« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »

2017/10/31

東海道を走る その18(知立~宮)

尾張に入って間もなく、阿野一里塚がある。江戸から86里。この辺りでようやく雨が上がった。この先のコンビニで昼食休憩を取る。

Ts3r0041

中京競馬場前駅を過ぎると、左手に桶狭間古戦場跡があり、今川義元の墓などがある。

Ts3r0046

間もなく、絞り染めで有名な間の宿、有松に入る。広重の「鳴海」はここを描いている。

Narumi

現在の風景もほとんど同じで、五十三次の画のうち、当時の姿が最もよく残っていると言えよう。

Ts3r0051

やがて本来の鳴海宿に入るが、宿場らしいものといっても、復元された高札場ぐらいしか見当たらない。

Ts3r0053

天白川を渡ると、笠寺一里塚(江戸から88里)が、往時そのままの堂々たる規模で残されている。

Ts3r0054

この先の呼続(よびつぎ)という地名は、古来この付近が浜辺で、互いに名を呼び合いながら渡ったことによるそうだ。次第に名古屋の市街地に近づき、やがて宮宿に入る。

「宮」は熱田神宮のことで、地下鉄伝馬町駅付近が宿場の中心である。寛政2年の道標が残っていて、「北 南 京いせ七里の渡し 是より北あつた御本社貮丁道」「西 東 江戸かいとう 北 なこやきそ道」などとある。

Ts3r0061

この道標で左折、国道247号を越えると、まもなく七里の渡し跡に到着する。往時はここから桑名まで渡し船で渡っていた。むろん現在はそんなものはなく、電車を乗り継いでの電車渡しとなる。

Ts3r0065

広重の「宮」は当初の副題を「熱田神事」といい、勇壮な馬追いの様子を描いているが、実際には熱田にそのような神事はないそうで、後摺では副題を「浜の旅舎」と改めている。

Miya

今の熱田神宮の様子。鳥居の形が広重の画と少し違っているのはなぜだろう。時節柄、七五三の参詣者も何組か見かけたが、ご多分にもれず、境内を大声で闊歩する中国人観光客が多かった。

Ts3r0067

10月29、31日 ジョグ10キロ
月間走行距離  244キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/28

東海道を走る その17(岡崎~知立)

「東海道を走る」第5回目は、岡崎から亀山まで走った。三河から尾張へ、さらには伊勢に入り、江戸から京までの長い道のりも、いよいよ終盤を迎えたことを実感した。

残念ながら雨となった10月25日午前8時半過ぎ、愛知環状鉄道中岡崎駅前をスタート。この付近は八帖といい、八丁味噌の郷として有名である。味噌の香りがかすかに漂い、街道から脇道を覗くと、味噌蔵が軒を連ねている。NHKの連続テレビ小説「純情きらり」のロケも行われたそうで、宮﨑あおいの手形が残されていた。

Ts3r0002

すぐに矢作(やはぎ、「矢矧」とも)橋を渡る。東海道随一の長さを誇り、広重の「岡崎」もこの橋から岡崎城下に向かう大名行列を描いている。

Okazaki

現在の国道1号矢作橋の様子。広重の絵では橋の左(上流)側に見えている岡崎城が、現在では橋の右(下流)側に見える。これは、往時の橋が現在より若干下流側にあったためと思われる。

Yahagi_3

矢作橋を渡り、国道1号と分岐、合流を繰り返しながら進むと、尾崎の一里塚(江戸から83里)のあった熊野神社前を過ぎ、右手に見える永安寺には推定樹齢350年という「雲竜の松」がある。

Ts3r0011

そう言えば、稀勢の里は次の九州場所はどうするのだろうと思っていたら、その先の神社の境内で力士の石像がこちらを睨んでいた。江戸末期から明治初めに活躍した地元出身の力士、清見潟又市の像だという。どすこい。

Ts3r0014

猿渡川を渡ると、元禄9年の無量寿寺道標がある。街道を右に入った八橋の無量寿寺には在原業平作の観音像があり、伊勢物語の中で「かきつばた」の五文字を織り込んだ歌を詠んだ庭園があるそうだ。

