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2017/04/25

東海道を走る その14(舞坂~二川)

弁天島から新居町まで、電車では僅か3分ほどである。往時は舟でのんびりと渡る間、骨休めしていたようで、広重の「荒井」は、渡し舟の中で手を突き上げて欠伸をする男(左端)を描いている。

Arai

一方、「膝栗毛」では、誰かが舟の中に持ち込んだ蛇が行方不明となって大騒ぎとなる。同乗者によっては、のんびり骨休めとはいかなかったようである。

渡し舟などない現在、広重と同じ構図は無理だが、右奥に見える新居の関所が現存する(安政2年築)。入り口まで行ってみたが、入場料を取るというので、箱根に続いて関所破りを敢行することにした。(笑)

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往時は、舟から上陸すると関所の敷地内、という仕掛けになっていて、関所破りなど物理的に不可能だったようだ。

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新居宿を出て、浜名旧街道を行く。鄙びた街道の風景を見ながら走っていたら、この音楽が頭に浮かんできた。これも日本の原風景のひとつに違いない。

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ところで、この前の舞坂辺りからだろうか、家々の敷地の角に可愛らしい祠があるのに気付いた。大きくても50センチほどだが、何かの信仰と関係があるのだろうか。

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やがて、街道は右折して潮見坂に差し掛かる。その分岐点に小さな道標が立っていた。「右旧道、左新道」とあり、大正13年に皇太子(後の昭和天皇)のご成婚を記念して、地元の元町青年会が建立したものだ。

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「元町」というのは、次の白須賀(しらすか)宿が、元はこの海岸近くにあったということで、宝永4年(1707)の大津波で壊滅的被害を受け、現在の潮見坂上に移転したものである。

その潮見坂を駆け上がっていると、白須賀中学の生徒たちが下校してくるところだった。宿場と同様、中学校も高台に移転して、生徒たちは毎日そこまで通うことになったのだ。

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中学校横の展望台から遠州灘を望む。

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広重の「白須賀」もこの風景を描いている。海のグラデーションは、見事に逆になっているが。

Shirasuka

白須賀宿を抜け、境川を渡る。文字どおり、ここが遠江と三河(現在は静岡県と愛知県)の境に当たる。そう言えば、箱根峠からここまでずっと静岡県だったのだ。静岡県、広すぎ!

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国道1号に合流し、キャベツ畑や工場しかない単調な景色が続く。往時も「夜道慎しむべし」と言われた区間である。おまけに強烈な向かい風に悩まされ、かなり辛いものがあった。

やっとのことで二川(ふたがわ)宿に到着。商家の駒屋が復元、公開されている。

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さらに進むと、本陣と旅籠清明屋が復元されている。旅籠女中の微妙な表情がとてもリアルだ。

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広重の「二川」は名物かしわ餅を商う茶店を描いているが、副題には先ほどの境川辺りにあった「猿ケ馬場」とあり、描かれた場所ははっきりしない。

Futagawa

JR二川駅近くから眺めた風景がこれに近いという感じもする。遠景と茶屋を適当に合成したものかもしれない。

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今日の行程はここまで。現在はホテル・旅館が1軒もないので、隣の豊橋まで電車で移動し、駅前のホテルに投宿した。

4月24、25日 ジョグ10キロ

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