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2017/08/29

白内障手術終了

昨日、右目の白内障手術が無事終了した。およそ手術というものにほとんど縁がない。中学生の時に木工工作していて鑿で膝下を切り3針ほど縫ったのと、最近インプラントの手術をしたぐらいで、本格的に手術台に乗ったのは初体験である。

正味20分弱ぐらいだったろうか。メスとか超音波の器具などが目に挿入されるのが見えるのかと思っていたけれど、麻酔やら何やらいろんな目薬をさされたせいか視覚がぼやけて、 正面に明るい光が見えているものの焦点が定まらず、まるでSF映画の時空をワープする(?)シーンか何かのようだった。

最後に人工レンズが装着されたところだけは何となく分かったが、それ以外は幻想的に揺れ動く不思議な光を見ているうちに終わってしまったという感じである。痛みはおろか、眼球に何かが触れているという感覚すらなかった。

今日の診察で眼帯(というか、巨大な絆創膏)を外してもらったら、もう世界が変わったようだった。パソコンや読書など普段よく見る近い距離に合わせてもらったが、5メートル視力も0.8まで回復していて、普段の生活はメガネなしでも十分可能のようだ。

ただ、クルマを運転する時などはやはりメガネが必要だし、左目は今のところ白内障は発症していないものの、老眼が出て来たのでその矯正も必要だ。ということで、近いうちにメガネを新調しなければなるまい。

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2017/08/26

『明日への遺言』

Yuigon2007年、製作委員会。小泉尭史監督。藤田まこと主演。アマゾンの紹介文。

第二次世界大戦終了後、元東海軍司令官・岡田資(たすく)中将は、名古屋空襲時における一般民衆への無差別爆撃を実行した米軍搭乗員処刑の罪に問われ、B級戦犯として裁判にかけられた。岡田中将の弁護人であるフェザーストーンと相対するバーネット検察官、裁判長のラップ大佐をはじめ、裁判を行うのは戦勝国アメリカ。
そんな中、岡田中将は、自己の信念を曲げることなく、すべての責任は指示を下した自分にあると主張。法廷闘争を法における戦い「法戦」と呼び、あくまで戦い抜こうと立ち向かう。部下を守り全責任を負う覚悟を見せる岡田中将の潔い姿は、次第に、敵国の検事や裁判官をはじめ法廷内にいるすべての人を魅了し心動かしていく…。(引用終わり)

タイトルすら知らなかったけれども、あるところで紹介されていたので観てみた。戦犯裁判という重い内容で、ほとんどが法廷や留置場のシーンであり、多分途中で眠気を催すだろうと予想していた。

しかし、全くそんなことはなく、最後まで集中して観ることが出来た。作中の弁護士、検事、裁判官と同様、観ているこちらまで、岡田中将の強い信念と潔い態度に感銘を受けてしまったのだ。小泉監督が15年かけて構想を練ったというだけのことはある。藤田まことも抑制の効いた良い演技を見せている。

今日の日本で、岡田中将のような人物には滅多にお目にかかれない。とにかく他人に責任をなすりつけ、自分が安全な場所にいると知るや居丈高になる。新聞やテレビのニュースを見ていると、そういう輩ばかりが登場するので、彼の清々しい生き方がとても新鮮に映る。

8月24日 ジョグ10キロ
8月26日 LSD20キロ
月間走行 157キロ

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2017/08/23

『天国から来たチャンピオン』

Heaven_31978年、米。ウォーレン・ビーティ製作、共同脚本、共同監督、主演。アマゾンの紹介文。

ロサンゼルス・ラムズのクォーターバック、ジョー・ペンドルトン(ウォーレン・ビーティ)は交通事故で死亡し、天国からのお迎えと共に天国へ旅立つ。ただ、それは間違いだと分かり、ジョーは殺されたばかりの財界の大物ファーンズワースの体を使って地上へと戻される。そんな彼の前に、美しいイギリス人女性ベティ(ジュリー・クリスティ)が現れ、ジョーは恋に落ちる。ラムズへ戻ろうとトレーニングを続けるジョーだが、ファーンズワースの体を使える期限が終わりを告げ…。(引用終わり、一部加筆)

