ディヌ・リパッティ再発見
ルーマニア出身、33歳で夭折した不世出のピアニスト、ディヌ・リパッティのことは、以前に少し書いた。彼は1917年生まれだから、今年が生誕100周年ということになる。それに因んだものであろう。先月、NHK-FMの「名演奏ライブラリー」では彼の特集があり、またラジオ第1放送の「ラジオ文芸館」では、彼を題材とした恩田陸「二人でお茶を」が朗読された。
それに触発された格好で、手元に1枚だけある彼のCD、グリークとシューマンのピアノ協奏曲を改めて聴いてみた。オケはフィルハーモニア管。指揮は前者がアルチェオ・ガリエラ、後者が若き日のカラヤンである。それぞれ1947年、48年収録の古いモノラル録音で、特にグリークは原盤由来のノイズが混じるなど、今日的感覚では鑑賞に堪えない音質である。それでも…
前に聴いたとき、どうして分からなかったのかというぐらい完璧な演奏である。しかし、それは例えば、速くて難しい音符を完全に弾きこなす(それだけでも大変なことだが)という意味ではない。どんな小さなパッセージでも、そのテンポや強弱の変化、タッチ、僅かなルバートに至るまで、十分に考え抜かれ、これ以上はないだろうという表現を、寸分の狂いもなく次々と音にしていくのである。もはや、生身の人間がやっていることとは思えないほどだ。
コルトーに促されてパリで勉強したリパッティについて、デュカスは「彼に教えることは何もない」と言い、プーランクは「聖なる精神性をもつ芸術家」と形容したという。EMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグは、CDのライナーノーツにも引用された追悼文の中で、「彼が弾いたあらゆる音符は、それ自体の生命をもっていた。彼はあらゆるフレーズと、あらゆるフレーズにおけるあらゆる音符に、“性格”を与えることを力説した」「リパッティのように弾くためには、神の選ばれた楽器にならなくてはならない」と述べている。
今日の医療技術をもってしても、彼の病気を完治することは無理だったかもしれないが、少なくとももう少し長くキャリアを続けられた可能性はあるだろう。彼の霊魂が日本の音大生の体を借りて、神がかり的な演奏を繰り広げるという恩田氏の作品にふれ、改めて彼の早過ぎる逝去が惜しまれてならない。
8月1日 ジョグ10キロ
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