Ts3r0015

その先に来迎寺一里塚(江戸から84里)を残す。

Ts3r0018

間もなく知立(ちりゅう、「池鯉鮒」とも)宿に入る。見事な松並木が保存され、その西端に馬市跡の碑が立っている。往時、ここでは毎年初夏に馬市が立ち、広重の「池鯉鮒」はその模様を描いている。

Chiriu

草を靡かせて吹き渡る風の心地よさを感じさせる傑作に、少しでも近づきたかったが…。(苦笑)

Ts3r0030

知立の市街地に入る。往時の風情は全くないが、明治時代創業の小松屋の名物「あん巻き」を食べてひと息つく。

Ts3r0031

知立神社境内にある御手洗池の鯉と鮒。ここから「池鯉鮒」という地名が生まれたそうだ。

Ts3r0034

再び国道1号と合流、分岐しながら進むと、とある寺の墓地に中津藩士二人の墓が並んでいる。遊女を巡って斬り合い、命を落としたそうで、何度直しても墓石が傾くそうだ。「もう、ええ加減に成仏しなはれ」と手を合わせてきた。

Ts3r0035

間もなく、三河と尾張の国境の境橋を渡る。往時は三河側の土橋と尾張側の板橋を継いだ橋で、質素な三河と派手な尾張、それぞれの国柄が表れていたそうだ。「これやにかわの継目なるらん」という歌碑がある。

Ts3r0039

10月25日 LSD37キロ
10月26日 LSD36キロ
10月27日 ジョグ10キロ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/10/24

官業+コンビニ

前回記事の続き。ゆうパックを郵便局留めで送ることにしたわけだが、実は発送する際に少々問題があった。宿泊するホテルの真向かいに郵便局はあるものの、窓口が開くのは午前9時なのだ。出来ればもう少し早い時間に荷物を預け、身軽になって街道ランを開始したいところだ。街道を少し進んだところに別の郵便局はあるものの、そこまで荷物を提げたまま歩くというのもイマイチである。

いろいろと考えていたら、一旦頭の中から消えていたコンビニという手段があることに思い至った。受け取り場所として指定することは不可能としても、ゆうパックを発送することはローソンでも出来るし、それは郵便局留めでも何ら変わりないのだ。幸いホテルの近くには24時間営業のローソンがある。意外な盲点だったと言えるが、実は官業+コンビニというのは最強の組み合わせなのかもしれない。

というわけで、今日岡崎に向けて出発する。次回更新まで少々お時間を。

10月23日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/21

官業は強し

次回の東海道は来週、岡崎から亀山まで走る予定である。いよいよ京に近くなってきて、これまでは往復を含めて3泊4日の行程だったが、亀山なら何とかその日のうちに帰って来られることが分かった。問題は亀山で風呂に入れるのか、もし可能だとして荷物をどうするか、である。

前者については、町中を少し離れるが市営の温泉施設があり、亀山駅前からこれも市営のコミュニティバスで往復できることが分かった。後者については、その施設宛に送って預かってもらうことも考えたが、入浴料300円という市営施設にそこまでのサービスは期待できない。というか、こちらとしてもあまり迷惑をかけたくない。

近くにコンビニが2軒あるので、宅配便をコンビニ宛に送れないものかと思ったが、ヤマト運輸に問い合わせてみると、個人で直接コンビニ宛に送る取り扱いは出来ないとのことだった。アマゾンなどの通販業者が商品を発送する場合や、クロネコ会員が自宅宛の荷物をコンビニ宛に変更する場合に限られるそうだ。ヤマト運輸の営業所宛なら可能だが、車がないと行けないような郊外にしかない。

そこで、次に考えたのが郵便局のゆうパックだ。めったに利用しないけれども、調べてみると、全国2万4千の郵便局どこでも、局留め扱いでゆうパックを含む郵便物を送付することが出来るのだ。手数料も不要(配達が要らないのだから当然か)。郵便局なら亀山駅前にもあって便利だ。窓口営業時間の17時までに受け取る必要はあるが、その時間に着かないと風呂→帰宅自体が難しいので問題はない。

民間の宅配便の方がサービス内容が劣るというのは解せない。コンビニ側と協議すれば十分可能なように思うのだが、手数料など契約条件の問題があるのだろう。そこはやはり、郵便局という直営店舗を多数有する日本郵政の勝ちということなのだ。