『月の満ち欠け』の中に出て来て興味を持ったので観てみた。タイトルの「チャンピオン」というのは、元々アメフトではなくボクシングを題材に製作する予定だったからと思われるが、邦題がなぜそのままになったのかは分からない。

『月の…』はかつて愛した男に再会したい一念で生まれ変わる女性の物語だったが、こちらはいかにもアメリカらしく、クォーターバックとしてスーパーボウルに出場したいという願望が、いったん死にかけた主人公の魂を地上へと戻す。原題 Heaven can wait  のとおり、念ずれば天国は待ってくれるのかもしれない。

ただ、主演のウォーレン・ビーティが一人何役も兼ね、ファーンズワースの体を借りたジョーが、外見上も全くジョーであるのは物語の設定と矛盾している。また、ジョーにはまだ50年の余命があったはずなのに、最後はそれがどこかに行ってしまったりと、ちぐはぐな部分がある。しかし、まあそんなカタイことは言わずに、ファンタジックなラブストーリーとして楽しめばよいのだろう。コミカルな部分や思わずホロリとさせられる箇所もあって、なかなか良く出来た作品だった。

8月22日 ジョグ10キロ

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2017/08/20

リパッティのショパン・ピアノ協奏曲第1番

Archipel先日、リパッティが弾いたグリークとシューマンのピアノ協奏曲に改めて感銘を受けたと書いたが、その後、ショパンの協奏曲第1番のCDを入手、これまた素晴らしい演奏に驚いている。1950年2月7日の録音というから、彼が亡くなる約10か月前にあたるが、そんなことは微塵も感じさせない。

モノラルで、しかも演奏会のライヴ録音ということで、フォルティシモの迫力はさすがに伝わらないが、ピアノからピアニシモにかけての千変万化のニュアンスは十分聴きとることが出来る。とりわけ第2楽章のこれほど美しい演奏は初めて聴いた気がする。

ところで、このCDは Archipel という聴き慣れないドイツのレーベルである。実は、以前イギリスEMIから同曲のLPが発売されていたが、これが実はチェルニー=ステファンスカという女流ピアニストの演奏だったことが後に判明。その後、リパッティ本人の演奏によるディスクがEMIから再発売されたものの、音源に不備があり、欠落部分に他のピアニストの演奏を嵌め込んだという。

このCDは別の音源で欠落部分を補って作られたものだそうで、当時の録音としては十分鑑賞に堪える。共演のオットー・アッカーマンという指揮者は名前も知らなかったが、リパッティの天才的なフレージングによく合わせている。ドイツ人のような名前だが、ルーマニアの出身らしく、リパッティとの相性も良かったのだろう。チューリヒ・トーンハレ管弦楽団もなかなかの演奏水準を示している。

カップリング曲はグリュミオー(Vn)、プリムローズ(Va)と組んだモーツァルトの協奏交響曲K.364(オケはケルン放送響)。アッカーマンのCDという位置づけのはずだが、どういう訳かジャケット写真はグリュミオーである。

8月18、20日 ジョグ10キロ

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2017/08/17

『月の満ち欠け』

283991佐藤正午著。初めての直木賞受賞作を出版した岩波書店の紹介文。

あたしは、月のように死んで、生まれ変わる――目の前にいる、この七歳の娘が、いまは亡き我が子だというのか?  三人の男と一人の少女の、三十余年におよぶ人生、その過ぎし日々が交錯し、幾重にも織り込まれてゆく。この数奇なる愛の軌跡よ! 新たな代表作の誕生は、円熟の境に達した畢竟の書き下ろし。さまよえる魂の物語は戦慄と落涙、衝撃のラストへ。(引用終わり)

「前世を記憶する子どもたち」が存在するのだという。イアン・スティーヴンソンによる同名の書物が、本書巻末に参考文献として挙げられている。俄かには信じがたいけれども、もし本当に「生まれ変わり」があるとしたら…という、一見するとSFとかファンタジーめいた作品である。

