東海道を走る その18(知立~宮)
尾張に入って間もなく、阿野一里塚がある。江戸から86里。この辺りでようやく雨が上がった。この先のコンビニで昼食休憩を取る。
中京競馬場前駅を過ぎると、左手に桶狭間古戦場跡があり、今川義元の墓などがある。
間もなく、絞り染めで有名な間の宿、有松に入る。広重の「鳴海」はここを描いている。
現在の風景もほとんど同じで、五十三次の画のうち、当時の姿が最もよく残っていると言えよう。
やがて本来の鳴海宿に入るが、宿場らしいものといっても、復元された高札場ぐらいしか見当たらない。
天白川を渡ると、笠寺一里塚(江戸から88里)が、往時そのままの堂々たる規模で残されている。
この先の呼続(よびつぎ)という地名は、古来この付近が浜辺で、互いに名を呼び合いながら渡ったことによるそうだ。次第に名古屋の市街地に近づき、やがて宮宿に入る。
「宮」は熱田神宮のことで、地下鉄伝馬町駅付近が宿場の中心である。寛政2年の道標が残っていて、「北 南 京いせ七里の渡し 是より北あつた御本社貮丁道」「西 東 江戸かいとう 北 なこやきそ道」などとある。
この道標で左折、国道247号を越えると、まもなく七里の渡し跡に到着する。往時はここから桑名まで渡し船で渡っていた。むろん現在はそんなものはなく、電車を乗り継いでの電車渡しとなる。
広重の「宮」は当初の副題を「熱田神事」といい、勇壮な馬追いの様子を描いているが、実際には熱田にそのような神事はないそうで、後摺では副題を「浜の旅舎」と改めている。
今の熱田神宮の様子。鳥居の形が広重の画と少し違っているのはなぜだろう。時節柄、七五三の参詣者も何組か見かけたが、ご多分にもれず、境内を大声で闊歩する中国人観光客が多かった。
10月29、31日 ジョグ10キロ
月間走行距離 244キロ
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)
最近のコメント