10月20日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/18

くびき野レールパーク

翌14日は、上越市頚城区百間町にある「くびき野レールパーク」を訪れた。昭和46年に廃止された頚城鉄道(新黒井-浦川原間、約15キロの軽便鉄道)の機関庫跡地を利用して作られた施設であるが、年に数日の一般公開時以外は立ち入ることが出来ず、今回の旅行がそれに合わせたものであることは言うまでもない。(笑)

機関車コッペル2号、ディーゼル機関車DC92、内燃客車ホジ3など、往時の車両などが保存、展示されている。DC92とホジ3は動態保存されていて、一般公開時には実際に構内を走らせ、来訪者は体験乗車が出来る。乗車自体は無料だが、募金箱に若干の寄付をさせてもらった。

先頭のコッペル2号はいわば飾りで、運転士が乗っている2両目のDC92が実際の動力源である。前進後退を繰り返す大活躍だったが、出発早々いきなりエンストしたのはご愛嬌だった。

Ts3r0067

こちらはホジ3。なんとものんびりした走りっぷりだ。乗客もさることながら、ボランティアで関わっている、おそらくは根っからの鉄道ファンのスタッフたちの嬉々とした表情が印象的だった。

Ts3r0063

前回の駿遠線など、軽便鉄道の廃線は何度か走ったが、こうやって当時と同じ車両が実際に動いている様子は大変に興味深かった。

10月17、18日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/15

北陸本線旧線ラン

13日、北陸本線の直江津-浦本間の旧線跡を走った。明治時代に開通した北陸本線のこの区間では、特殊な地質条件から地滑り災害が多発したため、内陸側を長いトンネルで抜ける新ルートに変更されることになった。多くの破砕帯に遭遇するなど建設工事は難航したが、新線は昭和44年に開通、海岸沿いの旧線は廃線となった。

旧線跡の大部分は昭和52年に久比岐自転車道(正式名称「一般県道上越糸魚川自転車道線」、全長約32キロ)として整備され、日本海を一望する風光明媚な自転車歩行者専用道路となっている。今年は開通40周年ということで、先月には記念フェスティバルが開催されたようである。

朝方まで雨が降り続いていたが、直江津のホテルを出発する頃にはちょうど上がってくれた。自転車道の直江津側スタート地点、郷津(ごうづ)までは路線バスを利用。乗客は自分一人だった。日本海の荒波の音を聞きながら、午前9時前にスタート。

Ts3r0005

間もなく、フィッシングセンター(左側の黄色い桟橋)があり、この付近に旧郷津駅があったと思われる。

Ts3r0006

約2キロの地点で現行線と合流すると、まもなく谷浜駅である。歩道橋の左に構内跨線橋が見える。

Ts3r0007

谷浜駅を過ぎて間もなく現行線と別れ、長浜トンネルに入る。

Ts3r0009

桑取川を横断していたレンガの橋脚跡が残る。右奥は現行線のトンネル。

Ts3r0010

再び現行線と合流、線路下ではレンガの小さな橋脚が今も現役で活躍中である。

Ts3r0012

有間川駅の先で再び現行線と別れて海岸沿いを走り、いくつかのトンネルを潜る。不動滝など大小いくつもの滝や湧水が随所に見られ、付近の地盤が軟弱なのも頷ける。また、大きな波が打ち寄せる海岸近くでは、サーフィンに興じる人々の姿も見える。

Ts3r0016

名立(なだち)の集落を過ぎてしばらくすると、上越市から糸魚川市に入る。次第に視界が開けてきて、水平線まではっきりと見えるようになった。天気が良ければ能登半島や佐渡島を望むことも出来るそうだ。

Ts3r0023

筒石の集落に入ると、橋脚跡に何と保育園が建っている。

Ts3r0026

能生(のう)集落に入る手前にトットコ岩がある。地元の言葉でニワトリを意味する「トットコ」が、餌を啄んでいるように見えるところから名づけられ、岩の上には祠が置かれている。

Ts3r0033

ちょうど昼どきになったので、道の駅マリンドリーム能生で昼食休憩を取る。申し遅れたが、今回の旅行は家内と一緒で、後のバスでここまで来た家内と合流して、残り10キロ強は一緒に走ることにしていたのだ。