しかし、(以下、ネタバレ)

8月16日 ジョグ10キロ

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2017/08/14

『リリイ・シュシュのすべて』

Chouchou2001年、ロックウェルアイズ。岩井俊二監督。allcinema の紹介文。

中学生になった蓮見雄一は同じクラスの優等生・星野修介と仲良くなる。夏休み、2人はほかの仲間たちと西表島へ旅行に行く。そこで星野は2度命の危険にさらされる。そして逆に、島で知り合ったばかりのバックパッカーのあっけない死を目の当たりにする。旅行から戻った星野は変質し、番長を倒し自らその座に収まり、蓮見はいじめの対象になっていく……。学校での星野の凶悪さは常軌を逸し、その仕打ちに傷つく蓮見は、唯一の慰めとなっていたカリスマ的女性アーティスト“リリイ・シュシュ”のファンサイトを立ち上げ、そこで痛々しい心情を吐露していくのだったが……。(引用終わり)

この監督の作品を観るのはこれで6本目になるが、どれも独特の世界観を持っていて、「同工異曲」の対極を行くかのようである。本作では現代の中学生の実像を、残酷なまでにリアルに描き出している。

万引き、いじめ、暴力、援助交際、レイプ、自殺…。ドビュッシーの美しいピアノ曲をバックに、陰惨なシーンが続き、正直言って、観終えたあとは何とも言えない重さが胸に残る。唯一救いと思われたリリイ・シュシュの音楽すら、雄一にとっての存在意義を否定されかねない、大変皮肉な結末が待っている。

西表島旅行の詳細や合唱コンクールの顛末など、ディテールに凝り過ぎているきらいもあるが、それにもかかわらず、観る者の心に決して消えない刻印を残す作品である。監督自身が「遺作を選べたらこれにしたい」というのは多少大袈裟であるとしても。

8月12日 LSD20キロ
8月14日 ジョグ10キロ

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2017/08/11

なら燈花会

奈良市内で行われている燈花会(とうかえ)を初めて見に行った。近いのでいつでも行けると思いながら一度も行かないというありがちな例だったが、今年は家族の希望でようやく実現した。

出発した時点で自宅近くは激しい夕立に見舞われていたが、奈良市内に入る頃には雨も上がり、幸い最後まで傘の出番はなかった。その代わり、歩くだけもじっとり汗をかく蒸し暑さに閉口した。

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写真は東大寺近くの春日野園地の光景。左奥に大仏殿の屋根が見えている。いや、見えないか(笑)。例によって中国人観光客が多かったが、意外に大人しく見物していた。浴衣姿の日本人女性も含めて、SNSにアップするためだろう、皆大変熱心に写真を撮っていた。

8月10日 ジョグ10キロ

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2017/08/08

映画『君の膵臓をたべたい』

Img0072017年、東宝。住野よるの同名小説の映画化。公式サイトの紹介文。

高校時代のクラスメイト・山内桜良(浜辺美波)の言葉をきっかけに母校の教師となった【僕】(小栗旬)。彼は、教え子と話すうちに、彼女と過ごした数ヶ月を思い出していく――。膵臓の病を患う彼女が書いていた「共病文庫」(=闘病日記)を偶然見つけたことから、【僕】(北村匠海)と桜良は次第に一緒に過ごすことに。だが、眩いまでに懸命に生きる彼女の日々はやがて、終わりを告げる。桜良の死から12年。結婚を目前に控えた彼女の親友・恭子(北川景子)もまた、【僕】と同様に、桜良と過ごした日々を思い出していた――。そして、ある事をきっかけに、桜良が12年の時を超えて伝えたかった本当の思いを知る2人――。(引用終わり)

原作にはない「12年後」を設定し、過去と行きつ戻りつする構成を取るが、12年前の出来事を回想するという形であり、内容的には原作にほぼ忠実に作られている。むしろ、やや生硬な印象のある原作の文章を読むより、こうして映像で観た方がスンナリと、それこそ腑に落ちるという気もする。

