル。
再び現行線と合流、線路下ではレンガの小さな橋脚が今も現役で活躍中である。
有間川駅の先で再び現行線と別れて海岸沿いを走り、いくつかのトンネルを潜る。不動滝など大小いくつもの滝や湧水が随所に見られ、付近の地盤が軟弱なのも頷ける。また、大きな波が打ち寄せる海岸近くでは、サーフィンに興じる人々の姿も見える。
名立(なだち)の集落を過ぎてしばらくすると、上越市から糸魚川市に入る。次第に視界が開けてきて、水平線まではっきりと見えるようになった。天気が良ければ能登半島や佐渡島を望むことも出来るそうだ。
能生(のう)集落に入る手前にトットコ岩がある。地元の言葉でニワトリを意味する「トットコ」が、餌を啄んでいるように見えるところから名づけられ、岩の上には祠が置かれている。
ちょうど昼どきになったので、道の駅マリンドリーム能生で昼食休憩を取る。申し遅れたが、今回の旅行は家内と一緒で、後のバスでここまで来た家内と合流して、残り10キロ強は一緒に走ることにしていたのだ。
能生の役場前に旧能生駅跡の記念碑、338キロポスト、「工」印の境界杭があった。
木浦(このうら)川を渡ると、西性寺の大きな瓦屋根が見える。この辺りでは黒光りするような瓦を多く見かけたが、雪の多い気象条件と何か関係がありそうだ。
浦本駅付近で現行線と再び合流する。旧線跡はここまでで、廃線ランとしては終了であるが、自転車道は海岸の堤防沿いにさらに2キロほど続く。帰りの列車の時刻までまだ時間があるので、のんびり歩いて時間調整することにした。15時半に無事ゴール。
ここから、国道8号沿いに梶屋敷駅まで歩き、日本海ひすいラインで直江津まで引き返す。キハ122形ディーゼルカーがたった1両、長いホームの真ん中に発着、北陸本線の電化複線線路を行くありさまは一種異様である。
新幹線開通とともに並行在来線は第3セクターに移行する宿命だが、本数も少なく地元民の足としてはかなり不便になったのではないだろうか。ICカード対応するだけの余裕もないようで、車掌に整理券を渡して現金で支払うシステムだ。「車内補充券」を貰ったのはいったい何年ぶりだろうか。(苦笑)
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コメント
新線が昭和44年開通ってついちょっと前じゃあ?なんて思いますが、
実際は50年程たってるわけですね。(^^;
(災害の多い旧線を使っていた時期が長かったともいえる?)
で、今度は新幹線開通で新線も第3セクターになると?
時代の流れを感じますねえ。
(この流れは私なんかにとっては嬉しくないものですが。(^^;)
ところで、奥さまも走られるとは初耳でした。(^^)
投稿: くー | 2017/10/29 10:26
くーさん
確かに時代の流れを感じさせられた旅でした。
3セク鉄道はもっと利用価値がありそうですが。
家内はせいぜい数キロをゆっくり走るだけです。
投稿: まこてぃん | 2017/10/29 20:29