Ts3r0036

能生の役場前に旧能生駅跡の記念碑、338キロポスト、「工」印の境界杭があった。

Ts3r0038

木浦(このうら)川を渡ると、西性寺の大きな瓦屋根が見える。この辺りでは黒光りするような瓦を多く見かけたが、雪の多い気象条件と何か関係がありそうだ。

Ts3r0039

海岸沿いに、いかにも廃線跡という光景が続く。

Ts3r0040

浦本駅付近で現行線と再び合流する。旧線跡はここまでで、廃線ランとしては終了であるが、自転車道は海岸の堤防沿いにさらに2キロほど続く。帰りの列車の時刻までまだ時間があるので、のんびり歩いて時間調整することにした。15時半に無事ゴール。

Ts3r0044

ここから、国道8号沿いに梶屋敷駅まで歩き、日本海ひすいラインで直江津まで引き返す。キハ122形ディーゼルカーがたった1両、長いホームの真ん中に発着、北陸本線の電化複線線路を行くありさまは一種異様である。

新幹線開通とともに並行在来線は第3セクターに移行する宿命だが、本数も少なく地元民の足としてはかなり不便になったのではないだろうか。ICカード対応するだけの余裕もないようで、車掌に整理券を渡して現金で支払うシステムだ。「車内補充券」を貰ったのはいったい何年ぶりだろうか。(苦笑)

Ts3r0048

10月13日 LSD31キロ
10月15日 ジョグ10キロ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/10/12

@直江津

新潟は直江津という所に来ている。明日、北陸本線旧線の廃線ランをするためである。今日はとりあえず、新線(現日本海ひすいライン)との分岐点にある交通公園を訪れた。D51が静態保存されている。近づいてみて改めてその巨大さを実感した。

Ts3r0002_2

その傍には、珍しい「双頭レール」の切断片が展示されていた。説明によれば、「汽笛一声」の新橋-横浜間で使用されていた由緒あるもので、いかなる経緯か直江津機関車庫の補強材に使われていたそうだ。へえ。

Ts3r0004

10月11日 ジョグ10キロ

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2017/10/10

コンパクトキーボード

を購入した。旅先などでパソコンがなくタブレットだけという場合でも、文章を入力しやすくするためである。タブレットの画面に現れるキーボードは小さくてブラインドタッチが出来ないし、フリック入力は慣れない上に、やり過ぎると腱鞘炎になるそうだ。

というわけで、簡易版でもキーボードがあるに越したことはない。ネットで調べてみると、折り畳み式のものなど、各種商品が販売されている。面白いことに、サイズが小さいほど値段が高くなっている。

今回選んだのはバッファロー社の製品。サイズは8インチタブレットより若干横に長い程度。厚さ約6ミリ、重量は約150グラムと、非常にコンパクトである。タブレットとは Bluetooth で接続し、内蔵されたリチウム電池はUSB経由で充電する仕組みだ。

Ts3r0036

試しにワードで文章を打ってみたが、各キーの位置感覚に少々とまどう以外は特に問題なかった。保存したファイルをメールで自分宛に送ることも出来るので、パソコン上での再編集も可能だ。というか、もはやパソコンは不要になるかもしれない。(苦笑)

10月9日 LSD20キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/07

『ブレードランナー』

Blade_runner1982年、米。リドリー・スコット監督。ハリソン・フォード主演。映画ドットコムの紹介文。

2019年、惑星移住が可能になった未来。レプリカントと呼ばれる人造人間が謀反を起こし、地球に侵入。レプリカント専門の捜査官“ブレードランナー”のデッカードは追跡を開始する。一方、彼は製造元のタイレル社でレイチェルというレプリカントに会い、心を通わせていくが……。熱心なファンによって支持され、カルト化したSFハードボイルド・アクション。(引用終わり)

2019年、近未来のロサンゼルスが舞台というけれど、もう再来年のことになってしまった(笑)。惑星移住も、空飛ぶ乗用車も、酸性雨による都市の荒廃も、まだ現実のものとなっていないが、妙な日本語や中国語の看板が氾濫する、薄暗いロサンゼルスの街並みは独特な世界観を表している。

