『ゼラニウムの庭』
『ピエタ』、『あなたの本当の人生は』、そして本作。舞台設定は異なるものの、複数の女性のそれぞれの人生をテーマに、それを文章で克明に記録していくことが、3冊に共通したテーマというか、骨格になっているように思った。
本作ではそれに加えて、時間の流れというものにスポットが当たっている。主人公るみ子の祖母豊世の双子の妹嘉栄は、先天的に成長が異常に遅く、不老不死とは言わないまでも、最後の方で「百四十歳を超えた」という記述が出てくるほど長生きしている。
世間の目を恐れた家族によって、嘉栄の存在はひた隠しにされてきたが、その秘密を知る一族、関係者には大きな影響を与えていく。中でも、豊世にとっては、嘉栄は時間の経過という現象を否応なしに実感させる存在となる。
るるちゃん(るみ子のこと)、考えてもごらん、同時にうまれたのに、自分ばかりがどんどん年を取っていく怖ろしさを。いびつな時間を感じつづける怖ろしさを。魔物みたいな時間の正体をあたしは知ってる。知りたくもないのに知っている。(中略)時間がね、見えるようだった。どうどうと流れていく時間が。あたしら人間はまるで大河にのみこまれていくようじゃないか。あっぷあっぷと大河に流されて、手をのばしてもなにもつかめない。水は手のひらをするするとすりぬけていく。(165-166頁)
一方、時間の流れが止まったかのような嘉栄の側から眺めるとこうなる。
私が見てきたのは、誕生と死。人が誕生し、死んでいくところばかりだった。そう断言しても言い過ぎではないでしょう。時間がこぼれていくのを、おとよちゃん(豊世のこと)は嘆いていたようですが、こぼれていくというのなら、私は人だと思いました。ぼろぼろと手のひらの隙間から落っこちていくように、たくさん人が死んでいった。私の前に人が現れては消えていく。(中略)大往生もあれば無駄死にもあり、人の一生はじつにいろいろで、無常を感じないでもありませんでしたが、そのうち、それも感じなくなりました。現れては消え、現れては消え、何を成し遂げようとも、何も成し遂げられなくとも、人はただひたすら、現れては消えていくのです。(282-283頁)
この辺りが本作の核心部分であろうと思うが、作品中、明治末期から近未来まで、5世代にもわたる一族の歴史を、それぞれの時代背景とともに克明に叙述しているのも、実にこのテーマをごく自然に読者のハラに落とすためであろうと思われる。
作者はあるインタビューで、嘉栄という人物について、「書き方を間違えるとファンタジーになりかねないが、現実から虚構に向かうグラデーションの中で同じように見えることを望んで、嘉栄が生きた時代を描写した」と答えている。実際、この一族の歴史絵巻の中に嘉栄がしっかり織り込まれているからこそ、上記引用部分が大きな説得力を持つのだろう。
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