浜辺美波と北村匠海の主演2人は作品内容をよく理解していて、桜良と【僕】それぞれのキャラクター、表情、しぐさ、声までも表現出来ている。声と言えば、浜辺美波の声には透明感があり、「共病文庫」を朗読する場面(とりわけラストシーン)でそれが生きる。それにしても、今風の可愛らしい顔立ちなのに、何と古風な芸名なのだろう(本名という説も)。

北川景子の出番はそれほど多くない。高校生当時と比べると、やや不自然に感じるほど、格段に美人になっているけれど(笑)、桜良の手紙を読むシーンはテストなしのぶっつけ本番、さらにはアドリブで言った台詞もピタリと決まっている。それでも本人はいたって謙虚で、主演2人の演技を絶賛しているところが、いかにも彼女らしい。

8月6、8日 ジョグ10キロ

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2017/08/05

高橋さん迎撃大阪城ラン

FRUN高橋さんが久々に大阪出張に来られていて、昨日は常連の四代目さんとともに大阪城公園を走った。大阪城ホールの隣にジョーテラスというオシャレな商業施設が出来ていて、その中にランニングステーションがオープンしていたのだ。少し離れた銭湯を拠点に走っていた頃に比べれば、随分と便利に、また快適になったものだ。昨今の異様なランニングブームにも良い面はあるようだ。

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市内西部から阪神間にかけては大雨だったそうだが、奇跡的に雨は降らず、大変蒸し暑かったものの無事に走り終えた。宴会にはさらに常連2人が加わり、例によって大いに飲み、語らい、あっという間に時間が経ってしまった。

8月3日 ジョグ10キロ
8月4日 ジョグ7キロ

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2017/08/02

ディヌ・リパッティ再発見

Lipattiルーマニア出身、33歳で夭折した不世出のピアニスト、ディヌ・リパッティのことは、以前に少し書いた。彼は1917年生まれだから、今年が生誕100周年ということになる。それに因んだものであろう。先月、NHK-FMの「名演奏ライブラリー」では彼の特集があり、またラジオ第1放送の「ラジオ文芸館」では、彼を題材とした恩田陸「二人でお茶を」が朗読された。

それに触発された格好で、手元に1枚だけある彼のCD、グリークとシューマンのピアノ協奏曲を改めて聴いてみた。オケはフィルハーモニア管。指揮は前者がアルチェオ・ガリエラ、後者が若き日のカラヤンである。それぞれ1947年、48年収録の古いモノラル録音で、特にグリークは原盤由来のノイズが混じるなど、今日的感覚では鑑賞に堪えない音質である。それでも…

前に聴いたとき、どうして分からなかったのかというぐらい完璧な演奏である。しかし、それは例えば、速くて難しい音符を完全に弾きこなす(それだけでも大変なことだが)という意味ではない。どんな小さなパッセージでも、そのテンポや強弱の変化、タッチ、僅かなルバートに至るまで、十分に考え抜かれ、これ以上はないだろうという表現を、寸分の狂いもなく次々と音にしていくのである。もはや、生身の人間がやっていることとは思えないほどだ。

コルトーに促されてパリで勉強したリパッティについて、デュカスは「彼に教えることは何もない」と言い、プーランクは「聖なる精神性をもつ芸術家」と形容したという。EMIの名プロデューサー、ウォルター・レッグは、CDのライナーノーツにも引用された追悼文の中で、「彼が弾いたあらゆる音符は、それ自体の生命をもっていた。彼はあらゆるフレーズと、あらゆるフレーズにおけるあらゆる音符に、“性格”を与えることを力説した」「リパッティのように弾くためには、神の選ばれた楽器にならなくてはならない」と述べている。

今日の医療技術をもってしても、彼の病気を完治することは無理だったかもしれないが、少なくとももう少し長くキャリアを続けられた可能性はあるだろう。彼の霊魂が日本の音大生の体を借りて、神がかり的な演奏を繰り広げるという恩田氏の作品にふれ、改めて彼の早過ぎる逝去が惜しまれてならない。

8月1日 ジョグ10キロ

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