1982年公開というから、まだCG、VFXの技術はなかったはずだが、特殊撮影でここまでの映像が作られたことは驚嘆に値する。また、文明の進歩で生まれた人造人間の宿命と悲哀を考えさせる内容は、単なるSFアクションの枠を超えた深みをもっている。ラスト近く、ビルの屋上で「TDK」のネオンをバックに、ロイが辞世の詩を語る場面は感動的だ。

当初公開版ではレプリカントの人数に誤りがあったことなどから、「デッカード自身もレプリカントではないのか」という見方が生まれた。スコット監督自身もそのアイデアが気に入っていたそうで、後にそれを示唆するシーンを追加するなど再編集が行われた。今回観た2007年の「ファイナル・カット」版でも当然それらが含まれ、音声解説の中で監督自身が説明を加えている。

さて、そうなると逃走したデッカードとレイチェルのその後が気にかかるが、実は本作を観終わって、この記事を書くためにネットで検索していたら、何と今月末に続篇『ブレードランナー2049』が公開されることを知った。偶然にしても出来過ぎた話である。

10月5、7日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/04

『許されざる者』

Unforgiven_41992年、米。クリント・イーストウッド監督、主演。ジーン・ハックマン、モーガン・フリーマン他。アマゾンの紹介文。

19世紀末のワイオミング。かつては列車強盗や殺人で悪名を馳せていたウィリアム・マニー(クリント・イーストウッド)も、今は農夫として2人の子供とひっそり暮らしていた。そんな彼のもとに、若いガンマンが賞金稼ぎの話を持ちかける。躊躇したマニーだが、今の生活では子供達を育てることはできない。彼は二度と握らないと誓った銃を手にすることを決意し、昔の相棒ネッド(モーガン・フリーマン)とともに、3人で町へと向かった。だが町では恐るべき保安官ビル・ダゲット(ジーン・ハックマン)が彼らを待ち受けていた――。(引用終わり)

普通の西部劇であれば、主人公マニーがヒーローで、悪役の保安官ビルをやっつける物語…となるところだが、本作はそれほど単純ではない。

マニーにしても、かつては冷血の凶悪犯であったし、丸腰の男を撃ち殺したことで、ビルから「最低の卑怯者」と罵られる始末だ。一方のビルも、町の治安を守るために体を張って頑張っていると言えなくもない。誰が善人で誰が悪人かなど、簡単に色分けできるものではない。

本作は西部劇の体裁を取りながら、単なる勧善懲悪劇の次元を超えて、西部開拓時代の現実を残酷なまでに再現してみせた作品である。度重なる暴力シーンはそれを描写するために不可欠なものだ。しかし、その暴力が生みだすものは人間性の崩壊しかなく、最も許されざるものは暴力だというメッセージが伝わってくる。

マニーが町を立ち去る際の、「女たち(娼婦)をもっと人間らしく扱え!」という最後の台詞ともあわせて、この作品はすぐれて現代的な意義を持っている。一部に言われるような「最後の西部劇」とか、「西部劇を殺した」という評価は、全く当を得ていないように思う。

10月3日 ジョグ10キロ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017/10/01

素人寄席

今日は町内会の一斉清掃&親睦会に参加した。毎年恒例の行事であるが、親睦会の内容はその年の役員の発案次第で、これまでは集会所でカラオケ宴会というのが定番だったが、今年は近くのホテルの宴会場で、フルコースの食事&落語会という趣向となった。

と言っても、さすがにプロの演者を呼ぶほどの資金はないので、アマチュア落語家がノーギャラでやっている「出前寄席」を利用したものである。それでも、彼らは大阪天満天神繁昌亭で行われた落語家入門講座を修了したメンバーで、芸名も桂三枝(現文枝)師匠につけてもらったものだそうだ。

Rakugo

今日は天神亭みょう雅が「転宅」、天神亭神山(かみさん)が「子ほめ」を披露。ちゃんと平台に緋毛氈を敷き、BGMで出囃しを流しての本格的な高座である。さすがにプロ同様とはいかず、ちょっとした言い間違いや滑舌の悪さはあったものの、落語を愛する演者の気持ちは十分に伝わってきた。

さて、来年度は自治会の役員が回ってくる。何かいい企画はないだろうか。

9月30日 LSD40キロ
月間走行 186キロ

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2017年9月 | トップページ | 2017年11月 »